はてなキーワード: Noirとは
古いアニメの曲にももちろん素晴らしいものはたくさんあるけれど、自分が青春時代にリアルタイムで聴いて好きになった曲だけ3曲選んだ。
・こどものおもちゃ「パニック!/Still Small Voice」
当時好きだった女の子に「1話はだまされたと思って我慢して見て。3話まで見たらきっとはまるから」とビデオテープを貸してしてもらったのが「こどものおもちゃ」だった。
確かに1話はピンとこなかったのだけど、2話か3話か、羽山の弱みか何かを紗南が握り、
探偵の衣装に扮した紗南が羽山に迫るときにこの曲が流れてきてきたところで、「あ、これは間違いなく面白い」となぜか確信したことを今でもよく覚えている。
Bパートの最後からシームレスにエンディング曲がかかるのって、アニメではおしゃれだと感じたんだよね。
アニメのエンディング曲はいわゆるBパートが終わりきった後に始まるものだと思っていたから。
どこまで狙ったていたのかは分からないが、自分にとってこの曲のイントロは「この後どうなるの?どうなるの??」という期待感を高める、最高のイントロだ。
ちなみに、好きだった女の子とこの後どうなったかというと……言わぬが花というものだろう。
アニソン史的な位置づけとしては、NOIRで梶浦由記は「発見」され、その後の活躍につながるわけで、
そのきっかけとなったのは「salva nos」と「canta per me」で間違いないだろう。
そんなごたくはともかく、
salva nosは霧香やミレイユが手を汚して斃した者たちの魂を救済する歌だとしたら、
canta per meは、その汚れた手をもってなお、お互いを求めずにはいられず、そして手を汚して斃していく二人の魂の歌(その象徴が25話でこの曲が使われたシーン)であり、
自分はただ好きと言うほかない。
この曲は誰が歌っても名曲になるのだけど、おすすめはEmilyのカバー。聴く機会があったら圧倒されてほしい。
・フルーツバスケット「For フルーツバスケット/岡崎律子」
どれだけこの曲が好きかということを、言葉で表そうとしたけれど、どうにもまとまらない。言葉では言い尽くせない。それほど好き。
(2020/12/29 16:02追記 274曲聞いた 更新終了)
※歌配信やその切り抜きは除外
敬称略、各枠内での並びは順不同
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7zJKCZCIu37pRAs1IQxUto2mld6-oyq9
書くまでもないことは省略します。オタクは自分の感性が全てです。
去る9月29日に 株式会社ラフィネ さん主催の南アフリカワインイベントに参加してきました。
ラフィネさんは南アフリカの生産者のワインを多く扱う都内のワインインポーターです。今秋、日本でRugby World Cup 2019が開催されることから大会観戦を兼ねて南アフリカの8生産者に来日していただき、日本各地でイベントが開催されました。このうち6生産者に今回限定のスペシャルワインを造っていただき、RWC(Raffine Wine Collection)として6本セットで販売、今回はその記念イベントでした。各ワイナリーがスペシャルワイン1種+通常のキュヴェ1種を出典、もちろん生産者ご本人とお話しでき、またお料理や素敵な記念品もついてくるという大変豪華なイベントでした。
バーデンホーストのアディさんのYuuuuupppppaaaaaa!!!で乾杯!からスタート。
ラフィネさんのFacebookにテクニカルの詳細が載っていますので詳しくは是非そちらもご覧ください。
A.A.Badenhorst (Swartland)
・Raffine Wine Collection by A.A.Badenhorst
パールドバーグのエイトケイクという単一畑からのシラーズ100%を全房率100%で醸したキュヴェ、無濾過無清澄。シラーズ100%のキュヴェを造るのは初めてとのことでした。イメージとしてはイエローラベルのシラーズ単一品種版でしょうか。果実味がピンと張ったエネルギーに満ち溢れている液体ですがあからさまに濃厚!というわけではなく、非常にクリーンでエレガント。言葉尻からの印象ですがシラーズ!というよりはエレガント系シラーの美質を存分に感じさせてくれました。他の単一シリーズもそうなのですが、ご本人からは豪快な印象を受けるのにとても繊細に造られているなーと思います。
