はてなキーワード: 漠然とは
なにも成さず、なにも残さず、周囲と疎遠になって死ぬことに対して、時々どうしようもない気持ちで窒息にそうになる。
人間関係が下手すぎる。
長く続いた友人は数えるほどしかいない。こちらから連絡を取ればいいのかもしれないけれど、ラインもFacebookもインスタも、なにもかも「続ける」のが苦手。Twitterで吐き捨てている方が気楽過ぎる。
少しでも嫌なことがあれば、解決するまで話したりしないで、すっと離れてしまう。だからもう周りの糸から抜け落ちているようなきもち。自分が悪いのはわかっている。
仕事にしても、よくある仕事について、よくある仕事をして、特にスキルがあるわけでもなく、仕事に誇りがあるわけでもない。私がいなくなっても、代わりの人間はいくらでも出てくるだろう。
そもそも、なんのために働いてるんだろうか。今はエンタメも奪われ、イベントもなく、どんどん人との交流がなくなる。あっても、私は関係を維持するのが苦手すぎる。人を傷付けるし、人を不快にする。みんなごめんね。やって後悔してること、言って後悔してること、たくさんあります。
周りが結婚しはじめた頃は、本当に親が望むような普通の人間になろうとして色々試した。けれと、そんな一生一緒にいたい、煩雑な手続きを踏んでまで一緒にいたい相手は結局見つかっていない。
では同性が好きなのかな?と思ってみても、こちらもたぶん違う。たぶん、アセクシュアルだろうか?定義に当てはめたいわけじゃないけど、自分が何にも所属していないと思うと怖くなるから。
父さん、母さんごめんね。申し訳なさすぎてどうしたらいいかわからない。これも怖いことの一つ。なにも問題がない家庭に育ったはずなのに、私がぶち壊してしまうのだろう。
でも一番悲しいのは、その「普通」を嫌がってるくせに、ずっと執着してしまう自分自身だと思う。
一人の時間も好き。
人との関わりばかり話してきたが、一人の時間が好きなので、会社が休みの日は一人でぼーっと過ごしたかったりもする。でも、一人過ぎるのもなんか辛い。今はいいけど、少しずつ輪が小さくなっていく。みんなパートナーができ、子供ができていく。もし定年が来たら?動けなくなったら?私はどうやって目の前に漠然と広がる時間を潰すの?
パートナーが欲しいわけじゃないけれど、何が欲しいんだろう。なんか、どうしようもない。言葉にうまくできない。自分が矛盾しすぎていて怖い。帰るところが常に欲しいのかもしれない。
人間ってめちゃくちゃに難しい。
もし仮に、権力の不作為による殺人が現在進行形で行われているのであれば、もはやそれを実力で阻止することを法に反すると非難したところで一体何の意味があるのだろうか? という疑問がもう少しで全国各地で発生してしまうのではないかという漠然とした恐怖を最近感じる。
なるほどねえ。不健全が良くない!!!とかいう脊髄反射のバカには全くリーチできない知見で大変参考になった。
その根拠とは
2.薬物の温床となる素地がある
3.納税していない
そしてもしこれを健全にしていくには、セックスを管理して薬物を排し納税をする必要がある。
これに国が積極関与するとなると「責任」を負うことになるというわけなんだね。
つまり、飲食店に対する保健所のような設えが必要になってくる。
クラミジアや梅毒感染があったら事業所を営業停止処分にするとか、
なるほど国家の枠組みにセックス産業を組み込んでいくことになるんだけど良いんですねそれで?
ってはなしになるわけね。
しかも今回のニュースでは事業者が持続化給付金を出せとか言い出して、
それって想定ケースの中でもかなり筋悪で、
風俗嬢が個人事業主として訴えるならまだしも(それでもお前納税してへんやろのツッコミがあるのに)、
事業者ならじゃあお前不健全とは言えないレベルで嬢の面倒を見てて納税もしてて性病が起きたら治療とか所得保障とかもしてて、
そういうことやってんだなお前?って「責任」を問われる。
なるほど。
ニュースを見る限り、「どうせろくでもない事業者なんだろ」という漠然とした意識で却下していたが、
国の制度に組み込んだと仮定した場合どうなるかという思考実験としてはここまで踏み込む必要があったんだな。
まあはてなーはバカだから女が絶対正義で被害者なのでこうした枠組みを考察するだけの知性など持ち合わせることはかなわないだろう。
これだからはてなはもう限界集落なのだな。というか、思想セクトみたいな位置づけになってしまっているのだろう。
おしまい。
年始に電話で会話するくらい元気だったのに、先月親父から突然肺炎で多分もうすぐ死ぬと電話があった。
その通りじいちゃんはあっさり逝った。元気で歩けるし腰も曲がってない、介護もされてなかったのに。
じいちゃん子だった増田は電話があった時すぐに地元に帰りたかったが流行りの奴のせいで帰れなかった。じいじばあばだらけの田舎には流行ってる街から帰ってくる人間には冷たいから悲しいけど仕方なかった。還暦を過ぎた親も嫌な顔していたし、そう自分に言い聞かせて納得させた。
死に目も、葬式も、お骨拾いも、納骨式も。結果報告だけ淡々と聞かされた。
ずっと入院中のばあちゃんと電話で話をしたが、一昨年会った時から何年も経ったかのように声にはりがなく、ああ多分ばあちゃんにももう会えないんだろうなと漠然と思った。
本当はこの連休に帰省しようと葬式の時辺りから計画してたけど緊急事態宣言出されてやっぱり無理になったし、スマホで撮って残してるじいちゃんとの何気ない会話の動画を見ては時々泣いている。
正直あまり明確には覚えてない。
いまあれこれ言っても後知恵になってしまうだろうから、政府などの擁護できる部分はなるべくそうすることでバランスを取りたいと思う。
クルーズ船であるダイヤモンド・プリンセス号で感染の蔓延が確認された。政府は隔離措置を取り、乗員を下船させないまま医療関係者や専門家を送り込んで防疫や治療などに当たることになった。
この1ヶ月ほど前に中国で新種の病気が広がっているという話はあったものの、やはり日本としては急に降ってきた事案だろう。対応がおぼつかないのは仕方ないと思う。
それでも専門家から見れば不手際は目立つし、実際に万全だったとは言い難いだろう。船内隔離にしても「入口が違うだけ」などのお粗末さはあった。
感染症のリスク評価も甘いまま乗客をおろし、客はその足で公共交通機関を使って寿司屋に行ったことが報道されるとブーイングが起きたりもした。当時はまだそこまで危機感がなく、下手に私権を制限するよりはそうするのが無難だったという判断もわからなくはない。
あれよあれよと感染が広がって緊急事態宣言を出す出さないで少し揉めたあと、初めて宣言が出された。
宣言自体に法的な強制力はなく都庁やレインボーブリッジが光るだけなどと言われたが、国民の意識は少し変わったと思う。マスクの着用率は急増してほぼ100%に近くなり、出入り口に消毒液を設置する店舗も増えた。官民問わず手探りで事態を模索していたように思える。
マスクや消毒用アルコールの在庫が払底して気軽に買えなくなってしまった。そこで政府が配った布マスクはアベノマスクなどと揶揄されていたが、政府が一括で購入して国民に配布するというアイデア自体は悪くなかったと思う。実行する能力にやや欠けていたのは政府というより官僚の問題だと言えるかもしれないし、それを見切れずに強行した政府の責任とも言えるかもしれない。
