はてなキーワード: バイクとは
ビールを飲酒する、ゴールドシップから落馬する、全然同じ構造じゃないですよ
ゴールドシップが馬かどうかは分からないけど、ビールは酒だってわかりますからね
例えばゴールドシップっていうバイクが製造されたとして、そこから落ちるって言われるだけじゃバイクの話なのか馬の話なのか分からないでしょ
ゴールドシップから落馬するっていうのは、酒で例えるならバドワイザーを飲酒するという文にして初めて同じになる 知らない人からしたらバドワイザーが酒かどうかなんてわからないから、意味は重複してない
今回の事件の元凶は自民党と統一教会が繋がっていたことと、同時に弱みに付け込まれて破産して家族を守れないほど実体のないものに金を注ぎ込んでしまった事例である。そもそも日本には信仰の自由がある。現金を巻き上げるカルト宗教を取り締まれと言っても「お布施は個人の責任、個人の意思で支払ったのだから合法」と言えばどうしようもないし、支払った本人が満足しているなら金の使い道を外野がどうこう言うことはできない(という理屈ははてな民が大好きな理屈だ)。たとえそれが洗脳によるものだとしても、洗脳であることを100%証明することはとても難しいし、洗脳だったと本人が認めることがかなり残酷でもある。
実体のないものに多額の金銭の支払いを求めること自体を違法化するなら、次はソシャゲのガチャが規制される。骨董品なんかも原価から程遠い額のものは規制されて、有名なアンティークだとしてもその価値も数値化できないので宗教と同様になる。骨董品はガラクタとなり、コレクターは拝金者として嘲笑される。おもちゃ博物館なんかも「そんなもの取っておいて維持費ばかり大変」と次々取り壊しにあう。
推し活と行って給料全部を推しに注ぎ込む行為もグレーゾーンになり、商業的にグッズもなかなか作れない状況になる。ファンの行為も宗教的と見なされて跡部景吾生誕祭なんかは完全にカルトの領域として「国家転覆を企む隠れ蓑になっていないか」と公安から監視され、薄い本やネットの夢小説まで検閲が入ることになる。
もちろんアイドル業界も大打撃を受ける。総選挙や握手券などで無駄にCDを買わせるなど言語道断。ファングッズなども原価での販売を強いられ、集客が出来ないということで歌やダンスというパフォーマンスはどんどん先細っていく。人々を扇動するという理由で反体制的なロックやラップは規制され、歌手は国家を讃える歌しか歌えなくなる。それすらも気持ち悪いというクレームが相次ぎ、歌を発表する人もいなくなる。
同様にかわいい動物や漫画ゲームのキャラクターも次々と自主規制が始まる。「信仰の対象」を捨てることがブームになり、本やグッズの大量廃棄が相次ぐ。ペットショップは閉鎖され、里親を探しても「かわいいからという理由で動物を飼育することは宗教に該当しかねない」と世話を拒否する人が続出し、社会問題になる。結果野良ペットが街に溢れることになる。
単純な趣味すら宗教と見なされ、車やバイク、登山やアウトドアなどの趣味は白い目で見られるようになる。「弱者を優先させずに個人の快楽に興じた」という風潮になるので、レジャー施設は軒並み閉鎖されてそこで動いていた金は障害者福祉へ回される。「自分の好きなことより弱者へ金を回そう」が合言葉になり、「施し」がブームになる。
これにより「弱者集団」が台頭し、事故で障害を負った者が「弱者集団」を形成して施しを受け取ることが奨励される。公安も「施し」なら良いと目こぼしをするようになる。
人々は労働に明け暮れ、趣味を持つものは宗教的と見なされ公安にマークされるようになる。レジャー産業や広告業界、芸能界は廃れて悪の拝金主義者と見なされる。テレビも公安の検閲が入り、ネットではファンサイトは死滅する。動画配信など以ての外だ。男女の出会いの場も減り、婚活業界が盛んになる。
やがて「施し」に過度な金銭の動きが見られるようになる。「うちの子はこんなにかわいそうなんです!お金を恵んでください!」「こっちは難病で死にそうです!かわいそうでしょう!」「余命宣告された母に美味しいものを食べさせてやりたい!母は牛丼という庶民的なものをよく食べます!」「キモくて金がないオッサンだから配偶者を恵んでください」「理解のある彼くん募集中」など金銭に留まらず様々なものが「弱者」という名目で巻き上げられるようになる。「弱者」の中でもアピールできる層とそうでない層で分かれ、「お前はまだ弱者アピールできないんだから恵め」と言われる。