・Ramnasgras Cinsault 2017 (double magnum bottle)
先日のワインショップでの試飲会でもいただいたキュヴェですがこちらはなんと3Lのダブルマグナム、軽々と持ち上げてらっしゃったのがすごい!前回同様にハーブ、スパイスの香りとジューシーな果実味、土のニュアンスがバランス良く融合した素晴らしいワインでした。
Alheit Vineyards (Hermanus)
・Raffine Wine Collection by Alheit Vineyards
2015年ヴィンテージからリリースしているLa Collineと同じ畑からのセミヨン(+セミヨン・グリ)100%、通常版との違いは最上部の区画からのみ造られていること。全房率100%。La Collineがリリースされる前はセミヨン・グリ主体でスキンコンタクトをしたAllow Heartというキュヴェでリリースされており、Allow Heartの再現としてスペシャルワインが出てくるかなーなどと勝手に妄想しておりましたがLa Collineのスペシャル版として造ったとのことでした。La CollineはAlheitの上位レンジであるシングルヴィンヤードシリーズ唯一のセミヨン単一(他は全てシュナン・ブラン)ということもありふくよかさが印象的なのですが、今回のRWC版は区画を上部に限定することで酸やミネラルに伴う骨格をより強く感じることができる大変気品にあふれたキュヴェとなっていました。
・Cartology 2017
アルヘイトと言ったらカルトロジー、ヴィンテージは昨年リリースされた2017年です。冷涼系グレートヴィンテージということもありリリース当初は酸とミネラルがぎっちり詰まった印象でしたが、それらが徐々にほぐれつつも非常に美しい味わいでした。
Sadie Family Wines (Swartland)
・Raffine Wine Collection by Sadie Family Wines
南アフリカワイン界の大御所です。白のブレンドで公式からの引用ではシュナン・ブラン26%、ルーサンヌ16%、ヴェルデーリョ15%、コロンバール9%、セミヨン9%、パロミノ9%、グルナッシュ・ブラン8%、ヴィオニエ4%、クレレット・ブランシュ4%と多数の品種がブレンドされています。土地の表現と古木に拘りのある生産者ですが、樹齢5年程度の若木のイタリア・ギリシャ系品種が入っている、ワイナリーとしても極めて試験的なキュヴェのようです。酔っぱらいながらのメモですがアサンティコ、カタラット、フィアーノ、グレロ(グレーラ?) が入っているとのこと。公式記載品種のシノニムとかでしたらすいません…。これらの品種が古木になった時にワイナリーの新しいページを刻んだら素敵ですね。ベビー・パラディウスのイメージとのことですが、よりスパイシーでビビットな印象を受けました。若木のブドウが使われていることからの先入観もありそうですが。もちろん暴れるようなことは無く、非常に綺麗な造りで熟成した姿が非常に楽しみです。
・Columella 2017 (double magnum bottle)
赤のブレンドのフラッグシップであるColumellaの最新ヴィンテージ、しかもダブルマグナムです。エレガントながらも濃厚な果実味に浸れる素晴らしい造りです。ワインだけで満足できる度の高い一杯。
・Raffine Wine Collection by Crystallum
クリスタルムのピノ・ノワール上位レンジであるマバレル、キュヴェ・シネマ、ボナファイドを1/3ずつブレンドしたスペシャルキュヴェ。この字面だけでも心が躍ります。全房率はマバレル10%、キュヴェ・シネマ50%、ボナファイド60%とのことですのでシネマはホール・バンチ版ではなく通常版由来と思われます。1/3ずつというブレンド比率ですが、色々と試した上でこの比率が一番しっくりきたとのことで個人的には偶然の神秘性のようなものを感じてしまいました。おそらくマバレル由来の透明感のあるアタックから充実した果実味、コクと旨味からの満足感、美しい余韻への一連の流れが一切の継ぎ目・ストレス・違和感なく展開される完璧なバランスでした。