このとき配られたアベノマスクを安倍首相は退任までずっと着用していた。ただのパフォーマンスだというのは簡単だが、それでもやるべきことはきちんとやっているわけで、俺はこの点をけっこう評価している。会食禁止と言いつつ会食してる人々に比べれば圧倒的に真摯な態度だろう。
医療用マスクなども手に入りづらい状況が続いていたが、こちらはどのような措置が行われたのか知らない。ツイッターで見るかぎり何もしてなかったわけではなさそうだし、ブルーインパルスを飛ばす以外にもなんらかの支援はあったようだ。
また給付金として10万円が支給されることが決まり、バタバタはしたものの比較的早く国民の手に届いたのではないかと思う。事業主などへの特別給付金がどうだったかはあまり詳しくないが、大学生が軽い気持ちで詐取できる程度には審査などがゆるく、こちらもスピードやハードルの低さを重視していたと思う。
小学校を急に閉鎖したりなど、とにかくいろんなことを慌ただしく実施していた印象があり、それらへの批判も出ていたが、なんだかんだで国民の側も混乱があったためお互い様だったと思う。
第一次緊急事態宣言が解除されたあとは、なんというか、漠然としていた気がする。感染者数は低い水準に留まり続けていた。
街を歩く人のほとんどはマスクをつけていたし(高リスク群の高齢者に限ってはなぜか着用率が低い印象があるが)、消毒液の設置率や利用率も高かったと思う。
飲食店でも対応が進み、換気装置を入れたり衝立を置いたりし始めていた。
3密やソーシャルディスタンスなどのキーワードも意識されていたと思うが、東京以外でもそうだったのかは知らない。
この機会にテレワークを導入する企業も散見されたと思う。ハンコ大臣が辞めたのもこの時期だったか。
なんとなく、少しずつ、感染予防の意識が高まり、対応も進み、敢えて反発するような人も少なく、小康状態が続いていた、というのが一市民としての感想だ。
政府がどういう動きをしていたかいまいち思い出せない。首相が交代したのは2020年8月ごろだった。
新首相の息子と官僚が利益供与を疑われるような状況下で会食をするなどがあったが、首相自身はもっぱら携帯電話料金の引き下げに意欲を示していた。
上記のようななんとなくの生活が続いていたが、感染者数が増えてきたということで、第二次緊急事態宣言が発出される。
今回は給付金もなく、マスク枯渇などの危機もなく、第一次に比べると日常の延長線上にあるかのようなものだったと思う。
第二次緊急事態宣言はいまいち影が薄いが、制限は強くなっている。象徴的なのは20時以降の飲食店の営業自粛要請だ。ここで夕食難民が発生することになった。
以前から、深夜営業しているレストランやコンビニは利用者こそ少ないものの需要はあると言われてきた。20時というのは少し残業すれば到達してしまう宵の口でもあるため、夕食を食べられないサラリーマンなどが急増した。
帰宅に片道1時間かかるような人なら、空腹のまま帰宅してから何か食べるより、コンビニで何かを買って駅や公園などで食べることを選んでもおかしくないだろう。あるいは営業している貴重な飲食店に集まることになる。
20時以降の営業自粛要請で防ぎたかったのはいわゆる飲み会なんだろうが、あまりにも副作用が大きかったと思う。そういう苦労に巻き込まれた人が、もっとも防ぎたかったであろう深夜の飲み会での感染発生を、よりによって厚労省の役人が起こしたというニュースをどのように見たか、政府は想像できるのだろうか。
「気の緩み」というのであれば、まさしく厚労省こそが真っ先に非難されるべきだろう。そこをうやむやにしたまま国民に高圧的に指図するような態度もまた反感を買うものでしかない。
国政はもっぱらオリンピックでごたごたしていたような気がする。地方自治体は都庁に引きこもって沈黙するかテレビで毎日しゃべるなどの激務をこなしていたようだが、対策をきちんと進めていた自治体もあった。つまり、これといって統一的な基準や目標などは共有されておらず、各自がバラバラに動いていた。
第三次緊急事態宣言が直前に予告され、いま現在はその状況下にある。
制限はさらに強くなり、東京都では酒類の提供禁止や夜間のネオン消灯など、強制力こそないものの制限事項は確実に増えている。
一方で国民の側も路上や公園などで酒盛りを始める人が出てきた。大阪府では病床がパンクした。
IOCの会長かなにかが来日するのに合わせて緊急事態宣言は解除される。
新首相になってから途端にしょぼくなったように見えるんだけど、新任による不慣れから来るものでもなさそうで、なんなんでしょうねこれ。
許されイケメン、またはコミュ強も最初から許されてばかりじゃない場合の方が多いからなあ。極端な例だけど、ナンパ師だってほぼフラレてその中から幾ばくかの成功を得てるわけで。今許されてる人は学生時代から何度もそういう思いして、だんだん許され力をつけてきたわけで。
いやいや学生時代から一軍いたじゃん!って思うかもしれないけど、彼らも内部ヒエラルキーに疲れつつ頑張ってもふとしたことからアイツイタくね?とか調子のってね?とか言われる綱渡りを続けてきたわけで。少なくともモテ女モテ男と言われる人たちは入学前からワックスやアイロンの使い方だの話題の振り方だの必死でやって、友達づくりも漠然とじゃなく脳みそフル回転でやってたと思うよ。そりゃ天然美男美女や愛されキャラはいるけど、それは一握りで大抵は早起きしてメイクやセットしてるし夜遅くまでラインのチェックしてる。
ちなみに自分は非モテ側で、兄弟が所謂一軍で頑張ってたのを見てた立場。子供心にあんなの自分じゃ無理だと思ってたし、今でもあれでモテない方が理不尽だとさえ、勝ち組社会人になった兄弟を見て思う。羨ましくなかったわけじゃないけど、とても兄弟にお前はいいよなちやほやされてなんて言えない。でもそれは自分が「努力が必要で努力の仕方もお手本がいたのに努力を放棄した」人間だからなのかも。最初から努力必要って教えて貰えなかったら、おかげで人生台無しだって思ってしまうのかも。
入籍を控えている。
自分の実家からは、数年前から早く結婚をだとか孫の顔が見たいだとか散々言われて、うんざりしていたところ。
元々両親との折り合いが悪く、思春期真っ只中の頃に不登校だったり精神疾患だったり発達障害持ちなのが分かったり、この10年間ホント無駄に病気して勿体なかったな~とまで思うようになった。
幼少期から親にブスとかデブとか言われ、自分の性別もクソだな~20代半ばまでに死にてえと思っていたのに、プラスアルファ年生きるどころか普通に会社員をして、結婚まで視野に入っているのだから人生とは全く分からない。
そんなデブスメモリーを掘り起こされるような、親とのやり取りが先日あった。
親としてはイジリのつもりだったんだろうけど、こちらとしては全然嬉しくないと、文面でキレた。
"友達"のように、一緒にキャッキャやって遊ぶことは出来る。多分。
結婚相手も機能不全家族で生きていたというのもあり、仮に子供が出来たとして、子育てに漠然とした不安を抱いている。
以前自分の実家に挨拶に行った時に「孫は」と言われたが、経済的な面からも二人揃って「今は無理」と答えた。
