はてなキーワード: 70年代とは
JR北海道がヤバいということで、分割民営化がおかしかったのではみたいな議論が出ているから、分割民営化の経緯の要点を書くぜ。
まず「民営化」の方。
そもそも国鉄は独立採算制であり、要するに税金で運営されていたわけではない(ここ勘違いしてる人がとても多い)。しかし、それでありながら経営の最終決定権は国にあったので、だいたい以下のような具合になった(数字はてきとう)。
自民党「これを作るように」
(数年後)
「政府が金は出さないが口は出す」というどう考えてもヤバい体制であり、これなら「金は出されないが口も出されない」民営の方がマシやんけ、というわけである。これは国鉄できた当初から予見されてたことであり、産業能率会議(昔そういうシンクタンクがあった)なんかは、50年代・60年代に2度にわたって「これ将来絶対破綻するから、分割民営化しないとヤバいって! せめて、公社のままだとしても口を出されないシステムに改革しなきゃ!」と政府に提言していたのだが、まあガン無視された。
要するに国鉄民営化は、50~70年代の政権与党の無策の尻拭いであり、「中曽根ちんが国労つぶしのためにやった」なんていうのはそれを糊塗するためのおためごかしに過ぎない(早川タダノリとかフジヤマガイチとかの有名なリベラル系アルファツイッタラーがこの見解にガン乗りしてるのは謎だが。君ら本当はネトサポなのでは?)。中曽根ちんは確かに国労嫌いマンだけど、第二次中曽根内閣で運輸大臣に分割民営化反対派の細田吉蔵を据えるなど、民営化に関して途中まで党内風見鶏に徹してた人でしかないし、国労は80年代には主流派(社会党右派)・非主流派(社会党左派)・反主流派(日共)の内部対立がひどくて(その結果が86年修善寺大会よ)往年の力なかったから、民営化なくても崩壊しそうだったやないか。分割民営化のせいで国労が崩壊したというのは、原爆投下のせいで日本は負けたと言ってるようなもんで、最後のひと押しを過大評価している。スト権ストの大敗北がミッドウェー、マル生粉砕が南部仏印進駐とみるべきじゃないですかね。マル生粉砕の成功が致命的な失敗やでほんと。
これは、当時の国鉄が極端な東京中心・地方軽視主義だったことへの対策である。いやほんと、国鉄時代の時刻表をJR後の時刻表と比べてみれば分かるんだけど、国鉄時代の地方のダイヤってスッカスカだぞ。あと東北地方とかが本当にスピード遅くてさあ……(国鉄はローカル線用に、うんこみたいな性能でスピード出ない上に排ガスがひどく、排熱管のオーバーヒートが原因で発火しやすいので安全性もクソという、褒めるところのない内製エンジン積んだ車両しか入れなかった。地方民の利便性より内部の論理が優先されていたんである。JRになったら海外メーカーの高性能エンジン積んだ新車を積極的に導入したのでめっちゃスピード上がった)。別に今のJRだってそこまで地方を大事にしているわけではないが、国鉄との相対評価でいえばめっちゃ大事にしてる(各社でバラつきはあるが)。組織がデカくなると、何をやるにも本社の顔色をうかがうようなことにどうしてもなるという話ね。
というわけで、各JRはある程度小さめに分割しようという話になっており、実際当初は本州を5分割(東北・上越・東海道・山陽の各新幹線沿線と関西&北陸)した8分割案が有力だったのだが、線路を共有する東北・上越分割の難しさなんかがあって、予定よりも会社の規模が大きすぎる本州3分割になったのだった。東海については、名古屋を大阪の下につける本州2分割案には名古屋政財界からの非常に強い反発があったため、当初の予定に近い形で割った。
で、こうしてできたJR各社の経営状態には差があるわけだが、別にここを何も考えていなかったわけではない。本州3社には国鉄の債務を渡して利子で苦しんでもらい、3島会社には債務どころか逆に「経営安定化基金」という補助金的なものを渡すことでバランスを取ろうとしたわけである。よく「JR北海道が赤字になると分からなかったのか」ということを言う人がいるが、「赤字になることが分かっていたのでその対策もしたのだが、それでもダメになってきた」が正解である。
諸々の詳細については、今では『戦後史の中の国鉄労使』『国鉄最後のダイヤ改正』などいろいろといい参考文献が出ているので、気になる人はそういうのを読んでね。
ちなみに今後のJR北だが、まあ厳しい。再国有化や上下分離を言う人もいるが、国も道も沿線自治体も沿線住民も、そこまでしてローカル線を残したいとは思ってないだろうしなあ。交通弱者の話にしたって、「バリアフリーとかにまでは手が回らないローカル鉄道に金を投じることが、その金をバスや福祉タクシーなどの補助に全額ベットするよりも交通弱者に優しいと、お前心の底から断言できるの?」という話になる。鉄道が交通弱者にも十分優しいのは都会の話であり、みなバスの強さを過小評価している。インフラは税金で維持されるべきだが、いつでも鉄道がベストかは本気で考えなきゃいけないところだぞ。中標津や音更、中札内など、鉄道が廃止されてからの方が街が栄えてる例というのも道内にあるしな。
やばい。すごくやばい。完全にハマった。こんなにすごいことになってるとは思わなかった。
ピンサロのことだ。ピンクサロン。簡単に説明しておくと、射精風俗の一形態なんだが、他の業種との大きな違いは、個室ではないということ。ちょっとした仕切りはあるけれど、あくまでもボックス席なので、プレイしている自分たちの姿が他の客から見えてしまうこともあるし、店内を巡回している店員からは丸見えだ。
そしてシャワーも無いので、局部をおしぼりで拭くだけで、プレイとなる。基本的にはフェラで抜いてもらう。
値段は安い。だいたい一万円しない。3千円なんて店もある。
70年代からある老舗風俗ではあるが、風俗の中では底辺に位置づけられているといってもいいだろう。
安かろう、悪かろう。
私も昔、ハマったこともあったが、その時も単に安いからという理由だった。何より落ち着かないし、サービスも甘い。女の子は、おばさんばかりというイメージとは違い、意外に若くて素人っぽい子が多いのだが、それでもどうせなら、もう少し出して、個室でゆっくりプレイした方がいい。そんな風に考えていた。
それが数ヶ月前に、大きな間違いであることに気づいた。ピンサロは大きく変わっていたのだ。
私は、性行為の中でもキスが好きだ。ディープキスをしながらイチャイチャするのが好きなのである。本番至上主義ではない。もちろん嫌いなわけではないが、挿入が無くても、それほど困らない。むしろフィニッシュはシックスナインで、という方が好みかもしれない。そんなわけでフェラも好きだが、サオや亀頭だけを激しくジュボジュボされるだけとういうのでは、あまり満足できない。もう少し広範囲に色々舐めて欲しい。
ディープキス多めでイチャイチャしながらお互いの身体をさわりっこしたり、舐めあったりする濃密なセックスが理想なのだ。どんなにテクニックがあっても、イチャイチャ感がなく、お仕事的にこなされると、冷めてしまう。
そんな欲が今のピンサロでは満たされるのだ。もちろんサービスは女の子によるのだが、ここ数ヶ月で行きまくったところ、半分以上の女の子がこってりとした濃厚なキスをしてくれる。かなりラブラブなムードでプレイしてくれる。しかも若い。今のところ、だいたいが20代前半。19歳だという子もいた。自己申告だから本当のところはわからないが、肌の弾力から見て、かなり若いことは間違いなさそうだった。
