はてなキーワード: ソリアとは
ネタバレ満載なので未見の人は見ないように。
甲賀弾正×お幻
「バジリスク」という名称自体が、死んでも殺す的な意味合いで付けられたものと思われるので最終的に壮大な相打ち物語なのだが、
その初戦を飾る戦い。
かつて愛し合った二人の戦いであり、物語のラストシーンとの対比となる名シーンである。
とはいえ、ここでお幻の鷹がいなければ勝負は恐らく一方的に甲賀の勝利に帰したであろう事を考えると、実質的にお幻の勝ちに近い気もする。
甲賀弾正は巻物をスリ取った上に不意打ちでお幻を倒して、かなり甲賀有利の状況を築いたにも関わらず、一瞬の油断から相打ちに持ち込まれた上に、結果的に巻物は鷹の翼によって先に伊賀方に届いてしまい、その後長きに渡る伊賀のイニシアチブを許すという、踏んだり蹴ったりな結末であった。
■FF7
FF7のストーリー上、クライマックスと言っても良い名シーン。
ここでの神羅カンパニーの社長退場と、その後のシスターレイを巡る一連の戦いによって、物語の最初からストーリーを牽引してきた神羅カンパニーは組織的な統率力を喪失し、物語の舞台から退場する事になる。その引き金となった戦い。
超長距離での大火力の撃ち合いによる相打ちだが、シスターレイの標的がダイヤウェポンではなくセフィロスの張ったバリヤーであった事や、ダイヤウェポンが倒れた後にその攻撃がミッドガルを破壊するなど、超長距離での戦いゆえの見せ場がカッコいいシーンである。
一方、本来ジェノバ(セフィロス)を攻撃するはずのウェポン達が、神羅カンパニーを攻撃したり適当にウロチョロしてるだけでイマイチ仕事してない感がある事や、
北の大空洞とミッドガルの直線上にダイヤウェポンが重なる偶然(神羅側はそのタイミングを狙ってたのかもしれないが)等、ややストーリー上の強引さを感じるのがマイナス要素である。
結果的に、サファイアウェポンやダイヤウェポンは神羅カンパニーを攻撃してセフィロスをアシストしてたようなものだし、アルテマウェポン・ルビーウェポン・エメラルドウェポンはあの有様なので、ウェポンは使徒を出したかっただけやん感が強い。
アルミサエル×零号機
前半でせっせと株を上げて、後半で一気に落としたTV版エヴァンゲリオンのエヴァ対使徒の実質最終戦(最後のシ者は、エヴァ対使徒って感じじゃなかったし)
前話でみんなのヒロイン惣流明日香ラングレーさんがアレな感じで退場した直後、嫌な雰囲気全開の中で行われた戦いの中で、やっぱり嫌な展開で発生した相打ちである。
レイ2号機の最後の回想が我らが主人公碇シンジくんではなく、ネグレクト総司令碇ゲンドウ氏であった事も含め、視聴者への嫌がらせが頂点に達した瞬間でもある。
思えば第一話から「勝てなきゃ自爆」がデフォの使徒戦だったので自爆では死なない印象があってもおかしくなかったのだが、黒ジャージ戦以降、物事が悪い方向にばかり進んでいたので、もはや出撃しただけで死にそうな感じが漂っていたのが印象的である。
しかもこの辺の戦いは、ゼーレやゲンドウが暗躍しまくってるせいで、初期の「使徒に勝たなければ世界が終わる」という背景が形骸化し、なんか消化試合みたいな雰囲気すらあった。
という事で、視聴者に嫌がらせするために行われたと思われる壮絶な相打ちシーンである。
■FSS
KOG×ジュノーン
ストーリー上重要な相打ちのはずだが、なんか全然重要じゃない気もするワンシーン。
設定変わっちゃってよく分からんけど、MHはレッドミラージュだけあればいい気がするんで相打ちになった二機が割とどうでもいい感じがしてるのと、
パイロットも割とどうでも良くて、重要なのは2人のファティマのはずなのだが、
それもなんでそんな所で相打ちになってるのか良く分からない感の漂う、良く分からない相打ち。
なんの意味があったのか。
言わずとしれた名シーン。ドラえもんの道具を使えば簡単に直せそうな気がするが、それは言わぬが花というやつである。
22世紀から来たドラえもんがいる以上、世界が滅びるはずがないのだが、それも言わぬが花である。
>相打ちはお互いに攻撃を仕掛けてお互いに致命傷を負うことであって、バギーちゃんみたいなのは自爆やろ
↑まあ、そんな気もするけど、鉄騎隊はポセイドンが操ってたみたいなんで、一応両方攻撃したよ、という体裁で一つ。
