はてなキーワード: 武術家とは
スシとは李素裳のこと。プレイヤー間のスラングだな。キャラデザがすこぶる良く、CVを担当する福圓美里氏もハマり役。
520年前の神州(作中の国で中国に相当する)の太虚剣派に属する優れた武術家の15歳だったが、とある事情でコールドスリープして目覚めたため、535歳そこそこといったところか。
だが実質15歳とは思えぬプロポーションで、茶目っ気がありながらも泰然とした達人感を漂わせる。
師であるフカを「お祖師様」と呼ぶので、その空耳でお寿司というあだ名がプレイヤー間で浸透したのかもしれない。
もちろん名前のスショウも寿司みを後押ししている。とにかくスシといえば彼女なのである。
彼女の勇姿は公式の動画を見れば一目瞭然だが、惚れ込む人がいるのも理解できるだろう。
スシ男性とは、まさしくこの弱冠535歳の剣気を操る武人少女、素裳の虜となった男性のことを指すテクニカルタームだと思われる。
この作品「崩壊3rd」は今まさにサービス6年の歳月を経て、類を見ないほどの壮大なスケールで展開してきた物語第1部を終えようとしているところだ。
素裳を含む物語も一つの幕を閉じようとしている。第2部についてはどうなるかまだ分からないが、一つ明らかなことがある。
今年4月にリリース予定のシリーズ最新作、崩壊スターレイルにも「素裳」と言う名の瓜二つの人物が登場するのだ。
ある種のパラレルワールドとして崩壊3rdの登場人物たちが同名、似た容姿、別人格で登場するこの新作によって、スシ男性たちの素裳成分摂取もより亢進されることだろう。
お分かりいただけただろうか。
このエントリは昨今の暴力性について思うところがあり書かれた。
具体的に言えば「直接的な暴力は禁忌されると主張されながらも言葉の暴力については無頓着である」ことに違和感を覚え、皆様が抱える心の問題について何らかのヒントになればと考えて作成している。
猟師とは、現代でもある意味でその暴力性を野放しにされている職業の1つだ。
銃火器や罠が法的に制限されている程度で猟師の暴力性がすべて制限されているわけがなく、私自身も含め家の業(わざ)として猟師の技術を継承している人たちは箸一本あれば大抵のことはなせると言うだろうし、それがナイフやキリであればより効果的な使い方が出来る。
言うまでもなく私達は様々な命を奪い取り生計をなす者達であり、警察や軍隊や武術家や格闘家などと近似した暴力の専門家である。
法的な制限が緩いのは偶然であり、単に目立たないからそうなっているだけで機会が訪れればいくらでも法的に制限はされるものであると推測している。
私は猟師の技術を祖父と父に仕込まれたが普段から口すっぱく言われ続けたことがある。
「みだりに暴力を奮ってはならない」
私の心の成長に合わせ「みだりに暴力を奮ってはならない」の解像度は高くなっていった。
多くの人々は「みだりに暴力を奮ってはならない」と目にしたとき「そんなことは当たり前だろう」と考えるだろうが、今まさにあなた様が直感した意味の「みだりに暴力を奮ってはならない」とは少々違う教えを私は受けている。
なぜ私があなた様の想定を推測できるのか?と言えば、私自身も幼少期の頃はあなた様と同様の「みだりに暴力を奮ってはならない」と考えていたからである。
もしかしたらこれを聞くと大反対したくなる方も居るかもしれないが「みだりに暴力を奮ってはならない」は「みだりに」なのだ。
つまり絶対的な禁忌として暴力を封じた教えではなく、限定された条件がであれば暴力を発動しても良いとした教えである。
そもそも我が家は猟師であり、暴力の発動をなさねば食うに困り生きながらえることが困難になるので絶対的な禁忌として暴力を封じることができないという事情もある。
私が中学生のとき上級生と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
