はてなキーワード: 主治医とは
https://anond.hatelabo.jp/20210130154542
まったくもぉー。
「何この傷は! あんたはこれで他人の同情が引けると思っていい気になって見せびらかして歩いているんでしょうけど穢らわしい! こんなもん見せられたら皆言わないだけで気持ち悪いって思うのよ! 人の善意につけこんでいい思いをしようと思うんじゃないよこのクズ! アバズレ! こんな汚いもの見せつけるなんて人に対して失礼だから、大金払って綺麗に治すのが義務でしょ!」
https://anond.hatelabo.jp/20210130130504
(おしまい)
と、思ったらしまえなかったー!
伏線回収をまたしても忘れた!!
https://anond.hatelabo.jp/20210130055110
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。
子供が1歳で入った保育園は小規模事業なので3歳で卒園。このタイミングでの保活に失敗し、認可外園になった。
ところが子の持病が見つかったとたん2度も診断書提出させたあげく言葉を尽くして退園させられた。
認可外なのだから仕方がない。次の園が見つかるまでうちの子だけ遠出の外出をさせずに留守番させたのも仕方がないだろう。
ただ、退園を通告した園長はわたしがすんなり受け入れたと見たとたん「将来きっと今の状況も笑い話になりますよ」などとすぐに他人事の過去の良い話にまとめ上げようとしたことは覚えておく。
それでは認可園に転園しようと区役所に行ったら区の独自フォーマットの診断書を提出させるくせに、希望園は自分で探すルールだということで、普通の保活と同じ手順を踏むことになった。「やはりご自分で見て希望を決めていただかないと」ともっともらしいことを言って看護師勤務の園がどこかも教えてくれない。
そこで親がかたっぱしから10以上の園に電話して全ての園に1から持病の説明する。そして見学や面接もすることになる。そのうえで大抵「体制が整っていない」と丁重に断られるんだが、いくつかの園からは「おたくが入れるかどうかはこちらが決めることじゃない」とか言われるは新鮮だった。ほんとですよねー区が決めてくれたらお互い楽なのにねー。こういう園はつまり看護師が勤務しているということだろう。体制整ってると強い。
病気の説明が悪いのだろうかと思って持病を説明するサイトをぐぐると「この病気の子の親は過保護になりがち。健常な子と同じように集団保育させましょう」的に書かれてる。そりゃ過保護にはなるでしょうよ。この状況で子の教育のためだけに保育園や幼稚園に入れる鋼メンタルな親はいねーよ。
主治医は「まあ保育園は義務教育ではないから・・・」と言いながら度重なる診断書の要求には全部応じてくれた。内容はいつも「集団生活に支障はありません」というもの。うちと同じ思いをしているたくさんの子を見ているのだろう。
横浜市の子供の医療費がタダなのもありがたい。今までかかったのは入院時の付き添いベッドレンタル代と診断書3通の代金だけ。わたしの年収が百万単位で上がらない限り、今後何年も毎日飲む薬代を含めずっとタダなのだ。
そんな主治医や医療制度に感謝して、不平不満を言わない主義を貫いていたら、結果的には「うちが決めることじゃない」と言い放った園に普通に通ってるよwww区が決めたんだから仕方ないよねwwwww1歳の時も3歳の時も普通の保活では入れなかった超絶近所の認可園に決まったのでほんとラッキーだわwwwwそういえば認可園って保育料タダなんだなwwwwww
簡単です。主治医に連絡を取り、入院したい意思を告げることです。あとは医者が良しなに対応してくれます。保健所関連雑務も医者任せでOK🙆OK!
え?主治医って何?連絡ってどうするの?無視された??ですって。。。!??
