はてなキーワード: ボートレースとは
「ボートレースで200万を1000万にしてくれ」と頼まれたときのこと。 | Books&Apps
https://blog.tinect.jp/?p=86384
ワイのケースの場合は「預り金を取り戻すために金が必要だ」というお話だった。
まぁ、最終的にはワイが10万円の損害を出して終わっただけ。
勿論ソイツの預かりの5000万は返って来なかったし、その預かりがなかったためにソイツの会社はトンだ。
ちなみにソイツは2社潰している。おいおい。付き合うワイもおいおい。
このお話の杉山さんは「恥を知っている」人だから逃げたり、他の業種で足掻いたりしている。
小市民的善人。それだけで偉い。
ワイの知人のソイツは逃げないし、反省はない。同じ業種でまた同じことをしている。懲りてない。恥知らず。
最初の会社を飛ばした後、再会。「礼儀として返す気はあるか?(個人貸しだし、借用書はないから尚の事。金額は300万)」と言ったら「私は法的に免責されている人間です」と臆面もなく言ってきたから凄いよ。
なので、俺的には杉山さんは2年も経ったら平気な顔して戻ってくればよかったのにね、と思う次第。
でも、ヤクザ(暴力)もセットのこと多いからね芸能界。顔出したらタマ取られるのかも。オタク業界とはぜんぜん違う。やれやれ。
休日は常に家族と過ごしているし、仕事が休みな平日もひとりで家に居てダラダラしかしないので、家から出て、家族のいない小さな非日常の時間を味わいたい。
少し考えてみた。
家から出る。
やったことないことをやる。
人から刺激を受ける。
19時にはおうちに帰って夕飯は家族と過ごしたい。
賭け事には興味がないが、(有料ではあるが)机がある席があることに魅力を感じている。
100円ずつ適当に賭けて、レースや人間観察をしながら机でどうでもいい考え事や読書をしたい。
本場がなくて場外もない日は開館していないことに注意が必要である。競艇は開いている日が多い(そもそもレースが多い)。
オフト京王閣(場外馬券:非開館日があるナイターだと夕方からしか空かない)
外からの刺激はこれかなと思っている。
吉本興業(東京ではルミネ→∞@渋谷→神保町の順でメジャーな人が出る)
新宿末廣亭
刺激を受けないが、短時間に大声で叫びきるのは良いかなと思っている。
ネカフェはパス。グランカスタマに行くとかイリーガルなチャレンジはできるが、もうそんな年ではない。
いわゆる市民プールに行くも案だなと思い始めてきている。
Youtuberや麻雀クラスタがポーカーを推してきていて興味はあるが、遊ぶのに時間がかかる趣味だなと思い始めてきたので今回はパス。
世界のヨコサワの店で初心者向けテーブルが基本毎日立っているみたいだ。
大型図書館で過ごすことも考えたが、あまり外からの刺激を受けなさそうではある。
https://travel-star.jp/posts/19991
独身の頃によく行っていた案。何もないところに行きボケっとして頭をすっきりさせることができるが、今回はパス。
新宿御苑
検査だけやって結果はWebで受け取れると所要時間が短いのだそうだ。高いが健康への投資は別に惜しくはない。
また、歯医者には1年くらい行ってないが、この日じゃなくてもいいかなという気がしている(そのまま一生いかない)。
いつも新しい発見があるが、いつも行っているから休みにあえて行く必要はない
所帯持ってると奥さんに反対されることがあるらしいすね
数年前にある芸能人が年末に1年分のギャラをボートレースにぶっこんでいるニュースを見てすげえなと思った。
それから毎年年末に1年間の収益から生活費を引いた分を寄付するようにしている。
寄付先は日本赤十字や国境なき医師団などで特にこだわりはない。
せっかく寄付するので調べて信頼できそうなところを選んでいる。
自分の経験から言うと、大学受験に合格したときや野球の地方大会でサヨナラヒットを打った時に匹敵するくらい出る。
競馬に詳しくないので牝馬はG1で斤量マイナス2kgであることを今調べて知りました。
基本的には似たような話かと思いますが(競馬の方を正しく理解している自信がない)、ボートレースの場合、本来的には男女の実力差を調整するためではなく過度な減量から選手を守ることが目的であるという点がたぶん競馬の斤量と違う点かと思います。
艇の重さは皆同じです。
なので選手の体重のみで男女別に最低重量が規定されており、足りなければ錘(バラスト)を積みます。
3.5kgまではベストのポケットに錘を入れ、3.5kgを超えるときは艇の底に錘のシートを敷く形となります。
最低体重を男女で同じ体重に設定してしまうと筋力に勝る男子が圧倒的に有利です。
女子は体重の軽さという武器で筋力に勝る男子に対抗するしかないのに、設定されている最低体重が不当なために難しくなっているのでは?というのが私の主張です。
2022年3月21日、第57回ボートレースクラシック(鳳凰賞競走、総理大臣杯)にて、ボートレース史上初の女子選手によるSG競走優勝という歴史的偉業が達成された。
