はてなキーワード: 真摯とは
格闘技は大好きだった。自信のなかった自分を救ってくれたのは格闘技だった。フルコンタクト系の空手を10数年続けてきた。
結局強くはなれなかったけれど、練習は自分にとっての修行だと考え、真摯に向き合ってきた。
先生に恵まれ、稽古仲間にも恵まれた。とても充実した時間を稽古の中で過ごすことができた。
K-1を見るのも大好きだった。道場では、フランシスコ・フィリヨ選手に稽古をつけてもらったこともある。ニコラス・ペタス選手には何度も手取り足取り教えてもらった。ものすごく楽しかった。武術家で、プロの格闘家でもあった彼らは、自分にとってのヒーローだった。憧れの対象だった。強くなりたくて、彼らの動きを見て、自分なりに研究しもした。結局、強くはなれなかったけれど、かけがえのない貴重な時間を与えてもらえた。
さて、中国武漢発の新型コロナウイルスが世界中に惨禍を撒き散らしている昨今、こういう状況下でK-1という一大イベントが開催された。やってはならないことだった。国に責任を押し付ける人々も多いけれども、それは子供じみた理屈だ。大きなイベントの主催者は、興行が不可能になる事態もあらかじめ想定して、中止のオプションも持っていなければならない。今回のK-1開催は、巨大な感染源を作る恐れが大いにあるなかでの、極めて危険な行為であり、多くの専門家が身を削って対策を練り、実行に移し、大勢の人々が感染を食い止めようと重ねてきた努力を無にするおそれのある非常に危険な行為だった。
主催者は、己の経済的得失と日本人全てが負うことになるリスクを天秤にかけ、己の利得を優先させたのだ。
K-1に出場した選手たちのなかには、誰がなんと言おうと格闘技は素晴らしいんだとか、こういう時期だけれども格闘技でパワーを得て帰ってほしいなどと、アドレナリンが頭に満ちたような言葉を発して盛り上がっていたようだが、端から見ていてばかにしか見えなかった。
彼らのように強くなりたいと思って努力を重ねてきた自分なのだが、なんだか冷めた。
落ち着いて考えれば、しようがないのかなとも思う。格闘技しかやってこなかったような人たちなのだ。極端に視野が狭い。特定の分野だけに限定した思考を重ねて来た、一種の天才たちなのだろう。視野の狭い思考しかできないというか、あえてそうなるように努めてきた人たちなのだろう。一般的な想像力に欠ける。そうでなければ、他人の頭部を思い切り繰り返し打撃するなど、できたものではない。
殴り合いや蹴り合いに強くなるよりも、もっと大切なことがあるのだ、ということを今回のコロナウィルス禍は私に見せつけてくれた。

コロナの動向について、厚労省からのいくつかの発表や、識者のコラムなどを読んでわかってきたことがある。
日本のやり方は奇跡的に最適解に近い道を選ぶことができたが、その奇跡は何人かの天才のひらめきによって得られたものであって、奇跡は奇跡だが完全な偶然ではないということだ。ただしあくまでも奇跡であるので、場合によってはヨーロッパ諸国のようなパンデミックを起こす可能性は十分にあったように思える。
野党の動きについてはかなりわかりやすい事案もあったように思う。
緊急を要するあの場面で、桜がどうだのと声を荒げ、あらゆる審議を止めていたのは非常に印象深い。まともな人間であればもともと異常者の集まりであることを理解していただろうが、今この状況になってようやくわかった人も多いのではないかと思う。
彼らが二度と国政に関わるようなことがないように願わずにはいられない。
デマを拡散し、国民の不安をあおろうとしたのは到底真摯とは言えないが、これまでの流れも鑑みるにわからなくもない。いや、これは別に彼らの行いを肯定するわけではなく、誰もがやるだろうなと思っていたところ案の定やらかしたというだけの話だ。
それによって風評被害を受けた企業が番組名すら名指しで謝罪を求めるに至ったのは、彼らの認識が世間と大きく乖離していること、甘すぎたことを示している。
民間企業だけでなく、行政ですらマスメディアに対して苦言を呈している。
新型コロナに関する発表に関する文書の末尾には必ずマスメディアに言及する文章が載っている。これはかなり異常というか、進歩というか、ついに世の中が彼らの悪行に我慢しきれなくなったことの現れであろう。ある意味において、これまで行政が放置してきたことのツケではあるが。
個人的に興味深いのは、厚労省の発表の多くが文書のみになっている点だ。
記者会見のようなものはほとんどない。これはわざわざ会見を開いてマスメディアのしょーもない質問に受け答えしている余裕がないということもあるだろうが、それ以上に悪意を持って映像や音声を切り貼りし、事実と異なる情報を流そうとするメディアに対する自衛策でもあるのではないだろうか。
つまり、メディアは既に国民だけでなく行政の信用も失っている、ということだ。
しかし人知れず文書で発表しただけでは周知されることがない。何せメディアは自分たちがのけ者にされているわけだから、拡散することは期待できない。故に理解ある人によって拡散されるべき、という意見すら出ている。
https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9
既に自粛要請から一か月になろうとしており、中だるみというか、もういいんじゃないかといった雰囲気があるように思う。
先日にK-1の件も、金銭的な事情はもちろんだが、当初危ぶまれたほど拡散しておらず、緊張が解けつつあることの証左であろう。
沖縄の家族についてはもう本当に愚かで救いようがない。また沖縄の知事には北海道の知事のような賢明は判断は期待できない。下手をすれば内閣から要請があれば逆張りするような人間だ。かなり絶望的な状況にあると思う。のんきにスペインなどに行って、なおかつ止められたにも関わらず飛行機に乗り込んでしまうような愚行を平気で行ってしまうのは大変残念であるが、あの程度の知事を出す土地ならば仕方がないというような諦念もある。
賢い諸氏には全うな行動を選択する能力があると信じたいし、多くの人が声を上げることによって正しい(とされる)行動を強制できるような環境を作りたい、とも思う。
現状、テレビの情報は本当に信じるに値しない。積極的にシャットアウトして情報収集するのが正しい道のように思える。しかし残念ながら多くの人はテレビしか情報源を持たないし、スマホも似たような情報源しか持たないだろう。
真に正しいかどうかはともかくとして、正しいものとして扱われるべき情報にリーチさせるのが今するべき活動ではないだろうか。正しいものとして扱われるべき情報というのは言うまでもなく行政発表の情報であり、その文書のURLを貼るとか、とにかく情報を見てもらいやすいようにすることだ。
ただし、文書をスクショしているようなのはダメだ。これはメディアのやり口と変わりがない。その情報の信用度を行政のものと誤認させるが、実際は発信者の信用度しかない。なぜならば改ざんが可能だからだ。
このような匿名を主とした空間の情報など鵜呑みにするべきではない。
故に私は最後に必要な情報へのリンクを貼ってこの文を終わろうと思う。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。
「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己を投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判も散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲスい漫画は最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。
したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。
ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだって。おもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットでポチポチと毎日無料のSNSで無料で広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。
この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。
作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語も存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。
