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「私達がオリンピックに問いかけるのではない。オリンピックが私達に問いかけるのです」ヴィクトール・フランクル
数年前、一時期婚活をしていた。
マッチングアプリは今ほど隆盛していなかったし、オンラインの出会いはデジタルネイティヴ世代な割に黎明期寄りの自分のマインドとも合わないので活動は現場、婚活パーティーへの参加が主だった。
当時は結構な頻度で通っていたし、かなり成果もあった。しかし、親の病気や自身の結婚観の変化が重なり次第にパーティーから足が遠のき現在に至る。
先日、以前婚活で利用していた婚活サイトからお見合いパーティーの無料招待の知らせが届いた。男女比のバランスが悪い回や参加者のキャンセルが生じた時にこういう知らせが届く。
普段は気にも留めないが、その日に限ってふと「行ってみようかな」という考えが起こった。
(これは余談だけど、恐らくコロナ禍の自粛生活で人との交流に飢えていた。婚活というより見知らぬ人間と会話したかったのだと思う)
数年振りに参加した婚活パーティーはコロナの影響で規模はかなり縮小していた。会話の際は以前のような向かい合わせの形ではなく、横並びで座ったまま会話するスタイルに変わっていた。
挨拶の際に一瞬顔見せするものの、会話中は当然マスク姿なので声が聞き取りづらく不便に感じた。
それでもパーティー自体に個人的にはブランクは感じなかったし、見知らぬ他人との会話はやはり楽しかった。
(これも余談だけど、当時は全く気にしていなかったが会場で記入するプロフィールカードに女性のみ「得意料理」の項目があるのことが気になった※ちな男性は年収。
また、そこに違和感を持つ参加者がいないようにも見受けられた。婚活市場の男女観は前時代的なんだなと感じたし、人口減少・価値観の多様化する現代においてこの価値観でこの企業は大丈夫かと心配になった、大きなお世話だけど)
話が逸れた、ここからが本題なんだけど
手前味噌だが、以前は同様のパーティーに参加すればめちゃくちゃモテていたので今日も余裕とタカを括っていたらこのザマ、笑うしかない。
しかし、自分の魅力は婚活で無双していた当時より確実に上がっていると自負している。そこそこ稀有な人生経験を経て人間的にも成長した、習慣的に鍛えている今の体型が人生ベストに整っている、今の自分の容姿が一番綺麗と自負している。この日参加者との会話だって盛り上がった。
じゃあ以前の私と何が違うのか、帰りの電車で1人考えた。服装?髪型?少し喋り過ぎた?けれど考えを巡らせれば巡らせるほど当然の結果に行き着く。
『自分の年齢が以前より増えた』
それに尽きるのだ。なるほど20代と30代ではこれほど異性からの需要に差があるのかと思った。
以前は30人以上集まる会場で上位人気という経験もザラにあった、その時自分は(あくまで婚活市場という枠内だけど)人間的な魅力があるから選ばれていると思っていた、私の努力の賜物だと思っていた。しかしそうではなかった、『年齢』だったのだ。
自分がブスと自覚した日から人一倍努力した、おかげで人と比較すればそこそこ美人になった。
礼儀や所作も人より整っていると思う、今でも習慣的に本も読んでいる。確実に私は去年よりずっと魅力的になっている。ただ年齢という数字で私は以前よりずっと異性から選ばれない。
そもそも生まれ持った容姿だって年齢だって自身ではどうすることもできない、整形だって限界がある。言わば不可抗力だ。
そんなもので自分を値踏みされて自尊心を削られ続ける女としての生き方に何の価値があるのかと思った。つくづく結婚に向いていない思考の女だと思う。
とはいえ、優秀な子孫を残そうとする生物の本能という観点から捉えても男性が若く美しい女性を望むことは至極合理的で当然な選択だと思う、そこを責める気は一切ない(私は子を持つ気はないけど)
人間の価値は不可抗力以外の場所にある。それは刹那的に生きてルッキズムに囚われていた10代と20代前半の自分があったからこそ胸を張って言える。
ただ恋愛市場・婚活市場における『価値』は圧倒的に『不可抗力』な側面が大きい。それを今回理解した。この知見を肌感覚で得られたことは大きい。
これは決してネガティブな話ではなく
恋愛/婚活市場での価値を失いつつ(もう失っているのかも)ある人間がそこを自覚してふっきれた時、人生はもう一段階面白くなるのではないかと感じた。努力ではどうにもならない事象に囚われることは無意味だ、投資する必要はない。
この市場で私はもう定年に近いが、人間年齢では私はまだまだ若いのだ。何にだって投資できる、オラわくわくすっぞ状態なのだ。
男性の30代の市場価値はまだ高いので彼らがこの境地に至るのは肉体がもう少し衰えてからなのだろうと思うと、30代で前半でここに至った私(女)はラッキーなのかもしれない。
最後に経験者からのアドバイスだけど本気で結婚したい人は市場価値の高い間に婚活を頑張った方が良いよ、突然暴落するからね。
私はもう婚活市場には積極的に戻らないと思う、ただDINKS希望のパーティーがあれば一度参加したいかも。
