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2024-06-19

anond:20240619120444

辞めるな

もっとキツくなる

今の仕事を全力でバレないようにサボって転職活動して決まってから辞めろ

リストラ転職経験してるおじさんとの約束だぞ?

ゲーム有給」とか「ディズニー有給」は公言すんなとは思う

anond:20240618140259

これ、ほとんど同意できないけど有給周りのことについてはめちゃくちゃわかるわ

最近若い連中は有給申請するときに「好きなゲームの発売日なので」とか「友達ディズニー行くので」とか普通に言いやがる

あまつさえ休み飲み会とき雑談でそれを公言しまくる

いや別にどんな理由有給使おうが別にいいけどそれを公言すんのは違うだろ

普通に「私用」で申請しろ

お前が遊んでいる間こっちは業務調整してお前の分の仕事もしてんだからもっと配慮をみせろや

普通に失礼だろうが

この辺の機微に疎い若者最近マジで増えたなって思うよ

こっちもニコニコ作り笑いして「そうなんだねー」って反応してあげてるけど普通に内心では疎まれてるってことに気づいた方がいい

anond:20240619102202

ダイヤル式が前提になってるけど、俺の家は戸建てなので突っ込んでボタン押し込めば鍵かかるやつでもやらないんだぜ

もっと言えば配達物ほとんどは薄い箱サイズ以下なんだが、このサイズがそのまんま投函出来るポストもあるんだぜ

床にポイ捨てと大して変わらんと思うんだがなあ。

anond:20240619094549

冷蔵庫内の温度が高くなる、みたいな話は昭和冷蔵庫の話だから

ちゃんと今の冷蔵庫あるなら、料理飲み物はは熱いうちからさっさと冷やせ

という話、もっと広まっていい。

Twitterライブ放送って誰が嬉しいの?

SpaceX打ち上げっていつも楽しみにしてたのに

最近だとTwitterライブ放送ばかりでマジでゲンナリしてる

別にYoutubeしろかいう強い要望は無いんだけど

単にもっと画面をデカくしたいのに全画面かPicture in Pictureしか方法がなくてすげーやりにくい

おまけにテレビで写すとかもできないしYoutubeみたいにコメント見れないし

これは一体誰が嬉しいの?イーロンマスクだけ?

別れた夫はなんであんなどうでもいいことを子供たちに怒鳴って怒ってたんだろな…って考えてた。

私がどうでもよくない?って言うとめちゃくちゃ怒ってたけど自分もそれやってるよね…とか。

なんか本人は筋が通ってるつもりなんだけど、側から見るとなんか言ってることおかしいのほんとに気づいてなかったのかな、客観的にも社会的にも頭のいい人なはずなのに…とか。

自分は躾のために嫌われ役をやるって勝手悲劇ヒーローやってたけど、子供たちに嫌われたことはこたえてた。

躾は怒鳴らなくても怒らなくてもできるよね…って言っても、子供動物と同じだからっていう持論は曲げなかったなー。

あと叱り方がすごく意地悪だった。あれはほんとにやだったな。

子供たちが何か失敗したりやらかしたりすると、考えられる中で1番意地悪な解釈して怒って、子供たちが無駄に傷ついてることも非難すると躾だからって言い張ってた。

それは嫌われるよ…って私はいつも思ってた。

最後は私もだいぶその意地悪な思考にやられてて、それも含めていろんなストレスちょっとおかしくなってた時は夫はもっと酷いこと思ってるに違いないって妄想が止まらなくなってた。

