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2017-02-05

生活より医師保護して

夜間外来担当している医師です。

僕の行ってる病院では

生活保護受給者の人の診療は後回しにしてます

最近それがバレて猛抗議を受けたけど

なんで抗議されなくてはいけないの?

みなさん週末の夜間外来に来る患者ってどんな人か知ってますか?

本当にしょーもないケガ、泥酔風邪、歯が痛いetc

こういう症状で受診する人のほとんどが生活保護受給者

そして日本人もいますが、日本人ではない人。

保険証じゃなくて変な手帳カード的なのを平然と出してくる。

そして、会計なんて払わなくてもいいだろと当然のように帰る。

生活保護の人って病院行く前に事前に役所に届けたりが必要なはず。

にも拘わらず、いきなり来て薬を出せとゴネて金もわず帰る。

こんな人の対応している間に本当に緊急の人は後回しにされ

すぐにでも診ないといけない若者妊婦、小児は待合室で放置

さらには医師看護師暴力を振るってくる人も。

こんな人間保護している場合じゃないだろ行政

税金をちゃんと納めているみなさん、

もう言いますが、兵庫県尼崎市民のみなさん。

いいんですか?みんなが一生懸命働いて収めた税金

こんな人たちの生活保護するために使われていますよ。

尼崎市役所の態度の悪い職員のみなさん、

生活保護を受けているみなさん、

あなたたちは真面目な市民税金

人の金で生かされてる事をよく自覚してください。

2017-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20170203210126

家族迷惑を考えるとDVと同じで警察が介入できるような法改正必要問題に思える。本人をだまさず、公にせず、しか強制的に一度は受診させる権力の介入が必要ではないかと思った。

増田心の問題は、これを読んだ限りは自信のなさ、自己肯定感の低さに問題があるように思えた。本人も書いている通り。

一般の人も理由があって自信を持っているわけではない。鬱傾向や自閉症スペクトラムなどで同じように自己肯定感の低い人はいっぱいいるので、自覚して(必要あれば人を頼り)対処されるのがいいと思う。

ああ重複トラックバック消したい。(本人の追記よりも上のツリー自分の返信が表示されちゃってると、勘違いして削除を繰り返した)

2017-02-03

統合失調症の母をついに入院させた話

先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。

発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。

ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。

そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族同意により強制的入院を行った。

「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、

自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。

母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。

興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。

日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、

時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。

母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。

父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、

「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。

たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。

夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、

母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。

そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃

別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、

「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。

しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、

母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。

専業主婦だった母は別居後、販売員仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。

そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。

余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。

ある日、私の学校開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?

という話になり、離婚調停最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。

再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め

自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。

中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に

なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。

対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。

私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。

しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。

母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。

仕事上での人間関係トラブルの話は祖母しょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。

その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、

次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。

しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、

しばらくは家族親族の誰もが病気可能であることを疑う事はなかった。

就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、

近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからいか一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが

自分性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家生活費を払う事をしなくなった。

近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。

母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。

しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり

まり会話をすることもなかった。

しかし、あれは確実に症状が進行し言動おかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。

私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、

落ち着いて説得することができず感情的しか対応できなかった。

その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。

弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。

おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障体育大学中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、

アルバイトをしながら、母の生活費もまかなっていた。

兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。

そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、

弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。

彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。

その頃私は都内仕事好調彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。

その後も自営業再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると

上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。

幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由さらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。

しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。

この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。

何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。

普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。

しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、

支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人しかなかった。

徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。

ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は

しょっちゅうだった様だ。たぶん地域警察官の中でもやっかい有名人であったと思う。

その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。

仕事はい私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。

ラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。

母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。

彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。

そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。

これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、

本人に自分病気だという意識病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。

そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」

という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。

入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。

私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活可能しかし治療を拒む状態だと、

いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間お金が無いとどうにもならない状態だった。

そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。

いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。

また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。

そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。

はらはらしながらの受診だったが、精神科医統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。

母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、

回復はほとんど見込めない旨。どこも満床ベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。

入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。

今ならわかるが、この医師からケースワーカー存在を紹介されることもなく、国立や県立病院可能性を教えてもらう事もなかった。

自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。

それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。

薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。

僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。

飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、

毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。

同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。

取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費対象であること。

医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担対象者であること。

そして手続きが煩雑という事を事前情報として聞いていたこと。

これらの判断から通院ができない母には不要であった。

今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。

という免罪符程度のものしか無い。という結論になった。

また、通院と同時に市役所への相談介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、

ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。

まず、加齢により体の不調があることも理由介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患介護認定の判定要素に

大きく加味されることが無く、介護度2となった。

ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。

母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。

そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。

そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、

実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)

そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。

結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。

そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。

過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、

今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。

どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女人生で登場した嫌な奴をののしったり、

幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。

以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察通報したり、私たちに電話をし、

一方的にしゃべり続けたりする大事必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。

近隣のトラブルはついにアパート不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパート契約更新一方的拒否され、退去を迫られた。

ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を

入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。

要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。

親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。

さら警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。

これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである

しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。

トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ

この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間

長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、

家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。

長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。

母が病気になってから知り合った人間名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。

この支援センターセンター長さんには感謝しきれない思いだ。

センター長さんの案で母を健康診断に連れ出す事ができた。

そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科受診させることもできた。

しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、

かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、

入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。

でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイ提案してくれた。

何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。

まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。

けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。

怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。

老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。

しかホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。

また、本人の意思尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。

また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。

ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能

正直にいうと少しだけ真剣完全犯罪を考えた事もある。

しか殺人容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。

こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、

母のきょうだいである叔母に当面の入院費を工面してもらった。

その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から

県立の精神病院存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。

アパート引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産アパートの引き渡しを済ませた。

殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。

翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。

事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。

状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。

そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。

電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日入院キャンセルになった関係で、

母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。

正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。

最初に誰かが県立の精神病院存在制度費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、

こんな苦労はしなかった。私自身、最初問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性

間違っている事に気付けなかった、しかし、役所介護福祉医療警察、の現場であった人も親類も、

これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。

正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、

自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。

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あと少しだけ以下に続きます

http://anond.hatelabo.jp/20170203210406

http://anond.hatelabo.jp/20170202210809

増田に補足で経験談を。

自分場合産業医から睡眠外来をいくつか提示してもらったので、診断までかなりスムーズに進んだ。

(「XクリニックのY先生を名指しで受診してみて」なんてかなり具体的な情報)