次第に「弱者」は働かなくても生きていけるようになる。親は子供を弱者にしようとわざと事故を装い障害者にすることが流行し、エリート弱者になることが推奨される。どれだけ馬鹿でどれだけ弱いかが大事になるのだ。勉強なぞ以ての外。勉強なんかしたら「施し」がもらえないんですからねと甘やかされた子供が増える。ちなみに子供は無条件で弱者になるので一世帯50万円が毎月支給されるようになるので子供の数は増えた。
そんな中老人は「目先の欲のためにそんな弱者になることばかり考えていると痛い目に会うぞ、自分の好きなことをして生きろ」「こんな世の中は間違っている、実力行使しかない」と警告をするが、「国家に仇なす自由主義の手先」と公安にマークされて投獄され、山奥の作業所で監視されながら考えを強制される。「万歳!弱者優先の国家万歳!私たちの考えは間違っていた!自由など愚か者の考えだ!我々は弱者のために奉公しているにすぎない!この壺を原価で売って奉仕をするのだ!」
コロナ陽性でした。
バツが悪すぎる。気まずい。
手指消毒してたし、マスクもしてた
皆も気をつけてな。油断禁物。
症状をメモってく。
1日目
夜:膝に関節痛と筋肉痛のような症状が少しでる。
(履きなれない靴で1日中歩いたからかな?と思ってたけど、おそらく症状の出始めだろうと思うので1日目とする。)
2日目
朝:うっすら全身が痛い。
(オール+連続の外泊だったため、オールの疲れと慣れない場所で寝たからかな?と思ってた。)
昼:気管に潤いのない感じというか、痰が絡む感じというか… 違和感を感じる。
(エアコンのよく効いた空気の乾燥が気になる場所に数時間滞在していたため、そのせいだと思ってた。)
(先月、扁桃炎で41度の熱を出してるのもあり再発か?! また熱でるのか?!!!?! これはまた床に伏せるのか…。という気持ちに。)
(終わった。また、発熱に2,3日はたえなければいけないのか…。はぁ。やれやれ。仕事も休まなきゃ。先月も長々と休んだのに… 気が引ける… いや、でも、この間の扁桃炎熱の時とは症状が違うし、ワンチャン疲れ熱で寝てる間に引くかもしれない。)
3日目
早朝:39.7度の熱に関節痛と筋肉痛も変わらず。頭痛も続いてる。
(寝てる間に引くどころか悪化してて草 滝のような汗をかいて目覚めたり、寒気と関節痛筋肉痛が痛すぎて起きたり、まったく寝た感がない夜だった。)
(モニターで測る表面体温36.5度 脇下38.7度 は? モニターの計測あてにならなすぎぃ まぁ、病院までバイクだったし?し、しゃーない?か? 院外で問診票書きつつ待機 呼ばれて隔離スペースで抗体検査の為の検体(唾液)を採取。鼻づまりで口呼吸しかできないのと熱が合間った潤いゼロの口から3mlの唾液摂取するの難易度高すぎ。あと、唾液ためるのシンプルに気持ち悪い。院内の隔離スペースだったけど、ビニールハウス使用なのと熱でくそあち。シャワー浴びたん?ぐらい髪の毛びっしょりだったし、ハンカチぐしょぐしょだった。検査結果は翌日らしい。)
昼:熱が下がったり上がったり。関節痛と筋肉痛は安定して痛い。激しい頭痛。咳が出始める。
解熱剤(カロナール)飲んでも熱下がらない。なんなら上がったりする。
夜:熱下がらず。関節痛と筋肉痛が痛すぎて心が折れる。頭痛もひかない。
数時間に1回激しい寒気がきて目が覚める。かと思いきや、9度台の熱がでて滝のような汗をかいて目が覚める。
4日目
朝:9度台から熱下がらず。湿布で関節痛と筋肉痛が少しましになる。咳が激しく出るようになる。
湿布様々。してない時と比べるとかなりいい。それでも痛いけど…
熱は相変わらず上がったり下がったり。カロナールが効き始めたような気がする。
咳がくせ者。悪化すると肺炎になる。っていうのはよくわかる。肺と気管(支)がやられてるなという感じのいかにもヤバそうな咳がでる。長年タバコをすって肺を酷使してる人のあの咳。スーゥ ゲッホゲホ(なんか絡んでる) 不可抗力ででてしまうんじゃなくて、吸い込みの ス-ゥ がいかにも。って感じ。全身力むし喉が震えるから痛痒い。そして頭にも響くから頭がさらに痛くなる。
夕方:布団も自分も汗臭いからどうにかしたいけど、そこまでの気力はない。(日頃から風呂がめんどくさい民)
カロナールが効果を発揮しだしたのか熱は下がって安定(37.2度)
関節痛と筋肉痛はまだある。痛い。
頭痛いのはおさまった。
咳ぃ、咳しすぎて腹筋割れそう。
(軽症だから自宅療養でいいやろってことで自宅療養)