・The Agnes Chardonnay 2018
シャルドネの2種あるうちの下位レンジ、先日入荷したばかりの最新ヴィンテージです。乾燥した2018年の性格を反映した凝縮感のある味わいです。酸や骨格は2017年の方が豊かである印象ですが優劣というよりは性格の違いを楽しむ、あるいは各個人の好みによる程度の違いと考えます。上位版であるクレイ・シェルスは今年の分をまだ飲めていないのでどんな感じになっているか気になります…。
・Raffine Wine Collection by Rall Wines
ピケニルスクルーフの単一畑のグルナッシュ100%。全房率50%、無濾過無清澄とのことです。このメンバーの中からグルナッシュ100%で思い出すのはサディのソルダート、ピノ・ノワールと間違うほどの繊細でエレガントな造りですが、こちらはもう少し果実の充実感に寄っておりグルナッシュのイメージにより近い印象でした。一方、けして派手ではない綺麗な造りで、静かな波打ち際の漣のように寄せては返す旨味がじわじわと長く続く静謐な美味しさ。Rall AVA Grenache noirと勝手に名づけたくなりました。
・Rall Red 2016
こちらはおなじみのバランスのとれたローヌ系品種のブレンド赤(シラー70%、サンソー15%、グルナッシュ8%、カリニャン7%)で、よりしっかりと力強さを感じされる明朗な美味しさが印象的でした。
◎ソーン・ドーターズ(ボット・リヴァー)
Thorne&Daughters (Bot River)
・Raffine Wine Collection by Thorne&Daughters
スワートランドにあるパールドバーグ(現地の言葉で馬の山という意味らしい)の畑のシュナン・ブラン、セミヨン、セミヨン・グリのブレンド。公式情報だとセミヨン66%、シュナン・ブラン34%とあります。セミヨンとセミヨン・グリの比率も聞いておけば良かったと反省。パールドバーグは風化した花崗岩質の土壌で、良い古木のブドウ畑が沢山あるとのことです。馬と聞くと今回も出ていたRocking Horseが思い起こされますがこちらは使い古しの樽で娘さんのために作った木馬が由来でありたまたまとのこと。一条の光がすっと通るがごとくまっすぐと背筋が通った味わい、もちろん単調ではなく果実味や複雑さも備えていてそれらを酸がぐっと引き締めている感じでした。フォーカスが絞られ、はっきりとした輪郭が掴める!
・Rocking Horse Cape White 2017
ワイナリーの看板的な銘柄でステレンボッシュのルーサンヌ&クレレット・ブランシュ&シャルドネ、パールドバーグのシュナン・ブラン、フランシュックのセミヨンと南アフリカ各地からのブドウをブレンド。もとの造りに加えて2017年というヴィンテージもあり酸がしっかりした綺麗な味わい。
お料理は鮨3軒、天ぷら1軒、焼鳥1軒、焼肉1軒、肉レストランのカレーをケータリングとこちらも豪華。スペシャルワインを一通り味見した後にあまり考えずにケータリングスペースに入ってしまい初手で〆カレーを選ぶことをしでかしつつ大変堪能しました。
・バーデンホーストでgrilled beefに合わせるならばシラーとサンソーのどちらが良いかお聞きしたところ割と悩んだ後でサンソーとのお返事。
・サディ・ファミリーでColumellaにgrilled beefはどうか?とお聞きすると肉はいらない。ワインだけでOK!!と言われました。確かに…!
・白身主体の鮨を片手にRocking Horseもらいに行ったところvery nice for SUSHI!!と言われました。
・カレーがスパイス感あるのにワインを全く邪魔しない…。じっくり煮込まれた肉カレーの旨味とRallのRWCスペシャルのしみじみとした旨味を堪能しました。
・マグロとCrystallumのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
・天ぷらとAlheitのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
生産者の方々との交流、ワイン・料理の美味しさ、大変貴重な経験ができた素晴らしいイベントでした。
生産者の皆様、料理人の皆様、運営のラフィネの皆様への最大限の感謝を!!
