はてなキーワード: あのころとは
ライトノベルブームの記事を見た。自分の認識では漫画もラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説やアニメや映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間の無駄だったなと後悔している。
こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画、ラノベ、アニメ、小説、映画とかにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかがフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐なものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐なものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。
真性オタクは底の浅い陳腐なものをあえて楽しむ趣味を40代50代になっても依然として続けている。現代の出版事情においては彼らのような真性オタクが漫画やラノベを買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐なものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。
あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味で時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感の牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画・ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。
話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間の限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙の限界を感じる。毎日が無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画・ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品も既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞をちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。
とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害のぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害からの作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単なAIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲の陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐なものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいものを創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。
こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しかし自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。
世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかにそうかもしれない。自分はつまらなくなった。射精の快感も最近は全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころは自分が本当の意味で人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分の射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。
すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近、オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。
ただ、疲れてしまってる。本当に続けたい訳ではなさそう。
かといって、何がしたいのか、あれもこれもしたいことが山のようにあるのにお金のことを考えてためらってしまう。
年収197万(額面)。40歳非正規みなし公務員ってこんなもんです←置いてもらえてるだけましじゃねーか。
それでも鬱持ちでもおいてくれるし、年休とれるし残業ないし。
食べられるだけありがたい、のかね。
どこで道踏み外したんだろう。 <h3>o- ****</h3>
給料が一番高かったのが新卒一年目だなぁ。入社一月でいきなり赤字債務超過の子会社出向になって収入も増えたが深夜2時までやってた。あのころはワーカホリックだったんだな。
二年目に出向解除で7時には帰れるようになり収入は50万ほど減ったけど、楽しかった。
仕事だから、楽しくないこともあるけど、せめてあの頃に戻れたら、と思う。
でも、どこかで非正規組を見下してたんだろうな。
先日から始まったアイドルマスターSideMの3rdツアー。数万円詰んだが当たらなかったのでとりあえずLVにいった。アイドルマスターSideMは去年末にアニメ放映を終え、なんとなく今はそこそこ勢いがあるジャンルな気がする。
まずアイドルマスターSideMとの思い出を語りたい。話の本筋とはそんなに関係ないかもしれない。
私はアイドルマスターシリーズに本家アニマスからハマった。その時既に放送は終了していて、TSUTAYAで借りたDVDを一気に視聴し、ストーリーや設定に引き込まれた。ただの萌え豚アニメではない、れっきとしたアイドルアニメだと感じた。
本家キャラのカードが欲しいがためにデレマスを始めて、私は当時不遇だった健気で頑張り屋さんで没個性な島村卯月にハマった。デレマスが初ソシャゲだったが、ポイントSRを集めたりとそこそこ頑張って続けていた。しかし、島村卯月が報われて声が付きCDが出てアニメ化が決定し、なんとなくデレマスはもういいかな、という気になっていた。ふと、女性向けがあれば友達にも勧められるしハマってくれるかも、私ももっとハマれるかもと思ったりもした。しかし、Jupiterの事件のこともあってアイマスシリーズで男性アイドルはもうないだろうな…と思っていた。
だがそのときアイドルマスターSideMが発表された。驚いたがJupiterが正規に活躍出来る上に、待ちに待った女性向けアイドルマスターシリーズの発表だ。もう発表の時点でこのゲームにハマろう、と決めていた気がする。
ゲームは始まった瞬間終わってしまった。一番周りの気持ちが盛り上がっていて、話題性にも富んでいた時に長期メンテナンス、サービス開始の遅延…。サービスを再び開始した時にはすっかりsideMの話題性は無くなっていたように思う。それでも腐ってもアイドルマスターシリーズ、突拍子もないアイドルの過去や女装アイドル、BL紛いの関係のアイドルだったりとサービス再開直後もそこそこは盛り上がっていた。
突拍子もないキャラ設定には私も当初から不満はあったが、デレマスで慣らされていたためかやめるまでには至らなかった。始まったばかりだからか、女性向けだったからか、初めてソシャゲでとれた上位報酬が桜庭さんだったこともあって、無課金でも走ればとれるんだ!と学習して遊ぶに気もなれた。
sideMはネタゲームとしては面白かったし、逆にそのネタゲー感が他の女性向けと違って良かったのかもしれない。
けれど、当初は1度で覚えられなかったりあまり好きになれないキャラもいた。その1人がカフェパレードの卯月巻緒で、ケーキチという設定からして法子がウケたからってその二番煎じキャラかよ、と思っていた。三つ編みや編み込みのキャラは好きだったため外見はタイプといえばタイプだったが、男キャラだと思うとどうなのか自分でもわからなかった。
それが一変したのはゲーム内の雑誌を開けてからだ。咲ちゃんや巻緒の雑誌を見て、見た目がこんなにかわいいのに少女漫画の男役のようなイケメンだということを知り、ギャップで巻緒に落ちた。カフェパレの雑誌をあけ、個性豊かすぎる面々が継ぎ接ぎだらけの家族のように過ごしているその様子におちた。カフェパレというユニットにこめられた、自分らしく幸せになろう、といったメッセージ性を感じ、そこから私はめでたくカフェパレ箱推し巻緒Pとなったのだ。
サービス再開してしばらくして、イベントのバランスだったりハブイベが出てきたりあまりにも渋いガシャだったりと問題も頻発して、その度に一喜一憂した。受験を挟んでいたりなどして離れる時期もあったが、カフェパレのイベントで2枚取りをしたり、ドラスタに声がついたニコ生をリアル視聴して興奮したりと、いわゆる自分がこのコンテンツを育てているような錯覚は気持ちよかった。
sideMの1stライブに当選した私は、初めてアイドルマスターのイベントに現地参加をした。この時はこのユニットたちに意味があるなんて全く思わなかったし、2ndではあとのユニットがきっと出るだろうと信じて疑わなかったから、純粋な気持ちで参加できた。とりあえずサービス当初からずっと追いかけてきたゲームのライブに参加できることが嬉しかった。
1stライブは最高だった。長い時を経て揃ったJupiter、新人なのにジャンルを盛り上げようと頑張ってくれているドラスタ、クオリティの高いダンスを披露してくれたW、あまりにもインパクトのあったSEM…、その他諸々…。とにかく涙が出たし、声優ライブを批判的な目で見ていた私だったがとても感動したのだ。声優さんたちってすごく頑張ってくれてるんだなあと思った。カフェパレが出なくても、当然のように2ndがあると信じていたし、そう信じさせてくれるような1stだったから満足だった。
格差を意識したのは、ハイジョーカーは箱イベなのにカフェパレは分断イベが多かった時だろうか。総選挙はワクワクしたが、蓋をあけてみればハイジョ一強で、なんとなくこのコンテンツに不安を感じた。
その後カフェパレにも声がついて、あれよあれよというまに2ndが決まった。1stがとれたからと油断していたら抽選は外れたが、詰んでなかったのでダメージは少なかった。しかし、初日LVに参加したものの、楽しくなかったのだ。それもそのはずで、私はSLをカフェパレあたりから買ってなかったのだ。オリピなんて当時一枚も買ってない。ちょうどその時が受験で離れていた時と重なっていたのか、プライベートが忙しかったのか…。とにかく初期に比べて生活のsideMへの比重は少なくなっていた。
それでも二日目はカフェパレが出る。最初から二日目が私にとってのメインだったので、二日目に期待を寄せていた。