一方で、作品には、更に大きな意味で一種の社会現象としての側面がある。ある時代、タイミングで社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KANが皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味で流行したが、この場合、作品の「正しい読み」は皮肉なのだといくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品を歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。
これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社がうつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファンが流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファンが文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品を評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。
今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告・宣伝というものが世に生まれたそのときから、普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告・宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから、批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。
ブックマークのお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
いや、まあ大体そういうことなんすよ……。
日本の報告年だからか知らんが良くもまぁ今も児童ポルノ規制を悪用しようとここまで悪質な印象操作をできるよねと心から呆れる。
この内容に非常に衝撃を受けました。
臨床経験に基づくご意見は非常に重い。
創造物を含む児童ポルノを見た経験が、
子どもへの性暴力の引き金になる確率の高さ。
私もいわゆる二次元規制に関するこれまでの態度を真摯に再考し、よく考えないといけないと痛感しました。 https://t.co/QUJqrPTFfO— 伊藤和子 Kazuko Ito なぜそれが無罪なのか?!(ディスカヴァー携書)発売中 (@KazukoIto_Law) 2020年3月14日
良くもまぁ、豪州でロビーをして悪質なマッチポンプをしておきながらこんな白々しい事言えるよねと。
「児童ポルノが加害行為の抑制になるわけではなく、むしろパンドラの箱を開いているといえます。児童ポルノを通して、彼らは『子どもは性的な存在である』というメッセージを受け取り、学習し、加害行為とともに認知をゆがめていくのです」
休校期間のリスクへの言及も。 https://t.co/Guc3YQ5W7P— 竹下郁子 (@i_tkst) 2020年3月14日
しかしこの人達の根底にあるのは純潔教育何だろうねと思うし、その為に児童ポルノを悪用して規制をしようとしているのは事実だと思うよ。
それとハングルが入ったものや韓国の話題を多い事や親韓であるのを見てもそういう事なんだろうなと思うね。
何故か当時もこの問題と慰安婦問題を絡めようとしていたのも事実だし、この問題統一教会が絡んでいるのは事実だから。
そしてこの人達実在児童に無関心なのは当時の児童ポルノ禁止法の予算の件や管轄の件を見ても良く判る事だ。
ようは自身の思想の為に児童ポルノを悪用しているだけなのは今までの経緯を見ていれば判る事だし、何せ世間的に反論しにくい話題だからね。
ただ余りにも児童ポルノを乱用しすぎたせいで今やこの人達の主張こそおかしい事が認識されつつあるのだが。
そもそも結論ありきでデータを集めてるのだからそりゃ偏るのは当たり前だし、この手のアンケで嘘をつく手法も散々指摘されているし、この人達の良く使っていた強力効果論辺りは科学的に影響がある事自体否定されているからね。
今回にしても速攻で統計学的にも間違った手法を用いている点やら小児性愛者と診断されなかった小児性犯罪者のデータがない点も指摘されているしね。
ようはフィクションを児童ポルノ扱いしている事ありきで話を進めているから余計におかしくなっている。
何度でも言うけど、それに今や創作物規制をしていた国の方が日本より悪く、規制をしても効果がなかったかより悪化する事態を招いただけなのは証明されているし、何より捜査のリソースを割くだけでより事態を悪化させている弊害なども最近では指摘されているのよ。
更に言えば、創作物規制を主張していたキリスト教や国連こそ売春経営や性的虐待を行っていたからな。
つーか、日本においても実在児童を書いたら普通にアウトだからな、それも判っていない時点でこの方達は児童ポルノ禁止法を理解していない事を自白しているようなもの。
しかしこの手の話題で悪辣な印象操作をして以降、マスメディアは急速に世間的にも信用を無くして言ったよね。
この手の人達はただ規制を求めるだけで非生産的であり、現に安易な規制により業界や国力の低下を招いているだけだし、そりゃ他者の権利を悪用して綺麗ごとを言い、自身のお気持ちに悪用ばかりしていたら、世間的にもこの人達の行動こそ問題視され始め出すのは当たり前だよね。
現にこの児童ポルノ問題にしてもただ混乱を招いただけでより事態を悪化させたのは事実なのだから。
何にしても日本に限らず、それこそこの人達の好きな世界でも割とボロが出始めて、批判意見が増えているのに今も当時と同じ手法で強硬しようとしていたら、そのうちこの人達こそ今の歪んだ規制や事態の悪化を招いた落とし前をつけさせられる事になるでしょう。
この手の先鋭化しきって暴走している人達こそ一番危険なので油断すべきではなく、警戒すべきなのだけどね。
ただ児童ポルノと言う世間が反論しにくかった話題な分、この人達に逆風が吹き始めたらそれこそこの人達の言い分は世間で受け入れられるわけがないからな。
何より世間はこの手の偽善者はただの悪人なんかより余程毛嫌いするし、今まで綺麗ごとを言い、好き勝手規制などで大暴れしていた分、一切の同情もなく、責任を追及してくることになるよ。
それこそ一般的に言えば、この人達の所業は自身の思惑の為に子供を利用していたのと同じで畜生や鬼畜や外道と言われる所業と言われても仕方がない事だからね。
何にしろ児童保護の問題はこの人達が絡んでからおかしく歪んだのも事実だし、この手のフェミニストやらが本格的に反社会的集団認定され始めたら、それこそこのこいつらが悪用していた子供の権利も一緒に衰退する羽目になるだろうね。
最近では桜の花も開花日を迎え、すっかり春めいてきた。
面接の合間に周辺を散歩する習性があるのだが、未だに足を運んだことのないエリアで新しい景色を見る度に、都内の広さを実感する。
確か首都圏で人口は1000万人いるのだったか。日本だけでもその10倍以上の人が住んでいて、世界を見れば更に70倍以上の人が住んでいると考えると、世界の広さはやばいわけで。
視野狭窄に陥っている時は歩いていろいろ見てみることが大事だよなと、そんなことを考えながらウロウロしていた。
世界は寛くて、自分の現在の認識などはとても狭いものでしかないはずだ。
しかし、10代の後半にはあったはずのその感覚が、アラサーになって、なかなかどうして忘れがちである。
歳を取ると傲慢になっていくということを知識として知ってはいても、気をつけるのは難しい。
働くようになると、お金をもらってるならプロフェッショナルですよね、わからないことありませんよね、みたいな風潮にやられてわかっているふりをしてしまいがちなのが、原因の一端であるのではないかと思ったり。
卑屈と謙虚は違う。
真に謙虚な振る舞いというのは、なかなかできていない気がする。
この週末、気の置けない友人と呑んだ。
急な開催である。
馴染みの飲食店のユーモアを交えつつも悲痛な声に、少しでも助けになりたかったこと。
また突然の休校により子供が在宅するにあたり、妻とヘトヘトになりながら時間調整をしたことへの慰労をこめて開催のはこびとなった(なお妻は翌日に友人と飲みに行った)。
普段は友人とであってもこれらの話題は避けたほうが無難だが、つい出してしまった。
なぜ急に(子供は重症化の懸念が薄い)学校を急に休みにするのか。
効果はゼロではないにしても、共働きの親含め負の影響が大きすぎる。
調整もなしに突然発表するのもよろしくない、云々。
それに対し、友人は反対意見を述べた。
曰く、ここまで感染が広がるという事実は今わかったことである。感染初期に中国からの渡航制限など、経済に負の影響を与える策が打てたとは限らない。
曰く、他にも(今考えれば)打てる手はあったが、すべて結果論である。
曰く、過去の対応をどうこうしようもない中、今(例え科学的根拠が薄いとしても)何か出来ることをしなければ、後々の批判は必至である。
そして最後に言った。
"もし君が総理なら何をする?何か他に有効な手を打てるのかい?"