というか自分が発達障害持ちなのに子供を持っていいのかとか、生まれてきた子供を不幸にしてしまわないかとか、考えることが増えた。まだ結婚すらしていないのに。
完璧な子育ても、正解もないし、当たり前だが経験すらないし、そこまで考えなくてもと思われそうだが。
離婚、旦那の悪口、不倫ネタ、果てには某革命家Youtuberのニュース記事をしょっぱい世の中だなぁと思いつつ見、そんなことをぼんやりと考えている。
まあ、経済的な面での諦めより自分の中の問題が大きすぎて、結果として子供を作らない可能性も大いにあるのだが。
そこら辺は二人でよく話し合おうと思う。
数年前、一時期婚活をしていた。
マッチングアプリは今ほど隆盛していなかったし、オンラインの出会いはデジタルネイティヴ世代な割に黎明期寄りの自分のマインドとも合わないので活動は現場、婚活パーティーへの参加が主だった。
当時は結構な頻度で通っていたし、かなり成果もあった。しかし、親の病気や自身の結婚観の変化が重なり次第にパーティーから足が遠のき現在に至る。
先日、以前婚活で利用していた婚活サイトからお見合いパーティーの無料招待の知らせが届いた。男女比のバランスが悪い回や参加者のキャンセルが生じた時にこういう知らせが届く。
普段は気にも留めないが、その日に限ってふと「行ってみようかな」という考えが起こった。
(これは余談だけど、恐らくコロナ禍の自粛生活で人との交流に飢えていた。婚活というより見知らぬ人間と会話したかったのだと思う)
数年振りに参加した婚活パーティーはコロナの影響で規模はかなり縮小していた。会話の際は以前のような向かい合わせの形ではなく、横並びで座ったまま会話するスタイルに変わっていた。
挨拶の際に一瞬顔見せするものの、会話中は当然マスク姿なので声が聞き取りづらく不便に感じた。
それでもパーティー自体に個人的にはブランクは感じなかったし、見知らぬ他人との会話はやはり楽しかった。
(これも余談だけど、当時は全く気にしていなかったが会場で記入するプロフィールカードに女性のみ「得意料理」の項目があるのことが気になった※ちな男性は年収。
また、そこに違和感を持つ参加者がいないようにも見受けられた。婚活市場の男女観は前時代的なんだなと感じたし、人口減少・価値観の多様化する現代においてこの価値観でこの企業は大丈夫かと心配になった、大きなお世話だけど)
話が逸れた、ここからが本題なんだけど
手前味噌だが、以前は同様のパーティーに参加すればめちゃくちゃモテていたので今日も余裕とタカを括っていたらこのザマ、笑うしかない。
しかし、自分の魅力は婚活で無双していた当時より確実に上がっていると自負している。そこそこ稀有な人生経験を経て人間的にも成長した、習慣的に鍛えている今の体型が人生ベストに整っている、今の自分の容姿が一番綺麗と自負している。この日参加者との会話だって盛り上がった。
じゃあ以前の私と何が違うのか、帰りの電車で1人考えた。服装?髪型?少し喋り過ぎた?けれど考えを巡らせれば巡らせるほど当然の結果に行き着く。
『自分の年齢が以前より増えた』
それに尽きるのだ。なるほど20代と30代ではこれほど異性からの需要に差があるのかと思った。
以前は30人以上集まる会場で上位人気という経験もザラにあった、その時自分は(あくまで婚活市場という枠内だけど)人間的な魅力があるから選ばれていると思っていた、私の努力の賜物だと思っていた。しかしそうではなかった、『年齢』だったのだ。
自分がブスと自覚した日から人一倍努力した、おかげで人と比較すればそこそこ美人になった。
礼儀や所作も人より整っていると思う、今でも習慣的に本も読んでいる。確実に私は去年よりずっと魅力的になっている。ただ年齢という数字で私は以前よりずっと異性から選ばれない。
そもそも生まれ持った容姿だって年齢だって自身ではどうすることもできない、整形だって限界がある。言わば不可抗力だ。
そんなもので自分を値踏みされて自尊心を削られ続ける女としての生き方に何の価値があるのかと思った。つくづく結婚に向いていない思考の女だと思う。
とはいえ、優秀な子孫を残そうとする生物の本能という観点から捉えても男性が若く美しい女性を望むことは至極合理的で当然な選択だと思う、そこを責める気は一切ない(私は子を持つ気はないけど)
人間の価値は不可抗力以外の場所にある。それは刹那的に生きてルッキズムに囚われていた10代と20代前半の自分があったからこそ胸を張って言える。
ただ恋愛市場・婚活市場における『価値』は圧倒的に『不可抗力』な側面が大きい。それを今回理解した。この知見を肌感覚で得られたことは大きい。
これは決してネガティブな話ではなく
恋愛/婚活市場での価値を失いつつ(もう失っているのかも)ある人間がそこを自覚してふっきれた時、人生はもう一段階面白くなるのではないかと感じた。努力ではどうにもならない事象に囚われることは無意味だ、投資する必要はない。
この市場で私はもう定年に近いが、人間年齢では私はまだまだ若いのだ。何にだって投資できる、オラわくわくすっぞ状態なのだ。
男性の30代の市場価値はまだ高いので彼らがこの境地に至るのは肉体がもう少し衰えてからなのだろうと思うと、30代で前半でここに至った私(女)はラッキーなのかもしれない。
最後に経験者からのアドバイスだけど本気で結婚したい人は市場価値の高い間に婚活を頑張った方が良いよ、突然暴落するからね。
私はもう婚活市場には積極的に戻らないと思う、ただDINKS希望のパーティーがあれば一度参加したいかも。
おわり
■追記
伸びてて笑った、少しだけ返信
有益な情報もあって大変有り難く読ませてもらった。ただ、そもそも今回婚活パーティーに参加したのは冒頭で書いた通り無料招待だった上に「見知らぬ他人との交流に飢えていた」からなんですね。
散々な結果やその後の思考・気づきはその副産物、子供は望まないので特に結婚に焦ってもないんだなこれが。
20代の頃は漠然とそろそろ結婚しなきゃと思い活動していたけれど、今は結婚という形にこだわる必要すらないと考えている。
30代独身女として”わきまえろ”と言うならそんな市場もこコミュニティも願い下げですね。
(ただ、一回の復帰戦で損切りを決断するのは早い/戦う市場を間違えているというコメントは「たしかに」と思った)
②『お見合いパーティーの場で子供がいらないと言ってしまうことが原因、子供が欲しくて参加している人が多い』
百も承知、お見合いパーティー時に子なし希望は言わないよ。数分の会話で初対面の人間に語れるほど軽い覚悟じゃないもの。
ただプロフィールカードに子供に関する欄がある場合は正直に書いていたし、最低限のマナーとしてマッチングした相手には一回目のデートまでには告げることをマイルールにしていたよ。
③ 頑張った分だけ人の魅力は増えるのか
少なくとも自己評価は上がる。本来自己肯定感に理由なんて不要だけど、例えば筋トレなら引き締まっていく身体という目に見える裏付けが上乗せさると自己肯定感は爆上がりするよ。(筋トレは良いぞ)
仮に失敗したって”努力した”過去は消えない、その人間の過去は誰にも奪えないと「夜と霧」のヴィクトール・フランクルも述べていた。
つまり頑張り続ける限り人間の魅力は確実に上がるし、誰が何と言おうと私は昨日の私より魅力的なのです。
それもそうだね、元婚活無双女の婚活パーティーアドバイスとか書いたら需要あるかな?
