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https://anond.hatelabo.jp/20150324232028
何年か前、フェミニストのルームメイトとオランダ版の『サバイバー』を見て面白い経験をした。この番組は、二つの島に女だけのチームと男だけのチームに別れて、それぞれでサバイバルをするというものだった。フェミニストのルームメイトは、俺や他の学生達にこの番組について何週間も前から喧伝していた。彼女によると、「家父長制の悪から無縁の、女性によって治められた社会がどのようなものであるかを、この番組は見せてくれるでしょうよ」ということだった。
そして、始まった。ああ、番組はそれを見せてくれた。
番組はまず両グループがそれぞれの島に降ろされ、いくらかの食料や装備を渡され、あとは自力で生き残ってくれというものだった。両方のグループでまずチームの体制をどうするかで口論が起こった。それから男達は彼らが必要だと感じたことを何でもやっていくことにした。そこには命令を下すリーダーはいなかった。狩り、採集、漁が必要だと感じた男達はそれをやった。別の男は砂の上に座るのにうんざりしてベンチを作り始めた。他の男達は小屋を建てた。その小屋は徐々に大きく発展していった。別の男は毎晩調理をした。男達の島には数日の内に、小綺麗な文明が出来上がっていて、生活は日を追うごとに少しづつ豊かになっていった。
女達も同様にルーチンに落ち着いた。タオルを乾かすための物干し竿を掛けた後は、日光浴と口論を始めた。男達とは違い、女達はグループ全体のコンセンサス無しには何もすることができなかったからだ。そして12人の女達の間でコンセンサスが得られることは一度も無かった。続く数回の放送の間に、女達は最初に与えられた食料を全部食べつくしてしまった。暴風雨で何度もびしょ濡れになり、砂ノミに喰われ、どんどんみじめになっていった。一方男達は非常に満足していた。もちろん意見の相違もあったが、それらは徐々に解決されていった。
これをフェミニストのルームメイトと見るのは最高だった。彼女も始めのうちはこの男島と女島の違いをなんとか正当化しようとしていたけれど、その主張も段々弱くなっていった。結局、番組側が助け船を出すことを決めた。女達を助けるために、3人の男達が選ばれ女島に行くことになった。その代わりに、3人の女達が男島に行くことになった。この回を見ていた時のフェミニストのルームメイトの顔はプライスレスだった。
選ばれた3人の男達も当然有頂天になっていたんだけど、彼らが女島に到着し女達に迎えられるまでだった。
「小屋はどこだ?」
「小屋なんて無いわ」
「食料は?」
「全部食べちゃったわ」
それで結局3人の男達は犬のように働くことになった。彼らが最初の数週間のうちに試行錯誤して得たスキルを使って、小屋を建て、魚を捕った。女達にも食料探しをしてもらおうとしたが、女達は文句を言って日光浴を続けた。
男島に送られた女達3人は喜びに満ちていた。食料もあるし、雨風をしのぐ小屋もある。男達からはチヤホヤしてもらえる。彼女達もまた日光浴を続けた。
たかが2年目半の時点でどんなこと偉そうに書いてるんだと思って読み始めたけど
「教養」って知のデータベース(と、それへのアクセス権限)なので、
・教養があることで省略できることが多い(いちいち車輪から発明する必要がない)※1
・新しい出来事に対しても自分一個でなく結集された英知を結集して思考できる ※2
・それらの経験を通して自分という一個の人間の能力自体も成長が期待できる ※3
……みたいな効果があるっちゃある。ぶっちゃけ教養があることで「できること」の範囲は広がるし、その「できること」の範囲が拡大すれば、大げさに言えばその「人」自体も変化する。そんな感じ。
言ってみれば、教養のある無しというのはネットにつながってるスマホとつながらなかったころのガラケーくらい違う。だから「教養なんて無くても別によくね」とか言われると、「俺のガラケーは辞書機能もあるし写真も撮れるし音楽も聴ける、ネットとかつないで何すんのw」とか言われてる感じがする。批判とかそういうのじゃなく「気の毒に…」「つなげばすぐ分かって顔真っ赤になるだろうに…」「でもつながない限りこの人には永遠に分からんのか…」「かといってお金ないとか事情があるなら無理に勧めづらいし…無くて死ぬものでもないし……」「本人が納得してないのに押しつけるわけにもいかないし……まあ放置しとくか……」みたいな、同情というかスルーというか、そういう微妙な反応しかできない人が多いと思う。あなたが、「教養って必要かも」と少しでも思ったのなら、たとえあなたが何歳であっても躊躇せずさっさと教養を身につけるよう努力した方がいいと思う。
まあ、教養を身につけた上で「こんなもん、俺の人生には不要!」と言っているのなら、あー、そりゃまあそういうこともあるかもね、Not for youだったんだね、ネットの無い世界にも人生はあるもんね、という感想かな。ただ、教養ある人が回してる世界の恩恵を受けて生活している以上、「俺には教養はいらん」とは言えても「世の中に教養は不要」とは言えないかもな、ということは理解していただけるとありがたい。
※1 … たとえば「標的のシステム内に、一見無害又は価値あるデータを装って取り込まれたあと、気付かれないうちに活動を開始して、標的システム自体に致命的な影響を与えるプログラム」のことを「トロイの木馬」と名付けられるのは教養のなせるワザだし、それで話が通じるとメチャクチャコスパいい。いちいち毎回「標的のシステム内に…」から説明してまわったり、それに全く新しい名前と概念を与えるのは不便過ぎる。
※2 … 一般的に、人生で人が出会うであろう悩みなら、過去数千年間の中で膨大な人が悩んできており、相当な数の人がそれについて人生をかけて思考してきている。それらを用いて自分が思考するだけではなく、同じ「教養」を身につけた人同士であれば、それらを前提にして議論や新しい発展を図ることもできる。ネットの集合知じゃないけど、そうやって関わる人間の数が増えれば、思考や決断のスピード、深さが桁違いになる。
※3 … ここまで教養の「幅広さ」の利点だけを述べたが、教養の真価は、それを使いこなすことで人間自体が深まり、成長できるところにある。物事の「深み」を知ることは、「深く知る」ことへの欲望を生み行動を変える。深みを知るなら、実は幅広さというものはそこまで重要ではない。世界中のワインを飲み比べる人の見ている「世界」の広さに、一つの村に住み同じハウスワインだけを数十年飲み続けて出来年とそうでない年の微妙な味の違いを判断できる人の知る世界の「深さ」は、決して劣るものではない。そして、その両方を身につけることができるなら、ワインを知らない人とはもはや見える世界も違えば経験する人生も異なってくるだろう。