それと、モディオダールも100mgで効けば金銭ダメージもそこまでじゃないので、栄養剤やカフェイン剤で体を壊す前に受診してみることをおすすめ

2017-02-02

特発性過眠症お仕事の付き合い方

最近特発性過眠症っていう言葉を見かけることが多くなった。

きっと生きづらさを感じてる人が多いと思うし、そういうブログもよく見る。

でも生きづらいばかりじゃしんどいので、こういう風に生活してるよっていうのを書いてみた。

症状や薬の効き方とかは人それぞれだから、こんな人もいるんだな、くらいに思ってもらえれば。

しかしたら自分もそうかも?って思ってる人の参考になれば幸い。

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2/3 補足を追記しました


お仕事

web系メインだけどたまに紙のデザインもしてる、webデザイナー

一日1,2時間残業してるくらいで、わりと定時で帰ってる。

興味のあることは勉強するけど、なかったら全くしない。

から、興味ないジャンル仕事がきてもどうにか興味ある方向へ繋げて考えるようにしてる。

デザインはどんなことにも通じるから、そういう風に考えれるのかもしれない。


特発性過眠症

症状としては、夜寝ても寝ても日中眠くてしんどいお仕事もままならない状態になることが多い。

周りからはサボってると見られがち。

眠さのレベルとしては、起きるために仕事シャーペンで手を刺したり、お葬式とかでも寝ちゃうレベル。かなり堪えるのキツかった。

我慢のきく眠気ではないっていうのが一つの目安かも。

特発性っていうのは、原因不明という意味で、突発性でない。

あと、眠いって言ったら「俺も眠いんだよね〜」っていう普通の眠気と一緒にされるとイラってする。

でもその人がどれだけ眠いかなんて分かんないしね。

大変だねって言われても、私たち普通の人がどんな感じなのか分かんないのと一緒。


病院受診するまで

病院へ行くまでは強強打破とかエスタロンモカコーヒーでしのいでた。

でも事務仕事とか単純作業は速攻眠くなってダメ

一回、強強打破エスタロンモカの錠剤、コーヒーを飲んでたら急な吐き気と動悸、めまいに襲われて「やばい」って感じたのでやめた。

カフェインとりすぎには気をつけて。

そして、6年前くらいに特発性過眠症の診断がおりた。

ショックよりも「そういう症状だったんだなぁ、じゃあ眠いの仕方ないよね」と、眠気に対してしょうがないと思えるようになったら、ちょっと気持ちが楽に。

なんで眠いんだ、自分ダメなやつだっていう謎の罪悪感から、こういう病気なんだな、なるほど。って感じで逃れることができた。


診断が下りるまで

特発性過眠症という診察をもらうには、病院での診察と、検査入院必要

病院心療内科睡眠について相談して、大きな病院への紹介状を書いてもらう。

それから検査入院の予約をして、反復睡眠潜時検査っていうのを1日半かけて受ける。

検査の間の待ち時間は寝ちゃダメから(2時間程度×4回くらい)、なにか暇つぶしを持っていくと良い。

私は病院散歩スマホゲームしてた。

検査入院は個室だったから、30,000円くらいかかった記憶

これは病院によってまちまちかも。

人によっては特発性過眠症じゃなくてナルコレプシーという診断が下り場合もある。

違いは眠気を予測できるか、できないか

特発性過眠症場合は「あ、眠いな」っていう自覚症状がある。抗えないけど。

あ、そうそう反復睡眠潜時検査の時はこめかみあたりにジェルみたいなのを塗られる。

そのままにしておくと、とっても気持ち悪い。

髪が長いと洗い流すの大変だから、そのまま帰ることになるので帽子かなにか持って行くことをお勧めする。


検査入院後、モディオダールを処方してもらうようになる

病院受診して、モディオダールを飲むようになり、一日最大量の3錠300mg飲むように。

朝2錠、昼1錠で少し残業しても大丈夫になるように飲む時間を調節して、普通に働けるようになった。

たまにそれでも眠気がくることがあって、主治医確認して400mg飲むことも。

相性が良かったのか副作用は全くなくて、眠気全然来ないし、会議中起きていられるし、仕事もできて嬉しかった。

副作用は感じなかったけど、たまに飲むのをミスって口の中で少し薬が溶けてしまい、あまりの不味さに吐きそうになったことが多々。

ただ一番ダメージきたのが、お財布。高いのだ、モディオダールは。

診察は2週間に1回、2〜3000円くらいで、通ってる病院は2週に1回通わないといけない。

病院によっては1ヶ月1回で良いところもあるみたい。

モディオダール保険が効いて1錠が約120円、それを1日3錠飲むから360円、一ヶ月だいたい15,000円くらい診察とモディオダールで飛んでいく。

処方してもらってる時は働いてたから良いけど、この金額ちょっと痛かった。

でも、お金かかるかわりに仕事中サボってると思われるかもとか、また寝てしまったとか、そういうストレスがなくなったのはすごく大きい。

眠いことへの罪悪感がなくなるだけでもかなり視界開けた気持ちになれるって知った。

今は薬を飲んで、他の人と同じように仕事ができてる。

ただ、朝起きれないのは変わらない。

から職場は出社時間が遅い、有給時間単位で使えたりわりと融通がきくところを選んだ。

給料はそんなに高くないけど、時間に融通がきくと「遅刻した!」とかがないので、ストレスが減る。

無理のきかない身体なので、それに合った働き方を選ぶようになった。

業種によってはそんなに融通きかないよ!っていうところもあると思うけど、できるだけストレスから逃げる方向でやっていくと精神的にも楽だよ。


病院について

特発性過眠症ってあまり知らない先生もいるし、そういう患者が来たことないっていう病院もある。

私が行ったところも、特発性過眠症を診たことがない先生で薬辞典とか症状とか色々調べなから診察したり処方してくれてたので、モディオダールに行きつくまでけっこう長かった。

多分診察受け始めて1年くらい経って、やっと処方してもらえるようになった。

から病院を探す時はそういう診察もしてるか確認してから行くと良い。

これは申請できる人とできない人がいるけど、少し医療費が安くなる自立支援医療っていうのもあるよ。

先生が「精神科医療を長期継続する必要がある」と認めたら申請書を書いてもらえる。

自立支援医療申請できると、自己負担が1割になるから高価な薬の場合はすごくありがたい。

自分場合特発性過眠症と併発してる他の症状もあって、それで自立支援医療を受けてる。

特発性過眠症だけだとダメみたいなんだけど、他にも併発してる場合対象になることもあるので、先生に聞いてみると良い。


おわりに

長くだらだら書いちゃったけど、モディオダール飲むことで生活安定したよっていう一つの例として読んでもらえれば。

もちろん効く人、効かない人、それぞれだと思う。

でも眠たすぎて仕事できない、生活できない、っていう悲観的なことばかりだとしんどくなるので。

薬を飲むっていう対症療法に過ぎないけど、どうにかなる場合もあるので、眠すぎてしんどい仕事にならなくてつらいっていう場合は一度診察受けてみることをお勧めします。


補足

確定申告についてコメントがあったので、その補足。

私の場合、1年間の医療費10万以下だったので医療費の控除はしませんでした。

モディオダールを処方してもらって医療費が高額になったのが6月からだったので、12月末の時点でギリギリ10万に達していなくて特に手続きしませんでした。

参考にならずすみません

2017-01-22

父の癇癪

私の父は数年前、アルツハイマー認知症を経て肺炎で亡くなった。

父は、昔の人によくありがちな典型的癇癪持ちタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。

好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌ビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代記憶に焼きついている。

仕事は、一人親方看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。

私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズニューミュージックなどのレコード豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。

ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。

そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。

だけど、私を含め子供中高生大学生と成長するにつれ自分たちプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。

父は母なしでは生活できない人だった。

夜遅く帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。

どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである

それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態回復の方向に向かったけども、当時は精神科受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。

その後、子供社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。

そして、父は念願だった美術勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。

だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。

徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。

一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。

ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつのからか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。

そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。

それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。

「こらっ!そこどけ!」

和室が一瞬にして静まり返り緊張が走った。

多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。

母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。

それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。

昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。

「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」

父が死んでも涙一つ流さなかった私だったが、何故か涙が溢れて止まらなくなった。

2017-01-20

https://twitter.com/cat_kiyo/status/821920960798302208

本来医師喧嘩を売る、罵倒するのは失礼な行為です。

医療従事者に対して敵対行為嫌がらせと同じです。

誤ってした方はいいですが、意図的にした方に関しては二度と受診しないようにお願いします。

同じ人間なら最低限モラル守ろう。

こうですか?

2017-01-13

達ちゃんは語りたい

ちょうどアニメ放送と被るので若干語ってみますね。

はいってもぼくの場合は軽度であることと、ここ数年ちゃんとした受診をしておらず不正確な部分が多いです。

なにより自己診断の面が強いので話半分でお願いしたいです。ほんと半端者です。

からしましょう。とりあえず職場の話からです。

自分心療内科受診したきっかけは職場でのトラブルでした。よくあることです。

当時20代半ば、事務系と土方が半々の職場でした。特に事務系でそのトラブル遺憾なく発揮しました。簡単にいうとこんな感じです。

事務殆ど書類作りと整理、パソコン分手書き半分という感じです。量はあります新人研修の延長を超えません。この仕事を2年ほどしていましたが、ほぼ毎月同じようなことで怒られてばかりです。

例えばある1ヶ月の内容は「別の部署から仕様書を貰う->物品をパソコン入力->契約->受領->請求書を貰う->書類一式揃えて支払いに回す」とこれだけです。仕様書が遅いとかは特になく、むしろとても早く持ってきてくれます田舎なので契約もいつもの業者ばかりでとても楽ちん。そこそこの人がやれば月の半分は遊んでいられるような、そんな仕事です。

でも僕は、これが全然できませんでした。書類様式を覚えるのも何ヶ月かかったか。常に上長監視し、先輩からアドバイスを貰い、業者も他部署も全て好意的でした。それなのに9割がた僕のところで何もかも止まっていました。点検が終わっていない書類デスクは常に満杯。最後は僕の印鑑すら取り上げられた始末です。

