2020-12-02

住みやす世界どこ

これはとある界隈にいる弱小おたく妄言だということを大前提として読んでください

私は8歳の頃からニコニコ動画漁りに勤しんでいた所謂マセガキ

8歳でニコニコ動画出会い9歳で実況者というもの出会った

はいない私の父はニコ厨で、3人いる姉妹のうち真ん中の私にだけニコニコ動画を見せてくれた

今思えば彼らと出会えたのもあの父のおかげだった

当時はとても楽しかったし彼らも面白かった

ROM専ではあったがリスナーも優しくて所謂虚言おたくもいなければ身内ネタ勝手に盛り上がる痛いおたくもいなかった

当時年齢制限のせいでTwitterアカウントも作れなかったが生放送コメントを拾ってもらい楽しむ日々

それだけで私は満足出来ていた

この暖かく優しい彼らとリスナーがこのチャンネルの枠内だけで楽しむだけで満足出来ていた

だがそれはそう長くは続かない

彼らの面白さに気づく人は多かった

彼らはリアルイベントに飛び出し人気を博し、新しい形でどんどん飛躍していった

最初はとても嬉しかった

彼らの動画が今までにない驚きの速さで伸びていくのを見るのが好きだったし

彼らの喜んでいる声を聞くのも好きだった

しかし母数が増えるとそれに伴って害悪ファンも増える

私は悲しかった

彼らが作った楽しい空間

腐女子によってあっという間に穢れた空間にされることが

彼らとリスナーの純な関係

虚言吐きのガチ恋女によって踏みにじられることが

私は悲しくて悲しくて仕方なかった

13になってTwitterアカウントを作った

彼らをフォローすると彼らの中の何人かは私のことを覚えてくれていたのか直ぐにフォローを返してくれた

本当に本当に嬉しかった

初めてのTwitterで何を送ればいいかからリプライはしなかったが自分の呟いた何気ない言葉に彼らからお気に入りが来るのは嬉しかった

でも数ヶ月後に地獄が訪れた

私は鍵垢で、フォロワーは彼らしかいなかった

それはリスナーはやはり当時はスマホの普及もなあなあだったせいか年代の人がおらず中々他の人と話す勇気が出なかったのが原因だ

彼らのフォロー欄にいる

フォロワーが彼らしかいない

鍵垢

これらから何を連想したのかは知らないし

どこかの掲示板に晒されたのかも分からない

私は当時Twitter機能に疎くDMの閉じ方がわからなかった

毎日届く『死ね』『垢消せ』『彼らの連絡先を教えろ』のDM

頭がおかしくなりそうだった

そんなものを送ってきたリスナーアカウントを覗けば平然と彼らに媚び売りのリプライを送っている

怖かった

13歳の1リスナーに過ぎない私にそんな悪意まみれのDMを送れる大人が怖かった

私はアカウントを消した

元のニコニコ動画を見るだけの私に戻った

Twitterアカウントは作り直した

だけど彼らをフォローすることはしなかった

彼らが私を忘れるようにコテハンでのコメントもしなくなった

コメントしなくなれば1リスナーことなんて直ぐに忘れてくれるだろうと

案の定その1年後新しいアカウントで彼らをフォローしたときにはフォローが帰ってこなかった

安心した

だけど虚しかった

彼らと築いたものが壊された気がした

私はリスナーを許しはしない

彼らを神格化する盲目リスナー

彼らに好かれたいがあまり過激発言をするリスナー

彼らに身内ノリでリプライを送るリスナー

さな

また、そんなリスナーに合わせてスタイルを変えた彼らも私は許さな

私は彼らには彼らのやりたいことだけをしていて欲しかった

彼らはリスナーに負けた

そんな弱い彼らを私は許さな

そして私は弱い彼らがまた光を取り戻してくれると信じている自分も許さな

  • 知らんけどニコ動でコテハン付けてコメントする奴は死んで欲しいって思ってた

    • 私の追っかけてた方々はどっちかというと生放送ではコテハンして欲しい、との事だったのでしてました…今はYouTubeに移行しちゃったのでコテハンもなんもないんですけどね

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