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はてなキーワード: うつつとは

2021-07-18

自分の嫌いなところ

チビ

お腹ぽっこり

ハゲ

毛深い

ワキガ

短足

要領がわるい

そのクセプライドだけは高い

すぐ表情に出る

寝てるときうつつではなくそをほじる

テレワークだとサボる

面識ない人にやたら馴れ馴れしくべらべらしゃべって相手ドン引きされる

童貞

自分はなんの努力もしないくせに努力して結果を出している他人をねたみそねむ

仮想通貨に全財産ぶっこんでパーにする

2021-07-02

anond:20210630233055

Twitter漫画で「女のネイルは男のガンプラ」というネタを見たけど、基本的に女は結婚してもネイルは続けられる。

でも男は結婚するとガンプラを捨てないといけない。

俺の男の友人はバイク登山趣味だったけど、結婚して子供ができて、危ないからとか金がかかり過ぎるとか理由で止めてしまった。

世間的には男は稼ぐべし!

という価値観が強い。ガンプラうつつを抜かしてるようでは妻子を養えない。

でも女性ネイル自分のためにするように、ガンプラ自分のためのものなのだ

最近Twitterを見ると夫婦どちらも自分趣味生活を両立させてる人を見る。

男がガンプラを捨てないでも良い世の中になればいいなと思う。

2021-06-22

anond:20210621233926

その素人JR東海経営陣ていう救いのない話なんだ。


JR東海歴代社長葛西松本山田柘植金子って総務部人事部出身ばっかりで土木技術理解できる人間がいないんだよ。

特に葛西なんて政治ごっこうつつを抜かして官邸に出入りしてる。で政治的にゴリ押しすれば何とかなるとでも思ってるんじゃないかな。

2021-06-12

ぼくがゲームうつつをぬかしているせいで貴重な才覚が日本から失われてしまった

本当に申し訳ない

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-04-28

首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

これも結構前の話になる。

「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。

そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。

内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。

あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。

ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。

当時の俺は大学入学したての、ピカピカの一年生でした。

兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校レベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学

その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。

あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。

オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラシマシです。

しか高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。

職場学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなた引っ越ししまいましょう。(経験則

そんなこんなで深夜までゲームやらアニメうつつを抜かしては、中途半端時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。

気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。

それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元カラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋立ち読みしてたり。

入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。

何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。

大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。

夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。

そんなんで仲の良い友達全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設ビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。

いや、完全に余談でした。すみません

とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。

話を戻します。

俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。

自分ママとパパと話すけど、ふたり全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。

そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。

そんなこんなで気付いたら第一父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。

第二の父親は、俺は子供ながらに「良い人」だと思った。

そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。

一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。

仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。

多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?

中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホント幸せだったと思う。ボンボンボンボンで、当時Xbox360COD4ネット対戦してたの俺だけちゃうレベルで。

母親も、その時が一番楽しかったんじゃないかな?

俺も兄貴母親父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。

で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。

これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います

首の回らないレベル借金も抱えることになったと。

そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから

ベロンベロン状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。

うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。

そんな紆余曲折を経る中で、第二の親父が俺に放った言葉

「お前なんて、オレの本当の子供じゃねえんだからな?」

この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます

しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。

酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。

それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。

そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。

第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。

こっからはもう蛇足なんで、ちょっと飛ばし飛ばし

小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学ダメになったのか、不思議だなぁ。

母子家庭あんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。

大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分自分を戒めたりもして。

そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。

深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親ワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。

で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。

無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります

うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。

思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。

とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります

「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。

ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。

なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。

なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。

そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。

俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます

えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。

正直ワインときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。

「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります

人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。

マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。

未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。

しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。

首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります

未だに後悔しています

あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。

母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。

兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。

でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。

母親自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。

救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。

ある日、大学に行った。四月の上旬。はっきりと覚えてる。

ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。

なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。

ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。

凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。

首にかけているスカーフ素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。

抱き抱えた母親身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。

「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。

そして震える指でスマホをうって、まず兄にコールした。

兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。

しかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。

ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」

と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。

家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。

俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、

待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。

でも本当に現実現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。

ここではどうにもならないから、と救急車に乗り込んだ。

ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。

俺「こんなんなっちゃったな」

兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」

俺「そうだなぁ」

こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています

ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。

確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。

翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまたことを覚えてます

そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます

そしてずっと病院に居るわけにもいかいから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。

三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。

母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます

からない、本当に今でもわかりません。

あのワインの日から自分に何が出来たかをずっと考えています

間違いなくサインとなっていたあの日ちょっとでも行動を起こす勇気自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。

2021-04-26

anond:20210426143900

免疫力が十分にある(無症状が多い)40代にうってどうすんだ

しろ高齢者などにうつつだろ普通

2021-04-06

ゲームアプリあんまりハマらない理由

最近競馬ゲームアプリが周りで流行っていて、少なくとも私の周りでは猫も杓子も競馬うつつを抜かしている。少し前までは精を込めて米を作っていた様な気がするが…やはりギャンブルは恐ろしい。

冗談はさておき、最近みんなが競馬に夢中になっていて、ひどく疎外感を感じる。当然周りからアプリインストールを勧められるのだが、どうにも気が進まない。そもそもゲームアプリはあまりやっていない。今やっているのは、パンを焼くゲームと、クッキーを焼くゲームくらいで、有名どころのアプリほとんど入れておらず、ここ数年は専らswitchプレステゲームばかりやっている。

疎外感を感じている割には、あまり昨今のゲームアプリにやる気を見いだせないのはなぜだろうと考えてみて、おそらく「一番になるのが難しいから」だろうと結論づけた。

負け続きの人生だったからか、「一番」というものに強い執着を抱いている気がする。ゲームしろ他の趣味しろ、一番になれるものは、可能な限りなっておきたい。幼少期にあまりゲームを買ってもらえず、一つのゲームを隅々まで遊び尽くていたのにも関係があるのかもしれない。ゲーム中にライバルとなるプレイヤー存在しようがしまいが、「一番」をとりたいというのが心情だ。

ハード機器ゲームで一番を取るのは、例外もあるかもしれないが、毎日ログインしたり、限定キャラのために周回を重ねる必要がない分ゲームアプリよりは簡単だろう。物によっては莫大な時間を要するケースもあるだろうが、ハード機器ゲームでは一回きりの努力で済む。イベントの度に努力を求められるのは大変だ。正直言うとさっさとテッペンとって次に行きたい。

まとめると、「大抵のゲームアプリはどんなに時間を費やしたり課金をしても一時的しか一番になれないのでやる気が出ない」という事になった。これはオンラインゲームにも言えることで、めまぐるしく環境が変化する対人ゲームなども苦手だ。

