はてなキーワード: 跡部景吾とは
オタクの身だしなみについては度々燃えているので、外見なんかどうでもいいよ! 恋人なんかいらないよ! という人はスルー推奨。
今の環境は大好きだけどそれはそれとしていない歴=年齢のこじらせた女オタク、まあつまり私のような人はぜひ。
長い女子校生活は、それはそれは楽しかった。まわりにはオタクもいっぱいいたし、オープンにしてる子も多かった。おっとりした校風だったから、多分、オタクの多い学校だったのだと思う。「誰に仕えたい?」というアンケートに跡部景吾が出るくらいだった。
もちろん大学も女子大を選んだ。同じような、おっとりした校風。アクスタやぬいを抱えてカラオケやお泊まり会に繰り出し、高校時代より充実したオタク生活を送っていた。
その影で、私には特大コンプレックスがあった。これまでただの一度も彼氏がいた事が無かったのだ。2年生になり、年齢が20代に入ると、コンプレックスはさらに加速した。
というのも、私の周りのオタクたちは、ほぼ全員が女子校から上がってきているにもかからわず、彼氏がいた事のある人が大半だったのである。彼氏の有無がすべてではないし、いてもいなくても生活に支障はない。が、「私だけ彼氏がいた事がない」という事実は、やがて大きなコンプレックスとなった。
さて、そんなこんなしているうちに、私はソシャゲから卒業することになる。
別に嫌いになったとか引退したとかではない。某俳優に沼り、触らなくなっただけである。結局オタクやってるやないかい! とツッコんだそこの君、落ち着きなさい。
この某俳優、決して2.5次元俳優とかではなく、朝ドラとか大河ドラマとかに出てるタイプの人。ゴリゴリの芸能人。
なので、課金の機会(厳密には課金ではないけど、お金をかけるという意味で)はグンと減る。ファンクラブの会費、グッズ、ライブ程度。どれも低額なので、必然的にお金に余裕が出来た。そしてそのお金は、服や靴、美容院、眉サロンへ回った。
別に、オタ活のお金を外見に回したところで大きく見た目が変わるわけでもない。一緒である。「オタクだけど外見にお金をかけてる」というマウント心だけだった。ただ、これのおかげで、だいぶ自信が持てるようになった。いや、自信が持てるようになったというより、「私なんか」という卑下した気持ちを持たなくなった、という方が近い。
そうして調子に乗った私は、マッチングアプリを始める。マスク有りの集合写真だったけど、やはり年齢の力は強い。捌ききれない量のいいねが来る。
アプリの話はここでするつもりはないので省略すると、彼氏ができた。私にはもったいないような人。かつてソシャゲに使っていたお金は、彼氏との外出、旅行などに使えるようになった。
さて、ソシャゲやめたら彼氏が出来たとは言ったけど、もちろん「ソシャゲやめる=即彼氏」というわけではない。ソシャゲやめる→お金に余裕ができる→外見にお金使える→自信に繋がる→彼氏 というような流れだ。
ちなみに「自信に繋がる」と言えば聞こえはいいが、いわゆる「マウント」に1番近い。というかマウント。オタクだけど外見にお金かけてる私、ソシャゲに無駄金溶かしてるお前らとか違う──そういう気持ちをものすごく綺麗な言葉にすると「自信」になるのだと思う。ただ、私はそういう気持ちが原動力でも別にいいと思ってる。綺麗になるには努力が必要、努力には原動力が必要だから。
いない歴=年齢は、歳を重ねる毎にコンプレックスが強くなる。そして男性からも「いた事ないのは事故物件なのでは?」と思われるようになる。失礼な話だけども。
今回の事件の元凶は自民党と統一教会が繋がっていたことと、同時に弱みに付け込まれて破産して家族を守れないほど実体のないものに金を注ぎ込んでしまった事例である。そもそも日本には信仰の自由がある。現金を巻き上げるカルト宗教を取り締まれと言っても「お布施は個人の責任、個人の意思で支払ったのだから合法」と言えばどうしようもないし、支払った本人が満足しているなら金の使い道を外野がどうこう言うことはできない(という理屈ははてな民が大好きな理屈だ)。たとえそれが洗脳によるものだとしても、洗脳であることを100%証明することはとても難しいし、洗脳だったと本人が認めることがかなり残酷でもある。