あーーー。
持病持ちかつ自炊能力が壊滅的、そもそも仕事終わるとぐったりしてとても料理できない。
ので
・週末は買い物か通院でほぼ確で外出
・平日の買い物はAmazonヨドバシLOHACOその他通販。ただし家から徒歩5分未満圏内にヘルシー野菜弁当屋とか美味いテイクアウトランチを出す飲み屋とか焼き鳥屋があって、昼はそういうのを買うために週3〜5で外出
・外食は月1あるかないかくらい。頑なにテイクアウトを拒む近所の洋食屋のメシがどーーーしても食べたい時にだけ行く
・上記全て、一人で行って一人で買うなり食うなりして一人で完結させている。店員さんとか主治医のセンセとかと喋るときは必ずマスク、職場の打ち合わせ系は遠隔WEB会議、それ以外では全く誰とも口をきかない。
みたいなアレなんやが、
これを、「ほとんど家から出ない」と称すると、叩かれてまうんか????
弁当買って帰るくらいはノーカンにならんか?マスクして銭と弁当の交換して即帰るやで??濃厚接触にも当たらんやろこれ。
どこからなら許されるんや。
週末の外出だって、通院は流石に電車じゃないとどうもならん距離やから嫌々乗ってるけど、買い物は普通に徒歩移動やぞ。日に5〜7キロくらい。それもアカンのんか?そんくらい運動せんと(しても)普通に不摂生で具合わるなるんやが???
もおイヤや〜。どの程度ならアリなのかわからへんのがイヤすぎる〜。叩かれたない〜。
今よりadhdが一般的ではなく、大人のadhdも有名でなかった10年近く前のことだ。
コンサータのおかげで授業中に眠くなることはなくなった。
元から集中力に問題はなかったので、授業を聞いてさえいれば成績は上がる。
コンサータにより集中する力が改善されたのではなくて、コンサータの覚醒作用で授業を聞くようになっただけだったのかもしれない。
遅刻癖(遅刻することが分かっていても行動を途中でやめられない。)も、提出物を忘れる(たまに気付くけれどやれない。)のも治っていなかった。
効果がないわけないのだから、効果があるように振る舞わなければいけない。当時は思っていた。
(実際集中力は上がっているはずだったし。)
工夫してどうにかなるように努めていた。翌日の朝やる行動を最小限にするために、前日に翌日の準備を完璧にした。(完璧になったか不安で眠れない日も多かった。もちろん完璧にできていることの方が少なく、翌朝また焦るが遅刻回数は減った。)提出物は…未だにギリギリアウトとセーフを彷徨っている。
両親も、わたしも、医師もadhdだと思ってた。コンサータの手助けを借りて少しだけ上手に生きられてると思っていた。
一人暮らしになり、主治医から大学近くのメンタルクリニックを紹介された。
と言われた。詳しいことは後日聞きに行く。
私、なんだったんだろう。
双極性障害で長年SSRIを飲み続けているが、最近いろいろあって急に状態が悪くなり、主治医に相談したら新たにジプレキサという薬を処方してもらった。
そしたら毎日何度も沸き起こっては苦しめられていた思い出し怒りがすんなりなくなった。
ついさっき見た星占いの内容を忘れる。買い物に行って何を買おうとしていたのか忘れる。
でも大丈夫。そんなの全然平気。思い出し怒りのあのやり場のない苦しさに比べればそんなどうにでも後で補完できる物忘れなんて何ら気にならない。
みんなに同じように効くのかどうかは知らんが自分には覿面だったので増田に書いとくことにした。悩んでる人は駄目元で医師に一度相談してみたらいいと思う。
恋をしている。
そして精神障害者だ。
たぶん新患はぱんぱんだったんだろうけど、次の土曜の午後に枠を取ってくれた。
涙がとまらなかった。
すぐによくなるような薬はみつからなかったし
合ったと思ったらまた違う波が来たり。
通わなくてもよくなったり、
でも「やっぱまた戻ってきちゃったよー」と診察室のドアを開けたり。
