はてなキーワード: 時雨とは
動画が扱ってるのは一時雨後の筍のように現れては消えていった店舗名がコンビニスイーツみたいな文章の『高級食パン専門店』という業態とそこで作られるパンなんじゃねーの?(見てない)
なんか動画が『高級(食パン専門店で作られてる)食パン』の解説をしているのに対して、増田が「そんなの『高級食パン』じゃない!」って言ってる印象。そりゃそーだろ(動画は見てない)
でもそれは「どうして軒並み潰れているのか?」とはあんまり関係ねー部分なんじゃねえの?(動画は見てない)
ゆっくり解説の動画で言ってることはあてにならないんだろうというところは同意(ゆっくり動画は一本も見たことない)
二次元キャラが会話で素朴すぎる疑問に答える形式(昨日「ゆっくり動画をつくって人生が変わった!」って増田がそう言ってたような気がする)からしてすでに「何の予備知識もない視聴者(下手すれば興味もない。キャラで興味を「作る」)」を「理屈は分からなくとも何となく答えは分かったような気にさせる(だって動画内でキャラが納得してるみたいだし)」、要するに「バカがなんか分かって賢くなったように錯覚させる」作りになってる(見たことない)
分からなくても分かったような気にさせなきゃいけないんだから難しいことは言わないし、むしろバカが何となく「そうなのか!」と思うようなことしか言わないだろう。正しいか正しくないかは二の次だ。どうせ説明したってバカには分かんねーし。
ああいうのは「勉強になる」んじゃなくて「暇つぶし」「賢くなったような気にさせてくれる」エンターテイメントだろ(見たことない)
自分の知ってることならバカが知ったかぶりしてるのを横でニラニラして眺めるのが楽しいぐらいのスタンスで見ないと。
かなり嫌な鳥→カナリヤ
「な」に含まれる+α
本物の磨崖
あるじもうけ/アルジャジーラ
当たらずとも/アルカトラズ/虻蜂取らず
南南問題に憤る人「なんなん?」
お叱り平野
イエニチェリ/いでにけり
やばいやいば
鰹のたたき台
叩き上げの鰹
似姿の姿煮
ピピンの苦心
アクオス↔︎トジルメス
金継ぎをしすぎて金だけになった純金の皿
スキアッチャータ/付き合っちゃった
ええいままよ↔︎こんにちはパパだよ
村一番のホラ吹き
ナチスの人ら
グージュの伝言
遠くから撮った近影
思想膿漏
馬の足袋→タービー
托卵のかっこうの的
デジタルタトゥーの女
こまめに小豆を摂る
死ぬこと以外かすり傷↔︎かすり傷以外なら死
島耕作↔︎陸開墾
無策の生きた化石→案も無いと
君がため 春の野に出て ハルツーム
robust/老婆
乱雑な茶→胡乱茶
下北沢↔︎上南沼
ハリ◦ウッド→ニードル◦キ
サマルカンドで冷める感動
チャッカマン↔︎火付け女
早合点に含まれるやがて
tyrant/thailand
しのぶれど色にイェニチェリわが恋は
ブレブレのブレーン→ブレブレーン
肺リスク脳リターン
鳩を売ってる鉄道員
死人にクチナシ
どもるドヴォルザーク→ドモルザーク
覆水という名字なので盆に帰らない人
ジャイアンのいおり→ジャイ庵
石の上にも桃栗三年
時雨にエロさは求めてないけどそのエロ的なフックのかからなさが微妙に敬遠される理由なのかね。時雨のカヲルくんやカンパネルラのような達観した少年性を理解できない人からは「ヤンデレ」とか「クソサブカル女」とか言われてるわけだし。
艦これ、ゲームとして飽きたしもう長らくログインしてないんだけどキャラクターは時雨がメチャクチャ好きだった。他の作品で似たようなキャラクターを探しても他に居ない。ガワは大人しそうで地味めな少女なのに性格はどこか達観した落ち着いた少年のような。他の作品で似たキャラクターがいないと言ったばかりだけど時雨の性格面だけ取り出すとエヴァのカヲルくんや銀河鉄道の夜のカンパネルラのようだと思う。そんな少年性を持った僕っ娘少女、他にいない。僕っ娘といえばなぜか決まって元気タイプかボーイッシュか、昨今では宝塚的なイケメン女子タイプが出てきたけど時雨タイプの僕っ娘はマジで他にいない。唯一無二の推しだった。時雨の他にこういうタイプの少女キャラクター知ってたら教えてくださいマジで。
ttps://fumikura.net/tool/yakumei.html
まずゴンロクは非常に少なかった(柴田勝家だから?)俺はFGOにやられちまってたんだな
でも権がつく役名は非常に多い
名無しのごんべいという話もあったからようわからんな 脇役はとりあえずゴンベイ(ゴンペイ)といっていいくらいこの2つは多い
関西ではゴンタ、ゴンタクレが悪い意味なのは現在固定みたいだから関西人がそういうならそうなんだろうってことで許してくれ
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ごん|権|安永0202|坂角|けいせい花絵合・三つ目|戯曲全集02
ごん|権|享和0301|江市村|江戸紫由縁十徳・序幕|戯曲全集06
ごん|権|文化0604|江市村|霊験曽我籬・序幕|戯曲全集35
ごん|権|文化0701|江市村|心謎解色糸・序幕|戯曲全集12
ごんえもん|権右衛門|文化0411|江河原崎|万代不易戯場始・序幕|戯曲全集46
ごんくろう|権九郎|安永天明頃|大坂|双蝶々曲輪日記・序幕|戯曲全集29
ごんくろう|権九郎|寛政0701|坂角|姉妹達大礎・六ツ目|戯曲全集08