市場において年齢という最強のアドバンテージを持つ20代女子なら戦略次第で無双は余裕よ、婚活パーティーは戦場だ。それに不特定多数の人間と会話する経験はなかなか勉強になるし、刺激的で楽しいよ、頑張ってね。
返信おわり
では、またどこかで
「音を立てるほど勢いよく啜るのは、麺に汁が絡んだ状態で口に運ぶためだ。物事には理由がある。その理由を無視して、従来のやり方を抑え込む方が愚かだ」
「えー、でもそれを気にする人がいるってのは分かるでしょ」
「個人の気にする気にしないレベルで是非を求めたら社会は回らん。何が正しいか間違ってるかも分からず何もできなくなる」
こういった法律に縛られない、慣習的な何かを俺たちは漠然と“かくあるべき”と思っている。
だからこそ、その“かくあるべき”を常識だとか文化だとか、作法という言葉で簡潔にまとめられるんだ。
「理屈が伴っているかどうかが重要なんだよ。米を炊く時だって、研ぐ段階から軟水を使うだろ」
「え? 米を洗う時にも市販水って勿体なくないすか」
「米は洗ったり研いだりする際にも水を吸うだろ。本当に勿体ないと思っているなら、最初から最後まで水道水を使えばいい」
「あー、なるほど」
「お前アレだろ? 座って用を足せと周りに言うくせに、流す時に蓋しないタイプだろ」
「逆だ、逆」
しかし、こういったルールの“延長線”を誰がどのように引いているのか、そして妥当なのか。
実際には誰も把握していなくて、共有できているかも怪しかった。
なので話を掘り下げようとするほど墓穴にハマりやすく、誰も出られなくなってしまうわけだ。
それでも概ね見解は一致していたから、さして険悪にはならなかった。
「そりゃあ似非マナーとか、古臭いルールは無くなってもいいさ。でも、全てがそうじゃないだろう。箸の持ち方だって変わらない」
だけど話題が箸の持ち方になった時、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
切り出したのは俺だったが、これは七面倒なことになると言ってから気づいた。
この時、ラーメンを食べている彼らの手元は三者三様だったんだ。
「えー、箸の持ち方くらい自由でいいじゃん」
「そりゃあ、まあ、ちゃんと持てた方が行儀は良いかも知れないけどさ」
「箸の持ち方ひとつで窮屈になる社会が良いとは、とても我は思えん」
「オイラ、この持ち方でも支障ないし」
「お前の持ち方は、さすがにクセがありすぎる」
「えー! “箸の持ち方くらい自由でいい”って、さっき言ったじゃん」
俺みたいにちゃんと持つべき派、多少なら構わない派、どんな持ち方でもOK派……
それを直すべきか、指摘するべきか等など。
皆その持ち方で、食事を数え切れないほど行ってきたんだ。
つまり、この議論は人生の一部をかけているに等しいといえ、それ故にみんな必死だった。
「昨日の朝の引き継ぎ、何かやばいことを言ったような気がする」という漠然とした記憶が芽生えたのは、昨日。
夜勤明けでその日と翌日は休みだったが、死んだように眠っていた。そこも記憶がない。
予感は的中した。
昨日の夜勤入りの夕方、同僚に「大丈夫?この仕事きつい?」と心配された。
とんでもない。仕事は楽しいし、人間関係も全く悪くない。こんなホワイトに自分がいていいのかというくらいの高待遇。
どのように変だったか聞いてみると、妙にハイテンションで、声がデカかったとのこと。
そして、睡眠導入剤を飲んでいることをベラベラと周囲に聞こえる声で誇らしく喋っていたようだ。
もう、最悪である。
私は普段は温厚で、小動物系。ハイテンションとは真逆の生き物である。
そんな生き物が突然、
自戒を込めて記す。
【夜勤入り前】
そんな風に考えたい気持ちも分かるけど、教育学的に考えれば、そのモデルが正しい保証はない。
たとえば偏差値による階層化が進んだ地域の高校を例にとれば、ある中学校から上位1/3がA校、中位1/3B校、かい1/3がC校ときれいに分かれて進学するとする(塾などの指導で実質これに近いことは起きる)。では、A校は優等生だらけ、B校は普通の子だらけ、C校は不良だらけになるか? …と言えば、そうはならないんだな。面白いことに、どの学校でも、それなりの割合の優等生、それなりの割合の普通の子、それなりの割合の手のかかる子……と分布する。B校にもC校にも、「その学校なりの優等生」は必ずいるし、A校にも必ず「手のかかる子」はいる。
つまり、学校におけるいい子悪い子というのは、かなりな程度、社会的に生み出されるポジションに左右されるということなのだ。考えてみれば分かるが、全員を混ぜていたら、B校で優等生になるはずだった子、C校で優等生となるはずだった子には、ずーーーっと光が当たる機会はなかっただろう。逆に、A校で手がかかるようになった子も、C校に行っていれば「開校以来の天才」として持ち上げられたかもしれない。
「じゃあA校に行かせる理由なんてねーじゃん」となるかというと、これはそうではなくて、多くの親は漠然と、もう一つの影響である「競争効果」に期待しているのだ。つまり、一般的に言って「競争」は、競い合いにふさわしい相手によってその効果が高まる。「とても敵わねええええ」という相手に競争心を発揮できるのはメンタルお化けくらいであって、普通の人は競争そんな風に考えたい気持ちも分かるけど、教育学的に考えれば、そのモデルが正しい保証はない。
たとえば偏差値による階層化が進んだ地域の高校を例にとれば、ある中学校から上位1/3がA校、中位1/3B校、かい1/3がC校ときれいに分かれて進学するとする(塾などの指導で実質これに近いことは起きる)。では、A校は優等生だらけ、B校は普通の子だらけ、C校は不良だらけになるか? …と言えば、そうはならないんだな。面白いことに、どの学校でも、それなりの割合の優等生、それなりの割合の普通の子、それなりの割合の手のかかる子……と分布する。B校にもC校にも、「その学校なりの優等生」は必ずいるし、A校にも必ず「手のかかる子」はいる。つまり、学校におけるいい子悪い子というのは、かなりな程度、社会的に生み出されるポジションに左右されるということなのだ。考えてみれば分かるが、全員を混ぜていたら、B校で優等生になるはずだった子、C校で優等生となるはずだった子には、ずーーーっと光が当たる機会はなかっただろう。逆に、A校で手がかかるようになった子も、C校に行っていれば「開校以来の天才」として持ち上げられたかもしれない。(※)
まして、今回の場合選別が行われているのは小学校入学時点である。正直なところ、その国立以外の2中学校で問題が起きるのは、やはりそれらの中学校が作り出してきた指導体制、学風といったものが大きく影響していると思う。あるいは「どうせ俺らは公立…」的な意識を作り出してきた地域全体の問題ではないか。
(※)
「じゃあA校に行かせる理由なんてねーじゃん」となるかというと、これはそうではなくて、多くの親は漠然と、もう一つの影響である「競争効果」に期待しているのだ。つまり、一般的に言って「競争」は、競い合いにふさわしい相手によってその効果が高まる。「とても敵わねええええ」という相手に競争心を発揮できるのはメンタルお化けくらいであって、普通の人は競争心を失うし、雑魚ばかり相手にしてもそれは同じだ。一般的に言えば、やはりA校の力をもった子はA校に行くのが一番「伸びる」。
最近聞いたラジオで、トランスジェンダーの人がゲストとして話していた。とても話の上手な方だった。
その方が「子供の頃からスカートを履くのが嫌で嫌で」と話しているのを聞いて、私は自分が幼い頃のことを思い出していた。
私も、スカートを履くのがとても嫌だった。小学校の頃はずっとズボンだったし、中高のときもずっと下に短パンをはいていた。
女性らしい、といったことになんとも言えない嫌悪感を感じていたし、胸が大きくなることや、自分の女性らしさを感じるたびに、心がもやもやした。
化粧もおしゃれも全く興味がなかったが、周りのマネをして女性誌?を読んでいたが、あまり楽しいとは思えなかった。
小学校の頃からずっと中の良かった女の子のことが大好きだった。それが友情なのか、それともそれを超えたなにかだったのかは今でもわからない。
だからといって、異性に興味がなかったわけでもなく、片思いも何度もした。付き合うことも年頃なりに興味津々だったけど、悲しいかなモテなかったので彼氏などできたことはなかった。
ずっと男として生まれたかった。今でも時々そう思う。なんだか自分が型から外れた存在な気がして、辛い、までは行かないけれど、漠然とした不安がいつもまとわりついていた。
随分歳をとって、私にも彼氏と呼べる人ができた。そしてその人が今の夫だ。不満がないわけではないが、夫と結婚できて私は幸せだと思っている。