でも多分、本人はそんな酷いこと言ったんだって自覚はまったくないんだと思う。今でも。

自分は言い方が悪いことはあるけど、根本的に間違ったことは何ひとつ言っていないっていつも言ってた。まあその言い方の悪さにも限度はあるよね…

やっと落ち着いて今思うのは、あれは親御さんからそういう育てられ方をしたからなのかなとか。

自分も親御さんのこと嫌いなくせに、躾はあれが正しいって信じてたとかなんだろうか。

彼は結婚するとき、私がそういう意地悪を言わないところが人柄として好ましいって言ってたのに、自分子育てする番になってそれ忘れちゃったんだなあ…

あるいは彼は子供たちを私みたいな人間にはしたくなかったのか。

あれっその時点でもう私こそがすでに愛されてはなかったのか…?まあそれは考え過ぎか。

今は子供たちも私の実家で落ち着いて生活してる。

もう意地悪を言ったり怒鳴る家族はいいから、だいぶ穏やかになって姉妹喧嘩することも減った。

でも夫もほんとは誰よりも家族幸せを願ってたはずなのに、彼にはそれが最後までわからなかったのはとても気の毒に思う。

大阪カフェの、Xでの宣伝ポストを発端とした炎上について雑感

※筆者の感想なので、この人を誹謗中傷する意図は毛頭ありません。

ことの発端は、「間借りでやってるカフェにお客が全然来ないのできてください、大阪住吉大社の近くです」

的なカフェ宣伝ポストがX上でバズったこ

そしてそのポストに対して好意的な反応もあったが「来て欲しい割にはポストプロフィールにも店の名前、住所、営業時間などが一切書かれてない」みたいな指摘が大量になされ、直接本人にリプライ質問した人に対して「インスタに書いてる」と返事をしたり、店主にとって不快発言をした人に対し引用で「お前は来なくていい」「こんなやつが来ないように事前に弾けて良かった」みたいな挑発を行ったりしたことで、炎上した一件。

その他にも、元の投稿者(以下店主)は以前X上で誹謗中傷を受けたということで裁判を起こした記録をnoteに書いており、そのnoteへのリンク記載されたポストセルフポストするという行為をしていた。

そして炎上したのち、謝罪文掲載暴言引用をした相手謝罪するものの、もはや炎上の勢いは簡単にはおさまらず…といった流れ。

俺は野次馬根性で眺めてただけで、直接関わっては無いんだが、この店主、完全に偏見だけど、多分謝罪文も出してるし口では言ってるけど、本当は何が悪かったのか分かってないというか、「本当に悪いのは俺を追い詰めたネット民」って心の底で思ってるんじゃないかなと思う。相当にプライドが高いか負けず嫌いを拗らせている気がするんだよ。だからX(SNS)上での対応でことごとく下手を打ってる気がするんだよな。例えば初めの宣伝ポストは仕方ないにしても、聞かれたら店名など答えれば良かった話だし、引用で「店名や住所がわからない」と指摘されれば、元ポストリプライリーでぶら下げたり、プロフィールを加筆修正すればすぐに済むことだったはず。ましてや暴言ツイート過去裁判ポストのリポストなどする必要は全く無いと思うんですわ。

店名を聞かれ「インスタに書いてる」と言ってかたくなにXでは店名を書かなかったこと、これも店主の中で「質問に答えたらネット民要求自分が屈して言いなりになったことになる」って考えてしまう心がわずかでもあったんじゃないかな。そして、負けず嫌いからネット民の低レベル煽りにも我慢できず「来なくていい」っていう、自分が優位であるかのような物言いで言ってしまう。で、裁判で勝ったことをリポストでちらつかせてしまったんじゃないかな。

今はポストは削除済み(正直これも信じられないが)の謝罪文には「責任を取って閉店する」という事を書いていたんだけど、謝罪文の載ったポストはいつの間にか削除されていて、カフェも何事もなかったかのように復活してるんですよね。もちろんしょうもないネット民に屈する必要はないと思うけど、店主はそこまでの間に、自殺を仄めかすようなポストもしている。自殺を考えてしまうほどの大炎上に遭っておきながら、自ら出した謝罪文で閉店するって書いたものを、ポストごと抹消して店を再開するって、相当図太い性格してるんだなぁ…と思った。少なくとも、自殺寸前まで追い込まれ人間の取れる行動じゃ無いとおもうんですよ。

店を再開は全然いいと思うんですよね。ただ、謝罪文(閉店の知らせ)を消すのって、店主の中でその事実を消し去りたいからそうしたんじゃないの?って思ってしまう。

そして数日前に「無題」というnote記事を店主は執筆し、固定ポストにしている。内容は「健常者エミュレータ」のフォーマットをなぞって自身炎上の件について振り返っているのだが、これもまあすごい内容。

最初5W1Hについてはまあ普通の内容かな…と思って見ていたら、その後に続く尋常じゃない量のスクショ。「皆様から頂いたご意見」ってあるけど、ざっと見た感じ大多数が暴言中傷スクショ

まず気になるのは、これだけの量のスクショをわざわざ保存していたのか、このnoteのためにスクショ撮ったのか。前者なら何のために?って思うんですよね。そうなると店主のこれまでの行動的に、裁判を起こすための材料として集めてたのでは無いか?と思うのは自然なんですよ。後者場合でも、ここまでやる必要無いと思うんですよね。1020スクショならわかるけど、(もちろん店主が受けた引用リプライからすれば一部だろうけど)記事の9割を埋め尽くすという生半可な量じゃ無いし、一時期自分自殺寸前まで追い詰めたツイートをわざわざスクショしにいくってまともな精神じゃできないと思う。