結論から言うと私は二日目LVに参加できなかった。単純に自分のチケット手配のミスで。担当アイドルの初披露を見れなかった、このショックは大きく、しかしこんなことでショックをうけるオタクの自分にもいい加減嫌気が差してしばらくsideMから離れようとした。しかし、その日のライブでアニメ化とアプリ化が発表された。アニメ化アプリ化は純粋に嬉しかったし本当に楽しみにしていた。
けれどしばらくして上がったアニメのキービジュアルにはカフェパレがいなかった。
エムステが始まって、勝手にデレステのようなアプリを期待してたからかやり込み要素のない音ゲー、代わり映えのない立ち絵、今時フルボイスじゃない…、謎のゲームバランスだったりとヘイトがたまってしまった。
けれど3Dでアイドルが踊るのだけは本当に嬉しくて、ご祝儀だったりこれからのアプデへの期待も込めてそこそこ課金はした。
ただSSRを何枚集めてもイベントを走っても、カフェパレのストーリーはまだない。カフェパレ箱イベントはエムステにはない。私はカフェパレの関係性が好きだったのに…。
アニメ放映が近づいても、キービジュアルにカフェパレがいないことがずっと腑に落ちなかった。2クールやって、途中から全ユニット出るんだよね?とか、2期があるはず、とかキービジュアルには出てないだけだ…とか。
そしてアイドルマスターSideMのアニメが始まった。友人との誘いを断ってまでリアルタイム視聴にこだわり、正座待機して見ていた。楽しみでもあるけど、親のような気持ちというのが大きかったと思う。でもあんまり期待していなかった。カフェパレが出るかどうかもわからないし、期待しすぎると痛い目にあうのがsideMだったからだ。
けれど、最初のEpisode Of Jupiterに期待ではなく予想をうらぎられた。
これが、あまりにも良かった。
泣いたし興奮もした、こんなにアニメが愛に溢れてるなんて…と驚いた。
アニメの出来自体は良かったと思う。けれど、なにか物足りない。EOJと違って、アイドルをしてる感じがないのだ。ユニット内で完結していることが多すぎる。ファンに伝えたいことは?どうしてアイドルになったの?無難にまとめようとして、魅力が伝わりきらない…そんなように見えた。EOJとどうしても比べてしまい、Jupiterは思入れもあって設定も作り込まれていたから面白かったのかな…と思ってしまった。(あとSEM回は文句なしに面白かった)
最終話が近づくにつれ、Twitterも荒れてきた。グッズ展開にも、全てにおいてアニメ組とそれ以外で格差ができてしまった。アニメから入ったアニメ組ユニットのPが楽しんでいて、サービス開始からいたアニメに出てないユニットのPが楽しめないでいる、そんな図が確かにあった。勿論私も典型的な後者だ。
アニメの話がつまらなければヘイトが溜まるし、面白ければなんでここに担当がいないのかとヘイトが溜まる。アニメ組のユニットも大好きだったのに素直に応援出来ない。楽曲格差、グッズ格差、アニメ展開との解釈違い…。
そして何故かリアルの2ndライブがsideMのファンやそれ以外にも強く受けていたように思える。アイドルマスターの若手声優の登竜門となっているところは好きだったし若手声優のことは応援していた。けれど、どうしても声優とキャラを同一視する流れについていけなかった。
そんなに若手声優をファンが持ち上げる…、まあ若手声優は囲ってあげないといけないのかもしれない、そう思っていた。けれど、あるときの某若手声優のニコ生でのイキリ発言。悪気があったのかどうかはわからないが、先輩声優は苦笑いしていたように見えた。その人にもストレスがあったのかもしれないけれど、その人がキャラと同一視されやすく、sideMのファンから持ち上げられることが多い声優だったからなんだか無性に腹が立った。
自分のことをアイドルかなんかと勘違いしてないか?私が好きなのはキャラであって声優じゃないのに…と落ち込んでいる私をよそに、だいたいのファンが声優とキャラを同一視して楽しんでいた。声優から作品にハマるのはいい、声優ファンなだけで作品にそんな興味はないのもいい、けれど声優と作品をごっちゃにするファンのせいで声優が自分をアイドルと勘違いするのでは…とおもっていた。逃げ場を求めて2chを探すと、声優のアンチスレが沢山出てきた。私だけじゃない、と安心したのもつかの間で、アンチスレでは声優を蔑称で呼び、人格的なこと、容姿のことについて攻撃的な悪口がたくさん書かれていて、ついていけなかった。人格を攻撃したい訳でも容姿を攻撃したい訳でもない。ただ、声優さんにキャラを、作品を、そのファンを大切にしてほしいだけ。ファンに声優とキャラを同一視してほしくないだけ。そんなことしたいなら、今流行りの2.5次元のミュージカルにでもいけばいい。
我慢出来なくなったのは、アニメが終わって年明けの担当ユニットのラジオだろう。当然楽しみにしていた。でも率直な感想を言わせてもらうと仲悪そうなオッサンたちがぐだくだつまらない話をしてるだけに聞こえた。エムステで配信されてたユニットで演じるラジオみたいなのを期待した訳では無いけど、理想と現実の落差。よくこんなのをキャラと同一視する人がいるな…と、アニメに出ずエムステのラジオもなく、やっと担当の仕事だ!と思ったラジオがこんなのだったショックが大きかった。声優や運営との温度差を感じたのだ。
気がつくと3rdが近づいていた。3rdライブについても不満はたくさんあった。EOJで好きなのにライブに行けないファンの悲しみを描いた癖に、それを現実でやるのかと。アニメ化する前とした後のライブをなぜ一緒のとこでやるのかと。声優とキャラを同一視する風潮は嫌いでも、sideMのリアルイベントはファンとしてもどうしても行きたい。なけなしのバイト代で何万かかけてシリアルを詰んではみたが勿論全部落選だった。ガシャで爆死する何倍も辛かった。
そのときに某ソシャゲがそういえばアニメ化して、放映するという情報を掴んのだ。アイドルものは基本的に見るので、アニメを見ることにした。それがきっかけでそのソシャゲも前にアンインストールしたのを再インストールした。
そのときアイマスに飽きていた訳では無い。むしろモバエム、エムステ、デレマス、ミリシタ、その某ソシャゲ…と私の中でソシャゲ全盛期だったと思う。アイマスアプリの体力回復待ちのつもりで始めた某ソシャゲだったが、昔詰んでいたのが不思議なくらいさくさく進められて、いきなり沼に落ちてしまった。そのアプリの一番の特徴として、作り込まれたストーリーが印象的だった。アイドルマスターシリーズはなんとなく、あえて設定を作り込まないでファンの解釈に任せているところがあるが、そのアプリはその逆だった。
そのアプリにハマっている最中に3rdライブがやってきた。知っての通り、つい最近の話だ。3rdライブは楽しかった。情熱が落ち着いたお陰か期待しないで見れたし、いい席だったしLVでも楽しめた。ただ、やっぱり声優のことでなんとなく、場面場面でもやっとしてしまうことがあった。
例をあげれば投げキッス。男性アイドルのライブならわかるけど、私はキャラが好きでこのライブにきている。声優が好きな訳では無い。声優が出ているだけ。いや、声優が好きだとしても声しか好きではない。仕事を尊敬しているだけでしかない。なのに、オッサンの投げキッスをアップで見せられる。
例えば挨拶。キャラが好きなだけなのに、キャラ声でもない地声で、オッサンに俺たちをここまで連れてきてくれてありがとうとか言われる。
例えば歌。アイマスの能力値と実際の能力が一致しないのなんてわかってる。ダンスやビジュアルなんて声優に一切求めていない。でも、歌だけは声の範疇なんだから頑張らなきゃいけないところなんじゃないの?と思ってしまう声優さんが何人かいた。
3rdライブが終わって、キャラの絵で声優の掛け合いを描いたレポが多く出回った。声優の掛け合いについてみんな熱く語っていた。こんなにアイドルマスターsideMって声優ありきのものになってしまったんだなあ、と他人事のように思った。
そうしてストン、と何か諦めがついたのである。あのころのsideMは、もうないのだと。
誤解されないように言うが、声優が嫌いなわけでは全くない。歌下手だな…とか演技下手だな…と思う人がいても新人だったら仕方ないと思うし感じ方にも個人差がある。問題は、どれだけ作品とキャラとそのファンのために献身的に自分を殺せるかどうかだけだと思う。けれど、声優の自己主張を良しとして、むしろそれを喜んで受け入れてるファンの存在が目立ったのが一番辛かった。でも、声優さんにもファンにも何も罪はない。私がただ、ずれているだけだだから。
声優ありきの、ライブありきのジャンルとなってしまうのが辛かった。だって私が一番このジャンルにハマったのは、キャラに声がついていなかったときだから。キャラに声がつくのはすごく嬉しかった。曲が増えるのはとても嬉しかった。だから自分がこんなことになるとは思わなかった。
声優についての考え
アプリへの不満
改めて感じる設定の粗さ
これらに嫌気がさしていた私が、某ソシャゲにハマったのは必然だろうか。
某ソシャゲは、ストーリーがフルボイスでしっかりしていた。音ゲーが面白かった。曲が、アニソンキャラソンっぽくなく、本物のアイドルソングのようだった。私の好きな作曲家が提供している曲もあった。アニメ化が決定してもまだライブを行っていなかったことから、ライブありきのジャンルではない安心感があった。ストーリーではちゃんとアイドルものに欠かせないファンが出てきた。キャラがファンのために頑張っていた。アイドルになりたい理由がはっきりしていた。キャラクターの感情表現に臨場感のあるシナリオ。空白の補完に疲れていた私は、綿密に練り込まれているキャラ設定だったり伏線多めでリアルなストーリーに惹き込まれたのだ。
これでも随分文章を消した。こんなまとまりのない文章でも、言葉にしてみたら少し気持ちの整理がついた。ここまでTwitterで言ってきたこととほぼ同じことを語りました。Twitterでこんな感じのアカウント見かけたらそっとしておいてください。
文章の中でsideMの声優さんやファンについての文句が垂れたが、結局のところ自分がジャンルの流れについていけなかっただけで悪者なんかどこにもいないことはわかっている。アニメだって2クールやって全員出したところで格差をなくすのは不可能だっただろう。
次にハマれるジャンルが見つかって、sideMとプラスな気持ちで距離をとれることが嬉しい。某ソシャゲがなかったら、モヤモヤした気持ちのまま他にハマれるゲームもなくずるずると続けてはヘイトをためていたかもしれない。だから良かった。これからも応援くらいはさせてね。
私の住むアパートは灯油ストーブが使えないのでエアコンに頼るしかないのだが、昨夜の冷え込みには力不足だったようで、私は寝酒をサッとかっ食らってとっとと寝てしまうことにした。
だけど、いつもより一時間も早く布団にくるまったからといってすぐに寝つけるもんでもない。
寝よう寝ようと念じながらとりとめのない思考を巡らせてるうちに、ふと昔のことを思いだした。
言うまでもなく長野は東京よりずっとたくさんの雪が降る。そして寒い。
家族が起きているうちはストーブを炊いているからいいのだけど、火の気がなくなると途端に冷気が忍び込んでくる。
夜も更け家の中がすっかり冷え切ったころ、私の部屋のふすまがガタガタとやかましい音を立てながらスッと10センチばかし開く。