ごんくろう|権九郎|寛政0905|江河原崎|関取菖蒲〓・二幕|戯曲全集17
ごんくろう|権九郎|天保0708|坂中|油商人廓話・二幕|戯曲全集21
ごんくろう|権九郎|文化0606|江森田|阿国御前化粧鏡・二番二幕|戯曲全集11
ごんくろう|権九郎|文化0708|江市村|当穐八幡祭・二幕|戯曲全集12
ごんくろう|権九郎|文化1101|江中村|色情曲輪蝶花形・序幕|戯曲全集38
ごんくろう|権九郎|文政0501|江市村|御摂曽我閏正月・二幕|戯曲全集38
ごんくろう|権九郎|文政0807|坂中|艶雙蝶紋日・序幕|戯曲全集38
ごんくろう|権九郎|宝暦0812|坂角|三拾石〓始・三つ目口|台帳集成11
ごんざ|ごん三|享保05二|京万太|傾城八万日|絵入狂言本下
ごんしち|権七|寛政0801|江桐|隅田春妓女容性・二幕|戯曲全集06
ごんしち|権七|文政0111|江中村|伊勢平氏摂神風・一番大詰|戯曲全集13
ごんしち|権七|文政0205|江玉川|梅柳若葉加賀染・一番四建|戯曲全集24
ごんしち|権七|文政0701|江中村|御慶曽我扇・序幕|戯曲全集18
ごんしち|権七|宝暦0701|坂大西|天竺徳兵衛聞書往来・三|台帳集成10
ごんしろう|権四郎|明治前|江市村|ひらかな盛衰記・大詰|戯曲全集37
ごんじ|権次|安政0303|坂中|昔鐙文武功・四幕|戯曲全集33
ごんじ|権次|元治0104|江中村|獅子頭牡丹蝶鵆|戯曲全集27
ごんじゅうろう|権十郎|宝暦09閏07|坂角|大坂神事揃・三祭|台帳集成12
ごんすけ|権介|文政0507|江中村|伊賀越道中双六・四幕|戯曲全集29
ごんすけ|権助|安永0601|坂中|伊賀越乗掛合羽・六幕|戯曲全集08
ごんすけ|権助|嘉永0603|江中村|与話情浮名横櫛・三幕|戯曲全集23
ごんすけ|権助|享和0301|江市村|江戸紫由縁十徳・序幕|戯曲全集06
ごんすけ|権助|天保0104|江中村他|仮名手本忠臣蔵・十段|戯曲全集15
ごんすけ|権助|文化0604|江市村|霊験曽我籬・二幕|戯曲全集35
ごんすけ|権助|文化0703|江中村|勝相撲浮名花触・発端|戯曲全集12
ごんすけ|権助|文化1011|江市村|戻橋背御摂・二番序幕|戯曲全集13
ごんすけ|権助|文化1309|江中村|褄重噂菊月・三幕|戯曲全集41
ごんすけ|権助|文政0608|江森田|忠臣蔵増補柱礎|戯曲全集40
ごんすけ|権助|宝暦0908|坂大西|銀閣寺釿始・四|台帳集成12
ごんぞん|権蔵|文化1101|江中村|色情曲輪蝶花形・五幕|戯曲全集38
ごんた|権太|寛政0601|坂角|けいせい青陽〓・四つ目|戯曲全集07
ごんた|権太|天保1001|坂角|けいせい浜真砂・大詰|戯曲全集23
ごんた|権太|文化0301|江市村|略三五大切・二幕|戯曲全集06
ごんたざえもん|権太左衛門|宝永04二替|京早雲|石山寺誓の湖|上方狂言本06
ごんだろくのしん|誉田六之進|宝暦1112|坂中|秋葉権現廻船話・口明|台帳集成15
ごんない|ごん内|正徳0501|京万太|傾城千尋海|元禄歌舞伎集・続
ごんない|権内|寛政1101|江市村|春姿詠千金・大詰|戯曲全集17
ごんない|権内|享保1701|京早雲|傾城妻恋桜・上中入|台帳集成02
ごんない|権内|享和0201|坂中|けいせい廓源氏・切幕|戯曲全集02
ごんない|権内|年不詳|座不詳|吹雪桜田武士鑑・五幕|戯曲全集44
ごんない|権内|文化0211|江河原|蝶花形恋聟源氏・一番五建|戯曲全集13
ごんない|権内|文化0509|坂中|舞扇南柯話・六幕|戯曲全集36
ごんない|権内|文化0705|江市村|絵本合法衢・三幕|戯曲全集20
ごんない|権内|宝暦1112|坂中|秋葉権現廻船話・二ツ目|台帳集成15
ごんない|権内|宝暦1201|坂中|秋葉霊験道中噺・二幕|戯曲全集49
ごんのかみおきよ|権之頭興世|文化1011|江市村|戻橋背御摂・一番大詰|戯曲全集13
ごんのすけ|こんの介|元禄0707|坂岩井|日本阿闍世太子|上方狂言本01
ごんのだゆうかげなり|権の太夫景成|文化0211|江河原|蝶花形恋聟源氏・一番三建|戯曲全集13
ごんぱち|権八|寛政0804|坂角|艶競石川染・五つ目|戯曲全集03
ごんぱち|権八|天明0603|江中村|猿若万代厦・二番目序幕|戯曲全集01
ごんぱち|権八|明治2105|東千歳|篭釣瓶花街酔醒・六幕|戯曲全集32
ごんべえ|権兵衛|安永0707|江中村|伊達競阿国戯場・七幕|戯曲全集16
ごんべえ|権兵衛|安政0407|江中村|三世相錦繍文章・三幕|戯曲全集21
ごんべえ|権兵衛|天明04閏01|坂中|けいせい倭荘子・三段目|戯曲全集05
ごんべえ|権兵衛|文化0311|江市村|壮平家物語|戯曲全集46
ごんべえ|権兵衛|文化1205|江中村|句兄弟菖蒲帷子・二幕|戯曲全集41
ごんべえ|権兵衛|文政1101|坂角|桜時廓美談|戯曲全集21
ごんべえ|権兵衛|宝暦0908|坂大西|銀閣寺釿始・六|台帳集成12
ごんべえ|権兵衛|宝暦1302|京北|音羽山恋慕飛泉・四・五|台帳集成16
ごんべえ|権兵衛|明和0507|坂竹田|宿無団七時雨傘・口幕|戯曲全集04
ごんぺい|権平|寛政0401|坂角|旧礎花大樹・大詰|戯曲全集34
ごんぺい|権平|寛保0303|坂大西|菊水由来染・口明|台帳集成05