「どうすればよかったのか」欄も、言葉の端々に異様な卑屈さが垣間見られて、「週一営業から身の程を弁えるべきだった」「正当な批判誹謗中傷平身低頭で受け入れたらよかった」とか、「誰もそんなこと言ってなくね?」ってことをわざわざ書いてるんですよね。

「これからどうするのか?」欄にも「被害を受けても自分有害性を自覚することを優先する」とか「自殺する場合は誰にも言わず黙って実行する」とか書いてるんですよ。

極め付けが最後の「備考」で「自殺未遂で人生2回目の措置入院経験した」って書いてるんですよね。これ、本当に入れる理由が謎ですよね。備考って「参考のために書き添えること」って辞書に書いてたけど、誰が何を参考にするんだろうか。自戒意味でこのnoteを書いているなら、措置入院したなんて自分で分かりきっていることなんで書く必要無いと思うんですよ。

となると、多分これらって、スクショ撮った目的とかは別かもしれないけど「健常者エミュレータをなぞって自戒している」という体にして晒しというか「自分はこんなに被害を受けたんだ、酷い目にあったんだ」って主張したいんじゃ無いかと思う。だからわざわざ平身低頭とか自分有害性とか卑屈な言い方をして、最後措置入院のことをわざわざ書き添えてるんじゃ無いかな。多分店主的に、店も再開したけど、何か一発ネットに対して報復しないと我慢できなかったんじゃ無いだろうか。本当に真摯意見を受け止めていたら、措置入院とか書かないと思うし、そもそもわざわざ「健常者エミュレータ」のフォーマットなんて使わないと思うんですよね。健常者エミュレータってある意味自虐ネタというか、自分のヤバさをネタ昇華するような性質があると思うけど、今回のこの店主の使い方は、「自分の受けた中傷オープンにして、卑屈になって自分を悪し様に記述して、措置入院したこともついでに自己開示することで、自分の受けた被害アピールし、さら謝罪自戒という体で記述してこれ以上の攻撃を予防する」目的で書かれたんじゃ無いかな。

なぜわざわざこんな長々と分析してるかというと、この店主の性格、行動が昔の自分にめちゃくちゃ似てるんですよね。されたことを根に持って、何かしらの形で反撃しないといられない。多分昔の自分が店主の立場だったとしても、同じことをしてただろうなと思うんですよ。

から一連の流れは見てるだけだったけど、まるで昔の自分を見ているようだったし、店主には本当に気づいて欲しいと思ってる。もうちょっと素直になって、例えば初めから店名を教えるとか、プロフィールに書くとかすればこんなことは起こってなかったよってことを。

大阪公立大学出てるなら、感情の読み取りとかはともかくとして、文意を読み取るとかの知力はあると思うんですよ。だから、本当にもっと素直になって、誹謗中傷じゃなくてアドバイス意見の部分に耳を傾けて、平身低頭じゃなくてもいいけど謙虚に受け止められたら色々変わってくるんじゃ無いかな…と思う

anond:20240618222241 anond:20240618221543

ワイもADHDで50差があるけど、ゆうて仕事のもので困ることまずないのよな。生活基本的な部分で苦労してるんだよね

両親はフリーダムで、『やりたくないことはやらない』というワイの態度をほぼ矯正しなかったのよ。結果、その部分でつまずいてる感じ

 

例えば、手先が極端に不器用で異常にすっとろいから、料理日常タスクとして難しい。今はお金があるから問題ないけど、収入がなくなったら詰むよね

偏食がなければ、レンジでチンするだけの食事でも大丈夫だろうけど、パンダ並に偏食が激しくて、Nashダメだったし、

Oisixミールキットレベルでも異常にすっとろいか日常タスクとしては厳しかった

エアフライヤーは買ってよかったけど、毎日揚げ物や焼き物ばかり食べたくないし、そもそも毎日きちんと食事すること自体が難しい

食べたくないもの食べるくらいなら別に食べなくていいやってなっちゃうんだよな

いい年なので低血糖で発汗したり具合が悪くならないようにだけ気をつけてるが

 

そのほかの日常部分においても(基本的な身だしなみとか)ほぼ似たようなレベル

 