今振り返れば喧嘩という表現すらおこがましく、先輩から最初の一撃を食らったので反撃へ移り一方的な状況にしたと表現したほうが良い。上級生は肋骨と肘関節にヒビが入った。もちろん意図的にやったことである。解体の応用だ。
それを知った祖父と父は激怒した。特に祖父は激怒しながら私へこう言った。
「男の暴力は大事なものだ!大事なものだからこそ最後まで取っておくんだ!男にとって大事なものなんだ!宝物なんだわかるか!」
祖父は激怒していたので「男にとって」と勢いあまって言ってしまったが、今の大人になった私は「人間にとって」と解釈している。
あなた様が「みだりに暴力を奮ってはならない」と聞いたとき「暴力は宝物」という解釈はあっただろうか?おそらく無いだろう。
中学生だった私は祖父のこの言葉へ衝撃を受けた。今まで暴力は絶対的な禁忌として教えられていたものと確信していたのに、そうではなく大事なものだからこそ簡単に奮うなという教えであったことに気付いたからだ。
あまりの衝撃に当時の私は自分はなんてことをしたのだろうと心から深く反省したし、2度と喧嘩で暴力を使わないと自分ルール、戒めとして持つようになった。
(※中学生時代の私から暴力を受けた先輩はオブラートに包めば普段から大人たちを困らせる「やんちゃ」なタイプであった。偶然にも私へ「ちょっかい」をかけてしまったのだ。)
私はこれらのことから「皆様の大事な宝物である言葉の暴力」について今一度考えて欲しいとお願い申し上げたい。
特に子供を持つ親であるのならば「暴力は大事な宝物」という表現の解像度は一層高いように思う。私も親となり解像度が高まった。
独身であっても例えば「法律上の緊急避難」や「法律上の正当防衛」「警察や国軍の暴力は合法」がなぜ成立するのか?という部分で高い解像度を得られると思う。子供が出来るまで私は「暴力は大事な宝物」という点で納得感を得ていた。警察や国軍であってもみだりに使えば違法化しますしね。
「言葉の暴力」を「大事な宝物」と解釈したとき、その答えは十人十色となることが予想されるが私はそれで良いと考える。
最後に、男であっても女であっても、リベラリストであってもフェミニストであっても、あなた様の言葉の暴力は大事な宝物であるからこそ、みだりに奮ってはいけないのではないか?と提言をよせてエントリをしめたいと思う。
えっお父さん有名人だったん・・・?
テレビとかネットでやるような試合とか出ないし、家じゃ猫へ顔をうずめて変な声出してるだけのオッサンなので何とも思ってなかった
けれど最近Youtubeに誘われるようになって「○○先生!」みたいにすごい勢いでコメントしてるお父さんのファン(教え子?)みたいな人がいっぱい出てきてビックリする
中学校へ入るくらいまでは道場へ行ってたけど次第に行かなくなり私は武術とは疎遠になって、ふと当時を思い出して突きをするだけで膝と腰と肩と肘と手首に激痛が走るほど弱ちんになっちゃってるくらいには武術まったくやってない
それをたまたまお父さんに見られると「弱っ!www」ってバカにされるんだけど、そのあと絶対に「道場来る?道場来る?」とウザいので「太くなるから絶対ヤダ」と言って断ってる
Youtubeで観るお父さんはなんだか人格者っぽくて「格好付けてるなぁ」なんて思うんだけど、共演してる武術家の人とかアシスタントの人とか門下生がするお父さんへの配慮を見ると「何だか私の知ってるお父さんじゃないなぁ」って感じ
なんかもっとこうお父さんはお茶目な人なので、イタズラとかしてあげたほうが喜ぶのに周囲は丁重に扱いすぎてるように感じちゃう
コメント見てて思った1つだけ気になった傾向と言えば「物凄いキレですね!」みたいなコメントする人いるけど、お父さんの動きは先生として基本に忠実で見えやすいようにやってるっぽいので、お父さんの動きの癖のまま本気出したらもっとキレて速いと思うよアレ
