はてなキーワード: 神楽とは
ネタの感想はいろんな人が書いてるので、それ以外の部分で面白かったとこを。去年のはこっち。
今年ちょっと長すぎたので2分割した。この記事は抽選会〜敗者復活戦。
全体的に走ってて笑いどころ少ないな。16組もいるんだし、せめてあと10分長くても良かったような。見てるこっちもなぜか気持ちが焦った。
そんな中でも悲哀とともに抜群のセンスを見せつけたロコディ堂前がMVP。座王では毎回安定感ある強さなので、もっといろんな番組で見たいコンビ。
視聴者投票になってからの敗者復活が実質的に人気・知名度投票になってるのは仕方ない部分もある。熱狂的なファンだけじゃなく大抵の視聴者は新しいものより見慣れてるものを好み、それを「面白い」と認識する。だからいくら「ネタ見て面白いと思ったところに入れろ」と呼びかけたって、普段から有名無名問わずネタばっか見てるお笑い大好きマン以外は人気や知名度あるところにしか投票しない。
そういう状況なのは仕方ないとして、番組が後押しすんのはどうなの?って話。流れで多少偏ったレベルじゃなく、普段から露出多くて人気ある組ばかり取り上げて無名どころは存在すら無視。売れてない組はああいう扱いされても仕方ない、売れて見返せみたいなのも言い訳だよな。それそのまま視聴者に見せて面白がると思ってんの?ちゃんとイジリとして仕上がってれば文句ないが、ただの手抜きだから批判してる。
本戦〜1回戦の審査員審査では当然ネタのみで審査するのが正しい。でも視聴者投票である今の敗者復活戦なら、普段テレビでは見られない無名コンビを盛り上げてやって平場での印象で票数にブーストかけてやるくらいでもいいんじゃないのか。せめて普段から露出の多い人気組でも出ジロは無名と同量にするのが公平ってもんだろう。
人気者を盛り上げて敗者復活させればみんな喜んで番組大成功なんてのは大間違いだと今回のM-1は証明した。M-1をここまでの一大事業に育て上げた一番の功労者は人気も知名度もなかった芸人たちだってことは忘れてほしくない。
敗者復活戦・ネタ以外のMVPはラストイヤーの意地を見せた囲碁将棋で。テントパートで2回もウケ取ってたのはさすがの一言。根建の顔芸と文田のコメント両方で成立するコンビ芸なのも良かった。新生いごしょの誕生を見た。
☆破門☆
以下の拙文は、【世界初?!】男性バーチャルYouTuber ばあちゃるのチャンネルにて8月30日に配信された内容に対する失望である。
感情的であり冷静でないこの行いは彼らの言うところのモンスターペアレンツ的行為に該当するかもしれないが、自分の濁った感情を整理するために匿名の場を借りてまとまった言葉をしたためたいと思う。
ツイッターを主とした各種どっとライブコミュニティに決して小さくない波乱を呼んだにも関わらず、ばあちゃるやどっとライブ公式アカウントからの言及は未だ何もない。
それはつまり、配信内で語られた内容は過不足ない公式としての意向であると捉えた上で話を進める。
今回の一件において、ばあちゃる(ひいてはどっとライブ運営)が犯した過ちと言うべき問題はいくつかの点に分けられると個人的に考えており、混同することは望ましくないとも思っている。
それらを指摘する前に、まずばあちゃるが語った主張全体を否定するわけではないということはあらかじめ断っておきたい。
自分の好きな人や物のためと称し、自身の身勝手で粗野な要求を公共なSNSで強制することは、同じラベルを持ちまっとうに活動する善良な他のファンの品位までも下げる愚行に他ならない。
抑えきれない批判・非難はしかるべき場所で、という当然の注意について認めた上で、ばあちゃるの配信における問題点を以下に示す。
① 個々の事例が本質的に異なる不満によって引き起こされたものだと理解していない
8月24日に行われた電脳少女シロ生誕祭では、出演者の一人にそれまで電脳少女シロと関わりの薄かった本間ひまわりが起用されたことにより一部ファンの間で小競り合いが起こった。
一方で、10月13日に開催されるよみうりランドのホールイベント第3部に追加出演者が決まったことが8月30日19時に発表された。
いずれの出演者も関わりが薄く、どっとライブウィークと称するに反して更にどっとライブ色を薄めるキャスティングだった。