あと、お金管理がすごくルーズ

収入が増えたか貯金はできてるけど、時間が有限だってことをガン無視で、常時また稼げばいいの精神

衝動性が強くて全ブッ込み余裕なので投資も難しい。両親もお金管理が極端にルーズで、投資(投機?)や純粋ギャンブル趣味や女遊びに全ブッ込みしていてた

今の収入に対しての支出という意味では問題ないけど、料理が難しくて偏食があって目移りもし易いから食費がやたら高い

年を取ってもこの出費で大丈夫かは自信ない

ちな、FP相談したら、『お金が残るなら問題ない』と言われただけで、特に何もなく、無駄に恥だけかいただけでしたわ

 

それから感情コントロール

幸いなことに、発作的に人を殴ったり物を壊したりするほど深刻じゃないけど、異常に怒りが強い

一度テンションが上がるとなかなか落ち着かない。もっと感情をうまく扱えるように訓練しておけばよかったよね

自己コントロールがまともなら、大人対応ができたり、習得時間が掛かる課題もっと取り組めたかも知れないし、雑創作にも時間割けたし、

複数案件をこなしてもっとお金拾えてたかも知れない・・・・って思ってたけど、最近別にそんなことはなかったかも知れんなとも思い始めている

人よりも出来ないことが多くて、計画性がなくて、異常にすっとろいから、強い感情がなければ何もできなかった可能ワンチャンある

 

とりあえず、発達性読み書き障害用の英語教材を買ったけど、いつものように先送りにして1年経過したので、取り組まないとなって思ってるやで

anond:20240615204406

奥さんは金目当てと豪語してるからもっと働いて稼いであげなと部下に言ってあげれば、とも思うけど角が立つだろうから、遅れて本人の耳に届くように少し遠くから何人かの人を介してみたら?