教養とは、日々の知的営みの結果身につく知性のひらめきであって、客観的に計測できるような実体は存在しない
よって教養それ自体を追求しようとして得られるものではない。(よく『教養を身につけるための〜』なんて本も売ってるけど、まやかしに過ぎない)
教養ってなんの役に立つの?って人にはそもそも教養は知覚出来ないだろうし無用でしかないと思う
でも筋肉が無いよりはある方が良いよね?教養も無いよりはある方が良い、と思う
自分は教養の豊かな人には敬意を抱くけど、じゃあ教養のカケラも無い人をバカにするかといえばそうでもない そこは人格や品性の問題
やあ、アラサー人生初一人暮らし一ヶ月の日記でけっこうブクマいただいた増田だよ。
二ヶ月前は色々なアドバイスや温かいコメントをありがとうございました。
とくに同じような境遇の人からもコメントをいただけたのが嬉しかったです。
その方は元気に一人暮らしをしているだろうか? していたらイイな。
私は残念ながら精神を病んで、メンクリ通い&休日は頻繁に実家に避難する生活になってしまいました。
端的に言えば、一人暮らしが自分の気質に合わなかった、それだけ。
家事はそれなりにちゃんと回せているので汚部屋になっているとかではないし、独身男性としては健康的な生活ができている方だと思うし、仕事はちゃんと行けてるので、おそらく傍から見たら何がそんな辛いのか分からないような状態だと思う。
なのに、精神的なモノ──内側から来る不安や苦痛が際限なく湧いてきてメンタルがダメになった。
医者からは不安障害の傾向があると言われて、薬を出され、カウンセリングに通ったり、認知行動療法をやったりしている。
「一人暮らしが合わない、嫌い、辛い」っていうのはあるんだけど、個別的な問題については別に耐えられないようなモノではないんだ。
内容自体はたぶん、一人暮らしなら仕方のないことや、一人暮らしビギナーなら多くの人が直面するような、その程度のモノだと思う。
ただ、そこから「今の合わない生活をいつまで続ければ良いんだ?」、「結婚もできず両親も亡くなって天涯孤独になったらこの寂しい暮らしが死ぬまで続くのか?」、「日々の暮らしはちゃんとできているようだけど、実はなにか致命的な見落としがあって数カ月後にそれが噴出するんじゃないか?」みたいな長期スパンの問題を考え出すと、四六時中頭の中で不安が渦巻き出して、今の暮らし全てが辛く感じるようになってくる感じがする。
さらに、ずっと不安や苦痛が積み重なっていくと、そこから派生して、今の暮らしで目に映る自分の部屋や周囲の街にまで嫌悪の感情が張り付いて、「ここにいること」そのものが嫌で嫌でたまらなくなっていく感じ。
もともとけっこう気質に偏ったところのある人間なので、まあ完全に内的な要因なんだよね。
だから、外的な要因から改善を図ってもあまり効果がないのも辛い。
例えば、苦痛の一つに「孤独感」があるんだけど、それに対処するために、旧友に声をかけて縁を繋いだり、婚活イベントに申し込んだりはしたんだ。
でも、やってる時は気分が良くなるし、確実に現状改善の方向には進んでいるハズなのに、だけど結局、活動が終わって家に帰れば不安が蘇って来てしまう。
そんな感じで、内側から半ば無根拠に無限に湧いてくる負の感情に耐えられず、医者にゴーすることになった。
個別的な問題については耐えられないようなモノではないといったが、せっかくなので自分にとって一人暮らしで合わなかった点を書いて行こうと思う。
基本的には二ヶ月前に書いた辛かった点と同じだけど、三カ月も暮らすと何が嫌かの解像度が増すね。
・孤独が辛い
なんか何をやっていても虚しくなる。
家で、誰も自分のために何かしてくれないし、自分が誰かのために何かしてあげることもない。
他愛ない雑談で「こんなことしたんだ」と報告することも、されることもない。
それが凄く生活を味気ないモノに感じさせる。
(医療費がかかったり、実家避難時の交通費がかかったり、逆に実家でタダ飯を食わせてもらったり、平常な一人暮らしなら発生しない+-があるのでアレだが)二ヶ月間、家計簿を付けてみた。
その結果として、やたらめったらドケチ生活を送る必要があるほど余裕がないわけではないことが分かった。
というか、わりと余裕はある。
特に食費。
理性と計算では「もっと良いモノ食っても大丈夫だよ」、「嗜好品とか買っても良いんだよ」と答えが出ているのに、感覚がそれを否定してくる。
……家賃なんかは出費としてはもっとも大きい項目だけど、精神的にダメージにはならないんだよな、日付や金額が決まっているから。
食費や日用品代みたいな、日々少しずつ財布の中身が削れていく感じがダメで凄いストレスになる。
生きていくのに金がかかるのなんて当たり前のことなのにね。
例えば、掃除をどのくらいの頻度でやれば良いのかみたいな話。
単純な綺麗・汚いの話で言えば、俺は特別、潔癖でも、大雑把でもないと思う。
ただ、どの程度までやれば問題ないか基準が分からず、こんなもので良いのかな? 不衛生じゃないかな? 逆に神経質になり過ぎではないかな? と常に不安が付きまとう。
もっと実家で家事をやっていれば、その時の感覚を適用するだけで良かったので、親に甘えていたツケが回ってきたんだろうなぁ。
その他、何につけても全部自分で物事を決めないといけないことが辛い。
昔、なにかの本で「発達障害傾向のある人間は一つ一つの決断に非常に精神エネルギーを使う」みたいな内容を読んだことがあったが、まんまそんな感じ。
実家にいたら「朝起きる」という行為に「朝起きて自分の部屋を出てリビングで家族におはようと言う」というようなプロセスがあってそれで目が覚めたけど、今は1K住まいなので、部屋の移動もほぼなければ、誰かにおはようということもない。
実家で飯を食べるなら時間が決まっていたけど、一人だとそういう強制的に時間を縛られることもない。
後者に関しては、それが自由でハッピーという人の方が多いのだろうけど、でも私は行動でも時間でも外的に区切りを与えてもらえないとなんか落ち着かないタイプだったりするので、家での生活がのっぺり続いていくのがけっこう苦痛だったりする。
……この中で一番辛いのは、圧倒的に孤独感。
これも短期スパンで見ると、「あ~、寂しいな~」レベルの話でしかないんだけどね。
少ないながら時々会って遊ぶ友人もいるし、LINEで連絡すれば応えてくれる家族もいるので、孤独から逃れる術は今はどうとでもなる。
ただ、何十年か先の未来、自分が天涯孤独になる想像がふと湧いてくると、耐えがたいほどに辛い気持ちになる。
私は兄弟も同世代以下の親戚もいないし、友人とだっていつかは疎遠になってしまうかもしれない。