そして空いた隙間からのそのそ入り込んでくるのは2匹の猫だった。
2匹とも団子みたくまんまるに太っていた。
やつらはベッド前までやってくると、「へへっ、温かいところをみつけたニャ」とばかりに私の上に飛び乗る。
足をジタバタさせてもちっともどいてくれる気配はない。
私は仕方なくやつらの重みから逃げるようにして布団の中で体育座りみたく脚を畳むしかなった。
おかげで大人になってからも脚を畳んで寝る癖がすっかり身体に染み付いてしまった。
私の背があまり伸びなかったのは寝姿に原因があったような気がしないでもない。
あのころからずいぶんと時が経ち、すっかり大人になった私は布団の中で脚を伸ばしてみる。
お邪魔なやつらはもういない。
だけど、どうにもしっくりこなくて、私は結局いつものように脚を畳んで眠りに落ちるのを待つのだった。
そんな、東京に雪が降った日のこと。
さっき昼飯を食べたばかりなので、今はビタイチ食べたくないんだけど、いつか食べたくなる。
単に腹が減っただけなら、ピザよりも先に食いたくなるものがたくさんあって、ピザを選択する機会はまずないけど、それでもいつか食べたくなる。
具体的に言えば、ダイニングバーとかでみんなでワイワイガヤガヤ騒がしく盛り上がっていると、誰かがピザを頼んだりして、本当にそういう時にしか飲まないジャックコークと一緒にピザを食べたい。
いつも行っていたあの店もなくなってしまったし、あのころの仲間も結婚したり、遠くへ行ったり、死んでしまったりでそろうことが
ないのだけど、そして僕自身、仕事と家庭と住宅ローンに追われて友達と飲みに行くこともまったくなくなってしまったのだけど。
似たような店に入ってもかつての僕たちのような一党が楽しく、騒いでいて、もう僕の来る場所じゃないと痛感させられるのだけど。
これは、典型的な「自分でやっていない、なにやら盛り上がっている作品を、気に食わないと上から目線で批判する文章」だ。
本文は『月姫』と『Fate/stay night』のネタバレを含む可能性がある。特に『Fate/stay night』原作を未プレイで、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel]』の続きを楽しみにしている人は、ネタバレを含むため読まないでほしい。
私が奈須きのこの作品と出会ったのは2003年。月姫、月姫PLUS+DISC、歌月十夜の3作が収められた『月箱』であった。いわゆる型月ファンとしてそれほど古参というわけではない(型月における古参とは、竹箒に連載されていた時代の『空の境界』読者――とまでは言わないものの、最低でも2001年には『月姫』に触れたレベルを指すものだろう)。当時『ONE』『Kanon』『AIR』に心酔する所謂「鍵っ子」であった私は、もちろん月姫の噂は聞いていたものの、手を出すきっかけを掴みかねていた。月箱が頒布されたのは、そんなときである。歌月十夜まで一揃えで化粧箱に収められたそのパッケージは、初めてのTYPE-MOONとしては最適であった。同時期、彼らが商業へと移行し、次回作「Fate」は商業ゲームとしてリリースすることを発表したことも背中を押した。群雄割拠のエロゲ界についに鳴り物入りで乗り込んでくる新進気鋭の代表作を、体験しておかねばならぬと考えたのだ。
『月姫』は衝撃であった。連綿と積み重ねられてきたビジュアルノベルや恋愛アドベンチャーゲームの文法に沿っていそうに見えながら、しかし決定的に異なる「それ」は、私に新しい刺激を与えてくれた。私はシエル先輩が好きになった。この文章を打っている2018年に至ってなお、人生のオールタイムベストはシエル先輩だと胸を張って言える。もちろんそれだけではない。ファーストインパクトとなったアルクェイドが醸し出す寂しさを、そして、ひまわり畑で微笑む琥珀さんの愛おしさを、今なお昨日のことのように思い出せる。
月姫の魅力のひとつに、不思議なノスタルジーがあると思っている。あの文章とグラフィックと音楽には、懐かしいナニカを思い出させるものがある。去り行く少年時代を描いた作品だからだろうか。遠野邸の遠い記憶がそうさせるのかもしれない。
PLUS+DISC、歌月十夜まで一気にプレイした私は、そのまま『MELTY BLOOD』も楽しんだ。シエル先輩を動かせるのが楽しかった。弓塚さつきの話が出ると抜き身のナイフのようになる志貴を思うと切なくなった。琥珀さんが楽しそうで涙が出た。G秋葉でゲラゲラ笑った。
したらばのTYPE-MOON板にも入り浸った。それまで葉鍵板が主戦場であった自分が。当時、すでに「月厨」は鬱陶しい存在として認知されていた。私は努めて無関係な場ではTYPE-MOONの話をしないようにし、型月板でその分、目一杯、楽しんだ。たくさんのアンソロジーコミックにも手を出した。武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……(そういえば特に好きだったこのお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた記憶がある)。
だが。不思議なもので、このとき私は『空の境界』にはハマらなかった。もちろん原作は読んだのだが。当時、マルチシナリオ形式のビジュアルノベルに未来を見ていたためか。あるいは、純粋に趣味に合わなかっただけなのか。後年、空の境界はアニメ映画化され大ヒットを飛ばすことになる。
2004年、ついにTYPE-MOONの商業作品第一弾『Fate/stan night』がリリースされる。もちろん発売日に予約して買った。事前の雑誌での情報を見ていて、藤ねえがお気に入りだった(まさかあんなことになるなんて)。ライダーさんはビジュアルだけ見て絶対にアサシンだと思っていた。体験版の段階でクオリティが大幅に上がっていることは明らかだった。心が躍った。世界が変わる瞬間が、目の前にあった。
魔術師と英雄が跋扈する本作を終えて、私は思った。私は優秀な魔術師でも高潔な英雄でもなく、なんでもない、取るに足らない、醜い人間が好きなんだと。だから私は、間桐桜と衛宮士郎の物語が好きになった。
桜は魔術師ではあるが、本作においては魔術師としてよりも、もっと違う存在として描かれる。衛宮士郎もまた、魔術師ではなく魔術使いとして描かれる。そしてラストシナリオである桜ルートでは、桜は家族の呪縛から解き放たれて人間として生き始め、士郎は正義の味方に憧れたロボットからひとりの人間に生まれ変わる。魔術師と英雄が闘い続けた果てにたどり着いたのが、ふたりの人間の、人間としての歩みであったことは、とても感動的で、同時にこれが、奈須きのこが幻の弓塚さつきルートで実現しようとした未来なのではないかと想像した。
そして絶望する。ご存じの通り、桜ルートは批判された。当時の型月板は荒れた。セイバールートと凛ルートが絶賛されるとともに、桜ルートは徹底的に批判されたのだ。
イリヤスフィールの物語とオーバーラップして主題が分かりづらいという主張には一理ある(一説にはイリヤルートを作るリソースが間に合わず、桜ルートに混ぜた、と言われている)。描写不足であるという批判も、ある意味では仕方ないだろう。だがそれ以上に、ファンたちは、「多くの人間を殺しながら幸せなエンドを迎える桜」と、「正義の味方であることを諦めてセイバーを犠牲にした士郎」を批難した(正確には、彼ら2人に対してというより、そのようにある物語を避難した)。私は憤慨した。衛宮士郎の、何を見てきたというのだ。
正直に言うならば、私はセイバールートや凛ルートの衛宮士郎が嫌いだ。凛ルートの遠坂凛も苦手である。はっきりと言ってしまえば、物語として楽しみながら、登場人物たちに対しては苦々しい思いを抱き続けてプレイした。そんな彼らが、桜ルートで丸ごと好きになった。桜ルートでは、みな、人間として生きている。それが愛おしかった。
同時に、TYPE-MOON作品のふたつの側面のうち、ファンに望まれる側と、望まれない側が見えた気がした。考え過ぎかもしれないけれど、私がより好む側は、望まれていないように見えた。
これ以降、私はTYPE-MOON作品と少しずつ距離を置くようになっていく。厳密に言えば『Fate/hollow ataraxia』は心から楽しんだ(アンリマユとカレン・オルテンシアの物語はとても好みだ)。だが、『DDD』は未読、『Fate/Zero』は同人誌として頒布された際に1巻だけ読んで断念、『Fate/unlimited codes』『Fate/EXTRA』には手を出さず、期待した『魔法使いの夜』はプレイしたものの、それほど心惹かれなかった。この間、各種メディア展開で楽しんだものは、佐々木少年による漫画版『真月譚 月姫』のみであった。パスタ先輩のことは一生許さないよ。
時は流れ、2014年7月27日。もうTYPE-MOONに何の期待もしなくなった私は、それでも「Fate Project 最新情報発表会」をニコ生の中継で見ていた。そこでUBWのテレビアニメ化や『Fate/strange fake』の正式出版化に並んで、ひとつの新作が発表された。『Fate/Grand Order』。通称FGO。ついにソーシャルゲームをやるのか、と私は冷めた目で眺めていた。むしろ発表会本編終了後のサプライズ、Heaven's Feel の劇場版制作決定の発表の方が魂が震えた(今でもあの瞬間の、観客席からの絶叫と、涙を流しながら挨拶をする下屋則子さんの姿をよく覚えている)。
私はソーシャルゲームをほとんどやらなかった。手を出してみたことはあるが、純粋に楽しみ方が分からなかった。というよりそれ以前に、私はいわゆるオンラインゲーム全般が合わなかった。だからFGOが楽しめるかどうか不安だった。2015年、サービス開始に合わせてダウンロードし、序盤をプレイした。だめだった。まったく合わなかった。どう頑張っても楽しむことができなかった。私はFGOをアンインストールし、Twitterのタイムラインに流れてくるFGOプレイヤーたちの悲喜こもごもを眺めるだけになった。年を重ねてしまった、と感じた。
やがて、現実の人間関係の中でも、FGOの話題が上がることが増えてきた。2016年末のイベントの様子はTwitterでも見ていたが、彼らはとても熱っぽくFGOがいかに面白く、衝撃的で、とてつもないかを語った。私は羨ましかった。もうTYPE-MOON作品でこんなにも熱く語れることはないだろう。そう思った。
私はFGO本編をプレイしていない。いろいろと明かされたアレやソレを、なんとなく知識で知っているだけだ。そうした立場で評価するのは御法度であろう。それでも私はFGOが気に食わない。これは負け惜しみだろうか。それともただの老害でしかないのだろうか。私が好きだった奈須きのことTYPE-MOONの描く取るに足らない人間たちの物語は、もしかするとFGO本編でも繰り広げられているのかもしれない(琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOのシナリオがそれと同様に面白い、という人がいたら、ぜひ魅力を語ってほしい。皮肉ではなく、ぜひ知りたい)。だけれども、数多くの英雄がスマートフォン上で戦い続け、それをプレイするファンたちが嬉々としてお気に入りの英雄が引けたことをTwitter上に報告する様子を、どこか冷めた気持ちで眺めてしまう自分に気付く。私がTYPE-MOONに求めていたものは、これだったのだろうか? 幾度となく繰り返されてきた、単に自分が望むような創作から外れていってしまった存在を寂しく思うという、これはきっとただそれだけのことなのだ。つまり、八つ当たりと取ってもらって構わない。
劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』は、公開初日に映画館に観にいった。素晴らしかった。須藤友徳監督の、間桐桜と桜ルートに対する圧倒的な「理解」に目眩がした。アバンで桜と士郎の「それまでの日々」をたっぷり描いた時点で、完全に勝利だった。FGOで得た利益でこんなにも素晴らしい映像作品が作れるのなら、FGOに感謝すべきであろう、などと思った。第二章も楽しみだ。
聞くところによると、FGOの世界には死徒二十七祖(という概念)は存在しないそうだ。私が好きだった奈須きのこワールドとは違う世界がそこにあるのだな、と改めて思った。繰り返すが、これはただの八つ当たりだ。
2017年末も、FGOは盛り上がっていた。きっと酸っぱいに違いないと、私は新年からこのような文章を打っている。2008年4月、月姫リメイク制作決定が発表された。今年、ついに発表から10年が経過する。優先順位があることくらい私だって理解できる。だからもう「月姫リメイクはよ」とは言わない。そのようなファンに耳を貸す必要だってない。FGOを楽しむ人々に向けて頑張っているスタッフの皆さんに、おつかれさまです、と声をかけたい(年始メンテおつかれさまです)。FGOという作品を批判する気もない。そもそも批判できるだけの素地すらない。何しろ、プレイしていないのだから。本当に申し訳ない。
結局のところ、私はTYPE-MOONが、奈須きのこの世界が好きだったのではなく、ただ『月姫』という作品が好きだっただけなのだろう。あるいは、月姫が生まれた、あのころが。
さあ帰れ帰れ。
これは准担だった自分の記録です。
最初に言っておきたい。
彼にとっては私など何でもない1人だけれど
もちろん博を大好きな准くんが幸せそうなのも全部全部嬉しかった。
ジャニーズであろうと一人の人間であり、自担には幸せでいてほしいと思っている。
それに准くんはずっと「男として家庭を持ちたい」と言っていた。
子供だってとっても大好きだし、准くんの子供は絶対かっこいいし可愛い。
結婚はするだろうなと思っていました。
知ってるんですよ。
いつも遠くに目標を見据えている。
めっちゃくちゃ鍛えてる肉体だって決して見せびらかすために脱いだりはしない。
チャンスが回ってきた時のために黙々と準備をできる人だ。
そしてあまりに遠くを見つめて手元が見えなくなることがある。
あほで、正直。
めちゃくちゃに躍り続け走り回りアクロバットを決めるコンサートに圧倒された。
もうそれはそれはめちゃくちゃ笑った。
一気に虜になった。
ステージの上に立ちながらもクールで自由な岡田くんに引かれた。
数々のインタビューでは「人一番努力しなければいけない」と語る志の高さに尊敬の念を抱いた。
中学生の私にはキラキラした世界にもいながらも日陰を歩こうとする姿に、こんな人がいるのかと衝撃をうけた。
准くんのように努力を積み重ねて生きられたらどんな夢も叶う気がした。
「アイドルを辞めようと思っていた。」と。何度も。
知ってたけど。
少なからず傷ついたけれど、逆にもう辞めることはないんだなと思った。
V6は十周年を迎えていた。
何ヵ月もどの雑誌を読んでも「俳優を~」「お芝居が~」と語り、メンバーのメの字も出てこない。
これが不思議なものでね、何十冊とリアルタイムで雑誌を読んでるとね、
どれが本音でどれが建前で話しているのか手に取るようにわかっちゃうんですよね。
たまに出てきたメンバーの話や数文字の感謝の言葉にも飛び付いて一喜一憂し
外での活動をグループに還元しグループ自体のファンの母数が増え、また個々に仕事が増えるというのが理想だ。
ジャニーズだからV6だから貰えた俳優の仕事だなんて誰にも言われたくない空気を態度で晒した。
グループに還元しようと思っているんだなと思える瞬間は私には感じられなかった。
全ての俳優の仕事で俳優岡田准一として結果を残したいという意地であり
まあ、なんというかワガママみたいだった。
あのころ他担のファンには申し訳ないねと話していた岡田担は多かった。
それでも好きだった。
芸能人でアイドルなのに眼差しは鋭く、それはそれは美しかった。
めちゃくちゃ近くでファンサを貰っても遠くにいるような不思議な人だった。
彼は挑戦者だった。
ジャニーズという立場にありながら俳優として認められたいという挑戦の途中にいた。
新しいことを挑戦する時は風当たりが強いものだし。
彼が俳優岡田准一として認められるのには時間がかかるだろうけれど
一緒に挑戦の気持ちで寄り添いたいと思った。
「岡田のファンが何回も行ったから数字が取れた」って言われたくないから
少なくとも私はセリフ覚えるくらい見ても黙ってた。
准くんは感じることもなかっただろうけどね。
准くんの「お芝居が…俳優が…」モードが続いて疲れてしまった時、思ったことがある。
准くんは決してそんなことはしなかった。
たぶん、きっと、できなかった。
彼は正直で不器用。
V6で隅っこで下むいて口下手で、急に振られたら気の利いたことも言えず
本当に正直なV6岡田准一で、岡田准一自身であるんだなと思った。
ハッキリ言って甘えん坊だ。
そして恐らく彼が甘えることを許された唯一の場所だった。
ただ黙って見守ってくれるお兄さん達がいた。
最高のメンバーやねん。
ずっと准くんは准くんだった。
そこに私の好きになった岡田准一は既にいなかったのかもしれない。
でもその准くんもその准くんで好きだった。
自分がどれだけ愛されてるか今も知らないんじゃないかと私は思う。
「20年頑張ったからもう大丈夫でしょ。ジャニーズ若い子たちいっぱいおるからね。」
みたいに本気で思ってそうやし、アイドル岡田准一の代わりはおるって恐らく思っている。
言っとくけど、おらんで。
自分も博みたいに祝って貰えるって思ったんやろうか。
准くん、あほやな。
知ってたけどな。
「これからも感謝の気持ちを忘れずに一緒に歩んでいきましょう。」
という諭すような健くんの言葉がなんというか全部わかってて。
本当に涙がでるね。
愛や恋が育てる芸もあると思う。
芸の糧になるならばとスルーできたけれど。
ファンがこれから何度も何度もクリスマスのたびに思い出すこの感情を
もし子供が産まれても何の罪もないのに人生ハードモードすぎるし。
ここまでの数行すべて私の倫理観では正直処理できないし
正直バレてもいいやと思ってるとしか思えない撮られ方や
ここ数年の振る舞いがプロじゃなくてとても嫌だった。
数年先、彼らが「色々あったけど幸せです」なんて言われた時
ここ数年間の上記の噂の数々がどこまで真実か考えるのも疲れてしまった。
赤い封筒が届いて、ずっと昔から下手くそな見慣れた“岡田准一”の筆跡を見た時
ギラギラとする岡田准一をただ純粋に好きだった頃に戻りたいと思った。
今みたいに携帯にたくさんの音楽や画像を入れられる時代じゃなかったから
画素の低いカメラで撮った一番かっこいい画像を厳選して待受にしてた。
自分でHTMLを打ってホームページを作った。素材は自分で作った。
画像数枚読み込むのに数分かかる時代だから動画サイトなんてもちろんないし、
CM起用された日にはチラシが配布される場所を把握するだけでも必死だった。
本当に大好きじゃないとオタクなんてやってられない時代だった。
だけど全部楽しかった。
それが生活だった。
わかるかな?
戻りたいと思った瞬間から、
あの頃以上に声援を送れる自分はいないんだと気付いてしまった。
だから思った。
准くんのいう“変わらないご声援”は私には無理だ。
今は気軽に気になるジャニの数年分の映像なんかYoutubeでいくらでも漁れるし
発売前の雑誌の写り具合すらもチェックできる。
そんな時代からファンになった子たちはわからないだろうなと思う。
そういうことじゃないねん。
わかんへんやろ。
わかってたまるかよ。
他のGが好きなジャニオタの友達と3誌手分けして買って交換したり
V6の振り付け他Gのジャニオタ5人に覚えてもらってV6ごっこしたり
学校へ行こう!の取材がきたらどうするか妄想してふざけ合ったり
楽しかったなぁ。
きっとこれからも一番好きなドラマは木更津キャッツアイだろうし
夏の終わりにはFDFを見るんだろうけど
こんな気持ちでカウコンが祝福ムードとかたぶん耐えられなくて消すだろうし
もう一度言うけど“変わらないご声援”は私には無理だと思った。
でもね、
ジャニオタを、V担を、カミ担ね、降りられるわけない。
(V6の売上は落としたりしないよ。まかせて。)
自担じゃないって思ったら
カウコンも今後も全部楽しむことができる。
と思う。
大好きだったから
さよなら准くん。
またひとつ夢叶ってよかったね。
長々と書いてしまったけど、
今までの月日に比べたらたった数行だよね。
全く、年代ずらしのフェイク年表まで出してくる奴がいるんじゃ先が思いやられるな。
俺はあのころまだ20代だったが、当時のはてなはまだそんなに派手じゃなかった。新興のwebサービスとして3年、渋谷にようやく移ってきたってのが2chで話題になってたくらいだ。
スター合戦が起きるのはこの後で、確か発端は東京オフィスの竣工祝いだって聞いたな。なんでもシャンパンタワーで乾杯していたはてなエンジニアの一人がロリコンで、誰かの連れてきた幼女(ショタ説もある)に「ツリーのてっぺんのお星さまが欲しい」って言われたのがきっかけらしい。
池田先生は確かに当時から有名だったし、ジュリアナブロガーも多かったけど割とヨロシクやってた幹部もいたって話だぜ?
初代のKは当時から不動産じゃかなり有名で、業界で語り継がれてるのは立ち退きボーリングって遊びだ。買い占めた土地で不法占拠を続ける民家にダンプを突っ込ませる手法くらい聞いた事あるだろ? 普通は数件になるまで待つんだが、Kの場合はそれを10件くらいからやる。玉も一つじゃ物足りないから、って5台6台の盗難車を集めてきて自分で配線引き出して制御系を直接組むんだよ。
で、幹部でそれぞれのトラックに賭けて、後は一斉にスタートさせる。まぁ詳しい事は省くがこの時に頭角を現したのが一点張りで大勝ちしたOと、二代目のK、それに懐刀のMだ。
Oの武勇伝は多いが戦後の成金をマネて「どうだ明るくなったろう」をリアルにやったり、セルリアンタワーの能楽堂(当然貸し切りだ)に呼び出したパニオンを全裸で整列させて寿司デリで女体盛りをさせる能楽女体盛りなんかが有名だな。まぁ大人しそうに見えて危ないやつなんで犯罪に関わる部分は伏せるが。
二代目についてはあまり詳しい説明はいらないだろうし、Mについては金融関係だから別の機会にしよう。
とにかく初代とOは派手だった。損失も出したようだが不動産サイトに本業を移したみたいだから、今後もまだまだ暴れていくんだろう。
おっと長く成り過ぎちまったな。
ともかく創業者達は光り輝いてたよ。好き放題にやって贅沢の限りを尽くし、webに輝く星になるんだってのが口癖だった。
今にしてみると――、そうだな…、当時の若かった俺からすれば、本当にスターだったのは彼らなのかもしれない。
見てるやつらもがんばってあんな風になってくれ。
じゃぁな。
思い出せるかぎり小学四年生の頃にはすでに遺書を書いていたし、それ以前からもやんわりと死にたかった。