ただ一人はもっと苦手なので、結局のところ、みんなもパンクッキーを焼いてほしい。

2021-04-01

催眠音声すごい

処女のまま三十代を迎えてしまい、しか脱出できる気配もない。それはそれで構わないが、いわゆる「性的快感」というものを知らないまま人生を終えるのもなんだか勿体ない気がして、この年齢にして初めてオナニーというものに挑戦してみることにした。

しかし、まったく使用されず蜘蛛の巣が張ったような下半身はいじれどもいじれどもなかなか「気持ちいい」に至らない。そこで乳首をいじることにしてみたが、こちらも特にそういった感覚は得られなかった。だが、下半身よりは乳首をいじるほうが、なんとなく落ち着く。落ち着いてしまったら興奮なんて程遠い気がするが、一週間ほど乳首をこねくりまわして寝る日々を続けた。

このままじゃいかんとpornhubで乳首イキとタイトルに入った動画を眺める。皆乳首をいじるだけで声は出るしからだはビクビク跳ねている。すごい。全然こうならない。仕事から帰宅すると毎日いじっているせいで多少敏感になってきた気もするが、この程度ではいつまで経ってもこの境地に至る気がしない。やはり三十路までそういった刺激なく生きていたから、性的気持ちの良さに目覚めようがないのか。

で、なにもかもをショートカットするために、いわゆるチクニーに特化した催眠音声をダウンロードした。某サークルが数年前に無料配布していたやつ。

部屋を暗くしてベッドに寝転んで、可愛い女の子の声を聞く。最初の方なんかは、睡眠導入ヨガに少し似ている。呼吸をして、からだの力を抜く。ぼんやりしてくる。ひたすら音声に耳を傾けると、そのうちいよいよ乳首をいじるパートに入った。「いけ!いけ!何度でもいけ!」と言われるが、そう言われたくらいで……

って最初は思っていたんだけど、最後ちょっとベッドから腰が浮く程度にはからだを反らしてビクビクしていた。コレは…?

期待しながらそのまま2周目に行ったら途中で寝てしまったんだけど、最後最後でなぜか覚醒して、夢うつつのまま音声通りに乳首をいじって今度はもっと背中を反らしてしまった。からだが勝手に動く。すごい。

これが一昨日。昨日も仕事から定時ダッシュして家事を片付けさっそく音声を再生した。一昨日とは比べ物にならないくらい、最初からからだがビクビク跳ねるし、股はヌルヌルになるし、最後乳首を引っ張りながら思いっきからだを反らしてしまった。

この錆びついた肉体でもいくことができるんだ!という光明が見えてきた。催眠音声すごい。まあ催眠かかってないときはどこ触ってもなんともないんだけど。あと、からだは勝手にビクビクするんだけど「気持ちいい」という感じはしていない。

まあ、開拓余地ありってことで、今度の休みは同じサークルの有料音声買って聞いてみようかな。

2021-03-22

鹿

そのとき西にしのぎらぎらのちぢれた雲くものあひだから夕陽ゆふひは赤あかくなゝめに苔こけの野原のはらに注そゝぎ、すすきはみんな白しろい火ひのやうにゆれて光ひかりました。わたくしが疲つかれてそこに睡ねむりますと、ざあざあ吹ふいてゐた風かぜが、だんだん人ひとのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上たかみの山やまの方はうや、野原のはらに行おこなはれてゐ鹿踊しゝおどりの、ほんたうの精神せいしんを語かたりました。

 そこらがまだまるつきり、丈たけ高たかい草くさや黒くろい林はやしのままだつたとき、嘉十かじふはおぢいさんたちと北上川きたかみがはの東ひがしから移うつつてきて、小ちいさなはたけを開ひらいて、粟あはや稗ひえをつくつてゐました。

 あるとき嘉十かじふは、栗くりの木きから落おちて、少すこし左ひだりの膝ひざを悪わるくしました。そんなときみんなはいつでも、西にしの山やまの中なかの湯ゆの湧わくとこへ行いつて、小屋こやをかけて泊とまつて療なほすのでした。

 天気てんきのいゝ日ひに、嘉十かじふも出でかけて行いきました。糧かてと味噌みそと鍋なべとをしよつて、もう銀ぎんいろの穂ほを出だしたすすきの野原のはらをすこしびつこをひきながら、ゆつくりゆつくり歩あるいて行いつたのです。

 いくつもの小流こながれや石原いしはらを越こえて、山脈さんみやくのかたちも大おほきくはつきりなり、山やまの木きも一本いつぽん一本いつぽん、すぎごけのやうに見みわけられるところまで来きたときは、太陽たいやうはもうよほど西にしに外それて、十本じつぽんばかりの青あをいはんのきの木立こだちの上うへに、少すこし青あをざめてぎらぎら光ひかつてかかりました。

 嘉十かじふは芝草しばくさの上うへに、せなかの荷物もつをどつかりおろして、栃とちと粟あわとのだんごを出だして喰たべはじめました。すすきは幾いくむらも幾いくむらも、はては野原のはらいつぱいのやうに、まつ白しろに光ひかつて波なみをたてました。嘉十かじふはだんごをたべながら、すすきの中なかから黒くろくまつすぐに立たつてゐる、はんのきの幹みきをじつにりつぱだとおもひました。

 ところがあんまり一生いつしやうけん命めいあるいたあとは、どうもなんだかお腹なかがいつぱいのやうな気きがするのです。そこで嘉十かじふも、おしまひに栃とちの団子だんごをとちの実みのくらゐ残のこしました。

「こいづば鹿しかさ呉けでやべか。それ、鹿しか、来きて喰け」と嘉十かじふはひとりごとのやうに言いつて、それをうめばちさうの白しろい花はなの下したに置おきました。それから荷物もつをまたしよつて、ゆつくりゆつくり歩あるきだしました。

 ところが少すこし行いつたとき、嘉十かじふはさつきのやすんだところに、手拭てぬぐひを忘わすれて来きたのに気きがつきましたので、急いそいでまた引ひつ返かへしました。あのはんのきの黒くろい木立こだちがぢき近ちかくに見みえてゐて、そこまで戻もどるぐらゐ、なんの事ことでもないやうでした。

 けれども嘉十かじふはぴたりとたちどまつてしまひました。

 それはたしかに鹿しかのけはひがしたのです。

 鹿しかが少すくなくても五六疋ぴき、湿しめつぽいはなづらをずうつと延のばして、しづかに歩あるいてゐるらしいのでした。

 嘉十かじふはすすきに触ふれないやうに気きを付つけながら、爪立つまだてをして、そつと苔こけを踏ふんでそつちの方はうへ行いきました。

 たしかに鹿しかはさつきの栃とちの団子だんごにやつてきたのでした。

「はあ、鹿等しかだあ、すぐに来きたもな。」と嘉十かじふは咽喉のどの中なかで、笑わらひながらつぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちに近ちかよつて行ゆきました。