まだ何人にもかけなきゃいけないのか、最近電話番になったのか… 電話口のおにいさんがキョドっててイマイチ話が入ってこなかったけど、症状発症日(自覚した日からにしていいらしい。なんだそれ。ゆるっ。熱出た日にしておいた。)から10日間自宅療養するべしってのと、これから今後の流れ?のショートメッセージが届くのと、生活物資とパルキシオスメーターと健康チェック表?らしきものが3日後ぐらいまでに送られてくる事は把握した。
先月患った扁桃炎と違う点
重力に逆らえないような体の重さだるさはない
頭がボーッとするような感じがない
喉の痛みはすくない(イガイガ、チクチクする痛みが多少あるけど、扁桃炎はもろ喉がやられてるからそれに比べるとなんともない。)
咳がえぐい
関節痛と筋肉痛が痛すぎる
ここまで、食事についてふれてないのは食事をすることについてはなんの不自由もないからです。
なんなら、熱がでて消費してるのかめっちゃ食欲ある。
あえて、「食事をすること」と言ったのは、食欲あるしなんでも食べられるけど、頭 関節 筋肉の痛さが尋常ではないからできるだけ楽な体制でいたいのと、熱がある時は単純にだるすぎるため作るのがしんどい。
熱がなくて、もろもろの痛みがひいてる時がご飯チャンス!笑
普段バイクで移動するので、なかなか駅から自宅まで歩く機会は少なく
お店がオープンしてから、開店にに気づくまでしばらくかかった。
その店が入る前はタコ焼き屋が入っていた。
ひげ面で丸眼鏡の痩せた小柄な日本人の店長が一人で切り盛りをしている。
健康に気を付けてとか、節約になるからとか外面のいい理由はたくさん思いつくのだけど、
一番の理由は食事を終えて満腹の状態ですぐに寝るという悪癖を好むからだ。
どのお店もなかなか訪れる機会がない
このタイ料理屋さんもそんなお店の一つだった。
初めてこのお店を訪れたのは、普段遣いのバイクが突然パンクをしてその修理の手配をした帰り道だった。
突然のトラブルにうんざりした自分は、気分転換にランチを外で食べたくてそのお店に立ち寄ることにした。
店のドアを開け一人の入店であることを伝えると、店長はこちらを見ずに
「カウンターへどうぞ」
と自分を席に案内した。
店内を見回すと、自分の住む6畳のワンルームより一回り狭いぐらいの広さで
二人掛けのテーブルがふたつ、カウンター席が1席のすごく狭い造りだった。
テーブル席の一つはカップルがすでに食事をしていて、一人はカオマンガイをもう一人はガパオを食べている。
時折女性は自分の食べているカオマンガイを男性に食べさせて、男性は自分の食べているガパオを女性に食べさせていた。
店内を見回すと、店内の壁にはタイ語のカラフルな張り紙のメニューが張られていて、その下には日本語でそのメニューの説明が書いてある。
それに目を通していくとランチはカオマンガイとガパオこの2種類のメニューしかやっていないようだ。
どちらを食べるか思案していると、以前ネットでガパオのレシピというのを調べて自作したのを思い出した。
レシピりの調味料と材料を集めて、それなりの金額になったガパオはとても美味しいと言えるものではなかった。
きっとプロの手によって作られたガパオは別物のような美味しいものなのだろうけど、
素人が材料を集めて作れる料理を、めったにしない外食で頼むのは悔しい気がした。
「カオマンガイですね」
注文を終えて、スマホを弄りながら待っていると意外と早く注文はテーブルに届いた。
思ったより量の少ないジャスミンライスの上に、
鶏もも肉がたくさん載せられ、その横に小さなお椀に盛られたスープが添えられている。
食べてみるとこれは意外といっては失礼なのだがなかなか美味しい。
だがやっぱり量が少ないな、何か追加で食べようか。
そう考えながら壁のメニューに目を通していると、店長が突然話しかけてきた。
「うちのお店のカオマンガイは本物なんですよ」
「日本にあるタイ料理屋さんはね、カオマンガイだけ出しているわけではないでしょう。だからジャスミンライスをほかの料理にも使えるように必要な工程を飛ばしてたりするんです。うちはそんなズルしないですからね」
びっくりしながら何か返答しようにも思いつかず、
自分はこんな美味しいカオマンガイ食べたことがないという社交辞令を言うしかなかった。
それから店長とカウンター越しにしばらく会話をした。店長はいわゆるタイに沈没していたバックパッカーらしく
タイ料理やタイでの思い出について聞くと店長は早口で饒舌に語り、日本にあるタイ料理はいかに本物と違うものか演説が始まった。
その日からまたこのお店を訪れるまでしばらくの時間が必要だった。
帰宅しインターネットで食べログを開くと、店長の接客に苦言を呈する投稿をいくつも見つけた。
なんとなく自分だけではなかったのかと安心するような、心配するような気持ちになった。