そうこうしているうちにコロナの波がきて、
このときに、私はこの人に恋をしているんだなと思った。
あのメガネの奥の瞳が好きなんだなと思った。
主治医に家族があるかは知らないし、夫は間違いなく愛してるし、子供は大事だし、家庭を壊したくないし。
触れたいとか、名前を呼びたいとか、そういうんじゃない「恋」ってなんていうんだろうね。
この前、待合が少し空いてたから、ちょっとだけ雑談をした。発熱外来がつらいとか、診察室に変な置物が増えたよねとか。
先生は笑って、
「マスクで曇るんだもん。パソコン見づらいけど。メガネが曇らないスプレーとかあるみたいだけどね」
さらりと言った。
今のところなんの依存症でもない
でも踏み止まっている
彼らのストーリーはいつも同じだ。心の穴を嗜好品によって埋めようとして依存症に陥り、自助会によって救われた、と。
自助会によって、悩みがなくなるわけでない。ただ、悩みに囚われず生きられるようになると言う。
その境地に達した元依存症患者は、自分よりずっと先のステージにいるように思える。
辛い経験、どん底を経験しさえすれば、同じ境遇の患者と接し、心を解放しさえすれば、嗜好品に頼らずとも生きられるようになるのだろうか。
自助会は「治療」の方法だ。繰り返され改良を重ね、今まで続いてきた精神療法だ。
今現在、なんの依存症でもないが、自助会のような何かに救われたい。酒に依存する前に、救われることはできないのだろうか。
自助会で救われた人が羨ましい。
宗教にでもハマればいいのだろうか。
精神科で抗不安剤を貰えば救われるのだろうか。しかし主治医は多分出してくれないんだよな。
薬をたくさんくれる病院に移るべきなのか。
12月22日
東京日程・3度ほど面談(面談者には今後検査を受けるよう対応)
16時から党の常任幹事会(両隣の議員に検査を受けるよう対応)
12月23日
長野日程 県常任幹事会に出席し記者会見(それぞれで対象者に検査を受けるよう対応)
東京日程・16時から財務省担当者と面談し帰宅(担当者に検査受けるよう対応)
12月24日
11時半頃、参議院診療所に秘書が「羽田議員は無症状だが近くで陽性者が見つかり検査を受けたいがどこで受けられるのか」相談の連絡
診療所は「無症状では民間検査しか受けられない」と回答し民間検査が受けられる医院のリストをFAX
深夜に38.6度の発熱をする
12月25日
リストに載ってた主治医のいるクリニックでは検査ができなかったので(多分検査予約でいっぱいだったという話かと)ネットでまめクリニックに予約をし27日に検査となる
党会合の予定を休み終日自宅待機 体温は朝が36.5度 夜が38.3度
12月26日
終日自宅待機 体温は朝が37.5度 夜が38.2度
12月27日
秘書が15時35分からのまめクリニックの検査に車で送ってる途中で呼吸が荒くなり「俺肺炎かな」と言葉を遺し意識失う
その場で停車し秘書が救急車を呼び、東大病院に搬送した後16時34分死亡確認
体温は朝が37.1度
家族は濃厚接触者、病院に移送した秘書も隔離(立憲は家族と秘書に電話で聞き取り。今後保健所が詳細な調査をする中で、また異なる話が出るかもと)
スポニチや東スポが流した「会合に出て倒れた」というのは事実ではない
【LIVE】羽田元国交相 死因は新型コロナ感染症 (2020年12月28日) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xXWauMQaAuY
病院名とか詳細は党HPのほうが詳しい(ただし質疑は書き起こされてないので動画を見て)
発達障害の一つであるASDなのかどうかはっきりしておきたい(以前診断があったけれど、今はないからどうなんだろうと思って)という気持ちもあったし、