母親に彼氏ができたことを告げたとき「実は、異性に興味がないんじゃないかと心配していた」と告白された。一緒にバレンタインチョコを作ったりしていたのだが、どうもそう思われていたらしい。
子供の頃は、世の中はすべて白か黒かにきちんと別れているものだと思っていた。でもそんなものは幻想で、殆どのものが大なり小なりグレーゾーンにいるのだと思う。
私はトランスジェンダーなのか?と聞かれれば、そうではないのだろう。だけど、100%女性なのか?(そんなものはないのだけれど)と聞かれれば、違うのだろう。
たとえば、女性が白で男性が黒だとすれば(色の選択に他意はない)、私は白に近いグレーだと思っている。
一度、知り合いのバイセクシュアルの子に、子供の頃のあのモヤモヤした感じを話したことがある。その時の返答は「そんなの、大したことじゃないよ」だった。
私達の苦労を、あなたの小さな違和感と一緒にしないでくれ。私達はあなたとは違うのだ、といったことを言われたのだけ覚えている。
往々にして、マイノリティーで迫害を受けている人たちは、同胞にはとても同情的だが、敵と自分たちとの間に落ちてしまったグレーゾーンの人に対してはとても厳しいのだ、という気がしている。
黒人の人だって、アフリカ系の人と、白人とのハーフとの人では扱いを変える人がいる。お前は黒人じゃない、と言う人だっている。
そりゃ、苦労の程度は違うのだろう。同情しろだなんて思わないし、してほしくはない。ただ、濃度はどうであれ、同じ悩みや苦しみを経験した人に対して、お前なんかより私のほうが苦労した
28歳男
日系メーカー勤務
年収550万
車持ち
奨学金なし
週の半分程度が在宅勤務
身長182cm
小中と運動神経が悪いくせに無駄に成績だけはよく尊大な態度で生意気だったためいじめに遭っていた
中学で身長が伸びて見た目が垢抜けると同時にいじめはなくなった
中高は運動部
大学ではぼっちではなく文化系のサークルにも加入していたが今でも連絡をとる友達はいない(結婚式や年末年始に会う人がいる程度)
現在、一年近く付き合っている彼女がいるが職業や性格などを重視して見た目を妥協してしまった
セフレがいる
初対面の人とは上手く話せるが、だんだんと人と接するのが怖くなる傾向にある
あがり症でプレゼンなどで人前で話すのが非常に苦手だが、原稿を準備してそれ通りに話すのは問題なくできる
そんなに不幸じゃないはずなのに不幸を感じている
大学の学部の研究室が毎年一人は中退するような場所で私も一時期研究室に来れなくなった
どうにか卒業し、修士では研究室を変えたものの、精神が脆くなったようで少し嫌な事があると今でもたまに鬱病のような気分になる
たぶん今の死にたそうな気分も明日にはどうにかなっているはずだが、こんなものを書いて私は一体何がしたいのだろうか
わからない
30だがめっちゃわかるわ
別に家族仲がよかったとかいうわけでもないんだが天涯孤独だと生きるモチベダダ下がりするなと思う
歯止めがきかないというか
20台半ばくらいまではそれでもなんかそのうち生きるモチベ上がるんじゃないかと漠然と思ったが
たぶんそんなことはないなと気付き始めている
保育園に通っていた私は保母さんにいろんなことを教えてもらって、優しくてお母さんと違って怒らない保母さんのことが好きだった。
成長して、円周率を学んだ。
私は保母さんになったら「私、円周率なの」というジョークを言うのだと漠然と思っていた。
時は経ち、将来のことを真面目に考えるようになった。保母さんになるための道を探した。
けれどその時にはもう、保母さんにはなれなかった。保育士というものに変わっていた。
円周率も3になっていた。
ダンジョキョードーサンカクカシャカイとやらはきっと社会を良くしている。保育士になりたかった男性が、呼称を気にしなくてよくなった。
子供の世話をするといえば母である、という固定概念も取り払われつつある。
教育要綱は二転三転していてよくわからない。今の円周率はいくつなんだろう。今の人達は円周率をほぼ3と認識しているのだろうか。
とにかく、時代は変わった。
私は円周率になれなかった。
主に「世界に認められていない」と感じているそこのウジウジしたあなたへ
https://anond.hatelabo.jp/20210410021602
私は30代 地方に住む会社員である。年収600~700万 妻は専業主婦、子供2人。
上記の記事の男性は私よりも社会的に成功し、資産もある状況と思える。この人は一般的に現在の日本では「勝ち組」にあたるといえる。
そして私は記事に概ね肯定の立場だ。だからどうだということはないが、言いたいことがある。
①ブスな妻と結婚した理由は「子供を産んでくれるから」しかない
はっきり言って、私の妻はブスである。「自分の妻だから謙遜している」と思うかもしれないが本当である。
写真を公開して見てもらいたいところであるが、それはプライバシーの問題でやめておく。とにかく、これを読んでいる男性の7割くらいは無料でセックスできる状況でも手を出さないであろうと予測する。
そんなブスな女性と結婚した理由としてはたった一つ、「自分の子供を産んでくれるから」 究極的にはこれしかない。 もちろん付随する条件もある。
・実家の家柄が良い(ある程度の資産がある、義両親が亡くなった場合は何割かは相続されることが決まっている)
こんなところか。私の家系は身体的、精神的に丈夫でない人間が多く(私の両親はすでに他界)、私自身もいつ働けなくなるかもわからない。それでなくとも突然事故などにあう可能性も十分あり、万が一のときは妻の実家に頼らざるを得ないと思う。
その上で、「あなたの子供を産みたい」と言ってくれたので大変感謝している。容姿など二の次なのだ。
②私も一歩間違えば「弱者男性」になるところだった
詳しい説明は省くが、私の人生は一歩間違えば30代なかばにして「実家こどおじ」、「独身」、「童貞」と絵に書いたような弱者男性になるところだった。
私は妻以外とセックス経験がない。モテなかったのだ。好きな女性には振られてばかりの人生であった。現在も勝ち組とは思わないが、妻に出会い、子供を産んでいただき、(あえて「いただいた」と書く)
これは私も驚いたのだが、子供ができてからいろいろな人生のもやもやしたものが激減した。もちろん子育ては大変である。妻には感謝してもしきれない。
でも人生において「いつ死んでもいいな・・・」と思えてきた(子供の成長が見たいので死にたくはないが)。これは生物としては役目を終えたからなのか?わからないが
とにかく弱者男性は「子供を産んでもらえる女性」を探すことを目標にするべきだと言うこと。ブスだろうが知ったこっちゃない。そんな贅沢はできるわけない。
子育て資金なんてどうにでもなる(私も貯金なんてほぼ無い状況で1人目が産まれた)
これが最高の「弱者男性のこじらせ解消法」なのである。これを目標に人生を旗振りしていくことが重要だ。
弱者男性よ
子供を産んでもらえ
【余談】
これを書いていて、女性は男性より一発逆転できる可能性がやはり高いのだなと感じた(もちろん若くて健康的なという条件だが)
どんなエリート男性にも一人ではできない「次世代を育てる」ということができるのだから。
https://anond.hatelabo.jp/20210404174659
こちらの記事の投稿者です。ブコメやTwitterで多々コメントいただき、感謝です。
今回はサービスを公開してある程度使ってもらい、得られた知見についてまとめます。サービス宣伝の意図はありません。
ありがたいことに前回の記事はそこそこバズり、はてブの総合カテゴリーでしばらく上位に居座ることができた。
ただ、私が規則をしっかりと理解していなかったのだが、はてブではアダルトコンテンツに分類された記事はトップページに表示されなくなるらしい。
観測していた限りでは、投稿翌日の朝にはトップページから消え、Google Analyticsでもそのタイミングからアクセス数が顕著に激減していた。
該当日のアクセス推移を確認すると、午前6時頃からアクセスが伸び始め、9時をピークに急激な下降がはじまった。そのため総合トップに表示されていたのはこの3時間程度と思われる。そして該当日のユニークユーザーアクセスは6200だった。
はてブをROMで使っている私の感覚としては、アクセス数意外と少ないな、と感じた。はてブのトップはインターネットユーザーの多くがみているものと思っていたが、わりと一部に過ぎないのかもしれない。ただ、仮に記事を読んだとしても、パケ裏を延々と眺める不審なサイトを朝から開く奇特な人間は限られるという説も考えられる。
その日のFANZAアフィリエイト収入は3072円だった。日次のトレンドをみると、その日をピークにアクセス数は10分の1ほどまで減少しているが、アフィリエイト収入は 2000円/日 ほどを維持できている。その要因として、アクセス数の減少と引き換えに、ユーザーの滞在時間が5倍ほどまで伸びていることが考えられる。「話題になっているからとりあえず見てみよう」というユーザーが離れ、パケ裏を愛好する精鋭たちが残ったものと解釈している。