 一むらのすすきの陰かげから、嘉十かじふはちよつと顔かほをだして、びつくりしてまたひつ込こめました。六疋ぴきばかりの鹿しかが、さつきの芝原しばはらを、ぐるぐるぐるぐる環わになつて廻まはつてゐるのでした。嘉十かじふはすすきの隙間すきまから、息いきをこらしてのぞきました。

 太陽たいやうが、ちやうど一本いつぽんのはんのきの頂いたゞきにかかつてゐましたので、その梢こずゑはあやしく青あをくひかり、まるで鹿しかの群むれを見みおろしてぢつと立たつてゐる青あをいいきもののやうにおもはれました。すすきの穂ほも、一本いつぽんづつ銀ぎんいろにかがやき、鹿しかの毛並けなみがことにその日ひはりつぱでした。

 嘉十かじふはよろこんで、そつと片膝かたひざをついてそれに見みとれました。

 鹿しかは大おほきな環わをつくつて、ぐるくるぐるくる廻まはつてゐましたが、よく見みるとどの鹿しかも環わのまんなかの方はうに気きがとられてゐるやうでした。その証拠しようこには、頭あたまも耳みゝも眼めもみんなそつちへ向むいて、おまけにたびたび、いかにも引ひつぱられるやうに、よろよろと二足ふたあし三足みあし、環わからはなれてそつちへ寄よつて行ゆきさうにするのでした。

 もちろん、その環わのまんなかには、さつきの嘉十かじふの栃とちの団子だんごがひとかけ置おいてあつたのでしたが、鹿しかものしきりに気きにかけてゐるのは決けつして団子だんごではなくて、そのとなりの草くさの上うへにくの字じになつて落おちてゐる、嘉十かじふの白しろい手拭てぬぐひらしいのでした。嘉十かじふは痛いたい足あしをそつと手てで曲まげて、苔こけの上うへにきちんと座すはりました。

 鹿しかめぐりだんだんゆるやかになり、みんなは交かはる交がはる、前肢まへあしを一本いつぽん環わの中なかの方はうへ出だして、今いまにもかけ出だして行いきさうにしては、びつくりしたやうにまた引ひつ込こめて、とつとつとつとつしづかに走はしるのでした。その足音あしおとは気きもちよく野原のはらの黒土くろつちの底そこの方はうまでひゞきました。それから鹿しかどもはまはるのをやめてみんな手拭てぬぐひのこちらの方はうに来きて立たちました。

 嘉十かじふはにはかに耳みゝがきいんと鳴なりました。そしてがたがたふるえました。鹿しかもの風かぜにゆれる草穂くさぼのやうな気きもちが、波なみになつて伝つたはつて来きたのでした。

 嘉十かじふはほんたうにじぶんの耳みゝを疑うたがひました。それは鹿しかのことばがきこえてきたからです。

「ぢや、おれ行いつて見みで来こべが。」

「うんにや、危あぶないじや。も少すこし見みでべ。」

こんなことばもきこえました。

「何時いつだがの狐きつねみだいに口発破くちはつぱなどさ罹かゝつてあ、つまらないもな、高たかで栃とちの団子だんごなどでよ。」

「そだそだ、全まつたぐだ。」

こんなことばも聞ききました。

「生いぎものだがも知しれないじやい。」

「うん。生いぎものらしどごもあるな。」

こんなことばも聞きこえました。そのうちにたうたう一疋ぴきが、いかにも決心けつしんしたらしく、せなかをまつすぐにして環わからはなれて、まんなかの方はうに進すゝみ出でました。

 みんなは停とまつてそれを見みてゐます

 進すゝんで行いつた鹿しかは、首くびをあらんかぎり延のばし、四本しほんの脚あしを引ひきしめ引ひきしめそろりそろりと手拭てぬぐひに近ちかづいて行いきましたが、俄にはかにひどく飛とびあがつて、一目散もくさんに遁にげ戻もどつてきました。廻まはりの五疋ひきも一ぺんにぱつと四方しはうへちらけやうとしましたが、はじめの鹿しかが、ぴたりととまりましたのでやつと安心あんしんして、のそのそ戻もどつてその鹿しかの前まへに集あつまりました。

「なぢよだた。なにだた、あの白しろい長ながいやづあ。」

「縦たてに皺しはの寄よつたもんだけあな。」

「そだら生いぎものだないがべ、やつぱり蕈きのこなどだべが。毒蕈ぶすきのこだべ。」

「うんにや。きのごだない。やつぱり生いぎものらし。」

「さうが。生いぎもので皺しわうんと寄よつてらば、年老としよりだな。」

「うん年老としよりの番兵ばんぺいだ。ううはははは。」

「ふふふ青白あをじろの番兵ばんぺいだ。」

「ううははは、青あをじろ番兵ばんぺいだ。」

「こんどおれ行いつて見みべが。」

「行いつてみろ、大丈夫だいじやうぶだ。」

「喰くつつがないが。」

「うんにや、大丈夫だいじやうぶだ。」

そこでまた一疋ぴきが、そろりそろりと進すゝんで行いきました。五疋ひきはこちらで、ことりことりとあたまを振ふつてそれを見みてゐました。

 進すゝんで行いつた一疋ぴきは、たびたびもうこわくて、たまらないといふやうに、四本ほんの脚あしを集あつめてせなかを円まろくしたりそつとまたのばしたりして、そろりそろりと進すゝみました。

 そしてたうたう手拭てぬぐひのひと足あしこつちまで行いつて、あらんかぎり首くびを延のばしてふんふん嚊かいでゐましたが、俄にはかにはねあがつて遁にげてきました。みんなもびくつとして一ぺんに遁にげださうとしましたが、その一ぴきがぴたりと停とまりましたのでやつと安心あんしんして五つの頭あたまをその一つの頭あたまに集あつめました。

「なぢよだた、なして逃にげで来きた。」

「噛かぢるべとしたやうだたもさ。」

「ぜんたいなにだけあ。」

「わがらないな。とにかぐ白しろどそれがら青あをど、両方りやうはうのぶぢだ。」

「匂にほひあなぢよだ、匂にほひあ。」

「柳やなぎの葉はみだいな匂にほひだな。」

「はでな、息いぎ吐つでるが、息いぎ。」

「さあ、そでば、気付きつけないがた。」

「こんどあ、おれあ行いつて見みべが。」

「行いつてみろ」

三番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝみました。そのときちよつと風かぜが吹ふいて手拭てぬぐひがちらつと動うごきましたので、その進すゝんで行いつた鹿しかはびつくりして立たちどまつてしまひ、こつちのみんなもびくつとしました。けれども鹿しかはやつとまた気きを落おちつけたらしく、またそろりそろりと進すゝんで、たうたう手拭てぬぐひまで鼻はなさきを延のばした。