僕を庇ってくれる人もたくさんいました。でも僕の仕事ぶりはその好意を軽く踏みにじります笑顔で泥を投げつけてました。

毎月同じような書類の不備と怒轟の嵐。

僕の安らぎは、たまにある社外での泊まり込みの施設整備でした。その時は何もかも天国だったのです。

もうわかると思いますが、僕は自分のことを客観的に見るのが苦手です。知らないことを知られたくないがために質問もあまりしなかったと思います。そのくせ自分勝手解釈で行動するので優先順位は全てデタラメコンプライアンスに触れるようなことを堂々としようとしたのは2・3度ではなかったはずです。僕は僕を理解せず、周りも人の形をした汚泥をみる表情に変わりました。

当然こんな状況で仕事が長く続くはずがありません。

とうとう本部の人から社内のカウンセリングを勧められ、そこから外部の病院への通院となりました。

僕の幸運は、会社業務比較的緩いことと、そのような精神面での問題に寛容な風潮があったこと、そして通院したのがそこそこマトモな部類に入る(と通院仲間から言われた)ことでした。たまたま駅の看板を頼っただけなんですが。

病院のことを話します。

そこはいわゆる心療内科であり、鬱や僕のような人間のためのリハビリを行う施設も併設しているやや先進的な場所でした。

初期に2時間弱のテストを受け、僕に発達障害の傾向があると言われました。残念ながら口頭説明だったので詳しい結果については明確に覚えていません。

そこから色々あり退職準備と併行して自立支援プログラムを受けることとなりました。入院ではなく平日はそこに通院して一日を過ごすのです。治療ですが内容は極めて簡単ものが多く、知らない人が見ると幼稚園老人ホームのような印象を持つかもしれません。

僕はそこでもポンコツでした。なんでも話せますしどんな個性も許される場ではありますが、僕はとにかく無知独りよがりで幼稚でした。職場環境のせいではないことをこんな形で理解するとか、今思い出してもきつい。

自分のことをちょっとします。

僕は心療内科広汎性発達障害と診断され投薬治療も受けました。でも効果があったのかはいまでも疑問です。そもそも心理テストの結果も一般人寄りだったはずですし、退職後にその病院から遠く離れてしまったので今となってはどうなのかよくわかりません。転院先は面倒であまり好印象でなく辞めてしまいました。

僕が他と違っていると感じたのは小学生くらいからです。当時から随分と幼稚な行動が目立つ子供でした。テストの成績が悪いわけではありませんし素行が悪いのではなく、しかし振り返ると妙に浮いていました。

「ふわっと」した感覚が今でも続いています。たぶん精神年齢実年からマイナス10歳くらいかと思います

この歳になっても生きづらさは続きます。とにかく物をなくしがちなのです。子供の頃からこの現象を「妖精仕業」と考えるほどに日常化しています

物をなくすというと勝手に捨ててしまう印象かもしれませんが、違います表現が難しいですが思考身体がずれるのです。無意識下でものを移動しているので、過程がまるで見えないこともしばしばです。自転車ライトを靴の中に入れていたり、手袋を片方だけコートポケットに入れて放置したり。必要ものを手に持っていたのに、玄関先でそれを持っていないことに気づいて部屋とを何往復もします。

誰にでもあることかもしれませんが、僕の場合はそれがほぼ毎日起こります。だから僕の周りにはものが溢れます

必要ないものでも捨てられません。常に目に見えないと危険です。机の中にしまったら次にいつ取り出すか不明なまま時が過ぎていきますしか整理整頓もできないので部屋には書類や本が地層となります

から僕はペンメモ帳を手に持ってどこかに置こうとした場合、できるだけ指差し確認をするようにして脳に刷り込みます

僕にとってペンメモ帳大事ものです。日々の出来事を書くのさえ億劫ですが、これがないと自分の最低限のことさえ空虚に感じます。役に立っているというより精神安定剤です。

心の支えは、同じゲーム仲間だったりこんな風に拙い文章を書くことくらいです。それもだいぶつらいですが。

今度再就職しますが、決して良い結果にはならないと思っています。僕は、僕の中の子供をどうしても躾けられないのです。また同じ失敗をするのかと憂鬱です。

僕は普通の人のように振る舞えない、けれど亜人にもなれない。半端者です。

よく発達した発達障害の人がとてもまぶしい。

2017-01-12

うつ病「非」経験者がうつ病研究をしている話

いろいろな巡り合わせで,3年ほど前から研究分担者としてうつ病研究に関わっていた。

うつ病研究といっても,実際に患者を扱うのではなく,健常者に質問紙をとって,客観的に観察される行動との相関をみたりする理論である

自分は,研究代表者から,「研究分担者」兼「SE」兼「プログラマー」的な役割を求められていた。具体的には,参加者の行動を記録するためのシステム開発をやってくれという話だった。

要は,本当はシステム開発外注したいけど,予算がないし,研究に馴染みのない人に依頼するのはやり取りが大変だからシステム系に詳しいあんたがそこら辺まとめてやってくれ,ということだ。

見返りは,成果を論文にするときには,第二著者には入れてあげるよ(論文にはならないかもしれないけど)といった感じで,金銭的な報酬はなし。

ちなみに,ガチ外注すると,500万は下らない規模のシステムを求められていた。

割りに合わないなあとは感じていたけれど,そのシステムが完成した暁には,自分研究にも一部のソースを使いまわせそうだったし,必要とされるのは嬉しかったので,引き受けてしまった。

概ね3年計画研究スケジュール等を話し合って,1年目は順調に進んでいたのだが,2年目の中頃から,別の仕事きっかけで,どうしても気持ちが落ち込んで外に出られなくなった。

その時期,一体毎日何をして過ごしていたのかの記憶が,今となってはほとんど思い出せないのだが,とにかく指定された計画に間に合わせて,システムを完成させられなくなってしまった。

それで,ひたすら平謝りをして,何度か予定を伸ばしてもらったのだが,この間の研究代表者言葉が,ずっと気になっている。

具体的にはそれは,以下のような内容である

うつ症状を言い訳にするのなら,精神科に行って診断書を出してもらえ

診断書がないのなら,うつ症状を言い訳にはできず,納期が遅れるのはあなたの怠慢である

あなたを信用できない

・私は,ボランティアでこの研究をやっているのではない

・これ以上先延ばしが続くのなら,今回の研究計画は無期限で中止にする

私が一番ショックを受けたのは,いわゆるうつ症状と思われる状態に陥っていることを,いくら説明しても理解しようとしてもらえず,

診断書がないのであれば,それはあなたの怠慢であると言われたことである

理論系とはいえ,うつ病研究者なので,この辺りはきちんと症状を説明すれば,理解してもらえると思っていた。

でも,いくら説明しても,うつ病可能性は否定できないが,診断書がないのであればうつ症状を理由仕事先延ばしするな,

期日に間に合わないのは,うつ病ではなく,あなたの怠慢である判断せざるを得ないと,繰り返し言われた。

当時私は,研究員の身で,どこかに勤めているわけではなかったし,経済的に余裕もなかったので,高い受診料を払って精神科に行く気にはなれなかったし,

とにかく時間をとって静養するしかないと感じていたので(というよりもほとんど何も思考できなくなっていたように思う),

結局,精神科には一度も行っていない。

でも,今まで生きてきた中で一度も経験したことのないような,思考感情ゼロに近いショック状態に陥ってしまっていて,これがいわゆるうつ症状なのかもしれないとは感じていた。