ごんぺい|権平|享保08二替|京北|けいせい袖振山|上方狂言本08
ごんぺい|権平|元文02夏|坂大西|敵討巌流島・二ツ目|台帳集成03
ごんぺい|権平|文化06|坂角丸|敵討巌流島・三幕|戯曲全集39
ごんぺい|権平|文化1003|江森田|お染久松色読販・序幕|戯曲全集12
ごんぺい|権平|文化1308|江河原崎|染替蝶桔梗・一番四建|戯曲全集38
ごんぺい|権平|宝暦0201|坂中|けいせい都富士・四|台帳集成07
ごんぺい|権平|宝暦0407|京南|恋飛脚千束文月・第一|台帳集成09
ごんろく|権六|天明0507|江桐|千代始音頭瀬渡・四立目切|戯曲全集01
私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。
その名を五月雨郷という。
五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家、徳川美術館所蔵となった刀である。郷義弘が作刀、江派の打刀だ。
チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推しの実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。
でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。
『越中国の刀工、郷義弘作の打刀。景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。
行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21
北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である。黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀か江戸かである。
私は俳句に明るくない。必死に松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。
中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり、10以上残しているらしい。私が適当に地元の図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。
忍どっから出てきた?
犬耳なんだ?
『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
五月雨を使った句は素人が適当に図書館行くだけで10以上見つけられる。
集めて早しがダメなのは艦これにいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨も関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?
※この俳句の意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)
ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである。
この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨と意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。
そして顕現セリフもまたひどい。
『郷義弘が作刀、名物、五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの。
それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』
これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である。
犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。
だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。
義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者。全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑うクズ男士になってしまうから。
また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたことからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述が確認できるものはない。由来は
・五月雨の頃の極められた
・五月雨のように美しい刃文
創作というか嘘をつくな。
もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術の指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良と伊賀の間辺りなので本当に五月雨郷関係ないぞ。
さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である。
松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句に関係する何かがあると思うだろうか?
刀剣乱舞のログイン画面には「この作品は創作であり、史実等とは異なる場合がございます」とある。
だから史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間は史実厨と呼ばれ嫌われる。
史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である。
行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。
閑話休題。
五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまりに史実からかけ離れている。
その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。
もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装は2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。
何故犬で忍者で松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。
五月雨郷という刀は犬のおしっこも関係なけりゃ元の主を犬公方とバカにもしない。
男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有の深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣の五月雨郷だ。
全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいものを勝手に創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。
いっそ関係のない刀だと明言しろ。徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分の推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。
私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。
人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。
私が求めているのは、五月雨郷という実在の刀剣の名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである。
何度も言われた。刀剣乱舞は創作なんだから。刀剣乱舞は史実とは違うから。私自身も何度も何度も創作だから仕方ない、創作と史実は違うのだからと必死に自分に言い聞かせた。
でも、やっぱり、許せないのだ。
刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近は文化の担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当なキャラメイクでキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。
今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称を体現するものとして認識させるのどうかと思う。
創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。
私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である。
キワモノだからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀であると認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。
五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?
信長も秀吉も家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?
もう一度言う。
五月雨郷の美しさを知ってくれ。
五月雨郷は本当に美しい。
でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作は免罪符ではない。
Twitterを見た。
様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。
1.他の刀剣もだろ。
A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣が推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?