 こつちでは五疋ひきがみんなことりことりとお互たがひにうなづき合あつて居をりました。そのとき俄にはかに進すゝんで行いつた鹿しかが竿立さをだちになつて躍をどりあがつて遁にげてきました。

「何なして遁にげできた。」

「気味悪きびわりぐなてよ。」

「息いぎ吐つでるが。」

「さあ、息いぎの音おどあ為さないがけあな。口くぢも無ないやうだけあな。」

「あだまあるが。」

「あだまもゆぐわがらないがつたな。」

「そだらこんだおれ行いつて見みべが。」

四番目よばんめの鹿しかが出でて行いきました。これもやつぱりびくびくものです。それでもすつかり手拭てぬぐひの前まへまで行いつて、いかにも思おもひ切きつたらしく、ちよつと鼻はなを手拭てぬぐひに押おしつけて、それから急いそいで引ひつ込こめて、一目いちもくさんに帰かへつてきました。

「おう、柔やつけもんだぞ。」

「泥どろのやうにが。」

「うんにや。」

「草くさのやうにが。」

「うんにや。」

ごまざいの毛けのやうにが。」

「うん、あれよりあ、も少すこし硬こわぱしな。」

「なにだべ。」

「とにかぐ生いぎもんだ。」

「やつぱりさうだが。」

「うん、汗臭あせくさいも。」

「おれも一遍ひとがへり行いつてみべが。」

 五番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝんで行いきました。この鹿しかはよほどおどけもののやうでした。手拭てぬぐひの上うへにすつかり頭あたまをさげて、それからいかにも不審ふしんだといふやうに、頭あたまをかくつと動うごかしましたので、こつちの五疋ひきがはねあがつて笑わらひました。

 向むかふの一疋ぴきはそこで得意とくいになつて、舌したを出だして手拭てぬぐひを一つべろりと甞なめましたが、にはかに怖こはくなつたとみえて、大おほきく口くちをあけて舌したをぶらさげて、まるで風かぜのやうに飛とんで帰かへつてきました。みんなもひどく愕おどろきました。

「ぢや、ぢや、噛かぢらへだが、痛いたぐしたが。」

「プルルルルルル。」

「舌した抜ぬがれだが。」

「プルルルルルル。」

「なにした、なにした。なにした。ぢや。」

「ふう、あゝ、舌した縮ちゞまつてしまつたたよ。」

「なじよな味あじだた。」

「味あじ無ないがたな。」

「生いぎもんだべが。」

「なじよだが判わからない。こんどあ汝うなあ行いつてみろ。」

「お。」

 おしまひの一疋ぴきがまたそろそろ出でて行いきました。みんながおもしろさうに、ことこと頭あたまを振ふつて見みてゐますと、進すゝんで行いつた一疋ぴきは、しばらく首くびをさげて手拭てぬぐひを嗅かいでゐましたが、もう心配しんぱいもなにもないといふ風ふうで、いきなりそれをくわいて戻もどつてきました。そこで鹿しかはみなぴよんぴよん跳とびあがりました。

「おう、うまいうまい、そいづさい取とつてしめば、あどは何なんつても怖おつかなぐない。」

「きつともて、こいづあ大きな蝸牛なめくづらの旱ひからびだのだな。」

「さあ、いゝが、おれ歌うだうだうはんてみんな廻まれ。」

 その鹿しかはみんなのなかにはいつてうたひだし、みんなはぐるぐるぐるぐる手拭てぬぐひをまはりはじめました。

「のはらのまん中なかの めつけもの

 すつこんすつこの 栃とちだんご

 栃とちのだんごは   結構けつこうだが

 となりにいからだ ふんながす

 青あをじろ番兵ばんぺは   気きにかがる。

  青あおじろ番兵ばんぺは   ふんにやふにや

 吠ほえるさないば 泣なぐもさな

 瘠やせで長ながくて   ぶぢぶぢで

 どごが口くぢだが   あだまだが

 ひでりあがりの  なめぐぢら。」

 走はしりながら廻まはりながら踊おどりながら、鹿しかはたびたび風かぜのやうに進すゝんで、手拭てぬぐひを角つのでついたり足あしでふんだりしました。嘉十かじふの手拭てぬぐひはかあいさうに泥どろがついてところどころ穴あなさへあきました。

 そこで鹿しかめぐりだんだんゆるやかになりました。

「おう、こんだ団子だんごお食くばがりだぢよ。」

「おう、煮にだ団子だぢよ。」

「おう、まん円まるけぢよ。」

「おう、はんぐはぐ。」

「おう、すつこんすつこ。」

「おう、けつこ。」

 鹿しかそれからみんなばらばらになつて、四方しはうから栃とちのだんごを囲かこんで集あつまりました。

 そしていちばんはじめに手拭てぬぐひに進すゝんだ鹿しかから一口ひとくちづつ団子だんごをたべました。六疋ぴきめの鹿しかは、やつと豆粒まめつぶのくらゐをたべただけです。

 鹿しかそれからまた環わになつて、ぐるぐるぐるぐるめぐりあるきました。

 嘉十かじふはもうあんまりよく鹿しかを見みましたので、じぶんまでが鹿しかのやうな気きがして、いまにもとび出ださうとしましたが、じぶんの大おほきな手てがすぐ眼めにはいりましたので、やつぱりだめだとおもひながらまた息いきをこらしました。

 太陽たいやうはこのとき、ちやうどはんのきの梢こずゑの中なかほどにかかつて、少すこし黄きいろにかゞやいて居をりました。鹿しかめぐりはまただんだんゆるやかになつて、たがひにせわしくうなづき合あひ、やがて一列れつに太陽たいやうに向むいて、それを拝おがむやうにしてまつすぐに立たつたのでした。嘉十かじふはもうほんたうに夢ゆめのやうにそれに見みとれてゐたのです。

 一ばん右みぎはじにたつた鹿しかが細ほそい声こゑでうたひました。

「はんの木ぎの

 みどりみぢんの葉はの向もごさ

 ぢやらんぢやららんの

 お日ひさん懸かがる。」

 その水晶すゐしやうの笛ふえのやうな声こゑに、嘉十かじふは目めをつぶつてふるえあがりました。右みぎから二ばん目めの鹿しかが、俄にはかにとびあがつて、それからからだを波なみのやうにうねらせながら、みんなの間あひだを縫ぬつてはせまはり、たびたび太陽たいやうの方はうにあたまをさげました。それからじぶんのところに戻もどるやぴたりととまつてうたひました。

「お日ひさんを

 せながさしよへば、はんの木ぎも

 くだげで光ひかる

 鉄てつのかんがみ。」

 はあと嘉十かじふもこつちでその立派りつぱな太陽たいやうとはんのきを拝おがみました。右みぎから三ばん目めの鹿しかは首くびをせはしくあげたり下さげたりしてうたひました。