そして一週間たった今もそれぞれの味わいを思い出しつつセットの追加購入をどうするか悩む日々です…。。。
その期間ってかアニメって基本的にエポックメイキング同士の間ってあまり語られんよ。ヤマトとガンダムの間とか、ガンダムと攻殻機動隊の間とか、攻殻機動隊とエヴァの間とか。で、エヴァの次にエポックを作ったのがハルヒだったってこと。
んで、エヴァ(95)とハルヒ(06)の間に何があったかっていうと色々あって、
とか。
個人的に思い入れが深いのが少女革命ウテナ、カウボーイビバップ、スクライド、カレイドスター。
少女革命ウテナは男装少女が奇妙な学園で戦う話なんだけど、人の心の暗いところをぐりぐりえぐる話。今でも熱狂的なファンがいる。
カウボーイビバップは太陽系を舞台にしたSF×マフィアもの。良質な洋画みたいで話も絵も超ハイクオリティ。
スクライドはなんていうか考えるより感じろ的な熱血アニメ。とにかく見てみろ。
カレイドスターは土曜日朝の女児向けアニメなんだけど、そのまっすぐさが眩しいスポ根話。
ハルヒ以前に何もなかったと思うってことは相当若いんだろうけど、エヴァ以前も相当面白いアニメが山盛りなので、ぜひ色々観てみてほしい。
「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。しかし、科学は多数決ではないのです(バカの壁)
ヤンガードリアス - Wikipedia 数年で7℃という非常に急激な温暖化
Amazon.co.jp: 貝が語る縄文海進―南関東、+2℃の世界
地球は最後にどうなってしまうの?|地球の不思議|キッズスクール
太陽の寿命はだいたい100億年といわれている。
太陽は、1億年に1パーセントずつ明るくなってきている。
5億年くらいたつと、地球は太陽の熱のために海水が蒸発(じょうはつ)してしまい、生き物がすめなくなってしまう。
そしてあと50億年後くらいには、太陽が大きくふくらんで地球をのみこんでしまうといわれているよ。
精神医学は科学を標榜しているが、多数決で結論を出すこの学問のどこが科学なんだろう
DSM-Ⅳの作成委員長を務めたアレン・フランセス氏は自著『〈正常〉を救え』の中で、「うつの条件に科学的な必然性があるわけではない。どこに基準を設定するかの最終判断は主観的になる」と断言している。
批判
DSM-IVには374の病名があるが、病名及びその病名の症状はアメリカ精神医学会の委員の挙手による多数決によって決められている、権威のある“曖昧なマニュアル”であるとの批判がある[15][16]。
すべての精神科医がDSMを信じ込むほど愚かではなく、2001年にロンドンで行われた精神保健専門家による国際調査で精神医学書のワースト10に入っている。英国王立医科大学のデニス・ドーマン博士は「精神医学にエセ科学的なイメージを与える本」「関係者に入るのは懐に入るのは血税」と批難している[17]。
薬物療法なしで統合失調症が治療できると主張しているローレン・モシャーは、「DSM-IVは、精神医学が概して医学によって認められるように模造して作ったものである。内部の者はそれが科学的というよりも政治的な書物であると知っています。DSM-IVはその最大の欠陥にもかかわらず権威ある書物となり、カネを生み出すベストセラーになった。」と述べている。
治療対象からの除外
現在、WHO(世界保健機関)の疾病分類「ICD-10」、米国精神医学会「DSM」等では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から外されている。そして同性愛などの性的指向については、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。
かつて「DSM-Ⅰ」で同性愛は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていたが、1973年12月、アメリカ精神医学会の理事会が同性愛自体は精神障害として扱わないと決議した。
同性愛をDSMの精神障害から削除する 5854票
Number of “ No” votes-votes to keep “homosexuality” in the DSM as a mental disorder: 3,810
Number of “Yes” votes-votes to remove “homosexuality” from the DSM as a mental disorder: 5,854
Psychiatrists Revise the Book of Human Troubles - NYTimes.com
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
医学生物学論文の 70%以上が、再現できない - 目次 | Nature
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
心理学研究の信頼性に疑問を呈した論文は「誇張」、米ハーバード大研究者ら 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