そのような状態で,なんとか連絡をして,診断書が出せないのなら,あんたの怠慢だといわれたのは悲しかった。

正確には,そのときにはほとんど何も感じなかったが,今少し症状が回復してきて,徐々に悲しかったという感情が,出てきている。

診断書がないのなら怠慢だ」というような人が,果たしてうつ症状に関する研究を正しくできるのか,と疑問に感じはじめている。

臨床系ではないので,安易うつ病診断をしないという点では正しい判断かもしれないが,「診断書がない=怠慢」といった白か黒かという判断は適切とは言い難いし,

何より「うつ病である可能性は否定できない」というのであれば,もう少し,理解を示すような慎重な表現で応対してほしかった。

正直,なんで,どういうモチベーションで,この人はうつ病研究をしているのかと思った。

4番めと5番めに関しては,何を言っているのか未だによくわからない。

ボランティアで協力していたのはどう考えてもこちらの方だし,無期限で計画を中止にされたところで,私は何にも困らないので,何の脅しにもなっていない。

計画通りに行かないことがわかって,機嫌が悪くなっているのだと思うし,それは申し訳ないと感じる。

でも一方で,この人には,うつ病を論じてほしくないという感情が,日々高まってきている。

なお,特に深い意味はないが,私は男性で,その人は女性である

2017-01-06

鬱病じゃなかったらどうしよう

最近、夜になかなか眠れなくなり、寝ると10時間くらい寝るまで起きられない。

また、何もしたくなくて

ただひたすら毎日はてなTwitter2chを眺めている、生産性のない日々を送っている。

仕事中にもたまに眠くなって、お腹も痛くなる。

こうなったのは少し前から

職場ではお姉さまたから陰口を言われ、

非正規なのに正社員並の仕事量を押し付けられている。

家では両親の仲が非常に悪く、父が母へ暴言を吐きまくっている。

恋人から結婚は考えてないと言われたうえ、

最近セッ○スを断られたりして、

貯金がしたいと言うと「デート代がかかりすぎる」(割り勘なのに…)と言われ

その5分後には通いたくもない習い事を強く勧められる始末。

痩せないといけないのにストレスが溜まるとすぐ食べてしまい、ふて寝。

食べるためにお菓子をたくさん買うから貯金もできてない。

非正規雇用で、実家暮らしなのに貯金ないし、未来もない。

仕事彼氏もサヨナラしたいけど、次にいっても私が変わらなければ、二の舞だ。

死にたいけど、電車に飛び込んだりしたくないし、母親を悲しませたくない。

もうどうすればいいの?

と思って、今日勇気を出して心療内科の予約をとった。

明日仕事が終わったら受診する。

もし、鬱病じゃなかったら、どうしよう。

ただの怠惰だったら、どうしよう。

私はただの最低人間だ。

2017-01-03

お店で猫を買う前に見て欲しいこと

猫の一生を100%とすると、子猫の期間はそのうちわずか5%にも満たないということ。

耳が折れた、足が短いなど、見た目が特異な猫には起きやすい疾患もあるということ。

ペット保険未加入の場合動物病院での診療は全額負担のため高額になるということ。

(例:急病で夜間病院受診し、4,5万)

粗相が治らない猫、躾をしても覚えられない猫もいるということ。

適切な時期に避妊去勢手術を受けないと、特定病気を患いやすくなること。

旅行の際には留守番係を設けるか、ペットシッター必要になること。

早く親から離された子猫は、不安ストレスから将来問題行動を起こす可能性もあること。

年を取った時、通院や介護必要になる猫もいること。

ブームで、いろいろな可愛い猫がマスコミで取り上げられています

ペットショップにいる子猫可愛いです。

わず連れて帰りたくなる気持ちもよく分かります

でも彼らは生き物。人間と同じ命です。

可愛いからといって安易気持ちで飼い始めると、後から色んなことに気づくと思います

どうか、人間家族が1人増えるのと同じくらい、家族が増えることを真面目に考えてください。

見た目の可愛さだけで買うことや、アクセサリー感覚で買うことは、どうかやめてください。

今でも多くの犬や猫が、飼い主の手によって保健所に持ち込まれている現実があります

そこに待っているの多くの結末は「死」です。

真面目な飼い主さんが増えることは、不幸な犬猫を減らすための大切な一歩です。

たくさんの人が正しい知識を持って、どうか1匹でも多くの猫が幸せな一生を送れますように。

2016-12-26

女性としての機能がなくなった三十路に生きる価値はない

生理が来なくなっておそらく5ヶ月。

今年で30歳。

彼氏はいない。

二年前くらいから、家の事情ストレス過多に陥いり生理が来にくくなった。

はいえ二、三ヶ月に一度は来ていたため、病院に行く元気もやる気も起きず、ずっと放置していた。

しかし徐々に生理の来ない間隔が長くなり、ついに今年の下半期は生理が来ないまま終わりを迎えそうだ。

これは、閉経したのではないだろうか。

来月は流石に病院に行こうと思っているが、もう手遅れなのではないか

私、もう子供産めないんだろうな。

家族から「将来子供が産まれたら~」という「もしも」の話題が出る年齢になった。

でも、私は、きっと、子供は産めない。

それ以前に、収入も大して無い、子供も産めないような三十代と結婚してくれる男なんているのだろうか?

女として全く価値がないじゃない。

そう考えたら目の前が真っ暗になる。

夢をみた。

夢の中でも私は、そんな自分を責め続けてた。

生きる価値はない、

死ぬしかない、

でも、死ぬ、とか、価値がない、とか、そういう考え方をする時点で私は甘えてて、弱い、愚かな人間なのではないだろうか。

……そうして考えは悪い方へ堂々巡りしてしまう。

婦人科受診しなかった私が全ていけないが、きっともう取り返しもつかない事だろうから、この、何の価値もなくなった人間が、この先どうやって生きていけばいいのかを考えなくては。


学生の頃は、まさか30歳で人生詰むとは思わなかったなあ

2016-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20161222163304

断言する割に?付いてたりよく分からない人だな

事実として予約してすぐ受診できてカウンセラーも付いた医者にかかったことあるから

適当言うのは止めてほしい

迷惑

2016-12-12

病院休日分散によって起こりそうな問題

「なぜ病院は土日診療をしないのか?」医療機関役所銀行とは事情が違う

http://www.goodbyebluethursday.com/entry/hospital

まず「どこの病院を土日営業にするのか」という問題が起こる。皆「私の近くの病院にしてよ」と思うからだ。

そこはまあ国が無理やり割り振れば、と思ったが、現実的には立地住民不公平感を拭いきれず解決できないか多くのしこりを残すことになると思う。

土日開店病院がある町には子育て家庭が引っ越し検討するくらいのメリットがあるだろうし、逆もまたある。

次に、働く側。医師コメディカルは「土日は学会」という理由がわりと大きいかもしれないが、看護師事務員は「友人が休んでる土日に私も休みたい」が大きいのではないか

であれば土日が休日病院に人気が集中しそうである休日出勤があるので今ですら友人と予定が合わないことは多々あり、ぼっち感に苛まれている人は少なくないはず……。

今、周りを見渡すと、町医者は以前より随分診療時間に融通を利かすようになっている。夜9時10時まで診療しているところが増えた。

受診する側としてはとてもありがたいが、煌々と明かりが点いているのを見ると大丈夫か?と心配になる。

閉店が遅い分、開店も遅いならまだいいが10時~13時まで開けて、一度閉め16時~21時というパターンもある。しかし皆も分かるだろうけど、間に休憩挟んだってそれほど休まらないよね、特に精神的に。

歯科医院・整骨院は過当競争第一原因だとは思うけど「土日しか休めない会社員の都合」を汲み取った結果でもある。

便利さを求めると他の誰かに自分が得た便利さ以上の不便さを強いる結果になるのではないだろうか。

そりゃあ病気しんどいのに一つも病院が開いてないってんじゃ困るが、今でも市町村内の病院で持ち回りで休日診療をやっているし、専用の休日診療所がすでにあると思う。救急車を呼ぶような場合では、24時間救急病院を探して送ってくれる。

だって医師とか看護師コメディカル事務員、みんな土日出勤あるし、年間休日数は普通会社員よりずっと少ないと思う。(緊急呼び出しにはさすがに代休がある。がそれすら消費できずに捨ててる人が多い。規定によっては割り増し賃金だけの場合も)

(一方で以前複数あった休日診療所がいつの間にか「2市合同で一つ」になってたり、小児科産婦人科が縮小されてクローズする病院があったり、公立病院の間口が狭くなってる感はある。人と予算が足りないんでしょう。)

それほどの急を要さないのであれば、土日二日なんとか我慢するという方針もありなのではないかアレルギー性鼻炎の苦しみを知らないが、その苦しみを知ってもらう努力病院の代わりに会社に向けるとか。有給・傷病休暇を取ろう。

医師に「なかなか休み取れないんですよ」といえば通常の2週間分でなく1か月分薬を出してもらえることもある。

とまあ、確かに「土日だろうと急病はやってくる」という観点から病院休日分散はできるならやった方が市民健康には良いと思う。

しかし一番の問題「どこの病院にどう休日を割り振るか」が解決しそうにない。

落としどころとしては「急を要する場合休日診療所へ行くか、救急車を呼ぶ」「急を要さないなら土日は我慢都市部なら#7119救急相談センター8000小児救急電話相談」という現状維持が一番ましだと思う。