「お日ひさんは

 はんの木ぎの向もごさ、降おりでても

 すすぎ、ぎんがぎが

 まぶしまんぶし。」

 ほんたうにすすきはみんな、まつ白しろな火ひのやうに燃もえたのです。

「ぎんがぎがの

 すすぎの中ながさ立たぢあがる

 はんの木ぎのすねの

 長なんがい、かげぼうし。」

 五番目ばんめの鹿しかがひくく首くびを垂たれて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。

「ぎんがぎがの

 すすぎの底そこの日暮ひぐれかだ

 苔こげの野のはら

 蟻ありこも行いがず。」

 このとき鹿しかはみな首くびを垂たれてゐましたが、六番目ばんめがにはかに首くびをりんとあげてうたひました。

「ぎんがぎがの

 すすぎの底そごでそつこりと

 咲さぐうめばぢの

 愛えどしおえどし。」

 鹿しかそれからみんな、みぢかく笛ふゑのやうに鳴ないてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。

 北きたから冷つめたい風かぜが来きて、ひゆうと鳴なり、はんの木きはほんたうに砕くだけた鉄てつの鏡かゞみのやうにかゞやき、かちんかちんと葉はと葉はがすれあつて音おとをたてたやうにさへおもはれ、すすきの穂ほまでが鹿しかにまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見みえました。

 嘉十かじふはもうまつたくじぶんと鹿しかとのちがひを忘わすれて、

「ホウ、やれ、やれい。」と叫さけびながらすすきのかげから飛とび出だしました。

 鹿しかはおどろいて一度いちどに竿さをのやうに立たちあがり、それからはやてに吹ふかれた木きの葉はのやうに、からだを斜なゝめにして逃にげ出だしました。銀ぎんのすすきの波なみをわけ、かゞやく夕陽ゆふひの流ながれをみだしてはるかはるかに遁にげて行いき、そのとほつたあとのすすきは静しづかな湖みづうみの水脈みをのやうにいつまでもぎらぎら光ひかつて居をりました。

 そこで嘉十かじふはちよつとにが笑わらひをしながら、泥どろのついて穴あなのあいた手拭てぬぐひをひろつてじぶんもまた西にしの方はうへ歩あるきはじめたのです。

 それから、さうさう、苔こけの野原のはら夕陽ゆふひの中なかで、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋あきの風かぜから聞きいたのです。

2021-03-20

「とりあえず何人かと付き合ってみたけどダメでした」なのにAセクAロマだとか嘘臭い

付き合えてる時点で十分に性欲あるだろ

本当に性欲がないのなら付き合う時点で無理だわ

こういうタイプばっかりだから

結局AセクAロマって単に自分はそこらの女と違って男にうつつを抜かしたりしない清純な女ですっていう選民思想の発露だろ

実際には何処にでもいる普通の女

2021-03-15

さて諸君胡桃ちゃん護摩の杖、最低1つずつは確保できたかね?

男女だセックス差別だ、カネだコイン格差だなどと世迷い言に明け暮れて、人生における最大の幸福である原神プレイ、すなわち伝説任務読破と祈願と樹脂消費と日々の鉱石聖遺物拾いと公式動画チェックとファンアートチェックを疎かにしていてはいかんぞ。この作品に限っては情報ソース世界中にある。人生1つでは足りない深みを前にして、目を滑らせてなぜか掃除を始めるようなムーブいつまでもしていてはならんぞ。さあ、今こそがっぷり4つに取り組むべきだ。まずはランチャーアップデートから始めようではないか。次にVer.1.4の事前ダウンロードだ。こうして予めDLしておくことで、負荷分散に協力することになり、諸君の行動が世界平和をもたらすのだ。ちなみに我は先程駆け込みで護摩を引いてきたところだ。Google Play Pointsちゃん最近なかなか原神を対象にしないか課金タイミングを逸していたのでな。それでも我は勝ったぞ。確定ピック75%の半分であるからして…37.5%の勝負に勝ち、一発で護摩を迎えたのじゃ。しか突破素材はすでに辛炎ちゃんに持たせた紀行大剣を90にするのに使い果たしてしまった。我のVer.1.3は隕鉄が掘れる水曜日にやっと始まる。ってその日は奇しくも1.4アップデート日ではないか。まあそんなことはどうでもいいのだが、胡桃ちゃんのぶっとんだ個性に馴染んでしまうと辛炎ちゃんのような褐色トゲトゲロッキンガール全然可愛く見えてしまうの。いや実際かわいい。前から見たときの目つきは多少強面だろうとも、後ろから眺める肢体の動きは間違いなく女の子のそれだ。それはそれとして胡桃ちゃんである。今まで香菱――同時ピックであり同じ火属性の槍使いということでにわかに偽胡桃扱いされだした不憫な子、しかも設定上でも胡桃悪戯対象という――の装備を使いまわしていた為、チャージ槍と魔女2剣闘士2で適当にぶん回していたのを、まだLv20の護摩魔女4に変更したのだ。典型的胡桃ビルドではあるが、この魔女4を活かそうと思うならやはり元素反応を意識して立ち回りたくなるところ。となると水や氷キャラなのだが、一応モナや甘雨は持っているものの、やはりどう考えても行秋や重雲が相方にピッタリなのだ。だが我は野郎ガチャは全力スルーしてきた漢。それでもなぜか行秋が完凸しているが、いくら強くて便利と分かっていても育成を始める気になれない。うっかり引いてしまったタルタルでさえろくな装備を与えられないままLv50で埃をかぶっている有様なのだ。男キャラに慈悲を与えるほどには樹脂の余裕がなさすぎる。そういう意味でも、諸君らにはここでうつつを抜かして樹脂をオーバーフローさせている場合ではないことを伝えておきたく筆を執った次第なのである

2021-03-11

絵にうつつを抜かしてるやつが許せない

絵🖼じゃん

2021-02-12

専門学生時代に付き合ってた

自分観測範囲だけかもしれんが、専門学生時代に付き合ってたんだけど〜、みたいに話を切り出してくる人を全くみない。

やっぱり皆さん、大学時代に付き合ってたんだけど〜と言う。テレビメディアでも、大学時代に〜、はよく聞く。が、専門学生時代に〜、は全く聞かない。

専門学生勉強のみに勤しんでいるので、遊ぶ時間がない。専門学生の周りには恋愛うつつを抜かしている人がおらん。専門学生だったんだけど〜、みたいに話すのが恥ずかしいから、大学の頃には〜とぼやかして言う人が多い。のか、理由はよく分からん

2021-02-07

30代陰キャの末路

セックスしたい..