基本はディープキスとフェラチオだが、下を触ることもできるし(女の子によっては嫌がる場合もある)、店によってはお互い全裸になりシックスナインまで出来る。中には、ゴックンをしてくれたり、アナル舐めまでしてくれる子もいる。ただし、どうも、同じ女の子でも客によってサービスの内容を変えているらしい。つまり、女の子に気に入ってもらえれば、濃いサービスが受けられるということだ。この辺りの不確実性も楽しみのひとつなのだ。
そして何より、安い。お店のメールマガジンを購読しているとメルマガ割引が適用される。これが千円から二千円くらいあって、がっつりと引いてくれるのだ。うまく利用すると、早い時間なら(ピンサロは入店時刻によって値段が変わる。遅くなるにつれ高くなる)、3000円台で遊ぶこともできるのだ。
私は、だいたい5千円くらいで遊ぶのを目安にしている。しかし、5千円で、こんなにいい思いをさせてもらって、本当にいいのか、と感じることがほとんどだ。1万~3万くらいで他の風俗で遊んでも、だいたいは「まぁ、こんなもんだよなぁ」と寂しい気持ちになるものだが、ピンサロでは値段を遥かに超える満足度がある。不満は、時々巡回に来る店員に恥ずかしい姿を見られて、落ち着かないことくらいだが、これも慣れた(笑)。
もちろん、本番などはないので、本番至上主義の人にはダメだろうが、私のように本番よりもラブラブのキスを重視する人間には、こちらの方がずっとよかったりする。
問題は、安すぎるので、ついすぐに行きたくなってしまうことだ(笑)。この数ヶ月、かなりの金額をピンサロで散財している。でも、後悔はない。
名作駄作問題作など問わず、なんとなくみんなに見てほしいものを挙げていく。
この映画の話で盛り上がりたいって感じのノリで。
TVシリーズの劇場版とかもあるので単体で見て面白いかとかもあまり気にしてないので御承知を。
寝たきり老人・高沢喜十郎はある日突然最新型介護ロボット「Z-001号機」のモニターに選ばれ、ボランティアで介護を行っていた看護学校生の晴子はお役御免となるが、介護ロボットに全てを世話される喜十郎をかわいそうに思い、彼の救出を決意する。ところが介護ロボットが暴走をし始めて……。
という高齢化社会を痛烈に批判したSF作品……かと思いきや、作品自体は完全なるコメディで、見ていて超楽しい。
大友克洋がメカニックデザイン、江口寿史がキャラクターデザインという豪華なコンビで、作画的にも沖浦啓之、今敏、黄瀬和哉、井上俊之、鶴巻和哉、本田雄、森本晃司、大友克洋、中澤一登、松本憲生……と挙げきれないほど有名なアニメーターが参加していて、クレジットだけで作画オタクはご飯3杯は余裕である。
江口寿史によるキャラクターがとてもよく、まず主人公の晴子がめちゃくちゃかわいい。そして元気な老人たちの存在感、さらには晴子の友達の絶妙なブサイクさ。
80分という時間も絶妙で、気軽に見てほしい。社会問題を扱いながらも妙に心が温まる不思議な作品。
いわずと知れた夭折の天才・今敏監督作品。彼の監督したアニメ映画は4つしかなく、1日あれば容易くファンを名乗れるのですぐツタヤで借りてファンになりましょう。
彼の映画はどれもが90分前後という上映時間でありながら、非常に濃い。
その中でも東京ゴッドファーザーズは視聴後の多幸感にかけてはピカイチで、一番エンターテインメントとしてわかりやすい作品と言えるかもしれない。
次々と転がり込む御都合主義のような幸運。これが気持ちいいのだ。
メインキャストを務める江守徹、梅垣義明、岡本綾といったメンツも、非常にいい仕事をしている。
近年では四畳半神話大系やピンポンなどの監督で有名な湯浅政明の初監督作品。初監督でありながら、文化庁メディア芸術祭でハウルの動く城、イノセンス、スチームボーイをおさえて大賞を手にした。
何よりすごいのは映像で、イマジネーションに溢れたその映像はどんな言葉よりも説得力がある。
後に著作・四畳半神話大系が湯浅監督によってアニメ化されることになる森見登美彦氏も、「迫力でちょっと怖がった」そうである。
最初はその独特な世界に戸惑うかもしれないが、終盤の脱出シーンを見ればもはや何も文句は言えまい。
説明不要のうる星やつら劇場版。押井守監督の最高傑作として名前が挙がることも多い。
映画としての評価は大変に高いが、これがうる星やつらなのかといわれると、別の何かなのかもしれないという感じがしてくる。
お祭りのわちゃわちゃの中に、不意に違和感を感じさせるものが入ってきて異世界に入り込んでしまったようになる。そういう描写がたまらなく好きである。
意味がなさそうでありそうな、哲学的な長セリフも本作の特徴で、言葉にできない不思議な魅力が詰まっている。
宮崎吾朗の才能を信じてもいいかもしれない、と感じさせてくれた一作。ジブリファンも本人もどうしても宮崎駿の影を追ってしまわざるを得ない環境の中、よくこれを作った。
そもそも脚本に宮崎駿が参加しているし、プロデューサーも鈴木敏夫だし、どう考えても往年のジブリ作品の系統として作られたのは間違いない。
おそらくは宮崎吾朗が制作を完全に仕切っていたわけではないのだろう。しかし、映画の端々には宮崎吾朗の味が感じ取れる気がするのでこの映画は何かすごい好きである。
カルチェラタンの描写には明らかに押井守の影響が感じ取れるしね。
『ローニャ』国際エミー賞子どもアニメーション部門受賞おめでとうございます。
眉村卓の小説『ねらわれた学園』を原作としたほぼオリジナルのアニメ。
原作のSFっぽい感じは薄まっているが、逆に薄めたことでSF的な部分がわかりにくくなった。
『あいうら』『灰と幻想のグリムガル』でおなじみの監督:中村亮介、キャラデザ:細居美恵子のコンビと言えば映像目的だけで見たくなる人もいるだろう。
ふとももに注目せよ。まずはそれだけでいい。
健康的なフェティシズムに溢れたキャラクターと美麗な映像を堪能あれ。
ポニーキャニオンが開催したアニメ化大賞という賞で大賞を受賞した『D.backup』を原案にしたオリジナルアニメ。
原案の拡張性ある世界観と、(おそらくは)予算的にギリギリだった1時間という枠と、とにかくキャラクターのかわいさを押し出したいポニーキャニオンと、映像の美しさを追求したい石浜真史監督とが相乗効果を生んだような生んでいないような作品。
序盤はありがちな魔法少女的なSF作品かと思うかもしれないが、終盤には急展開が続き、頭が追いつかない。
それもそのはず、脚本の志茂文彦によれば、映画の後半部分はほとんどコンテ段階で監督が構成したものらしいのだ。
序盤の丁寧な世界観説明と比べて、終盤がややこしいのは、監督がセリフに落とさず映像に込めた部分が多かったからなのである。
さらに、後のトークイベントでは、コンテにすら描かれず、スタッフにしか伝えられていない裏設定が大量にあることが明かされ、「偏差値70のアニメ」との烙印が押された。
監督:舛成孝二、脚本:倉田英之、キャラデザ:石浜真史という『R・O・D』トリオで制作された劇場アニメ。