端々には反論点もあるが、おおよそぐうの音が出なかった。
なお本件では余談であるが、この友人も野党支持者であった。自分と立ち位置は同じ。
森友や桜を見る会、検事定年延長など政治の私物化問題と、今回のコロナ騒動の評価は分けて考えるべきなのだと。
さて、実はここまでが前置き。超長い。
上記のような話をしても友人とは喧嘩にもならず、お互いの考えを理解することができた。
1番心にひっかかった言葉が
"もし君が総理なら何をする?"
である。
結局よくある言葉で言えば"批判ばかりでなく対案を出せ"なのであるが、
週末、通勤とずっと考えていたので、案をまとめてみたので吐き出させて欲しい。
また急に"こんな案を考えたんだ"と友人にLINEしてもさすがに引かれる気がするので、ここで吐き出させてもらいたい。
評価はお任せする。馬鹿の考え休むに似たり、なのかもしれない。
さて本題。
前提として
A.感染はすでに蔓延期にある(どこに感染者がいるかわからない)
B.理想論でなく、短期で実行できる現実的な案でなくてはならない
とする。
"人と人との接触を出来る限り減らす"
である。
現時点で空気感染は報告されておらず、
患者は(若く体力があれば)自宅で療養すれば治るものなのであれば、
よって、今も提唱されている
・手洗い、うがい
・アルコール消毒
マスクは健康者、無症状者は使用しない(在庫切れ防止のため)。転売などがないよう、メルカリなどオンライン販売業者には強く要請する。
これも今と同じ。
今と違う点は以下の通り。
①鉄道事業者、バス事業者に対し、増便の検討を要請する。できれば24時間運行を検討してもらう。
→満員電車などの濃厚接触を防ぐには、1車両あたりの人数を減らす必要がある。
現政権でも時差出勤の要請しているが、効果はあまり出ていない。
理由は、朝ラッシュなど以外の時間の電車は本数が少ないため、少ない便に人が集中してしまい、結局満員電車になってしまうこと。
よって、時差出勤を要請するなら、電車等公共交通機関の増便もセットにする必要がある。
24時間営業を要請するのは後述する、オフィス勤務の三交代制を実現するため。
増便による経費増は国庫負担とする。営業係数を基に計算できるのではないか。
これにより、出勤する人の密度をできる限り下げる。
→現実問題として、会社を休業させることは難しい。どの業種をさせるかの線引き、また経済が冷え込まないか、など負の影響が大きいと考える。
よって
②-1 オンライン勤務が可能な会社は出来る限りそちらに移行してもらう。また、それに付随して携帯3大キャリアなど通信事業者に、公衆wifiの開放、スマホからのテザリング開放など、ネット環境を使えない人を出来る限り減らし環境を整備する。
②-2 オンライン勤務は無理だが、時差出勤が可能な会社は時差出勤してもらう。可能なら、上に書いたようにオフィスに夜間勤務も含めた三交代制などを導入し、同じ時間に同じオフィスにいる人を減らす。ただし前提として公共交通機関が夜間も動いている場合。
②-3 時間も、場所も動かせない会社は従来通り。ただし、風邪気味の人に出勤強要するような会社がないよう労働基準局の指導を徹底する。
などを実施する。
会社により対応の温度差はあるだろうが、出来る範囲での分散を促すことが必要と考える。
③学校や保育所などは休校しない、ただしクラスを分割するなど、1部屋あたりの人数を減らす。感染者が出たクラスは閉鎖するが、オンライン教材などの活用で勉強の遅れを出さないよう配慮する
→全国一斉休校にもメリットはあるが、社会に与える負の影響が大きすぎると考える。学校内の感染を減らすためにも、1クラスあたりの密度を出来る限り減らす(担任外にも授業をもってもらう、理科室など空き部屋活用)。
感染者が出た場合は現在の学級閉鎖に準じる。ただし、3月に学級閉鎖は授業遅れを引き起こしリカバリが難しいため、教育委員会単位でオンライン教育業者(ベネッセやスマイルタッチなど)と契約し、該当範囲をオンラインで勉強すれば授業を履修したものとする。できればスマホやタブレットにインストールするタイプが望ましい。idなどは学校の緊急連絡網を利用して配信。
塾なども授業の録画配信できれば配信をメインとする。実際そうやっている塾もある。配信不可の塾はそのまま実施するしかないが、
④在宅者(高齢者など)の通販の利用を推奨する。Amazonなどだけでなく、スーパーの食材配達のようなサービスの利用も推奨する。現在未対応の業者には、Uber eatsなどの利用を検討してもらう。
→生活必需品含め、買い物は通販を推奨(強制ではない)する。ジャパネットなども協力してもらえば高齢者にも届くのではないか。現在の通販業者の配達増が懸念されるが、在宅者メインということで再配達は増えない、と考える(要詳細詰め)。既存のスーパーなどの売り上げが減るが、短期は政府系金融機関のつなぎ融資、中期的にはUber eatsなども活用するなどしてオンライン販売にも対応を要請する。
⑤上記対応により顧客減、また救済されない業種が発生するが、緊急つなぎ融資相談窓口を設置する。
→上記では救えない業種は当然発生する。一律補償は財源の裏付け等難しいのではないか(今回の給食業者のように、被害が明確な場合は補償すべきとは思うが)。ただ、資金のショートは避けなくてはならない。震災時の対応をテンプレートとして対応できないか。
⑥病院等の混雑を下げるため、電話やネットによるオンライン診断、処方箋発行を認める
→現在心配されている問題の中に"病院が感染源になりうる"がある。とは言っても病院にかかるべき人は居るし、病院に行くなといっても心配の残る人は居る。そこで、電話やネットによるオンライン診断を(時限立法でもよいから)一時的に解禁し、郵送やオンラインプリントでの処方箋発行を行えるようにする。電話などで判断つかない場合は、その時点で初めて来院を要請する。街の病院で対応ができない場合は国により集中的なコールセンターを整備できないか。少し中期的な話ではあるが検討に値すると考える。