サンタクロース……その起源は、遠く古代中国、東晋の時代へと遡る。
その頃、中国大陸一の武術の高手(達人)として名を馳せた肉羅臼(にく・らうす)は、他門派の武術家と決闘する際に、三種類の絶招(必殺技)の何れかを使うと相手に予告することで知られていた。
そうして、肉羅臼は「三つのうち何れの絶招で、お前は止めを刺されたいか?」と質問して選ばせた上で、必ず、その技によって決闘の相手を屠ったという。
その強さに感銘を受けた時の皇帝・中宗元帝から、肉羅臼は"三択老師(さんたく・ろうし)"の名を下賜されるとともに、当時の民衆からは
三招(3つの技)有れば事足りる」
と詠われて、その比類無き強さを讃えられた。
しかし、晩年の肉羅臼は、武術家同士が覚悟の上で行なった決闘とはいえ、多数の人命を奪ったことを大いに悔い、武術家としての技一切を封印すると、シルクロードを遥かに西に向けて辿る旅へと出発した。
長い旅路の果にユーラシア大陸の西・カッパドキアの地に到達した肉羅臼は、その地で入信したキリスト教の修道士となると、弱い民衆たち、殊に幼い孤児たちの救済事業に晩年を捧げたという。死後、その慈悲深い行ないを讃えて、肉羅臼は"聖ニクラウス"と呼ばれるようになり、幼い子供たちの守護聖人と見なされるようになった。
時は流れて二十一世紀、クリスマスの風物詩として、子供たちに贈り物を運んで来る伝説上の人物のことを、我々現代人は"サンタクロース"と呼んで親しんでいるが、その呼び名の起源が"三択老師"であることは言うまでもない。
野生の獣ほどワンパな攻撃仕掛けてくる奴らもおらんだろ。
たとえばお前が特定のゲーム1人でシコシコプレイしたとするじゃん。
大抵の場合は「あっ、このパターンめっちゃ強くね?」って覚えたらそればっか使ってクリアするやろ?
んで対人になったら相手は「こいつこれしか攻撃パターン知らんのか。ラクショーやわ」ってなるわけよな?
対して対人の練習詰んでる連中は強い攻撃パターンいくつも覚えて相手に合わせて使うわけよ。
まあ必勝法みたいのあるとワンパ連発っぽくなるけど、それだって相手側の弱い攻撃パターンは大抵知ってて全部避けてくるんだよな。
何がいいたいかって言うと「やつはまさに野生のケモノ!攻撃に法則性などないのじゃ!」みたいなのってマジで嘘だよなってこと。
野生のケモノは1人プレイシコシコマンだから対人戦特有の多彩な戦術を知らず、自分がたまたま知ってる最強パターンを乱発するだけ。
まあ半端に武術とか習ったやつが道場で習ったやり方しか知らないパターンもあるけど、それは単にソイツがカスなだけだわ。
じゃあ野生のケモノはっていうと、アイツらなんだかんだで狭い自分の世界に閉じこもってるから、いうなれば「サヴァンナ一丁目流」みたいな流派を延々学んでるようなもんよ。
対抗戦ちゃんと積んできた武術家からすればパターンワンパで読みやすいってこと。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 69 | 17136 | 248.3 | 49 |
01 | 115 | 9402 | 81.8 | 50 |
02 | 122 | 8987 | 73.7 | 39 |
03 | 55 | 6540 | 118.9 | 49 |
04 | 64 | 8726 | 136.3 | 60 |
05 | 24 | 2180 | 90.8 | 55.5 |
06 | 29 | 2712 | 93.5 | 41 |
07 | 86 | 8668 | 100.8 | 36 |
08 | 118 | 10879 | 92.2 | 34.5 |
09 | 138 | 12180 | 88.3 | 32 |
10 | 158 | 14181 | 89.8 | 54 |
11 | 219 | 19734 | 90.1 | 43 |
