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2018-10-04

コンニャク製法特に不思議ではない

(毒性のある)球茎を粉状にして水とともにこねたあと石灰乳、炭酸ソーダ水溶液、または草木の灰を水に溶いたものを混ぜて煮沸して固める。

これをひとかたまりに考えるから不思議に思うだけで、

「毒性のある球茎(コンニャクイモ)を食べる」

「球茎を潰して灰汁で煮る」

「球茎を乾燥させて粉状にする」

を別々に考えれば良い。

コンニャクイモには毒があり、そのままでは食べられない。

なぜ毒性のあるものをわざわざ食べるのか?

毒性があるぶん他の動物に食べられづらいからだ。

コンニャクイモは畑を荒らすイノシシでも食べないという。

コンニャクイモ以外でも、飢饉とき野草の根だとかを三日三晩も煮込んで食べたなどという話は多くある。

コンニャクイモを毒抜きするためには灰汁で煮込むことになる。

灰汁(あく)とは、原義では灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと。この灰汁を使って食品自体もつ強くてクセのある味を処理した

灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法ワラビゼンマイなどのアク抜きに用いられる。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質もつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする。

灰汁で煮るということ自体は、決して特殊調理法ではない。

コンニャクイモを細かく割って灰汁で煮込むということは中国大陸で古くから行われていたという。

http://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/01/01komatsu.html

独特の食感となることで、コンニャクは他の食材とは別に珍味」としての地位も手に入れた。

リンク先によると薬としても食べられていたようだ。

かの有名な中島藤右衛門が「粉こんにゃく製法発明するのはその1000年後である

収穫した生芋は重量もあり,腐敗・凍結しやすかった。藤右衛門は安永5(1776)年ごろ,生芋を輪切りにし,自然乾燥ののち粉にすることを考案した。これによって長期保存や軽量化可能となり,販路が拡大し,水戸藩特産物となる。

これも長らくアイディアが出てこなかっただけで、

「すぐに腐るものを保存するために乾燥させる」という発想そのものはごく自然なように思われる。

このように製法を分解していけば、一つ一つは自然な流れであり、それも1000年以上かけて少しずつ改良されてきたことがわかるだろう。

anond:20181003175550

2018-09-29

anond:20180929222648

代表的布石

小目の布石

一例 黒・三村智保 白・趙治勲

https://gyazo.com/6763bf94fb9852400817acca50dce831

小目へ打ったら、シマるか、相手シマリを防ぐ「カカリ」が打たれます

白4、白6がカカリ。

黒7はハサミと呼ばれる相手カカってきた手を挟み撃ちにする手。

カカってシマって、ハサんで、あるいはツケヒキ定石を打つ。みたいな展開がオーソドックスです。

連星

https://gyazo.com/b0ff43a66b6ed668a0575ac7440cec8d

宇宙流と呼ばれる、中央での戦いを展開する武宮正樹九段が好んで使った布石です。

中央志向で反面、地には甘くなります

ちなみに囲碁では中央ほど場所が「高く」、一番端の線に近いほど「低い(地面)」なので覚えておきましょう。

連星は、すべての石が4線(端から4つ目)にあり、位置が高いので、ここにこのまま陣地を作ることは想定していません。

3線までの石が地になりやすいです。

中国

https://gyazo.com/62d567e879be3c1553e5289a2d1a56b7

> 本格的な中国流の開祖安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。1965年日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本逆輸入された。1970年から島村俊廣が実戦で継続的に用い、その後も加藤正夫藤沢秀行らが常用して大流行現代も人気布石地位を保ち続けている。

中国流の特徴は小目からシマリを省略して辺へ展開するスピードにあり、それまでシマリが絶対優先と考えられていた布石の考え方に変革を起こした。白が下図a・b・cなどと配石の間に打ち込んでくれば厳しく攻撃し、dなどと外からカカってくれば自然と大きな模様が完成する。