舛成・倉田は『かみちゅ!』というTVアニメを手掛けていて、劇場公開に合わせてNHKBSでかみちゅ!が再放送されたりBDが発売されたりした。
黒沢ともよの声優デビュー作品でもある。当時はまだ子役であった。
夏休みの子供向け映画といった趣であったが、子供に136分は明らかに長すぎる。ある程度のアニメファンならばこの尺は耐えられるし、楽しめるだろうと思われる。
作画がぶっ飛び過ぎていて、作画的にはスペースダンディ劇場版とでもいうべきレベルである。
そして、主人公の少女の健康的なエロさがなんとなくにじみ出ていて、制作者はロリコンなのか?という疑惑が湧いてこないこともない。
海外の映画祭に出品されたりして、結構アニプレックスが期待していたのが窺えるが、やはりなかなか商業的には上手くいかなかったようだ。
上映時間の長さや、超新星爆発についての描写などの細かい部分を除けば、十分に面白い作品であるといえる。
3時間弱。長い。が、しかし、エンドレスエイトを経験したファンの不安を一掃するほどの高クオリティでアニメ化された作品である。
それまでの京アニの集大成といってもいい。内容については特に言うことはない。
けいおん!で注目された山田尚子監督によるオリジナルTVアニメ『たまこまーけっと』の劇場版。
『たまこまーけっと』ではいまいちヒットせず微妙な評価に留まっていたが、これが公開されるとたちまち好評となり、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では新人賞を受賞した。
TVシリーズは、舞台となる「うさぎ山商店街」の絶妙で温かな空気感を楽しむ作品であったが、本作ではわかりやすくラブストーリーにしたことで、デートムービーとしても見られる非常に間口の広い作品となった。
どちらの方が良かったとかではなく、単なる魅力の伝わりやすさの違いである。
とはいえ『たまこラブストーリー』は卓越した作品であり、山田尚子の代表作として語り継がれるのは間違いないと思われる。
『イヴの時間』などで知られる吉浦康裕監督作品。彼の作品の特徴は何といっても「発想」にあると思う。
独特の間も特徴ではあるが、基本的に彼の作品はある「ギミック」が作品の根本となっていることが多い。
なので、下手に前情報を入れて見に行くよりは、何も知らずに見て新鮮な驚きを感じた方が良い。
この作品もあるギミックが重要なのでそこを面白いと思うかどうか、そこが評価の分かれ目である。
つい先日無期限の休養を発表したヤマカンこと山本寛監督の、いわずと知れたアイドルアニメである。
彼についての悪評やバッシングは絶えないが、個人的には彼の作品は好きである。
この『Wake Up, Girls!』というシリーズは、まずTVシリーズの前日譚として『七人のアイドル』という中編映画があり、続いてTVシリーズ全12話、そして続劇場版の中編2作といった流れである。
TVシリーズ放映時は緊迫したスケジュールによる作画の乱れで物議を醸したが(BDでは修正された)、続劇場版(特に前篇)では非常によく動く。
このまま彼がアニメ制作の現場に戻らないとすれば本作が彼の遺作となってしまうが、遺作の呼び名に恥じない出来の作品であるということは声高に主張したい。
「ハイパーリンク」と称してキャラクターの中の人のパーソナリティや実際の出来事を反映する手法の効果は、続劇場版で見事に結実した。
アニメの創作性と現実の偶然性が合わさってとても気持ちの良いサクセスストーリーになっているのだ。
後篇の『Beyond the Bottom』は田中秀和による同名の主題歌も相まって、非常に神々しい輝きを放っている。
神前暁も「これを超える曲をこの先作るのは大変」と太鼓判を打った。
アニメ界の王子、イクニこと幾原邦彦が初めて監督を務めた劇場作品である。
この時点から彼の演劇的な作品づくりの手法は発揮されている。
庵野秀明は映画館で本作を3度も観たらしく、緒方恵美が演じた衛の少年時代の声を聴いて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ役に抜擢したというのは有名な話である。
TVシリーズの再構成ではなく、全く新しい解釈で制作されたオリジナル作品。
作画的な制約もあったTVシリーズと比べ、かなり大胆に脚色され、より過激となった映像美はまさに唯一無二。
突き抜けすぎて、終盤の車のところでは何が何だか分からなくなってポカンとしてしまう人も少なくないという。
「王子」こと及川光博がゲスト声優として出演しているのもポイント。
『京騒戯画』『血界戦線』などで知られる東映アニメーション出身の気鋭の演出家・松本理恵の監督デビュー作品。当時25歳。
『ハトプリ』はプリキュアシリーズでも人気の高い作品のひとつだが、この劇場版も非常に人気が高い。
パリを舞台にしていて、OPでのスタッフクレジットが背景に溶け込んでいる演出の時点で何かが違うぞと感じさせる。
メインキャラクターのTVシリーズでの成長・感情の変化をきちんと物語に取り入れつつ、本作オリジナルキャラクターであるオリヴィエとサラマンダー伯爵の切ない関係を描き、多くの視聴者の胸を打った。
『劇場版アイカツ!』でなくてなぜこれを挙げるのか、疑問にお思いだろう。
というのも、私は熱心な『アイカツ!』フリークで、アイカツ!を見始めたのなら劇場版アイカツ!を見るのはもはや自然な流れで、あえて挙げることではないという認識でいるからだ。
ということで、あえてアイカツ!を見る入り口として薦めるのであれば、CGステージをかき集めたこれが良いだろうと思い、挙げた次第である。
アイカツ!の楽曲のジャンルの幅広さ、CGステージでの綿密に練られたカメラワーク、そしてアイカツ!という作品世界の持つ空気感を少しでも感じてくれれば後は言うことはない。
少女向けアニメの最高傑作との呼び声も高い『カードキャプターさくら』、その集大成となる第2弾劇場作品。
ラストシーンでは年齢性別問わず多くのお友達をキュン死させ、多くの大きなお友達はそのままゾンビとなった。
ポケモンの映画といえばミュウツーの逆襲だったり水の都の護神を挙げる人が多いが、私はこの作品を挙げる。
70分という短さに詰め込まれた「家族愛」というテーマは、子供よりもむしろ親の方に深く響いたことだろう。
当時劇場で見てリザードンに興奮した子供たちも、今改めてみればまた別の感動を味わうに違いないはず。
テレビアニメ『楽しいムーミン一家』の劇場版であるが、本作はテレビアニメの前日譚となるエピソードの映画化である。
『楽しいムーミン一家』はもっと語られていい傑作アニメであり、本作ももっと多くの人に知られて欲しい。(旧ムーミンのファンには申し訳ないが……)
子安武人演じるスナフキンによるシュールな悪口が聴けるのもこの作品。
いわずと知れた名作『ルパン三世 カリオストロの城』と同じ1979年に公開されたアニメ映画である。
実はこの年の邦画の配給収入で1位を獲得している。
70年代を生きたアニメファンにとっては有名も有名だが、今では知名度はカリオストロよりも低くなってしまっていて、金曜ロードショー恐るべしといった感じである。
エンディングに流れるゴダイゴのあの有名な主題歌を聴いた時、あなたはきっと涙を流しているはず。
90分弱に詰め込まれた圧倒的な熱量!THE出崎統!