実体のないものに多額の金銭の支払いを求めること自体を違法化するなら、次はソシャゲのガチャが規制される。骨董品なんかも原価から程遠い額のものは規制されて、有名なアンティークだとしてもその価値も数値化できないので宗教と同様になる。骨董品はガラクタとなり、コレクターは拝金者として嘲笑される。おもちゃ博物館なんかも「そんなもの取っておいて維持費ばかり大変」と次々取り壊しにあう。
推し活と行って給料全部を推しに注ぎ込む行為もグレーゾーンになり、商業的にグッズもなかなか作れない状況になる。ファンの行為も宗教的と見なされて跡部景吾生誕祭なんかは完全にカルトの領域として「国家転覆を企む隠れ蓑になっていないか」と公安から監視され、薄い本やネットの夢小説まで検閲が入ることになる。
もちろんアイドル業界も大打撃を受ける。総選挙や握手券などで無駄にCDを買わせるなど言語道断。ファングッズなども原価での販売を強いられ、集客が出来ないということで歌やダンスというパフォーマンスはどんどん先細っていく。人々を扇動するという理由で反体制的なロックやラップは規制され、歌手は国家を讃える歌しか歌えなくなる。それすらも気持ち悪いというクレームが相次ぎ、歌を発表する人もいなくなる。
同様にかわいい動物や漫画ゲームのキャラクターも次々と自主規制が始まる。「信仰の対象」を捨てることがブームになり、本やグッズの大量廃棄が相次ぐ。ペットショップは閉鎖され、里親を探しても「かわいいからという理由で動物を飼育することは宗教に該当しかねない」と世話を拒否する人が続出し、社会問題になる。結果野良ペットが街に溢れることになる。
単純な趣味すら宗教と見なされ、車やバイク、登山やアウトドアなどの趣味は白い目で見られるようになる。「弱者を優先させずに個人の快楽に興じた」という風潮になるので、レジャー施設は軒並み閉鎖されてそこで動いていた金は障害者福祉へ回される。「自分の好きなことより弱者へ金を回そう」が合言葉になり、「施し」がブームになる。
これにより「弱者集団」が台頭し、事故で障害を負った者が「弱者集団」を形成して施しを受け取ることが奨励される。公安も「施し」なら良いと目こぼしをするようになる。
人々は労働に明け暮れ、趣味を持つものは宗教的と見なされ公安にマークされるようになる。レジャー産業や広告業界、芸能界は廃れて悪の拝金主義者と見なされる。テレビも公安の検閲が入り、ネットではファンサイトは死滅する。動画配信など以ての外だ。男女の出会いの場も減り、婚活業界が盛んになる。
やがて「施し」に過度な金銭の動きが見られるようになる。「うちの子はこんなにかわいそうなんです!お金を恵んでください!」「こっちは難病で死にそうです!かわいそうでしょう!」「余命宣告された母に美味しいものを食べさせてやりたい!母は牛丼という庶民的なものをよく食べます!」「キモくて金がないオッサンだから配偶者を恵んでください」「理解のある彼くん募集中」など金銭に留まらず様々なものが「弱者」という名目で巻き上げられるようになる。「弱者」の中でもアピールできる層とそうでない層で分かれ、「お前はまだ弱者アピールできないんだから恵め」と言われる。
次第に「弱者」は働かなくても生きていけるようになる。親は子供を弱者にしようとわざと事故を装い障害者にすることが流行し、エリート弱者になることが推奨される。どれだけ馬鹿でどれだけ弱いかが大事になるのだ。勉強なぞ以ての外。勉強なんかしたら「施し」がもらえないんですからねと甘やかされた子供が増える。ちなみに子供は無条件で弱者になるので一世帯50万円が毎月支給されるようになるので子供の数は増えた。
そんな中老人は「目先の欲のためにそんな弱者になることばかり考えていると痛い目に会うぞ、自分の好きなことをして生きろ」「こんな世の中は間違っている、実力行使しかない」と警告をするが、「国家に仇なす自由主義の手先」と公安にマークされて投獄され、山奥の作業所で監視されながら考えを強制される。「万歳!弱者優先の国家万歳!私たちの考えは間違っていた!自由など愚か者の考えだ!我々は弱者のために奉公しているにすぎない!この壺を原価で売って奉仕をするのだ!」
煽りみたいなタイトルになってしまったがそうじゃない。純粋に気になっている。
夢女・夢女子と呼ばれている方々、自称している方々はどういう願望の元その思考に至っているのか?