離婚して泣けばいいな。そんな女。

anond:20240619072118

お前のそれは周りからなめられてんだぞ

俺はそうやって冷ややかな目をむけてきた連中にもっと優しくなれ!ふざけんじゃねえ!って絶叫して肋骨の2、3本折ってやったぞ

お前にたりねえのはそういう力強い意志

俺は懲戒免職くらった上に留置所にいれられたが後悔してねえ

スターシップ・トゥルーパーズシャワーシーンかよ

秋の日曜の昼下がり。北ケーブルテレビMTVかスペースシャワーでは、夏のFUJI ROCKまとめが流れてた。

外が空気肌寒い直射日光はまだ熱さを残してた。

ベランダの向こうは赤羽駅で、子供やらお母さんやらおばさんやらお兄ちゃんやらおねえちゃんやらおじさんやら、

店員さんやら配達員さんやら駅員さんやら埼京線やらが、それぞれに動いてそれぞれの音を鳴らしている。


「ま、まそこが見たい、です。」「い、い、良いですけど、増田さんも見せてくださいよ」

モチのロンですよ!」。期待通りの返答だった。

ワイは状況が変わらないうちに、立ってジーンズを脱いで、ちょっと恥ずかしく思ってためらったけど、

トランクスを脱いで、しゃがんで、見えないところでちんこの皮を剥いた。ちんこ全然小さかった。


山田さんは座ったまま、ズボンショーツを一緒にゆっくり脱いだ。

毛でもじゃもじゃで、よく見えなかった。



そのオカメインコみたいな中国女の子は、生まれつき脇毛も陰毛も生えないとゆうことだった。

幼女を疑うにはがたいも胸も大きくて、あそこのビラビラしてた。

だけど真っ白な肌にピンク色のビラビラで、見とれて思わず「ぴゃおりゃん」とか言ってしまって笑われる。

秋の夜長に、外人に変な日本語教えて言わせる遊びの、逆をされた。

なんか筆談交えて中国語を言わされて、言うと女の子大人しめな感じなのに大爆笑


目の前にぽわんぽわんのおっぱいがあるのに、エッチな人と思われたくないか自重している自分

でもこっちはお金払ってんだ!と強く自分を説得して、脈絡なく手を伸ばしておっぱいの先の乳首を触る。

視線を僕に向けないまま「もう、ねえ、しょうがないなあ」みたいか、照れて笑うかはにかむオカメインコかわいい。好きになる。

20分んクンニしてイカせた。イったの初めてだったかもしれない。

その頃の中国女はふぇらはしないんだけど、イカせたお礼か、

「ほらほら、私こんなことしちゃうんだぞー。されたことある?」みたいな上から、ふぇらされた。

中国女もちんこを舐めてるとエロくなるようで、僕も垂れ下がったおっぱいを下から持ち上げるようにたぷたぷ触ったり、

自分ちんこ女の子が舐めてるエロさで、ふぇらも頑張ってしてくれてるのに悪いよな、

抜いて胸元に出してもいいじゃないか、あ、う、あうん。女の子の動きが固まる。

日本風俗じゃ、びくんびくんしてるときも刺激は止めないんだけど、

固まってる口の中にびくんびくんびくんって射精した感じで(初めてのエロあるある)、

「ほほほーほほほ(多分中国語で「これどうするの?」「)」「(ごっくんごっくんのジェスチャー)」。

下を向いて顔を上に上げる反動で飲み込んで、初めて精液を飲んだみたいな表情。

普通中国女はキスはしないんだけど、どさくさに紛れてそのまだ少し精液が残る口にキスをして舌を入れて、

同時にお股に指を這わせてぐにぐにぐに、おっぱいも揉んで揉んで、

この頃からなんか中国語で喋ってくるけど、聞き流して返事は全部肯定系で。

「にーあいうぉーま?」「すー、うぉーあいねーへんでぃ」とか言ってたと思う。

コンドームを使わないでせっくすると、赤ちゃんができますね」

赤ちゃん欲しいの?ほしいならまず結婚して夫婦にならないとね」

赤ちゃんができたか結婚は良くないですか?」

「良くはないけど悪くもない。私と結婚したいの?結婚するなら(コンドームをぱちんと取って)、

してもいいわよ(にこり」

二人並んで立ちションをしたり、彼女下宿先に一緒に行って、何人かの半裸の中国女にじろじろにやにや見られたり、

100%若い女の子の汗のすえた匂いだった。

普通少年を捕まえるもんだと思うんだけど、学校帰りの女の子を呼び止めて、

「ねえねえ、エッチなこと知りたい?」話しかけて、誰もいないような一面田んぼの中で、

3人寄り添って談笑する体で、女学生スカートの中のショーツを脱がせて、

中国女がなんかエロ質問してる多分。女学生まんこ見られておっぱい露出させられて、

恥ずかしさかエロかどうしていいのかか、うちらのぎこちない青姦ショーをオナニーながら見せられ、

はい、これが精液。赤ちゃんの素」とか保険体育が始まり、ワイが女学生まんこを見てるのに気づいた中国女は、

「やりたいの?」「やりたくないです」「多分やってもいいよ。ねえねえ、いま做愛したい?したいよね?

