とはいってもぼくの場合は軽度であることと、ここ数年ちゃんとした受診をしておらず不正確な部分が多いです。
なにより自己診断の面が強いので話半分でお願いしたいです。ほんと半端者です。
自分が心療内科に受診したきっかけは職場でのトラブルでした。よくあることです。
当時20代半ば、事務系と土方が半々の職場でした。特に事務系でそのトラブルを遺憾なく発揮しました。簡単にいうとこんな感じです。
事務の殆どは書類作りと整理、パソコン半分手書き半分という感じです。量はありますが新人研修の延長を超えません。この仕事を2年ほどしていましたが、ほぼ毎月同じようなことで怒られてばかりです。
例えばある1ヶ月の内容は「別の部署から仕様書を貰う->物品をパソコンに入力->契約->受領->請求書を貰う->書類一式揃えて支払いに回す」とこれだけです。仕様書が遅いとかは特になく、むしろとても早く持ってきてくれます。田舎なので契約もいつもの業者ばかりでとても楽ちん。そこそこの人がやれば月の半分は遊んでいられるような、そんな仕事です。
でも僕は、これが全然できませんでした。書類様式を覚えるのも何ヶ月かかったか。常に上長が監視し、先輩からアドバイスを貰い、業者も他部署も全て好意的でした。それなのに9割がた僕のところで何もかも止まっていました。点検が終わっていない書類でデスクは常に満杯。最後は僕の印鑑すら取り上げられた始末です。
僕を庇ってくれる人もたくさんいました。でも僕の仕事ぶりはその好意を軽く踏みにじります。笑顔で泥を投げつけてました。
毎月同じような書類の不備と怒轟の嵐。
僕の安らぎは、たまにある社外での泊まり込みの施設整備でした。その時は何もかも天国だったのです。
もうわかると思いますが、僕は自分のことを客観的に見るのが苦手です。知らないことを知られたくないがために質問もあまりしなかったと思います。そのくせ自分勝手な解釈で行動するので優先順位は全てデタラメ。コンプライアンスに触れるようなことを堂々としようとしたのは2・3度ではなかったはずです。僕は僕を理解せず、周りも人の形をした汚泥をみる表情に変わりました。
当然こんな状況で仕事が長く続くはずがありません。
とうとう本部の人から社内のカウンセリングを勧められ、そこから外部の病院への通院となりました。
僕の幸運は、会社の業務は比較的緩いことと、そのような精神面での問題に寛容な風潮があったこと、そして通院したのがそこそこマトモな部類に入る(と通院仲間から言われた)ことでした。たまたま駅の看板を頼っただけなんですが。
そこはいわゆる心療内科であり、鬱や僕のような人間のためのリハビリを行う施設も併設しているやや先進的な場所でした。
初期に2時間弱のテストを受け、僕に発達障害の傾向があると言われました。残念ながら口頭説明だったので詳しい結果については明確に覚えていません。
そこから色々あり退職準備と併行して自立支援のプログラムを受けることとなりました。入院ではなく平日はそこに通院して一日を過ごすのです。治療ですが内容は極めて簡単なものが多く、知らない人が見ると幼稚園か老人ホームのような印象を持つかもしれません。
僕はそこでもポンコツでした。なんでも話せますしどんな個性も許される場ではありますが、僕はとにかく無知で独りよがりで幼稚でした。職場環境のせいではないことをこんな形で理解するとか、今思い出してもきつい。
僕は心療内科で広汎性発達障害と診断され投薬治療も受けました。でも効果があったのかはいまでも疑問です。そもそも心理テストの結果も一般人寄りだったはずですし、退職後にその病院から遠く離れてしまったので今となってはどうなのかよくわかりません。転院先は面倒であまり好印象でなく辞めてしまいました。
僕が他と違っていると感じたのは小学生くらいからです。当時から随分と幼稚な行動が目立つ子供でした。テストの成績が悪いわけではありませんし素行が悪いのではなく、しかし振り返ると妙に浮いていました。
「ふわっと」した感覚が今でも続いています。たぶん精神年齢は実年齢からマイナス10歳くらいかと思います。
この歳になっても生きづらさは続きます。とにかく物をなくしがちなのです。子供の頃からこの現象を「妖精の仕業」と考えるほどに日常化しています。
物をなくすというと勝手に捨ててしまう印象かもしれませんが、違います。表現が難しいですが思考と身体がずれるのです。無意識下でものを移動しているので、過程がまるで見えないこともしばしばです。自転車のライトを靴の中に入れていたり、手袋を片方だけコートのポケットに入れて放置したり。必要なものを手に持っていたのに、玄関先でそれを持っていないことに気づいて部屋とを何往復もします。
誰にでもあることかもしれませんが、僕の場合はそれがほぼ毎日起こります。だから僕の周りにはものが溢れます。
必要ないものでも捨てられません。常に目に見えないと危険です。机の中にしまったら次にいつ取り出すか不明なまま時が過ぎていきます。しかも整理整頓もできないので部屋には書類や本が地層となります。
だから僕はペンやメモ帳を手に持ってどこかに置こうとした場合、できるだけ指差し確認をするようにして脳に刷り込みます。
僕にとってペンとメモ帳は大事なものです。日々の出来事を書くのさえ億劫ですが、これがないと自分の最低限のことさえ空虚に感じます。役に立っているというより精神安定剤です。
心の支えは、同じゲーム仲間だったりこんな風に拙い文章を書くことくらいです。それもだいぶつらいですが。
今度再就職しますが、決して良い結果にはならないと思っています。僕は、僕の中の子供をどうしても躾けられないのです。また同じ失敗をするのかと憂鬱です。
僕は普通の人のように振る舞えない、けれど亜人にもなれない。半端者です。
よく発達した発達障害の人がとてもまぶしい。