by Wikipedia


かなり感覚的になりますが、模様とは「なんとなく地になりそうな予感のする場所」のことです。英語でも「moyo」と言います

囲碁ロジカルな部分もり、序盤ほど感覚的な、二面性のあるゲームです。

マニアック布石

天元一間ジマリ

https://gyazo.com/73518c21d8ed21ae14bec507aa4ef5dc

天元と呼ばれる中央の星を、一間(いっけん)、つまりひとつ間を置いて碁盤全体をシメる(地にする)、という壮大かつ中二心をくすぐる中二病向けの布石です。

陣地を作る手ではないので、中央の石を活かすために戦いに持っていけるような碁にしないと厳しくなるでしょう。

代表的な定石

小目 ツケヒキ定石

https://gyazo.com/eed01a6da9ea2b8c8d0e1f5f9b37192b

小目に対し、かかってきた白2に対し3とツケ(くっつけて打つ)て、黒5とヒク(自分の味方の石へ引く)定石です。

白6は△へ打つこともあります

また白8は、「二立三折(にりつさんせき)」といって、白4白6と2つ縦に並んだ形があったら白8のように間を3つ空けても安全だ。という目安の言葉があるので、この定石で感覚を覚えておきましょう。

手順が簡単なのでアマチュアがたくさん打つ定石です。

全体を通して選ぶと少し難しくもなりますが、初心者のうちは無関係です。

星 三々入り定石(マストで覚える)