生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉と五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。
3.犬の尿は汚くない
汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?
第一印象で俳句の意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。
知ってるよ。でも今出した意見は松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。
柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者は伊賀の町おこし壊すからやめてくれ。
五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったときに松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。
私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。
6.とうらぶやめろ
やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから。
(2020/12/29 16:02追記 274曲聞いた 更新終了)
※歌配信やその切り抜きは除外
敬称略、各枠内での並びは順不同
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7zJKCZCIu37pRAs1IQxUto2mld6-oyq9
書くまでもないことは省略します。オタクは自分の感性が全てです。
ネタバレ満載なので未見の人は見ないように。
甲賀弾正×お幻
「バジリスク」という名称自体が、死んでも殺す的な意味合いで付けられたものと思われるので最終的に壮大な相打ち物語なのだが、
その初戦を飾る戦い。
かつて愛し合った二人の戦いであり、物語のラストシーンとの対比となる名シーンである。
とはいえ、ここでお幻の鷹がいなければ勝負は恐らく一方的に甲賀の勝利に帰したであろう事を考えると、実質的にお幻の勝ちに近い気もする。
甲賀弾正は巻物をスリ取った上に不意打ちでお幻を倒して、かなり甲賀有利の状況を築いたにも関わらず、一瞬の油断から相打ちに持ち込まれた上に、結果的に巻物は鷹の翼によって先に伊賀方に届いてしまい、その後長きに渡る伊賀のイニシアチブを許すという、踏んだり蹴ったりな結末であった。
■FF7
FF7のストーリー上、クライマックスと言っても良い名シーン。
ここでの神羅カンパニーの社長退場と、その後のシスターレイを巡る一連の戦いによって、物語の最初からストーリーを牽引してきた神羅カンパニーは組織的な統率力を喪失し、物語の舞台から退場する事になる。その引き金となった戦い。
超長距離での大火力の撃ち合いによる相打ちだが、シスターレイの標的がダイヤウェポンではなくセフィロスの張ったバリヤーであった事や、ダイヤウェポンが倒れた後にその攻撃がミッドガルを破壊するなど、超長距離での戦いゆえの見せ場がカッコいいシーンである。
一方、本来ジェノバ(セフィロス)を攻撃するはずのウェポン達が、神羅カンパニーを攻撃したり適当にウロチョロしてるだけでイマイチ仕事してない感がある事や、
北の大空洞とミッドガルの直線上にダイヤウェポンが重なる偶然(神羅側はそのタイミングを狙ってたのかもしれないが)等、ややストーリー上の強引さを感じるのがマイナス要素である。
結果的に、サファイアウェポンやダイヤウェポンは神羅カンパニーを攻撃してセフィロスをアシストしてたようなものだし、アルテマウェポン・ルビーウェポン・エメラルドウェポンはあの有様なので、ウェポンは使徒を出したかっただけやん感が強い。
アルミサエル×零号機
前半でせっせと株を上げて、後半で一気に落としたTV版エヴァンゲリオンのエヴァ対使徒の実質最終戦(最後のシ者は、エヴァ対使徒って感じじゃなかったし)
前話でみんなのヒロイン惣流明日香ラングレーさんがアレな感じで退場した直後、嫌な雰囲気全開の中で行われた戦いの中で、やっぱり嫌な展開で発生した相打ちである。
