最近聞いたラジオで、トランスジェンダーの人がゲストとして話していた。とても話の上手な方だった。
その方が「子供の頃からスカートを履くのが嫌で嫌で」と話しているのを聞いて、私は自分が幼い頃のことを思い出していた。
私も、スカートを履くのがとても嫌だった。小学校の頃はずっとズボンだったし、中高のときもずっと下に短パンをはいていた。
女性らしい、といったことになんとも言えない嫌悪感を感じていたし、胸が大きくなることや、自分の女性らしさを感じるたびに、心がもやもやした。
化粧もおしゃれも全く興味がなかったが、周りのマネをして女性誌?を読んでいたが、あまり楽しいとは思えなかった。
小学校の頃からずっと中の良かった女の子のことが大好きだった。それが友情なのか、それともそれを超えたなにかだったのかは今でもわからない。
だからといって、異性に興味がなかったわけでもなく、片思いも何度もした。付き合うことも年頃なりに興味津々だったけど、悲しいかなモテなかったので彼氏などできたことはなかった。
ずっと男として生まれたかった。今でも時々そう思う。なんだか自分が型から外れた存在な気がして、辛い、までは行かないけれど、漠然とした不安がいつもまとわりついていた。
随分歳をとって、私にも彼氏と呼べる人ができた。そしてその人が今の夫だ。不満がないわけではないが、夫と結婚できて私は幸せだと思っている。
母親に彼氏ができたことを告げたとき「実は、異性に興味がないんじゃないかと心配していた」と告白された。一緒にバレンタインチョコを作ったりしていたのだが、どうもそう思われていたらしい。
子供の頃は、世の中はすべて白か黒かにきちんと別れているものだと思っていた。でもそんなものは幻想で、殆どのものが大なり小なりグレーゾーンにいるのだと思う。
私はトランスジェンダーなのか?と聞かれれば、そうではないのだろう。だけど、100%女性なのか?(そんなものはないのだけれど)と聞かれれば、違うのだろう。
たとえば、女性が白で男性が黒だとすれば(色の選択に他意はない)、私は白に近いグレーだと思っている。
一度、知り合いのバイセクシュアルの子に、子供の頃のあのモヤモヤした感じを話したことがある。その時の返答は「そんなの、大したことじゃないよ」だった。
私達の苦労を、あなたの小さな違和感と一緒にしないでくれ。私達はあなたとは違うのだ、といったことを言われたのだけ覚えている。
往々にして、マイノリティーで迫害を受けている人たちは、同胞にはとても同情的だが、敵と自分たちとの間に落ちてしまったグレーゾーンの人に対してはとても厳しいのだ、という気がしている。
黒人の人だって、アフリカ系の人と、白人とのハーフとの人では扱いを変える人がいる。お前は黒人じゃない、と言う人だっている。
そりゃ、苦労の程度は違うのだろう。同情しろだなんて思わないし、してほしくはない。ただ、濃度はどうであれ、同じ悩みや苦しみを経験した人に対して、お前なんかより私のほうが苦労した
50で独身童貞というものも生まれたと聞いたが、 まぁ、次世代には引き継がないし あと100年の辛抱
綺麗な形に収まったテンプレ通りの結婚した幸せ女の自虐風自慢(笑)