支援者からも確認しておくとよいとアドバイスもあったので主治医の先生に確認したら、「はっきり「発達障害」と診断が下りるほどではないけれど、特性はある」という話だった。いわゆるグレーゾーンとのこと。
1年ほどいろいろ就労に向けて発達障害者向けの就労や生活の本をあたっていて、なんとなくそういう特性もあるな、と感じていたから聞けて良かった。すこし肩の荷が下りた。
今日、入院している祖母の見舞いのため、母と親戚の女性とともに3人で病院へ。病院で医者と面談をした際、母も親戚の女性も、延々と話し続ける。
祖母は元気なときには手芸が上手で、まさか脳梗塞で今のような状況になるとは思わなかった。高齢ではあるが、ボケもなく、しっかりした人で、毎日を愉快に送っていたのに、どうして脳梗塞になんてなったのかわからない。倒れている祖母を見て救急車を呼んだのは同居人であった祖父だが、救急車を呼ばなければ楽に死ねていたかもしれないのに今つらそうにしているのを見ると辛い。
そんな話が無限に続く。しまいには二人で泣きながら交互に思い出話を話している。これは手に負えないと思った私はひたすら傍観するしかなかった。しかし、よく考えてほしい。今ここにいるのは医者と看護師であって、話すべきことはそんな過去の思い出話ではなく、現在の様態と未来の治療方針である。過去の思い出を延々に医者に話して一体何になるのか。しかし、医者も看護師も良識ある人であったらしく、そんな二人の話を切ることなく、最後まで聞いていた。家に帰った後、話し終えてスッキリした顔の二人は言っていた。
驚愕した。そんなことがあってたまるか。医者や看護師の良し悪しは患者家族とのカウンセリング技術や優しさではなく、患者本人に対する治療のレベルによって決まるべきだ。
そんな一日だけで私はほとほと疲れてしまい、(総合職は)ほとんど男性だけで構成されている自分の職場が恋しくなってしまった。普段は仕事なんて嫌なことばかりだと思っていたが、少なくとも職場では論理的に正しいか正しくないかが基準として物事が判断されている。管理職の人事評価は、部下の無駄話を丁寧に全部聞くかどうかではなく、部下を使って成果を出せるかどうかで行われている。
高齢の祖母が病院で死にかけている。ひと月ほど前に、心因性の脳梗塞で倒れたところを救急車で運ばれ、脳の一部の機能に障害が残った。左右のうち半身の体が麻痺している。声をかけても反応しない。口は開きっぱなし。食事も食べられず、鼻から経管を入れて栄養を摂っている。
祖母は脳梗塞で倒れる前、「何があっても延命措置はいらない」と繰り返し口にしていた。ものが自分の歯で食べられなくなったらもう終わり、十分に長く生きたし、なにも思い残すことはない。管を鼻や口に挿入して無理やり食べさせたり、点滴で栄養を入れたり、特に胃ろうなんて絶対にしないでくれ。そう言っていた。
それを主治医に伝えたところ、「現在の小康状態で、栄養補給をしている経管を抜くなど人殺しに近い、むしろ胃ろうに切り替えて長期的な治療に切り替えていくべきだ」、と拒絶に近い反応を示された。家族は途方に暮れている。
誰に話せばいいのかわからなくてここに書いてる。
いろいろ調べてもらうと気分障害は14の頃からだったらしく、それを加算すると人生の半分以上をメンヘラとして生きている。
笑おうとしてもうまく笑えない。
頭が全然働かない。常に思考がとっちらかっていて、やろうと思っていたことが何もできない。突然フリーズする。数分後に我に返る。
寒くなったのと、旦那とのくだらない喧嘩などの外的要因と、あとは排卵期なのかな。
辛い。まじでやばい。
助けてほしい。
今まではそれでも、まあよかった。
数日うずくまってやり過ごせばよかった。
でも今はそれができない。
生後6ヶ月の息子がいるから。
息子が泣いたらおむつを替えたり授乳したり、そういう最低限のことはできる。