ね、ほら」「いや、しなくて問題ないです」「本当に?」「彼女好きな人とやるのが良い」

最初はどんなんでも良いけどね。みんなそうだよ」


このこは後日談hがある。


その夜、酔った中国女にちんこを握られながら「他の女とやる必要ないよね。私がいるから。

あの女の子が可愛かったの?明日男の子を捕まえて、私が味見していいの?」「よくない」「だよね?」

「(だからしなかったじゃん。。)」→とりあえず謝る→やっぱりあなたいちばんかわいい優しい頭いい、

まんこ気持ちいい→コンドームつけなくてもいいのに(病気が怖いの)→せっくすして軽く疲れて、

いちゃいちゃくっついてくる中国女を抱いていつの間にか寝る。


デートの途中で彼女下宿に寄るときも、外で待ってるのに部屋の中まで連れてきて、

この頃には触ってくるのは当たり前でおっぱい見せるとかまんこ見せるとか、

僕の目の前でショーツ降ろして前かがみになってお尻振るとか、見えるナプキンえぐい

友達の中には彼女よりワイの好みの女の子もいて、その子積極的からかって来なくて、

奥にいるその子を見てたら「え、この子がいいの?」って前に持ってきてくれて、

おっぱいはめくって見せてくれた。ワイはおとなしい子が好みなのだ


「私、汗かいたかシャワーしてくね」と一回部屋を出てったけど、また戻ってきて「一緒にシャワーしよう」。

風呂場じゃなくて4人並べるプールシャワー室みたいで、二人で入って裸になったら、

元気な友達3人も「私たちも今からシャワー使うの」とか裸になって、

もー僕はぼっきするちんこだって恥ずかしくない。そのちんこを何故か丁寧にずっと洗う中国女。

AVならこの4人全員とやれるんだけど、多分「うわ、あのちんこぼっきしてる」「ほんとだ。うわー」

「あのちんこ入れて欲しい」「私も」「あなたら、自分ちんこを見つけなさいよ。

そこらへんに何本でもあるじゃん」「もっと大きいほうが良いから。それそんない大きくないよね」

普通だよ!」「そうかなあ」「ほら、こうして見て見て(ちんこ根本を抑えつけてる)」

亀頭は大きいよね」「これが気持ちいいのよねー。ほら、こんなんして舐めちゃうから

「きゃあ、ちんこ舐めてる変態じゃん!」「まんこも舐めてくれるから普通だもん」

ちんこ舐めてまんこ舐めてって、日本人は変態じゃん」


と多分言い合ってるので、来ては見たけどずっと喋らない端の痩せてて胸もぺたんこでもリマンの女の子の無い胸に触って、

10回くらいもみもみした後、お股に手を差し入れたらぬるっとしてて、指でいじるともう目をつむって

「待ってましたよ」みたいな感じ。それで手を抜くと女の子も目を開けて、濡れてるワイの指先で糸を引かせて、

その指をワイは舐めた。女の子は「私処女だけどせっくすしたい!」「そう言いながら外を走れば?」

「誰も相手にしなかったりして」「何十人の男に襲われるわ!それでひどい目にあって、

コンドーム無しでやられて誰の子かわからない赤ちゃんができる!」「でもその赤ちゃんが偶然、

(多分中国アイドルの子供で」「すごい、大当たりじゃん」「そのアイドルの前で裸で走れ」

あなたの裸はきれいエロくて男が好きだから、いいちんこは見るけれる、男は処女も好き」「ほんとに!?

「このこ全然胸なくて、私のは大きいじゃんぼよんぼよん」「多くの男の人は大きなおっぱいが好きですね。

でも僕はこのおっぱいが好き」と彼女の。彼女はB+カップくらい。


ちんこ熱も冷めて、さっきの子うちらお土産で大量に買ってきたアイスクリームを食べてる。

大量に買っても大きなフリーザーはあった。「4Pしたい。4Pしたい」とワイは日本語で繰り返した。

「でも友達の中でもアタナがいちばんスタイルが良かったね」「そう、私背が高いし」。実際そうだった。


これが男女逆でも成り立つか。男の場合は力づくがあるからな。でも力づくしない、

勝手知ったる、大嶋さんとか若林さんとかにだったら、あー成り立つかもなあ。

T-ZONEの歌を歌いながら「御社、弊社のちんぽこなんとかしてくださいよ」「ちょ、西川口行こ」とか言って。



「你射在我里内吗?」

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

三大「こいつをフォローしてたら心底バカ」なリベラル系αツイッタラー

エリック C(https://x.com/x__ok

 言わずと知れたフランス人

 プロフから国籍への言及は削除したもよう。

 どこかで拾ってきたパリ写真などを上げてパリ在住のように意図的演出していたが、同時に東京写真も上げたりして設定ガバガバ

 語学力のあるものにとっては、当初から「こいつ言ってること怪しすぎるな?」と不審点だらけだったが、バカは気づかない。

 

桃太郎+(https://x.com/momotro018

 陰謀論アカウント

 暴言曲解なんでもござれ。

 知性も品性もないルンペン左翼ガス抜きたっぷり稼ぐよ青バッジ

 

山崎雅弘(https://x.com/mas__yamazaki

 在野の歴史研究家」(非アカデミズム)。

 高卒どころか中卒という噂もあるミリタリー雑誌ライターシミュレーションゲームデザイナー

 理系でも高校世界史ちゃんとやってたバランスの良い高学歴ならわかる。マジで言ってること歴史学的にはデタラメ

 最近プロフ東大院に書き換えたらしい。社会人入学でもしたのか? 努力は認めるけど、「独裁者」とか「専制君主」とか重要歴史用語の使い方がめちゃくちゃなのは学者と呼べるレベルではない。

 左の古市(年はもっと上)って感じ。

 

その他

 本当は総会屋はてサ親分瀬川深(https://x.com/segawashin)とか入れたいけど、まあ身分詐称してないだけマシなので圏外に。

 他に入れたいの、ある?

 

anond:20240618170245

こういう独自解釈って都合の悪い部分は全無視から無意味だよ。

500万年前のはずが500万年後だったらもっとSFでいいし、逆に類人猿側が何かを教える描写無いと成立せんやろ。

2024-06-18

(追記)残酷VTuberリスナー

増田を伸ばすコツは「不快感シェアする」こと、あからますぎてはいけない

そして人口が多そうな属性を刺激すること

そうすると不快感を受け取った人が自らも不快感を表明したくなって浅いことを書きに来る

結果、ツリーブクマも伸びる

浅い薄い見識をひけらかすようなものがいくつも見られるだろう?