世界はもっと出崎統を評価せよ。
BD・DVDがプレミア化し、配信・レンタルでも見られなかった傑作が、ようやく今年BDの再発売によって見やすくなった。
7月22日発売です。
youtubeにはgoogleアカウントでログインし、定期的にトップページで出てくるおすすめ動画から、興味ないゲーム実況動画やユーチューバー動画や静止画ニュース動画を削除してきた。自分なりにトップページをメンテナンスして、それなりに居心地良い画面にしてきたつもりだった。
ところが昨日、トップ画面を開くと「マスゾエ」「反日」「韓国の反応」「すごい日本」みたいなネトウヨ系政治動画や2ちゃんねるまとめブログをさらにコピーしたような動画が大量におすすめの中に出現していた。
そんな動画、見ることないのにおすすめされてもなあ、と思いつつ、メンテナンスを開始した。
いらない動画にマウスオーバーし、出てきたハンバーガーメニューをクリック。
動画のタイルが「動画を削除しました」という白い背景のものに変わったので、その下の「理由を教えてください」をクリック。
「次の動画に基づくおすすめには興味がない:あの素晴らしい愛をもう一度(ライブ)」
というものが出てきた。なんで70年代フォークとネトウヨ動画がひもづいているんだ。
別の動画で同じ処理をすると、その動画は「帰らざる日のために いずみたくシンガーズ」に関連するおすすめ動画だった。
そういえば一週間以上前に、この手の古い歌謡曲やフォークをまとめて聞いた日があったんだった。
そう思って視聴履歴を全消去した。
70年代生まれ。♀。身長161センチ、ややぽっちゃり。大学(理工系)卒。結婚歴なし。
自分で言うのもなんだがちょっとツンケンとした美人系だと思う。
昨年末に大病を患い仕事をやめ実家に身を寄せている。うまく言えば「家事手伝い」。
病気はどうやら寛解一歩手前までたどり着いたものの、通勤は不可能。
同じく大病を経験した友人に打ち明けたところ、
一行だけ
とだけ送ってくるヤツが結構いる。
大抵そういうのはプロフィールも貧弱で、どこから話のとっかかりをつかめばいいのかわからないレベル。
それでもこちらは返事を返す。丁寧な文面を考えてね。
「僕は日本語が下手なので文章は書けません! とにかくおつきあいして下さい! よろしくお願いします!」
と返事が返ってくる。お前はオウムか?
それで「あなたが書いたプロフィール以上のことを私は知りたいんです。あなたのことを聴かせてくれませんか」
それも、サイトの標準装備でお断りの文面を生成するサービスがあるので、
だいたい6〜7行ある、よく練られているけど慇懃無礼な定型文が返ってくる仕組み。
いっそ最初に送るメールも自動で文面を選べる機能にしたらどうだ?
ここまでひどくなくても、こっちは「身体が弱いのでスポーツ系の活動はできません」
「一緒にフルマラソンに出ませんか」
とか書いてくる奴もいた。もうこの時点で泣きそう。
いきなり初対面(というか、顔すら会わせてない)人間に、
「ボッティチェッリ展を観に行ってそのあとラブホテルに行きましょう」
ほかにやりとりが続いた例としては、なんとなく流れでこちらは今日起こったことを書いているんだけど、
返事が
「なるほど、それはよかったですね(^^)」
といつも返ってくる。いつもこの1行だけ返ってくる。それでも眼をつぶってた。
ある日
と書いたら
「なるほど、それはよかったですね(^^)」
ときたもんだ。即座にお断りしました。自動生成ではない文面で。
プロフに「LINEは使っていません」と書いていたんだけど(単に嫌いで使っていなかっただけ)、
そうしたら、いちにちの半分くらいLINEに費やす状態になってしまった件。
「どうしてすぐ返事をくれないの?」
とか、お前はほんとうに30代(それ以上もいた)か? と文句つけたくなった。
こちらもだんだんすり減ってきて、LINEのIDを携帯電話の契約ごと解除して、
それ以降知り合った人間とはGmailで遣り取りをしたんだけど、
バイトの休憩時間にメールチェックしたら40通以上メールが入ってたときも。
Gmailはやめとけ。
それと、上で書いたディスコミュニケーションは「ほんの序の口」だと思ってね。
あ、あとソメイヨシノには気をつけて。男女ともに。
気をつけていても引っかかりそうになる。それくらい多かった。
みんな案外親切にしてくれて、
色眼鏡で見られる、と思っていたけど、そんなことはぜんぜんなかった。
音楽のはなし。
30代の自分からすると、70年代後半から80年代前半くらいのニューウェーブというジャンルの人気や影響がどんなものだったのか全くわからない。
プラスチックス、P-MODEL、ヒカシュー、一風堂、有頂天あたりの曲を聴くと、電子楽器とバンドを組み合わせた新しい音楽を模索するぜ!みたいな流れを感じる。
ニューウェーブ系のバンドはたくさんあったようだし、斬新だから当時のヒットチャートを賑わせたバンドがいくつかあってもおかしくないんだが、そんな話を全然聞かないのはなぜだろう。
YMOだけしか聴かなかったのか、それとも大ヒット曲がないから話題にするほどでもないってことなのか。
うーん、不思議だ……。
何気なくスマホに写り込んだ自分の顔を眺めていたら、自分の顔には未来感が無いということに気づいた。
自分の顔を客観的に評価したところ、髪型は80年代感、顔面は70年代感で、総合評価としては80年代感の顔といったところだ。
しかし、これは私ばかりではなく、今、街を歩く人々の顔を見てみると、だいたいは前時代的か現代のスタンダードとなった価値基準の顔をしている。
ここで重要なのは、ブサメンだとかイケメンだとか美人だとかブスだとかは顔面ジェネレーションに全く関係がないということだ。
具体例を出すならば、藤田ニコルあたりは現代の最先端、全く新しい価値観を提示している顔だろう。単純な美醜を超えた未来感をもっている。
また過去に遡れば、夏目雅子あたりは、当時相当未来感のある顔として、つまりこれからの時代を象徴する顔としてもてはやされたのではないかと私は睨んでいる。
色々な分野で、全く新しい才能が突如出現しパラダイムを変えていくということがあるが、そういう事象は時代ごとの人間の顔にも当然ある。
邦題ひどすぎる
小説(日本語版)が好きすぎて原作もkindleで読んで、普段見ない映画まで見に行ってしまった。
いろいろネタバレる
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メカがなんかちゃっちい。なんでだろ。
必要な耕作面積を算出したり
ついでに0.4Gじゃなくて1G
ワトニーが死に方を考えとくシーンも
70年代~80年代のドラマ見るシーンが無い。なのでアイイイイイーの意味がわからない
嵐に気がついてよけるシーン無い
アレス4の降下船で助ける計画も無い
メカニックであり
描かれたのは農家と宇宙海賊だけ。しかしこう書くとTOKIOっぽいな
小説にはなかったシーンが最後にあった。正直見たかった部分でもあるのでそこはうれしかった
救助シーンでなぜか**がしゃしゃりでる
2時間30分くらいでは全部はこなせない。12・3話のTVドラマにしてくれればいいのになぁ
あ、私はもう一度見に行きますたぶん。
もちろんメイク、化粧、フォトショ、映像技術などのグラップリングを含めてではあるし、実際に一般的な女優に会えば、世界が違うのはよく承知のうえだが。
70年代後半からのAVを知っている世代としては、DMMのパケ写グリル表示だけで、一日中シコシコ出来てしまうのだ。
当時はまだ日本にそれほどAVを作る技術がなく、洋モノでないと面白いものもなかなか無かったが、あっという間に追い越してしまった。