12 | 238 | 15988 | 67.2 | 35 |
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1日 | 3644 | 320115 | 87.8 | 37 |
2848人(6), 混合ダブルス(5), 武術家(5), 骨法(4), 82人(3), スノボー(3), 伊藤美誠(3), 桃尻(3), メイドラゴン(4), カラム(11), スケートボード(7), 堀米(4), 故意犯(3), 転売(79), 無観客(31), 大坂なおみ(18), 反対派(20), 五輪(128), 観戦(14), 競技(38), アスリート(31), オリンピック(187), 開会式(19), 選手(80), 試合(22), 感染者数(22), 新自由主義(18), 重症(32), 開催(52), メーカー(29), ワクチン(98), 中止(38), スポーツ(40), 解説(24)
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じゃなくてさ・・。
キミ話し聞いてないでしょ。
あれを武術家の代表として扱っていつまでもやり玉に挙げてんの君等みたいな奴らでしょ。
まあそれにしたって術理とか使える部分に関しては公開してほしいけどね。
要するに競技の場に出したら使えんかもしれんが、競技をやってるやつが参考にするならいいものだってある。
残念だけど武術家って偽物が圧倒多数なので叩かれるのもわかるよ?
ただ良いものは取り入れたら良いだけ。
それとオウムのことに関してごちゃごちゃ言ってるけど、あれだって部分的にクムパク(クンバク)とか正しい呼吸法を取り入れてたりする。
そういう意味で被害を被ったのはむしろ仏教というよりヒンディだろうね。
教条に関しては詳しくないが、上座部仏教を目指してたようにも思う。
君は1間違ってたら全部間違いなわけだ。
おれはとてもそこまで断ずることはできない。
柳龍拳を完封した岩倉は総合格闘家兼武術家の熊澤伸哉に真剣勝負を挑んで、開始早々腕を折られた。
あげく、真剣を挑んだのはお前だから逃げるな! と喝を入れられて逃げ腰で試合を消化して熊澤の軍門に降った。
https://www.youtube.com/watch?v=9PH9cAL-FHY
はっきり行って総合格闘家としても大したやつではない。
当然柳龍拳にも問題はある。武術家の問題として試合に出ないという問題がそのまま露呈してパンチに反応できなかった。
ちなみに岩倉はかのK-1プロデューサーだった谷川が起こしたイベント、巌流島でプロ格闘家ではないアマチュアの蟷螂拳の選手に敗北している。
ちなみに坂口拓とその師匠、稲川義貴はたしかに見た目が胡散臭く強度の右翼だが、リアリティあるヤバめの現地ルポを敢行する丸山ゴンザレスからも技は本物という評価を得た(丸山自身総合をかじっている)。ここに忖度はない。丸山のレポートはどれも本心から述べてるものが多い、というより丸山は嘘がつけなさすぎてヒヤヒヤすると言われているやつだから、嘘はない。朝倉海と坂口の親交が深く、海は坂口の武器術とディザームの能力を高く評価している。
ちなみに石井はバッシングも多いが、朝倉海、那須川天心ともコラボしてその技の有用性を評価されているし、最近アップされる予定の動画では未来ともコラボしている。偽物なら呼ばれない。
システマは習得が難しくみなみかわのおかげで知名度と不名誉が一度に広まったが、UFCにも出場経験のある総合格闘家の菊野克紀が沖縄拳法空手のナイハンチの理合と一緒だとして自らの道場、『誰ツヨDOJOy』で採用している。