「みんな平日は会社を休めないんだよ」という根本原因を放置したまま「病院側でなんとかしましょう」という場当たり的な対応で進めると医師看護師職員の成り手がさらに減って悪循環が加速する。


追記。

歯医者が夜中まで頑張るのはコンビニより多い過当競争の中、高額な初期投資複数歯科医を抱えているので(一人の診察に一時間かかることもざらなため)がんばらざるをえないからだよ。

一方で町医者供給が足りない。平日朝から列ができている。開院三十分後に入ったら一時間待ちはざら。土日休んだら捌ききれないからどちらかを開けて、変わりに水曜休む、実際にはその日もバイト先生を雇って開院している所も多い。医師の時給はとても高い。

正直儲けはいらないから休ませてくれと思ってる医院の方が多いと思う。

そんなわけで「医者歯医者を見習え。経営のために土日を開けろ」という意見ちょっと的外れ

公立病院だと現状患者さんが来ればくるほど赤字になってる気がする。だから歯科とか薬局とか外部に出しちゃって診療科は減った。入院と違って外来は儲からいから科によっては週三日に減らされた。経営を考えるならスリムな方がいいからね。

現状の制度では儲けと利便性は相反するんだよ。

はいえ、いっせーのーでで美容室みたいに全部ずらして土日どちらか開けてみるってのはありかもしらんね。代わりに水か木あたりを閉めて。水曜日休みの俺が困るじゃねーか!という意見には「全体の幸福を考えると…」なんていう言葉我慢してもらうことになるけど。

休日輪番制はいまでも救急とかでやってて、今以上に充実させるなら人員確保の目途をまずたてにゃならん。

あと連休がないってのはわりと怖いことでね、もとから連休のうちどちらかはなんやかんやで出勤になることも多くて、一日しか休みがないといつの間にか「あれ?前回休んだのいつだ?なんか12連勤とかになってね?」という事態が起こりやすい。

職員分散ったってちょっと考えてみてよ。

現状月~金を10、土日を2で回しているとしよう。計54だ。

これを職員分散で平均化すると7.7だ。職員数が7.7に減ったら仕事が7.7に減るかといえばそうじゃない。時間当たり仕事量は変わらない。開院してたらしてるだけ患者は来る。

回すためには2.3をあたらに雇わないといけない。そんな予算はないし、来てくれる医師看護師もいない。

経営改革をする必要は多分にあるけど、バイトシフトが埋まらいから院長が出て寝不足で手術頑張るなんて病院嫌でしょ。

病院休日分散によって起こりそうな問題

「なぜ病院は土日診療をしないのか?」医療機関役所銀行とは事情が違う

http://www.goodbyebluethursday.com/entry/hospital

まず「どこの病院を土日営業にするのか」という問題が起こる。皆「私の近くの病院にしてよ」と思うからだ。

そこはまあ国が無理やり割り振れば、と思ったが、現実的には立地住民不公平感を拭えきれず解決できないか多くのしこりを残すことになると思う。

次に、働く側。医師コメディカルは「土日は学会」という理由がわりと大きいかもしれないが、看護師事務員は「友人が休んでる土日に私も休みたい」が大きいのではないか

であれば土日休日病院に人気が集中しそうである。まあ通常休日出勤はあるので今ですら友人と自分だけ予定が合わないことは多々あるけど。

今、周りを見渡すと、町医者は以前より随分診療時間に融通を利かすようになっている。夜9時10時まで診療しているところが増えた。

受診する側としてはとてもありがたい。ただ、いつも自分帰宅する時間になっても煌々と明かりが点いているのを見ると大丈夫か?と心配になる。

閉店が遅い分、開店も遅いならまだいいが10時~13時まで開けて、一度閉め16時~21時というパターンもある。しかし皆も分かるだろうけど、間に休憩挟んだってそれほど休まらないよね、特に精神的に。

歯医者整骨院は過当競争第一原因だとは思うけど「土日しか休めない会社員の都合」を汲み取った結果でもある。

便利さを求めると他の誰かに自分が得た以上の不便さを強いる結果になるのではないだろうか。

そりゃあ病気しんどいのに一つも病院が開いてないってんじゃ困るが、今でも市町村内の病院で持ち回りで休日診療をやっているし、専用の休日診療所がすでにあると思う。救急車を呼ぶような場合では、24時間救急病院を探して送ってくれる。

だって医師とか看護師コメディカル事務員、みんな土日出勤あるし、年間休日数は普通会社員よりずっと少ないと思う。(公休日の緊急呼び出しにはさすがに代休がある。がそれすら消費できずに捨ててる人が多い)

(以前複数あった休日診療所がいつの間にか「2市合同で一つ」になってたり、小児科産婦人科が縮小されてクローズする病院があったり、公立病院の間口が狭くなってる感はある。人と予算が足りないんでしょう。)

それほどの急を要さないのであれば、土日二日なんとか我慢するという方針もありなのではないかアレルギー性鼻炎の苦しみを知らないが、その苦しみを知ってもらう努力病院の代わりに会社に向けるとか。有給を取ろう。

医師に「なかなか休み取れないんですよ」といえば通常の2週間分でなく1か月分薬を出してもらえることもある。

とまあ、幾つかあるけどやっぱり一番の問題は「どこの病院にどう休日を割り振るか」という問題解決しそうにないことだろう。

落としどころとしては「急を要する場合休日診療所へ」「急を要さないなら土日は我慢」という現状維持が一番ましだと思う。

「みんな平日は会社を休めないんだよ」という根本原因を放置したまま「病院側の対応でなんとかしましょう」という場当たり的な対応で進めると医師看護師職員の成り手がさらに減って悪循環が加速する。