>バギーちゃんがしずちゃんの涙の雫に反応して奮起する名場面、水中では雫ができないはずだが、それは言わぬが花というやつである。
↑言われてみるとそうやな。まあそこは、おいらの心の胸は、お空の月の星の涙よおいらの胸の心の切なさよ、雨が降れば胸の心の頭もぬれるよって事で一つ。
スパイク×ヴィシャス
戦闘開始時点ですでに疲労してボロボロかつ腕に被弾していたスパイクと、無傷で座って待ってたヴィシャスではフェアな戦いとは言えない気もするが、
まあ殴り込みをかけたのがスパイクである事と、拳銃使いのスパイクに対してヴィシャスは日本刀使いというハンデがあり、更にスパイクはヴィシャスの部屋に爆弾投げ込んでるっぽいので、その辺込みで「堂々たる一騎打ちであった」と評して良いだろう。
かつての親友同士だったが女を巡って争った挙句、女は雑な感じで死亡済み、という背景もハードボイルドで良い。
最後、お互いの武器を押さえあった状態から相手に武器を渡しての相打ちであった事も、救いのないはずの戦いに花を添えている。
ラストシーンで入り口でスパイクを待ち伏せしていたマフィアが、既に戦える状態にないスパイクを見て銃を下ろすシーンがお気に入り。
ダイヤのJ×北家
2位以下は全員死亡というルールの中、逆転できるわけでもないのにアガって(しかも国士)そのままゲームオーバーとなった北家に対する、
「どこで運使っとんじゃあああああ」というダイヤのJの最後の叫びは、この作品一のお気に入り。
まあ、既に勝ち目が無いに等しかった北家と南家は、良くても東家のチシヤをトップにしてダイヤのJを道連れにするしかできない状況だったので、
そういう意味では北家は良くやったと言えるのだが、あんまりそんな雰囲気ではなく単に当たり牌が来たからアガった感の漂う北家の空気も良かった。
ゴルツィネ×フォックス
同作の組織戦としては最終決戦のクライマックスに起こった名シーン。
致命傷を負いながら裏切り者のフォックスを倒したゴルツィネの最後の心境はどのようなものだったのか、
その重点が裏切り者を許さないマフィアのプライドだったのか、自分の手に入らないならばアッシュを誰にも渡したくないという執着だったのか、
色々なものを想像させ愛憎入り混じったBANANA FISHの最終ボスを飾るにふさわしい男であったと言えるだろう。
片や主人公陣営を散々に苦しめた大ボス・ゴルツィネを用済みとばかりに軽く裏切って片付けたフォックスも、
その悪役らしいあっけない退場の仕方も含めて途中出場でありながら存在の軽さを感じさせない名悪役であったと評価したい。
なお、同作で相打ちといえば、言わずと知れた最後の名場面があるわけだが、ラオの存在がちょっと軽いので、相打ちというよりは「アッシュの最期」という印象が強い。
あと余計な事ではあるが、ふつーに考えると腹刺されて失血死する場合、床は数リットルの血でグチョ濡れで魚市場のようなムッとした臭気が立ち込めている上、顔はゾンビのような土気色のはずで、良い夢見てるようには多分見えないのではないかという疑いが強い。
※ブコメを見て
知らないのもあるけど、知ってるのもあるなあ。
□幽遊白書
飛影×時雨
あったなあ。解説の躯さんがいるので野暮な解説はしたくないが、
この時点で飛影と互角だった時雨がなぜトーナメントで蔵馬といい勝負ができたのか、原作読んだだけだと疑問しかない。アニメだと何か説明があったのだろうか・・・
なお、このトーナメントの逆トーナメント覇者は俺たちの柘榴であり、「自分に勝った奴は許さねえ」という柘榴の執念を感じる。
あった。勝てない相手に対してでも、何が何でも殺すというネテロの執念の一幕だった。
あの一撃でメルエムだけでなくユピーとプフにも致命傷を与えており、「当初はネテロの負けに見えたが、実は勝ってたのはネテロで、後からその凄さがわかる」という冨樫先生の演出の妙が光る。
一方、ネテロは立場上自爆を選択しただけで、一武術家として戦っていたならそのような戦法はとらなかったのでは、とも思わされる。
□北斗の拳
ファルコ×名も無き修羅
あったあった。修羅の国への期待値を爆上げして、後からパワーバランスが良くわからくなる原因を作った一戦。