FANZAアフィリエイトはアフィリエイトリンク経由で商品を購入した場合に、販売金額の何割かが報酬として支払われるシステムだ。アフィリエイト収入を主目的とはしていないことを断りつつ、FANZAにおけるアフィリエイト収入額をKPIとしておくのであれば、やはり商品購入まで至る固定客を大切にするサービス作りやPRが有効なのだろう。
いっぽうアフィリエイトにはクリック報酬のバナー型やオーバーレイ型広告を掲示するパターンもあり、その場合はとにかく広く集客する戦略が有効になると思われる。しかしパケ裏.com はシンプルでスタイリッシュなエロサイトを目指しているので、そういった類の広告の採用予定はない。パケ裏.com はシンプルでスタイリッシュなエロサイトを目指しているのだ。
これらはすべてコメントで要望があった機能だ。私もあったらいいなと漠然と考えていたモノもあったが、コメントによってその需要を明確に認識できた。
追加したい機能が様々ある中で、それらに優先順位をつけることは難しい。「〇〇ができたらもっと良いサービスになるのに」というコメントは、その判断のうえで貴重な羅針盤となった。
それだけでなく、サービスの着眼点やコンセプトについて褒めていただけたコメントもいくつかあり、モチベーションアップに大いにつながった。自分のフェティシズムを満たすことからはじめた開発だが、同好の士と出会えるとやはり嬉しいものだ。
記事公開の翌日、思った以上の反響があったのでTwitterを始めたが、これもよかった(https://twitter.com/pakeura)
匿名ダイアリーと比較してTwitterではインタラクティブなコミュニケーションが取りやすいし、開発の状況を告知してリアクションが得られるととても嬉しい。
また自分の環境では発生しない不具合の再現に何度も協力いただいたり、開発に対する技術的・金銭的サポートの申し出までいただいた(大変ありがたかったが、お断りした)
これらのフィードバックがなかったら、いまほどのバイタリティでの開発はできていなかったに違いない。改めて感謝申し上げたい。
ところで余談だが、「パッケージのローカルへのストックに対応」という機能について補足したい。この機能実装以前はパッケージからFANZAの該当商品ページに飛ぶ導線しかなかったのだが、それに加え、気に入ったパッケージの作品情報をローカルに保存して引き続き パケ裏.com での閲覧を継続できるというものである。
パケ裏.com は種々のパッケージの一覧性が高いという一点を除くと、FANZAの下位互換のサービスだと考えている。安易にFANZAに誘導してしまったが最後、ユーザーはより魅力的な作品をレコメンドされ、そこから回遊を始める割合が高くなるだろう(その場合でも購入に至ればカテゴリ報酬という収入は得られる)
しかし「ローカルにいったんストック・次のパケ裏をみる」導線によって流出が減り、嗜好によりマッチする商品と巡り会える可能性が高まった。直接購入の場合はダイレクト報酬という、高割合の収入になる。そのため利便性だけではなく、アフィリエイト収入への寄与という意味でも効果的な機能追加だったようだ。
さて先程あげたいくつかの機能を実装したことで、当初私が欲していた要件はひととおり満たせたかなと考えている。
ただ1点、許容し難い不満点として、iPhone 7のブラウザで閲覧したときに、上部のアドレスバーや下部のメニューバーが非表示にならない問題がある。これはCSSの snap-scroll という機能に起因する問題(だと思っている)なのだが、表示領域が限定されてしまうことが悔しくてならない。パケ裏は全体を眺めてこそのパケ裏であるし、無職には軽々にスマホを買い替える金銭的な余裕はない。
(ちなみに snap-scroll というのはスクロールを特定箇所でぴたっと止めるための設定で、パケ裏では各パッケージごとにぴたっぴたっと止めている。この挙動は大変気に入っており、削除することはできない)
どうしたらよいものか?
件の姪っ子に(重厚なオブラートに包んだうえで)相談したところ、PWAという、まるでスマホアプリのようにWebページを表示させられる仕組みがあるらしい。するとブラウザのメニュー部分は表示されず、画面全体にWebページが表示されることになる、らしい。我が意を得たりとはこのことだ。
さらにPWAにするとスマホアプリさながらホーム画面にアイコンも配置できるらしく、定期的なアクセス確保にもつながり、これは前掲の「固定客を大切にする」方針とも合致する。そういうわけで当面はPWAの実現のため、React Nativeというフレームワーク(?)と格闘することになりそうだ。
ちなみに姪っ子の主戦場はクラウドサーバーのメンテナンスらしく、PWAの土地勘はないらしい。長く苦しい戦いになることが予見される。さらにちなむと姪っ子にはサービスについてまだ説明していない。が、はてブはみているはずなので気づいている可能性はある。これ以上は考えたくない。
閑話休題。とりあえずReact Nativeについて例のごとく入門書とUdemyの入門講座をポチったところだ。パケ裏先生の次回作にご期待いただきたい。
開発をはじめてから何より嬉しいことは、日を追うごとに パケ裏.com がより使い勝手の良いサービスになっていくことだ。自分が開発しているサービスなので当然かもしれないが、パケ裏.com の一番のヘビーユーザーはおそらく私だろう。
しかし多くのフィードバックを得られたことが嬉しく、記事の公開からしばらくハイになって寝食を忘れてプログラミングに没頭しすぎてしまった。
余裕資金が手元にある限りしばらくはサービス開発を継続するつもりなので、サステナビリティも意識しつつまったりとやっていきたい。引き続き遊んでいただけると幸いです。
追記:いろんな人が読んでコメントくれたみたいで本当にありがとう。ささやかだけどお礼とか、訂正とか書いた。
この日記を書いた時よりはネガティブな気持ちが薄れたと思う。優しい言葉とかアドバイスをくれた人たちに心から感謝します。
https://anond.hatelabo.jp/20210409130812
スペック:
身長180 年齢27 顔は普通よりは悪いと思う デブとハゲではない 専門学校卒
大手の婚活サイト(IBJが運営のちゃんとしてるやつ)を利用して半年くらい経った。
で、半年経って一回も誰とも会えなかったどころか、メッセージのやりとりすらほとんどできなかった。
結果的に「出会ってフラれた」みたいなとこまでいかなかった。失敗すらさせてもらえなかった。
いいねは月に貰える回数分は全部使い切ってたか、ちょっと余らせてしまうくらいだった。
最終的にマッチング3件。メッセージのやりとりは相手から1つ。こっちからは4つ。つまり3人に対する挨拶1回と、それに対する反応に対して返した1回だけ。
マッチングのうち2件は返答すら帰ってこなかった。
「はじめまして! マッチングありがとうございます。よろしくおねがいします」の文章、やっぱ淡白すぎてキモかったんかな。
片方の人には「○○お好きなんですね! 自分も○○の☓☓好きで結構興味あります、よければ何が好きかとか教えてくれませんか」みたいなの書いたけどこれはこれでキモかったのか。
男子校→男子校→エンジニア就職のルートで女性と縁がなくて、社会人慣れてきたし、30も手前だしそろそろ少し視野に入れて活動しようかな、と思ってた。
結婚願望自体はすごくあったわけじゃないけど、いい人と出会えないかな、とか、でも全然女性と喋ったことないし、そういうところ嫌われないかな、とか不安とか期待とか色々あった。
で、そのマッチングした相手も「はじめまして、よろしくおねがいします」みたいな文章送ってそのまま返答なし。
結局期間内に女性から帰ってきたメッセージは「すみません、事情があってこのサイトは活動やめます」だけだった。
「残念です、事情はわかりませんがお体に気をつけて」とだけ返した。色々大変なのかもだし、健康で元気にやってるといいんだけど。
外見は自分ではめちゃくちゃに悪いとまでは思ってない(平均以下だとは思う)んだけど、まあ身ぎれいにはしようと思って、一応ちゃんとしたところで写真取ったりした。
体系的に太ってるわけじゃないんだけど丸顔で骨格太いから写真だと太って見えるよみたいな話を言われたりしてびっくりしたな。あ、そういうのあるんだ? って。
なんかとり方の工夫とか服の工夫で細く見えて見栄えがよくてびっくりしたもん。俺意外とイケてるじゃん……とまでは思えなかったけど、結構見栄えしてびっくりした。
適切な服、やっぱ格好つくんだなって。馬子にも衣装?