店のインスタを見つけフォローした、今日も客が少ないと文句を言いながら元気に営業している。
2年前ぐらいから移動手段として原2のスクーターに乗り始めた。
1回目の緊急事態宣言が解除になった翌日に自動車学校で小型AT二輪の免許教習を申し込みして、8時間の教習を終えた後、輸入新車という発展途上国向けのバイクを輸入して売っているショップで一番人気の車両を買った。
その時に買ったバイクの売り文句はインドスズキが贈るラグジュアリーモデルスクーターだった。
けれど当時は国産のスクーター1台分の値段でこの高級バイクを3台購入することができた。今はもう少し高くなったけれど。
原2という移動手段を手にいれて郊外のスーパー銭湯巡りが趣味になった。
今までたまに通っていた自転車で行けるスーパー銭湯ではなくて、
1時間かけてたどり着く露天風呂から海が見える、スタッフロウリュのサービスが1日3回あるサウナや
都内の水風呂が大きくてプールのようになっている有名サウナに行くようになった。
(余談だが近所にあるスーパー銭湯はサウナは残念だったけれどかき氷は本当に美味しかった。あのお店を超える大きさ美味しさのかき氷には出会ったことがない。)
2~3か月に1回ぐらいだけれど
一人で日常生活用のバイクを走らせて観光スポットに行って一人で帰ってくる。
しっかりめの異常者だし、ちゃんと友達のいない孤独な無趣味おじさんの奇行だと思う
SNSにそんな写真を載せればやっぱりあいつ異常者だったんだなと再確認されてしまうし、
いつか何か凶行に入るのではないかと心配させるのも申し訳ない。
だが大型バイクで駐車場がいっぱいのハンバーガー屋さんは美味しかったし、バイクでずっと峠を走るのは楽しい。
無趣味で友人の少ない自分に趣味ができたということは日々の暮らしがすごく豊かになったし、
週末が本当に楽しみになった。
雨と寒さだ。
バイクが本当に好きな人は雨の中でのツーリングこそ至高と言っていたけどカッパを着て体を濡らしながらの運転は疲れる
だが雨の日に家にこもってやれる趣味というのも残念ながら持ち合わせていない。
だが孤独で無趣味なおじさんは大体貧しい。もちろん自分もそうだ。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
大学時代には居酒屋のキャッチ、雀荘、ガールズバー(雇われ店長)などのバイトをしていた。友達は同じ学科の人くらいでバイト、昼寝、ネカフェ、友達の助けを借りて期末試験とレポートを乗り切る、という生活だった。就活は面倒くさくてやらなかった。大学の説明会すら行ってない。
卒業した後はたまたまガールズバーで働いていた女の子(今は会社員)と付き合い始め、ヒモ生活。先月に彼女に愛想を尽かされて追い出された。実家に戻ったが真面目な妹や頑固な両親からの目が痛いため就職したい。どんな職種が良いのか適当に提示して欲しい。職種や方向さえ定まれば、勉強するなり就活するなりツテを探すなりしてなんとかなる。コミュ力はあるはず。目標や目的さえあれば勉強するのも苦手じゃない。
とりあえず様々な職種を提示し、怠惰で他力本願な俺が今ベッドから起き上がるためのきっかけを作ってくれ。見知らぬ他人に善行を働いて、功徳を積むと思ってさ。
・性別 男
・年齢 25歳
・職歴 なし
・資格 普通免許、TOEIC790(学生時代にとったやつで今も有効なのかすらわからない)
まんじゅう要求BBAの増田を読んで俺も似た思いがあるので書く。
https://anond.hatelabo.jp/20220707214147
大学生最後の年、翌年から地元に帰って就職するので最後の長い自由時間を満喫しようと、バイクで野宿しながら2ヶ月半かけて日本一周した。
途中、紀伊半島でクラッチケーブルが切れてギアチェンジできなくなり自走不可能になって、バイクを押して歩いて海沿いの小さな集落にたどり着き、そこで数日停留した。
なんとかならないかとバイクをいじったがなんともならず、大阪のショップに電話して新しいクラッチケーブルを注文して、知り合ったおじさんの家に送ってもらうことになった。
バイクをいじってるとカブにのった郵便配達のおじさんが声をかけてきて、少しこれまでの旅の話などをした。
ケーブルが届くまで待つため、集落の人に了解をもらって集落前のビーチにテントを張って寝る準備をしてたら、昼の郵便配達のおじさんが車でやってきて、テントをわざわざ探し出して声をかけてくれ、車で家まで連れてってくれて、家族団らんの食卓にお邪魔させてもらい、一緒に晩ご飯を頂いた。