マウスの実験結果は、研究者の「性別」で大きく変わる:研究結果 « WIRED.jp
「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。しかし、科学は多数決ではないのです(バカの壁)
精神医学は科学を標榜しているが、多数決で結論を出すこの学問のどこが科学なんだろう
DSM−�X 利益相反問題で批判/米国医療事情 医師の一分/ウェブリブログ
IPCCのSRREN報告書をめぐる利益相反の疑い | Nature Climate Change | Nature Publishing Group
IPCCの決定者の利益相反はどうチェックされているのですか。
有効回答なかったので再質問。IPCCの報告作成者に利益相反チェックはあるのですか
はてなブックマーク - 週刊金曜日ニュース» ブログアーカイブ » 子宮頸がん予防ワクチンの厚労省審議委員7割が利益相反――委員の4割が受領「不申告」
相関と因果について考える:統計的因果推論、その(不)可能性の中心
「相関関係は因果関係を含意しない (Correlation does not imply causation)」
南野陽子と言えば、『はいからさんが通る』です。『はいからさんが通る』は少女漫画の代表的作品を挙げる時には必ず名前が挙がる作品ですが、70年代中頃の作品です。
薬師丸ひろ子論の中で、70年代にはマルキシズムの影響で、「女性も男性のようにリーダーシップを執らなければならない」という思想が、少なくとも先進的な意識を持つ若い女性や学校にはあった時代だったと言いました。その「あるがままの私」が80年代において現実との軋轢の中で鍛え上げられていきました。70年代の「あるがままの私」が実は女性に無理を強いているのではないか、それは本当に「あるがままの私」ではないのではないかという問題意識を体現し、生き方としてロールモデルを提示したのが松田聖子です。
しかし70年代以前は、松田聖子はまだ存在せず、女性は無理を承知で男の真似事をしなければならなかったのですが、その時代のロールモデルはフィクションの中にありました。
『はいからさんが通る』もそのひとつです。この流れから、80年代の少女小説家たち、氷室冴子らが出てくるのですが、氷室冴子が理想としてのフィクションをいかに守ろうとしたか、いかに現実との狭間で苦闘を強いられたか、彼女の作品と同時に、諸々の葛藤を描いたエッセイをお読みになればあの時代の少女の意識と彼女たちが直面した現実が分かるのではないかと思います。
アイドル論を無理やりフェミニズムで語るつもりはないのですが、結果的にそれに近い感じになっていますね。それはアイドルたちが、時代のロールモデル、少女たちの在り方を反映しているからです。
薬師丸ひろ子には王道的な、「党中央本部の作成したスローガン」のような無菌的な匂いを感じますが、南野陽子はもっと現実寄りの人です。しかし評論家的ではありません。南野陽子には確かにフェミニズム寄りの感性があるように見えますが、フェミニズムがその成り立ちから逃れがたい、アンチとしての批判性を濃厚に持っているとしたら、南野陽子にはそれはありません。
フェミニズムの到達地点が南野陽子にとっては当たり前の状況、出発点であるような、そういう印象があります。
70年代にはフィクションで切り取られるしかなかった『はいからさんが通る』的な在り方が、現実に当たり前のように南野陽子の中には存在しています。南野陽子は『はいからさんが通る』の作者の他の作品である『菩提樹』にも映画主演していますが(『菩提樹』はおそらく大和和紀の最高傑作です)、自分の足で立つヒロインを南野自身のキャラクターを投影して演じています。
南野陽子は女子校出身ですが、プロフィールを見る前から私はおそらくそうなんだろうと思っていました。女子校出身者はしばしば、男性がいない状況で、ジェンダーとしての女性を内在化させないことがあって、すべての女子校出身者がそうではありませんが、自然な独立心を持っている女性のかなりが女子校出身者です。
そうした女性の社会への眼差しはアンチでもなければ評論家的でもありません。あくまで自分もその一員であると言う、責任感を持っている、部外者性をあらかじめ排除しています。
たびたび引用している松任谷由実の評ですが、彼女は南野陽子について、
と言っています。自分を持っていない人なんているんでしょうか。誰しも逃れがたく自分を持っています。けれどもその自分は幾層にも思惑や配慮や自分がこうなりたいというロールモデルによって塗り固められていて、剥き身の自分が自分でさえ分からなくなっている、特に女性はそういう人がほとんどです。
この場合、南野が自分を持っているというのは、剥き身の自分を隠すことさえ考慮にない、そのある種の無鉄砲さ、清々しさを指しています。それは絶対的に、かつ盲目的に自分を肯定する、傲慢さとは似て非なるものです。その種の傲慢さは実は絶対ではないからです。
