ライトノベルブームの記事を見た。自分の認識では漫画もラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説やアニメや映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間の無駄だったなと後悔している。
こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画、ラノベ、アニメ、小説、映画とかにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかがフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐なものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐なものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。
真性オタクは底の浅い陳腐なものをあえて楽しむ趣味を40代50代になっても依然として続けている。現代の出版事情においては彼らのような真性オタクが漫画やラノベを買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐なものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。
あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味で時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感の牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画・ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。
話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間の限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙の限界を感じる。毎日が無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画・ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品も既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞をちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。
とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害のぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害からの作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単なAIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲の陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐なものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいものを創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。
こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しかし自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。
世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかにそうかもしれない。自分はつまらなくなった。射精の快感も最近は全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころは自分が本当の意味で人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分の射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。
すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近、オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。
それ鬱状態だよ
なんでもかんでも鬱病認定するんじゃない。アパシーってのもある。
鬱状態と鬱病は別物ですが。
ゴールデンカムイ、僕だけがいない街、BLUEGIANT、ダンジョン飯、高台家の人々は読んだか?既出のテーマを思いがけない組み合わせで料理されるとめちゃくちゃ面白いよ
枯れたのはわかったからさっさと死ねば?