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2020-03-25

K-1に冷めた

格闘技は大好きだった。自信のなかった自分を救ってくれたのは格闘技だった。フルコンタクト系の空手10数年続けてきた。

結局強くはなれなかったけれど、練習自分にとっての修行だと考え、真摯に向き合ってきた。

先生に恵まれ稽古仲間にも恵まれた。とても充実した時間稽古の中で過ごすことができた。

K-1を見るのも大好きだった。道場では、フランシスコ・フィリヨ選手稽古をつけてもらったこともある。ニコラス・ペタス選手には何度も手取り足取り教えてもらった。ものすごく楽しかった。武術家で、プロ格闘家でもあった彼らは、自分にとってのヒーローだった。憧れの対象だった。強くなりたくて、彼らの動きを見て、自分なりに研究しもした。結局、強くはなれなかったけれど、かけがえのない貴重な時間を与えてもらえた。

さて、中国武漢発の新型コロナウイルス世界中惨禍を撒き散らしている昨今、こういう状況下でK-1という一大イベントが開催された。やってはならないことだった。国に責任押し付ける人々も多いけれども、それは子供じみた理屈だ。大きなイベント主催者は、興行不可能になる事態もあらかじめ想定して、中止のオプションも持っていなければならない。今回のK-1開催は、巨大な感染源を作る恐れが大いにあるなかでの、極めて危険行為であり、多くの専門家が身を削って対策を練り、実行に移し、大勢の人々が感染を食い止めようと重ねてきた努力を無にするおそれのある非常に危険行為だった。

主催者は、己の経済的得失と日本人全てが負うことになるリスクを天秤にかけ、己の利得を優先させたのだ。

K-1に出場した選手たちのなかには、誰がなんと言おうと格闘技は素晴らしいんだとか、こういう時期だけれども格闘技でパワーを得て帰ってほしいなどと、アドレナリンが頭に満ちたような言葉を発して盛り上がっていたようだが、端から見ていてばかにしか見えなかった。

彼らのように強くなりたいと思って努力を重ねてきた自分なのだが、なんだか冷めた。

落ち着いて考えれば、しようがないのかなとも思う。格闘技しかやってこなかったような人たちなのだ。極端に視野が狭い。特定の分野だけに限定した思考を重ねて来た、一種天才たちなのだろう。視野の狭い思考しかできないというか、あえてそうなるように努めてきた人たちなのだろう。一般的想像力に欠ける。そうでなければ、他人の頭部を思い切り繰り返し打撃するなど、できたものではない。

殴り合いや蹴り合いに強くなるよりも、もっと大切なことがあるのだ、ということを今回のコロナウィルス禍は私に見せつけてくれた。



 
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