例えば自分が美しいということについて、南野はもちろんそれを自覚しているでしょう。多くの場合、それは自意識とリンクして、自分をも値ぶんだうえで、他人を侮蔑することに直結します。それは多くの女性が、自分の武装と自意識を切り離して捉えることが出来ないからです。そうすることが出来ない、ということがジェンダーなのかも知れません。
南野の場合は、要素として自分が美しいことは承知している、だからそれを活用しようとする、しかし自意識はその要素とは別のところにあるのです。自意識は要素とはまったく無関係に絶対的に肯定されるものです。なぜならば自分は自分であるのですから。
比喩的に言うならば、南野の自己に対する捉え方は企業家的です。アイドル南野陽子は商品であるので、南野陽子当人とは別のものです。これはアイドルを演じている、別人格というのではなく、南野陽子の商品性を客観視しているということです。
表層に現れるアイドル南野陽子が、アイドルとして非常に典型的であるだけに分かりにくいかも知れませんが、南野陽子当人は理性的な、理が勝った女性です。そしてテレビはアイドル南野陽子を見つめる南野陽子をも映し出すのです。
商品としての自分と自分当人を分けて考える、このことを自分についても他人についても理解できない人がたくさんいます。
今年の初めに亡くなった十二代目市川団十郎の父の、十一代目市川団十郎は腰が低い人でしたが、団十郎を襲名してからは打って変わって尊大になりました。多くの人は彼当人が尊大になったと見たのですが、そうではなく、彼は団十郎と言う暖簾に対して敬意を要求したのです。歌舞伎役者ならば団十郎に最大の敬意を示すのが筋、悪評がたつことで彼個人には不利益になっても、団十郎の暖簾を守ろうとしたのです。
南野陽子も、尊大だと悪評が立つことが多い人でしたが、南野陽子と言う暖簾を大事にしろとスタッフに言ったのだとしたら理解しやすい話です。非常に友人が多い人で、素が出やすい場面では気さくな人ですが、素のキャラクターとアイドル南野陽子とアイドル南野陽子の経営者としての南野に乖離があるのだとしたら、それは自分を見つめる目が極端に理性的だからです。
素材として南野はアイドルとして最高のものを持っています。美人ではあるけれども、親しみやすいキュートな顔立ちで、声も鈴が鳴るように可愛らしい。アイドルとして最高なので、それ以外では大成しにくいという弱点もあります。
松田聖子と中森明菜は歌唱力で、小泉今日子は斬新なパフォーマンスで、薬師丸ひろ子は演技で大成したように、実は彼女ら、スーパーアイドルであっても純粋にアイドルとしての性格を維持した期間はそう長くはありません。例えば中森明菜は、デビュー直後は肉感的な身体を水着を着て晒すなど、いかにもアイドル的なことをしていましたが、シングル3作目くらいからもう、歌唱をメインにした、アーティストとしての性格を強めています。『TANGO NOIR』の頃は皇后エリザベートもびっくりするくらいウェストが細くて折れそうなほどですが、デビュー直後はむしろやや太めなくらい、それくらいの方が男子には人気なのですが、性的なアイコンとしての価値を斬り捨てて、表現を高めていった、そういう路線に入ったから「単なるアイドル」を越えた時代のアイコンになったのです。南野にはそういう「先」はありませんでした。それはアイドルとして完成されていたからです。
何万人にひとりの逸材で、顔と名が知られるや否やあっという間にトップアイドルに上り詰めたのは不思議ではありません。不思議なのはこれほどの逸材が長らく飼い殺しにされていたことです。意外とプロフェッショナルのスタッフも分かっているようで分かっていない、そう思うことが時々あります。南野が「下積み」を強いられたというのにもそういう感想を持ちます。
角川三人娘のひとり渡辺典子は美人系の女性でアイドルとして人気が出るタイプではないのですが、オーディションでは彼女がグランプリ、原田知世が特別賞でした。むろん、人気も実績も原田知世の方がはるかに上の結果を残しました。
南野陽子も大手に所属すれば事情は違ったのかも知れませんが、彼女が所属したのは、エスワンカンパニーという弱小事務所でした。この会社はピンクレディーの楽曲で知られる作曲家の都倉俊一氏が立ち上げた芸能プロダクションで、売り込みのノウハウがありませんでした。
堀越学園での彼女の同級生は本田美奈子、岡田有希子、高部知子、石野陽子らがいましたが、彼女たちが仕事に忙しく早退してゆく中で、南野は焦らざるを得ませんでした。事務所があてにならない中、南野は一人で売り込みを開始し、自分でプロフィール名刺を作成して、テレビ局や出版社を回りました。彼女にとって最初のチャンスになった週刊少年マガジンのグラビアの仕事は、そうやって彼女が自分で営業を行って獲得したものです。
このグラビアの仕事から、『スケバン刑事Ⅱ』の仕事が決まり、一躍彼女はトップアイドルになってゆくのですから、売れるうえで事務所には何の世話にもなっていないと彼女が思ったとしても当然でしょう。
エスワンカンパニーは作曲家の個人事務所のようなもので、音楽業界はともかく演技に関しては指導育成のノウハウがありませんでした。器楽的な意味において、南野がアーティストとして魅力に欠けるため、売出しに熱意が無かったのかも知れません。