写真取る前にはちゃんと美容院行ったりとかさ。まあ、男ばっかの現場でエンジニアやってるようなオタクならだいたいわかると思うけど、髪とかちゃんと整えない人多いじゃん。
俺もそうだったんだけど、学生以来久々にヘアオイルとかワックスとか買ってちゃんと整える習慣もつけた。
やりかたも教えてもらった。親切に教えてくれて嬉しかったな。ありがとう。
髪の毛整えると顔周りの印象かなり違うんだね。ああ清潔感ってこういうことかって思ったよ。まあ元がひどくてもしかしたらこれでもまだ不衛生で汚かったんかもだけどさ。
服とか靴も色々興味出てきて、ちょっとした値段のやつ(って言っても本当におしゃれな人ほどお金かけられてはないけど)買ってみたりとか、色々勉強してみたりもした。
結構そういうのは楽しかったのかもしれない。照れはあったけど。
自分磨きって言うと他にもあって、実際に会ってみてなんも話せないとか話し方わからんとかってなったらやっぱ相手に悪いと思って、
初デートの会話のコツみたいなのとか結構読んだり、あとは趣味増やそうと思ってインドアアウトドア問わず色々触ってみたりとかした。
初デート決まってもないのにコツとか読むのキモいなって我ながら思ったけどね。でも、最終的に俺を選ぶことがないとしても、やっぱお会いするなら不快になってほしくはないじゃん。
なんか世の中に知らんルールとかマナーあったら困るしさ、備えはあったほうがいいのかもなって。こういう言い訳するところがキモかったんかもな。
なんか知らなかったことを知るとなんてことなく見てスルーしてたネットの記事とか新聞の記事とかTwitterとか、そういうのが「あ、これこないだのやつかな」ってわかったりして、
世界の解像度が上がるみたいで楽しかったな。いや、自分磨きを楽しんでいいのかって話はあるけど。これは楽しかっただけで娯楽だったのかも。
自分の好きな世界に閉じこもってる以外にも得られるものがいっぱいあるってわかったのは嬉しかったな。皆知ってる、当たり前のことかもしれないけど。
そういう大事な、きっと尊いんだろうなってとこに触れたのはもしかしたら幸せだったのかも。今はもうわからない。
あとはプロフィール欄とかも何書いていいかわからなかったから、似たようなサイトとか使って真面目に婚活して成功した友人に色々聞いて、確認とかしてもらって、ちゃんとした文章書いてみたりもした。
やっぱどうしても自分のセールスポイントとかわかんなかったりするじゃん。就活でも同じ困り方したけどさ。
でもネガティブすぎたらそりゃ相手には選ばんよなーって思って、一応一生懸命自分の魅力が伝わるようには書いたつもり。
年収はやっぱ見られるってサイトの担当? 問い合わせの人? とかいろんな記事とか友人も言ってたから、初めて自分の年収とかちゃんと見た。
プロフィール欄に入力しなきゃいけなかったしね。あれ本当に困った。あとネットの源泉徴収のスクショじゃ受け付けてくれなくて更に困った。
そもそも源泉徴収って貰ったっけ? って焦った。紙で貰ってねえぞ!? みたいなね。普通にネットで見れたわ。そりゃそうだよな、ネットで給与明細貰ってんだから。
月収すらちゃんと見てなかったもんな。奨学金振り込む時と交通費下ろす時、あとたまにデカい買い物する時しか口座見なかったし。みんなちゃんとお金の計算とか管理とかしててすげえ。
意外と貰ってたどころか世代の平均ちょい超えだった。お金の話ってシビアだと思うから周囲と比べたり話題にもあえて出すなんてなかったからさ、自分の頑張りが数字で見れて嬉しかった。
給料が少ないと頑張ってないって意味ではもちろんないよ。でも、お金それ自体より、就職とか残業とか頑張ってきた結果なのかもなと思って少しくらいは誇らしかった。
他はなんだろうな、職業と年収と外見と自己アピール文と……タバコ吸うとか吸わないとかその辺のプロフィールは見れるんだよね。
タバコ吸わないしお酒はほどほどだし、自分の両親と一緒に暮らしたいとかもないし、どうだろう、結婚相手として特別ネガティブになるような要素はあんまりない……と思いたかったなあ。
家事手伝いのとこは分担してやるって書いたし。逆にやりたくないって書くくらいのがウケたのかな……。胡散臭く見えたんかも。でも俺料理とか掃除とか結構やりたかったしな。
実際に選ばれてないんだからなんかやっぱ受け入れ難いとこはあったんだと思う。
じゃあ申込みとかあんましなかったんじゃね? ってなると思うんだけど、-3歳から+6歳くらいまで結構幅広く見て、毎月貰える申し込みの数はだいたい使い切るか、ちょっと使い切らないくらいとかだったと思う。
誰でも良かった……とは言わないけど、まずはマッチングしないと話にならないなと思ったし。
幸い東京に済んでるから条件に合う人はすごく多かった。やっぱ人口多いなって。
住まいが東京じゃなくても東京で働いてますって書いてる人はたぶん東京近いとこ住んでるんだろうなと思って申し込んだりもした。
よっぽど厳しいなって思った条件の人、例えば申し訳ないけど専業主婦希望の方なんかは俺のこれからの給料で養い続けるのは子供考えたら難しいなって思ったから、
そういう人を除いてだいたい押してたと思う。こういうとこで条件合わないと不幸になるだけだしね。どうしても無理ってとこはやっぱ避けた。悪いなって思ったけど。俺の稼ぎが足りんばっかりに……。
言い方悪いかもなんだけど、いろんな人が魅力的で、本当にみんな素敵に見えたってのもあるよ。びっくりした。やっぱマッチングアプリみたいなのって出会い系サイトみたいな悪い偏見あったからさ。
子供の頃散々ネットで知り合った人とは会っちゃいけませんなんて言われてたのに今はネットで婚活してたんだから不思議だよな。
いっぱい申し込みしてたのはどうだったんだろう。不誠実な態度だったのかな。ひとりひとりもっとちゃんと見て向き合って申し込みボタン押したほうが良かったんかもね。意外とそういうの透けて見えんのかな。
でまあ、色々やって……もしかしたらホントはみんなが当たり前にやってきたことだったり、やるべきだったことかもしれないなって思うこともたくさんあるんだけど、本当に色々やった。
楽しいことだけじゃなくてやっぱ身につまされることもあったんだけど(服がすげえ適当だったなってのは今にして思えばやっぱ恥ずかしい)、概ねいい方に努力できたんじゃないかって思ってた。
そんでマッチング件数は1桁。デートはゼロ。やりとりのメッセージの数は全部合わせて相手からは合計1行。相手からの申込みゼロ。