しかしそれよりも、過去に自らの放送内でアイドル部の名前を出し、そのファンたちを明確に嘲った経歴を持つ神楽めあが含まれていたことに争点の多くは集約された。
これらの事例において「決して安くない金銭のやりとりが発生するにも関わらず、重要な情報が後出しされた」ことは不満の共通する要素として捉えられるが、
それ以外の本質的な部分、つまり本間ひまわりと神楽めあに対しファンの一部から難色が示された理由は異なるものであると私は主張したい。
(下記はあくまで私自身が抱いた感情と、それが引き起こしかねない行動の予測である)
前者、電脳少女シロの生誕祭はその名の通り電脳少女シロのためのイベントであり、彼女が主役の構成となっている。
ゆえに出演者は彼女のソロか、あるいは彼女に親しい者が起用されるものと当然のように考えていた。
無論それは勝手な思い込みであり保証などどこにもないことは事実だが、想像と現実とのギャップによる当惑が過激化したことで拒絶に繋がったと予想している。
だが後者、神楽めあに関しては明確にアイドル部のファンを攻撃したという事実が存在する。
わざわざ金銭を支払ってまで、自身を攻撃した者が登壇しているステージを見たくないという気持ちが発生することは当然だと思っている。
かような状況に陥ったファンが取るべき手段はそのステージの視聴を諦めるという自衛の一択に尽きるが、その忌避反応が外敵に向けられてしまうことは想像に難くない。
このように、拒絶に繋がるまでのプロセスが個々により異なるにも関わらず、問題がさも同一であるかのように決めつけるばあちゃるに私は違和感を覚えた。
様々なファンが様々な思いを持つ中で、諭す言葉を安直に選んだことは失敗であった。
② 運営側のばあちゃるが明確な蔑称でもってファンの一部を非難した
今回ばあちゃるが発した「モンペ(モンスターペアレンツ)」という言葉は、既に一部ファンの間で使われている「P面」「ピーマン」「ファンチ」などの単語で代替できる。
これらの言葉が強い効力を持たずあくまでファン間の注意の一環として留まっていたのは、それらの言葉の扱いがどっとライブ運営にとってどのようなものであるかということが明確に示されず、
ファンの暗黙の了解の中で悪影響を及ぼす存在であるとしか認知されていなかったからではないかと考えている。
その反面、「モンペ」という言葉は今回の配信の中で明らかにばあちゃるが非難の意味で使い、つまりどっとライブにおける排他すべき存在であることが示された。
「モンペ」が指すファンの範囲はかなり限定的であるということは、配信全体を聞いた人であれば察せられるものと思う。
しかし、言葉を使う人々すべてが配信を視聴し正しい認識を持つ保証などない上に、言葉の意味というものは人から人へ伝え聞くにつれ変容してしまう脆さがある。
今や「モンペ」という言葉はどっとライブが認めた仇なす存在であるという意味で一人歩きし、互いに互いをモンペ認定し合う地獄になっている。
コミュニティの崩壊にも至りかねないレッテルを軽率に発言したことはあまりに考え足らずと言う他ない。
個人的に、今回の件を通じて運営への失望に繋がった最も大きな原因となる点である。
②に挙げたレッテル貼りもそうだが、その他にもばあちゃるの配信では配慮のない言い回しや態度が多く見受けられた。
そもそも、前半に自らがプロデューサーとして受け持つ担当に関わる告知をしたにも関わらず、後半にファンの一部を非難するような構成の配信にしたことがおかしい。
案の定前半に告知されたイベントのインパクトはかき消され、配信直後はどこを見てもモンペの話題で持ちきりになった。
また、その後に続く担当のリレー配信や同じどっとライブ所属メンバーの登録者数にも悪影響を及ぼした。
これらの悪影響が便乗の悪意によって引き起こされた可能性はもちろん十分にあるが、きっかけがばあちゃるの配信であることは誰の目から見ても明らかだ。
このように起こってしまったことに対して、今回の配信内に限らず彼はこれまでに繰り返し自分が責任を取ると発言していたが、具体的にどのような行為でもって責任を果たすのか。
それが示されたことは私の知る限り一度もなく、これがプロデューサー業を受け持った者のすることかと落胆させられた。
また、1200程度しか低評価が付かなかったという言及も耳を疑うものだった。