横道の話になりますが、エスワンカンパニーには他に太田貴子が所属しています。彼女はアニメ『魔法の天使クリィミーマミ』に声優として主演したため(救いようがないくらい下手でした)、オタク層に支持されるアイドルになりました。しかし、自らの支持層であるオタク層を「気持ち悪い」と評したため、急速に勢いを失くします。アイドルの親衛隊と言えば、ヤンキーが多かったのですが、80年代後半からオタク層が目立つようになり、以後、アイドルはオタクのものになってゆくのです。
女優業についてはエスワンカンパニーではマネージメントが出来なかったので、青年座にマネージメントを外注する形になりました。この結果、南野はエスワンカンパニーと青年座に両属するような形になってしまい、急速に売れっ子になると、彼女のスケジュールを巡って両事務所が争い、頻繁にダブルブッキングが発生しています。
南野がスタッフに対して当たりが厳しい、厳しく叱責しているという噂はずっと以前からあったのですが、それを公に最初に示したのは浅香唯です。浅香唯は芸能界裏話のような話で、
「自分のスタッフに大声で怒っていて、テレビと全然印象が違った。芸能界は怖いところだと思った」
みたいなことを言っています。一応名前は伏せてありましたが、誰がどう見ても南野とすぐに分かるように作ってありました。
後に南野は週刊文春のインタビューにてそれが事実であることを認めています。その理由として、クライアントに迷惑をかけるダブルブッキングが頻発していたことを述べています。
また、そのインタビューの中で、当初はまともにマネージメントを受けられなかったこと、転機になった仕事は自分で営業活動を行ったこと、事務所独立時の確執についても述べています。南野陽子の独立を契機としてエスワンカンパニーは負債を背負って倒産しているのですが、その負債が南野が知らないうちに南野名義になっていて、数億円と言うその負債を南野が背負ったそうです。それが事実ならば刑事事件にもなるような話で、裁判に訴えれば南野は負債を免れたはずですが、アイドル南野陽子がそんなお金にまつわる醜い振舞をしては、ファンを傷つける、だから裁判には訴えなかったと述べていました。
これは南野陽子側の言い分ですが都倉氏から反論がなされていないため、大枠では事実と考えていいでしょう。
その後数年、テレビから干された、と南野は言っていますが、プロフィール年表を見る限り映画の活動は活発でしたから、余り干されていたという印象はありませんが、90年代は特にテレビドラマの影響力が強い時代でしたから、彼女ほどのコンテンツがテレビドラマでは活用されていなかったのは事実です。
この時期、南野は状況を打開するために、単身、ハリウッドに渡り、ユニバーサルスタジオの門の脇に立って、プロフィール写真を関係者に配っています。誰にも知らせずに自分一人で行ったことですが、もちろんカリフォルニアにも日本人は大勢いるわけですから、すぐにあの南野陽子がと噂になりました。とにかくものすごい行動力です。実際、オファーもいくつかあったらしいのですが、ちょうど日本での映画の仕事がたてつづけに入ったため、その仕事は友人知人に回したそうです。彼女はプロデューサーになっても大成したでしょう。
自分を持っている南野ですが、それが如実に表れたのは主演映画『私を抱いてそしてキスして』の完成記者会見での発言です。この映画は当時、日本でも広がりつつあったエイズ、その患者、患者に対する偏見を描いた作品で、啓蒙映画的な意味合いがありました。日本でのエイズ患者の大半は実は薬害エイズによって感染していたのですが、当時、厚生省によって患者第一号に認定されマスコミにも登場したのは同性愛者の患者でした。これは、エイズが同性愛者の病気であり、薬害エイズを覆い隠そうとした当時の厚生省の思惑があったと見られています。
橋本内閣で厚生大臣を務めた菅直人によって薬害エイズ被害が厚生省ぐるみでの怠慢によって引き起こされたと明らかになったのが1995年、この映画はその3年前の制作ですから、厚生省がまだ性病としてのエイズに焦点を合わせていた頃の映画です。
この映画ではヒロインが前の恋人によってエイズをうつされ、エイズであることにショックを受けるけれども、新しい恋人にはそのことを言えずに性交渉を持ってしまう。その結果、妊娠して出産するけれども、その恋人の愛に包まれながら死んでゆくという内容です。
あり得ないと言うかほとんど犯罪的なのは「エイズと知りながら他人と性交渉を持つ」ことを「あなたを失いたくなかったの、許して」みたいに処理している点です。この「愛がすべてを癒す」みたいなご都合主義的な展開についてはこの映画が社会問題を取り扱っているだけに記者から厳しい批判がなされました。
それに対して南野は、
と言うような内容の発言を行い、映画のコンセプト自体を批判する形になり、同席していた映画プロモーターは狼狽し激怒していました。ことここに至るまでに、内部で南野は批判を口にしていたのでしょう。
続き
Celui où savait, l'estimation déjà déjà pensée s'il y avait beaucoup il, mais j'ai éprouvé règle et un viol le passé.