2022年3月21日時点で選手の最低体重制限は、男子が52.0kg、女子が47.0kgとなっており、体重の軽い方が有利なボートレースにおいては、女子選手はハンデをもらっている状態(だからズルい、凄くない)というのが女子選手の活躍に対してつけられるお決まりのケチである。
特に今回は2020年11月に男子の最低体重制限が51.0kgから52.0kgへ引き上げられて男女の体重差が4.0kgから5.0kgと広がって間もない(と言っても1年数ヶ月経っているが)タイミングでの偉業達成だったこともケチをつけられる要因となっている。
『最低体重制限の男女差により女子選手はハンデをもらっている』
というのは果たして本当だろうか?と問題提起したかったからである。
それどころか私はむしろ
『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』
とさえ思っている。
その理由を書いていく。
(細かい部分で知識間違い等があるかもしれないが大筋の主張は変わらないはず)
まず、大前提として押さえておかなければならないのは、「最低体重制限は男女のハンデのために(女子を有利にするために)存在しているわけではない」という点だ。
まるでハンデのために最低体重制限があるかのように書いてあるブログやニュースの記事が当たり前のようにあって驚く。
それでは女子選手の活躍にケチをつける人がいるのも仕方ないのかもしれない。
1988年以前、ボートレース(当時は競艇名称が一般的だったがボートレースで統一する)に最低体重制限はなかった。
最低体重制限がなければ勝ちにこだわる選手たちは当然少しでも有利になるように限界まで減量する。
1987年のSG笹川賞で優勝した野中和夫選手は過度な減量でふらふらの状態だったそうで、それが最低体重制限導入のきっかけだと言われており、
1988年に男子は50.0kg女子は45.0kgという最低体重制限が設けられた(本格運用は1989年から?)。
要するに最低体重制限は、過度な減量から選手の健康を守ること、ふらふらの状態で起こしてしまう事故から選手を守ることが主目的で、女子を有利にするために存在しているわけではない。
女子選手の方が最低体重が軽いのは単に女子選手の方が元々の適正体重が軽いからだ。
日本人の成人男女の平均体重を見ても5kgの差はむしろ小さいと言えるかもしれない。
ここまで「最低体重制限は男女のハンデのために存在しているわけではない」と書いてきたが、正確には「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は行われている。
2001年、寺田千恵選手がSG競走の1つ、グランドチャンピオン決定戦で女子選手初の優勝戦進出、結果は5着に終わったものの、寺田千恵選手の活躍がきっかけで女子の最低体重制限が見直され、2003年に女子の最低体重制限が45.0kgから47.0kgへと引き上げられた。
そう、つまり、「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は、本当は女子にとってはもっと軽い体重でも問題ないのにそれだと男子が不利になってしまうからという理由で行われたということだ。
これを『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』と言わずしてなんと言おうか。
「女子がその体重の軽さという特性を活かして活躍するのは卑怯」で、
「男子がその筋力の強さという特性を活かして活躍するのは卑怯じゃない」
引き上げられたが、これらは男子選手の平均体重や厚生労働省の統計データにおける平均体重との差を是正し、且つ選手の健康維持並びに身体能力の発揮による事故防止を目的に行われたものだ。
簡単に言えば男子選手が大型化したから基準も変えたということで、女子選手を有利にする目的ではない。
男子は2回も引き上げているのに女子は引き上げないのかという意見もあろうが、それは減量なしの通常体重が最低体重を割っていて逆に増量に苦しんでいる選手の割合を男女で比較すれば、引き上げる必要がないことはわかるはずだ。
そもそも47.0kgの最低体重制限引き上げが不当な差別であったのだから、むしろ差が5kgに戻ってようやくまともになった(あるいはもっと差があってもいいのかもしれない)と言える。
ボートレースクラシックの優勝戦に乗った6人の体重は、遠藤エミ選手が44.0kgで他5人の男子選手は52.0kgか51.0kgとなっている。
おそらくこの5人の男子選手の中に体重が軽すぎて増量に苦しんでいる選手はいないと思われる(いたらごめんなさい)。
遠藤エミ選手は意図的に最低体重以下まで減量した上で調整重量を積んでいるらしいので軽すぎて苦しんでいるタイプではないようだが、少なくとも最低体重を割ってまで無理な減量はしていないはずだ。
そう考えると、遠藤エミ選手は健康に支障をきたさない範囲でもまだまだ減量できる余地があるということになる。
他の5選手も(最低体重制限導入のきっかけとなった野中和夫選手レベルの過度な減量をするならともかく)健康に支障をきたさない範囲の減量となると可能なのはあと数kg程度なのではなかろうか。