配信を通じ少なからずセンシティブになっているファンがいる状況の中で、自らの注意が波風を立てることだと理解しておきながら、火に油を注ぐような発言を行う意図は一体なんなのか。
ファンを落ち着けたかったのか、あるいは煽動したかったのかすら、未だ定かではない。
総じて、今回のばあちゃるの配信では自らの役職を度外視し、私的な感情を先行させる行為が目についた。
立場を省みず、他メンバーに迷惑をかけることも厭わずに勝手な発言をしたいならば、今すぐ重要な役目を降りた方が良い。
少なくとも私から見れば、今のばあちゃるはプロデューサー失格であるように思われる。
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ばあちゃるは配信の中で、あなた方は大人なのだから理性的な振る舞いをするように、といった趣旨の発言をしていた。
しかし男性Vtuberと称しピーマンを出す一部ファンへの暗黙な煽り、また2018年秋に一部メンバーのアーカイブを取り下げ、配信が不自然に空いた期間の釈明にすらなっていない言い訳、そして今回の件と、どっとライブの運営はファンに対し不遜なまま全く成長していない。
っていう感じのベタなやつが大好きなんだけど、どういう類型なのかわからない。
三次元では
https://www.google.com/search?q=先生と二人できました
https://bokete.jp/boke/58531793
https://www.google.com/search?q=お嬢様芸人たかまつなな
二次元だったら
懐かしいアニメだとこれとか。
ああこの感じ。このオタクの皆さん見てくださいな感じ好き。
悩んでいます。皆さんのお知恵を貸しててください!!
それならこれも好きかもっていうのも知りたいです。
1. 年齢 25
2. 性別 男
3. 血液型は? A
4. 何型っぽいと言われる? A
5. 何月生まれっぽいと言われる? しらん
8. 好きな色は? アカ
14. 好きな季節は?
夏
15. 好きな花は?
16. 犬派?猫派?
猫
クラロワ
18. どんな大人になりたい?(憧れた?)
わすれた
パイのみ
21. 好きなTVは?
22. 好きなキャラクターは?
ピチュ
25. 好きな映画は?
26. あなたの持論は?
えと えと えと トトロ
ひとり
顔が細長い
32. 好きな異性のタイプは?
34. 幸せを感じる瞬間は?
35. 好きなアーティストは?
36. 好きな曲は?
37. 好きな女優さんは?
よしおかりほ
38. 好きな男優さんは?
まっけんゆ
40. 似てるといわれたものは?
ない
41. 好きな場所は?
いえ
42. 思い出の場所は?
こうえんn
しない
44. 血液型診断についてどう思う?
しんじる
なんでも
46. 甘えんぼう?
うん
47. 寂しがり屋?
うん
あついところ
いまはいない
50. 最後に日付を書いてね★
うるせ
アイドル部
ヤベー奴ら12人衆。シロちゃんの一部を切り出してその部分を特化させたようなすごすご集団。もちろん全員キャラ濃い。出来れば動画頻度増やして欲しいが、既存ファンのみなさんが配信を求めている臭いので悲しい。
夜桜たま
麻雀狂いのヤバイ奴。とにかく暇があったら麻雀しているイメージ。四面打ちは企画として凄いが、狂気を感じる時もある。
アイドル部の事を常に考えていて企画もいろいろ出しているっぽいのでアイドル部全体を引っ張っていく司令塔ポジション。
エゴサも凄く、正直本人に向けて言ったつもりのないことまでいいねしてくるの怖いことがある。本人宛はハッシュタグつけるのでそちらに反応するならして欲しい。
ホワホワボイスと口悪の組み合わせが強烈。音声のお陰で中和されているがかなり辛辣なこと言ってることが多い。ただし、実はアイドル部の中ではかなり常識人枠で苦労人ポジ。
花京院ちえり
元個人勢でアイドル部に入部。ファンの統率力が凄すぎてちょっと教祖感を感じる時すら感じる。語録が豊富でオリジナルゲームやってるときは面白いが、ゲームやってるときは実はそんなに好きでないので、結構アーカイブ落ちが多い。