それだけファルコが弱っていたと言えなくも無いが、刹活孔注入してからも一発喰らわせてるし、ケンシロウにも一応かすらせてるので、紫光のソリア程度の強さはありそうな気がする。
□マヴァール年代記
しかしあの一戦のせいで、あんまり英雄と知将の戦いという読後感がなくなったのも惜しかった。
孫子曰く「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ」というやつで、
お互い全滅するまで戦って最後に大将同士で一騎打ちして相打ちって、お前ら何やってんだという感が強い。
しかし今にして思えば、アルスラーン戦記の最後の相打ちに比べればまだマシだったかなーという思いもある。
相打ちすりゃ良いってもんじゃないんやで。
■BASARA
揚羽×夜郎組
最終決戦の裏側で、敵方の暗部夜郎組を一手に引き受けて散った、タタラ軍の縁の下の力持ち揚羽。
敵も倒し、崩れる城も支え、友人の太郎ちゃんの仇も討ち、と八面六臂の大活躍だったのだが、その最期は崩れた城の下敷きであり、見届けた者はいない。
物語の最初から更紗を救い続けたものの、その更紗は敵将朱理とできてしまい、それでもBSSとか泣き言を言わずに支え続けた男の中の男である。
なお、この物語にはもう一幕の相打ちシーンがあり、作中最強の暗殺者である柊と朱理・今帰仁コンビによる一戦。一交錯で決着がつき、双方死ななかったものの双方片腕を失うという痛み分けの結果となっている。
つまらない深読みをするなら、作品として物語前半で悪逆非道をなしている朱理を無罪放免というわけには行かず、華を持たせつつも贖罪的な意味合いで片腕を落としたのであろうと思われる。
早期にマーズランキング2位が退場した戦いであり、読者に絶望的状況を知らしめた。
レーダーよりも遠くから敵を察知するアドルフさんの謎能力がヴェールを脱ぐときの説明文のカッコよさに加え、
雷で倒す→避雷針で避ける→側撃雷で倒す→心臓マッサージ→銃を電磁場で防ぐ→電磁場の通じない投石で殺害→自爆
という二転三転する状況が、希望を見せてはまた絶望に落とすという、一筋縄では行かなさを演出した良い戦闘だった。
なお、状況的には相打ちというよりアドルフさんの負けであるが、多くのゴキブリを殺害及びボスに重傷を負わせ、結局何も渡さなかったという点と、
数話後にこの時のボスゴキブリが討ち取られた際に、すでに側撃雷で内臓に重傷を負っており、生き延びたけど長くはなかったであろう、という説明が入ったので、相打ちと判断したい。
余談だが、単行本には収録されていないが、YJ連載時の『雷帝、戦闘体勢(アドルフ・スタンバイ)』という煽りはかっこよかった。
アニメ版など無かった。
自由に生きてきたし、今も仕事も趣味も充実して何にも縛られず(結婚はしているが)楽しく生きている。
ただふと何か息苦しいな?と思うことがあり、それが何なのか答えは簡単だった。
ツイッターだ。
凄い有名な人から凄いイカれたピンきりの意見が一分一秒単位で更新されていく。
何かあればネットでは「批判」「称賛」「違和感」の声が上がっているとニュースになる。
路地裏でこそこそ呟いてあれはいいでゲスねウヒヒと楽しめていたツイッターは過去の物。
今やあそこでは割りと考えて呟かないと袋たたきに合う可能性がある。
路地裏で知り合いも誰も来ない様な場所から始めたツイッターが、気が付けばフォロワーも千も超え、
気が付いたらリア友のフォロワーもガンガン増え、「あのツイートなんだよwwww」と会えば言われるような
じゃあツイッターやめればいいじゃん。
と思った。
シコシコやりたい。
なので別垢を作ってコッソリアニメや漫画のことをゲロ吐くように呟いている。
話しが大分それましたが、スマホ捨ててSNS辞めればかなり開放的な気分にはなるだろうけど、
それをしたら凄い心配される。
わかる~。そういう絵作りが流行っているのか何なのか。リアリズムか何か知らんけど、見難くなるだけだから止めて欲しいよ。
個人的に嫌いなのは、小声で喋るみたいなシーンで本当に音量を絞っちゃって、その後にドカーンって大きな爆発があるんだけど、その音の落差で驚かすみたいな映画の音の演出?あれが嫌い。小声で喋るのって、小声で喋ってますよって演技するだけで実際に小さくする必要無いと思うんだよね。会話が聞き取りづらくなるだけなんだよ。そういうのがクソリアリズムだと思う。フィクションは現実じゃないんだから、そんなの要らないって・・・