でも、抱っこしてあやしたり、絵本を読んであげたり、おもちゃで一緒に遊んだり、そんなことができない。思考が飛ぶ。息子がけげんそうにわたしを見ている。けげんそうに、じゃない。不安そうに、だ。だんだん息子が泣く頻度が増えてきた。ごめん。どうしたらいいんだ。ごめん。
主治医に何度か相談したが、もともとこの人はいろんなことを患者の自己管理に任せる人で、何もないときは別にそれでいいんだがこういう有事のさいにはまったく踏み込んでくれないのが頼りない。
前々から小さな違和感が積もっていたのがついに爆発して、もう病院を変わろうと思った。
近場の精神科をいくつかあたる。
一ヶ所は3ヶ月待ち。
一ヶ所は婉曲的に断られる。
一ヶ所は口コミが悪すぎて怖い。
仕方なく主治医の病院に電話して、その病院の他の医師に予約したいと伝える。主治医との治療継続をすすめる看護師。違和感を回らない頭で必死に説明し、なんとか別の先生に予約を入れてもらう。2週間後。あと2週間こんなに苦しまないといけないのか。いやわたしはまあいいんだ。赤ちゃんだよ赤ちゃん。生理が始まれば体調も戻るけど、それまでずっとこんなテンションの母親に世話されなければならない息子が不憫で不憫で、なんで誰も、誰も今この苦しみに悶えているわたしの話を聞いてくれないんだ、どうして、こんなに辛いのに、赤ちゃんが不安がって泣いているのに、お願い誰かわたしの話を聞いて。聞いてくれるだけでいい。慰めなくていい。治療もしてくれなくていい。ただ黙って、うん、うん、と聞いてほしい。お願い。誰か。そうすれば明日からまた笑えるから。わたしのためじゃなく息子のために、お願いだから誰か話を聞いて。
レンタル彼女は増田に失礼なことを(自分の周囲の廃人ギリギリラインの人たちもやれてる工場労働なら増田にもできるとか)言ったけど、そもそも、現実の増田も工場労働を下位の労働と見下しているし、増田自身が下位の労働だと思っている工場労働「すら」、プライドが邪魔しているのか分からないが今の増田はやってないという事実もある。傷ついた気持ちはよく分かる。でもレンタル彼女に向けられた刃を増田も工場労働を貶めることに向けてしまったから、増田とレンタル彼女はどっちもどっち、外野から見ると目糞鼻糞を笑うといった状態だと感じる。彼女も大概失礼だが、増田の無意識の差別もかなり社会的にはあまり良いものではないと思う。
あと、増田の意に反した返答や反応が多くて理不尽に感じて、つい返事をしたくなるのだろうと思うが、これ以上ここにいるとメンタルにとって良い影響はないから、しばらくネットから離れるのもアリだと思う。少し落ち着いたら、カウンセリングを受けられるように主治医に相談するのも良いと思う。鬱は適切な対応をすれば直る病気だけど(友人に2人、鬱から職場復帰した人間がいる)、きちんと病気と向き合って精神を休息させて、適切なカウンセリングなどの療養をしないと、別の精神的な合併症を引き起こす可能性もあるよ。素人のレンタル彼女(大した額でもない金の繋がりしかない赤の他人)に、適切なカウンセリングができるわけがない、同じぐらいの値段ならどう考えても訓練を受けたカウンセラーの方が得だ。
そして残念だがカウンセラーも質の差や、あとは個人同士の相性もかなり影響する(人間が、他の人間と話をして一つも傷つけずにコミュニケーションをとるのは簡単じゃないので仕方がない面もある)から、違うなと思ったらカウンセラーもバンバンチェンジ!で良い。カウンセラーはそれが仕事だから気分が悪くなる言葉を言われたら別のクリニックに行っていい。
逆に言えば、カウンセラー役は、お金の繋がりしかない付き合いも浅いというかほぼ無い素人のレンタル彼女に期待すべきことじゃない。メンタルの状況があまり良くない人とその人を傷つけないように会話を楽しむのは簡単なことじゃなくて、長年連れ添った夫婦ですら、片方が鬱になるともう片方だって巻き込まれて二人とも抑うつ状態になる、なんてこともあるぐらいだ。「若い女のぶん色々お得かな」とか、鬱を改善するには不必要な情報を混ぜ込まない方が、結果的に早く増田を取り巻いてる色々な状況が改善すると思うよ。