十歳の時点で死にたいって、なんだか親に問題がありそうだけどでも多分そんなことはぜんぜんない。いい親だった。いい親だったからこそいまなんとか生きていけてるような気さえする。でも家からははやく出たくて、高校は寮付きのところに行ったから15歳から家を出る形になった。いまとなっては、とくに父親にたいして申し訳なく思っている。(もう少し娘が家にいたほうが嬉しかったかなって)
不思議なのは、死にたいんだけど、死にたいはずなのに、自分自身にはぜんぜん不満がないってこと。性別も顔も声も生まれも立場も学歴も職場もいまのままでぜんぜんいい。友達については特に、この人たちと友達でいられてよかったと瞬時に思える人間が四人もいる。(いわゆる親友というかたちで名指ししても全く問題ない関係性のひとが四人)ほかにも、学校のコミュニティとか会社の同期とか、仲良くしてくれる人たちもいて、飲み会とか好きじゃないからあんまり予定は作らないけど、それでも週に一度はだれかと遊びに行くし、恋人と同棲もしている。なんの不満もない。趣味は読書と手芸。ものつくるの楽しい。(さいきんはどっちも興味わかなくなっちゃったけど)
なんだかぬるま湯の低温の希死感というか、死んでもいいのになあ、みたいな気持ち。昔は慟哭的な死にたさを抱えていたころもあったけど、あの頃と比べるとほんとマシになった。今は和らいでるから分かるけど、あのころは本当に本気でいつ死んでもかまわないと思ってた。いつまでこんな悲しいことが続くんだろうって思いながら、そのときそのときで、友達とか恋人とか、周りにいる人のおかげでなんとかうまいことやってきた。でもぜんぜん「死にたい」は消えない。一瞬いなくなったように思っても、気付けば身近にいる。
最近は失踪するといいのかもなあって思ってる。貯金500万あるから、それもって3年ぐらい失踪して、そんで困ったら死ぬのってどうかな。って自分と相談したい。あしたから行きません、ってメールしたらみんな困るかな。いや困るっていうか、心配してくれるだろうし親に連絡してくれるだろうし、同期もおおさわぎしてくれるだろうし友達なんてどれほど深刻に心配してくれるかわからない。家族のことみたいにあわてると思うし、ショックも与えちゃうと思う。弟が絶望するんじゃないかと思うとこわい。両親にはただただ申し訳なくて、なんの落ち度もないふたりがそんなひどく悲しい思いしなきゃいけない理由なんてないし、だからぜったい出来ないと思うけど、でもそういう選択肢を考えるだけで気持ちがほんの少し落ち着く。たとえば、四歳のころから一緒にいる犬のぬいぐるみはぜったいスーツケースの一番うえに詰めて持っていこう、とか、やるはずない悪戯の計画だけ立ててたのしくなるような感じ。
じつはもうすぐ誕生日なんだけど、友達がものすごくがんばって準備してパーティーひらいてくれた。ケーキも作ってくれた。わたしの好みにあわせた雑貨のお店探してくれてここで1万円まで買い物していいぞって言ってくれた。クリスマスパーティーも毎年してるしプレゼントなにがいいか早く決めてねって言ってくれる。父親のことすごく好きで尊敬してる。会社ではさいきん、若いのに周りが後押ししてくれてリーダーにあがった。料理上手な恋人がいる。ツイッターでは趣味の合う人と手軽に知り合えて話せて楽しい。初めて出したオリジナル小説の同人誌が(極小部数だけど)完売したときは嬉しかった。去年よりも成長した部分だってあると思う。自分の人生で変えたいところなんてひとつもない。何歳の頃にも戻る必要はない。そして、こんなに書き連ねてみてもだめ。毎年なぜか誕生日前はとくに死にたい。なんでだろ。
ほんとうにつらつら書いちゃったけど、ひとつだけ人のためになることが言えるかもしれない。「子供に死にたいって言われた」って、ママさんたちの育児相談所みたいなところにそんな書き込みがあって、子供が死にたいって言うなんてほんとうじゃないって、親を信用していればそんなこと言い出すわけないって、回答つけてる人がいた。そこまで批判的じゃなくても、もう少し配慮がたりないんじゃないかとか、善意のアドバイスをしている人もたくさんいた。みんないい人なんだと思う。死にたいって思ったことだってあるんだと思う。でも、わたしのような人間だけがそういうお母さんに言えることがあるとするなら、もしかしたらその子もわたしの同種で、あなたにはなんの落ち度もないのにどうしようもなく「死にたい」のかもしれません。だとしたらごめんなさい。わたしは両親が好きです。感謝しているし、すくなくとも今は外からみたらそれなりにちゃんとやっている人間に見えると思うし、そして二人にはなんの落ち度もなかったと思ってます。これだけはほんとうのことです。
その相談所を見ながら、そうか、子供が生まれちゃったら子供のためにぜったい死ねなくなるんだよなあ、って、ぬるい絶望の種がまた心臓に落ちてくの感じた。
俺はなんでこれを書くんだろうね。
ここに書くしかないというこの状況が終わっているのかもしれない。
まっとうな皆さんはきっと家族や友達や同僚に話したりするんだろうね。
八方塞になってしまった。
生まれてはじめて打ったよはっぽうふさがり。
塞がりって送り仮名いらないか知らないけど今は調べる気力もないわ。
まぁでもね。
最初はさ、一方二方ぐらいの塞がりだったんだけどね。
まぁ見ないフリするわけですよ。六方はまだ空いてるし。
でもまぁなんとかなるかななんて思いながら暮らしてたら八方塞がっちゃいまして。
塞がっちゃいちゃいチャイコフスキーでして。最後の二方ぐらいは自分で塞ぎましたからね。救いようがないわ。
なんだろ、別になんか同情を誘うアレじゃないんですけどね。
自ら死ぬことを選ぶ人の入り口に立っちゃってる感がすごいんすわ今。鬱&UTSUKAが歌ってるんすわ。セイエスって。
このセイエスっていうのは小さい頃に渡辺くんがSAY YESってちゃんと書けなくて黒板に書いたワードってだけで全然関係ないんですけどね。
戻りたいわあの頃に。
あー、どうしてるんだよみんな。こんな非常に抽象的な文章に一石を投じる具体的な状況が登場(最後だけ韻を踏んだ)。
そう私は。分不相応な職務に分不相応なスキルで対峙し分不相応な給与を得ているのである。
それが辛いなら辞めれば、だって?はいはいはい、そうですねそうですね。スーパー正論キッドのあなたはそう言うでしょうけど、無理ですよ。
そう私はさらに。分不相応な借家に住み。分不相応な嫁を持ち。分不相応に子供を2人もうけているからである。
そして分不相応故に、分不相応な給与をもってしてもカッツカツ、見てみい俺の口座!カッツカツやぞ!カッツカツやぞ!
いやもうちょっとね。もうちょっと面白い文章書けるんですよ私。
でも今はこれが限界。頭から漏れ出るゲル状の思い付きを新品のまな板という名の増田に塗りたくることしかできないワケです。
大体お前らあれだぞ!俺が作った最高に面白い記事で満載のはてなブログにブクマしないからいけないんだぞ!
互助会のやつらあれなのな、最初はちょっとブクマくれるんだけどさ、返さないとブクマからスターに変えてもったいつけんの。
気味悪いわ。だれがお前のコピーにコピーを重ねてクリアな部分とモザイクの境目すらわからなくなったVHSのAVみたいにボッケボケなブログにブクマを返すかよ。
でもさ、最初はその流れに乗らなきゃいけないのかね。誰も来なくなった廃墟の様なブログには2年前の記事が悲しくはためいているよ。
あのころ互助会の流れに乗ってブクマを増やしまともな読者を増やしていれば、今頃は互助会に頼らなくても人気のブログになっていたかな。
なってねぇか。でもさ、いまでも悲しくはためくあの記事たちは、やっぱり俺は最高だと思うわけ。
全部オリジナルの企画と記事でさ、何度も何度も推敲を繰り返してさ、悲しいこの世の一服の清涼剤となり、私の承認欲求も満たされたら最高だなぁなんて思ってたのにさ。お前らが互助会の記事に文句書きながらブクマしてるせいだよ!無視しろよ!そして俺の面白記事を掘り出してブクマしろよ!
そんな話をしたいんじゃなかったんだよ!
どこのどいつだ!こんなところまで律儀に読んじゃっている天使は!?
あんた天使だよ!翼の折れたところを竹で補強して低コストでの翼の長期運用を実現させている伴侶にしたいタイプのエンジェルだよ!
どうだ調子が出てきたぞ!どこかないですか、こんな文章を毎日書きますんで年俸850万ぐらいで安定雇用してくれる財団は?ないですか。いやです。作ってください。翼を竹で補強したエンジェルのあなたが作ってください後生ですから。
もう無理なんすわ。いや逆によくここまで無理なくやってこれた。
なんて言うんすかね、私は今ですね、コミュ障のくせに調整業務をメインで行ってるわけですよ。
しかもその上に判断力も無い、実行力も無い、理解力もない、ないないない、I wanna dance every night.
そのくせ、なーんかちょっと難しいことを上手いことやっているぞ、という空気をもやぁ~と出すことだけは上手かった。
もう何年もね、もやぁ~とその空気を出しながらだらだら仕事するだけの私だったんですよずっと。ほら自業自得でしょ?
でももう終わりだ。みんなすげー難しい話するよね。俺ぜんっぜんわからないもん。根本として何を議論しているのかわからない。
何がわからないかわからないんすよ。何でですかね?しらねーよって話でしょうけどマジで助けて欲しいんですわ。
なんか会社ってさ、いろんな役割の人いるじゃないですか、その切り分けが全然わからなくて。いつも自分の範疇は足りなくて、
自分の範疇じゃないところまで手をだして、相手の範疇がわからず、どこからかわけのわからないサポートに助けられる繰り返しですよ。
ステークホルダーとかの話が出てくるとお手上げ。みんなじゃなくて?みんな関係してるじゃん。みんなの合意とればいいんじゃないの?
わかんねーわ。そこは合意いらないっていうからさ、今度俺が決めたらそこはちゃんと議論して決めろとか判断は相手にゆだねろとか。
しらねーってその基準をどこかに表にして貼っとけ!とか言うとさ、なんだアスペかとか言われるわけでしょ?ちげーよ。たぶん!
相手の気持ちがよくわかるもん。みんな隠しきれてないからね。「あーあ、こいつダメだわ。」っていう感情。
いいよ、思うのはいいよ。出すなよバカ。思い込みじゃないからね!絶対思ってるし。
でさ、ちょくちょく「ダメだわ」って顔されるわけ。で萎縮するわけ。で萎縮してたらさらに「ダメだわ」って顔されるわけ。
wordのイルカさんに聞いたら教えてくれるかな?「上手く仕事する方法」って。でもそれ教えてくれるなら「数年で価値が100倍になる株」で聞きたいな。Officeが入ったWin95どっかにないかな?よし、聞いてみよう。聞いたらきっと教えてくれる!メルカリで買おう!
どんなお買い上げありがとうメモついてくるかな。「おじいちゃんが使いこなせなかったパソコンです。」みたいなのついてくるかな。ホロリとしちゃうな。ちょっと弱めだなこのくだりは。
はい、翻って仕事ですけどね。じゃあ辞めて相応な職につけって話じゃないですか。あなた方のようなおまかせウルトラ正論ボーイ達が言うのは。
でもさ、愛する妻と子供たちがいるわけ。俺が稼がないと幸せな暮らしが送れない家族がいるわけ。
嫁は昔勤めていたブラックな業界を抜けて、その次にブラックと言われている主婦業に邁進しているわけ。マジで尊敬するわ。
そんな家族を支えなきゃいけないわけ。どんなに苦しくたって俺はこの分不相応にもなんだかできそうな空気によって獲得したこの職業とこの賃金を維持しないといけないわけ。おとーしゃんおとーしゃん言ってくれる子供を幸せにしなきゃいけないわけ!