今、青春映画を一本見て。青春できなかった奴らの不全感とか、リア充のリア充感とかが表現されていたんだけど。
イケメンとか、女がスクールカースト高くて、不細工なオタクが底辺って感じを描いていたんだけど。
ふと思った。こういう分かりやすいピラミッドが成立しつつ一箇所に固まってる構図って社会では無い。ってか大学くらいから無くなる。
いや、オタク達もリア充もバラバラになっていって。解体されて、職業や役割で分割されていく。
そもそもが、スクールカーストみたいな上下関係をまざまざと見せ付けるし、そもそもそんなカーストみたいなのが出来上がるような空間って、「学校」にしか無いじゃんって。
結局は、権力者が作った役割に落とし込むために、人格形成()というか、思春期の危ないエネルギーを勉学や部活で解消しましょうって施設だ。
やっと俺はふに落ちた。
今まで、なんとなく青春できないキモオタ側だったから、悔しかったけど。
そもそも、学校って単なるフィールドってか、ゲームのマップの一つに過ぎないし、そこでの設定とかは、所詮設定でしかない。
もうアラサーにもなってなんなんだけど。青春取り戻そうとしてる節がある。
青春送った奴らを金や権力で操ってニヤニヤしてる節が俺はある。
もちろんゲームとしか思ってないけど。権力者になったからゲームしてるだけなんだけど。
「学校時代に底辺扱いされて苦しんだが、こっからは俺のターンだ、苦しめクソリア充ども、死ねドキュンども」
くらいに思っていたが。
それって、意味が無いなと思った。
彼らも、演じさせられていた、流されたモブキャラだったんだ。
話聞くとクッソやばかった。
まず、金があると、服に全部使ってしまう。
ゴスロリ系ではないけどさ。
20前半にして、中毒だな。
親が、ヤバイ。麻薬中毒の母親が子供に麻薬を与える動画を見たときの悲惨さに近い。
そのせいで金があれば服に突っ込むらしい。
で、生活もメチャクチャ。それなりにチヤホヤされてる地位に今いるが、もう後は無い。
で、体もヤバイ。話聞くと、確実にあの病気だわってのにかかっていた。病院行くように打診したが、絶対いかないな。症状が目の前で出ていて怖かった。
ってか、電気止まってるらしいし、病院行く金も無いんだろう。体が明らかに壊れていて怖い、ちょっとした距離歩くだけでもハアハア言ってる。
この娘は、救えないんだなって思った。
帰ってから、その娘のツイッターを発見し、周辺のフォロワーと見比べてみた。
なんというか、俺は、ゴスロリのショップ店員とか、ある種の麻薬のバイヤーだと思ってたんだよ。麻薬中毒者を作る側だろ?って。
なのに、本人も違った形で麻薬中毒になっているような。
そういう悲惨さを感じた。
決して人格を馬鹿にしたくなかったし、むしろ助けたいと思ったよ。そりゃ可愛い娘だから下心もあったけどさ。
でも、それ以上に、救えないって思った。ってか、俺程度に救えていれば救われていたよね今までに。
その娘が、決定的に終わったときの事を聞いて、なるほど、リア充達の乱痴気騒ぎってのは、つまりこういう犠牲の上なんだなって思った。
俺は、恐ろしかったわ。
http://anond.hatelabo.jp/20150328225013
「拷問だー!」
幼稚園によっては前年の年末くらいまでには「来春用意するものリスト」が渡されて
パニクるお母さんたちが続出する。
夏休みの宿題みたく、早い人は秋くらいからコツコツ用意してるけど
やっぱり手芸苦手意識のある人は、時期が早かろうが遅かろうが「拷問」と感じてる模様。
「どうしたらいいのか途方にくれていたところ、御社のHPを拝見し・・・」なんてメールが
ガンガン送られてくる。
「息子の喜んだ顔を見て子育ての喜びを感じられました」なんていうメールを受け取った日には
ミシンは中学生以来触ったことがなく・・・って人もかなりいる。
家庭科室のバカみたいに壊れるミシンと格闘しながら、何ヶ月もかかってエプロンやら
ショートパンツやらを縫ってた頃の記憶をたどると、目の前に迫り来る納期に
恐怖するのも分かる。