アメリカだけは別の方向に進化しているので、同列に語る感じではないが、それでも日本的なAVは世界でも日本だけが作れているし、海外ものが日本ものからアイデアを取るシリーズ(マッサージパーラーものとか)も多いのも興味深い。
今後10年でどこに行きつくのだろうか。
追伸 ちなみに最近のアメリカものの傾向としては、肉体美(スポーツなどで鍛えまくった)女性にガチムチ男性が襲われるされるシチュエーションが多い。(日本で言うところの痴女ではない)
私は剛力彩芽の大ファンだ。彼女にはいろいろ批判がある。ネット何かを見ているとごり押しだとか不細工だとか範馬バキだとか言われる。
半ば暗澹たる気分になることもあるが、そんな批判は抜きにして、彼女のことを応援している。
そんな私が、彼女を応援しているがゆえに気になっているのが、彼女が日常的にどの程度ランチパックを食べているのか? という問題だ。
山崎製パンが提供するランチパックは長い歴史を有するパンで、初代のピーナッツは1984年に販売されている。
基本の六種類に加え、訳のわからない抽象的で特殊な味を提供することでも認知されている。
ランチパックのCM。剛力彩芽の魅力を56000%くらい最大限に発揮した素晴らしいCMだ。
ランチパックの手軽さ、ポップさと彼女のイメージが最大限にマッチし、火星圏を含めたCMの歴史の中で、個人的には最大の素晴らしいCMと言えよう。
ランチパックと剛力彩芽は、譬えるならば、シュワルツェネガーとコマンドーとの相性だ。
さて私は如上のように考えるから、剛力彩芽が普段どの程度ランチパックに親しんでいるか? という問題は切実だ。
別に食べていなくてもいいのだが、この剛力彩芽とランチパックとの関係性・程度を知ることで、私のランチパックと剛力彩芽との関係性への認識を深めることはまったく相違ない問題である。
そこで私はそれを知るために未来へのタイムワープを繰り返した。
かつてのSFではないが、未来へ行く可能性と過去へ行く可能性がもし五分五分だったなら、私はどんなに良かっただろう。賭ければいいだけのことだったのに。
そうそう。なぜ未来に行くかと言うと、剛力彩芽がランチパックをどの程度食べるか? という問いを解決するためだ。
未来においては、空間の成分や空気の振動をネットやテレビなど電子製品の電子から検出する技術が確立されていよう。
剛力彩芽の自宅や楽屋、近くのコンビニに、電子的に接続されたネット環境やあるいはカメラなどがない、全く無い、と言う可能性は低い。
未来のデバイスをもってすれば、剛力彩芽の挙動を様々なデバイスから検出することが出来るだろう。そこからランチパックと彼女との親和性を追究する、というわけだ。
それを求めて私は未来へと旅して、半ば当然のごとく2070年代の標準的なネット探知デバイス(新聞やカメラの情報を析出できる装置)を手に入れることが出来たわけである。
さてランチパックをめぐる旅は折り返し地点だ。
私は過去に行く方法を求めて、逆説的と思うがさらに時を進めた。
西暦でいうと225845年、私はいよいよ、解りやすく言うと不老不死の境地になり、継続して思索することになった。
やがて西暦でいう145290352年に、ほとんどありとあらゆる思索を繰り返した結果、過去に戻ることは不可能という認知に達した。
これは私に対して悲観的な感情をもたらしたかと言うと、全くそうではない。絡め手を考えていた。
ちょっとした挫折のあと、過去のあらゆるシチュエーションをシミュレイトする装置を23年かけて(取るに足らない年月だ)発明した。
これは円周率の応用だ。円周率は無限につながるので同じ数列が必ず無限回登場する。例えば1087という数字の並び。無限回。
これと同じことを剛力彩芽がランチパックをどの程度? に置き換えるわけだ。
答えはわかった。簡単なことだった。私はついに、過去には戻らずとも過去の完璧な様態を再現することを可能にした。
再現された剛力彩芽とランチパック、と周囲の環境。完璧な再現だ。
いわば過去に戻れたのだ。そこで剛力彩芽は・・・ランチパックを・・・
しかしこの結果ででた強力菖蒲とランチパックの関係は、はたして西暦2010年代の剛力彩芽とランチパックとの関係と全くイコールなのだろうか。
シミュレーションで再現されたシチュエーション。科学的には完璧だ。完璧に剛力彩芽はランチパックをああしていた。なるほどね~、という感じ。
しかしこれは・・・。西暦でいう145290300年代で再現したこれは・・・同じなのか?
シチュエーションを完璧に同じにして完璧に再現した。実験ではこれが望ましい。何度も試した。何度も同じ結果。正しい。正しい。科学的だ。再現性の問題。
しかし実験1と追試は同じなのか? 円周率で初めに現れた1087と次に現れた1087は同じなのか?
私は今でも、この時代にあっても、超企業山崎製パンのランチパックをコンビニで食べる。伝統の味だ。
そして終わらぬ思索を続ける。
まぁ楽しめた。全26話の内、8話までで戦国編が終わったのが評価できた。これをかたらないとなぜハルが魔法少女になったか充分に語り得ず、かといって原作があれだけの分量を費やした戦国編である。バランスをどう取るか気がかりだったが、ここは制作指揮を執った田町ボラギノール監督の『ぱらりんぴっく!』以来の豊富な経験が十二分に活かされた結果と言えるだろう。ただし、平塚為広と大谷刑部との絡みは安直に過ぎると思う。田町ボラギノール監督がかつて制作した『都立尾久の原公園のたたかい!』のキャラ「パシフィック種村」と「パラリンピック吉岡」との情愛の構造のトレースであり、なんらの新規性がないにも拘わらず、人気を得るための安直な策と思しい。この構造は為広と刑部との間に何らの検討も経ずトレースされた。これらはもう受け手が嘗められているとしか思えない。「お前らはこれで楽しいんだろ? え? ほれほれ」という馬立コーラック監督の意図がすけすけである。ここは助監督の木村氏にも頑張ってほしかったが、最近は岐阜県揖斐川郡にある自分の農場の管理が忙しいらしい。
9話から最終話にかけてが原作の通称「大正SF編」に該当する。アニメ第1期で語られた明治41年の初デート。これがハルを魔法少女として目覚めさせる直接の経験になったわけだが、そもそも成美女子英語学校時代の勉学や課外授業と言った、争乱に巻き込まれる以前の牧歌的な部分こそがアニメ第一期の醍醐味かつ要旨であった。「大正SF編」では田町監督が好むスチームパンクの要領を原作に累加し、ハルの激動たる活動を描いた。これが本作。もうおわかりかと思うが私は「第1部のノリが良かった! なにこのノリ! 付いていけないよ!」という意見に真っ向から反対したい。第1期が文学への淡い目覚めであり、その後当然闘争への情熱が生まれてくるのは原作を読んでいれば自明なわけで、1期のノリが変わるのは当然だ。作品とハルの生涯を見渡せばこれは当然のはず。昨今のアニメのノリにたまたま第1期がたまたま、たまたまである。合致したに過ぎない。最近のアニメに絆されてるんじゃねえよ。ばーか。
「大正SF」編では後述するが声優の田端エリザベスの演技が相俟って、独特のケミカルさを醸成していた。一般に「大正ロマン」+「スチームパンク」はかなり親和性がありSF界でも常套手段とも言える組み合わせである。ここに長い歴史を持つ魔法少女モノを組み込もうとしたとき田町ボラギノール氏にとっては、師匠である大谷江戸仕草氏の影響を受けたことが役に立ったと私はにらんでいる。60年代の草創期に活躍した大谷江戸仕草氏の功績は今更贅言する必要性も(とくにこの増田界隈では)なかろうが、特に「ハル」の一連の成果には、氏のアニメにおける第三作目「モリソン号じけん!」がかなり直接に関係しているように思える。あまり界隈でもこの指摘はなされていないと思うので、まあ皆さんには自明と思いますが一応・・・。