2016-11-26

転職したい

今年の春に今職場転職した。今は接客仕事をしている。

前の職場ネット検索したら引っかかるくらいにはブラックだった。

ネット基準ではブラックと言えないかもしれないが、それでも自分には辛かったので転職できてよかった。

新しい職場では上司や先輩が優しくしてくれて楽しい毎日を過ごしていた。

飲み会で羽目を外しても許してくれたし、人生の再スタートにふさわしい会社だと思った。

自体が急変したのは夏。会社パーティーがあった。上司社長が仲良くないことは知っていたが、

社長に会う機会もなかなかないので、社長挨拶に伺ったがそれがまずかったらしい。

酒の席とは言え二次会パワハラを受け、その後社内でもほとんど口を聞いてくれなくなった。

それどころか、上司から仕事を引き継ぐ予定だったとは言え、なんの前触れもなく仕事を割り振られた。

その頃はあまり気にはしていなかったが、今思うとこれがすべての始まりのように思えた。

その翌月、お客さん向けのイベントがあった。うちはフランチャイズの店なので本部から応援もかけつけてくれた。

しかし、私がイベントをうまく進行できず、結果的にお客さんを逃す形になってしまった。

先輩は「今回は客層が悪い」とフォローしてくれたが、上司は「お前の責任だ」とみんなの前で批判した。

すこしムッとはしたが、きっと事実だと思うし、そもそも本部データからも年々お客さんが減少していると言われていた。

しかし、私の支部以外が伸びているとわかると自体が急変。その先輩すら私が悪いと言い出したのだ、

練習不足、企画が悪い、こんなことは初めてだ、など小出しではあるが、罵詈雑言を浴びせられた。

ただ、イベント前に私が先輩に流れを確認した際は問題ないと言ってくれたし、誰も何もおかしいとは言わなかった。

思い返してみれば、イベント直前に先輩が一人抜けて私の仕事量が一気に増えていた。新人の私にそこまでの余裕があったとは今でも思えない。

しかし、その日を境に仲のいい先輩を除いて風当たりが強くなった。

文字が汚い、文章が硬い、変なところにこだわる、などなど目の前で陰口の嵐が毎日のように始まった。

学生時代はいじめを受けていたので陰口は慣れていたのだが、毎日四六時中陰口を叩かれているともはや気が狂いそうになる。

おまけに、仕事のことを質問すると怒り、質問しなくても対処できるレベルの内容なのに「なぜ質問しない」と怒られる始末だ。

そんな日が続いていたので、精神科を予約した。人気らしく一ヶ月かかると言われた。

精神科受診する頃には、食欲は落ち、服は少し大きく感じた。

精神科では病名は確定できないが、おそらく気分障害だろうと言われた。3週間様子を見ようと言われた。

その日は午前中だけ休みを取っていたのだが、病院が予想以上に混み合い、また私自身も体調が悪かったので休みを取った。

お客さんの対応を任せるので申し訳ないと思う反面、誰のせいでこうなったんだという気持ちも少なからずあった。

翌日、私の伝達ミスもあり、お客さんの対応は大変だったらしいがことなきを得たらしい。

迷惑をかけたと謝って回ったが、そもそも新人の私が体調不良を起こした程度で回らなくなる職場なことを誰も疑問に思わないらしい。

転職をしたいとパワハラモラハラをされてから思っていたが、さすがにこの時ばかりはどこかでしてやろうという気持ちになった。

今後のイベントのために準備を怠っていたら、先輩から呼び出しがかかった。イベントの話をするという名目会議室に呼ばれたが、早い話が総括をされた。

先にも述べた罵詈雑言を再び浴びせられ、お前が仕切れていないのが悪いと罵られた。ちなみに仕切れという言葉を聞いたのはその時が初めてだった。

はいつのまにか勝手にそういう役にされていたらしい。そして勝手ストレスになっていると言われたのだ。ひどい話だと思う。

もう何を対応するにも面倒なので、何度も謝罪し、気をつけると言ってその会は終わった。ちなみに、仲のいい先輩が人員を増やすことを提案したが却下された。

その時は不思議ストレスは感じず、とにかく転職をしようと心に決めた。

私が春先優しくされたのは、別に優しくされたわけではなかったのだ。

程のいいサンドバッグを手放したくなっただけだったのだ。試用期間で辞められると困ったわけだ。

辞めた先輩は仕事もできないし、会話もうまくできない人だったので、一緒に問題解決に向けて頑張ったが、辞めたくなるのは当然だと思った。

ちなみに、先輩が精神を患って休職している。春先は休職をさせるいい職場だと思ったが、訴えられたら負けるからさせているという理由だった。

会社は風通しが良すぎるので、このご時世なのに、大声で個人情報がやりとりされ、誰も何も言わないし言えない。

から聞いた話だが、私の部署は私が入る頃には炎上している部署だったらしい。しかも原因は私に罵詈雑言を浴びせた先輩にあるらしい。

しかしその先輩は、パワハラ上司と仲が良く、誰も何も言えない状態だと最近知った。私が悪いのはほんの一部分にしかすぎなかった。

金銭的な面で問題がなければさっさと辞めてしまいたいが、難しい。私を懇意にしてくれるお客さんもいるので辞めるに辞められない。

一番いいのは休職なのだが、気分障害医師が診断してくれるかどうかとても怪しい。

正直ネットでこういう話をよく見るのが、自分が同じ目にあって見ると恐ろしくわけがからなくなる。

特に私が体調不良になるだけで親しい先輩に迷惑がかかるのが耐えられない。この先どうしていいかからない。

今はただ、転職のために履歴書職務経歴書見直しをしているだけだ。

2016-11-22

復職したけど会社がもう信用できない

10月いっぱい会社休職した。

理由適応障害で、原因は過労による生活の乱れ。

具体的には、抑うつ状態と倦怠感、過眠といった症状だった。

担当医師産業医上長や人事などと再三の話し合いの上での休職だった。

休職前の状態が以下。

業務内容

ITベンチャー(広告関連)で、事務とも営業とも言える独特の職種で、新規チームの所属新卒で、入社1年目。

■平均退社時間

23時がデフォルト。遅い日は深夜2時、土日も隔週くらいで出社していた(自主的にであり、強制されていたわけではない)。

■体調を崩すまでの経緯

プロジェクトの停滞】

7月から、私が主体的に進めていた割りと大き目のプロジェクト(というか業務改善)があった。本部長、部長にも承認され、私も入社してから初の大きな仕事ということでかなり張り切っており、上記のような勤怠の状態になっていた。しか現場リーダー(以下A)がきちんとそのプロジェクト内容を理解していなかったこと、リーダーでありながらプレイヤータイプマネジメント力が低い人であったことから、思ったようにプロジェクトが進行しなかった。そんな中でAに「君は新卒なのだから単純なルーチンワークだけをやってくれればいい」「そんなプロジェクトはやっても意味がない」といったことを言われ、私はかなりショックを受けた。Aよりも格上の本部長・部長承認してるのだから気にしなければいいと思われるかもしれないが、あくま現場を取り仕切るのはAなので、彼が動いてくれないと進まないことも多かった。部長相談もしたが、この部長自身マルチタスカーで異常な業務量を抱えており、全てに対処できるような余裕はない人だったのと、社歴はAのほうが何倍も長く、年齢的にも一回りくらい上だった為、指示が出しにくいという背景があるように見えた。※その後Aには「申し訳なかった、傷つけるつもりはなかった」というような謝罪をされた

判断能力の低下】

9月中旬から上記のようにプロジェクトがうまく進まなくなり始めると、それまでは感じなかった倦怠感が襲いかかってくるようになり、会社で仮眠をとったり午前休や早退をする日が増えてきた。土日は20時間ほど睡眠をとってもまだ眠く、一歩も外に出なかった。また抑うつの症状も出始めて、「Aさんの言うように私のやろうとしていることは無駄なのだ」「誰も努力を認めてくれない」「私が主体となっているから進まないのだ、人望がないのだ」などと考えるようになった。そしてある日、デスクで今自分が何をやっているのか、何をやろうとしていたのか、何をするべきなのかがわからなくなり、PC操作ができなくなった。いよいよ自分の体がおかしいということに気付き、心療内科受診した。

適応障害

適応障害と診断され、約1ヶ月の療養が必要と言われた。7月からプロジェクトを任され、9月中旬までの約2.5ヶ月、体を酷使(深夜残業などで睡眠時間を削っていたこと)していたことのリカバリーのためには最低でもその期間が必要だとのことだった。その診断書会社に提出し、会社産業医本部長、人事など何度か面談をし、休職手続きをした。

休職後のこと

休職期間は、とにかく寝た。寝たいだけ寝たほうがいいと医師に言われた。するとそのうち、寝ることに飽きる日がやってきて、何か行動したくなる日がくるので、そうなったらば回復した証だとのことだった。10月末にはその状態になり、11月1週目から復職希望を出した。それにあたり、かかっていた病院医師復職許可診断書会社に提出したが、産業医許可必要と言われたので面談をしたのだが、その内容が思いもよらないものであり、標題のように会社に対する不信感に繋がった。

休職から何度か産業医面談をしており、体調を崩すまでの経緯も説明していたし、具体的な症状も伝えていたにも関わらず、以下のようなことを言われた。

1.本当に仕事のことが原因で体調を崩したのか→プライベートなこと、家族関係や友人関係恋愛などのことで休んだのではないか
2.ちょっと疲れてしまった程度のことであり、誰にでもよくあることだ
3.(復職後は当分深夜残業はしないようにしたいと言ったところ)この会社は深夜まで働くのが当たり前だし、それができる人だけが集まっているので、貴方には無理ではないか
4.(大きなプロジェクトを任されて、力みすぎていたところがあったので復職後は良い意味で「適当に」働くつもりだと言ったところ)この会社は頑張る人しかいないので、そんなスタンス通用しないだろう
5.復職ができる証拠として、あと1ヶ月休職し、その間の行動管理表を会社に提出しなさい→決まった時間に起床し、電車に乗り、外出できる状態にできることの証明をするべき

産業医も、うちの会社だけでなく何社も担当をしているので、一人一人のことなんて覚えていないのかもしれない。しかし、あまりにもこれまでの態度と違っていて、とても攻撃的だった。休職前の面談では「それは辛かったですね」「思い切って休職して、ゆっくり休んだほうが良いですよ」というように同情的だったのが、突然態度を翻し、「その程度のことで休むなんて社会不適合」「おまえにはこの会社は合っていないから、このまま辞めろ」と言われているようにしか思えず、この態度の豹変には「何か」があったのではないかと思う。面談の前には会社人間産業医と打ち合わせをしているはずだし、その「何か」は、会社からの指示ではないだろうかという邪推をどうしても拭うことができない。