個人的には、幼稚園はともかく保育園で「手作り指定」をやるのは園が非道だと思う。
認可保育園にも色々あって、
「保育に欠ける児童の養育と親の就業を担保する」という、社会での役割を踏み外さない園もあれば、
「とにかく質の良い保育を!(=園の持つ理想の保育の実践が一番で、
親の負担の増大なんて歯牙にも掛けない)」っつー強烈な園もある。
良い意味でも悪い意味でも主義主張が薄く、これといった特長も無いかわりに親の負担も少ない。
こういうところは、手作り品についても絵本バッグ1つとか、お着替え袋1つとか。
もちろん既成品でも別にOKだし、要求があるとしても「出来れば愛情のこもった手作りで・・・」程度の
フワッとしたご指定のみ。
やっかいなのは後者で、認可私立保育園とか、認可外保育施設とか。
保育内容にも独自性が強くて、おやつから何から全部手作り食育命!みたいな、
一種ありがたい丹精込めた保育をしてくれてる反面、
園の理想が高いだけに、親に要求される育児クオリティも高くて大変。
通園用ショルダーバッグも出来れば手作りで、って言ってるのも見たことあるけど
あんなもんCreemaとかで出品してるハンクラーぐらいしか、満足できるレベルのもの作れんで。
「子育ては量より濃度」
とか考えるタイプのワーキングマザーには、こっち系はほんと向かない保育園なんだけど、
教育とか保育の質とか考えだすと、親が地獄でも子供には良質な保育を・・・
となって結果泣き泣き通う事になる人が結構いる、ってこれはまあ別の話。
とかくWM界隈では悪者にされがちな「手作り指定」だけど、まあバカにしたもんでも無いですよ。
という事を控えめに訴えたい。
手芸屋稼業をしてて言うことじゃないけど、なぜか子供は手作り品を喜ぶ。
キレイな既成品より、親が試行錯誤したものを喜ぶ子が多い(あくまで多い、です)のは不思議。
年齢が低いほど顕著かなあ。
それはもうペンとか落ちてくるやろ、というレベルのザックザックした
縫い目のバッグでもお構いなし。
DIY妖怪ウォッチでも子供は大喜びってアレと似てるんでしょうか。
キレイに揃った縫い目より、親が目の前で自分のためだけに作ってくれた、
という過程を見てるのかね。
親が作ってくれたものがあると園でも安心しやすいってのもあるみたいです。
後追いが激しい子や、環境に慣れにくいセンシティブな子は特に。
あとはまあ、時を超えて残る、ってのが大きいかも。
大体の子供には、「親が作ってくれた(時にブサイクな)手作り品の思い出」がある。
私にもある。
親子関係は10点中3点くらいの悪さだったけど、幼稚園の時に母が作ってくれたブサイクな袋は
ずっと捨てられずに残っている。
あれも親は「園に言われてイヤイヤ作った」らしい。
イヤイヤ作ったたった1個の袋だから、こっちとしても余計捨てられない。
そこに愛情を見るのはただの子供側の悲しい願望なのかもしれないけど、30年経てば勘違いでも
きっと一生残るだろうと思う。
感傷的になった。
「手作り品」じゃなきゃ愛情を示せないなんて事言うつもりは全く無い。
でも、食えばなくなる日々の糧、の食事と違って、
「物」も「思い出」も両方残る手作り品って、もしかしたら相当コスパ良い贈り物かもよ。
カッツカツで日々を回してるWMからすると、手作り品もひとつのタスクでしか
無いことは良くわかる。
でもこの通過点に、センチメンタルな感情乗っけてる親も子も結構いるのよ。
だから、「滅びればいいのにこんな慣習」とか「親の手作りなんてムダな労力」
とかいう言説はナシで頼むわ。
園側がさ、「既成品でも全く構わんけど手作りもやる価値ありよ」
まあ実際こういう園が大多数なんだけど、極端な例は目立つということで・・・。
園がメジャーもって「はい作り直し~!」とかするワケじゃない。
通園バッグとかの類は、例えば園指定のお道具箱が入るサイズに、とか言われる事もあるけど
そんなもん大きめに作っときゃor大きめの袋買えば大丈夫です。
既成品もだいたい同じくらいの大きさで作ってるから安心せえ。
超シンプルな手提げとか買ってきて、ワッペンとかリボンとかレースとか付けまくって
ゴテゴテさせる。
子供に好きなデコ選ばせる事も出来るし、「作った感」もあるし、満足度高いみたい。
アイロンと手ぬいで出来るし。