指摘しやす無理筋擁護もいい

自分本心からそう思っていて不快感シェアやすテーマを見つけることが重要

自分が得意なテーマVTuber

VTuberはそれほど詳しくないのに一言言いたがる増田が多いという点もよいテーマである

あとは時間帯と運

---

VTuberリスナー達って相手VTuberであるってだけで本人と何の関係もない見た目をかわいいかわいいとほめて、

何の活かしようもない声をかわいいかわいいとほめて、

下手なイラストを上手い上手いとほめて、

下手な歌を上手いきれいだとほめて、

下手なゲームプレイを上手い才能あるとほめて、

クソつまらない話に耳を傾けおもしろいとほめて、

そうやって散々高い高い下駄を履かせて褒めちぎって3ヶ月で飽きて別のVTuberに同じことするんだよな

それを真に受けるVTuberVTuberだよ、客観性とかないんか?

そんなにほめられるような人間ならもっとまともな人生歩んでるだろうに……

界隈には発達障害しかいないのか?

待っていたよスクエニさん

ああ、思っててたぜ、3年間。

ドラクエ事業が、スクエニが真の償いを始める時を。

そもそもなぁ、DQ4〜8も、クロノトリガーも、11S発売から二類期最終日までに何でスイッチPS4XboxSteamにて出せなかったんだ?

どうしてスマホ依存続けてきたんだよ?

一時期は6つもスマホアプリ抱えるザマだったよ。

ダイの大冒険モンスターズ3もボリュームが想定未満になったのもスマホゲへのエネルギー分散が原因なんじゃねえのかよ?

今まであんたらのワガママに俺達は数年も振り回されてきたんだぞ、

スマホサービス開始しては1年も2年も持たずを何度も繰り返してそれで急にお金もっと必要だって?笑わせんじゃねえよ。

鳥山先生だけじゃねえよ。去年から今年の5月までにどれだけの著名人がHD2Dドラ3の正式披露目を見ることなく先立たれてきたか

TARAKOさんも、heathさんも、黒崎真音さんも、谷村新司さんも、KANさんも、

櫻井敦司さんも…

彼ら彼女らの霊前を廻って謝罪のお参りに行くとかも出来ないの?スクエニのお偉いさんたちは。

それにスマホゲ乱発とかこれらの事はみんな経営コンサルが決めたの?

コンサルパワハラするから逆らえなかったの?

から数年間ソシャゲ焼畑ドラクエ情報はぐらかし、ニンテンドースイッチオンラインへのバハムートラグーンルドラの秘宝追加のための任天堂との交渉出来なかったの?

コンサルから体罰受けるの怖くて?

コンサル陰謀論ドラクエ周りの事除いても、

何時になったらファイナルファンタジータクティクスゼノギアススイッチ等にてリマスター出来るの?

何時になったらさあ、スイッチオンラインスーファミにて

バハムートラグーンルドラの秘宝天地創造ミスティックアークガンハザード、FFUSAを追加するための任天堂との交渉に入れるの?

格式いから下手にサブスク化出来ないって?

は? バランワンダワールドバビロンフォール、ダイインフィニティトラッシュドラクエチャンピオンズなんて出して何が格式だよ、それぞれカプコン任天堂ウマ娘崩壊スターレイルブルーアーカイブかませ犬に終わったくせに!

株主もさあ、海外向け写実リッチ単発モノや新規ソシャゲの催促、それにビアンカフローラデボラデスピサロのどれ嫁にしたい?という質問してる場合じゃねえんだよ、危機感持った方がいいよ。

スクエニの現状が緊急事態条項クラスの事なのに。

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(22) | 22:15

anond:20240618213204

わかる

女性の性欲には男以上に波があるんだよね

生理排卵周期はもちろんだけどもっと長期的な波が

お互いを尊重して信頼を高めることでその波がわかるようになる

anond:20240618123416

おっけっこうブクマ伸びてるな

このトラバ引き出せただけで主語大きめに全はてなー男煽った甲斐があったわ

もっとこういう世のため人のためになる楽しいセックス経験談を他の人も頼む

なんというか、中年壮年にはもっと腕白でいて欲しい。

芸能人とか高給取りが元気なのは当たり前過ぎるから

中の下みたいなおじさんおばさんが世間に怯まずにしたい事をしたいようにしてる姿が見たい。

未来が見えない若者たちにこんなんでもいいんだって思わせて欲しい

anond:20240618195421

私も日本漫画女性の扱いに憤りを感じていました。増田投稿を見てハッとさせられた。海外の人たちはもっとハッとしていると思う。これからもハッとしていきたい。

ホームレス生活保護は嫌、みんな税金に手を出したくない」

受給者生活保護は当然の権利もっと高くていい」

この2つだと、ホームレス受給してくれって想うけど

受給者の方は野垂れ死ねって思うよな

同じことなのに

この現象説明出来るやつおる?