また、復職に際し事実上の降格をさせられたことも1つ原因として挙げられる。業務内容はかなり限定され、単純作業のみになった。

そして1ヶ月間の「復職プログラム」というものを組まれており、1日の行動管理(平日だけでなく、土日に何時に起床しどこに出掛けて誰に会ったか記載しなければならない)をされるのと、2日以上の休み、及び3回以上の遅刻(1分でも駄目)をした場合強制休職という条件つきでの復職となった。

10月給料は支払われないため、10月1日31日分の傷病手当金11月4日会社に提出しており、「中旬には支給されるだろう」と言われたもの今日時点でまだ支給されないので、IT健保に直接電話したら「まだ申請がされていない」とのことで、どこで止まっているのかも謎。間もなく約2ヶ月無収入状態となり貯金も底をつくし事情があって家族は頼れない。家賃等の支払いも各社に連絡して延期してもらっている状態だ。それに、11月20日まで休職していたのに11月分については傷病手当金申請はできない(11月から健康上は復職できる状態にあったから)とのことで、11月に関しては傷病手当金ももらえない。

いろんなことが重なって、なんだかもう会社のものに対して不信感しかない。

2016-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20161118123304

まさかとは思いますが、この「ひいじーちゃん」とは、あなた想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか。精神科受診をおすめします。

2016-11-17

Is this legit?

かかりつけ医」とは、耳でも肌でも尻でも、何でもとりあえずまず始めに診る医者、のことである

耳が変だから耳鼻科に、肌が変だから皮膚科に、尻が変だから肛門科に、咳が出るから内科に、ということができなくなる、ということを意味する

まり標榜科を目指して受診する、という患者の習慣そのものが、罰せられることになる

その標榜科において、総合診療専門医が、その専門医に代わって診察する、ということですらない

総合診療科、という標榜科において、耳や肌や尻の診療が行われる

専門医受診するには、まず非専門医の診断が必要、という、矛盾した制度になる

当然、雲の上の存在となるわけだから、数が減って、予約しなければ診てもらえないことになる

耳垢が詰まって吸い出してもらいたい、と思ってその日に解決する、なんてことは、お父さんやお爺ちゃんの昔話、みたくなってしま

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161103190528

統合失調症自覚がない人も精神科受診時に同じ病気の人みて、「かわいそうに」って言うよ。

2016-10-28

真実

三女が小学生から勉強が遅れ学校で虐められていた(高校退学するまで)

  ↓

そのうち三女が妻(母親)に暴力を振るうようになる

何軒か病院受診していたが、母親は娘の病気を受け入れられず父親愛情が足りないからだと責任転嫁

  ↓

母親自分が何をされても娘を溺愛し、新興宗教にのめりこみ医学治療拒否

父親新興宗教帰依とかを断固拒否

  ↓

娘の暴力がひどくなり、その矛先が母から父に代わる

病院等でも娘は何度も警察呼ぶ暴力発生

  ↓

おそらく父x母・娘が激化し娘による家庭内暴力や小競り合いが慢性的になる(H23)

  ↓

母親が、父親をDVシェルターに娘を連れて被害を訴え

  ↓

DVシェルターとかの支援者写真などの証拠を用意しろと入れ知恵(推測)

  ↓

H23年になってからH20年の受診歴を遡って診断書をクリニックに書かせ、小競り合いを起こしたときに娘に暴力をふるってるような状況を撮影させた

  ↓

裁判所はこれらの証拠確認することな採用DVシェルター支援者側の意見を重視、DV認定

  ↓

最高裁まで本人訴訟で争うも覆せず

  ↓

万策尽きて絶望し、事件を起こした

たぶん医学治療を続け娘の暴力にもしつける方針対応をしたかった父親に対して

カルトに走り娘を叱らない母親との間で確執揉め事ぐらいあったのは推測できる

そういうのをDV扱いしちゃった司法に怒りを感じたんだろうね

新興宗教の闇+DVシェルターの闇が家庭を崩壊させた

裁判所がそれに加担した形になったように思うなぁ

ネットでは爺さんのDVを仕立て上げすべての原因のように宣伝   ←今ココ

2016-10-19

なんとしても病院連れてけ http://anond.hatelabo.jp/20161019074216

間違いなく病気から病院連れてけ。

この期に及んでまだ「無理」と思うなら、あなた自身がまず受診しよう(自分ができないことを他人やらせようとするはずないよね?)。

精神科行政連携してるから、そこが相談の窓口になる。

他にも色んな方面を訪ねて何らかの取っ掛かりを見つけろ。


人間ってのは周囲の状況によって思考を歪められるんだよ。

貧すれば鈍するってやつ。

これは生物が困難な環境対応するための脳の機能だけど、あくまでも一時的生存のための機能で、長期的に社会適応するための機能ではない。

から社会性を保つ方向とは関係ない方向に進んでしまう。

この手の病というのはなかなか理解されないが、結局のところは脳という臓器が自分自身生存させるために利己的な行動を取らせてるに過ぎないんだ。


あなたも気づいてると思うが、あなた自身も病の気配があるよ。

上で「あなた自身がまず受診しよう」って書いたのはそういうことでもある。

あなたは今、お金がなかったり時間がなかったりすることで思考が相当歪んでいる。

普通親族の死を願ったりはしないだろ。

自分に役立つ人間とそうでない人間を切り分けて片側を切り捨てるって考えは、脳がそう思わせてるだけ。

まだやれることがあるのに極端な結論に飛びつくのはまともに理性が働いていないから。

もう一度言うけど病院連れてけ。なんとしても取っ掛かりを見つけろ。

こうして会社は「洗脳」していく

電通でずっと週100時間以上残業させられた女性苦痛のあまり自殺した。

担当上司から徹夜で作った広告をボロクソに言われたらしいと聞く。

私も似たような目にあって、心を壊されて病院通いにさせられた。

物書き、編集企画という仕事なんてその時いた会社ではノウハウがなかったので、誰も教えてくれない。だから自分で探したり、売り込みに来て知り合った人の技を盗んで五年くらいかけてやっと自分なりの文章を書けるようになった。それを武器に人の紹介などで1〜2ページながら連載の企画を持たせてもらえるようになった。

ゆくゆくはフリーになりたかたから、会社仕事以外にも外部のライティングからデザインまで寝る間もなく引き受けて納期は必ず守っていた。

するとどんどん欲が出てくるのは当然のことで、それら実績とオリジナリティ勉強のためにととある会社所属することにした。

面接作品を見た人は偉そうな態度で嫌な感じはしたが、仕事を覚えたたらやめるつもりだったので我慢して入社をすることにした。

修行に専念することにするんでしばらく休業すると言って、それまで外注で受けてT仕事を休むことにした」

それまでに書けるだけ書いて、使ってくださいと納めた。

そして新しい日々が始まったんだが、面接の時の評価とは手のひらを返したように重箱の隅をつつくことから、来客の挨拶の仕方まで上司とその下にいた先輩は批判するようになった。

それは仕事まで及び、短文からマンガ原作に至るまでここはいけない、こうすべきだ。これっておかしい。などと徹底的に否定された、

時間くらい残業して何日もかけて書いたもの上司に見せると、これおかしいから手を入れるから原稿を受け取って「こうなるんだ、見比べてみろ」とアイディアだけ残った全然違うものにされて返された。

挙げ句の果てには短文の紹介文の文体が気に入らないのか、こんなのなんなのとヒステリックにまくし立てリテイクを何回もされた。それは写真キャプションにも及んで「これと書いてあること違うじゃない」「見たとおりで膨らませるように書いただけです」と言っても全部ダメだし。

原作創作文章いくら時間をかけて書き上げても、上司からはボロクソに言われてダメだしやアイディアを盗まれたりした。挙句は一読して「あんたの頭の中はどうなってるの? これで伝わると思ってるのと文句しか返ってこない」こんな状態から会社でもだんだん話す人がいなくなり孤立していく。

もう自分スタイルも何もわからなくなって、何をどう書いたらいいかからなくなっていた。

書けば「頭がおかしいんじゃないの?」など人格否定するようなことまで言われるようになっていった。

思うに文章の書き方が、私の未熟さもあるが、そこの上司の統括する本に合わないか否定してぶち壊す。しかもそれまで私の書いてた文が、外部では評価されていたことが気に食わなかったのだろう。