あとはキットを売ってる店も多いし、ネットでも買えるし、
「手芸店行って選んで計って型紙とってキー!!」ってならなくっても大丈夫。
落ち着くんだ。ググるんだ。
http://www.bond.co.jp/bond/diy/detail2.php?item_name=%BA%DB%A4%DB%A4%A6%BE%E5%BC%EA
↑こういうの、一昨年くらいから売ってる。
凄い時代だ。
邪道とか関係無いよ。
私も1個買ったから、繁忙期抜けたら作ってみるわ。
子育てをきっかけに新しい扉を開く、なんて例は枚挙に暇がないけど、
うちのお客さんでも「半べそで作り始めたら要領を掴んで、今や趣味は手芸」って
人が結構いる。
定期的に通ってくれる人が教えてくれた。
体力とか関係ない趣味として、老後もいけるよ。
1ヶ月で用意できるかー!
細かい指定に応えられるかー!
なんていうのは、ガンガン園に言っていこう。
共働きの方がメジャーになる潮目にいる今だからこそ、来年以降は考慮されるかもよ。
これは手作り品に限らないけど、「自分はムリでも、後に続く人の助けにはなるかも」精神で。
せめて準備品がHPにでも掲載されてたら、心構えも出来るのにね。
手芸屋としても、夏くらいから用意してもらえる方が負荷分散されてマジありがたいんで、ゼヒ!
これ、周りのお父さんにも聞きまくってるんだけど、手芸はほんと最後の砦、って感じがする。
イクメンだカジメンだ言われる昨今、お父さんが進出してないほぼ唯一の家事分野かも。
レザークラフトとかは男性多いんだけど、ミシンでカタカタ・・・は全然見ないし聞かない。
その分、「お父さんが作ってくれた手作り品」持ってたらもう凄いよね。
母、先生、子供たち、全方面からの羨望と尊敬を集めまくると思うんだけどどうだろう。
家庭科男女必修の世代が親になってる時代だし、やってできない事ないでしょ?
正直「拷問だ!」っていうレベルで手芸慣れしてないお母さんなら、父さんと
実力の差、無いと思う。
手作りだ愛情だって言うならさ、弁当文化もなんとかして欲しいマジで。
幼稚園は毎日弁当とか、保育園でも月に何回か弁当の日があるとか、
中学、高校も続くし、個人的にはこっちの負担の方がエグいかな。
これから10年以上続くのかと思うと泣きそう。
以上、繁忙期なのに一言いいたくて出てきちゃった手芸屋でした。
初増田でしたが、思いの外反応してもらいホクホク。
「やってみっかな・・・」「おもしろいかも」的つぶやきが、手芸屋としてはいっちゃん嬉しい。
フヒヒ。
何人かご指摘のとおり、「(強制されることによる)手芸憎し!」が最も危惧するところです。
とはいえ、毎年3月くらいにはおかーさんたちの呪詛が渦巻くのだろうか。
またココ見つけて貰えるといいな。
既成品も製作代行もあるし、物好きハンクラーもしくはおかんもいるもん。
21世紀だし。
必須のライフスキルでも無ければ、母の愛情バロメーターでも無いはず。
子供が既成品を欲しがったらそっと針箱を閉じる(涙)。
いつ作れってんだー!となるなら作らない。金で解決。
能力的、時間的に作れない自分を責めてしまうナイーブさにも勝っていきたい。
(ブコメにもあったけど、豊かさの一指標かなとも思う。
22世紀になっても自分の手を動かして「作りたい」「作ってあげたい」ってのは、たぶん無くならないでしょ。)
わたくしごとですが、この商売始める前に勤めてた会社が派手に倒産しまして。
明日から仕事無いわ給料未払いだわの状態を救ったのが、この芸事でした。
家政科も服飾科も出てない素人だけど、好きでずっと続けてただけ。
一般的なビジネススキルと芸事が出会った時、商売になるよね・・・
→これやろっかな。
児童館で似たような事やってたし、「俺にやらせろ!」って言ってみる。
「ウチで買ってくれたのなら追加料金で加工しまっせ」的サービス。
明らかにNGなのは、版権モノ生地を加工して勝手に「完成品」として販売する行為くらい。
販売元の生地メーカーによっても温度差が結構あるので、心当たりある諸氏は気をつけられたい。
一番難しいのはやはり設計。型紙使わない程度であれば誰でもいけると思うのだが。
→入学入園準備品のたぐいは、ほとんど直線カット、直線縫いでだいじょぶ。
東儀秀樹ーー!!