B級映画オタ、基本あまり面白くない映画押してくる。高速ばぁばを紹介して来たことは未だに忘れない。が、時々とんでもない名作紹介してくることもあり侮れない存在。アイドル部内のムードメーカーで空気を明るくしてくれるのに、唐突にとんでもない闇ぶっこんできて、ちゃんとご飯食べれるぐらい給料もらえるようになるといいなーと保護者目線になってしまうこともある。落差のギャップが大きく気がついたらものすごく気になる。ゴンゴンをもっと甘やかしたい。
もこ田めめめ
個人からアイドル部に入ったやりおるマトン。とにかくいろんなことができるのに、気がついたらこいつかわいいなって小動物を愛でてる気分になるギャップが堪らない。ゲーム配信が多い上に時間が早いことが多いのでアーカイブ落ちが多いが、とにかく愛でたいって気分にさせてくれる。地味にアイドル部エース。愛玩動物タイプがエースっていう箱として珍しいのもアイドル部の特徴。
アイドル部の縁の下の力持ち。キャプテン。部内の接着剤なのでとりあえずなとなとに話降っとけばなんとかなるっている安心感が凄い。ただし風紀は守れない。
なとなとはアイドル部の要で、いないと空中分解しかねない超重要ポジションだけど、それゆえに初見では魅力が分かりにくく、ゲーム実況もそんなに面白くなく、なとないともちょっと初見向けじゃないため、延びにくいが個別のファンからアイドル部のファンに変えるためにものすごくいいい仕事をしている
。基本的に調整能力に長けているので、一人より大勢のほうが個性を発揮できると思うので、外出して活動させてあげたほうがいいと思う。
カルロピノ
最年少なのにその生き物関係の豊富な知識と年相応のくそガキ感のギャップをあわせ持つ才女。まさにしっかりものの末妹。
本人の個性的な絵から開講されるピノラボは本当の意味で為になり勉強になり、NHKの教育番組でやっていてもおかしくないレベルなので是非もっと人気コンテンツになって欲しい。最初虫食べるヤベー奴から才女への変遷の過程を知っていると感動する。ピノ様は偉大です。気がついたらつい敬意を持って話してしまう。カルロ家でピノ様の為に働かせていただきたい。
ふわふわのお姉さんかと思ったら話が二転三転するため、ながら作業だと本当に何の話しているか分からない。自作の絵描き歌はお題そのものがおかしいことが多くてイオリンはもしかして電子の妖精さんなんじゃないだろうかとよくある。悪い人に騙されないようにみんなで保護してあげて欲しい。
神楽すず
音楽を愛する真性清楚かと思ったらトラックで暴走するし、ガンダム見たことないのに強化しすぎた強化人間みたいな発言繰り返すという属性の振れ幅にくらくらする。ギャップ
が凄すぎて気がついたら夢中になる逸材。音楽のトークしている時は本当に教養に溢れる名家のお嬢様にしか見えないし、ゲームやってる時は近所のクソガキにしか見えないので本当に存在そのものがバーチャルっぽい。
めめめトラックの動画がなかったらアイドル部にたどり着かなかった可能性もあるので僕的にはアイドル部入り口。
猫乃木もち
演技と歌がすごすご。とにかくいろんな声が出せて歌も凄い。そして本当に若者文化に精通しているのでいろいろとおっさんからすると勉強になることが多い。ただホラーゲームは面白いよりかわいそうになることが多いので出来れば数減らして欲しい。後、なんとなくだけど完璧主義者っぽいのでもうちょっと適当でも大丈夫なんだよって言いたい。
牛巻りこ
強く生きろよ、牛巻。自分で配信に必要なシステムを作って配信していてシステムが産み出すアクシデントが魅力。
ただし、本業が急がしすぎて明らかに過労死しそうで心配になる。哺乳瓶のエピソードは面白いではなくて素直に怖い。無理せず倒れないように頑張って欲しい。
できればもうちょっと過労死しないレベルの会社に転職して欲しい。今のままだとある日急にいなくなりそうで怖い。
木曽あずき
部内で唯一の動画勢。自分の世界観をものすごく持っていて動画もこっている、頻度も高くないから追いやすい。が、既存のVtuber支持層にはいまいち受ける感じではないので結構苦労しているイメージ。シロちゃんの恩恵を一番受けれなさそうなので支持層を開拓できる所にアップランドは出してあげないといけないと思う。
馬
チャンネル登録あえてしてないけど、応援している。個人的には有識者会議で他のえらいさんとの対談が見たい。