結婚はしたいが、彼女いない歴=年齢の上、一人暮らし程度でこんなに精神がボロボロになるメンタルポンコツ野郎なんで、できる自信もあまりない。
だから、天涯孤独はわりと現実的な未来としてあり得るイメージだ。
そのイメージが頭にこびり付き出すと不安で不安でたまらなくなる。
今はそれが一番辛い。
不幸中の幸い、メンタルの方は、生活が立ち行かないとか、仕事にも行けないとかになるほどの重症ではないので、とりあえず薬やカウンセリングで騙し騙ししてこのまま一人暮らしを続けるつもり。
これもまた幸いなことに家族もメンタル系の病気に理解がある方なので、マジで生活できないほど重症になったらいつでも実家暮らしに逃げ帰って来て良いとは言われているけど、まだそこまでではないので。
ただ、一人暮らしの当初の目的が、親が死んで天涯孤独になっても生きて行けるようにor結婚した時に奥さんに迷惑をかけないように、自力でも生活できる能力を身につけることだったので、(メンタル問題はともかく家事とかのスキル面で)十分な能力が身に着いたら、実家に帰りたいなぁとは思っている。
とりあえずの目標はオールシーズンの家事を経験するため、一年を乗り越えること。
本当はもっと一人暮らし続けなきゃ自立もへったくれもないとは思ってるんだけど、ひとまずゴールテープを用意しないとやってられないので、まず一年を乗り越えて、そこから先のことはまたその時に考えるつもり。
でも、この家や街にはもう負の感情が染みつきすぎているので、どんなに長くても二年後の賃貸更新までには今住んでいるところからは出て行くだろうな。
その時、まだ一人暮らしを続けることを選んだとしても、他の街に移り住むことだけは決めている。
結婚したいなら、一人暮らしを続けていた方が当然優位なんだろうなぁとは思ってるけど、ただ、本気で結婚したいならまずメンタルの健康を人並みに治さないと話しにならないと思うし、これも未来の自分の精神状況次第だなぁ。
“女性起業家の半数がセクハラ被害” スタートアップ業界で何が - 性暴力を考える - NHK みんなでプラス
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic132.html
本件、一部ブコメの知らないっぷりが割とすごくてで驚いたので、知ってることだけだけど注釈を。
【追記があります→https://anond.hatelabo.jp/20240830160254】
会社を新しく作ってその運転資金の一部を銀行などの金融機関から借りるというのは一般的で、最低限のお金なら今時はどこの銀行も貸してくれる。しかし一方で、幅広く新規開発をしたい、広く実証実験したい、事業を拡大したいなど、そこそこ大きい資金が必要になった時に、担保もなしに新しい会社にノンリコースローン付けてくれる金融機関はあんまりほとんどない。
これは一つには、都市銀行などには「その新規事業の事業計画が成功を期待できるものかどうか」を判断する能力がないから、という理由が大きい。銀行は30年間で事業の質や領域がシュリンクし続けていて「これまで取引のある企業へ手堅い資金融資しかできない」状態が長く続いている。不動産などの分かり易い担保があれば別だがスタートアップに億を超える融資はまずしてくれない。失われた20年はデカかった。
ryun_ryun なんで謎の投資家にみんな頼るのだろう?金融機関に頼ればいいのに。博打にリスクは当然では
tikuwa_ore 真っ当なトコからお金を借りられない人が、個人投資家の懐を当てにしたら代価を要求されたってだけの話。そも借りた後で要求されたのならセクハラだが、借りる前ならセクハラ成立してねえだろ。アホか。 繊細チンピラ これはひどい 社会 企業 うーん
上の2つのブコメ(代表して目についた2つだけ、ごめんね)は、この辺の資金調達の基本的なところが見えてない感じがある。まぁ調達や銀行との折衝なんて、それなりの会社でサラリーマンでお勤めだと全然見えないところなので、まぁ仕方ない。悪くないよ君たちは!知らなかっただけ!あ、でもid:tikuwa_ore さんのやつはちょっとあれだなセクハラは借りる前でもセクハラじゃないかな?「黙ってサせないと金出せないよ」って脅されるケースも有り得るわけで。
doroyamada 「○○業界のスタートアップ」はあっても「スタートアップ業界」というのはないのでは(金融業界内のサブ業界としてはあるかも)
miscmisc 正直どうでもいい。辞めて正解。おっさんに頼らなければいいだけの話。それにしても「スタートアップ業界」って何だよ。何の業界のスタートアップなんだよ。
2010年代までは孫さんや、ホリエモンさんや、ZOZO澤さんや、そういう「ひと財産築いた人」が投資家として、お気に入りの起業家や気になる業界好きな界隈などに投資していた時代。その流れを汲んで色んなスタートアップ企業が生まれたりジュっと消えたりしていったのだが、その波の中から「新しい事業を作る人や会社をサポートする」というショーバイが生まれた。銀行が不良債権をひーひー言いながら貸し剥がしたり税金で補填したり、貸し先に困って投資信託や保険商品を売らされて疲弊してた間に、「新しい事業が成功するかどうかを見極めつつ金を出す」仕事をする人は別の場所で別のショーバイクラスタ「スタートアップ業界」を作っていたというわけだ。
その人たちの内訳は、「成功した元スタートアップの実業家」だったり「コンサルファーム出身のやり手」 「コンサルファームのスタートアップ部門」だったり「大企業で何やら良く仕事ができていて独立したおじさん」だったり「元経産省の官僚」だったり「大企業の新規事業部門」だったり、まぁそういう人や企業たちだ。
id:miscmiscさんの「何の業界のスタートアップなんだよ」という問いはちょっと外れていて、どんな業界にもその業界から生まれるスタートアップがあるのだ。多くの場合、彼らは自分たちにとって明るい業界(孫さんならイットやDX、とか)の周りで、新しいビジネスを思いついた人に、お金を貸したり、事業がうまく行くように人脈を使って有益な会社を紹介したりといった「伴走業務」をする。金を貸したからには成功してもらわないと困るので「伴走業務」をする。この「金を貸しつつ事業成功に向けて伴走もする」ビジネスが要するにベンチャーキャピタル(VC)業である。本当は銀行の仕事のはずなのだが、前述のとおり銀行にもうそんな人材はいない。銀行に事業計画書を出しても収支表の足し算引き算が合ってるか確認する程度しかできない行員がほとんどなんだよね…。