ごちそうさまでした、と帰ろうと思ったら、そのままお風呂はどうだとお風呂に入れてくれ、出たらパジャマが用意されてて「え?」と思ったら、もう布団を敷いてあるよと、そのまま翌朝の朝食まで頂いてしまった。
2日目の昼にガススタ事務所に招いてくれて笹寿司とコーヒーを頂いたり、息子さんの宿題を一緒にやったり、荷物が届かないからと車で一緒に運送事務所まで探しに行ってくれて、まだ無かったので切れたクラッチケーブルを溶接で直してくれた。
3日目に届いたので結局修理済ケーブルは使わなかったし、今ではそのバイクも手放してしまったけど、修理済ケーブルは今も大事にとってある。息子が大きくなったらこのケーブルを見せて思い出話をしたいな。
他にもガススタに来てた大阪から釣りしにきたおじさんの別荘に招かれ泊めてもらったり、ガススタの隣にある民宿のおばさんにずっとバイクを置かせてもらったり、たくさんのお世話になった。
こんな無償で優しくしてくれる人が大勢いるなんて、なんて暖かい集落なのだろうとびっくりした。
新しいクラッチケーブルが届き、バイクに付け、出発するときは、ガススタのみなが手をふって見送ってくれた。
しばらく走ったあと振り返ると、海ごしに集落が小さく見えて、みなの優しい顔が頭に浮かんできて、泣いてしまった。
就職して落ち着いた翌年の春、地元からお礼の手紙を皆に送った。
他にもこの集落から少し離れた別の集落でも、駅で寝ようとしたら汽車から降りきたおじさんに声をかけられ家で寝させてもらったり、近くの崖でヘルメットを落としてしまい別の集落の駐在所おまわりさんにヘルメットを貸してもらって街まで走って新しいメットを買いに行ったり、
北海道ツーリングでは地元漁師さんの家に泊めてもらって無人島(https://www.google.com/search?q=嶮暮帰島)(むかしムツゴロウさんが住んでた)まで漁船で連れてってもらったり、旅ではあちこちでいろんな方にお世話になった。
それから20年近くたち、たまにストリートビューで今あそこはどうなってるかなと見るんだが、あのガススタがマップに表示されない。
どういうことだ?と名前や地名で検索すると、閉業済みの情報が見つかった。
グーグルマップの口コミを見ると「ここのG,Sは親父さんが亡くなった為、もうスタンドはやっておりません。」
https://www.google.com/search?q=コスモ石油+亀井石油店+新鹿
実は日本一周の8年後、長期の夏期休暇をとってまたバイクで集落を再訪し、郵便局員のおじさんは(退職済みだったので郵便局でおじさんの家を教えてもらって)再会してお礼を言っていたのだが、ガススタのおじさんは不在で、息子さんにしか会えてなかったんだ。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/bokuto/tabi/100801/05.html
その息子さんとは、ガススタのグーグルマップに口コミを投稿したら、それを見てメッセージを送ってきてくれて、その後や現状を聞いたりしたんだが、おじさんに会えないまま別れとなったのは今でも心にひっかかってる。
世話になった人には、会える機会があったら積極的に会っておいたほうがいいよ、という話。
その時は強いカードが何なのか分からないし、ルールも全然知らなかった。
僕が持ってたカードといえば『バーバリアン1号』や『死の4つ星てんとう虫』みたいなノーマルカードばっかりで遊戯や海馬が使ってた『ブラック・マジシャン』や『青眼の白龍』は持っていなかった。それでも『人喰い虫』や『寄生虫パラサイト』みたいにキラキラ光ってるカードを当てた時は嬉しかった。
当時、自分からせがんたのかそれともお父さんが見つけてきてくれたのか忘れてしまったが、ストラクチャーデッキが2つ入った『EX-R』を買ってくれた。
そのデッキには『ブラック・マジシャン』や『青眼の白龍』も入っていたのだが、僕が一番カッコいいと思ったのは『クロス・ソウル』だった。
どうしてかっていうと光り方が当時の自分が初めて見たシークレットレア仕様でキラキラと光っていたこと、海馬がこのカードを使っていたことを覚えていたからだ。
でもデュエルする相手もいなかったし、当時の僕はルールも分からなかったからしばらくすると遊戯王以外のカードゲームを遊んだり、ゲームを遊んでいたのでしばらくは遊戯王から離れていた。
もう一度遊戯王カードで遊び始めたのは高校生の頃、友達みんなと夢中になって遊んだことを覚えている。きっかけは何だったのか全然覚えてない、でも周りの友達が一人、また一人と遊戯王にハマっていき、気づいたらクラスの友達で固まって遊ぶようになってた。