触れずに倒す、などのはっきり言えば別ジャンルの人によって勁は随分勘違いされてきました。しかし勁はマジックでもなければ詐欺でもありません。そればかりか日常的に勁は使われています。勁とは力の作用の仕方を総称したものだからです。例えば野球選手の投球フォーム、ハンマー投げ選手の重心移動なども勁の一種です。それが今日の体育的か武術的かの違いに過ぎません。
実際のところ発勁という単語は日本特有のもので、中国では単に勁と書きます。
身体操作法です。武術観点から言えばひねらずためず、肉ではなく骨の力を使うことが多いです。この場合骨盤や肩甲骨の回転、地面の衝撃を止めずに流す手法などが取られます。
勁には一番簡単な実感方法があります。ご自身で手を伸ばして、その先端が地平線上に糸でどこまでも引っ張られているとイメージしてください。その後その伸ばした腕が曲げられるか第三者に試させてください。普通に力任せに曲げられないようにこらえたときと違い、糸が伸びるようなイメージで伸ばした腕は曲がりません。このように「勁を働かせる」とは、普段惰性で行っている身体操作を意識の持ちようで別の動きに変えることを意図しています。
身体操作の内部的感覚を錬成するためにやるだけで、その感覚を得やすいからやってるに過ぎません。ちなみにこっちばかり先鋭化されすぎるとMMAでボコボコにされた某気功家みたいな悲惨な勘違いを生むことになります。ちなみにあの気功家、大東流柔術とは全く無関係の大東塾武道という流派を呼称しています。大東流の方もさぞ迷惑だったことでしょう(もっとも、これは擁護ではなく大東流の方々が直ちにMMAで勝負できるという意味ではありません)。
確かに現代的な練習を積んでいない武術家はぶっちゃけ弱いです。最近の事件として中国MMA格闘家が太極拳の指導者を叩きのめしたことは記憶に新しいです。この点は各方面から伝統派も実践式スパーを取り入れるべきだという意見が飛んでいます。一方、伝統派がスパーを入れて競技化すると武術的な技は形骸化して意味を失います。極真空手の型、柔道の寝てからの攻防など、体育化によって失うものもあります。
また、武術家全員が弱いわけではありません。古流空手出身でRIZINのトップファイター堀口恭司選手は、靭帯の怪我に泣かされて朝倉海選手に敗退するまで連戦連勝でした。彼は古流特有のロングレンジからの突きを多用します。また、総合のUFCで活躍する菊野克紀選手は古流空手で、そのパンチであるナイハンチは浸透勁の手法です(システマの打ち方に似ているという指摘もあります)。キックボクシングの大月晴明選手は合気道の歩法をキックの試合に取り入れた結果、ロー必ず当たるようになったと語ります。勘違いしてはならない点として、彼らは脱力した技法を用いるにしても、筋力の鎧はまとっているという点です。打たれてダウンする選手は活躍できません。
また、武術家当人が弱くとも、勁を通す技術体系そのものまで貶められるのは筋が違います。上記選手の方々のように使い方次第です。
別段ブロックは皮膚と内部を巻き藁あるいは鉄砂掌でならした空手家や拳法家が普通に壊せますので、勁とかそういった(働きもありますが)大げさなものではないでしょう。それに、内部に効かせるものが多いと思います。ボクサーなどにも言えますが、効くパンチとパンチングマシーンなどの衝撃測定では結構な落差が出ると言います。力を抜いてインパクトの瞬間だけ握りしめる手法も一種の勁で、この方法と相手の反射、例えばカウンター時に合わせるなどして一挙に意識外から意識を持ってゆきます。
実はここが一番問題です。本格的な勁の多くは極端な脱力によってもたらされるもので、力を込めて威力を加える近現代的な体育の身体作法とは真逆のアプローチを取ります。組み込み難さはかなりのものでしょう。そして、一番の問題は応用が効くまで一定の型内でしか発揮しにくい、という点です。例えばリング際で胴タックルから肘を入れられてのけぞらされた場合、少なくとも地面を利用した勁を使うことはできなくなります。こうした不測の事態を考えていない武術家は不利な状況下での身体操作を理解していないため、上述の太極拳指導者のようにやられてしまいます。もっとも、あの人の場合ただ単にパンチに反応してないだけですが。