いや自分もある程度はわかる。
例えばテニスの王子様「跡部景吾」の夢女は、顔が良くてテニスも強くて正確に少し癖があるけどかわいいところもある、そんな跡部に愛してもらいたいとか思うのだろう。多分。跡部さまはカッコイイから気持ちはわかる。
他にも、アイドル(二次元・三次元問わず)の夢女や普通のイケメンキャラの夢女もまあわかる。男は所詮顔だ。
あんな奈落の底のような目をした男に愛されたいのか??そうだとして、どう愛されたいのか??
リヴァイ兵長が魅力的なキャラクターだということはわかる。別に嫌いなわけじゃない。単に、「彼に愛されたいってどんな気持ちだ??」という純粋な疑問が頭から消えないのだ。
加えて、彼が普通に誰かを愛するという姿が想像できないというのもある。
あとは、ゴールデンカムイの尾形の夢女とか。
尾形にも夢女がいると聞いたとき、正直「死にたいのか???」としか思えなかった。どんな愛され方を望んでいるんだ??
近年はポケモンの夢女もいると聞いた。ポケモンに愛されたいってことなのか??自分もイーブイに懐かれたいという気持ちはあるが、それは夢女という括りでいいのか??
誰か教えて欲しい。
今回の件に関しては、私個人の意見としてですが、選考はあったと思いますし、
これまでも“彼女”への贔屓はあったと思っているスタンスです。
選ばれた5名のうち、抽選をしたのがひとりもいないかはわかりません。
“特に必要事項ではなかったメッセージ”の書かれたハガキを読んで、順位付けして、
その結果同率でどちらか選んだ、なんてこともあるかもしれません。
2.5次元ミュージカルの火付け役になったり、
作品のオタクじゃなくても、名前は知っていてくれる人も多いほどです。
今初めて出会ったような人よりも長くこまめに応援してきた人を気に入るだろうし、
正直私が彼でも、ごくごく限られた人のみのディナーですし、ある程度自分が名前を見たことのある人を選びたいです。
混同するなと言われるとは思いますが、若手俳優とオキニもそんなもんです。
悪いことだとは言いません。
当選した“彼女”たちがこれまでそれなりのお金もかけながら“長い時間”応援してきた分と、
“抽選”だから“大金”を支払い、書籍を大量に買って、応募している人。
どちらに天秤が傾くかはもう先生次第です。
なんなら結果的にこの部分では、私は先生の思いが“彼女”たちに傾いてよかったとさえ思います。
最初から必要事項に『テニスの王子様への愛を綴ってください。それで選考します。』なんてことがあればよかっただけです。
ビジネスとして書籍を多く売りたい。CDや本もセット商法じゃなければ売れない時代です。
ですが、これが今の世の戦略です。多くの商品でそんなことは行われています。
テニプリじゃなければ、私もこんなこといちいち言いません。
素直に選考があったこと、熱いメッセージに押されて当選者を決めたこと、
それを認めたうえで、何らかの措置があればこんなに大きな問題にはなっていなかったと思います。
オキニとか彼女貶された時の若手俳優、声優もそういうことします。
許斐剛は神ではない。
歌も歌うし、曲も作るし、漫画も描く。
突拍子のない企画もするし、ひとたびドンドンタンすれば大きな波を生む。
これまで“彼の作品”が伝説を作ってきたことは紛れもない事実です。
彼はただの“漫画を描く人”なので。
とりあえず、書きたいこと適当に書きましたが、
ただ、人を神扱いするのはもうやめます。