id:doroyamadaさんの「金融業界のサブ業界」というのは割と合っているんだけど、今やもう少し複雑になっていて「ベンチャーキャピタルに金を出すファンド」があるのが一般的。銀行はスタートアップには直接の融資はせず、ベンチャーキャピタルに金を貸すわけでもなく、「ベンチャーキャピタルの資金をプールしてるファンド」に出資をする。銀行→ファンド→ベンチャーキャピタル→スタートアップ、という順番で金を調達するケースが増えている。
VCには、まぁ基本は専門色の強い人や成功者がいたり協力体制があったりするので、銀行は金を貸しやすい(実績があると稟議が通りやすいから)。またこの「VCの資金プールファンド」には銀行以外にも「そのギョーカイの老舗企業の新規事業部門が出資」とか、「その事業が成功すると潤う自治体が出資」ということも起こる。だからこそ「資金プールファンド」を作る意義があるとも言える。多様な人がステークホルダーになれるから。あとファンドを作っとくと資金使途の透明性が担保されやすくなるというメリットもある。
「スタートアップ業界」はこの5、6年で政策にもすっかり取り込まれていて「スタートアップを支援する場を作りました!」みたいなことを国や自治体や大学や大企業がやっている。
例えばこんなの
「内閣官房 スタートアップ育成ポータルサイト https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/su-portal/index.html」
「東京都スタートアップ・国際金融都市戦略室 https://www.startupandglobalfinancialcity.metro.tokyo.lg.jp/」
「起業・大学発ベンチャー支援 - 東京大学 産学協創推進本部 https://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/activity/venture/index.html」」
このように、ベンチャーキャピタルは銀行などから金を調達し、「どのスタートアップに金を貸そうかな」というセレクションを行う。この辺でハラスメントが発生しやすくなるんじゃないかと思う。選ぶvs選ばれるの構図でスタートアップ側からしたら生殺与奪権を握られてるから。あとは、「新しいことに金を出す余裕があるのはおっさんだけ、それも過剰にバイタリティが有り余ってる(結果セクハラする人も混じっている)おっさんしかいない」というのも、まぁ遠因ではあるかもしれない。社会の構造はそんな簡単に変わらない。おっさんに頼らなきゃいいじゃんと言うが、おっさんしか金持ってる人間がいないのが現代の日本なのだから仕方ない。おっさんからは調達しなきゃいいというなら、おばはんに金を預けてくれよな!おばはんも人によってはセクハラするかもしれんけどな!
SanadaSatoshi スタートアップ界隈に顔を出す自称投資家は山師ペテン師も紛れてる。投資家ヅラしてるけど金持ってない奴もいる。そういう様子がおかしい奴の目的なんか分かったもんじゃないし、残念ながら排除する仕組みもない。
sionsou 陽キャがバンドマンやるのは女にモテてセックスしたいからって理由が9割と一緒で、陰キャもそうなれる可能性があるスタートアップも結局金儲けて権力と金でマウントしたいだけっていう。世の中のためなんて嘘だよ
この辺は、まぁ中にはそういう人はいるかなぁ…というのは正直あるけど、そんな屑ばっかりでも全然ない。多くのスタートアップは理系分野における新しい発見などがシーズになっていることも多く、そのシーズの研究の確実さや「稼げそうさ」をスーパーバイズしたり伴走したりできるのは、かなり深めの専門家、大学の先生や企業の研究所をあちこち渡り歩いてるスーパーマンだったりもする。更に「金勘定もできる人」なのだからもう頭が下がる。そういうデキオジたちはめっちゃ面白い人だらけだし、私の知ってる限りだけど皆さん愛妻家だったりすることが多いね。
knzm_img 意識の高そうなスタートアップやリベラルの連中も、金と権力を持った途端に性欲と支配欲に抗えないのは人間って感じがする。
これまで述べた通りで、スタートアップ界隈は「賢くて生臭い(稼ぎたい)」人たちの集まりなのは確かなので、むしろリベラルとは真逆な人がほとんど。
スタートアップ側がゆるふわSDGsな題目を唱えてたら鼻で笑いつつ「まぁゆるふわな方が話題にはなるかもねhahaha」って感じである。そしてスタートアップ側も意識の高さよりは稼ぎたさの方が大きい人の方が多いです。そりゃそうだよリスク取って稼ぎたいんだから。
■じゃあ起業家はどうしたらいいのか
一つは、上に上げたような、比較的公的セクターに近かったり堅そうな大企業が参画してるような「スタートアップコミュニティ」にコミットする、というのは大事だと思う。変なのにあたる確率を少しは下げられる。前述した通りシゴデキすぎて愉快おじさんたちもいるし、女性の伴走者も少数ながらいる。なによりも「コミュニティ」なので、それが大きいコミュニティなほど周囲の視線が気になるものなので。
あとはシンプルに「一人で誰かに会いに行かない」のも実は大事。たった一人でやってるんです、ということであれば、スタートアップコミュニティにはだいたいマネジャーなどの相談できる人がいるので、そういう悩みごと相談してもいいと思う。あとはたった一人ではできることは限られるから仲間を作ろう。
「変なのに近寄るから悪いんだ」的なブコメは完全なセカンドレイプで本当なら許せる発言ではないのだけれど、起業するというのは危険やリスクを取ってでもやりたいことがある・稼ぎたいネタがあるからなので、その勇気やパワーをセカンドレイプを糾弾に向けるなんてもったいないから、若い人はああいうのは無視しよう。
辛いにしてもお互いに配偶者に対して「ここを改善しよう」と提案するのではなく、自分のことを「かわいそうだねヨシヨシ」してくれそうな、いちおう人格が乗っかっってる中身は人工無能の群れ集うネットの海に呪いを吐き捨てて、それで共感を得て承認欲求を満たす
この両親の家ですくすく育つわけがねえ。子供にとっても針の筵だわ、この陰湿な呪いに溢れた家
こういうギスギスした家庭に至る前に、どっちの性も堪え性がないのが「メンドクセ」ってなった挙げ句に番うことなく過ごしてるんだったら、予めまあまあ不幸になることの確定してる子供が生まれるのは未然に阻止されてるわけで、その点で見て少子化ってのも悪くないな、と思った
・1・相手の性に堪え性のないのが端から投げ出す。独り身かせいぜいやっても結婚子無しまで
・2・堪え性はないけどイヤイヤながら世間並みの家庭を経営する、子育てをこなせる能力のあるふりをする
雑に3つの家庭があると思うけど、おそらく普通の人間は求められるレベルが高すぎて・2・みたいな状況で子育てにアップアップしてるんじゃないかな