びっくりしてブログ熟読。
凄いなーハンクラパパとして有名だったのか。
この凝りようが、メンズ手芸ジャンルのポテンシャルを表してると思う。
ブコメでも「オレも(うちの夫も)やるでー」ってのが散見されたけど、ほんとこの分野、期待できますね。
手芸屋=甘味処説があったけど、とりあえずそういう気まずさを解消する店作りからどうでしょうユザワヤさん。
個人的にはクッソリアルな羊毛フェルト(http://goo.gl/Yd01rh)とかも
将来的には「お父さんが作った袋物」がチヤホヤされないレベルにまで
市民権得てくるといいなあ。
元Twitterのあのプリント(今見れなくなっとる)は、確かに凄かった。
色んな園のプリントを見てきた手芸屋増田としても、びっくりするレベル。
「分かっててそこ選んで入ったんだから粛々と従え」ってトラバもあったけど、
大概分かって入ってないよ~w
リサーチ不足って言われりゃもう、それはその通りでございなんだけども。
これ、「意識高い園」に子供入って青息吐息だった時に私も同じ事言われたけど、
まさかこんな事までさせられるとはー!!というのの連続なワケです。
「入れる園・通える園」を探してる段階で教育哲学どころかナゾのローカルルールまで把握できないわな。
「妥当性が低く負担は高い、理想の押し付け」と捉えざるを得ないことと、
ちゃんと分けて、お互いすり合わせしていくのって大事ですよね、と言いたいです。
郷に入れば(ry って言うけど、元から住んでる人さえたいがい住みにくい郷なら、
郷を変えてく権利は誰にでもあると思うよ。
やっぱ長くなった。いつも話長いって言われる。ごめんね。
わたしには姉が一人いる。
昔は嫌いだった。年が二つしか離れてないので、よく喧嘩もした。
姉は外ではいい顔をしているけれど、それはもうエゴイズムの塊のような性格で、殺意が芽生えるのなんか日常茶飯事だった。
今は大変に仲が良い。
仲良くなったあとに色々と考えると、お姉ちゃんは凄いなあと思うことが幾つもあった。
全部書き出すのも面倒なのでまとめると、わたしは今でもできない、親戚との人付き合いに、全部あると思う。
姉はひとりで少し遠い親戚の家にお泊りに行ったり、正月の挨拶も積極的に回っていた。
おばあちゃんやおじいちゃんに頻繁に連絡したり、顔を見に行ったり。
その原動力は自分本意ではなく、行ったら喜んでくれるから、という他人本意のもので、まだ親元が恋しい小学生の時には涙を飲んで泊りに行くこともあったらしい。
わたしはと言えば、しろといわれるまでそう言うことは全くできないのだ。
姉はどれだけ強烈なエゴイズムを持っていても、人を心から思える人。なにかあった時、誰かを思い出せる人。
わたしは外では明るいが、心の底では自分のことしか考えてない姑息なドクズ。
昔から明るく活発な中心グループに属していたわたしが中退ビチグソオタクになり、どちらかと言えば地味なグループにいた姉がFacebookをたまに英語で更新するようなクソリア充になったのが全ての答えだなあ。
そんな感じで、この親戚付き合いの例が、結局性格の根底なんだと、今ではそう感じる。
人を思いやれるかどうかって、凄く大きい。
優しいのと思いやれるのは違う。
わたしには一生出来ない。
お姉ちゃんは凄い。