あれをそのまま使う人はいません。基本的に力の流れを意識して体の内部を注視しながら感覚を身に着けさせるためのメソッドでしかなく、体操化した太極拳にはそうした体内を注視する意識も欠けています。実践の際にはもっと素早く動きますが、初心者に素早い動きをさせると力んで力を使うため、ゆったりと感覚を身に着けさせるように誘導します。
今の所中国ですら武術がスポーツ化していると言われており、武術的な型を使ったスポーツ化している選手が多いのではと推察しています。渡航しないとわかりませんけど。試合の流れの中で使う分には、散打特有の投げルールポイントを駆使したほうが勝利しやすい、などの理由もある気がします。
肩口から出る力を使い、脱力してインパクト時に握り、ミットやサンドバッグにあたった瞬間にその衝撃だけ伝えて手を引く、いわゆるジャブは肩口からの勁です。また、コークスクリュー・ブローは纏絲勁を前腕、リスト部分に用いた限定的な用法です。
限定された動きのみならず、すべて格闘技と異種格闘戦を行って武術的アプローチで対策を練る、現代的に見ると変な武術家が現れない限り、実力があるとは認められないのも事実かと思います。そんな申し出は社会的にも失礼な話ですからね。打撃に混ざって練習生を崩して投げるやつがいたら練習生の邪魔になります。
また、多く武術は投げ以降が簡単な関節技しかないため、寝技のあるMMAとスパーしても今度はMMA側が楽勝すぎて練習にならないでしょう。故、塩田剛三先生クラスでなければ寝た瞬間に力んでしまい、固められておしまいかと思います。この辺は型として、それも打ち込みで反復練習できる実践的な型として勁をどう使うか、という研究が足りない気がします。
id:sangping よく分からんが、勁が「力の作用の仕方を総称したもの」なら、昔ながらの抽象的な表現をそのまま用いず、物理数式に置き換えて実証すればいいんじゃないの? 現代なら計算によるシミュレートも可能だろうし。
宮崎駿はもののけ姫の取材のさい、武術家(甲野善紀か黒田鉄山だった。多分甲野)の動きを参考にした。
その時監督は先生の動きはコマを飛ばしたみたいでアニメの参考にならない、といったそうだ。
最近格闘系のYouTubeばかり流し見しているが、トップクラスのボクサーやキックの選手の動画はなにをやってるのかわからない瞬間がある。単純に技術が細かすぎてよくわからない面と、単純にスピードが早すぎてよくわからない面と二種類ある。特に軽量級の選手は巧くて速くて細かいので余計にわかりにくい。動きも最短距離をイメージして動いてるので、中間の動作や打ち初めの溜めがない。溜めがないのでワンツーも寸断なく出てくるし、囮を打って誘い、カウンターを成功させた際もあまり上手に理解できない(格闘経験レベルの差が眼の差になって出てくる)。
アニメの場合全く逆だ。大げさな溜め、見せ絵になる中間の振りかぶり(トリガーやボンズ作品に多い)、ヒットしたときに拳をすっと戻さずに撃ち抜くなど、まるで格闘的ではない。上体や下半身の動きも大げさで、その代わり人間の関節稼働限界を超えた動きを何分も行う。むしろそっちのほうがアスリートとして驚異的な気がしなくもない。スウェーから背筋だけを利用してウィービングを何回繰り返しても、アニメならちょうどよい表現になる。しかし格闘家なら奇妙な体幹の持ち主だ。
アニメ的な動きはこのように大げさかつ隙だらけで、それなのにフィジカル能力の高さだけででかわしたり打ったりする。おかげでアニメ格闘のラリーはかなり長い時間無駄な体力を消耗しながら進む。溜めの多いテレフォンパンチを大仰なモーションと尋常ならざる速度でかわし続けるのだ。地面をける時も大げさなので、本当なら移動する場所が丸わかりである。