そしてその子供はおとーしゃんがいないと幸せじゃないってわかってるわけ。思い込みじゃないわ!絶対に必要だ俺が。だから死ねないわけ。
だからさ。どんなにバカにされてもさ。こいつクソだなって顔されてもさ。今の職にしがみつくよ俺は。だから誰か教えてくれよ。
どうしたらみんなが言っている話を少しでも理解できるようになるんだよ。どうしたらビジネスの話ができるんだよ。
なんなんだろうな。今年入って来たような新卒がさ。バリバリ理解してバリバリ調整してバリバリ偉い人と意思疎通しながらバリバリ伝説の序章をしたためているわけ。もうこれは素質的な問題なの?仕事できるやつは生まれながらに仕事ができるの?なんなの。この間まで学生だったのにそのスキルはどこでつけるの?本に書いてあるの?マジで何をどうやって勉強したらそういう風になれるんだよ。どうやったらそういう風に同僚たちと笑い合えるんだよ。っていうこの流れを一行で書くことで疾走感や迷走感をダダ漏れる感情を表現してみたのですがいかがだったでしょうか?いいね!と思ったら是非クリックしてくださいね!僕の左乳首を(但し吉高由里子に限る)。
はぁ。
書くって良いね。元気出てきたよ。
こうでもしてないとさ結局大した努力もしないままに今日に至ってしまった自分への怨嗟とかさ、
いつも不機嫌だからみんな気を使ってもらって上手く回っているだけなのにそれを仕事ができると勘違いしているマネージャーへの怨嗟とかがあふれてきてしまうわけ。いやたった今あふれてしまったけど。
なんだかんだお前幸せじゃねーかって思う奴多いでしょ?幸せだよ。
それなのにその幸せの代償として努力を重ねてこなかったからさ、こんなに苦しいんだと思うよ。
だから努力はするよ。する。でもわからないんだ。俺は何を努力すればいい?
ダメか。こんな幸せな奴に手を差し伸べるやつはいないのか。でも他に居ないんだよ。
頼むよ。今回。今回だけ助けてくれ。
恐ろしい恐ろしい言われてプリントアウトする状況ではないと思うんだよ。
きっと何か打開できる策があると思うんだよそうだろう?伝わってるかなこの感じ。
この文章のようにさ。自分の考えをシンプルに相手に提供できなかったりするわけ。こういうクソなやつなわけ。
いい夫婦の日に何やってんだろうな。ゲボちゃん出そうだわ。
ゲボって最近言わないよね。すっごく名は体をあらわす良いワードだと思う。
俺はなんでこれを書くんだろうね。
ここに書くしかないというこの状況が終わっているのかもしれない。
まっとうな皆さんはきっと家族や友達や同僚に話したりするんだろうね。
八方塞になってしまった。
生まれてはじめて打ったよはっぽうふさがり。
塞がりって送り仮名いらないか知らないけど今は調べる気力もないわ。
まぁでもね。
最初はさ、一方二方ぐらいの塞がりだったんだけどね。
まぁ見ないフリするわけですよ。六方はまだ空いてるし。
でもまぁなんとかなるかななんて思いながら暮らしてたら八方塞がっちゃいまして。
塞がっちゃいちゃいチャイコフスキーでして。最後の二方ぐらいは自分で塞ぎましたからね。救いようがないわ。
なんだろ、別になんか同情を誘うアレじゃないんですけどね。
自ら死ぬことを選ぶ人の入り口に立っちゃってる感がすごいんすわ今。鬱&UTSUKAが歌ってるんすわ。セイエスって。
このセイエスっていうのは小さい頃に渡辺くんがSAY YESってちゃんと書けなくて黒板に書いたワードってだけで全然関係ないんですけどね。
戻りたいわあの頃に。
あー、どうしてるんだよみんな。こんな非常に抽象的な文章に一石を投じる具体的な状況が登場(最後だけ韻を踏んだ)。
そう私は。分不相応な職務に分不相応なスキルで対峙し分不相応な給与を得ているのである。
それが辛いなら辞めれば、だって?はいはいはい、そうですねそうですね。スーパー正論キッドのあなたはそう言うでしょうけど、無理ですよ。
そう私はさらに。分不相応な借家に住み。分不相応な嫁を持ち。分不相応に子供を2人もうけているからである。
そして分不相応故に、分不相応な給与をもってしてもカッツカツ、見てみい俺の口座!カッツカツやぞ!カッツカツやぞ!
いやもうちょっとね。もうちょっと面白い文章書けるんですよ私。
でも今はこれが限界。頭から漏れ出るゲル状の思い付きを新品のまな板という名の増田に塗りたくることしかできないワケです。
大体お前らあれだぞ!俺が作った最高に面白い記事で満載のはてなブログにブクマしないからいけないんだぞ!
互助会のやつらあれなのな、最初はちょっとブクマくれるんだけどさ、返さないとブクマからスターに変えてもったいつけんの。
気味悪いわ。だれがお前のコピーにコピーを重ねてクリアな部分とモザイクの境目すらわからなくなったVHSのAVみたいにボッケボケなブログにブクマを返すかよ。
でもさ、最初はその流れに乗らなきゃいけないのかね。誰も来なくなった廃墟の様なブログには2年前の記事が悲しくはためいているよ。
あのころ互助会の流れに乗ってブクマを増やしまともな読者を増やしていれば、今頃は互助会に頼らなくても人気のブログになっていたかな。
なってねぇか。でもさ、いまでも悲しくはためくあの記事たちは、やっぱり俺は最高だと思うわけ。
全部オリジナルの企画と記事でさ、何度も何度も推敲を繰り返してさ、悲しいこの世の一服の清涼剤となり、私の承認欲求も満たされたら最高だなぁなんて思ってたのにさ。お前らが互助会の記事に文句書きながらブクマしてるせいだよ!無視しろよ!そして俺の面白記事を掘り出してブクマしろよ!
そんな話をしたいんじゃなかったんだよ!
どこのどいつだ!こんなところまで律儀に読んじゃっている天使は!?
あんた天使だよ!翼の折れたところを竹で補強して低コストでの翼の長期運用を実現させている伴侶にしたいタイプのエンジェルだよ!
どうだ調子が出てきたぞ!どこかないですか、こんな文章を毎日書きますんで年俸850万ぐらいで安定雇用してくれる財団は?ないですか。いやです。作ってください。翼を竹で補強したエンジェルのあなたが作ってください後生ですから。
もう無理なんすわ。いや逆によくここまで無理なくやってこれた。
なんて言うんすかね、私は今ですね、コミュ障のくせに調整業務をメインで行ってるわけですよ。
しかもその上に判断力も無い、実行力も無い、理解力もない、ないないない、I wanna dance every night.
そのくせ、なーんかちょっと難しいことを上手いことやっているぞ、という空気をもやぁ~と出すことだけは上手かった。
もう何年もね、もやぁ~とその空気を出しながらだらだら仕事するだけの私だったんですよずっと。ほら自業自得でしょ?
でももう終わりだ。みんなすげー難しい話するよね。俺ぜんっぜんわからないもん。根本として何を議論しているのかわからない。
何がわからないかわからないんすよ。何でですかね?しらねーよって話でしょうけどマジで助けて欲しいんですわ。
なんか会社ってさ、いろんな役割の人いるじゃないですか、その切り分けが全然わからなくて。いつも自分の範疇は足りなくて、
自分の範疇じゃないところまで手をだして、相手の範疇がわからず、どこからかわけのわからないサポートに助けられる繰り返しですよ。
ステークホルダーとかの話が出てくるとお手上げ。みんなじゃなくて?みんな関係してるじゃん。みんなの合意とればいいんじゃないの?
わかんねーわ。そこは合意いらないっていうからさ、今度俺が決めたらそこはちゃんと議論して決めろとか判断は相手にゆだねろとか。
しらねーってその基準をどこかに表にして貼っとけ!とか言うとさ、なんだアスペかとか言われるわけでしょ?ちげーよ。たぶん!
相手の気持ちがよくわかるもん。みんな隠しきれてないからね。「あーあ、こいつダメだわ。」っていう感情。
いいよ、思うのはいいよ。出すなよバカ。思い込みじゃないからね!絶対思ってるし。
でさ、ちょくちょく「ダメだわ」って顔されるわけ。で萎縮するわけ。で萎縮してたらさらに「ダメだわ」って顔されるわけ。
wordのイルカさんに聞いたら教えてくれるかな?「上手く仕事する方法」って。でもそれ教えてくれるなら「数年で価値が100倍になる株」で聞きたいな。Officeが入ったWin95どっかにないかな?よし、聞いてみよう。聞いたらきっと教えてくれる!メルカリで買おう!
どんなお買い上げありがとうメモついてくるかな。「おじいちゃんが使いこなせなかったパソコンです。」みたいなのついてくるかな。ホロリとしちゃうな。ちょっと弱めだなこのくだりは。
はい、翻って仕事ですけどね。じゃあ辞めて相応な職につけって話じゃないですか。あなた方のようなおまかせウルトラ正論ボーイ達が言うのは。
でもさ、愛する妻と子供たちがいるわけ。俺が稼がないと幸せな暮らしが遅れない家族がいるわけ。
嫁は昔勤めていたブラックな業界を抜けて、その次にブラックと言われている主婦業に邁進しているわけ。マジで尊敬するわ。
そんな家族を支えなきゃいけないわけ。どんなに苦しくたって俺はこの分不相応にもなんだかできそうな空気によって獲得したこの職業とこの賃金を維持しないといけないわけ。おとーしゃんおとーしゃん言ってくれる子供を幸せにしなきゃいけないわけ!
そしてその子供はおとーしゃんがいないと幸せじゃないってわかってるわけ。思い込みじゃないわ!絶対に必要だ俺が。だから死ねないわけ。
だからさ。どんなにバカにされてもさ。こいつクソだなって顔されてもさ。今の職にしがみつくよ俺は。だから誰か教えてくれよ。
どうしたらみんなが言っている話を少しでも理解できるようになるんだよ。どうしたらビジネスの話ができるんだよ。
なんなんだろうな。今年入って来たような新卒がさ。バリバリ理解してバリバリ調整してバリバリ偉い人と意思疎通しながらバリバリ伝説の序章をしたためているわけ。もうこれは素質的な問題なの?仕事できるやつは生まれながらに仕事ができるの?なんなの。この間まで学生だったのにそのスキルはどこでつけるの?本に書いてあるの?マジで何をどうやって勉強したらそういう風になれるんだよ。どうやったらそういう風に同僚たちと笑い合えるんだよ。っていうこの流れを一行で書くことで疾走感や迷走感をダダ漏れる感情を表現してみたのですがいかがだったでしょうか?いいね!と思ったら是非クリックしてくださいね!僕の左乳首を(但し吉高由里子に限る)。
はぁ。
書くって良いね。元気出てきたよ。
こうでもしてないとさ結局大した努力もしないままに今日に至ってしまった自分への怨嗟とかさ、
いつも不機嫌だからみんな気を使ってもらって上手く回っているだけなのにそれを仕事ができると勘違いしているマネージャーへの怨嗟とかがあふれてきてしまうわけ。いやたった今あふれてしまったけど。
なんだかんだお前幸せじゃねーかって思う奴多いでしょ?幸せだよ。
それなのにその幸せの代償として努力を重ねてこなかったからさ、こんなに苦しいんだと思うよ。
だから努力はするよ。する。でもわからないんだ。俺は何を努力すればいい?