そこでどう振る舞うか? が問われてるんだろうが、そのときに増田に愚痴るしか能のない親を持った子供はハズレだけど、これからはそういうご家庭が減るといいな
秋篠宮の悠仁親王が、コネによるゴリ押しで東大の推薦入試を突破しようとしている件について、 「ズルヒト」と呼ばれるなど批判されているようだ。 すでに、ズルヒトの東大入学を阻止するために1万人を超える署名活動も行われた。
ではなぜ悠仁が親のゴリ押しで東大に入ることは「ズル」と呼ばれるのだろうか。
悠仁の東大推薦に関してはよく言われる意見として、 東大に入学する人は悠仁に限らずとも、持って生まれた才能や環境を使っているのだから、 悠仁だけを特別に批判するのはおかしいのではないかというものがある。 確かに、東大に入学するためには生まれつき頭(東大生の平均IQは120と言われる)が良くないといけないだろうし、 東大を目指せる環境に生まれることも必要だ。 他には、(特に運動系の)部活動の全国大会に出たりすることも似たようなことだと思う。
しかし、彼らが「ズル」と呼ばれてきたかというと、そうではない。 ではなぜ、悠仁はズルヒト呼ばわりされているのか。
これには大きく、
推薦だから
現代社会においてもっとも重要な問題の一つとして格差がある。 格差は世代に渡って固定化する傾向があり、国によっては生まれによって人生が決まる国もあるし、 そうでなくとも事実上そうである国も少なくない。
アジア圏のゴリゴリの受験戦争は批判されることが多いが、 最近では、フィンランド式教育の失敗が指摘される一方で アジアの詰め込み教育の価値が見直されている側面もあるし、 もっと重要なことは、アジアの受験は公平だということである。 必死に勉強して高い点数をとれば、生まれも育ちも関係なく 一流大学に入って人生を勝つことが出来るというのは、 実に素晴らしいことだ。
日本において大学受験は、事実上人生を決定付けるものである。 偏差値の高い大学に行けば基本的には偏差値の高い企業に就職出来、 年収の偏差値も高くなる傾向があり、社会的な信用も得やすくなる。 その頂点が東大であり、世の中には東大合格に人生を賭けている「東大 or die」な人も少なくない。
幸運なことに、現代においては情報化社会の進展により、 仮にゴリゴリの地方に住んでいたとしても受験に関する情報量という観点で 都会に住んでる人と大きな差はなくなってきており、 大学受験の一般入試は、我々平民にとって人生を逆転する最大のチャンスとなっている。
この一般入試に対して、最近、私立大学を中心に導入が進められているのがAOや推薦入試である。 推薦入試の割合が増えると、推薦入試に必要な「経験」を積める金がある家庭に生まれることが 条件となってしまい、格差の固定化を助長するという批判がある。
つまり、悠仁親王が親のゴリ押しによって東大に推薦入学することは、 平民に生まれた人間が生まれの悪さを逆転するためにせっかく得たチャンスを1枠略奪する行為に 他ならず、それ故に平民に敵視され、「ズル」と揶揄されているわけである。
天皇は日本国の象徴と憲法に書かれているわけであるが、 憲法改正のどさくさに紛れて「格差の象徴」とでも書き換えるつもりだろうか?
最初は ガネーシャの席に座ってたのに音楽をやっていた部活ではないとバレるとなんか 紙コップの似合う 作業場 っぽい席に連れて行かれた
友達は音楽の部活ではないから あっち行けと行ってきた 明らかに年下の女の子に 僕は未来から来たあなた の 孫なので許して欲しいと言っていた
友達が友達に釣り の 去年 の 釣りの成果を聞くと電気芋とテレビと言われたので これは当てにならないなと思った
6時半から飲むという知らせを聞いていたんだけどなかなか どこで飲むのか連絡が来ないまま 6時半 近くになってしまってなんとなく駅の方に歩いていたらなんとなくいつのまにか みんな集合しちゃったという夢を見た
タイトルを見た段階で「ゾッ」とした人は多いと思う。すみません。
しかしながら、わたしも文言を打ち込んで、改めて「ゾッ」とした。
この「ゾッ」という感覚にどうしようもなく支配され、打ちのめされていた時期を、わたしは忘れることができない。
「ゾッ」とした感覚を忘れることはできないが、今、わたしは精神的に健康に、明るく過ごせている。
今、わたしが精神的に健康で、明るく過ごすことができているのは九分九厘、飼い猫が元気に過ごしてくれているおかげである。
「飼い猫の断脚」から約四か月が経過し、現在の猫の様子も加味して、ようやく「飼い猫の断脚」に対する重圧が軽くなってきた。
そこで、「飼い猫の断脚」についてのあれこれ(事の顛末、断脚前後の猫の様子、それに伴う人間の情動の変化、現在の猫の様子など)を、ここに記しておく。
このような活動は、とてもじゃないが精神的な負荷が軽くなければできない。現在とても健康的に暮らしている飼い猫に感謝しながら、この日記を書きたいと思う。
今年十五歳になる飼い猫を、仮に「じじ」と呼ぶことにしよう。
じじは約三年前、様々な理由から実家で面倒を見る人間がいなくなった猫だった。そこで、引き取り手として名乗りを上げたのがわたしの家庭だった。
同居している家族や先住猫は、じじとは殆ど面識がなかった。だが、幸いにも我が家の住人とじじは打ち解けるのが早かった。
じじは我が家にやってきてすぐ、他の猫に交わってリビングの中央に横たわり、堂々と眠るようになった。その眠っている横を通りすがるとき、じじの頭をひと撫ですると、尻尾をぱたん、と床に打ち付けて返事をする。
人間に対しての愛想は良い。人間とのコミュニケーションを恐れず、友好的に人間に接する紳士的な態度は客人から気に入られることも多かった。
じじは十歳を過ぎたおじいちゃん、且つニューフェイスにして、瞬く間に我が家のアイドルとなった。
だが昨年、十年以上病気知らずのじじに変化が訪れた。
ある日、わたしがじじの歩く後姿を眺めているとき、気がついた。左後脚の関節が、コブができたように腫れ上がっていたのである。
町の動物病院へ連れて行ったところ、「うちでは原因を究明できません」と断言され、腫瘍科のある医療センターに紹介状を書いてもらった。
じじの体を蝕んでいる病は、悪性リンパ腫だった。所謂、リンパ腺のガンである。この病気に罹患して一年以上生存するケースは稀らしく、脚の関節に腫瘍ができるケースは更に稀だという。
獣医療の中でもケースが稀ということは、適切な対処がまだ正確に確立されていないということだ。
脚の関節にできている腫瘍は関節を取り囲むようにして癒着しているため、腫瘍のみを切除することは難しいという。
対処としては薬物療法か、放射線治療か、断脚か。前者二つの治療法を実行したとしても、副作用は重い。