などがこの2日間でつらつら考えたこと。
仕事の三交代制などの案は、夜間バッチなど回してる会社の社内SEは顔真っ青だろうし、医療や教育関係者からすれば不可能なことを言ってるのかもしれない。
ただ、医療機関以外にも各自に出来ることはあるし、厚労省だけでなく、それぞれに対し監督官庁が指導力を発揮できるところもあるだろう。
何よりこの案を素案として各自の出来ること、出来ないことをブラッシュアップできるのではないか。そのための経団連や全国首長会ではないのか。
もちろん今頃官僚の人たちは色んな案を考えているだろうし、もっといい案を持っていると信じたい。
ただ、パフォーマンスのためのトップダウンで四苦八苦している今、
首相批判を"対案を出せ"というテンプレートで封殺している人々(友人は含みません、念のため)に対する"対案"として、
【追記とお礼】※また長くなってごめん
子供寝かしつけてから見たらホッテントリに(下位とはいえ)上がったことにびっくり。
まずは反応ありがとう。
トラバにブコメ、全部読ませてもらいました。特にトラバで1つ1つ反論なんかもらって感激!議論は大好きなんです。机上の…なのが問題なのですが。
さて、さすがに全件個別では無理っぽいですが、ご指摘に反応させて下さい。
・総理は案を出すんじゃない、首相の私案で進めるな、対策会議設して意見を募って調整しろ、意見対立に決断するのが仕事だ、軽い神輿に徹しろ
→ごもっともです。どうも現場よりの案しか思いつかないのが自分の限界かなと。実は仕事でも下を上手く使えと言われてるんで同じなんでしょうねぇ…。
ただ、今の総理の取り巻きでは不安が残ります。書かれているように、専門家会議作って謙虚に実行してくれればよいのですが。
・上がすべきは正確な情報提供じゃね?こないだの枝野の質問(各省庁の連携不足)は見た?野党案チェックしてるか?
→はいこれまたごもっとも。3.11の時枝野さんが寝ろ寝ろ言われながら定例会見を開いてた事は無駄ではなかったと思っています。民主党内閣すべての判断が妥当だったかは歴史の判断に委ねますが、今私が野党(立民)支持なのはそこに由来します。こないだの質問はよくできてましたね。短期間でも官房長官になってたからこその質問だったと思います。が、割とまともな質問はニュースにならないというジレンマ…。なお野党案はチェックしてます。議論もろくになしで否決で悲しくなりますが。
→うーん、どうでしょう。彼にも彼の持論があるんでしょう。私は相手を論破したい訳ではないので、自分に対案がないことの指摘はありがたかったです。ちなみに私が現首相がキライなのは国政の私物化、三権分立の軽視、答弁をまともにしない事、そして学校休校が直接自分の利害関係に関わったからでしょうね。コロナの件に関しては是々非々で見るべきだったのかもしれません。
余談ですが、この話のあと友人と"なぜ我々は意見が割れるのか"という分析に熱が入り終電を逃しましたwそれに付き合ってくれる希有な友人なので、好感しかありません。
→それはその場で友人とも話しました。が、総理の保身、という意味では割と合理的なんですよね。終息(休校が原因ではなくても)すりゃ手柄ですし、広がっても"やることはやったのに力及ばず"感が出ます。
もし2w後に感染者の増加が緩やかになれば(検査せず数をごまかしたとしても)彼ヒーローですよ。
・リソースどうするんだ、さらに現場が混乱するじゃないか、鉄道や学校などにしわ寄せが行ってるぞ、ぼくのかんがえた最強のコロナ対策、素人考え、お前も愚作
→これまたごもっとも。書けてはいませんが、引退した資格持ち活用、家庭に入った女性の復帰支援とか、現職には賃金割増とかで報いるしかないかな、と思ってました。リタイヤ組の再教育はすぐではないし、金でなんとかなる話じゃないですよねー。あ、でも電車の乗降分散でいうと高輪ゲートウェイは前倒しで開業はアリかも?(また細かい話)。そしてリソース的にキツイですよね、なんかあれもこれもと盛っちゃって破綻する悪い癖です。
ただwifiなんかは災害用の"00000japan"の開放はアリだと思ってはいます。
→ごもっともです。私も(製造工場の緊急対応で仕方なく)三交代の現場に入ったことありますが、心と体がみるみる弱っていきました。慣れない人にはツライですよね。目的(社員の分散)のために手段を間違ったと思います。
→読むのは好きですが書くのは無理ですwそもそもこれが褒め言葉なのか皮肉なのか分からない読解力では無理ですw
・ただ、最後に。今政府が出してる案って、基本中止や自粛→経済のシュリンクなんです。すべて自粛だけが道じゃないよね、逆に雇用や賃金増やす対策案もあっていいよね、ってのは今でも考えてます。電車なんかはそれベースの案でした。いい案とはいかなかったけど。
あと、今回の休校を"お前の案よりはマシだ!"と言うのは事実かもしれません。ただ、これによる不利益を被ってる人がいること、それに怒っている人がいるのも事実です。逆に影響ない人から見れば"大騒ぎしやがって"なのかもしれません。しかし、これで世論が分断されるのは悲しいです。子供のために休まざるを得ない人だって仕事と育児の両立で疲弊します。同時に子供のいない方も、上記の休んだ方のフォローで疲弊します。共に免疫力を下げてしまうでしょう。お互いを分かり合えない敵と思わず、共に戦うためにも、今回の休校は、もうちょっと水面下で調整しといてよ、という気持ちは拭いきれません。
1つ余談。
やったよ!xevraさんにコメントもらったよ!