おわり
■追記
伸びてて笑った、少しだけ返信
有益な情報もあって大変有り難く読ませてもらった。ただ、そもそも今回婚活パーティーに参加したのは冒頭で書いた通り無料招待だった上に「見知らぬ他人との交流に飢えていた」からなんですね。
散々な結果やその後の思考・気づきはその副産物、子供は望まないので特に結婚に焦ってもないんだなこれが。
20代の頃は漠然とそろそろ結婚しなきゃと思い活動していたけれど、今は結婚という形にこだわる必要すらないと考えている。
30代独身女として”わきまえろ”と言うならそんな市場もこコミュニティも願い下げですね。
(ただ、一回の復帰戦で損切りを決断するのは早い/戦う市場を間違えているというコメントは「たしかに」と思った)
②『お見合いパーティーの場で子供がいらないと言ってしまうことが原因、子供が欲しくて参加している人が多い』
百も承知、お見合いパーティー時に子なし希望は言わないよ。数分の会話で初対面の人間に語れるほど軽い覚悟じゃないもの。
ただプロフィールカードに子供に関する欄がある場合は正直に書いていたし、最低限のマナーとしてマッチングした相手には一回目のデートまでには告げることをマイルールにしていたよ。
③ 頑張った分だけ人の魅力は増えるのか
少なくとも自己評価は上がる。本来自己肯定感に理由なんて不要だけど、例えば筋トレなら引き締まっていく身体という目に見える裏付けが上乗せさると自己肯定感は爆上がりするよ。(筋トレは良いぞ)
仮に失敗したって”努力した”過去は消えない、その人間の過去は誰にも奪えないと「夜と霧」のヴィクトール・フランクルも述べていた。
つまり頑張り続ける限り人間の魅力は確実に上がるし、誰が何と言おうと私は昨日の私より魅力的なのです。
それもそうだね、元婚活無双女の婚活パーティーアドバイスとか書いたら需要あるかな?
市場において年齢という最強のアドバンテージを持つ20代女子なら戦略次第で無双は余裕よ、婚活パーティーは戦場だ。それに不特定多数の人間と会話する経験はなかなか勉強になるし、刺激的で楽しいよ、頑張ってね。
返信おわり
では、またどこかで
「精神科、気軽に通って早めに治そう」 https://www.amazon.co.jp/dp/4774516422/
「病気別チェックリストと受診の目安」という表が付いているので、参考になるかも?
「自殺 相談 窓口」や「自殺 ゲートキーパー」でGoogle検索してみてください。
自分一人で問題を抱え込まないで、プロにセカンドオピニオンを求めてみましょう。
お役立ち情報 テーマ:自殺 - NHK福祉ポータル ハートネット http://www.nhk.or.jp/heart-net/themes/jisatsu/index.html
愛の日記 @ Drivemode | 君が生きていたということ http://yokichi.com/2009/10/post-232.html
結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。
愛の日記 @ Drivemode | バレなければ良いという生き方 http://yokichi.com/2012/04/post-331.html
人生の価値とは、その人が生まれた世界と生まれなかった世界の差だと思っている。
つまり、「僕」とは、「僕が死ぬまでに行った全ての行動が世の中に残した影響、変化、差の合計」である。
息をはいても、人と他愛のない話をしても、そうしたものの全てが「自分が生まれた世界と生まれなかった世界の差」をかたちづくってる。
生きている意味が分からないとしたら、今まで何も考えないで生きてきたってこと?
(ヴィクトール・フランクルとかの本がヒントになるかな?)
いやいや、こちらこそ不躾な態度でごめんなさい。他の増田と人違いされてしまいまして(苦笑)
言葉で言うのは簡単で、お前はどうなんだ?と言われたら似たようなものなんで
偉そうには言える立場ではないんですが、同じ経験をしただけに気になって…。
3つ目に返答させてもらうと「幸せになりたい、ならなきゃ」に、こだわらなくなるのかな。と言うか、自分はこだわりがなくなった。
外見の美醜や流行やブランド物やら、表面的な価値にとらわれなくなった。人間関係も必要最小限。無理に合わせない。
実感は欠乏感が感じさせるものなので、充足できたら気にならない→普通って意識が近いかも?
最後にもうひとつ。目も耳も聞こえないながらも、障害学を究めて東大教授に登りつめた福島智さんが
「絶望+意味=苦悩」という公式を話していたので、引用して伝えます。
ヴィクトール・フランクルという人がいるんですが。彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
その公式は、絶望=苦悩-意味って言うんですね。左辺に絶望があって、絶望=苦悩-意味。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20090609.html