学校帰りに少ないお小遣いで新しいパックを買ったり、週末は僕の家に集まって何時間もデュエルして遊んだ。新しいパックに入ってる強いカードの情報が出るとこのデッキは俺が組む!とかこのカードの効果おかしいだろって教室で騒いでた。
本当に色んなことがあった。
スーパーで1台しかないデュエルターミナルに友達と一緒にしがみついてようやく目当てのカード『氷結界の龍 トリシューラ』が当たった時は本当に嬉しかった。友達のスキドレ次元にボコボコに負けたり、テキストを勘違いして『パイナップル爆弾』を使うと全てのモンスターが破壊されるデュエルを観戦して笑ったり、アニメで遊星がイリアステルと戦ってる時はバイクと合体してるってゲラゲラ笑ってた。遊戯王wikiと自分のカードを睨めっこしながらどんなデッキを作るか悩んだりした。カードショップのストレージコーナーに何時間も張り付いて目当てのカードを探したり、流行ってたゲームのスリーブをデッキにつけて自慢したり、VJUMPの特典カード目当てに色んな本屋を梯子したりした。思い返せばあの頃の遊戯王に関わる全てのことが僕の、僕たちの青春だった。
当時の友達とは全員ではないけれど今でも連絡を取っている。お互いに遊戯王は遊ぶことはほとんどなくなってしまったけど、あの頃の思い出をよく語りながら通話したり、気まぐれで買ったパックのカードを見せたりしている。通話で話すたび、何回同じ話をしてるんだろうって思うこともあるけれどそれだけ僕らにとって楽しかったんだと思う。いくつになっても楽しかった思い出は色褪せない、それが僕にとって遊戯王に関わる高校時代の思い出だった。
この文章をここまで読んでくれた人の中にはきっと遊戯王の思い出がある人がいると思う。それをTwitterでもLINEでもどこでもいいから書いて、昔の友達と話して『遊戯王』って楽しかったなって気持ちになってくれたら嬉しいです。
こないださ
私電子レンジ買ったのよ。
わざわざ隣の部署のところまで行って借りるのも面倒だしってわけで、
適当なやつを探していたのよね。
そんで昨年両親がネッツで冷蔵庫買ってくれってあったのことをもいだして、
その初めて使って貯まったネッツショッピングのポイントが無限にあったから、
そしてラッキーなことに!
期限が切れるのがその日だったのよ!
どうしようかな?って買うのを今まで躊躇していたんだけど
ついに買っちゃったわ。
だからトータル無限ポイントプラス登録限定クーポンであわせて1000円ぐらいで電子レンジが買えちゃうラッキーアンドラッキーを
ジョンソン・エンド・ジョンソンって言いたい気持ちのまま買えたのよね。
よく言うじゃない
その冷えたご飯はカロリーゼロって信じていた時代が私にもあったけど
やっぱり温かいものを温かいままで食べると美味しいってことを車輪の再発明の如く再発見したのよね。
そんなわけで、
俵万智さんばりの
俵万智のサラダやで!って言っててもあんまりサラダ記念日の値打ちがよく分かっていない感じの子どもにみごとにスルーかまされたってエピソードが大好きなんだけど。
まあそんな感じで
文明の利器は持っていなかった私は
持っていたのはせいぜい消臭力で
ちょっと私は人類の豊かさな意味では進歩したダーウィンがただやって来ただけで何もしないぐらいの進化を遂げたのよ。
そう言う焼き肉屋さんもあったり、
直でチャッカマンで火を付けるタイプの焼き肉屋さんもあるじゃない。
長いタイプのああいうチャッカマンって誰が考えたのかしら天才!って
ああいうのハーレーダビッドソンって言うの?あれに乗った西川貴教さんのシールが貼ってあって
あ!これだこっちの方だ!って消臭元か消臭力か迷わずに買うことが出来てホッとした安堵のため息なの。
私切れさせたらたいしたもんだ!って
切れてないけど。
切れていたのは消臭剤!
もう朝からキレッキレの感じがいいわね。
電子レンジとチャッカマンと消臭力のミッツ・マングローブさんに限るわ!
これもまた増田で
ブクマが300超えするヤツよ。
タイムマシーン3号の関さんが
西川貴教さんのホットリミッツのコントをしていたときにあのコスチュームを着てやっていたんだけど、
ずっと私忘れないからっ!
うふふ。
朝はしっかり食べておいて今週もてんてこ舞いで忙しい飛び込み前転な季節なので、
しっかり食べ込んでおくわっ!
作り置き助かる
ラスカルにも飲ませたい
水出しルイボスティーウォーラーは今週はこれでずっと行きそうなほど
作ってる暇ないってばさ!