俺は30代も半ばになる。結婚もしている。こんなことで悩んでいるのは馬鹿げている。だけども匿名の殻に閉じこもり、あえて主張したい。それでもセックスしたいのだ。飽きるほど。

からモテず、彼女が初めてできたのは20代後半だった。見た目への自信がなかった。体力も自信がなかった。

足が速ければモテ小学生時代サッカー部バスケ部に入ればモテ中学生時代髪型を整え制服を着崩せばモテ高校生時代。どれも見事に縁がなかった。唯一人並みにできたことといえば勉強くらい。良い大学に入ればモテるとおもっていた。

かくして良い大学に入った。ところが何のアピールポイントにもなりはしなかった。就職して稼ぐ大人になれば今度こそモテるとおもっていた。そして同年代よりは稼ぐ大人になった。しかし結局童貞を捨てられたのは魔法使いを目前にした29のときだった。

結局全て言いわけだった。

別に見た目が悪くても、金が稼げなくても、可愛い彼女がいるやつはいるのだ。

未だに若い美男美女カップルを見ると狂おしい。別に顔や外見が全てじゃないと強がってみるも、あのかわいい女の子と毎晩ヤリまくってるんだろうなと思うと情けなくも嫉妬する。

中学生とき初キスだとか、高校ときセックスしたとか、たとえフィクションでも話を聞いただけで気分が落ち込んでしまう。中高生への性教育現場なんてのも胸糞悪い。クラス女子とはなかなか話せず、家では黎明期インターネット収集していた画質の悪いエロ画像妄想で補完しながら抜く。そんな暗くじめじめし青春時代を送っていた俺。女子どころかクラス陽キャ男子とも疎遠だったため、リアル恋愛事情なんて情報が入ってこない。今、当時のリアル恋愛事情を聞くとフィクションではなく本当にあったなんて裏切られた気持ちになる。次節イジってくる陽キャどもを敵視し、恋愛うつつを抜かしている隙に勉強し見返してやりたいと思っていた。大学就職は非常にうまくいった。でも、やりきれない。風俗にいっても、やるせない。今さら何を経験したところでもう青春時代トラウマを塗り替えることはできない。今からどれだけやりまくったところで、10代は巻き返せないのだ。


俺は結婚はした。美人ではないが毎日話していて楽しい妻と一緒にいると、結婚してよかったと思う。ところが典型的アラサー夫婦で、結局セックスレスになった。結婚したらセックスフルな生活を送れると思っていた矢先だ。

「今さら何を経験したところで」なんて強がってみたところで満たされない事実からは逃れられない。

夫婦セックスレスだろうが、やってるやつはやってる。コロナリモートワークで昼は家に俺ひとりだ。同じ状況の男は不倫だとか浮気相手よろしくやっているのだろう。

もう後悔したくない。性欲枯れてからもっとやりたかった人生だったなんて情けないことを考えたくない。10代は巻き返せなくても妻と精一杯楽しめばいいじゃないか。たとえ暗い青春時代を送っていても、飽食すれば多少は浮かばれることだろう。

そう思いながら、そっぽを向いている妻と冷たいベッドで寝るのであった。

2021-01-31

(一部修正)社会学者のすべてがおかしいわけじゃないって、それおかし

社会学者界隈が炎上している。

真面目に研究している人にとっては迷惑なことだと思う。

こんな状況で社会学研究しているのはつらいという気持ちはよく分かる。

思うが、同時に、それは社会学自業自得だとも言える。

だって、偽物が跳梁跋扈している現状は今に始まったことじゃない。

1990年から学問としてはボロボロだったわけでしょ?

それから20年経って、状況は改善たかと言ったら全くしてない。

2018年には、ナチスのわが闘争をもじったりしたバカ論文フェミニズム論文誌に送ったら7本も通ったって第2ソーカル事件が起きて、何一つ状況は改善してなかった。

それら状況をきちんと学問界隈として総括したかと言えば、何もしてない。

偽物は社会運動に耽溺し、アカデミズム看板社会運動うつつを抜かし、何一つ学問としての堕落改善されていない。

学問でございって顔して、なんの根拠もなく世界中他人悪人扱いしている学者集団がほかにいるか

こんなに素人バカにされてて、ネット素人に誰からも分かる形で論破されてる学問が他にあるか?

学問としてのソースを出せずに、根拠を問われて「私の気持ち」なんていう学問が他にあるのかよ。

積もりに積もった疑念があらゆる界隈から向けられてる。こういうときに「我々の社会学には純然たる研究に裏打ちされたがあり、こういう理由で我々の理論は正しいのだ」といえない時点で、学問としては敗北で、「まともな学者もいるんだって」なんていいわけみっともねえと思わねえのかな?

だって、そう言ってる人たちも、「偽物ばっかりの世界だ」って認めてるわけでしょ?

そレは偽物の研究で、俺たちの理論こそ本物だって駆逐たか? してねえだろ。

偽物の糞活動家みたいな学者連中と戦ってないでしょ。

全力で戦えよ。そのためならいくらでもエンパワーメントしてやるよ。

でも、そんな戦いすらせずに、「俺だけは別です」みたいな顔してるんじゃねえよ。

野放しにし続けてるだろ。学者としてのキャリアを賭けて戦いを挑めよ。

親の借銭背負うみたいな話で大変だと思うが、それでも戦えよ。偽物ばかりの世界真実で切り込まないで何が学者だよ。

とりあえず、「自分は正しい。自分たちは間違えてない」と思うのなら偽物に戦いを挑めよ。

とても状況を見るに、偽物と全力でぶつかってるとは思えない。

偽物ばかりの世界で、偽物が嘘をばらまいてるなら、その嘘と戦え。

医学感染症学会も、偽物のトンデモ医師が出てきたら戦ってる。社会学キャリアを賭けて戦え。

それが学者としての使命だろ。社会学者が信頼されてないということは偽物の跳梁跋扈を食い止められてないってことだ。

から戦え。

それが学者としての使命だろ。

2021-01-10

anond:20210109182629

いくつか内容の理解に役立ちそうな情報メモしておきます

1.そもそも日本医療提供赤字(=税金の投入)で成り立っている

https://toyokeizai.net/articles/-/208345?page=2

高齢化の進む先進国はどこでもそうじゃないか、と思われるかもしれませんが、そもそも健康保険というものが何のために存在するか(=国民による相互扶助)を考えると、税金をこれだけ投入しないと成り立たないというのはどこかオカシイ考える人が出てきても不思議ではありませんし、

実際高齢者への年金医療提供を多少減らしてでも、大学若者世代公的資金を投入すべきという考え方はありうると思います

https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/20180526/1527308271

また、例外的アメリカでは医療への公的資金投入は非常に少ないです。オバマケアそこをなんとかしようという政策自分理解していましたが。。。。

2.日本病院の数は世界一だが、病院当たりの医者の数は少なく、7割が民間(非公立)の病院である

ソースは上と同じ記事

前提として、医療機関は患者自分のところで対処できなくなると、より高次の医療機関へ搬送するという仕組みになっています

この、「高次の医療機関」とは、専門医設備がそろっていて、的確で集中的な治療ができる大病院日本場合、多くは公立病院になります

そして、公立病院は規模が大きく提供できる医療も高度ですが、絶対数が少ないのです。

まり、新型コロナウィルス感染重症になってしまうと、そもそもあてにできる病院は限られている、というのが正しい理解でしょう。

そして、その限られた「高度な医療機関」は、当然他の重病者(今すぐ治療しないと命にかかわる患者)も使いたいのです。

この部分の病院ヤバい、というのが、現状の都市圏における医療崩壊に対する正確な認識なのではと思います

軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院コロナ診療崩壊している首都圏重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。