Une personne détruite le caractère par lui a associé à un certain groupe religieux pour le manquer.
Pas volonté, je devais chanter par qu'événements depuis que j'étais jeune.
S'il ne fait pas donc il, j'attrape les cheveux à lui et il est traîné autour et il est touché un corps et la raison est parce que j'ai été emmené à la place par force.
J'étais violent.
Ses yeux tels que le serpent qui a toujours stagné m'ont raidi.
Il n'y avait personne pour appeler aide.
Non, même la voix n'est pas sortie.
Il ne s'est pas produit à mots devant être dits pour "l'aider."
Vous deviez le suivre.
En d'autres termes la musique était pas un outil de fortune un rêve pour moi.
S'il chante tranquillement, la raison est parce que c'était capable de s'échapper au moins de peur et violence dans ce temps.
Là n'a pas n'avait pensé qu'une chanson était une fois agréable simple.
Son corps ne comprenait pas ce qui avait lieu.
Dans les jours de 14 ans, il étend enfin au viol.
Je pensais que je "étais sur" au moment.
Là n'ayez pas besoin d'être la chose qui oublie le jour avec ces yeux partout dans la vie de M.. UN.
Je décide d'apprendre ..... maintenant audacieusement.
Comme pour la peur pour M.. UN, pas seul le corps mais aussi le coeur a été taché avec noir dans la substitution pour désespoir et haine après le jour.
Seulement la mémoire du jour a été laissée hors de mon esprit que je ne peux pas endurer en quelques minutes.
La mémoire d'un jour a envahi pour le cauchemar du seul jour après jour lorsque je suis venu d'âge et marié a ranimé et il est devenu difficile de vivre dans la paix.
C'est effrayant de sortir à un mari et je suis encore désolé pour un mari.
Je qui était faible a choisi le divorce que maintenant et s'est échappé de la place.
Alors je passe les temps cassés.
Il y a la colère intense et désespère en moi.
Je comprends comment long je qui est un tel être humain devenu les apparences laides.
Je n'avais pas le pouvoir de résister ce jour sans l'existence de la voix élevé.
Une voix n'est pas sortie.Ce n'était pas capable de bouger.
Mais je l'observe quand donc j'étais maintenant.
Il a été étendu dans le désespoir et le légitime défense égal a pu tuer un envahisseur si j'avais le tel pouvoir.
La colère intense comme lui a ruisselé en bas mon corps.
J'ai été assassiné quand et n'était pas étrange l'un ou l'autre et n'était pas étrange même si je vous avais assassinés.
Mais heureusement l'envahisseur et moi n'avions pas de capacité.
J'étais à une perte beaucoup de fois.
Est-ce que vous confesserez?
Je l'ai maintenant reconnu quand a reçu si j'avais confessé par ce réglage lorsque c'était des coups de pub.
J'ai eu envie de devenir une personne couvert de coups de pub, avidité pour célébrité, avidité pour l'argent, une telle chose.
Il a besoin de ni la célébrité ni l'argent.
Il y a quelquefois une personne pour aller évaluer la sympathie, mais n'achète pas de chose.
Il y avait les temps durs, mais il ne peut pas y avoir la chose que je pensais que je me suis senti désolé pour héroïne... de la tragédie, soi.