つっても申し込みゼロは言うほど珍しくはないらしいね。そりゃそうか。
悔しいとか悲しいとか通り越しちゃってさ。期間の課金だったから最初に半年買ったんだけど、それが切れたときになんか自分を支えてたエネルギーみたいなのがどっか行った気がした。
今は退会したのにメールがまだ届くのが鬱陶しくて会員の完全な削除できないか調べないとなって思ってる。ブラックリスト入れるほうが早いかもだけど。
なんか、会ってみて駄目だったとか、喋ったら駄目だったとか、もしくはメッセージのやりとりで駄目だったっつーなら諦めとか、反省とかあるんだよね。
やっぱうざかったかなとか、文章からも伝わると思うんだけどネガティブなのはよくなかったなとかさ。オタクやっぱ早口かなとかさ。
なんかの配慮が足りてなかったのかなとか、もっと頑張らなきゃなって思えたと思うんだよ。
でもそもそもメッセージのやりとりすらしてもらえないくらい選ぶに値しない問題外だったんだなって思ったらなんかこう、ああ、あと一人で生きて死ぬんだなと思ってさ。
そりゃ友達でいてくれる人もありがたいことに何人もいるけど、でもそいつらも結婚とかし出してるわけじゃん。
これで40、50になった時に回り見たときに1人しかいなかったとして、それを想像したらなんかすげえ泣いた。恥ずかしい話なんだけどさ。
今まで死ぬとか生きるとかって創作の中でしか見たことなかったけど、急にリアルに死ぬって実感が湧いてきたんだよね。
おかしいよな、死ぬまであと30~50年くらいはあるだろうにね。
もう結構色々やったし、じゃあもうなんかそれでもどうしようもないくらい駄目なとこがあるんだなと思ったんだよね。
誰に教えてもらえるわけでもないんだけどさ。教えてもらってこれから頑張れるかはもうわかんないけど。無理かもなあ。
そしたらなんか今まで楽しかったり頑張ってきたことが全部どうでもよくなってさ。
まあこういうとこが選んでもらえなかったとこなんかもね。それが伝わるようなコミュニケーションは取ってなかったと思ってるんだけど、プロフの文章から透けるものがあったのかな。
今もう自分の悪いとこ全部「だから選んでもらえなかったんだろうな」って思っちゃうもんな。
同時に「いやでもそれが伝わるほど話もさせてもらえなかったじゃん」って思って、「そういう言い訳するとこだぞ」って思って無限ループだよ。
こういう女々しいとこが悪かったのかも。性根の問題なのかもね。
止めになったのが後追いで初めた友人3人が全員先にマッチングしたことなんだよね。
あー、なるほどねと思った。内心やっぱ「コロナの時期だからみんなあえて婚活はしないかもだしな」って言い訳があったわけよ。
まだ大丈夫かも、とか、コロナが収束すれば……みたいなね。実際にはコロナだからこそ婚活と向き合うみたいな話もたくさんあるの知ってたけど。
結局、単純に俺に選ばれる価値とか魅力がなかったんだって話だった。安心したのかその時心がぽっきり折れたのかはわからなかったな。
友達はみんなマッチングの後やりとりしてて、今うまく行ってるみたいだから、それはすげえ応援してる。
嫉妬とか失敗しちゃえとか思うようになったら自分の汚さで嫌になるなーって思ったんだけど、それは幸いなことになかった。
純粋にお祝いの気持ちとか、うまくいって欲しいって気持ちがちゃんとあったのは本当によかった。それすらなくなってたら意味わかんねえじゃん。
みんな結婚式呼んでくれるかな。こんなやつ呼びたくもないかもだけどさ。
実際に結婚した友人は1人しかいないんだけど、そいつは東京から引っ越してお嫁さんの実家の近くで式上げたんだよね。
呼ばれてたんだけどどうしても移動時間考えると仕事と折り合いつかなかった。悪いことしたな。
とりあえず新しく買った服は全部中古ショップで売った。キレイにしても誰が見てくれるわけでもねえなと思ったらかっこいいなとかイケてるなって思った服も全部ゴミに見えてさ。
せっかく作った人にも悪いなと思って。ゴミだと思って着るやつに着られたくないじゃん、多分。でももうどうしてもかっこよくは見えなかったんだよね。
色々やろうってやり初めたことも全部やめた。今はもうリモートワークだから仕事して寝るだけ。普段やってた料理も面倒でやらなくなってコンビニのおにぎりしか食べてない。
髪もどうでもよくて整えなくなった。よく考えりゃリモートワークのカメラでちょっと映るだけだもんな。相手も見てねーよどうせ。
ワックスとヘアオイルだけ残ってんのどうしようかな。あれ開けちゃうと使用期限あるんだよね。
使い切る気はしないなあ。これは流石に売れないので捨てちゃっても勘弁してほしい。物は大事にしたかったんだけど。もうちょっと小さいの買えばよかったな。あるのか知らないけど。
色々頑張って……いやまあ、結果が出なかったし楽しんでたこともあるから頑張ってなかったんかもだけど、とにかく色々やってたんだけど、それ全部やらなくなった。
時間とかたくさんできて好きなこととか色々できるなとか思わないわけじゃなかったんだけど、これがもう驚くほど何やっても面白くない。
もうずっと頭にちらつくんだよね。選ばれる価値がないのに何やっても一緒じゃね? って。
気にしすぎなんだろうな。そういう気にし過ぎなとこが選ばれない理由だったのかもしれないけど。
死ぬのって痛いし怖いよなって漠然と思ってたところに一人で死ぬリアルさを想像しちゃったからなおさら死ぬのが怖くて、自殺とかするつもりはあんまりない。
ただ生きててももうあと選ばれることがないのは半年かけてわかったから、どうしても生きてる楽しみとか見つからなかったらどうなるかはわからない。
今はただ死ぬのが怖くて生きてる。でもそうしてても結局一人で死ぬんだよな。新聞とかニュースで孤独死の話とか見るたびに心臓がきゅってなる。
なんともならんね。
あんま人様に迷惑かけないようにひっそりやっていこうと思う。せめてそれはやってこうとは思う。
読んでくれる人いたんかな。いたらありがとう。長々とごめんね。抱えてるのも辛くてさ。
そんでもし婚活中だったら、あんま気張らずに頑張ってほしい。一生懸命やって駄目だったら……まあ、なんとかなるよ。俺もなんとかやってくことにするし。なんともならなかったらごめん。
結婚以外にも幸せって当然あるし、駄目だったらそういうの探せばいいんだと思う。俺はまだちょっと考えられないけど、死ぬ決心付けるよりは先にそういう幸せを探せると思う。
もし相手がもういるんだったら、どうかお幸せに。それは掴むの結構大変な幸せだから、取りこぼさないようにお相手と頑張ってほしい。言われなくてもそうするか。