元増田のこの記述は正確に現状をとらえているのではと思います

3.公立病院予算削減、病床削減の重圧を受け続けている

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72890

もともと厚生労働省(&財務省)は、1.に記した通り赤字医療体制を、なんとか変えたいと思っています

これが「地域医療構想」と呼ばれる改革プランで、小さい病院をつぶして集約したり、慢性期の病床を減らしましょう、というものです。

ただ、このターゲットになっているのは公立病院です。(民間病院には、国や都道府県は指示できない)

上記した通り公立病院こそがコロナ治療の要になっている現状に対して逆行しています

厚生労働省(&財務省)は、今後、公立病院を中心とした病床削減の政策は見直さざるを得ないでしょう。

この記事では保健所の弱体化にも触れており、まさに日本のやってきた医療政策が今回のコロナ禍で完全に裏目に出ていることが示されています

4.新型コロナ感染した患者治療必要な、ICU感染症病床は削減されている

ソース上記と同じ。

この記事では、どのような属性病院で削減されているのかまでは記述はありませんが、上記したような「高度な医療提供できる公立病院」の病床が削減されていることは想像に難くないでしょう。

5.民間病院には国や都道府県命令することはできないし、コロナ患者の受け入れも拒否できる。コロナ患者を受け入れないのが病院にとって合理的判断

https://news.yahoo.co.jp/articles/83dcfd661ebcd0b9b4fdbaa73401c41c9d818808

民間病院に対する指揮命令を、国や都道府県から行うことはできません。というか、できるという根拠となる法律がない、というのが正しい理解でしょうか。

緊急事態宣言があれば、指揮命令ができる、という特措法の解釈もありえますし、実際小池知事をはじめとした各知事の行動はそれも目的の一つだったのでは?と思います

 しかし、夏場に感染者が少ない段階でそのあたりを準備していなかったのは知事側も国側も同じで、Gotoなんぞにうつつを抜かしていた、という誹りは避けられないのではとおもいます

また、医師法にて、1・2類感染症(今回のコロナウィルス感染症)は、受け入れを拒否できるとされています

当然、コロナ患者を受け入れれば経営悪化するし、スタッフ院内感染するかもしれませんし、受け入れたくないというのが多くの病院経営者の本音でしょうね。

そんなのひどすぎる! とおっしゃる方、永寿総合病院院内感染が発生したとき、何をしている!と思いませんでしたか? コロナ患者を受け入れた病院看護士ボーナスが0になったのを見て、あんまりだ!と思いませんでしたか

当然、病院経営側もそんな事態を避けたいと思っています。だから、受け入れない。合理的判断だと思います

もちろん、善意からとか、医療者としての義務から、受け入れを行っている病院も多いでしょう。

ただし、それらの病院では効果的・効率的治療はできません。なぜなら、2.に書いた通り、各病院でそのような患者を診ることができる医師絶対数が少なく、設備も限られているからです。よって、最終的には高度医療機関へ搬送せざるを得ません。

再度引用になりますが、

軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院コロナ診療崩壊している首都圏重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。

治療もできない・送り先もない重症患者なんか診たい病院はない(私も嫌だ)。

からコロナ診療に参加する医療法人経営病院は少ないと思う。

結果として、元増田の書いたような事態になります

まり、、、、、、、

医療崩壊しそうだから医療提供体制をいまからどうこうするなんて(日本政府には)無理無理の無理なので、みなさん行動変容をよろしくお願いします。

じゃないと本当にアメリカみたいになるよ。

2020-12-20

ココロのスキマお埋めします

空いた時間に、お気に入りVTuber配信してればとりあえず開いて音を流しておく。ほかにやる事はあるんだけどな・・部屋掃除するとか。積ん読を消化するとか。バーチャル美少女うつつを抜かしている、そんなことやってる場合じゃないんだけどな・・・

手癖のように。手持ち無沙汰をなんとかするあためにハンドスピナーを回すような。

口寂しさを埋めるため、おしゃぶりをする、タバコを吸う、ガムを噛むみたいな。

何か足りないものを、埋め合わせするような。無意識

VTuberとか、マンガ映画を見るといった、他人の魅力的な人生を見てたり応援したりすることにリソースを使いすぎて、自分人生をやっていないことが多い。

a.k.a. 違う言い方をすると、自分人生と向き合うことから逃避するために他人人生観測したり応援したりしているのではないか?(自爆

コードギアスじゃないけど「カラッポだった僕の部屋に光がさした」

いや、自分で光れ。自発しろよ。って話なんだよな

2020-12-12

今度生まれ変わったら掛け時計時報付きに

インターネットに何時間うつつを抜かさないように

2020-12-06

Kに呪われている

夏目漱石こころ』のネタバレを含む。

最近自己肯定感を高めるメソッドなどを読んで自分の中で意識改革があったのだけれど人間は「ダメでもいい」のだ。

ダメでもいい」のだけれど「ダメでもいい」と思えるようになるのがわたしには難しかった。

そんな考え方になってしまったのは高校生とき国語教科書に載っていた、夏目漱石の『こころ』の登場人物Kの影響が大きい。

Kの生家は寺で、修行僧のようなストイックさを持ち勉学に励む青年だ。恋愛うつつを抜かして真面目な話に取り合わない「私」に対して「精神的に向上心のないもの馬鹿だ」と一刀両断する。

わたしはこの「精神的に向上心のないもの馬鹿だ」に非常に感銘を受けてしまった。

精神的に向上心を持たなければいけない。自分に至らぬところがあれば努力しなければならない。決して現状に満足してはいけない。そして努力の見られない他人を見下すようになってしまった。

(余談だが他人disることで自分より下がいると思い込みたいのか、自己肯定感の低い人ほど他人に対して攻撃的になってしまうらしい)

自己肯定感の低い人間がそれらの行動をとるとどうなるのかというと、結果としてわたし自己否定ループに陥ってしまった。

こうあらねばならないという理想けが高く努力を続けるが、結果を残せず「もっと頑張らねば」という感情けが残る。次第に「こんなに頑張っているのに結果を残せない自分とは……」「いつまで頑張らなければならないのか」「頑張っても結果を残せない自分精神的に向上心のない馬鹿だ」と思うようになった。自己肯定できない負のループだ。