とにかく
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
年間3000−5000kmくらいしか走行しないんだけど、気分的に車を買い替えか増車したい。
いまは欧州車SUVとリッターバイク持ち。ほぼバイク乗ってて、車は嫁子と旅行とかそんな用途だけ。
年収の半分までが車の予算上限と言われるけど、そこまで金出せない。良質な中古車がコスパ最高と思う。
世間はエコとかEVに向かってるけど、車はやはりガソリンかなあ。ロマンよ、ロマン。
レクサスみたいな優等生もいいけど、せっかく所有するならドイツかイタリア車。
赤松先生の赤い痛街宣車弐号機がゲーセンのオーニング(日除けシェード)を破壊した件で、ストビューで周囲の状況を見て回ったらなんかあそこらへんすごいのな。マジで罠としか言いようがない。
現場は京都の新京極って呼ばれる商店街のすぐ横で、新京極にはアーケードが掛かっている。
https://goo.gl/maps/ddqoSFQedoUA4RWSA
薬局が写っているが今はゲーセンになっている。オープンして直ぐに特攻されたんだな。
奥(東側)に公衆トイレがあるが、そっちの先は狭いクランクになっていて、原付バイクぐらいしか通れない。だから店の前の広くて木が生えている三角形のロータリーみたいなところでUターンしようとしたか、奥まで行って通れないのでUターンしたかのどっちか。
だから西側から来た訳だが、実は新京極に並行する形で寺町アーケードが通ってる。そこの交差点がここ。
https://goo.gl/maps/pw6a8GkFkdK7u2cw5
Y字路左側は10時~深夜0時まで通行不可で右は規制なしで現場に至る。でもこの先は普通車には行き止まりなのに表示が無いのだ。
「歩行者専用:10-24」「進入禁止:0-10」「一方通行:0-10」だ。
スゲー判り難いが、車が通れるのは深夜0時から10時までで、一方通行だって意味だ。一方通行がこんな変な角度で付いてるのは見た事が無いが、これが京都府警のポリシーらしい。つか、一方通行標識は入口に立てて出口には進入禁止だけっていうのが普通だろ?
後ろ(西側)を向くとアーケードへの接続道路も「歩行者専用:10-24」「進入禁止:0-10」の規制になっている事が判る。
多分街宣弐号機はこっちから入ってきたと思われる。
https://goo.gl/maps/8mM7vU2UQnPjsWn87
しかも止まれのペイントと標識が向こう向いているのが見える。おい、ここ一通だろ。なんで一通入口に止まれ標識あんの?
更にこの先通行困難とか案内はないのだ。おいこれフェミの罠だろ。
だからここで先に進んでしまったが最後、先は行き止まりで、焦って戻ろうとしても「実はここ戻れないんだよね」と後から言われるという文字通り罠なのだ。
店前で集客ビラ配ってて入ったらいきなりぶぶ漬け、正面から出ないでねみたいな感じだ。流石は京都というべきか。
京都府公安委員会はこれでいいと思ってるんだろうか?困るのは一見さんだけやしと。
難しい規制標識や複雑な絡め手で執拗に誘導され最後にぶぶ漬け、その戻り道に木で狭くなった箇所に街宣増設部分にヒットするように障害物設置。多段掛けの罠だ。影牢かよ。先生、三角木馬であんあんされちゃうよ。
こんな事されたら赤松大先生だって汎用人型街宣兵器で街宣の自由を障害する障壁、オーニング(約15~20万円)を破壊するしかないですよ。無理もない事だ。
障壁に挑んで自らも傷ついた弐号機が溶鉱炉に沈んでいく様は涙無くして見れなかったが、ここでしかし赤松先生。
そのゲーセンの玄関のオーニングが開いててそこにぶつかるというのは、一体何時何分に事故が起こったのでしょうか?
10時を過ぎると周囲は全部車両通行禁止になるのだけど、えーと…
いや、言うまい!
そんな不都合な詰問をしてしまうと雑魚戦士達がこのゲーセンに「お前の道路法違反が原因だ!」と戦いだしてしまうからだ。温泉娘に文句言ったら未だに嫌がらせされて警察沙汰にもなっている熱海の飲食店みたいに。
山田議員がまだ無所属だった時代の赤松先生、アイデンティティと外敵の扇動に振り回されて何も生まず呆れた人がどんどん去っていくだけのオタク表現規制反対界隈を憂いて愚直な自由論と行政、立法の仕組みを説いていた辻説法士だった時代の事を知っている人間からは「頼りになりそうな兵隊に囲まれて良かったですね。過去の自分からの守りも盤石ですね」との言葉を掛けるぐらいが精々である。
Aくんの作文、A 子さんの作文、バイクでいくぜ!などと呼ばれている小噺の元ネタを探しています。
ネット上の断片的な情報をもとに、まずは90年代前半の学研の科学と学習を調査中。
もし、元ネタに心当たりがある方はどんな情報でもいいのでコメントをください。お願いします。
A君は作文の書き方が分からなかったので料理中のお母さんに「お母さん、作文教えて~」と聞きました
お母さんは「あとでね」と言いました
A君は作文に『あとでね』と書きました
次に、A君はお父さんに「お父さん、作文の書き方知ってる~?」と聞きました
お父さんは「あったりめぇよ!」と言いました
A君は作文に『あったりめぇよ!』と書きました