から徹底的に壊してそして上司と意地悪な先輩の考える「型」にはめ直そうとしたんだと思う。

これは「自己」を「破壊」して「新たに植え付ける」ある種の「洗脳」だ。

もうこの時にはPCに向かってもまったく文章が出てこないばかりか、頼みごとを同僚にしても何か文句を言われてるような気がして、ますます萎縮し会社にいるのが辛くなった。もう会社じゅう敵だらけのような気分だった。

日曜日に休めても月曜日からが怖かった。

もうできるものなら死んでもいいと思っていた。

その頃、ある本を読んで自分は「うつ状態」じゃないかと思って、メンタルクリニック受診した。もちろん会社には内緒で。そこで処方された薬のおかげで少しは仕事ができる状態になった。でも毎回のイビリで精神が元に戻ることはなかった。

それでもなんとか死なずにしがみついて入られたのは、婚約者がいたからだった。彼女といる時が唯一の癒しだった。

しかし、いい加減イビリ倒してもブラックシープホワイトにはならないと思ったのだろう。ある日上司に呼ばれて「もう今月で君には辞めてもらうから」と言われた。解雇通告だ。

ようやくこの地獄から解放されると思う反面、無職になるということである。私には婚約者がいる。

もう、休業期間が長引いて外部ライターをやってた時の担当はどこにいったかからないし、わかっても仕事を頼めるほど力がなかった。

運よくそ前後に、以前の会社の出入り業者デザインMACを使える人を探していた。その会社副社長とは顔見知りだったので、電話してみたら一人くらいなら入れられるとのこと。

二つ返事でその話を受けて、面接をしてその会社転職することになったのは運がよかった。

新しいフィールドだったから教わることやミス、怒られたりもしたが、同じ部署個性的な仲間がフレンドリーで居心地はよかった。

うつ状態」は薬でコントロール必要だったが、束の間だが私は「洗脳から脱げ出せた。

教えてください「命より大事仕事なんてあるのでしょうか?」

2016-10-07

よく噛んでメシ食うだけで1ヶ月で5kg痩せたのでシェア

当たり前のことかもしれないけど、メシ食うときに「よく噛む」ことを意識しただけで1ヶ月で5kg痩せたので方法を書いとく。


スペック

・36歳男子事務職、既婚

身長175cm、体重80kgちょい切るぐらい

一見中肉中背だけど下腹ぽっこりがやばい

学生時代から20年近く運動らしい運動はせず

通勤片道2時間半というクレイジー環境なので朝飯抜き、昼飯てきとー、晩飯がっつりという最悪な食事環境

仕事10時間ぐらい座りっぱなし。小腹が空いたらおやつ食べるお

20歳から飲酒喫煙毎日。ザ・成人病予備軍

・好きな食べ物炭水化物。深夜のラーメンライス最高!

・超早食いカレー飲み物二郎シマシでロット乱し?有り得ませんな

という感じで好き勝手に生きてきたんだけど、子どもが出来たのを契機にこのままじゃやばいなと思い始めた。

追い討ちをかけたのが先日受診した会社健康診断。いままでは経過観察ぐらいだったのが再検査の嵐。

こりゃ何かやらにゃいかんなと思ったんだけど運動するのも億劫だし食事制限も面倒くさい。

仲のいい上司相談したところ「お前は食うのが早すぎる。よく噛んでメシ食うだけで驚くほど健康になるぞ」と言う。

ホントかよと思ったけど噛んで食うぐらいなら楽かなと思ってやってみた。というわけ。


■己に課したルール

ルールは単純。あんま面倒くさいとやらなくなっちゃうし。

一口30回噛むこと」

それだけ。30回ってのは上司に言われた回数。深い意味はない。


■実際にやってみて

・とりあえず最初の2日ぐらいは一口ごとに30回数えて噛んでた

・でも超絶面倒くさい

・いちいち頭の中で30回数えてたら気が狂いそうになるし、人との会話が頭に入ってこない

・とりあえず30回噛むと口の中で食べ物がどのような状態になるかわかったので3日目ぐらいから数えるのやめた

・どんな状態かというと一言で言えばドロドロ

・白米ならゆるめのおかゆぐらい。そこまで噛む

・慣れると感覚で分かるようになるので頭使わない。普通に会話もできるようになる

最初の一週間ぐらいは顎が死ぬほど疲れる。どんだけ普段使ってなかったんだってぐらい

・でもそれも慣れる。


■変わったこと

食べる時間が極端に遅くなった。当たり前だけど

10分かからないぐらいで食べてたんだけど普通に30分ぐらいかかる

特に人と飯食うときゆっくり食べると自然に会話が増える

・ガーッと飯食う⇒飯終了で横になってテレビ⇒奥さんぽつーんと食べる、がなくなった。夫婦の会話大事

よく噛んでゆっくり食べてると量食べられなくなる

満腹中枢がーとか良くわかんないけど、要するに最初のうちは顎疲れちゃってたくさん食えない

・んで顎に慣れるころにはその量で満足できるカラダになってる、という流れ

一口の大きさが小さくなる

・口一杯に頬張るのが好きだったんだけど一口が多いと噛むのが大変

しかも奥歯で噛んでると噛んでる途中で勝手に飲み込んじゃう

・なんでか分かんないけど

・だから自然一口の量が小さくなる

・少ないから奥歯より前の方(犬歯のちょい奥ぐらい)で噛むようになる

イメージ的には「一口大きくモグモグごっくん」から一口小さくモグモグモグモグ……ごくり」って感じ

ストライド走法からピッチ走法ってイメージ

味がよく分かるようになった

・よく噛むと食材一つひとつの味がよく分かる

・ああっ!うめえ!ムシャムシャバクバク!おかわり!って感じだったのが

モグモグ。ああ…、うん。なるほど。モグモグ。うーん、しみじみ美味いなあ。みたいな感じ。

・多分唾液もいっぱい出てる気がする

噛みごたえのある食べ物が食いたくなる

・オレだけかもしれないけど噛むことに慣れると噛みごたえのない食べ物が腹立ってくる

豆腐とか口入れた瞬間ドロドロだから30回も噛めねーっす

・基本野菜あいつら噛みごたえある。根菜はもちろん葉物もあなどれない。

・だから昼飯もカレーとかじゃなくて定食を選ぶようになった

野菜炒め定食さいこ

上に関連するけどラーメン食いたくなくなる

ラーメン大好きだったけどあれは噛む食べ物じゃない

・飲んだあとの博多ラーメン替え玉3玉よゆー!だったのに無理

・よく噛んで食うラーメンの不味いこと不味いこと

ラーメンに失礼なので身を引くことにした

・あと二郎も無理。食うのにめっちゃ時間かかる

・プチ二郎でもロット乱しそうになって周りに迷惑かかるからやめた


■カラダの変化

胸焼けしない

・いつも飯食った後、一時間ぐらい経つと胸というか食道らへんが熱くなって胸焼けしてた

・よく噛むようにしてからそれがなくなった

・なんでかは知らん

下痢がなおった

高校生ぐらいか万年下痢体質だったのに普通の固さの便がでるようになった

固形の便を見るのが久しぶりすぎてトイレで思わず声出たもん

・なんでかは知らん

顔がちっちゃくなった

・顔が丸くて輪郭がなかったのはデフォかと思ってたら違った

・二重顎がびっくりするぐらいなくなる

・頬も締まって顔が一回りちっちゃくなった

・周りが言うから自分思い込みじゃない、はず

・あとほうれい線(口角のしわ)も薄くなった

・なんでかは知らん

最大の変化はやせたこと

・これに尽きる

・よく噛んで少しの量をゆっくり食ってるから単純に摂取カロリーが少なくなったんだと思う

・でも食事制限カロリー減らすのは難しいじゃん?

・よく噛むだけだから好きなもの食っていいか精神負担は少ないのが良いところ

・腹回りが全然ちがうもん。運動なしで


これに運動とか糖質制限とかあわせてやればもっと痩せられる気がする。白米ェ……

あと意外に楽しかったのが噛みごたえのある食材探し。

こんにゃくとかプニプニしてて噛みごたえなさそうだけどめっちゃ噛みごたえあるよ。

とりあえず自分には効果あったんでおすすめときます

運動瞑想睡眠野菜に加えて咀嚼はどうですかね、先生

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