人間を、鬱で辛い状態の中にいる人/今のところそうでない人・鬱から立ち直り社会復帰してる人、の二つにすごく雑に分類した時に、後者は他人の言うことに対して、それが不本意なものだったとしても一々ここまで心を揺さぶられずにいられるんだよね。他人の言葉の一々に不本意をため込んでしまう状態は、うつ病と診断された人じゃなくても心の調子が良くなかったり落ち込んでたりする時にも陥りやすい。増田は元々コミュニケーションが得意ではないようだし、その上、今は鬱で心の免疫機能が低下してメンタルの状況はあまり良くない方向に向かっている可能性があるから、心を無駄に揺さぶられるネットに反論とか心が削られるようなことはいったんやめて、プロの医者やカウンセラーと向き合うのもいいんじゃないかな。
当方、躁鬱持ち。寝つきが悪く、睡眠導入剤の「マイスリー」を服用していた。
症状が安定していたので、躁鬱の薬(ラミクタール)を半分にすることになった。
しかしこの減薬以降、マイスリー服用後の奇行が目立つようになる。
まず、新海誠が好きな友人に、3000字くらいの長文で『君の名は。』の感想を送った。
文章は支離滅裂。狂気を感じる。一応、日本語として意味が通ってはいるが、まるで要領を得ない。
「ままごとの果てのハンバーグに、神聖性を感じるというのかい?」とかいう調子だったと記憶している。
しかし、新海を敬愛する友人に対しては失礼すぎるくらいに、激しいトーンで新海を非難してしまった。
後日、「あれは不愉快だった」と苦言を呈された。
男女がらみでも失敗した。長年来の異性の友人がいる。
今まで何度か近場の旅行に行っており、今回も行きたいと提案していた。
しかし、向こうの返事から察するにあまり乗り気でないようだった。
私は流れをぶった切り、どうしても今回行きたい!お願い!付き合って!との旨のメッセージを連投した。
翌朝スマホを見返し、自分のメッセージのキモさに血の気が引いた。
だいたいの場合、目覚めた直後は、前の晩にやらかしたことを覚えていない。
LINEなどの物証を確認して、「そういえばそんなこと送ったか」と思い出す。
その時点で記憶が回復はするが、記憶の確かさは非常に薄いままだ。
あまりにも嘘偽りなく、感情を開陳してしまう。受け取った相手がどう思うかと考えた形跡がない。
それでも、服用後に電源をつけて思いついたことを送ってしまった。
文章を書いている最中は「自分は至って正気だ!」と信じているのが恐ろしい。
躁鬱の薬を減らして抑制作用が弱まったところに、抗不安作用のあるマイスリーが効きすぎたのではないかとの見立てだった。
マスク着用拒否により飛行機から下ろされた人が居た一件以降、マスクを着用できない人への視線がさらに厳しくなったような気がする。
最近そう思うことが増えた。
マスクをしてない=わがままな人というレッテルを貼られているようで、とても周りの目線が怖い。
自分はパニック障害によりマスクができない。感覚過敏症もあり、締め付けがあるものも極力避けるように主治医から言われている。
口を塞がれる状態になると発作になったりするのだが、スーパーでマスクができない旨を伝えると、ハンカチを当ててくださいと言われた。
ハンカチが当てられる状態なら、マスクだってできるのではないか……。
少し前、海外のディズニーでマスク着用できずに入園拒否になった件も見ていたけれど、娯楽施設であればまだ行かないという選択肢がある。
行かないという選択肢が取れない場所でマスク着用できない人はお断りと言われる。
マスクを無理に着けようとして体調が悪くなって昔から通っている病院に行く。
すると受付の人にマスクを着けてくださいと言われる。