レイ2号機の最後の回想が我らが主人公碇シンジくんではなく、ネグレクト総司令碇ゲンドウ氏であった事も含め、視聴者への嫌がらせが頂点に達した瞬間でもある。
思えば第一話から「勝てなきゃ自爆」がデフォの使徒戦だったので自爆では死なない印象があってもおかしくなかったのだが、黒ジャージ戦以降、物事が悪い方向にばかり進んでいたので、もはや出撃しただけで死にそうな感じが漂っていたのが印象的である。
しかもこの辺の戦いは、ゼーレやゲンドウが暗躍しまくってるせいで、初期の「使徒に勝たなければ世界が終わる」という背景が形骸化し、なんか消化試合みたいな雰囲気すらあった。
という事で、視聴者に嫌がらせするために行われたと思われる壮絶な相打ちシーンである。
■FSS
KOG×ジュノーン
ストーリー上重要な相打ちのはずだが、なんか全然重要じゃない気もするワンシーン。
設定変わっちゃってよく分からんけど、MHはレッドミラージュだけあればいい気がするんで相打ちになった二機が割とどうでもいい感じがしてるのと、
パイロットも割とどうでも良くて、重要なのは2人のファティマのはずなのだが、
それもなんでそんな所で相打ちになってるのか良く分からない感の漂う、良く分からない相打ち。
なんの意味があったのか。
言わずとしれた名シーン。ドラえもんの道具を使えば簡単に直せそうな気がするが、それは言わぬが花というやつである。
22世紀から来たドラえもんがいる以上、世界が滅びるはずがないのだが、それも言わぬが花である。
>相打ちはお互いに攻撃を仕掛けてお互いに致命傷を負うことであって、バギーちゃんみたいなのは自爆やろ
↑まあ、そんな気もするけど、鉄騎隊はポセイドンが操ってたみたいなんで、一応両方攻撃したよ、という体裁で一つ。
>バギーちゃんがしずちゃんの涙の雫に反応して奮起する名場面、水中では雫ができないはずだが、それは言わぬが花というやつである。
↑言われてみるとそうやな。まあそこは、おいらの心の胸は、お空の月の星の涙よおいらの胸の心の切なさよ、雨が降れば胸の心の頭もぬれるよって事で一つ。
スパイク×ヴィシャス
戦闘開始時点ですでに疲労してボロボロかつ腕に被弾していたスパイクと、無傷で座って待ってたヴィシャスではフェアな戦いとは言えない気もするが、
まあ殴り込みをかけたのがスパイクである事と、拳銃使いのスパイクに対してヴィシャスは日本刀使いというハンデがあり、更にスパイクはヴィシャスの部屋に爆弾投げ込んでるっぽいので、その辺込みで「堂々たる一騎打ちであった」と評して良いだろう。
かつての親友同士だったが女を巡って争った挙句、女は雑な感じで死亡済み、という背景もハードボイルドで良い。
最後、お互いの武器を押さえあった状態から相手に武器を渡しての相打ちであった事も、救いのないはずの戦いに花を添えている。
ラストシーンで入り口でスパイクを待ち伏せしていたマフィアが、既に戦える状態にないスパイクを見て銃を下ろすシーンがお気に入り。
ダイヤのJ×北家
2位以下は全員死亡というルールの中、逆転できるわけでもないのにアガって(しかも国士)そのままゲームオーバーとなった北家に対する、
「どこで運使っとんじゃあああああ」というダイヤのJの最後の叫びは、この作品一のお気に入り。
まあ、既に勝ち目が無いに等しかった北家と南家は、良くても東家のチシヤをトップにしてダイヤのJを道連れにするしかできない状況だったので、
そういう意味では北家は良くやったと言えるのだが、あんまりそんな雰囲気ではなく単に当たり牌が来たからアガった感の漂う北家の空気も良かった。
ゴルツィネ×フォックス
同作の組織戦としては最終決戦のクライマックスに起こった名シーン。
致命傷を負いながら裏切り者のフォックスを倒したゴルツィネの最後の心境はどのようなものだったのか、
その重点が裏切り者を許さないマフィアのプライドだったのか、自分の手に入らないならばアッシュを誰にも渡したくないという執着だったのか、
色々なものを想像させ愛憎入り混じったBANANA FISHの最終ボスを飾るにふさわしい男であったと言えるだろう。
片や主人公陣営を散々に苦しめた大ボス・ゴルツィネを用済みとばかりに軽く裏切って片付けたフォックスも、
その悪役らしいあっけない退場の仕方も含めて途中出場でありながら存在の軽さを感じさせない名悪役であったと評価したい。
なお、同作で相打ちといえば、言わずと知れた最後の名場面があるわけだが、ラオの存在がちょっと軽いので、相打ちというよりは「アッシュの最期」という印象が強い。