次に、A君はアニメを見ている小さい妹に「作文ってわかる~?」と聞きました
妹は「アンパンマーン!」と言いました
A君は作文に『アンパンマーン!』と書きました
次に、A君は彼女と電話しているお兄ちゃんに「お兄ちゃん、作文教えて欲しいんだけど……」と聞きました
A君は作文に『バイクで行くぜ!』と書きました
そして、次の日
A君「あとでね」
A君「あったりめぇよ!」
A君「アンパンマーン!」
A君「バイクで行くぜ!」
先日この話を思い出してネットで元ネタを調べても分からず、気になって仕方なくなったため。
本当にそれだけです。
知恵袋のベストアンサーに学研の科学と学習に載っていたとのコメント
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321798893
ピクシブ百科事典では
バイクで行くぜとは1980年代後半以降、全国の小学生の間で同時発生的に流行ったネタの事である。
(中略)
また、2chまとめブログのコメント欄で「科学の投稿でみた」「学研の付録漫画で見た」とのコメントあり。
以上から、80年代後半〜90年代で学研の科学と学習の本誌、あるいは別冊付録に元ネタがあると推測しました。
80年代後半〜90年代では範囲が広いので、ひとまず90年代前半に絞って資料を調べました。
→90年代前半には別冊付録がない(あるいは所蔵されてない)ことが判明。
・科学と学習の別冊として学年毎に年2冊刊行された「読み物特集」
また、90~95年の科学と学習本誌を100冊ほど閲覧したがこちらも該当するものなし。
不確かな情報をもとに元ネタを探すのは厳しいと思っていましたが、予想以上に大変です。
掲載年や形式が不明なので1冊1冊を集中してみる必要があり、かなり体力と精神力を奪われました。
よくあるしょうもない話なんだろうけど、最近一年半付き合った彼氏と別れた。有り体に言うと振られた。
原因は私の生活習慣。
うっかり屋なのでたまに水道がチョロチョロ出っぱなしになってたり、こたつのコンセントが差しっぱなしだったり。
それらをやるとすごく彼がふさぎ込み、機嫌が悪くなったし、
マジで私が悪いと思うが、そんなの別れるほど深刻なものか?と正直今でも思ってる。(ごめんなさい)
あと、部屋が散らかってる状態についても認識が異なっていた。(実家に彼が住んでた時、部屋に本当に何もなかった)
正直本気で大好きだったけど、
こんな女と結婚して上手くいくとは思いづらいし、
お互いのためにこれでよかったのかもしれない。
彼(25)は寂しがりやで几帳面で将来に対してはとても楽観的で、手取りは13〜14 万だった。(付き合い始めのとき隠してたよね!)車とバイクを持ってて、よく乗せてくれた。親との関係は良好。
私(26)はどちらかというと一人のほうが好きで、かなり大雑把だけど将来については悲観的だった。(貯金とか手取りとかすごい不安。今でも)手取りは22万、車はなし、今は実家暮らし。こちらも親との関係は良好。
よく付き合えてたな私たち
足めっちゃ臭かった!車乗るとき靴脱ぐんだけど、もう香り立つのね車内に
毎回ちょっとやらかすたびお説教始まるのだるかった!!人のミスには厳しい癖に自分のミスには寛容だったよな
私よりいっぱい食べるのに食費割り勘なの嫌だった!
デート中に彼の友達にあったとき寒空の下小一時間放置されたの嫌だった!風邪引いたわ
ペアリング買ったとき割り勘だったのちょっと嫌だった!もういいけど!
寂しがりで、常に人と繋がってたい(きいろチャットとかやってた)のが嫌ではないが私がいるだろ!ってなった
親に私のこと片付けが出来ない女って言ってたの事実だけどかなり嫌だった!(彼女さんも問題だがお前も神経質すぎと言われた模様)
すぐドンキとか100均で変なお菓子とか飲み物買ってくるの嫌だった!
手取り14万て!子供二人欲しいって言われてもそれはきつくない!?
こんだけ無茶苦茶言ってるけどそれを上回るくらい好きだった、一緒にいたかった
いい女ぶりたくてさっさと出てきちゃったけど別れたくなんか無かった
夜中に私がヘラっちゃって「もう一回チャンス欲しい」ってLINEしちゃったけど、
こんなんじゃ戻っても上手くいくわけ無いじゃんね、
すぐ送信取り消しした
私も嫌なこといっぱいあったけどそれ以上に好きだったんだけどなぁ
今でもあなたが大切にしてくれた時の思い出がフラッシュバックしてゲロ吐きながら泣きそうです
でも私、あなたが嫌いな私のうっかりを100%無くすなんて嘘つきたくないし、
たぶん結婚しても子供できてもやらかすときはやらかすと思うからこんな私じゃ駄目なんだ
努力してヨリ戻しても結局なんかの拍子で違うミスをしてまたきっと爆発しちゃうよね
体調が悪いとき、薬を持って迎えに来てくれた
地震がトラウマなんだけど、大きな地震が来て動けなくなっちゃったときに実家のマンションまで送ってくれた
いっぱいドライブに連れて行ってくれた
ちゃんとした人になりたいな 頑張るぞ
とか言ってましたが、あっさり好きな人が出来ました
ここ2ヶ月くらいほぼ毎週飲んだり遊んだりしてる
今日はプラネタリウムなんか行ったし、見ている中で彼が東の空を見ている間ずっと横顔を盗み見てドキドキしてた
好きだなあ