Place1です。無事です。
昨日のカキコに真摯にアドバイスをしてくださった方々にとても感謝しております。また、一応述べておくが自分が中二病であるという自覚は存分にある。が、前に述べたことは全て事実ともう一度主張しておく。
昨日の今日だったが特に被害はなく、安全な1日だったということのみ報告する。今日は、昨日のアドバイスに対するこれからの行動予定についてまとめている途中で、フリック入力も私は遅いので今日上げられず申し訳ない。しかしコメントは全て見させて貰っているが、とても参考にさせてもらっている。ありがとうございます。
奇妙な文章になっていることや、誤字脱字については目を瞑ってくれると助かる。何しろ匿名掲示板類にカキコするのは初めてなので少々不安がある。
野茂さんがその1球1球に魂を込め、「いいボールを投げる」ことで世界を魅了したように、我々メルカリも、安心・安全に誰もが楽しんでいただける「いいプロダクトをつくる」ことを追求し、日本を代表する企業になっていきたいと考えています。今後とも、社会の公器としての責任に真摯に向き合いながら、中長期での企業価値向上に努めてまいります。みなさまのご支援のほど、よろしくお願いいたします。
社会の公器とか偉そうなこと抜かすなら、ちゃんと出品取り締まれよw
やってることはネットの西成のくせに、さも素晴らしいことしてる風に語りたがるのが大嫌いだわこの会社。まだ自分がゲスだと認識してそうなヤフオクの方がマシだと思う。メルカリばかり叩かれるのはおかしいとか言う奴いるけど、こういう部分が叩かれる原因だろ。
Los Angelesはスペイン語から来てて、Los(複数定冠詞)+Ángeles(天使Ángelの複数形)って形 ちなみにスペイン語風にそのまま読むとロス・アンヘレス
定冠詞部分だけ取って呼ぶのはいくら略称とはいえ許されない ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカを「ザ」とか「ザオブ」って略したら馬鹿みたいじゃん
これは私怨だけど昔読んでたネット小説でエル・シド・カンペアドールって名前のキャラをエルって略してて気が狂いそうになった エル(定冠詞)・シド(名前)・カンペアドール(称号)みたいな呼び名なのによりによってそこ取ります?っていうね
みんなもっとスペイン語に対して真摯になってほしい エル、ラ、ロス、ラスあたりの扱いがガチで雑すぎる エル・ブランカとか言われると殺すぞと思う
真面目に会社に尽くしてれば女入れ食い放題だし、問題も知り合った女が解決してくれるっていう。
けど、上司によって様々だ。真面目に尽くすだけで上司が取り上げてくれるのもあるし、それより見え透いたおだてが良いという上司もある、
上司自身が現場をあまりみてないから、下もうまくやってるふりをしたほうが上司の心象が良く、上司はそういうやつを取り上げている場合もある。
後真摯になにかに打ち込めば多少リスクが高いこともせざるを得ない。とすると、大小の失敗はある。上司がその失敗を許容できるタイプか否かによっても変わる。
失敗許容できないタイプなら、ただただ成功ではないが失敗ではない状況に持ち込む事が大事。そんな顧客を見ていないものが売れないのは当然のこと。
筋を通すかべきかというのもまさに上司次第。
無論、頑張ればそれを支援して、かつ認めてくれるような上司もいないことはないけど、そりゃガチャの領域だ。
まともに付き合うとただ使い潰されるようなやつもいる。そういう上司の元だと面従腹背ばかりがうまくなるが、面従腹背じゃないと潰れるだけだもの。
「ヤング 島耕作」「係長 島耕作」「社長 島耕作」「怪鳥 島耕作」
そのころ、コロナウイルスが流行ってきたので、Wikipediaで中国関係の記事を目にすることが増えたが、たまたま前主席の「胡錦涛氏」の記事が目についた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/胡錦濤
ここにおいて、はからずも「島耕作」と「胡錦涛」の共通点を見出すこととなった。
そして「誰でも100%出世する方法」を見つけたので報告したい。
現在はテクノロジー系の小規模事業主で、組織における出世とは無縁である。
とにかく二人は「好印象を持たれる」ことが多い。
島耕作:
・女性と同僚、そして部下に好かれることが多い。
・上司が不正をした場合は反発することもあるが、基本的に正義感が強く、言動が首尾一貫しているため、最終的には認められるパターんが多い。
・本人は「運がよかっただけさ」というが、明らかに他人に好かれる能力を持っている。
胡錦涛:
・このころの胡錦濤は、上司たちとの人間関係も会社での評判も良好であり、このままでいけば将来の昇進が期待されていた。
・かつてインフラ整備の建設工事を宋平が視察した際にその案内役を務めたのが胡錦濤であり、宋平は胡錦濤に対して好印象を抱いたという。
・鄧楠は胡錦濤に良い印象を持ち、そのことを父・鄧小平に報告している。
当たり前だが、仕事・勤務態度がまじめであることは出世において必須である。
ただし、普通の真面目ではだめで、「上司が感心するくらい真面目」なのがいい。
島耕作:
・庭課長、今野係長というねちっこいキャラによって、不当な残業させられたり、正月出勤させられる。
・ただし島耕作は仕事を愛しているので、それすら受け入れる。家族は犠牲になったようだ。(バツ1)
・専務時代から、万亀社長(のちに会長)と二人三脚で初芝の経営を行う。万亀の不倫問題なども、私物マンションを引き継ぐなどして従順に対応した。
胡錦涛:
・張延青は胡錦濤を半年間観察したのち、勤務態度がまじめで、上司に忠実で、同僚の評判もよい胡錦濤を、主任の単国棟に推薦し、
さわやかというのは非常に概念的であるが、けっきょく印象とはそうしたものだろう。
島耕作:
・係長時代から、数十個のバレンタインチョコをもらっている。それには一度出張しただけの地方営業所の女子社員もふくまれる。
・ワイロや私服を肥やすことにまったく興味がない。このことが見た目や行動の清廉さに寄与しているのではないか。
胡錦涛:
・胡錦濤は次長に昇進したのちも以前と変わらず仕事に精を出し、勤務時間を守り、同僚に愛想がよく、さわやかではきはきとした仕事ぶりで、中間管理職となったことを鼻にかけるような態度は少しも見せなかった
従業員もバカではないので、上司の考えていることは手に取るようにわかっている。
たとえば、経営者が高級なスポーツカーを買ったりして見せびらかすのは愚の骨頂である。
島耕作:
・「俺にはこだわりがない」と本人も言っている通り、彼は自分の欲望のために何かをすることがない。基本的に他人が喜ぶことを無意識に継続しているだけである。それで従業員数十万人の会長に上り詰めた。
・子供時代から、貧乏な友人に片方のクツを貸してあげたりするエピソードがある。
胡錦涛:
・級長に選ばれた3年生のときには、「政治的自覚が強く、クラスメートをよくまとめ、各種の学習および学外活動を自主的におこなった。まじめに学習し、率直な性格のもち主で、責任感が強く、何事も積極的かつ公平に進めるタイプである」と書かれている
・胡は、党総書記兼国家主席として最高権力者の地位にあった江沢民の後継者と見做されていたが、胡は自身でなく江沢民が注目されるように注意を払っていた。
「彼は仕事だけはできるが、人間性がない」「何を考えているかよくわからない」
こうした人は要注意である。事務能力があっても出世しないタイプだ。
もし出世したいのなら、仕事以外のプラスアルファで、なんらかの人間的魅力を見せるべきである。
島耕作:
・めっぽう酒につよく、銀座のクラブではママに「酔っても周りをしっかり見れている」と褒められている。
・基本的に酒の誘いを断らない。酒の場では、それなりにふざけたり自分を崩すことができる。
・ゴルフはアンダー40(だっけ?)で、かなり上手い。
胡錦涛:
・同級生の回想によると、胡は歌とダンスが上手で、キャンパスで注目される存在であったという。
・学生たちの唯一の楽しみとして、週末のダンスパーティーへの参加があり、踊れる者もそうでない者も、土曜日の夜になると学生クラブに集まった。ダンスに秀でていた胡錦濤は常にパーティーの主役であり、女子学生たちからは王子様のように見られていた。
一貫しているものは「仕事への情熱」「真摯さ」「無私公平さ」のようである。
とくに胡錦涛氏は「これといって目立つ特徴がないのが胡錦濤の最大の特徴」との評価があるが、まったく島耕作もそうである。
といっても、中身がからっぽであるという意味ではない。本人には強い意志と理念があり、それは自分の「個人的欲求」と直結していないだけである。
つまり、自分の意志が企業(における他者)の意志と一致しているということである。
これは企業における経営者・管理職に求められる素質であることは疑いがない。
お金や権力を得たら高級な家を建てたり、車を買ったりするような人間は、個人意志を優先してしまうので、けっきょくそこまで上り詰めることがない。
中国という国の統治組織を意識したことはこれまでなかったが、非常にサラリーマンの出世構造に似ていて面白かった。
そうしてみると、胡錦涛氏に限らず、多くの中国人官僚の中に島耕作がいることだろう。
1.社内のすべての人に好かれること。敵を作らないこと。
2.上司が驚くレベルでの「普通をこえた」真面目さを見せること。
3.常に笑顔でさわやかであること。女性からの印象がいいことが重要である。
4.こだわらないこと。上司には従順であり、部下には自由に任せること。
5.アフター5の付き合いを得意とし、楽しむこと。
この5つを実践できれば、100%会社の中で上り詰めることができるだろう。
実際に取締役以上になっている人を見つけて、聞いてみるとよい。
そして彼らは1~5までを自分の心からの欲求と一致させているのである。
むしろ「罪を認めた!疑惑が確定したから容赦なく殺れる!罪人を殺せ!」って叩きや攻撃を激化させてんだろ
真摯に頭下げても「こいつは悪いやつだ、悪いやつには何をしてもいい」とリンチしてるだろ
「ごめんなさいで済むなら警察はいらん」ってか?「お前が頭を下げても罪の事実は変わらない」ってか?
高遠丞くんのGOD座退団の報せを受けたとき、頭が真っ白になった。月並みな表現ではあるけれど。走馬灯さえ見えた気がする。
あたしを心配してひっきりなしに鳴るLIMEの通知音がどこか遠くに聞こえた。
高遠丞くんをご存知だろうか。
といっても、ちょっと観劇が趣味の人にはきっと常識で、でもそうでない人間はすこしもピンとこないのだろうなと思う。
なんでもいいからとにかくあたしの知ってる高遠丞くんの話をさせてくれ。
最後まで読んでもなんのオチもなければまとまりもないしあたしはずっと泣いていますが、最初に言っておくとこれはちゃんとしあわせな話。結論として、高遠丞くん、大好きだ〜〜〜〜!!!!!っていう話に死ぬほど文字を割きます。よろしくな。
GOD座という劇団の名前くらいは誰しも聞いたことない?ないのかな、一般人の感覚がわからん
あるでしょ?!??!
高遠丞くんはそこのトップで、あたしの推しでご贔屓で王子様だった。
あたしが丞くんと出会ったのは、丞くんがまだ入団したばかりの頃だった。元々観劇が好きでちょこちょこGOD座にも足を運んでいたのだけど、推しやご贔屓の概念はなくて純粋にそのお話を楽しむタイプだったので、当時は役者の顔や名前も満足に覚えていなかったと思う。そんな中であたしがなんで当時新人で端役をつとめていた丞くんに目を留めていたのか実のところよくわからない。声のハリとか立ち姿が好きだった。あたしがちょっとミーハーだったのもある。いやなんでだろうな。奇跡かもしれない。世界、これを奇跡って呼ぶことにしよ。
そこからGOD座の公式インステアカウントやブログを読んで彼のひととなりを知って、どんどん好きになった。丞の劇団員ブログは正直全然面白いものではない。何十人もいる劇団員がかわりばんこに書いているブログで丞の番が回ってくるのを永遠かと思うくらい待っていたのに文章は短いし、写真も少ない。私生活もなければジョークのひとつもない。真面目さ、演劇に対する果てしない情熱。彼が書いたものは何を読んでも、いつだってそれしかわからない。そこが好きだった。
そうしてゆるくゆるく高遠丞くんを応援する日々が一変したのが、そうだ、ご存知あの舞台。
あたしはあの舞台を今後一生覚えているのだと思う。
ときたま再演もしてるからお願いだからみんな見てほしい。あっでももう丞は………………あの舞台は……………………………
虚無……………………………………………………………
丞の役は王子様。正真正銘の王子様。「GOD座の丞」と言えば王子様、のはじまりである。
GOD座のお家芸、きらびやかな舞台と華やかな役者。その中心に世界一素敵な男。凛とした姿勢が、よく通る声が、意志の強い眼差しが、あて書きかと思うほどぴったりハマった、少しシャイだけど正義感の強いとびきりやさしい王子様。夢中になった。恋をしないわけにはいかなかった。一生応援すると誓った。
そこからのあたしはバカほどGOD座に通い、丞の出てる舞台の初日と千秋楽は絶対におさえたし地方公演にだって行った。初主演をつとめてからどんどん人気が出てファンも増えていった。ちょっとさみしくて、うれしかった。役どころもだいたい主役か準主役の王子様とかなんかキラキラしたヒロイックな男。世界一似合ってしまうので仕方がない。何度あたしを恋に突き落とした?
丞とほぼ同期にあたる晴翔くんはたまにインステに丞との写真もあげてくれたので、並の晴翔推しより晴翔のインステを見た。劇団員ブログを見た。カーテンコールでファンに向ける笑顔はどんどん上手になったのに、相変わらず劇団員ブログはつまんなくて、大好きだった。
そんなストイックなブログじゃ、丞くんが如何に演劇を愛しているかくらいしかわかんないでしょ?!??