ダメか。こんな幸せな奴に手を差し伸べるやつはいないのか。でも他に居ないんだよ。
頼むよ。今回。今回だけ助けてくれ。
恐ろしい恐ろしい言われてプリントアウトする状況ではないと思うんだよ。
きっと何か打開できる策があると思うんだよそうだろう?伝わってるかなこの感じ。
この文章のようにさ。自分の考えをシンプルに相手に提供できなかったりするわけ。こういうクソなやつなわけ。
いい夫婦の日に何やってんだろうな。ゲボちゃん出そうだわ。
ゲボって最近言わないよね。すっごく名は体をあらわす良いワードだと思う。
俺はなんでこれを書くんだろうね。
ここに書くしかないというこの状況が終わっているのかもしれない。
まっとうな皆さんはきっと家族や友達や同僚に話したりするんだろうね。
八方塞になってしまった。
生まれてはじめて打ったよはっぽうふさがり。
塞がりって送り仮名いらないか知らないけど今は調べる気力もないわ。
まぁでもね。
最初はさ、一方二方ぐらいの塞がりだったんだけどね。
まぁ見ないフリするわけですよ。六方はまだ空いてるし。
でもまぁなんとかなるかななんて思いながら暮らしてたら八方塞がっちゃいまして。
塞がっちゃいちゃいチャイコフスキーでして。最後の二方ぐらいは自分で塞ぎましたからね。救いようがないわ。
なんだろ、別になんか同情を誘うアレじゃないんですけどね。
自ら死ぬことを選ぶ人の入り口に立っちゃってる感がすごいんすわ今。鬱&UTSUKAが歌ってるんすわ。セイエスって。
このセイエスっていうのは小さい頃に渡辺くんがSAY YESってちゃんと書けなくて黒板に書いたワードってだけで全然関係ないんですけどね。
戻りたいわあの頃に。
あー、どうしてるんだよみんな。こんな非常に抽象的な文章に一石を投じる具体的な状況が登場(最後だけ韻を踏んだ)。
そう私は。分不相応な職務に分不相応なスキルで対峙し分不相応な給与を得ているのである。
それが辛いなら辞めれば、だって?はいはいはい、そうですねそうですね。スーパー正論キッドのあなたはそう言うでしょうけど、無理ですよ。
そう私はさらに。分不相応な借家に住み。分不相応な嫁を持ち。分相応に子供を2人もうけているからである。
そして分不相応故に、分不相応な給与をもってしてもカッツカツ、見てみい俺の口座!カッツカツやぞ!カッツカツやぞ!
いやもうちょっとね。もうちょっと面白い文章書けるんですよ私。
でも今はこれが限界。頭から漏れ出るゲル状の思い付きを新品のまな板という名の増田に塗りたくることしかできないワケです。
大体お前らあれだぞ!俺が作った最高に面白い記事で満載のはてなブログにブクマしないからいけないんだぞ!
互助会のやつらあれなのな、最初はちょっとブクマくれるんだけどさ、返さないとブクマからスターに変えてもったいつけんの。
気味悪いわ。だれがお前のコピーにコピーを重ねてクリアな部分とモザイクの境目すらわからなくなったVHSのAVみたいにボッケボケなブログにブクマを返すかよ。
でもさ、最初はその流れに乗らなきゃいけないのかね。誰も来なくなった廃墟の様なブログには2年前の記事が悲しくはためいているよ。
あのころ互助会の流れに乗ってブクマを増やしまともな読者を増やしていれば、今頃は互助会に頼らなくても人気のブログになっていたかな。
なってねぇか。でもさ、いまでも悲しくはためくあの記事たちは、やっぱり俺は最高だと思うわけ。
全部オリジナルの企画と記事でさ、何度も何度も推敲を繰り返してさ、悲しいこの世の一服の清涼剤となり、私の承認欲求も満たされたら最高だなぁなんて思ってたのにさ。お前らが互助会の記事に文句書きながらブクマしてるせいだよ!無視しろよ!そして俺の面白記事を掘り出してブクマしろよ!
そんな話をしたいんじゃなかったんだよ!
どこのどいつだ!こんなところまで律儀に読んじゃっている天使は!?
あんた天使だよ!翼の折れたところを竹で補強して低コストでの翼の長期運用を実現させている伴侶にしたいタイプのエンジェルだよ!
どうだ調子が出てきたぞ!どこかないですか、こんな文章を毎日書きますんで年俸850万ぐらいで安定雇用してくれる財団は?ないですか。いやです。作ってください。翼を竹で補強したエンジェルのあなたが作ってください後生ですから。
もう無理なんすわ。いや逆によくここまで無理なくやってこれた。
なんて言うんすかね、私は今ですね、コミュ障のくせに調整業務をメインで行ってるわけですよ。
しかもその上に判断力も無い、実行力も無い、理解力もない、ないないない、I wanna dance every night.
そのくせ、なーんかちょっと難しいことを上手いことやっているぞ、という空気をもやぁ~と出すことだけは上手かった。
もう何年もね、もやぁ~とその空気を出しながらだらだら仕事するだけの私だったんですよずっと。ほら自業自得でしょ?
でももう終わりだ。みんなすげー難しい話するよね。俺ぜんっぜんわからないもん。根本として何を議論しているのかわからない。
何がわからないかわからないんすよ。何でですかね?しらねーよって話でしょうけどマジで助けて欲しいんですわ。
なんか会社ってさ、いろんな役割の人いるじゃないですか、その切り分けが全然わからなくて。いつも自分の範疇は足りなくて、
自分の範疇じゃないところまで手をだして、相手の範疇がわからず、どこからかわけのわからないサポートに助けられる繰り返しですよ。
ステークホルダーとかの話が出てくるとお手上げ。みんなじゃなくて?みんな関係してるじゃん。みんなの合意とればいいんじゃないの?
わかんねーわ。そこは合意いらないっていうからさ、今度俺が決めたらそこはちゃんと議論して決めろとか判断は相手にゆだねろとか。
しらねーってその基準をどこかに表にして貼っとけ!とか言うとさ、なんだアスペかとか言われるわけでしょ?ちげーよ。たぶん!
相手の気持ちがよくわかるもん。みんな隠しきれてないからね。「あーあ、こいつダメだわ。」っていう感情。
いいよ、思うのはいいよ。出すなよバカ。思い込みじゃないからね!絶対思ってるし。
でさ、ちょくちょく「ダメだわ」って顔されるわけ。で萎縮するわけ。で萎縮してたらさらに「ダメだわ」って顔されるわけ。
wordのイルカさんに聞いたら教えてくれるかな?「上手く仕事する方法」って。でもそれ教えてくれるなら「数年で価値が100倍になる株」で聞きたいな。Officeが入ったWin95どっかにないかな?よし、聞いてみよう。聞いたらきっと教えてくれる!メルカリで買おう!
どんなお買い上げありがとうメモついてくるかな。「おじいちゃんが使いこなせなかったパソコンです。」みたいなのついてくるかな。ホロリとしちゃうな。ちょっと弱めだなこのくだりは。
はい、翻って仕事ですけどね。じゃあ辞めて相応な職につけって話じゃないですか。あなた方のようなおまかせウルトラ正論ボーイ達が言うのは。
でもさ、愛する妻と子供たちがいるわけ。俺が稼がないと幸せな暮らしが遅れない家族がいるわけ。
嫁は昔勤めていたブラックな業界を抜けて、その次にブラックと言われている主婦業に邁進しているわけ。マジで尊敬するわ。
そんな家族を支えなきゃいけないわけ。どんなに苦しくたって俺はこの分不相応にもなんだかできそうな空気によって獲得したこの職業とこの賃金を維持しないといけないわけ。おとーしゃんおとーしゃん言ってくれる子供を幸せにしなきゃいけないわけ!
そしてその子供はおとーしゃんがいないと幸せじゃないってわかってるわけ。思い込みじゃないわ!絶対に必要だ俺が。だから死ねないわけ。
だからさ。どんなにバカにされてもさ。こいつクソだなって顔されてもさ。今の職にしがみつくよ俺は。だから誰か教えてくれよ。
どうしたらみんなが言っている話を少しでも理解できるようになるんだよ。どうしたらビジネスの話ができるんだよ。
なんなんだろうな。今年入って来たような新卒がさ。バリバリ理解してバリバリ調整してバリバリ偉い人と意思疎通しながらバリバリ伝説の序章をしたためているわけ。もうこれは素質的な問題なの?仕事できるやつは生まれながらに仕事ができるの?なんなの。この間まで学生だったのにそのスキルはどこでつけるの?本に書いてあるの?マジで何をどうやって勉強したらそういう風になれるんだよ。どうやったらそういう風に同僚たちと笑い合えるんだよ。っていうこの流れを一行で書くことで疾走感や迷走感をダダ漏れる感情を表現してみたのですがいかがだったでしょうか?いいね!と思ったら是非クリックしてくださいね!僕の左乳首を(但し吉高由里子に限る)。
はぁ。
書くって良いね。元気出てきたよ。
こうでもしてないとさ結局大した努力もしないままに今日に至ってしまった自分への怨嗟とかさ、
いつも不機嫌だからみんな気を使ってもらって上手く回っているだけなのにそれを仕事ができると勘違いしているマネージャーへの怨嗟とかがあふれてきてしまうわけ。いやたった今あふれてしまったけど。
なんだかんだお前幸せじゃねーかって思う奴多いでしょ?幸せだよ。
それなのにその幸せの代償として努力を重ねてこなかったからさ、こんなに苦しいんだと思うよ。
だから努力はするよ。する。でもわからないんだ。俺は何を努力すればいい?
ダメか。こんな幸せな奴に手を差し伸べるやつはいないのか。でも他に居ないんだよ。
頼むよ。今回。今回だけ助けてくれ。
恐ろしい恐ろしい言われてプリントアウトする状況ではないと思うんだよ。
きっと何か打開できる策があると思うんだよそうだろう?伝わってるかなこの感じ。
この文章のようにさ。自分の考えをシンプルに相手に提供できなかったりするわけ。こういうクソなやつなわけ。
いい夫婦の日に何やってんだろうな。ゲボちゃん出そうだわ。
ゲボって最近言わないよね。すっごく名は体をあらわす良いワードだと思う。
それであなたと同じように努力して、姉よりも周りから可愛がられることに成功したんだけど、そのあたりから姉の様子がおかしくなって、結局引きこもりニートになって、すさまじい家庭内暴力が始まって、今まで痩せてスタイル良かったのがブクブク太り始めて。
私はそのあとすぐに一人暮らしするために家を出てしまったんだけどね。
数年ぶりに地元に帰ってきて、コンビニの前で偶然姉に会って心臓が止まりそうになった。
髪の毛は油でギトギト、白いスニーカーはドロドロに汚れて、一目見て精神障害者だと分かる外見になってたんだよ。
そのときはだいぶショックだったけど、あとになってだんだん「よっしゃあああ、ざまあみろ、今まで散々ひとのことバカにして虐めてたバチが当たったんだ!」と思うようになった。
普通は自分の姉が統合失調症になったらかわいそうって思うよね?