https://gyazo.com/cc49e5d06b85925ec579841c3a21f1c2

星に対し、R17の三々の地点へもぐりこむのが星への三々入り定石です。

星が地に対して甘い、地になりにくいのはこれが理由です。

単独で三々へ入り込まれると、そこは相手の地になります

丸暗記してもいいくらい、頻出する重要な定石なので、これだけは必ず覚えておきましょう。

定石の手順にも理由があります

最後の黒の手は、相手からのキリ(石を切断されること)を防いでいる手です。

定石は手筋の応酬なので勉強すると手筋が身につくかもしれません。

でもアマチュアなので、別にたくさん覚える必要はないです。知らなくても打てます






次、いよいよ佳境⇛https://anond.hatelabo.jp/20180929231701

2018-08-19

元号出典一覧

元号出典備考
大化書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 
白雉漢書』巻12帝紀 
朱鳥礼記』曲礼 
大宝易経』繋辞下 
慶雲文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 
和銅和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元
霊亀瑞亀献上により改元
養老養老の滝命名に因んで改元
神亀白亀出現の瑞祥により改元
天平天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元
天平感宝陸奥から黄金献上により改元
天平勝宝孝謙天皇即位により改元
天平宝字蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元
天平神護藤原仲麻呂の乱神霊の護りによって平定したことによる
神護景雲瑞雲の発現により改元
宝亀瑞亀献上により改元
天応伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元
延暦後漢書 五十二巻 
大同礼記』礼運篇 
弘仁 
天長 
承和 
嘉祥豊後国大分郡寒川現在大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元
仁寿白亀・甘露の瑞祥による改元
斉衡石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元
天安美作国常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元
貞観易経 
元慶白雉・白鹿献上の瑞祥による改元
仁和 
寛平 
昌泰 
延喜尚書』旋璣鈐 
延長文選東都賦、白雉詩 
承平漢書 
天慶漢書 
天暦論語 
天徳周易 
応和「董巴議」 
康保書経 
安和礼記』楽記第19 
天禄 
天延天変、地震による改元
貞元火災地震による改元
天元災変、陽五厄による改元
永観書経』洛誥 
寛和 
永延漢書』巻75翼李伝 
永祚『晋書』巻21礼志 
正暦大風、天変による改元
長徳揚雄の『城門校尉箴』 
長保国語』(周語中) 
寛弘漢書」(元帝紀賛) 
長和礼記』(冠義) 
寛仁『会稽記』 
治安前漢書』 
万寿詩経 
長元六韜 
長暦春秋』または『晋書』 
長久老子』(七章) 
寛徳後漢書』(杜林伝) 
永承書経 
天喜『抱朴子』 
康平後漢書 
治暦尚書正義 
延久書経』または『尚書‐注』 
承保尚書 
承暦「維城典訓」 
永保尚書 
応徳白虎通」 
寛治礼記 
嘉保史記 
永長後漢書』巻1光武帝 
承徳周易 
康和崔寔『政論』 
長治漢書 
嘉承漢書』礼楽志 
天仁文選 
天永尚書 
永久詩経』?
元永天変、疾疫による改元
保安天変、厄運による改元
天治『易緯』 
大治『河図挺佐輔』 
天承漢書 
長承史記 
保延文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 
永治『魏文典論』『晋書』武帝 
康治宋書 
天養後漢書 
久安『晋書』劉頌伝 
仁平後漢書』孔奮伝 
久寿『抱朴子』 
保元『顔氏家訓』文章 
平治史記』夏本紀 
永暦後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 
応保尚書 
長寛『維城典訓』 
永万漢書』巻64王褒伝 
仁安毛詩正義 
嘉応漢書』王褒伝 
承安尚書 
安元漢書 
治承「河図挺作輔」 
養和後漢書 
寿永詩経 
元暦尚書考霊耀」 
文治礼記祭法 
建久『晋書』『呉書』 
正治荘子‐漁父」 
建仁文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 
元久毛詩正義 
建永文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 
承元「通典」 
建暦後漢書 
建保尚書 
承久「詩緯」 
貞応易経 
元仁周易 
嘉禄「博物志」 
安貞周易』上経坤 
寛喜「後魏書」 
貞永易経」(坤卦) 
天福書経」(湯誥) 
文暦文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 
嘉禎北斉書」 
暦仁「隋書」(音楽志下) 
延応文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 
仁治新唐書 
寛元宋書 
宝治春秋繁露-通国身」 
建長後漢書 
康元赤斑瘡による改元とみられている
正嘉芸文類聚-歳時中・元正 
正元「詩緯」 
文応「晋書‐劉毅伝」 
弘長貞観政要‐封建」 
文永後漢書‐荀悦伝」 
建治周礼 
弘安「太宗実録」 
正応伏見天皇即位による改元
永仁『晋書』巻22楽志 
正安孔子家語』 
乾元周易 
嘉元芸文類聚天部 
徳治『左伝』 
延慶後漢書』馬武伝 
応長旧唐書礼儀 
正和「唐記」 
文保梁書 
元応唐書 
元亨周易 
正中易経 
嘉暦唐書 
元徳周易 
元弘芸文類聚天部 
正慶光厳天皇即位による改元
建武文選』?
延元梁書 
興国春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 
正平天変や兵革による改元
建徳文選 
文中易経』彖伝上?
天授史記』淮陰侯列伝
弘和書経』君牙篇?
元中易経』彖伝上?
暦応帝王代記』 
康永漢書 
貞和芸文類聚 
観応荘子 
文和旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権 
延文漢書』儒林伝 
康安史記正義』と『唐紀』 
貞治周易 
応安毛詩正義大雅江漢 
永和尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 
康暦唐書 
永徳『群書治要』巻17
至徳『孝経』 
嘉慶毛詩正義 
康応文選曹植七啓 
明徳礼記 
応永『会要』 
正長礼記正義 
永享後漢書 
嘉吉周易 
文安『晋書』 
宝徳旧唐書 
享徳尚書 
康正史記』と『尚書 
長禄韓非子 
寛正孔子家語』 
文正荀子 
応仁『維城典訓』 
文明周易 
長享文選 
延徳孟子 
明応周易 
文亀『爾雅』釈魚 
永正周易緯』 
大永杜氏通典』 
享禄周易 
天文易経 
弘治北斉書』 
永禄『群書治要』巻26 
元亀毛詩』と『文選 
天正文選』と『老子 
文禄杜佑『通典職官十七』 
慶長毛詩注疏』 
元和徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた
寛永毛詩朱氏注』 
正保尚書正義 
慶安周易 
承応『晋書』律暦志 
明暦漢書』律暦志と『後漢書 
万治史記』と『貞観政要』 
寛文荀子』致士篇 
延宝『隋書』音楽 
天和尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子 
貞享周易 
元禄文選 
宝永旧唐書 
正徳尚書正義 
享保後周書』 
元文文選 
寛保国語』周語 
延享芸文類聚 
寛延文選 
宝暦貞観政要』 
明和尚書 
安永文選』巻一 
天明尚書 
寛政『左伝』 
享和文選』ら 
文化周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝
文政尚書』舜典 
天保尚書 
弘化菅原為定の漢文 
嘉永宋書』楽志 
安政内裏炎上地震安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元
万延後漢書』馬融伝 
文久後漢書』謝該伝 
元治周易 
慶応文選 
明治易経 
大正易経』彖伝・臨卦 
昭和書経堯典 
平成史記五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 

※すべてWikipediaから

 

調査を通じて学んだこと

※代始改元はかつては非礼とされていた

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409

代始改元は,(中略)平安時代から806年平城天皇大同改元場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。

南朝元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?

日本古典出典の元号過去に一件のみ存在する(弘化

元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?

 
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