anond:20240618183645

パートナーを捕まえて愛のあるセックスするより、もっと手軽で気持ちいい娯楽がいくらでもあるからやで

弟と妹をヤングケアラーにしてしまたかもしれない

今年で25歳になる、脳性麻痺四肢体幹機能障害身体障害者手帳持ち。

障害者雇用官公庁正規職員に滑り込んだら、1年目の冬に爆速うつ病発症した。薬を飲みつつ何とか仕事には行けているから、精神障害者手帳は持っていない。休職経験もない。

月に3万円を入れることと、飼っている犬の散歩をすることの2つを条件に実家寄生している子供部屋おばさんだ。何故か犬が私としか散歩に行かないので、犬が死ぬまでは実家の世話になろうと思っている。

普通に歩くことはできるし日常生活にもほぼ支障はないけれど、体幹障害のおかげで階段自力で降りることができない。手すりがあれば何とかなるが、なければ段に腰掛けてケツでずり下がりながら降りるという奇行披露する羽目になる。

バス電車なんかの床が揺れる乗り物で立っているのもダメだ。吊革や手すりを持っていても必ずバランスを崩して転び、人間ドミノ倒しを開催してしまう。ヘルプマークをつけて優先席に座っていると乗客視線が痛いけれど、周囲の安全のために許してほしいと密かに思っている。

ついでに言うと、某バラエティ番組運動神経悪い芸人が泣いて逃げ出すレベル運動ができない。

さて、ここで本題に戻る。

私には5歳下の妹と9歳下の弟がいる。どちらも心身ともにハンディキャップのない健常者だ。

奴らは物心ついた頃から「姉ちゃんにひとりで階段降りさせちゃダメ」というのが常識になっていて、一緒に出かけた時に手すりのない階段に遭遇すると当然のように手や肩を貸してくれる。私がうつ発症してからは、自主的精神疾患勉強をしてこまごまと気遣ってくれるようになった。

2人ともとても優しい子に育ったなと思うし(弟なんかはほぼ10歳離れているので、気持ちの上ではもはや親目線だ)、こちらとしても大変ありがたいことだが、昔からどうにもそれが苦しくて仕方がない。

あらゆるハンディキャップマイノリティに関して「理解を、助け合いを」と叫ばれる社会になった。私は妹と弟にに助けてもらったことは山ほどあれど、奴らを助けてやれたことなどひとつもない。これでは助け合いでも何でもなく、ただの一方的寄生だ。

Twitterなどで、所謂きょうだい児の方々の投稿をよく目にする。

私は妹と弟を苦しめていないだろうか?知らず知らずのうちに、奴らの人生可能性を狭めてはいないだろうか?

奴らは「姉ちゃんには手を貸すのが当たり前」と思っているようだが、その「当たり前」がなければ、もっと自由に生きられたのではないだろうか?

先日、高校から進路希望調査を貰ってきた弟に「家出ないの」と聞いてみると、「えー嫌だよ、だってちゃんと一緒に野球見に行けなくなるもん」と返された。

私自はい自分状態悪化するか分からいから、結婚もしないし子供を作るつもりもない。自分の子が滑り台に登るとき、後ろについて守ってやれない人間に親になる資格はないと思っているからだ。

だが、そのぶんの負担が妹と弟に降りかかり、無意識に「家を出て一人暮らしをする」という選択肢最初から抹消しているのだとすれば、奴らがヤングケアラーになっていて、自分が本当に生きたい人生を歩めないでいるのだとすれば、それをどう償えばいいんだろうか。今の私には分からない。

奴らは今のところ、仕事から帰って寝込んでいる私のベッドの傍に毎日必ずやってきて、その時喋りたいことを喋りたいだけ喋って、1時間くらいすると満足して自室へ帰っていく。だから、たぶん嫌われてはいないんだろうなあと思う。

でも、私のせいで彼らが広い世界を知るチャンスを逃しているなら、それはとてつもなく恐ろしくて、取り返しのつかないことだとも思っている。

私が生まれて来なければ良かったのかな。

他に吐ける場所がないのでここで自分語りを書き散らした。長い上に推敲も何もしてないから読みづらいと思う。

このクソみたいな文章を読んでくださった方、あなた人生時間を私に割いてくれてありがとうね。

あなたにいいことがありますように。

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