いずれにせよ、肥大化した腫瘍を完全に消滅させる見込みはなく、そのままではいずれ歩けなくなることは明らかである。断脚を行うなら早めに。
※かなり要約したが、主治医は徹頭徹尾、いずれかの治療法を強く勧めるようなことは言わなかった。どの治療法にもメリットとデメリットがあることをわたしたちにきちんと説明した上で、飼い主がどの治療法を選択するか、丁寧に寄り添い、真摯に向き合ってくれた。
つらい時期だった。
こういった、重い決断が目先に迫った場合に採りがちな「様子見」という選択が、このときばかりはできなかった。
猫の脚を切るか、重い副作用がある治療を猫に受けさせるか、病に蝕まれるままに猫の命が尽きるのを待つか。
いずれも、人間のエゴイズムによる選択であることには変わりない。
結局、タイトルにも記した通りの選択をした。断脚を選んだのだ。
主治医から「猫ちゃんは三本脚になっても元気な場合が多いです。じじちゃんの場合年齢の割に元気ですし、手術を乗り越えれば生存する確率は高いと思います」と告げられたのも、救いの光のように感じられたからだ。
「残りの命を少しでも健康に、楽しく生きてくれるなら」という祈りのような、賭けのような思いで、断脚手術を決断した。
断脚手術を経て、変わり果てたじじが我が家へ戻ってきた。
以前からやせ細っていたじじが、脚が無くなって更に軽くなった3kgの体重を、三本脚で支えながらよぼよぼと歩いている。
便意や尿意を催すと真っ直ぐ猫用トイレに行く。とても賢い。だが、ぎこちなく動かすしかない一本の後脚をトイレの中に入れられず、トイレの外で何度も粗相をした。
泣かずには、落ち込まずにはおれなかった。ああ、自分は選択を誤ったのかもしれないと、粗相の後片付けをする度に思った。
もちろん、家族も泣いていた。一緒に泣いて、悲しんだ。じじの脚を、自分たちの意志でひとつ無くしてしまったことを、心の底から後悔した。
人間のエゴイズムで、愛する猫を不幸にしてしまったかもしれないという現実に「ゾッ」として、それがどうしようもなく全身にこびりついたまま、しばらく剥がれなかった。
じじが、二階にある寝室まで階段を駆け上がってきたのだ。しかも、ジャンプしてベッドの上に乗ってきた。
ニャン!と啼いてベッドに乗り、喉から轟音を鳴らして甘えてきたとき、感動でわたしの体は震えた。
更に、喜ばしいことは日に日に増えていった。
これまで使っていたトイレを、より広く、段差が小さいものに変えたところ、トイレが使いやすくなったらしく粗相の回数が激減した。
痩せたじじの体重を増やすために朝晩猫缶を与えるようになったのだが、味を占めたのか昼夜問わず催促し、三本脚でチョコチョコと人間の後ろを着いて回るようになった。
そして、まんまと体重も増えた。手術前よりもふくふくとしたボディラインになり、猫缶をモリモリ食べる姿が様になってきている。
じじが個体として凄かったのか、そもそも猫が凄いのか分からないが、ともあれ、途轍もない適応能力に感心しきりだ。
三本脚にする選択を採り、今までよりも不便な生活にしてしまった後悔や、「断脚」という野蛮な言葉が齎す「ゾッ」という感覚はまだ存在する。
だが、じじは健康に生き延びてくれた。
猫缶をモリモリ食べ、うんちもおしっこも毎日ジャンジャンして、家中を駆け回り、ごはんを催促してニャンニャン大声を出し、寝る前は寝室まで甘えにきて喉をゴロゴロ鳴らす。
じじは十五年間生き延びて、現在でも毎日毎日、元気で健康的な姿を人間に見せてくれている。
その姿は美しく、勇敢で、立派だ。そんな猫の姿を見られていることに、わたしは心から感動している。
今はただ、こんなに嬉しいことはないと、切に思う。
明日の富士登山キャンセルしました。◯◯ツアーは中止の判断はしてくれませんでした。ガイド付きなのに…。自分の身は自分でしか守れない。来年は使うやめよう。
私も明日30日発の◯◯ツアー富士登山で催行と言われ、泣く泣くキャンセル料40%払いました。新幹線や登山バスの運休・富士山公式も登山中止を促しているこの状況で催行する会社にドン引きですよね。今後絶対使いません。
◯◯ツアーの富士山登山、全然安全じゃなくないか?😔台風でもツアー決行なんでしょ…。無計画登山の外国人ばかり責めてるけど日本人事体も富士山舐めてるんじゃないのかな。
◯◯ツアーさん、富士山ツアー中止してくれませんかね??なんで前日まで待つの
見てわかるだろ無理だよ😠
今月の台風7号でも中止したのは1日だけ、スバルラインが封鎖して「行けないから」
自分の頭では考えられないようですね。
【吉田ルート】吉田ルート登山口に通じる富士スバルラインが豪雨のため20:00より全線通行止めとなっています。
tollgate.securesite.jp/wp/road/subaru…
◯◯さん、連絡ないようですけどさすがにキャンセル料取らないですよね。
■村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった
https://anond.hatelabo.jp/20240829132621
「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。
西洋の正統的なハイカルチャー、アートらしいアートがアートだった時代っていつよ?
100年前の話してる?
そこに日出ずる国からなんか異質なもん(アニメ絵やアホみたいなイラスト)がやってきて「なんだこれは!?」「いやこんなのはアートじゃない」みたいな騒ぎになり、それにまけじと「アート概念の領域を拡張する闘争」をやってるって?
何がアートで何がアートでなくて、なんてとっくの昔に脱構築に脱構築を繰り返してしっちゃかめっちゃかになってるのよ。
津軽三味線弾きがゴットタレントに乗り込んだら欧米人は驚いてひっくり返るだろう、ってくらい素朴(というか…)なこと言ってるよ。驚くわけねえじゃん。
まず「信じられないようなハイソサエティ」ってのがよ…村上龍が昔そういう幻想振りまいてたけどな。まだそんな夢見てる奴がいたとは。
難解なゲージュツがわかるフリしたいセレブ()に取り入って「わかりやすくわけわからないもの」をハメ込む業者だよ。
昔から一貫してそれだけやってんだよ。
「みろよジャップのこの人形。イカれてるだろ。オレっちこれ100万ドルで買っちゃったりなんかしてw」って金持ちの友達に自慢すんだよ。
カート・コバーンとかがへったくそな素人バンド前座にして愛でるみたいにな。
別に村上隆も商売だし非難すべきことでもないけど当人のハッタリ真に受けてどうすんの?
お前らプーチンが平和願ってまーすとか演説したら「プーチンは平和を願っていたんだ!」「よくわかった!」って感動すんの?
