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2019-09-04

ファミコンショップ桃太郎カメレオンクラブ

94年~00年の小学生時代の中で、小2~小4のゲームに対する熱量は突出していたと思う。

地元にはファミコンショップ桃太郎カメレオンクラブがあった。

新品を買えるのは誕生日クリスマスで、それ以外はThe BESTか低価格中古品しか買えなかったが、買えなくても行けばワクワクを提供してもらえる場所だったように思う。

ゲームは当時の俺の全てだった。

様々な選択肢の中から、時に、暇つぶしの仕方なさで選ぶ大人にとってのゲームではなく、スポーツ少年団ゲーム少年かという数少ない選択肢の中で、後者能動的に選んだ。

同じように後者を選んだ連中との共通言語必然的ゲームになるわけだから

ゲームは1時間までにしなさい」

などという親の言葉を聞けるわけがない。

それは、もはや、「お前は喋るな」ということと同じだった。

ゲームのお陰で、小学生時代人間関係は充実していた。

カテゴリー的には、基本的に、スポーツ少年団クラス積極的発言できる者が陽キャだったが、彼らの中にも、俺たち程ではないにしろゲーム好きがいて、交流はあった。

多くのゲーム少年たちの本所属は陰キャだったが、風向き次第では、陽キャの下~中ぐらいにレンタル移籍されることもあり、陽キャ陰キャをはっきり区別できなかった。

だが、そんな学校内での立ち位置なんか関係ないぐらい、俺たちの周りで起こること、俺たちの注目するトピックスが世界の中心だったし、世界の中心は俺たちだという自負すらあったと思う。

ゲームはそれほどまでに、コミュニケーションを、密に、充実させたものにしてくれていた。

学年を重ねてもゲームは続けていたものの、徐々に熱量は低下していき、4,5年貯めたお年玉をはたいて、VAIO J(ディスプレーは現役)を購入したのは中1のことだった。

Age Of Empires 2の楽しさをクラスの気心の知れた連中に広め、PCゲームネット面白さにハマるのと反比例して、ファミコンショップ桃太郎カメレオンクラブに対する思いはなくなっていった。

また、小6時は図工クラブという、プラモなど、好きなものを作る超陰キャクラブ(6年の在籍数3人)に所属していた俺が、中学ではバスケ部という陽キャ部活に入部したこと学習塾へ行かされたことで、TVゲームに費やせる時間が単純に無くなったことも大きかった。

そして、いつしかファミコンショップ桃太郎カメレオンクラブも潰れてしまっていた。

高校時代だったか大学時代だったか、覚えていない。

今はPCゲームも含めてゲームはしなくなった。

ゲームを嫌いになったわけじゃない。

PS4を持ってはいるが、FIFAシリーズしかプレーしなかった。

今でもFIFAシリーズは好きだが、最新作の購入は見送りPS4ラクマに出品している。

大人になり、ゲーム以外の選択肢は増え、YouTube毎日見ている。

でも、ファミコンショップ桃太郎カメレオンクラブへ用もないのに行き、得ていた、あの持続的なワクワク感は得られなくなった。

の子供たちに、共通言語となり得るものがあるのだろうか。

未だにswitchなどのゲーム機がそれを担えているのだろうか。

昔の俺にとってのファミコンショップ桃太郎カメレオンクラブが、今の子供たちにもちゃんとあれば良いなとそんなことを思わせる記事であった。

かつて子供たちが駆け込んだ夢の場所。「ファミコンショップ」の思い出 - マグミクス

https://magmix.jp/post/16877

2012-10-27

二人の翔、そして亮―大谷翔平伊藤翔宮市亮

2011年10月23日、我々は日本サッカー未来を託して見送ったはずのある男が日本に帰ってきていること、

彼がプロサッカー選手となって初のゴールを奪ったことを同時に知った

もっとも、多少Jリーグに関心があるものは、2010年6月に彼と水野晃樹が帰ってきたことを知っていただろうが)。

その男名前は、伊藤翔23歳。

有名高校生プレイヤーとしてJリーグ発足後初、国内クラブを経由せずに直接海外クラブプロ契約した男の遅すぎるゴールだった。



2011年10月23日というその日まで伊藤翔がなかなかゴールを奪えないでいる頃、我々は違う若武者に快哉を叫んでいた。

宮市亮アーセナル練習生ではないベンゲルに認められた若武者、正所属の上でフェイエノールトレンタル移籍がなされあっという間に

欧州主要リーグ日本人最年少得点記録(2011年2月12日、18歳1カ月29日で記録)を決めた若武者にであった。



さて、このエントリ目的は、有名高校生プレイヤーとしてNPB発足後初、国内球団を経由せずに直接海外球団プロ契約しようとする

大谷翔平が"翔"なのか"亮"なのか当ててみようということではない。甲子園に出れなかった防御率がそこまで低くない「球速160km」の投手

日米親善高校野球藤浪晋太郎エースの座を触れさせてももらえなかった彼は、

確かに、「和製アンリ」という話題のみで実態が分からなかった"翔"と似ている。

しかし、海外戦前の"亮"だって、50m5秒台らしいものの、テクニックの不十分さは指摘されていたし、宇佐美貴史のような国際試合での

圧倒的な実績がある訳ではなかった。現時点で、"翔"なのか"亮"なのか当てることはあまり不毛だろう。



重要なのは、"亮"の為には、"翔"が必要であったという事である。直接に、宮市が海外挑戦する際、伊藤を参考にしたことを示す資料はない。

しかし、ほぼ確実に宮市あるいはその周囲の判断において、先輩(実際同じ高校のでもある)伊藤の顛末が一番の教訓として機能していただろう。

リップサービスにのせられてはいけない、若手を教育する気がない海外クラブはいってはいけないなど、学んだことは多かったはずである

"翔"があってこそ、"亮"があるのだ。そして、"亮"があるからこそ、未来日本人スタープレイヤーが生まれるだろう

もちろん、スタープレイヤー誕生には、Jリーグを一回経由することが重要と言う結論になることだってありうる。

しかし、その結論を出すためには、"亮"の未来、あるいはそれに続く直接海外クラブ契約する選手たちの行く末を見る必要があるだろう。

彼らの挑戦が、未来日本サッカーを作るのである

高校生以下の育成については久保英君の将来を見よう。しかし、久保君にも玉乃淳という見本がいたことを忘れてはならない)。



野球の"翔"のメジャーへの挑戦も、野球の"亮"を生み出し、そして、未来日本人スタープレイヤーを生み出すだろう。

"翔"の挑戦は、日本野球界に貴重な経験を与えるだろう。もしかしたら、NPB重要さを改めて認識させることなるのかもしれない。

誰かが捨て石になる可能性を覚悟してやらなければならなかったことなのだ



であるから大谷翔平よ、全ての誉れと怨嗟を受け止めながら、翔び立ってほしい。



そして、野球ファンは少なくとも"翔"が帰国して仮に日本のどこかの球団入団して、1年は成績が悪くてもかつての挑戦者を見守って頂きたい。

もっとも、2年目も成績が悪いのなら、本拠地で彼にブーイングで浴びせようとそれは自由だろう。

 
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