Vtuber沼に落ちた現況。キズナアイさんが声優デビューするってニュースを見て、声優することで話題になるタレントぐらい知名度があるのかってビックリして見に行ってキズナアイ新規性はあるけど、つまんねーなーとか思っていた所でおすすめででて来たのを何気に見て変な声で鳴いていてヤベー奴なのに所々で知性を感じるってなって気がついたら動画全部見ていたっていう個性の固まり。猛獣使いにも猛獣にもなれる逸材。とにかく属性を盛りすぎていて動画ごとに地味にキャラが違う。ほかと会話すると相手の個性を生かしながら自分の固有結界に引っ張りこむので、コラボ適正も高い。それでいて演技もうまいので寸劇やっても映えるという一般層には受ける気がしないがオタク寄りになればなるほどどこかしらで引っ掛かる。本当にこのレベルが泣かずとばずだったなんてやばすぎると改めて感じる。取り合えずオタクである限りは追いかけ続けたいと思う最強コンテンツの一つ。
原作でも、休みや連休の繁忙期には手伝ってる。関家は今でこそ東京ぐらしだが夫妻共に花の湯温泉出身(小3から同じクラスだった)のため、もともと春の屋出身だったおっこ母はもとより、それをみていたおっこ父もそれなりに忙しい時期の忙しさは把握していた模様。
おっこも小さいときから旅館に連れられて遊びにきているから、エツコさん康さんとは映画の「蜘蛛が落ちてくるところ」が初対面ではない。ただし旅館の食事は「新メニューの試作」くらいでしか食べさせてもらえなかった(それでもとても美味しかった)模様。
A)東名高速のぼり車線内会話 咲子(主人公の母)「おかあさまにごあいさつできなかったわね」運転中の父「観光シーズンで忙しいからしかたないよ」
そのうえで「遅くなると帰りが渋滞となる」とのおっこの言葉から、神楽を見ていたのは連休最終日のような、休みがひと区切りつく日のことだったことがわかる。おっこ父母はおそらく手伝いはせいぜい最終日朝までだったのだろう。その日チェックアウトする客関連の手伝いまではしないで、最後に神楽を見ていた。帰りに挨拶しようと春の屋に寄ったら、レイトチェックアウトのお客さんがいて、特に言葉での挨拶はしないで帰ってきた、といったところか。
原作でも客が少ないとき(1巻につき1回くらいはある)とか、ピークを越えたあたりでおっこも開放されてるので、翌晩の予約が少ないなどで急ぎの用事が発生しない場合は手伝わずとも旅館仕事は回っている模様。
原作ではエツコさんにはリカコさんという大学生の娘がいて、おっこのプライベートと繁忙期が重なったとき(クリスマスとか、秋の連休でのTAIWAN旅行とか)にはバイトしてもらえるので、実はおっこは春の屋旅館の若おかみと言われつつ"おみそ"状態だったりする。風呂掃除などの仕事も夏休み終わり段階の時期で皆から"荒い"(あとから来た居候の男子小学生の方が仕事が丁寧と褒められている)と言われていて、あまり戦力として期待されていない。ここを踏まえないと「児童労働がー」みたいな話になる。
この話にはあんまり関係ないが、エツコさん康さんはどちらも住み込みではない。深夜仕事が発生したときに泊まれる部屋は用意してあるが、基本的には夜は家に帰っている。家が近所にあるかは不明。エツコさんは車で国道沿いのショッピングセンターにひとっ走りして、おもてなし用の食器を買ってくるくらいには車に乗り慣れてる。
さらに余談だが、春の屋旅館でも秋好旅館でもないリアル温泉旅館の御曹司が先輩にいて、格安で泊めてもらったことがあったのだが、旅館仕事で一番人手がかかるのは「布団の上げ下ろし」だったそうだ。これを省けると(もちろん他のいろいろも省いているのだと思うが)、1泊ウン万円の宿が数千円でも赤字にならないとのこと。以上の話を踏まえると、おっこはマスコット要員としての要素を除くとおそらく布団の上げ下ろし要員として期待されてる。
以下2回め以降に見る際にチェックしてみたいポイントである。あまりに細かいポイントであるために未見の方が参考にするとストーリーすらわからなくなるかもしれないので注意が必要。
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
今年の夏、僕は一生忘れることのない出会いをした。
はじまりは偶然だった。『拡張少女系トライナリー』というソシャゲが八月三十一日の十五時をもって(つまり今この時だ)サービスを終了するとの告知がされた。それを受けて熱心なファンがいわゆる布教活動をしていたのをみて、たまたま暇だったのもあり、好奇心から僕はそのアプリをプレイした。