自己肯定感を高めるメソッドに「小さな目標を立ててそれを達成し続けている」というものがある。だがそれは間違いだと思う。

間違いというより、成功体験を積み重ねることで自信がつくというのは理にかなっているが、高い自己肯定感というものは「ありのままのどんな自分でも肯定できる」ことだ。自信がある=自己肯定感が高いというのも間違いではないのだが、どんなに失敗しても、結果を残せなくても「それも自分だ。それも良い」と思えることこそが自己肯定感の高さなのだと思う。

最終的に「精神的に向上心のないもの馬鹿だ」の大ブーメランを受けて自死してしまうKの末路には目を伏せて、この言葉信仰していたわたしにはどうしてもダメ自分肯定することが難しかった。ダメ自分を受け入れているのは「精神的に向上心がない」。完全にKに呪われていた。

だが人間は「ダメでもいい」らしい。自分こころを守るために、失敗を重ねた自分を罰して傷つけないように「ダメでもいい」ことを受け入れられるよう考えてみた。「このままでもいい」と言い換えてもいいのかもしれない。今まで向上心をなくさないよう気を張りすぎていたのか、現状を肯定するよう努力してみたら、すとんと心が軽くなった。自己肯定感が低い人間は少しくらい図太く生きてみるのもいいことなのだろう。

身の丈にあった幸せや、すぐそばにある大切なものを慈しむことも自己肯定感を高めるために必要なのかもしれない。「ダメでもいい」とこころで唱えながら今日もKの呪いと戦っていく。

2020-12-01

オバマパウエルが貧しい黒人から努力成功したのを見ていると自分が責められているようで不快だ、ってさぁ、

パウエルは元国防長官パウエルさんのこと)

それって根本的になんか考え方が間違ってないか

その上、オバマ貧困層を助けようとしてくれるのが不快だ、って貧困層人達が叫ぶのは何か筋違いだと思うんだが

それって単なるコンプレックスなのではないか

障害者施設大量殺傷事件植松法廷でも被害者の遺族が、

あなたからコンプレックスをすごく感じるのですが、それが動機ではないのですか?

と言ってたのに頷くしかないというか、

植松座間白石も、あと京アニの青葉も、奇しくも同じ様にコンプレックスを感じる

いわゆる、「こじらせた」感じが凄いする

植松からは、図工教師父親漫画家母親との確執を感じる

法廷漫画を描いているのも、「俺の絵上手いでしょw」という拗らせたワナビーのような感じが凄いする

絵が上手かろうが能力があろうが、社会的評価がなければ意味がないというか、

どんなに絵が上手かろうが、無職フラフラしている人であれば社会的な風当たりは強い、それは当然だろう

自分能力が高いから許される、みたいな選民意識さえ感じる

しかし、一方では自分でもそれはみっともないことであり、社会的にも逆効果評価されるとはどこかで分かっているようにも見える

その自分の中の理想自分現実との落差に憤る、そりゃ当然だろう、理想が高すぎるから

あれは何なのだろうか

白石日産リーフの給電コネクトなどを開発した主要開発者の父にコンプレックスがあるのか、

それとも父親にも何か問題があるのか、そもそも母親と妹という女性陣だけ家を出てるというのも不可解だが、

白石父親へのコンプレックスを拗らせているのは確かだろう

植松白石共通しているのは、冗舌に話しているところに親の話をすると急に不機嫌になる、キレるというのがあると思う

そういう点で二人は似てさえいる気がする

なんか時代みたいなものでもあるのだろうか

青葉は父親へは家に金も入れずに女にうつつを抜かし自殺して逃げてしまったのだから恨んでしかいないだろうが、

青葉がコンプレックスを持っているのは、小説家として成功している人達というか、

自分のそういった人生のハンデを派手な功績で覆したいという欲が見え隠れする

もちろん、毒親だの育児放棄だの、そういった点で被害者と考えられなくないことも世の中多々あるわけだが、

そういう理不尽を飲み込めない、というのは、

どこかに社会は公平でなければならない、という奢りや錯覚があるとか、

正解がなければならない、正解があるはずだ、という傲慢さがある気がする。

宗教的には神という絶対的存在を置くことで、そういった理不尽を飲み込み、正解は神しか知らないのだから気にしない、

という考え方で心を安定させ、日々の生活を優先させることを考えるものである

しかし、宗教をやらなくても構わないが、心の中になんらかの芯がない人達理不尽脆弱なのではないだろうか

学校勉強には正解がある

でも、プログラミングだっていくつもの書き方がある

明らかに無駄な書き方もあるし、Aという環境では高速に動作するが、Bという環境では遅くなる、その逆もある、

みたいに解は複数あるし、どれが正解かというのもとき場合によるのである

そもそもコンピュータ場合は他にもプロセスがいくつも動いており、それぞれがリソースを奪い合っている

同じプログラムでも実行したタイミングによってパフォーマンスは異なる

それをゲームとかなら、どれだけフレームレートを一定にするかとかそういう話にもなってくる

正解はない

から模索し続けるしかない

2020-11-28

我慢の3連休」やら「我慢の3週間」やら

政治家先生は「アベガー」やら「桜ガー」ってどんちゃん騒ぎにうつつを抜かしてちっとも我慢してこなかったかもしれないが、一般国民はずーーっと我慢を強いられているんやで

2020-11-07

ゆるキャン△大垣城の思い出と堺屋太一世界観団塊の世代

 ドラマゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメ大垣そのままだったことに感動して、大垣関係するものを何かしてみようと思い、大垣観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。

 岐阜県大垣市のJR大垣から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北山地で囲まれ関ヶ原琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。

 私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトル劇画調の石田三成徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士価値観を決定するイデオロギー闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVD再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。

 私は高校日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。

 映像豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥筆頭株主社長に例えて、五大老秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉会社から株式を譲り受けて豊臣財閥取締役になったという設定である五奉行執行役員部長秀吉生え抜き社員だという。それぞれの大名石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。

 秀吉の跡を息子秀頼が継いだもの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉遺言である遺言に反して株式保有第二位副社長徳川家康クーデターを企て、それを社長室長企画部長石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやす解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。

 時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老五奉行会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落いたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。

 原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。

 堺屋太一は元通産省官僚であり、大きな業績として大阪万博企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会プロデュースドラマなどテレビ番組プロデュース大臣学者政治運動マルチ活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュース堺屋太一活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作ストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。

 堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一小説タイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後まれ世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。

 1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代バブル景気とその崩壊予測できなかったものの、団塊世代出世頭打ちになること、無駄役職者が高い人ばかりになり組織ピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在予測している。

 団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代復讐をする世代対立物語である。ただ、原作でも世代対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代バブル世代や団世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代対立関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォース民主党事業仕分けネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである

 閑話休題しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年舞台になっており作中では、団塊世代既得権益をむさぼりレジャーうつつを抜かして経済技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。

 ちなみに、堺屋太一1935年まれ2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一小説面白さが色あせることもないので今も読んでいる。

 ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。

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