あと余計な事ではあるが、ふつーに考えると腹刺されて失血死する場合、床は数リットルの血でグチョ濡れで魚市場のようなムッとした臭気が立ち込めている上、顔はゾンビのような土気色のはずで、良い夢見てるようには多分見えないのではないかという疑いが強い。
※ブコメを見て
知らないのもあるけど、知ってるのもあるなあ。
□幽遊白書
飛影×時雨
あったなあ。解説の躯さんがいるので野暮な解説はしたくないが、
この時点で飛影と互角だった時雨がなぜトーナメントで蔵馬といい勝負ができたのか、原作読んだだけだと疑問しかない。アニメだと何か説明があったのだろうか・・・
なお、このトーナメントの逆トーナメント覇者は俺たちの柘榴であり、「自分に勝った奴は許さねえ」という柘榴の執念を感じる。
あった。勝てない相手に対してでも、何が何でも殺すというネテロの執念の一幕だった。
あの一撃でメルエムだけでなくユピーとプフにも致命傷を与えており、「当初はネテロの負けに見えたが、実は勝ってたのはネテロで、後からその凄さがわかる」という冨樫先生の演出の妙が光る。
一方、ネテロは立場上自爆を選択しただけで、一武術家として戦っていたならそのような戦法はとらなかったのでは、とも思わされる。
□北斗の拳
ファルコ×名も無き修羅
あったあった。修羅の国への期待値を爆上げして、後からパワーバランスが良くわからくなる原因を作った一戦。
それだけファルコが弱っていたと言えなくも無いが、刹活孔注入してからも一発喰らわせてるし、ケンシロウにも一応かすらせてるので、紫光のソリア程度の強さはありそうな気がする。
□マヴァール年代記
しかしあの一戦のせいで、あんまり英雄と知将の戦いという読後感がなくなったのも惜しかった。
孫子曰く「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ」というやつで、
お互い全滅するまで戦って最後に大将同士で一騎打ちして相打ちって、お前ら何やってんだという感が強い。
しかし今にして思えば、アルスラーン戦記の最後の相打ちに比べればまだマシだったかなーという思いもある。
相打ちすりゃ良いってもんじゃないんやで。
■BASARA
揚羽×夜郎組
最終決戦の裏側で、敵方の暗部夜郎組を一手に引き受けて散った、タタラ軍の縁の下の力持ち揚羽。
敵も倒し、崩れる城も支え、友人の太郎ちゃんの仇も討ち、と八面六臂の大活躍だったのだが、その最期は崩れた城の下敷きであり、見届けた者はいない。
物語の最初から更紗を救い続けたものの、その更紗は敵将朱理とできてしまい、それでもBSSとか泣き言を言わずに支え続けた男の中の男である。
なお、この物語にはもう一幕の相打ちシーンがあり、作中最強の暗殺者である柊と朱理・今帰仁コンビによる一戦。一交錯で決着がつき、双方死ななかったものの双方片腕を失うという痛み分けの結果となっている。
つまらない深読みをするなら、作品として物語前半で悪逆非道をなしている朱理を無罪放免というわけには行かず、華を持たせつつも贖罪的な意味合いで片腕を落としたのであろうと思われる。
早期にマーズランキング2位が退場した戦いであり、読者に絶望的状況を知らしめた。
レーダーよりも遠くから敵を察知するアドルフさんの謎能力がヴェールを脱ぐときの説明文のカッコよさに加え、
雷で倒す→避雷針で避ける→側撃雷で倒す→心臓マッサージ→銃を電磁場で防ぐ→電磁場の通じない投石で殺害→自爆
という二転三転する状況が、希望を見せてはまた絶望に落とすという、一筋縄では行かなさを演出した良い戦闘だった。
なお、状況的には相打ちというよりアドルフさんの負けであるが、多くのゴキブリを殺害及びボスに重傷を負わせ、結局何も渡さなかったという点と、
数話後にこの時のボスゴキブリが討ち取られた際に、すでに側撃雷で内臓に重傷を負っており、生き延びたけど長くはなかったであろう、という説明が入ったので、相打ちと判断したい。
余談だが、単行本には収録されていないが、YJ連載時の『雷帝、戦闘体勢(アドルフ・スタンバイ)』という煽りはかっこよかった。
アニメ版など無かった。
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
そろそろ方向性が見えてきたので、今見ているアニメの感想をメモ。今季みゃー姉みたいなみゃー姉多くない?