遠藤エミ選手と他の5選手が健康に支障をきたさない範囲でギリギリまで減量した場合に、その差が5kgを超えるのならば、最低体重制限の恩恵にあずかっているのは男子選手の方ということになる。
この問題で考えなければならないのは男女差だけではない。
同じ性別間でも身長差があるのに一律で最低体重が決められていてよいのかというのは議論されるべきだ。
身長の低い男子選手であればもっと減量可能なのに、身長の高い男子選手が過度な減量とならないように最低体重が制限されているため減量できない状態ということだ。
男子の最低体重制限が52.0kgに引き上げられたことにより、今村豊選手が逆に増量がきつくなるという理由で引退したのは記憶に新しい。
同じ性別間の身長差と最低体重制限の問題は女子選手においても同様である。
最低体重制限の公正さを重視すればボートレーサー養成所の受験資格において、身長の上限を低くするのが本来は手っ取り早い。
ボートレーサーを志した理由には、低身長が有利なことに魅力を感じたからというものがかなり多い。
漫画『モンキーターン』の主人公も低身長故に野球の道を諦めボートレーサーになった。
個人的には時代を巻き戻せるのならば、ボートレーサーは低身長の星として、受験資格を男子は身長165cm以下、女子は身長155cm以下くらいにしておけば少なくとも同じ性別感の身長差と最低体重制限の問題は大分解消できたのにと思わないでもない。
しかし、実際には身長制限は段階的に緩和されており、過去の基準であれば受験資格を得ていなかった身長170cm以上の選手も現在活躍している(艇界No.1の実力を持つ峰竜太選手の身長は173cm だ)ことを考えると、今更受験資格を狭めるわけにもいくまい。
また、ボートレースは競技であると同時に興行でもあり、また公営競技なので公共性という意味でも、先鋭化するより門戸を広く開いて多くのファンと選手志望者を獲得することが大事であるから、受験資格緩和路線を否定することはできない。
落とし所は男子で身長160cmなら何kg、165cmなら……170cmなら……
155cmなら……160cmなら……
という具合に男女別で身長によって最低体重を変えることかと思う。
話が逸れたが、この文章で1番言いたかったのは、遠藤エミ選手や女子選手の活躍に対して最低体重制限の男女差を理由にケチをつける人たちは間違っているということだ。
競馬ファンは、ウマという動物をそれぞれの名前で呼び、その容姿・性格・能力などの個性を愛で、感情移入し、それぞれの毎回の競走や生涯の物語を熱く語る。その一方で、同じウマという動物が調教試験や能力試験で合格できなかったり、競走成績が奮わなかったりしたときにはセリにかけられて食用に屠畜される、という運命もリアリストっぽく擁護する(何なら「それが彼らにとって一番の幸せだ」ぐらいなことまで言っちゃったりする)。「華やかなステージに登壇できたウマ」は賞揚して「できなかったウマ」については関知しない、その割り切りっぷりというか、情熱と冷静の温度差に、おれは戸惑ってしまったりする。
これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物の痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。
でも競馬ファンにとってウマという動物はそうじゃないでしょ。オートレースの競走車やボートレースのエンジンやペラとはわけが違うわけでしょ。人と同じように知能があり、感情があり、性格があり、人馬一体のアスリートであり、そこにみんなは思い入れを持つんでしょ。JRAだって何だってそれぞれのウマにフォーカスして物語を紡ぎ、感情移入させまくるわけでしょ。だからこそウマを擬人化した「ウマ娘」という企画が成立して人気を博したりもするんでしょ。でもその背後で、競走馬としての能力を満たさなかったことで屠畜されるウマたちがたくさんいるし、むしろそういう運命にあるウマたちの存在によって競馬業界が成立してるという陰惨な現実(とおれには思える)は、競馬ファンの頭のなかでどう処理されてんのかな〜とおれは思うわけよ。だって走るのが遅いウマには知能や感情がない、ってわけじゃないじゃん。それは競馬ファン自身が一番よく知ってることでしょ。
たとえばこれがイルカの話だったとして、おれは「イルカは賢くて愛らしいから食べるなんてかわいそう」という人の気持ちはわかるし、「イルカは昔から食用にされてきた伝統的な水産資源だ」という人の気持ちもわかる。でも「イルカは賢くて愛らしい、人と同じような感情があり、人と心を通わせられる、自分もこれまで何度感動させられたことか」って言いながらイルカを食うやつがいたら、それはちょっとサイコパスじみてるじゃん。愛でられるに値しないイルカが食堂で「イルカ定食」として出される水族館で「イルカはやっぱり賢くてかわいいよね」ってうっとりしてるやつがいたら怖いじゃん。と思ったけど、牧場で羊を見た後にジンギスカン食えるとこって結構あるな。んで女の子がワンワン泣いてたりするな。そっかそっか。
以上この話おしまい。