着用できないのですが。
そう返答したのだが、着用してくださいと再び言われる。
困って固まってしまった自分に、忘れた人のために用意されたマスクを1枚差し出され、口元に当ててくれた。
口元が塞がれたことによりすぐに過呼吸になり発作が起こって待合室から奥のベッドに運ばれた。
あちらは親切でしてくれたのだと思う。
口元にマスクを当ててくれたのはそのスタッフさんの親切心だと思う。
マスクをしてない人がいると他の人も不安に思うだろうというのもあると思う。
けれど、そういった事情のある人が受診する病院で、マスクをしてないのは単に忘れたからなのか事情があるのか聞いてくれても良かったのではないかと。
マスクが着用できずに困っていてその病院を受診するのに、マスクを着けてくださいと言われるのはとても理不尽な気持ちになる。
どうやって生きたらいいのだろうか。
病気によりマスクを着けられないのはわがままではないので申し訳ないし許してほしいと思う。
けれど、マスクを出来ない人である自分はずっと申し訳ないという気持ちを持って生きなければいけないのか。
もし自分に他の身体に障害があって、例えば車椅子で生活していたとしたら、バスの乗り降りの度に時間がかかってすみませんと思わなければいけないのか。
ベビーカーで電車に乗ったらスペースをたくさん取ってすみませんと思わないといけないのか。
どちらも最低限必要なことをしているだけで悪いことをしているわけではないのに。
すみませんと思わない人は図々しい。すみませんと思わないと許さないという、日本人の謙虚じゃない人は許さないというような圧力を感じている。
それってなにか違うのではと思う。
いろいろ事情はあれど、自分が悪いわけではないのに、ずっと申し訳ないと思わないといけないのかと。
弱者と言われる側の人が普通に生きているだけで負い目を感じて生きなければいけない社会は悲しいと思う。
図々しく生活するのが正しいとは思っていない。
もちろんこちらの努力として、マスク着用できないことを理解してもらうために名札を下げて生活している。
けれど1日に何回もマスク着用できないのかと聞かれて、何回もすみませんマスクできなくてすみません、と唱えて生きているととても辛い。
何度も何度も、1日のうちにその会話だけでどれだけの時間がかかっているのだろうと思う。
申し訳ないな、と思わなくても普通に生活できるように社会が寛容になってくれたら、と思う。
そういう世界にならなければ自分はもう最低限の買い物にも行けない。
仕事は在宅で出来ているものの、買い物に行けないので自炊が出来なく、食事は全て宅配に変えた。けれど金銭的に負担が多いので1日の食事回数を減らした。
宅配の種類はまだ選択肢が少なく、自炊ではないので栄養バランスも偏っていると思う。
日用品も通販で買えるものもあれば買えないものもある。そして送料もかかる。
事前に買ってストックしているものもあるけれど、日常では突然買い物しなければならない場面もある。
マスク着用できないことによって《お断り》され、外に出られないことは金銭的な負担がとても大きい。
(そんなこと書いてる店はないと思うが)
【マスク着用できない人はお断り!】と書くのは差別ではないかと思う。
店側は
事情によりマスクを出来ない方はできる範囲でご協力ください。】
などにしてくれたらありがたい。
マスクをしてなくても咳やくしゃみをするときには人の方を向かない、ハンカチでガードするなど最低限のことは守っていくので。
そしてマスクしてない人=わがままな人というレッテルはやめてもらえたらありがたい。
どうか、マスク着用してない人を見ても、事情があるのだと察していただけたら嬉しい。
すみませんと1日に何度も唱えて辛い思いをすることなく、事情を受けれてくれて、フラットに生きられるバリアフリーな社会になるといいなと思う。