さっきも書いたけど上中里マリアンヌの演技最高ー! もう大好き。主人公のハルの魅力を充分に発揮しているうえに、かわいい陰獣の「ウンゲツィーファー」も彼女がやってるんだぜ。もうたまらんうー。せーの! 「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」
恋人役「燕尾服仮面」こと奥村の声優西荻窪松庵の演技もまた良かった。松庵の思想上の師である都立家政ドトールの1932年ベルリンでの演技を彷彿とさせるシーンがあった。おわかりかと思うけど19話の例のシーンね。
友人の市川房枝役の声優保谷ビアンキも妖艶な演技が光った。市川房枝って公式でも眼鏡がずれているんだけれど(wikipediaでも見てほしい)、それをアニメでも反映させていて、保谷はその眼鏡がずれているという演技をしているところが印象に残りました。最近揖斐川郡でハウス栽培やっているそうです。岐阜の。っていうか俺あんま声優詳しくねーや。
正直残念だったのが魔法詠唱シーンの作画だ。ハルが本を開いて中空に浮かせて詠唱するというお決まりのシーン。ここに全く気合いが入っていない。ハルが水晶槍の呪文をパージしてマテリアルタスク化するロマネスク技を出したシーンあっただろ。12話だったか? あそこで監督や、あるいは原作者の十返舎一九も多分想定していたことだと思うが、あそこのモチーフは一般にイメージされるフェミニズムの観点からだけでは捉えられない。このアニメを見る際には岩波の『日本のフェミニズム』全編を通読してからにしたほうが望ましいと半分冗談でwikiに書かれているけれど、これは実際マジだとおもう。あのシーンではむしろ参政権の獲得と戦争との関係がクローズアップされているのであって、フェミニズムへの外的要因(ここでは太平洋戦争・・・というか総力戦体制というべきか。この辺りは突っ込むと難しいからこれ以上は無理だー誰か解説してくれ。)が問題なわけだ。で、あの作画である。作画誰かは知らないけれどそういう文脈が必ずしも現場に伝わらなかったのではないか。25話のハルが友人の奥むめおの101才の誕生日をタイムワープして祝うシーン。これも輻輳するフェミニズムのイメージに作画が全くついて行っていない印象を受ける。ここも、参政権から出発し、翼賛体制との関わりから、さらに高度経済成長を経てバブルという消費社会を経験しかつ男女雇用機会均等法が出たあと、というハルの至らなかった(生きられなかった時代の)地平を魔法で見に行く、というのが大魔法の骨子になっていたと思う。これにたいしてあの70年代初期を思わせる「リブ」で作画されちゃあ適わねえ。ハルまだいきてんじゃねーか。
結局ハルは原作では婚約者からもらった指輪をマレーシアのビナツボ火山に捨てに行ったわけだ。いわゆる夫婦別姓という現代的問題を魔法でどう解決するのかが楽しみです。文句も沢山書きましたが、基本的にこのシリーズには期待しています。制作会社の「オベリスク護国寺」の益々のご発展を祈っています。
いわゆる「左翼的」な活動をしてる人のほとんどが学生運動に毛が生えた程度のことの主張しかしてないのが幼稚な印象になる理由だと思う。
声のでかい左翼活動してる連中って、60~70年代の学生運動が青春期だった団塊世代か、盗んだバイクで走りだして教室の窓ガラス割って回った40代の一部でしょ。
思想がそういう大人vs子供っていう構図から抜け切れてないから、議論しても根本的なところから咬み合わない。
わかりやすく言うと学校vs生徒会みたいなもんで、「制服をなくしてほしい」「授業を受けるか自分で選ばせてほしい」「学食を無料にしてほしい」とかいうのと同じレベルのことを主張してるのが今のサヨクどもってこと。
学校側にしてみれば古い伝統とか秩序とか発注業者への都合で簡単に制服なんてなくせないし、授業を自由にして適切な単位取得ができる方法があると思えないし、学食を無料にするってそりゃその分学費とか高くしないと無理だろっていう大人の意見があるわけ。
でもそういう事情を無視して自分らが暮らしやすい自由を感じられるような社会にしろって一方的に言うのが日本的サヨクの幼稚さの特徴。
やつらは意図的に大人の事情を無視して自分らの主張が通らない世の中がおかしいとか大声で叫ぶんで、ちょっとは大人の考えができる人たちからは滑稽に見えるわけ。
民主党政権が未だにボロクソに言われてるのは、そんなガキどもが大人にとって代わったせいで突然目の前に出てきた大人の事情に直面して全く仕事ができなかったから。
(思ったより反応をいただけたので少し追記しました。2015-11-16)
バンダイが展開する女児向けアーケードゲーム/アニメ「アイカツ!」
アイカツ!はいわゆる「音ゲー」の一種で、トップス・ボトムス・シューズ・アクセサリーの4種のカードを組み合わせてコーディネートし、オーディションという名のリズムゲームをクリアしてお仕事をゲットしていくという仕組みだ。
当然、豊富なバリエーションのオーディションステージが用意されるため、アイカツ!では年間20曲以上の楽曲が生まれている。
その楽曲の特徴は、キャラクターの声優とは別に歌唱担当が存在すること(STAR☆ANIS、AIKATSU☆STARS!など)、とにかくジャンルの幅が広いということ、そして“攻めてる”楽曲が多いということだ。
アイカツ!の立ち上げにはスーパーバイザーとしてアイドルにも造詣が深いアニメ監督、水島精二氏が関わっており、音楽制作については別のエントリを参照してほしい。
(アイカツ!における水島スーパーバイザーの仕事について - Togetterまとめ)
そして幅広いジャンルで攻めるという場合、楽曲の発注では、そのジャンルの先達の楽曲を参考にすることが当然多くなる。
特に水島氏はそこのイメージが具体的だったようで、アイカツ!の初期の楽曲は「何を参考にしたか」が比較的分かりやすい。
そこで、今回はアイカツ!の初期の楽曲を中心に、その元ネタ探しをしてみようと思う。(あくまで推察なので的外れなものもあると思う)
アニメの主題歌にこそなっていないものの、アイカツ!の原点ともいえる曲で、ゲームの企画段階の初期に作られたものだ。
「アイドル」というテーマの基本となる王道の曲であることから、当時の最も有名なアイドルグループを参考にしただろうことは想像に難くない。
明言はされていないものの、曲を聴いたイメージからおそらくAKB48のヘビーローテーションを参考にしただろうと推察できる。
アイカツ!で最も人気があると思われる曲で、YouTubeでの再生数が350万を超える化け物である。
いわゆる「メタル」であり、生粋のアイドルオタクである水島氏がBABYMETALを意識しただろうと考えることもできるが、
この曲はアイドルが歌うメタルというわけではなく、普通にかっこいいメタルなので、ベビメタが元ネタというには少し安易すぎる。
フルバージョンでは1分を超えるキーボード&ギターソロがあり、「ベビメタみたいにしてください」という発注だけではこの曲は生まれていないのではないか。
実は、この曲については元ネタが明言されている。
「吸血鬼キャラを演じているユリカが歌う「硝子ドール」は特別にエッジのきいた楽曲ですが、あれも“NIGHTWISH”というオペラ風に歌いあげる女性ヴォーカルのヘヴィメタル・バンドを参考にしています。 」
Storytimeという曲を聴けば、なるほどと納得していただけるかと思う。
