電通でずっと週100時間以上残業させられた女性が苦痛のあまり自殺した。
担当上司から徹夜で作った広告をボロクソに言われたらしいと聞く。
私も似たような目にあって、心を壊されて病院通いにさせられた。
物書き、編集、企画という仕事なんてその時いた会社ではノウハウがなかったので、誰も教えてくれない。だから自分で探したり、売り込みに来て知り合った人の技を盗んで五年くらいかけてやっと自分なりの文章を書けるようになった。それを武器に人の紹介などで1〜2ページながら連載の企画を持たせてもらえるようになった。
ゆくゆくはフリーになりたかったから、会社の仕事以外にも外部のライティングからデザインまで寝る間もなく引き受けて納期は必ず守っていた。
するとどんどん欲が出てくるのは当然のことで、それら実績とオリジナリティで勉強のためにととある会社に所属することにした。
面接と作品を見た人は偉そうな態度で嫌な感じはしたが、仕事を覚えたたらやめるつもりだったので我慢して入社をすることにした。
「修行に専念することにするんでしばらく休業すると言って、それまで外注で受けてT仕事を休むことにした」
それまでに書けるだけ書いて、使ってくださいと納めた。
そして新しい日々が始まったんだが、面接の時の評価とは手のひらを返したように重箱の隅をつつくことから、来客の挨拶の仕方まで上司とその下にいた先輩は批判するようになった。
それは仕事まで及び、短文からマンガの原作に至るまでここはいけない、こうすべきだ。これっておかしい。などと徹底的に否定された、
5時間くらい残業して何日もかけて書いたものを上司に見せると、これおかしいから手を入れるからと原稿を受け取って「こうなるんだ、見比べてみろ」とアイディアだけ残った全然違うものにされて返された。
挙げ句の果てには短文の紹介文の文体が気に入らないのか、こんなのなんなのとヒステリックにまくし立てリテイクを何回もされた。それは写真のキャプションにも及んで「これと書いてあること違うじゃない」「見たとおりで膨らませるように書いただけです」と言っても全部ダメだし。
原作や創作文章もいくら時間をかけて書き上げても、上司からはボロクソに言われてダメだしやアイディアを盗まれたりした。挙句は一読して「あんたの頭の中はどうなってるの? これで伝わると思ってるのと文句しか返ってこない」こんな状態だから会社でもだんだん話す人がいなくなり孤立していく。
もう自分のスタイルも何もわからなくなって、何をどう書いたらいいかわからなくなっていた。
書けば「頭がおかしいんじゃないの?」など人格を否定するようなことまで言われるようになっていった。
思うに文章の書き方が、私の未熟さもあるが、そこの上司の統括する本に合わないから否定してぶち壊す。しかもそれまで私の書いてた文が、外部では評価されていたことが気に食わなかったのだろう。
だから徹底的に壊してそして上司と意地悪な先輩の考える「型」にはめ直そうとしたんだと思う。
これは「自己」を「破壊」して「新たに植え付ける」ある種の「洗脳」だ。
もうこの時にはPCに向かってもまったく文章が出てこないばかりか、頼みごとを同僚にしても何か文句を言われてるような気がして、ますます萎縮し会社にいるのが辛くなった。もう会社じゅう敵だらけのような気分だった。
もうできるものなら死んでもいいと思っていた。
その頃、ある本を読んで自分は「うつ状態」じゃないかと思って、メンタルクリニックを受診した。もちろん会社には内緒で。そこで処方された薬のおかげで少しは仕事ができる状態になった。でも毎回のイビリで精神が元に戻ることはなかった。
それでもなんとか死なずにしがみついて入られたのは、婚約者がいたからだった。彼女といる時が唯一の癒しだった。
しかし、いい加減イビリ倒してもブラックシープはホワイトにはならないと思ったのだろう。ある日上司に呼ばれて「もう今月で君には辞めてもらうから」と言われた。解雇通告だ。
ようやくこの地獄から解放されると思う反面、無職になるということである。私には婚約者がいる。
もう、休業期間が長引いて外部ライターをやってた時の担当はどこにいったかわからないし、わかっても仕事を頼めるほど力がなかった。
運よくその前後に、以前の会社の出入り業者がデザインやMACを使える人を探していた。その会社の副社長とは顔見知りだったので、電話してみたら一人くらいなら入れられるとのこと。
二つ返事でその話を受けて、面接をしてその会社へ転職することになったのは運がよかった。
新しいフィールドだったから教わることやミス、怒られたりもしたが、同じ部署の個性的な仲間がフレンドリーで居心地はよかった。