なんとかサポートしてあげたいって思うよね?
私もかわいそうという気持ちは正直持ってる。でもそれ以上にざまあみろという気持ちが上回ってるの。
私と違って学校でもスクールカースト上位にいて、友達も多くて、異性からもモテていた姉。家庭内でも親から可愛がられていた、完璧だった姉が、社会の底辺に落ちた。
聞けば友達とも連絡を取っていないという。そりゃそうだろう。障害者に対する遠慮など一切なくした物言いをさせてもらえば、今の姉は化け物のような外見だ。当時のキラキラした友人たちと会えるわけがない。ようやくあのころの私の気持ちがわかったか? あんたが私のことをブタみたいだキモいって言ってたから私は必死で努力して痩せた。でも今は姉が豚みたいになってる。私の、当時の悔しくて情けなかった気持ちを姉も味わってるんだと思うと痛快だった。
元増田の姉も、このままニート状態が続けば、親が死んだあと面倒を見るのはきっと元増田になる。姉に寄生されるのが嫌なら今のうちに姉との縁を切っておくことをお勧めする。
最初そのニュースを見たとき、ふーん、おめでとう、とおもった。
でも時間がたってきて、驚くほどに動揺している。
豊崎さんといえば、何年か前に熱愛スキャンダルが発覚して、そのときはもう熱狂的なファンが多かったものだから、嘆くファンのコメントが気持ち悪すぎるというので語り草になっている、というのは声優ファンの間では有名な話なのである。
あのころとはファンの層もだいぶんかわったのだろうし、ファンの反応は概ね暖かい祝福コメントばかりである。そんななかでも、チラホラと見かける、いわゆるガチ恋勢といわれる人の嘆きのコメントに心がゆさぶられている。また、そういった人に対する他の人の反応にも。時間もお金も、人生の大部分をひとりの声優に注ぎ込んでしまう人たちを馬鹿にする人はおおい。それみたことか、と、叩いて嘲笑する風潮があるように思われる。
嘲笑コメントによくありがちなのが「ファンをやっていたからって結婚できると思っていたのか、そんなわけないだろう、バカじゃないのか」というような、至極まっとうといえばまっとうな指摘の主旨のものがおおい。
自分が声優にガチ恋なのかはよくわからないが、ひとこと言わせてもらえば、そんなことはこちとらわかりきっているのである。
ひとりのひとに猛烈にそそぎこんでいるというのは、けっこう自分とのたたかいである。
自分がいなくなったところで、その声優が困ったり悲しんだりすることなどないと、わかりきっているのだ。
自分の人生と真剣に向き合うのであれば、今すぐオタクなどという不毛なことはやめたほうがいいのだと、本人が一番、痛いほどにわかりきっているのである。
それでも好きで、好きで、仕方ないのだ。
恋と崇拝のはざまのような不思議な感覚のなかで、お金を払えば、時間をかければ、好きな人との接点がもてるという沼にずぶずぶとつかってしまう。
なんだかこうやって書くと、甘えているみたい、現実逃避しているみたいだよな。でも、そうじゃないんだよな。けっして現実逃避で好きなわけじゃないんだよなあ。それだけは自信をもって言える。
あんなに苦しいのに、それでも笑顔が一目みたくて、イベントに通いつめる、みたいな、あんな他者に対する憧憬を今まで知らなかったし、今後も他の人に同じような感情を持つとは思えない。
声優ファンってのは、どこかで、自分の推しが結婚する瞬間にむけて、心を準備しているようなところがある。
だから、わかっちゃいたけどってやつなんだよね。
自分の場合。妙なプライドがあったもので、好きが高じて迷惑なファンになるのがいやだったから、逃げ出した。
しかし、地球の裏側まで逃げ出したが、それでも忘れられず、相も変わらず推しに焦がれているのである。
ここまでしたのに「推しとの良い距離感」をつかめないのだとしたら、あとは本当に死ぬくらいしか思いつかない。まあ、声豚なんぞという害悪はさっさと死ねよとか言われるんだろうな。目に浮かぶ。
もう夏は終わりだバカヤローという声が聞こえますが、たまに出る娑婆の空気はまだまだ暑苦しいと思います。
二度の長期休職を許してくれるなんて、弊社はなんて懐が深いのだろうと思います。
そこそこ規模の大きい会社ゆえに下手なことができないからでしょうか。それとも人手不足なだけでしょうか。
新卒で入社してから初めて関わった仕事では、それなりに新入社員らしく、従順に仕事をしました。
管理職に叱責され、家で泣いたこともありましたが、翌日にはかすかな殺意を胸にしまって仕事をしていました。
ある程度慣れてくると、言われたことに従うだけでなく、おかしいと思ったことに口答えができるようになりました。
おかげで、少しだけ方針を変えることができたり、賛同してくれる味方ができたりもしました。
物理的な辛さで言えば、あのころが一番辛かったと思います。精神的にもそこそこだったと思います。
ただまぁ、なんで大丈夫だったかといわれれば、少なからず「面白かった」からだったのかなぁ、と思います。
しばらくして、異動になりました。まったく畑違いの部署でした。
管理職からは、「お前くらいしか推薦できる奴がいなかった」と言われました。
成長すると見込まれたからでしょうか。それとも厄介払いということだったのでしょうか。
管理職はすぐ定年退職してしまったので、真偽のほどはわかりません。
新人同然なので、おとなしく従順に仕事をしました。新しい管理職は穏やかで、叱責するような人ではありませんでした。
残業もほとんどなく、始発まで拘束される飲み会もない、ホワイトな職場でした。悩める就活生はあそこにいくといいと思います。
申し訳程度の繁忙期に、私は疲弊しきっていました。くだらないミスが増えました。
取引先に頭を下げにいった時も、管理職は「そんなこともあるさ」と穏やかでした。
決算を終え、部長からの指名で、来期に向けた業績目標を全社員の前で高らかに宣言した次の週、私は会社を休みました。
会社にいる間、自分の一挙一動すべてに、何の意味があるのか、そんなことばかり考えていました。
今振り返れば、最後まで「面白さがわからなかった」のだなぁ、と思います。
しばらく休んで、私は前に所属した部署に戻ることになりました。当時一緒に仕事をしていた管理職が呼び寄せてくれたそうです。
しかし、休み明けであったり、色々と人事上の都合もあり、当時とは異なる担当に配属されることになりました。
私には、休み明けなので早めに帰るように、と指示が出ていました。他の人は、休日も仕事をしていました。
また毛色の違う仕事なので、必死に仕事をしました。新しい管理職は「まかせたいことは山ほどある、期待してるよ」と言っていました。
部署に新人が入ってきました。私はその教育係になりました。やったことのない仕事を覚えながら、必死に教えました。
私はそのまま、担当の長になりました。やったことのない仕事を覚えながら、自分より年上の部下に、必死に指示を出しました。
部下のひとりがクビになるかもしれない、と伝えられました。それを知らない部下は、ニコニコとお茶を飲んでいました。
今まかせている仕事の出来によっては再考されるかもしれない、とのことでした。一緒に試行錯誤しながら、仕事を進めました。
途中から、会社にいくことが怖くなりました。朝準備しても、家を出ることが難しくなりました。遅刻が増えました。
大事な打ち合わせの日、私は欠勤をしました。管理職が何を言っていたか、今では思い出せません。
そのまま、私は再び休むことになりました。部下がどうなったかは知りませんが、今では人はだいぶ入れ替わった、そうです。
今回、私は頑張った、という自覚がありました。そして、もう頑張れない、と心が折れた自覚がありました。
振り返ってみれば、今回も「面白さがわからない」ままだったな、と気づきました。
今回の休みは、面白いことをして過ごそう、と思いました。結果、起きて、ぼんやりして、寝る日々です。
私はゲームが好きです。プレイヤーを楽しませるシステム作りや、質が高く考えさせられる物語は、とても面白いものです。
働いていた頃に興味がありつつ買わずにいたゲームを買ってみました。とても面白かったです。
ユニークなシステム、濃密な物語、本当に面白くて、疲れました。クリアは当分先になりそうです。
他にも趣味はありましたが、少しやってみては、疲れて布団に寝転がる毎日です。
二度休んで、自分のこれまでを振り返って思ったことは、「面白いこと」ならやれる、のではないかということでした。
しかし、今、この暮らしを続けて気づいてしまったのは、「面白がることも疲れる」ということです。
結局、働くこと、生きることを面白がろうとして、疲れてたどり着いてしまったのが、この夏休みなのかなぁ、と思います。
初めて休んだ時は、暗い気持ちになりながらも、どうやって戻るか、どうやって社会復帰するか、ということで悩み続けていました。
今回は、もうどうすればいいかわかりません。先が真っ暗というよりは、無色透明で何も見えないといった感じです。
会社を解雇されるかもしれない、貯金が尽きるかもしれない、親族が死ぬかもしれない、そんなことも、どこか遠い世界の話に思えます。
面白いことも疲れて考えられないなら、面白くないことにはどう向き合えばいいのでしょう。
なんでも死ぬことは悪いことらしいです。命があるってけっこう面白いことらしいです。いやだなぁ。疲れるなぁ。
テレビで言っていましたが、だんだん寒くなるそうですね。夏ももう終わりらしいです。風邪はつらいので上着を買いました。
10年前の私は、少ないお小遣いの殆どをアニメグッズの収集に使い、短い青春期間の殆どをSNSに費やしていた。当時流行っていたのはVOCALOID。私もその流行に乗って、かろうじて苦手ではなかったイラストを武器にピアプロに載せ、にゃっぽんでボカロクラスタとの交流を深めた。スカチャでくだらないことを語り合った。ツイッターで非公式RTをした。100人以上のネットユーザーと年賀状交換をした。自分でもかなり、痛いヲタクだったと思う。
自分の描いたイラストを評価してもらって、動画の一部に使ってもらうのはとても嬉しかった。いつかは有名Pに依頼してもらって動画を作りたいと思っていた。
でもどうしても絵は上手くならなかった。描く絵はほとんど背中に手を隠した真正面のバストアップで、構図なんてものはない。挑戦だってしなかった。それじゃあ上手くならないのは当たり前だ。
そのうちに歳をとって、恥ずかしさを覚え始めた。ノリでスカチャをしたり、下手な絵のメイキングを作ってみたり、そういうことが「痛い」ことだと思い、出来なくなってしまった。
結局私は絵を描くことをやめた。SNSで不特定多数の人と交流するやり方もわからなくなってしまった。
なぜ私はキモヲタになれなかったのだろうと今でも思っている。好きなことについて仲間と語り合って楽しく生きていたあのころの自分がとても羨ましいと思っている。