攪乱作戦などを用いたアニメの動きも演出上もたつく。撹乱された相手は大仰にたじろいでしまう。本来一流の戦士ならば撹乱された場所からすぐに移動して視界を確保するものだ。しかしアニメの一流の敵はなぜか味方の攻撃に思うままに翻弄される。その間の秒数も演出なのでとても長い。
要するに日本の様式美は今もって歌舞伎的で、おそらく殺陣のリアリティや美しさよりも伝わりやすさを重視するのではないかと思う。とは言え、リアルさを匂わせるものもある。ナウシカのユパの動きはまるで武術的で、あのナイフのパリィは若干の参考資料が入っていることを匂わせる。中国拳法の推手から入る攻防、特に詠春拳や截拳道の攻防に近い。飛び込んで入る演出も多分に演出的ではあるが、中心をしっかりガードして体をすぼめて銃弾から身を守っている。そして敵から目をそらしていない。大変合理的だ。そりゃ討ち取って名を挙げられない。
デカダンスは基本対人戦ではなく、対ガドル戦ではある。ただし体の動かし方は上項の指摘に沿っている。溜めの多いモーションと力んだ投球フォームで彼らは針を投げる。本来あの針はダーツのように斜めに構えて持ち、すっと突き出すように投げたほうが刺さりやすい。地上なら投げやりのフォームが参考になるが、空中に浮いているならダーツだ。あとは重力が導いてくれる。持ち手が順手の場合、ボーリーングのスローイングに似た動きをとればきれいな垂直を描いてガドルに刺さる。しかし、デカダンスで力みないフォームでガドルを倒すカブラギやナツメがあってはならない。攻撃に感情が乗らなければ演出にならないからだ。
あの武器はいけない。折ってくれと言ってるようなものだ。巨人の急所を攻撃する目的なら刺す系列の武器が有効だろう。彼らの構造遺体は人体を模倣しているので。筋肉の隙間と骨の継ぎ目、そして巨人の弱点である首を狙えばいい。そう考えると実はハンマー系のほうが無力化に有効な気がしなくもない。そう思えば巨人に鉄球をぶつけるアイディアは遠からずといった感じもある。
格闘技は大好きだった。自信のなかった自分を救ってくれたのは格闘技だった。フルコンタクト系の空手を10数年続けてきた。
結局強くはなれなかったけれど、練習は自分にとっての修行だと考え、真摯に向き合ってきた。
先生に恵まれ、稽古仲間にも恵まれた。とても充実した時間を稽古の中で過ごすことができた。
K-1を見るのも大好きだった。道場では、フランシスコ・フィリヨ選手に稽古をつけてもらったこともある。ニコラス・ペタス選手には何度も手取り足取り教えてもらった。ものすごく楽しかった。武術家で、プロの格闘家でもあった彼らは、自分にとってのヒーローだった。憧れの対象だった。強くなりたくて、彼らの動きを見て、自分なりに研究しもした。結局、強くはなれなかったけれど、かけがえのない貴重な時間を与えてもらえた。
さて、中国武漢発の新型コロナウイルスが世界中に惨禍を撒き散らしている昨今、こういう状況下でK-1という一大イベントが開催された。やってはならないことだった。国に責任を押し付ける人々も多いけれども、それは子供じみた理屈だ。大きなイベントの主催者は、興行が不可能になる事態もあらかじめ想定して、中止のオプションも持っていなければならない。今回のK-1開催は、巨大な感染源を作る恐れが大いにあるなかでの、極めて危険な行為であり、多くの専門家が身を削って対策を練り、実行に移し、大勢の人々が感染を食い止めようと重ねてきた努力を無にするおそれのある非常に危険な行為だった。
主催者は、己の経済的得失と日本人全てが負うことになるリスクを天秤にかけ、己の利得を優先させたのだ。