NIGHTWISH - Storytime (OFFICIAL MUSIC VIDEO)
(追記:DREAM THEATERっぽいとの意見もあるが、それは作曲の帆足圭吾氏がDREAM THEATERの大ファンである影響かと思われる)
DREAM THEATER - Forsaken (Official Music Video)
「最初のうちは「アヴリル・ラヴィーンのようなポップスで」とオーダーしても、どこか抑えてしまうので、「存分にお願いします」と言うのも僕の仕事になりました。 」
と発言している。つまり、アヴリルのようなポップスがアイカツ!の楽曲にあるのだということになるが、自分の考える限りではこの曲が最もアヴリル・ラヴィーンに近い。
もちろん没になった可能性もある。(例として、2年目に登場するDance in the rainという曲は実際にはかなり初期に制作されていた)
アイカツ!はアイドルがテーマであることもあり、実際のアイドルをイメージしたような曲がいくつか見られるのも特徴のひとつだ。
こちらの冬っぽい曲もおそらくそのひとつで、自分の考えでは広末涼子なのではないかと思う。
広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」は、ケンタッキーのCMでいつのまにか冬のイメージになってしまった竹内まりやが作曲している。
ピチカート・ファイヴや初期のcapsuleをイメージするようなキュートな「渋谷系」っぽい曲である。
そのまま渋谷系っぽいオーダーで制作されたのかな、とも考えられるが、MVを見ると元ネタはなんとなく松浦亜弥の「ね〜え?」かもしれないと思った。
小さな箱の中で踊るというイメージが「ね〜え?」のMVと似ているからである。
しかも、「ね〜え?」は編曲がピチカート・ファイヴの小西康陽(作曲はつんく♂)ということもあり、渋谷系から外れてはいないのだ。
アニメの2番目のOPテーマで、主人公のいちごとあおいと蘭の3人によるユニット「ソレイユ」の持ち歌というのもあり人気の高い曲。
こちらも元ネタが明言されている。
kemuri良いわ〜!アイカツ!OP、ダイヤモンドハッピーはkemuriのPMAと戸松遥のQ&Aリサイタルのようなイメージで制作したんす。両曲ポジティブで明るくて超盛り上がる名曲!Listening to “Here rise the sun again” by KEMURI ♫— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 6月 20
KEMURI 「PMA (Positive Mental Attitude)」 Music Video (SKA BRAVO Version)
音ゲーにしてはかなりスローな曲で、おそらくアイカツ楽曲で最も遅いのでは。
Enya - Only Time (Official Music Video)
神崎美月、一ノ瀬かえで、藤堂ユリカの3人によるユニット「トライスター」の持ち歌。
アニメでは、トライスターの結成にあたってメンバー選抜オーディションが行われ、物語上の重要な転換点で登場する曲である。
STAR☆ANISとの雑談で「難易度の高い曲が歌いたい」って話が出て。ならばKalafinaのようなハモリが絡み合う感じがいいかなと。 - 水島精二
アイカツ!内に登場する近未来がテーマのブランド「フューチャリングガール」をイメージした曲。
いわゆるテクノポップな感じの曲なので、Perfumeがイメージなのかな?とは思うけれど、正直全くわからない。
2年目にもstranger alienというprism spiralの後継とでもいうべきテクノポップな曲が登場するが、単純にコンセプトから結果的にそうなっただけなのかもしれない。
(2015-11-19追記:prism spiralはどっちかっていうとハウスだろ、とお叱りを受けた。それは確かにそうかもしれない。stranger alienに引っ張られすぎて見失っていた。
大変申し訳ない。そして指摘とかほかにあったらどんどんしてほしい、というかむしろ自分より音楽の詳しい人にどんどん楽曲を分析してほしい)
これに関してはちょっと楽曲からズレた話になる。
かつて一世を風靡したレジェンドアイドルユニット「マスカレード」の代表曲となる1曲で、
アニメでは「懐メロライブガール・オーディション」で「懐メロの曲」として、いちごとあおいがカバーすることになる。
そして、マスカレードはピンクレディーをモチーフにしているユニットだと思われる。
僕的にはピンクレディー。それこそ社会現象を起こしたアイドルのイメージです。 - 木村隆一
僕のイメージでは、マスカレードがピンクレディーなので、キャンディーズくらい人気のライバルがいたんでしょう。 - 木村隆一
けれども、曲のイメージとしてはピンクレディーっぽい感じはとくにないので、そこまでは意識してはいなかったのだろう。
その代わりに、面白い仕掛けとして、この曲のメロディーはアニメの初期からBGMとして頻繁に使われており、女児にとっても「懐かしい」感じに聞こえるような工夫が為されている。
ドラマ「オシャレ怪盗スワロウテイル」のオーディションステージの曲。
ジャジーな曲で、怪盗がテーマなことからおそらくルパン三世を意識したところがあるのだと思われる。
「スワロウテイル」はかつてマスカレードが出演していたドラマだったのを考えると、「ペッパー警部」も念頭にあったのかもしれない。
余談だが、現在放映中のルパン三世新シリーズの監督はアイカツ!1年目にも深くかかわり、劇場版アイカツ!で監督も務めた矢野雄一郎さんである。
いわゆる「サンプリング」であり、クラシックの名曲が使われているのだ。
チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より「行進曲」のメロディーが使われている。
はっきりと元ネタがあるわけではないが、「EDM」「ダブステップ」をキーワードに制作されたことが明言されている。
アイカツ!新OP/EDもお楽しみいただけましたけ〜!OPはEDMアイカツ流(笑)EDはカレンダーガール進化版を目指しました!OPを石濱さん/畑さんペア、EDを田中さん/こだまさんペアの鉄板チームで制作していただきました!最高です!CDの発売が楽しみ〜!#aikatsu— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 10月 3
「KIRA☆Power」は、ダブステップという攻撃的なサウンドの音楽ジャンルを取り入れた、かなり攻めている曲です。
ダブステップのように旬なサウンドは、あとで遅れてやるとダサイので、「やれるうちにやっておこう」と思いました。 - 石濱翔
映画でいちごが出会うことになるシンガーソングライター・花音がいちごのために作った曲だ。
「アイドルとシンガー。異なるタイプの2人が出会い、新しい何かが生まれる。そんなストーリーを描きたかった。下敷きになっているのは、1980年代のアイドルの歴史の転換点です」
制作陣が、80年代と現代をつなぐイメージとして共有したのが、あの名曲「赤いスイートピー」だった。そして、当時トップアイドルへの階段を駆け上がっていた松田聖子さんが歌うこの楽曲こそ、木村さんの言う「アイドルの歴史の転換点」だった。
さらに、花音のイメージは赤いスイートピーの作曲者でもある松任谷(荒井)由実であるとも発言している。
アイカツ!3年目の2つ目のEDテーマであり、氷上スミレと黒沢凛が組むユニット「ダンシングディーヴァ」の持ち歌である。
