今のところなんの依存症でもない
でも踏み止まっている
彼らのストーリーはいつも同じだ。心の穴を嗜好品によって埋めようとして依存症に陥り、自助会によって救われた、と。
自助会によって、悩みがなくなるわけでない。ただ、悩みに囚われず生きられるようになると言う。
その境地に達した元依存症患者は、自分よりずっと先のステージにいるように思える。
辛い経験、どん底を経験しさえすれば、同じ境遇の患者と接し、心を解放しさえすれば、嗜好品に頼らずとも生きられるようになるのだろうか。
自助会は「治療」の方法だ。繰り返され改良を重ね、今まで続いてきた精神療法だ。
今現在、なんの依存症でもないが、自助会のような何かに救われたい。酒に依存する前に、救われることはできないのだろうか。
自助会で救われた人が羨ましい。
宗教にでもハマればいいのだろうか。
精神科で抗不安剤を貰えば救われるのだろうか。しかし主治医は多分出してくれないんだよな。
薬をたくさんくれる病院に移るべきなのか。
ACもあるから本人が飲んでなくてもいける
でも別に両親は毒親じゃないんだ 愛情深かったかと言われると違うが、愛されて育ったのは確かだ
そうなんだ、ならいいじゃん?
なら教会の日曜ミサとか行ってみる?
浮きそうで怖いわ
ACもあるから本人が飲んでなくてもいける
きみもすごい文章書くなあ。まあ、生まれなければそういうことにもならなかったわけだけど、生まれちゃったならしょうがないよなあ
アル中がな、トイレ制御できんようになって街中でじゃーーーって漏らしたんよ 一緒に歩いてる俺たちの苦労よ 両側から腕掴んで引きずるみたいにして帰ってさ 家についても漏らした...
だから付き合ってる人と結婚したらいいのよ。