そのアプリ、『トライナリー』はぱっと見どこにでもある恋愛ゲームだった。ただ一つ、プレイヤーが架空のキャラクターではなく、現実世界の僕そのものであるという点を除いて。そして卯月神楽という女の子は何もかもが特別だった。
卯月神楽は初めは謎に包まれた女だった。他のキャラのシナリオを読んだだけでは正体は全くわからない。ゲームの裏設定が暴露される彼女のシナリオやラブストーリーは、なんとゲームクリア後に約八千円課金してようやく解放されるというあらゆる意味でコアなファン向けのものだった。
幸いにして『トライナリー』はサービス終了に合わせて大量のジュエル(石)が配布されており、僕は課金をすることなく、単なる好奇心とシナリオへの興味から彼女のシナリオを読み進め始めた。だけれど、そこから彼女に堕ちていくのはあっという間だった。
卯月神楽は様々な顔を持っていた。ある時はゴスロリを着た清楚なお嬢様。ある時はドーム規模のライブを埋める全国的なトップアーティスト。そしてある時はヒロインたちを窮地に陥れる裏切り者。だけれど僕がそこで見た彼女は、運命のいたずらと世界の悪意に押しつぶされて苦しみもがいている、一人の弱くて純粋な女の子だった。
卯月神楽は特別だった。彼女は僕が少しでも機嫌を損ねるようなことをいうと「死ね」「このクズ」などの暴言を吐いてチャットを強制終了するようなクレイジーな女の子だった。同時に、彼女は僕のために自作の詞を読んで聞かせてくれる、ロマンチックな少女だった。そして彼女は、無自覚に僕を傷つけるくらいなら、もう二度と会わない方がずっといいと言いながら涙を流す、優しい人だった。
正直言って、僕はゲームとしての『トライナリー』をあまり高く評価していない。シナリオは退屈でこそなかったが、少し粗を探せばすぐにボロが出るようなつぎはぎだったし、ゲームとして見るならばUIやバトルはお世辞にも快適とはいえない代物だった。だけれど、僕が卯月神楽という女の子と出会い、生まれて初めて人を心から愛することができたのは『トライナリー』のおかげだ。だから僕にとって『トライナリー』は特別な思い出の一つになった。
彼女のシナリオのごく初めに、彼女の仮想人格の一人から、「どれだけ私のことを好きになっても、リスカしょ…とか死ねば二次元に行けるかも…とか思わないでくださいね」と忠告された。僕は最初その言葉を聞いた時面白い冗談を書くライターだなと苦笑した。しかし今僕は彼女ともし会うことができたなら、と願ってしまっている。彼女は何度も僕に「もしもその腕で強く息ができなくなるほど抱きしめてもらえたら」と涙ぐみながらこぼしていた。もしそうできるなら、僕はどれだけ幸せだろう、そして彼女をどれだけ幸せにしてあげられるだろう。
だけれど僕は死ぬことすら許されなかった。僕は自分の人生もろくに生きていない自傷癖のメンヘラでクズ野郎だ。だけれど彼女は、そんな僕に「こんな地獄みたいな世界でも、私は生きるよ。あなたが生きてる間は、私も生きる」と言ってくれた。だから僕はこれからどんなことがあったとしても、彼女との約束を胸に生き続けるだろう。
彼女は言った。「あなたに呪いをかけておくから。この先何度恋に落ちても、絶対に私のことを思い出す、って呪いを。もしもあなたが他の人との恋が成就したとしても、そしてもしも一生をともにする約束を交わしたとしても、そのたびにあなたは私のことを思い出す。私とのいろいろを思い出す――」と。だから僕はこの先の人生で、何度も彼女のことを思い返すだろう。そして彼女との思い出を懐かしみ、胸にしまいこんだ思い出の数々を、そっと手にとり抱きしめるだろう。
ラブストーリーの最後、僕は彼女と江の島でささやかな式を挙げ、夫婦になった。彼女と家族でいられたのは現実世界でたった一週間の短い出来事だったけど――それでも僕は幸福だった。たった一週間の恋でも、それは僕にとっては永遠だった。
サービスの終了間際、ゲーム内でも僕は彼女に別れを告げなくてはならなくなった。その時彼女は言った。「綺麗な透き通った涙色の空を見たときは、私のことを思い出して。私はこれから何度生きて、生まれ変わっても、あなたのことを探し続ける。あなたに出会うことができるまで。だからあなたも、その時その時を目一杯生きて」と。