「ダンシングディーヴァ」のイメージはSPEED。スミレが歌って、凛が横でダンスしている感じがカッコいいんじゃないかと思いました。 - 木村隆一
ではなぜ渋谷系なのか。それは、このステージが「レトロクローバー」というブランドをイメージしたものであるところにヒントがありそうである。
60~70年代のレトロフィーチャーなテイストをイメージしました。参考にしたのは、ツイッギー(英国の女優、モデル、歌手)のファッション。 - 中屋有貴(バンダイ・カード事業部)
華奢な体形からツイッギー(小枝)の愛称で呼ばれ、(藤原みやびが履くのをためらった)「ミニスカート」で話題になったツイッギーから着想を得ている。
そして、ツイッギーといえば連想するのがピチカート・ファイヴの「トゥイギー・トゥイギー」、繋がった。(ただのこじつけ)
U-MV053 - Pizzicato 5 - Twiggy Twiggy
大和撫子なブランド「桜色花伝」をイメージした曲で、とても和風。
近年よく耳にする「和ロック」な曲であるといっていいだろう。和ロックの出自についてはよくわからないが、「凛として咲く花の如く」「千本桜」などがよく挙げられるようだ。
何を意識して作られたのかはわからないけど、この多幸感がなんかすごい「っぽいな」と思ったので貼りたくなっただけです。
氷上スミレの持ち歌で、懐かしの歌謡曲を思わせるような不思議な1曲。
Winkっぽい。音楽理論とか全く詳しくなくてほとんどイメージでこじつけてるので公式ソースがあるの以外は参考程度に考えてください。
アイカツ!にはほかにもたくさん良い曲がある。ロカビリーな曲や映画音楽のような壮大なもの、80年代ディスコ風、渋谷系テイスト……とにかく幅が広い。
自分の好みの曲が必ずひとつは見つかるだろう、というくらいいろいろやっている。
そして、ときどき思わぬ人が楽曲提供をしていてびっくりすることもある。(NARASAKI、浜渦正志、ミト(クラムボン)、ナカノモリアヤコ、Kensuke ushioなど)
そんな楽曲を女児たちが聴いて成長すると思うと、音楽の未来は明るいなあと思ったりもする。
アイカツ!の○○みたいな曲ってなんていうジャンルなんだろう、と掘り下げたり、○○みたいな曲が作りたい、と作曲に手を出してみたり、
元々はてなが自分の軸足じゃないんだけど、ちょっと自分の情報ファイルに保存が利かないタイプの話だから。
>フェミニストがオタクを憎むのは恋愛市場のズルやダンピングだと思われてるから
http://togetter.com/li/897474?page=2
この手のまとめって、大抵ツリーの下の方にぶら下がっている野次馬の意見の方が面白い例が多いんだけど、
これは珍しく元のまとめの方が深いタイプ。
自分も、「本来の被害者がいるアダルトビデオやジュニアアイドルの媒体を作っている奴等」よりも「とりあえず被害者のいない架空の二次作品のエロ」を
というか、自分だったら前者を圧倒的に糾弾したいし(実際の元ジュニアアイドルの話とか聞くとホント悲惨だし)それなら支援もするが、
後者に関しては、「リアルに二次元の常識を持ち込まないで完全に棲み分けする」を貫いてくれていれば
相手の「内面の自由の問題」だから口出しは出来ないと考えている訳よ。
(むしろ三次元媒体たるAVを学習参考書にしてリアルの女性に被害を与えている莫迦男の方が遥かに加害度が高いと思うんだけど、まーそれはさておき)
LOなんかの、リアルの少女に手出しはしません宣言なんかが有名どころだと思うんだけど、
そうやって「自律」のできている他人のオナニーに、赤の他人である俺がまた口出しするってのも変な話だしね。
ただまあ、実際は、オタ男による、「二次元は至高、惨事はタヒね」みたいなヘイトまき散らしの書き物は
ほんとそこここに見られて、うんざりはさせられるんだけど。
とはいえ、被害度で言えば、それも少数のアフォ男による書き込みでしかないわけだから
(多くのオタ男はキチンと棲み分けをして、平和的におなぬーをして、女子に被害を与えずに一生を終えるわけなんだから)
わざわざ好き好んで叩き潰すべきとはとてもじゃないが思えない。
元のTwitterまとめの話に戻るけど、トロフィー女の話(概念)は、頷いてしまった。
確かに、上野千鶴子なんて、トロフィー女のままフェミのできた、典型だもんね。
女としてちやほやされたい、ってところは死守して、そのままおばさん→婆へと進めた、レア且つ幸運なケース。
女子率の低い東大であの容姿だったら、生意気なフェミ女でも男からの賞賛は途切れなかっただろうな、などと下種い連想をする程度には。
それはさておき。
一方で、そういった、トロフィーのような名誉職から降りたい、って思っている女でフェミの奴等もたくさんいるわけで。
だから、トロフィーすげーっていう価値観の解体みたいな話も、結構あるんじゃないかと思うんだが。
探していないから知らないけど。
オタだから、どうしてもオタバッシングの話に先に目が行くもんだから、
二次ヒロイン叩きみたいな(俺からするとどうしても勘違いにしか思えない)フェミの話はコンスタンスに拾えるんだけどねー。
どう考えてもそれ、そのエネルギー、ジュニアアイドルの解放戦線に向けた方が良いと思うよ、的なことはよく感じるわけよ。
そこいらへんを好んで叩いているフェミ女達のエネルギーを見るにつけ。
あと、こういう時、オタ女が不可視になるのが、いっつものパターンなんだよね、ホント不思議。
結構なボリュームがある存在だし、昔からずっと存在していたことは事実だし。70年代末のコミケの資料とかからも引けた筈なんだけど、
70年代というコミケの初っ端の頃から、女子比率の物凄く高い遊びが「オタ」って分野だった筈。
でもまーそういうの無視して、時折腐女子(BLで抜いてる)が扱われる程度で、
BLに興味の無い女子オタがオタ媒体をどう活用しているか、そこでどういう救いがあるか、みたいなことに
一向に関心が向かないのよね、批判するフェミたちも、受けて立つ二次オタ男たちも。
男オタ達に至っては、まあオタ業界は俺たち男のものだ、みたいな勘違いのままの輩も多そうだけど。
ガンダムどころか、宇宙戦艦ヤマト初代ですら、普通に女子オタはいたからね。腐も、そうではない女子オタも。
自分の理想の人とめぐり合うことは非常に難しく、19年生きてきたが未だに理想の人と出会ったことがない。
そもそも私の理想の人とはどんな人だろうと考えたとき、条件がまるっきり自分に当てはまっていた。
私が最も人に求めているものとして、考え方が挙げられる。
自分で言うのもなんだが、私は自分自身の考え方がものすごく好きだ。
人間は一人一人違っていることを理解しているから異なる考え方を持っている人を許容できる。
人の考えを否定したり、人の好きなものを馬鹿にしたりしない。自分がそうされるとすごく不愉快になることを知っているから。自分がされて嫌なことはしない(ように心がけている)。
次に趣味だ。
私は70年代のハードロックが好きで、特にツェッペリンが一番好き。
同じ趣味の男なら腐るほどいるだろうと考えていたが、自称音楽詳しい男性も洋楽なんてビートルズ知ってりゃマシみたいなレベルばかり。
まあ、邦楽好きならそれはそれでいいんだろうけど、私はあまり邦楽が好きじゃないからそういう人とは合わない。せめてツェッペリンが分かる自称音楽好きと知り合いたい。
求める条件はこの二つなんだけど、これまでにそういう人と出会えていないということは、わがままな条件なんだろうか。
自分ができないことを求めている訳じゃないんだけどな。
あー、私が男だったらな。絶対付き合うのに。