K-1に出場した選手たちのなかには、誰がなんと言おうと格闘技は素晴らしいんだとか、こういう時期だけれども格闘技でパワーを得て帰ってほしいなどと、アドレナリンが頭に満ちたような言葉を発して盛り上がっていたようだが、端から見ていてばかにしか見えなかった。
彼らのように強くなりたいと思って努力を重ねてきた自分なのだが、なんだか冷めた。
落ち着いて考えれば、しようがないのかなとも思う。格闘技しかやってこなかったような人たちなのだ。極端に視野が狭い。特定の分野だけに限定した思考を重ねて来た、一種の天才たちなのだろう。視野の狭い思考しかできないというか、あえてそうなるように努めてきた人たちなのだろう。一般的な想像力に欠ける。そうでなければ、他人の頭部を思い切り繰り返し打撃するなど、できたものではない。
殴り合いや蹴り合いに強くなるよりも、もっと大切なことがあるのだ、ということを今回のコロナウィルス禍は私に見せつけてくれた。

タヌキチは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王、カポエイライオンオーを除かなければならぬと決意した。
タヌキチは駆け出した。
必ず、かの酒池肉林の王宮ピィアールへと向かわねばならぬと決心した。
タヌキチには道順がわからぬ。
けれども、タヌキチが道を尋ねた人々は、人一倍に親切であった。
タヌキチは苦悩した。
必ず、かの悪逆無道の王を倒すと決意したのに。
けれども、タヌキチは、強くなることには、人一倍に貪欲であった。
タヌキチは奔走した。
必ず、かの深山幽谷に住む伝説の武術家に教えを請わねばならぬと思案した。
タヌキチは、その武術家、サイキックマスターの居場所もわからぬ。
タヌキチは修行した。
必ず、艱難辛苦を耐えて強くならねばならぬと我慢した。
タヌキチの全身は、タヌキ血に塗れ、もはや時間の感覚もわからぬ。
けれども、師匠の指導に対しては、人一倍に努力したのであった。
タヌキチは疾走した。
まずは残忍酷薄の部下を倒さねばならぬと疾駆した。
強くなったタヌキチには、メスイタチの門番をはじめ、部下は誰もかなわぬ。
けれども、王は、人一倍に強いと言われていた。
タヌキチは対峙した。
タヌキチは、修行の際、何度サイキックマスターに蹴られたかわからぬ。
王が蹴れども蹴れども、その攻撃は、人一倍に敏捷なタヌキチには当たらなかった。
タヌキチは退治した。
王は二度と民衆を虐げられぬ。
けれども、人一倍に繊細なタヌキチの心中には、一抹の不安が残った。
タヌキチは失踪した。
以暴易暴のタヌキチが、過度に賞賛されてはならぬと熟慮したのだ。
けれども、その姿と蹴りの力強さ、美しさは、人一倍に記憶に残った。
人々は、名も知らぬ英雄をこう呼んだ。
中国拳法の達人が総合格闘技に20秒で負けたって記事がホットエントリにきてるけど、昔の知り合いにもあやしい古流武術にはまってる人がいた。
「一般には出回ってないビデオ」で、その武術の映像を見せてもらったけど、めちゃくちゃ怪しかった。
たとえば腕の関節をねじって相手を動けなくするみたいな感じだったらまだわかるけど、ビデオの達人は、相手にちょっと触ってるだけで相手が固まって動けなくなってるのな。
触るのさえやめて、手を放しても相手は固まったまま動けないの。
知り合いは、これすげーだろって感じで得意満面な感じだけど、俺が「これって暗示にかかってるの?」って質問したら「え?」ってすごい意外な質問をされたような反応。
「手を放しても相手は動けないし。暗示的なもので技にかけてるの?」と聞いたら返答に困ってるようだった。
信用しすぎてまともな判断できないレベルに達してたんだと思う。
「技は誰でもできる。でも危険だから(武術家は)信用できる人間にしか教えないんだ」みたいなことを言ってたけど、超能力者の清田くんが「超能力は誰にでも使える」って生徒を集めてたのと同じだよね。
ビデオを買ったり段位をもらったりするのに、すごい金払ってたんだろうな思うわ。