思いのほか金森氏人気があって面白いよなと思う。なんか金森氏的なキャラって物語の箱庭に開いた穴を通して鋭い現実が見えてるっていうか、創作物を見てるのになんか心に痛みのようなものを感じるんだよね。それは自分に「金に細かく、交渉して対価をもぎ取り、詭弁で相手を脅し、理想より現実を重視する」ことが欠けていてそれをまざまざと見せつけられているような、「ほれほれ、きちんと生きていくためにはこういう堅実さが必要なんだ」と言わんばかりの圧迫感がある。そういう現実主義者って不気味でどう解釈してよいかわからなくて苦手なんだよね。同じ景色を見ていても見出している価値観が全く違うっていう恐怖感。
もちろん、夢追い人だけじゃだめで現実に着地させてくれる現実主義者がいないといけないのはわかってる。だけれど、とにかく金森氏というキャラを見ていると心の中に不安を覚えるんだよね。
あるいはひょっとして金森氏というキャラについて自分は何か勘違いしているのか。
まあ、そんな心の中の起伏を差っ引いても映像研は面白いアニメと思います。
あと、恋する小惑星の雰囲気ってなんか空気感を表現したいと思ったら、偏差値高い進学校の部活っぽいね。ゆるきゃんとかゆゆ式とかライフル部とかそういうのと比較してってことね。
いち、に。いち、に、さん、し。パリ
いち、に。いち、に、さん、し。ポリ
なんの音だか分かるかしら?
正解は8分の6拍子で8分の5チップスを食べている音でした!
そんなわけで私は今東京です。
オーケストラの気分を盛り上げるためにの8分の6拍子ってわけ。
演者へのお花の手配も先週忘れずにやったし、
また会場にどんな綺麗なお花が届くかもまた楽しみよ!
でも
行きはよいよい、
帰りは無事帰れるかしら?という今から心配をしているのを他所に、
とりあえず、
まだ時間があるので
チェックしておいた富士そばやインド飯を食べに行こうと思うのよ。
慣れたお店の方がいいじゃない。
意外とみっちり予定詰め込んじゃってるので、
美味しかったお店のリピってわけよ。
最初に謝っておくわ。
でも朝の早い東京は人が少なくて清々しくて昼間の喧騒とは大違い。
相変わらず皇居の周りはグルグル回ってチーズになっちゃいそうな、
で日比谷公園は朝の朝だというのに、
ポケモンGOの人たちでいっぱいだし、
東京でとなると、
なんか密度が違うわね。
そういった人の密度は朝といえども濃い説濃厚だわ。
人が多くならないうちに
遊んでくるわ。
はではで、
うふふ。
ポン!ポン!
スタミナ定食にしようかと思ったけど、
スタミナ定食のスタミナって何よ?と考えてたら生姜焼き定食にしちゃいました。
でもだいたいのスタミナ定食ってそんなパワーつく系な感じじゃないかしら?
今日は水筒にコールド麦茶ウォーラー入れてきたので偉いでしょ?
旅先でもそういう心は忘れたくないわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!