そんなしあわせな日々に飛び込んできた退団のニュースのことの重大さがよくやく伝わったでしょうか?!??!?!
よく生きてだと思う。いやほんとよく生きてたよあたし。
あれほどに舞台を愛していた丞くんが芝居をやめてしまうなんて考えられない。もともと自己発信の少ない丞だ、GOD座からのお知らせ以外に何一つ情報は出てこない。他のファンたちの余計な詮索がしんどくてツイッターのアカウントに鍵をかけた。GOD座となにかあった?と考えてみたところでわかるわけもない。ただわかるのは、GOD座のような大きな劇団を自主退団した丞はきっともうどの劇団にも入れない。GOD座と何かあったならなおのこと。いやこれいま自分で打ってて過呼吸なるわ。吐きそう。本当に何日も満足に眠れなくて、泣きながら明け方に寝て泣きながら目覚めてまた泣いた。廃人の日々。
そこにさした一筋の光明。
MANKAIカンパニーとGOD座のタイマンアクトで、高遠丞が出るらしい。GOD座じゃなく、MANKAIカンパニーとして。
このときの気持ちを形容しようにも、キャパオーバーの飽和状態でどうしようもない。わけもわからず縋るような気持ちでチケットを取った記憶だけある。いやあんまり記憶がないな。丞がまた舞台に上がれる!というぶん殴られたような衝撃的な喜びと、GOD座と対決って大丈夫?負けたら解散?MANKAIカンパニーってどんなところ?と次々に疑問符が溢れ出た。溢れ出ただけネットで調べまくったら正直全然勝ち目がなくて、また眠れない日々に逆戻り。
いやだいやだどうして!だった以前と比べて、もしかして役者続けられるかも?って期待があるぶん余計しんどかった。絶望感が期待と不安に変わっただけ。
それでも、確実にその公演は舞台で丞がまた見られる。そのあとはわからない。「最悪の場合」に向けて心の準備を整えながら、そして泣きながら、初日を待った。
初日の公演を見たとき、あたしはまあ当たり前のように爆泣きしてたんですけど、ほんとのところそれがどういう感情なのかよくわからなかった。だってそこにあたしの大好きだった王子様はいなかった。衣装だっていままで見てきたものに比べたらえらく地味に見えたし、舞台も質素。演技だって、あんまり詳しくないけどいつもの丞の大胆さは影を潜めて、シンプルな動きになっていたようにおもう。
でも、「高遠丞」がいた。
ううん、「ラファエル」がいた。
親友思いで生真面目で頑固で、心優しい男がいた。いつもより繊細な動きで、微妙な表情で。
初日のあとも何度も何度も足を運んで、やっとあたしは悟った。
わかってしまった。
丞はこのために、これがしたくてGOD座をやめてそこにいるんだね。
それに気付いて、また泣いた。いや泣きすぎじゃんって思うでしょ、あたしがいちばん思ってるよ。でもこれはなんだろう、悲しいんじゃないんだよ。純度100%のうれしいでもない。強いていうなら、GOD座の王子様へのお別れと、感謝と、あたしの大好きな人の新たな門出のお祝いの気持ちだ、これは。
しかしMANKAIカンパニーの公演は見るごとに良くなったり悪くなったり、みんなが手探りで、でもみんながきっと演劇バカで、そうやってつくってるんだろうなって思った。みんな、丞みたいな人なんだろうな。だったらいいな。ついにGOD座とのタイマンアクトのその日、あたしはあんまり不安はなかった。相変わらずMANKAIカンパニーの公演に安定感はないけれど、大丈夫だと思ったし、実際に大丈夫だった。まあアホほど泣きはしたんですけどね。そのときのカーテンコールの丞の泣きそうな顔が、いままで見てきたどんな王子様よりも素敵で魅力的で、嬉しくてほっとして結局キャパオーバーで泣いた。オタクはすぐに泣くんだよ。
ただ少し思うのは、これがもし本当に丞のやりたかった芝居なら、GOD座で丞は何を思って演じていたんだろう。あたしが好きだった丞を、丞はちゃんと好きだったのかな。あたしたちは丞に王子様の仮面を押しつけてしまっていたのかも、と思ったら途方もなくしんどくなる。もう謝ってもしかたがないけど、きらびやかな仮面じゃなくて、ありのままの「高遠丞」をあたしはちゃんと応援したい。今からでも遅くないよね?
願わくば、丞もGOD座でのたくさんの思い出を、愛しく思ってくれていますように。ワガママを言うなら、あたしが大好きだったGOD座の君も嘘や偽りじゃないって、楽しかったって、言ってよ。それだけがあたしの願いです。でももうなんでもいいや、生きててくれてありがとう、舞台に帰ってきてくれてありがとう。
ついでに。MANKAIカンパニーでの丞の劇団員ブログを見てあたしは笑ってしまった。プライベートの話も写真もない、来てくれたお客さんへの感謝と演劇の話だけが堅苦しく、しかし真摯に書かれたその短い文章に。大好きだ、あたしは一生高遠丞が大好きだ。
☆
きっとちがうよ
だって私は わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから
それはきっとちがうんだよ ちがったんだよ
それはきっと あいなんかじゃないよォ…
某所より気になった感想を抽出し、思いついたことを書いていく試み
171 ななしのよっしん
2018/09/30(日) 13:48:11 ID: f8xlQvMm3b
あさひもしょうこも(てかこの作品のほぼ全員)私が生きるためにあの人に生きてほしいを地でいくキャラだったからあの結末は残念でもないし当然
あさひはこれからのこと考えると可哀想だがしょうこは裏切ったうえに盗撮までして友達の私を信頼してはほんと無理だったから死んでよかったよ
173 ななしのよっしん
2018/09/30(日) 15:30:33 ID: 6m5ZAUyP0F
友人思いのあつかましさや正義感が仇になってさとうを裏切り殺されたしょうこ
大人の女性からセクハラを受けまくって気が狂いしおからも見捨てられて廃人化した太陽
元からの変態性に加えさとうを詮索してやり込めようとして失敗し逮捕された先生
DVを受けていたとはいえしおを拒絶して全ての元凶になった母親
絵のモデルとしてさとうを招きしおに対するさとうの気持ちを察するや自分の望むさとうでなくなることに怒り、手を挙げて殺された部屋の主
さとうと愛の形で対立しつつも結局最後までさとう達に協力して逮捕された叔母さん
必死に妹を思い自分と自分の母親の元で幸せに生きさせようとしたが、最後にはしおの心を完全に奪われたあさひ
愛の形を証明し心中を受け入れるも、結局しおを生きながらえさせて、しおを自分の愛の結晶としてこの世に残すことに成功したさとう
幼児退行や記憶障害は治ったが、さとうの愛に完全に共鳴して強い意志を持って傾倒する狂人となったしお
全登場人物で本当の幸せを掴んだのは実はさとうだけかもしれない、しおは客観的に見ると環境が災いして人格を塗り替えられた不幸な子だと思った
182 ななしのよっしん
2018/10/01(月) 05:10:48 ID: CEiFINjjYU
一見人魚姫みたいで綺麗な終わり方だけど冷静に見ると、さとうがおばさんにされて嫌だった「愛ってこういうものだよ、とても素晴らしいよ」の押し付けを結局しおにも繰り返してるだけっていうのがなんか考えさせられる
表面は綺麗だけど、しおもかつてのさとうみたいに歪んだ愛の価値観に縛り付けられて生きると思うと…