勘弁してくれよ。
ーーーーー
「翻訳」「紹介」なんかしなくてももう好きなやつは勝手に直でナルトや駿やタツキ観てんだよ。おフランスでもブラジルでもバングラでも。
何がアートかは白人様が決める、ムラカミはそこにオタカルも加えてもらえるよう孤軍奮闘してる…ってお前らいつの時代から来たんだよ
ーーーーー
「翻訳」と言えば日本語から各国語への翻訳のことだと思い込んだり
「スカム」は一言でイメージを掴めるようにもののたとえで言ってるのに「本来のスカムの意味じゃない〜」
津軽三味線はじっさい出演してたのを踏まえて言ってるに決まってるのに「実際出てるけどガイジンおどろいてるだろー」
あたまがわるすぎて話にならない。
というか何書いても結局バカが何かモノ考えてる気分に浸るためのダシにされてる気がする
男も30万稼いでるやつのほうが少数なのによく吠えるわ
□マインドセット編
・産後からは2年間、徴兵訓練が始まったと考えよう。妻が暴君の上官であり、あなたはそれに使える名も無い兵士となる
・妻が女性から母親になってしまったとあなたは嘆くだろう。しかし子供にとって見れば、いつまでも女性のままで母親にならないより、はるかに幸いである
・産後の女性は虎になる、夫はサンドバッグになる以外に最善の道はなく、それ以外の道はサンドバッグになるより悲惨なルートでしかない
・妊娠後期頃から、家の中でくつろぐこと、週末の個人行動は許されなくなる。
・産後の2年間、夫の権利を主張することは一生の恨みを買うことと同義である
・産後、セックスレスになったら風俗には行っていい。安心していいみんな行ってるから。男は性欲を発散しないと壊れてしまう。ただし、絶対にバレないタイミングで。
□攻略編
・育児そのものは、そこまで過酷ではない。あなたが社会人として普通に業務をこなせているなら全く問題ではない。問題なのは、妻が安心して過ごせる時間をいかに確保できるかであり、それは極めて難しいミッションとなる。
・産後、育児の実績を積んで妻の信頼を勝ち取り、1日でも早く妻を家においたまま子供を連れて数時間程度、外に遊びに出かけられるようにせよ。妻を家庭内で一人で休息させられた時間の総量を増やすことが、このゲームの中期目標である
・あなたに許される発言は「そうだね」「ごめんね」「大変だね」だけである。その3つを、それぞれ1000種類の言い方で表現せよ。それ以外の回答は確実に先の回答よりも不幸なルートになるため、頭の中で3つのワードを繰り返すように
・妻が一人で休める時間が増えてきたら最終ゴール、「子供を何らかの保育施設に預ける」へと移行していく。このゴールは産後半年〜数年ほど育児プランによってラグがあるが、ここに移行できれば育児はほぼ終わったも同義である。お疲れ様、シャバの空気は涙が出そうなほど美味いぞ。
追記と返答
・妻を馬鹿にしてる
→一番最初に妻は上官だと書いたのも読めないのか?そもそも内心は変えられないからフォームを身につけるのが最適解だ。
・育児に正解なんてない人それぞれ
それは守破離の離であって新卒に営業戦略を考えろと言うようなもの。お前は一切何も指導してない新卒に「仕事は人それぞれだから!」とだけ伝えて現場に向かわせるのか?まずは抽象化した俯瞰図と最低限機能するフォームと中期目標を叩き込むのが第一歩。
産後の妻は虎なので対話はほぼ不可能で愚直に子供に向き合うしかない。産前のうちに話し合えればいいが生まれてもないうちから具体的な課題の議論など不可能。よって初陣は兵卒ムーブで危機を乗り越えるしかないその経験を2人目に活かせ
・2年目以降とか保育施設預けたあとも大変だろ
→2年目ごろまでは子どもは常にいつ死んでもおかしくない。誤飲して死亡うつ伏せして死亡などリアルスペランカー。なのでこの死にゲーさえ乗り越えたら後はエンディング後のおまけでついてくる放置ゲーも同然
・風俗なんて最低ですね
家で飯が出てこないなら外で食うだろ。妻はそれが嫌なら夫の性欲に向き合え。毎週のように地位のある政治家や芸能人が性欲の処理に失敗して破滅してるのを見ていて男の性欲の恐ろしさと悲しさがわからないのなら想像力の欠如だ。夫は風俗の罪悪感あるならそれは妻への優しさに変換しろ。家庭内の問題はリソースが無いのに家庭内にそれを求め続けるから何も解決せず余計に揉める。外にリソースを取りに行くマインドに切り替えろ。
女は男に察しとか感情を求めるが、それは掃除機に弁当を温めろと言うようなもの。男は壊れる寸前まで必死にモーターを全開にして熱を生み出すが長期間は現実的ではない。マニュアル化して「いい父親」の挙動をエミュレートする方が子どもも妻も幸せになる。愛情があるかないかを問題にしても無駄、ただ幸せにすればいい。
適当な話をして、後からツィッターで検索して個人アカウントを特定すること。
いつも会ってる女の子とエッチの時に勃たなかった。びっくりして色々考えて余計勃たなかった。
インポになったの?とか勃たなくなることなんてあるの?とか思われるのが嫌だった。
だって昨日はオナニーしたし、今勃たないことが自分でも分からないから焦ってるので。
スマホで調べるふりしてエロ動画見ても勃たなかった。もう諦めてご飯食べて帰った。
家に帰って来て、いまオナニーするなら勃つし射精もするだろうと思ったけどそうではなくて、
ブスは可愛いけどデブは無理。だけど気は弱いので普通より良かった感を出して対応する。
プロフに雰囲気写真は送りませんって書いてあったから、「雰囲気写真ってなんですか」と聞いたら、
「今写真を撮って送ってとか言う人がいるんですよねー。気になるならお店に行けっていうの」。
雰囲気写真を送らないのは良いけど、昔の痩せてるときの写真を載せてるのは違うと思った。
部屋に入って、「実はいつも会ってる女の子と昨日した時全然勃たたくて」「あー」
「それで違う人ならどうかな。違う人なら勃つのもおかしいと思うんですけど」「なるほどなるほど」。
年齢は30歳くらいかな。おっぱいはいなかっぺ大将の涙みたいに垂れてた。
若くてすごく可愛いAV女優にもこうゆうおっぱいの人がいるけど。
こんな人でもお金もらおうとするんだよな。ブスでもお金もらってもいいと思うけど、
それじゃみんなからメール来ないから可愛い写真を載せるのは二重でおかしいと思った。
雑談しながらシャワー浴びで、「じゃあ寝てくださいね」となにかの施術をするような。
全然勃ってないちんこをフェラする。目を閉じて大きな身体に手を回すと人肌がエロくて、
この人にも痩せてるときがあって可愛かったから、精神は痩せてる可愛い女の子が舐めてて。
喋り方やデブの雰囲気はデブに見合った精神をえんじてるだけでとか考えたりなかったりしたら、
「ちゃんと勃つじゃん。硬い硬い」じゅぽじゅぽじゅぽ「ちゃんと挿れられるくらいに硬く勃ってるじゃん」
「他の女の子なら勃つのかやっぱり」「マンネリなんじゃないの?もう挿れる?ビンビンだよ」「挿れます」
コンドーム付けてデブが横たわっていて、ちんこは長いわけじゃないから、
デブだと太ももの脂肪でちんこが入らないどころか届かないばあいもあるんだけど、
なんとか半分挿れて、「入ったね」、どっこいしょと座ってる位置を奥にして全部入って、
押し当ててもう何センチ。どこを見てもエロい要素はないから、デブも目を閉じてることを良いことに、
僕も目を閉じて、熊田曜子とやってると思いこんだら意外と3分くらいでイケた。
「ちゃんとできるから自身持っていいよ」。別に自信が無くなった訳では無いし。
大きなテレビで最新作のAV見て、可愛さとかスタイルとか性格とか全然違うじゃん。
まだ僕の方がキムタクに似てる。
ちんこ揉みながらAVを2本見て「、大の字でちんこ出して寝た。
20歳の女の子がメタクソ可愛くてエロくてベロチューもされて、
延長して3回抜いた。時間が余って話してるとき、立膝から見えるまんこがエロくて、
自分でシコってたら「そんなお店なんだから自分でしないで。言ってくれれば」って。
「手でいきたい?口でいきたい?」「手で」「じゃあキスしようかな。
おっぱいも女の子の大事なところも触って触って。気持ちいい?」
「あ、」「いきそう?」シコシコも早くなって、「お口に出したい?このまま?」「はい、あっ」。
「4回目なのに普通の量出たよ。すごくない?」
「他のお客さんは最後はお口に出したい方が多いんですけど、手のほうが好きなんですか?」
「自分より若くて可愛い女の子にお前なんて手で十分何だよって扱いされてるMっけとゆうか」
「あーありますよねそうふうの。、前に推してた女の子は、こっちがわざと手コキの時にイッたのに、
ごめーん、タイミングずれちゃったねーって。知ってます?まだ残ってるの」って尿道にあるのを吸い取るのやってくれて。
「あ、それ私もやってみよう」「他の子なら口じゃなくて手コキで済んでラッキーみたいに思うかもだけど」
「そんなに変わらないですけどね」「そうそう。さっきも口に出すのかわざわざ聞かれて」
「口のほうがエロいのかなーと思って」「もう二度と出会い系で会うの止めよう」「私に会いに来て」「ほんとそう。
だけど、だけど、あっちは越えられない壁が無い場合もあって」「壁?」「
部屋がすごいんですけどびっくりしないでくださいねってl部屋が洗濯してない下着でふかふかでたのしかったり。
履くの無いからノーパンで部屋出てユニクロとかで買って、2~3日履いたら汚れて履きたくないからって。
捨てないのは布地は燃えるゴミじゃなくて衣類にで出さなきゃいけないとか。
ブラは付けなくていいくらいのおっぱいだった。でもTシャツとかタオルはは洗うんですって」
「一緒に洗うだけなのに」「1枚もらって帰っていいですか?ってきいたら、
「ゴミ袋に詰めてもってってくださいよって」つめてもらいました。
22歳の可愛い女の子だったから役に立つと思ったけど家に帰るよ熱は冷めてて、
でもオナニーするときそのショーツで包んで中に出して拭いて捨ててます」「すごい!」
「あのパンツ1枚300円で10枚組で売れると思う。たまにきれいなので口拭いたり。
女の子の部屋のトイレにウォシュレットが多分ついてないと思うから、
「なんか楽しそうですね!」「楽しいことだけ話すなら」「確かに」
「また来てねのキス。今日は来てくれてありがとうざいました!」
Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露目から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。
先に本旨を要約すると、私はポジティブな感情からネガティブな感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。
雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動がフジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。
【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】
8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後に巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。
結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。
そのときの感情をTwitterの本垢(フジファブリックはじめ音楽と日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドのファンであることが伝わってきたことなど。
そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。
そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドのファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。
さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。
このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。
正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。
そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。
①悲しみ に関して
私の人生をかけて愛したバンドとアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿が散見されること。
フジファブリックという文字、志村正彦の人生の結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑の言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。
彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンやメディアは素敵な言葉を紡いできた。
作者に批判の言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為や言動は行為者の一面に過ぎず、行為者そのものの価値観や人間性を否定するものではないと私は思う。
そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。
ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。
このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なからず経験したのではないだろうか。
同じように、五条悟を愛するがあまり、フジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。
作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。
6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界の不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャーや責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷なプレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。
②怒り に関して
こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。
前述した強い軽蔑の言葉にフジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。
次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画のファンによる考察(という体裁の下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。
ご存知の通り、志村正彦は2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である。
しかし本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケートな個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。
対して創作物の登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒話だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。
フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバーは実在の人物であるがために、当然プライバシーを尊重されるべきである。実際、ファンやインタビュアーはメンバーの私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。
命日や享年というデリケートな情報を持ち出して、その事実を安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリーを勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。
曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報とコンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。
例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的なストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。
だから、「この位置に五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているから五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。
Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題が炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。
こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。
それと同列で、当人の感情を勝手に想像してバンドのファンや家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。
私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、
曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。
だからこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者もファンも努力している。
それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。
あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。
個人的に言い得て妙だと思ったのが、志村時代をリアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。
フジファブリックはメンバーも関係者もファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべきものは信頼の置ける先輩ファン。
もちろん、一連の話題にモヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。
奇しくもこれの執筆最中に更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分を認識できた。
あらゆる表現物すべてにおいて、意味や意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現の意図として無意識に語られるもの、特に特定の属性への偏見や差別に関しては無視してはならない)。
少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来と社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。
③祈り に関して
簡潔に言えば、こんな言いがかりやイチャモンをつけている暇があったら、問答無用にフジファブリックを聴いてください!ということ。
件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています。
対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています。
この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後のアルバム『MUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語の主人公をずっと務めてきた事実があります。
そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。
これを踏まえて考えてみるとどうでしょう?
映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語の主人公であることが示唆されるでしょう。
さらに、アルバムがスウェーデンでメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDにドキュメンタリー映像が収録されています)。
また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンだから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。
フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦は変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。
暇つぶしに花屋の女性店員とデートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性をお嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、
それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手は自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。
そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。
ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。
北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音がドラえもんやタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます。
このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています。
最後に、現体制の3人のメンバーは言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています。
ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスのアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます。
Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実、バンドの曲が生まれた事実、楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。
フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタクの感想でした。
P.S.それっぽいキーワードを検索したら筆者を特定しやすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメのホワイト企業を教えてください✌️