185 ななしのよっしん
2018/10/01(月) 11:23:57 ID: VrrOXonf2W
しおはさとうの愛で満たされてるけど
190 3543
2018/10/02(火) 09:27:55 ID: PTz4syDQ1u
こういう話は因果応報とは無縁の話だと思ったら、しお以外は因果応報の形になったのが意外。だが単純に法とか、一般的な善悪道徳を元にした勧善懲悪の因果応報じゃないのがミソだな。
だから、普通なら報いを受けそうにない立場のしょうこも、勝手な「ごく真っ当な価値観」のままさとうに迫り、信じると言いながら結局目を逸らしてしまったことが、致命的な罪となって、その裏切りの報いとして死んだ。
単に犯罪したからだけじゃなく、自分の価値観を押しつけ続けて相手を碌に見なかったり、何より愛に真摯じゃないキャラは報いを受けた訳だ。
しおに関しては、さとうと限りなく噛み合っていたが、共犯者の面もあるし、最後に庇ったさとうの愛が本当の愛なのかしおへの裏切りなのか、あの結末が救いなのか呪いなのかわからんのはいい感じだと思う。
206 ななしのよっしん
2018/10/15(月) 17:02:35 ID: MYkV3cCihu
さとうはあらん限りの意志の力によって、
ある意味、恋の夢である「愛する人とひとつになる」を実現してしまった
人間の精神が分割できないindividual(個人)という見方は社会的な事務上のフィクションで、
内面には複数の「分人」がいるわけで、その一つとしてミニさとうがしおの人格にインストールされた
だが本当に恋の夢が実現されたとしてそれは本当にいいものなのか?と思わされる
意志の強烈な輝きと同時に、それがもたらす災厄も描かれてる
強い意志というのは、結局高確率で目的を果たす魔力はあるけど、被害も生むことを示してる
214
2018/11/14(水) 00:15:54 ID: DvW+BJx4zX
この作品、ほぼ同時期に映像化(向こうは実写化だけど)された監禁モノ作品と決定的に違う所がある
これこれこういう可哀想な目にあったから容認すべき・同情すべき、という風な作品のトーンにしてない。あの純真そうなしおちゃんも含め、出てくるキャラが(一部以外)殆ど全員自分のエゴの為だけに動いてる。
さて、感想
「わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから」という叫びで自らと登場人物すべての罪を糾弾したこの言葉
では、いったい何が愛だったのか、どうすれば愛だったのか、愛は何故減るのだろうか(ニヒリズム)
「お互いの事を思いあい、助け合い、真に理解しあう」が、「プロレスは本気で戦っている」と同様のお約束であることは肯ずるところだろう
富めるときも貧しきも、病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。
本作でも繰り返し述べられる誓いの言葉だが、やはり難しい
貧すれば鈍する、衣食足りて礼節を知る
満たされない人間が愛についての理想を掲げ、存在しないものを追い求める様は悲喜劇的である
残念ながら、愛というのは幻想入りしている
では何が存在するのか、現実・日常に耐えられるだけの実在性を担保できるのか
逆説的だが、まさにそれこそが愛、つまり個々人の中にしか存在しない幻想だと思われる
「相手は分かってくれくれるかも知れない」「自分を救ってくれる誰かがいるかもしれない、そんな時が来るかもしれない」「これこそが愛の本質なのかもしれない」という期待、幻想、思い込み
それに従って相手を志向し、期待し、求め、望み――そして、拒絶され、断罪され、絶望する
その果てに関係性を何度でも再構築し、自分自身の幻想・信念ですら変えていく
自分に合わせて現実を変えるのではなく、圧倒的な実在性(=他者性)のある「現実世界」に打ちのめされ、変わらされていく
他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結の孤独から救い出す、「無限の可能性」でもある。いかなる哲学、科学、数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己は自己完結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。
然し、真理といふものは実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。
(中略)
もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。
私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。
――坂口安吾「余は弁明ス」
「人間の精神が分割できないindividual(個人)という見方は社会的な事務上のフィクションで」
という言葉が正鵠を射ているように、人間はそれ単体で存在し得ない
人のすむところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係の世界。またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
永遠に求めるが手にし得ないものを、その霊台方寸のカメラにおいて捉える故に、他者を必要とし、そしてそれに打ち倒される
揺るがない物理的存在としての肉体がその繰り返しを支え、人を生き長らえさせている
今日、愛の不在を叫んだ神戸しおも、その10年後には同じ気持ちでいるかは分からない
「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」は、決して絶望の言葉ではないのだ
BPDの症状が年齢経過で落ち着いてくるということと似ており、時はすべてを均してくれる
凡人に身をやつすことは、救いでもあるのだ
金貰ってもいないのにカウンセラーなんぞやんねぇぞならそのままお伝えすれば
「傾聴」は英語で「active hearing」または「attentive hearing」です。「active hearing」は臨床心理学で「積極的傾聴」と呼ばれ、アメリカの心理学者カール・ロジャースが提唱した手法として知られています。
「共感的理解」とは「相手の視点、相手の立場に立ち、相手の気持ちや話の内容に共感しながら聴き入れることです。「共感する」という行いは相手にとって「話を聴いてくれている」「認めてくれている」という安心感を与えてくれます。
「無条件の肯定的関心」とは、聴き手の私的な感情を取っ払い、無条件で肯定的に話を聴くことです。たとえ、話の内容に誤りや間違いがあっても、また社会的に反する内容であっても、否定をせず関心を持って聴く技法です。
「自己一致」とは、聴き手自身の感情や意見も尊重し、相手の話で理解できない点がある時は内容を確認しながら、真摯な姿勢で話を聴いていくという技法です。分からない点をそのまま置き去りしてしまうと、相手に「私の話はそれほど重要ではない」と誤解を招いてしまうこともあるでしょう。質問と答えを確認する行程が加わりますが、相互理解はお互いに安心感を与えてくれます。