はてなキーワード: 進学校とは
きょうはじめてはてなIDつくって、はじめてそのまま匿名ダイアリーを書いた。あたしのただの今の気持ち書いた。ブクマなんて来ないと思ったから20とかきてておどろいた。こんなへんなJK(笑)の話ブクマしてくれんのかー、と思った。少ないのかもしんないけど、1コもこないと思ってたからびびった。ネカマじゃなくてほんとに女子高生やってんだけどね……。てかつづきとか書いていいのかな?ルールとかあんのかな?まあいいや匿名だし、つづけるけど、ネカマってやつに笑った。てかコメントけっこう笑って読んで、あたしの情報病んでるJKってことしか知らない、あたしのほうもだれかまったく知らない人が5秒くらいあたしのこと考えてたんだ、って思ったら不思議な気分だった。ネカマ……。(笑)文体がネカマっぽいのかな、コメント?も読んだけど、読んでもらえるって嬉しいなと思った。思った思ったばっか使ってるとこJKっぽくない?あ、ぽくない?まぁ信じてもらえなくても一応ガチJKです。(笑)
太宰は人間失格とかメロスとか教科書とかで読んだけどああいう話はよくわかんなかった。女生徒は太宰のなかでいちばん好きな作品だけど経緯はしらなかったからググッた。あと読んでる人たいてい大人みたいな感じして、まあはてなブログとか見てもあんま高校生とかいないし、(あたしが見る限り)おとなおおめ?
書くだけで楽になったし、読んでる人いるんだって思ったらもっと楽になった。ちょっと気分かわった。ね、文章で精神安定できたでしょ。むかしから書くのは好きで小説家になりたいとか思ったことあったけど、いっこも書き上げられなくてむりだった。こう見ると文もへただし、現在進行形でJKなのにJK役で文書くとネカマっぽいし(笑)、むりだったな。いろんな意見あっておもしろかった。とりあえず高校は卒業するよ。あとけっこうがんばって進学校入ったから、大学いっときたいな。
これ、前の読んでくれててさらに読んでくれてる人いんのかな?いないかもしんないけど、初匿名ダイアリーたのしかったよ。たぶんまた書くよ。ありがとう。おやすみなさい。
俺の子供時代はまだ詰め込み学習が幅を利かせていた時代で、全国展開している塾が満員御礼の時代だった。
御多分にもれず教育ママだった母のもとに生まれた俺は、ある程度の金銭的余裕もあり、勉強以外にも多種多様な習い事を受けた。
週二日の塾が2つ、毎日の家庭学習教材が一つ、習字、そろばん、スイミングスクール、英会話、野球
小学校までは季節毎に活動部活が変わるため(期間制だった)、サッカー、バスケ、水泳、陸上と、受けられるだけの部活動を行い
中学からはバスケ部に所属し、上記習い事と家庭学習に加えて学校一練習量の多い部活を両立した。
今、俺は学歴も必要ない、上記の様々な分野とは全く関係ない生活を送っている。
基本的に能力が平均的以下な俺は、これだけ勉強しても偏差値63が限界だった。県内一の進学校に落ち、滑り止めの私学に入った時には、
間もなく母は死に、解放された私は全ての柵を捨て、勉学を一切放棄し、成績不振で留年が決定したと同時に高校をやめた。
皮肉なことに、高校をやめてから進んだ道が今の職業に繋がっている。
中学卒業までの生活は、基本的に苦痛だった。毎日毎日勉強のノルマがあり、母にチェックを得てから眠る日々だった。
習い事もノルマでしかなかったので、いかに効率的に終わらせるかという一点にしか興味がなかった。
(例外として、学友の多く所属していた野球をしている時、塾の休憩時間にお喋りをしている時は楽しかった。)
興味の無い習い事は、一定のレベルまでしか身につかなかった。具体例を上げると、夏休みの習字の宿題評点で銀賞をたまに貰うくらい。水泳部でマイナーな種目の三番手くらい。
時間を費やしても全く成長の意欲が無かったうえに、(あとから気づいた事だが)才能も劣っていたために、ただの器用貧乏が生まれた。
逆に、何もしなくてもいい点数がもらえるものが幾つかあった。教科で言えば国語、現国は、何も勉強しなくても90点は取れた。漢字の書き取り以外は間違える気がしなかったし、実際ほぼそうだった。
音楽も同じ様に、リコーダーの演奏も平均よりはるかにできたし、小学生時分のイベントで特別な楽器を演奏できるとあらば名乗りを上げた。文化祭や学芸会の劇ではサックスやアコーディオンを誰に習わずとも独学で勉強し、演奏した。歌は基本的に手本となる生徒だった。
夏休みの昆虫スケッチは習字よりも良い賞をもらえることが多かった。
今になって子供時代を振り返ると、なぜあの時に今の道に触れることができなかったのかと後悔する。なぜ専門家の道を最初に考慮しなかったのか。
その道は、後になって発見しても遅いのだ。高校入学時に洞窟を発見しても、辺りはもう夕暮れなのだ。
母に対して思う事はそんなに無い。死んでから時間が経っているのもあるが、上記生活の辛さと、その他少しのいい思い出、それに同情と申し訳無さが合わさってある程度フラットになっている。
仕事の悩みや資格勉強のわかりにくい部分など、彼女がほぼ一方的に質問をしてきて、俺がそれに答えるというやり取りが2時間続いた。
彼女はいつも俺を褒める。どうやら本気で俺のことを頭がいいと思っているようだ。正気かよ。
彼女は実家が裕福だ。父親は誰でも知っている企業の支店長まで務めた人物。彼女の姉も極めて優秀。彼女はそんな家庭に反発して、芸術の道に入った。「才能なんてなかったけど、逃げ出したかったから」なんて言いながら、死ぬほど努力しても入れない人が多数いるような名門に入った。そこでは誰もが「我こそは」と思っている中、一人だけ「私は才能がない」といいながら、大変な評価を得ていたということだ。彼女の同級生に聞いたところによるとだが。
それに比べて俺の経歴は惨憺たるものだ。
完全に負けぐせがついて就職は失敗。
圧倒的なクソ企業でゴミのような毎日を過ごし、3年で退職という王道。
金がなくて生命保険もがん保険もあらゆる保険を解約。その後病気が発症。保険に入れない身と化す。
ティッシュペーパーが死ぬほど欲しくて献血した所、血液に異常が発覚。
病院の検査費用があと100円払えず、書類に拇印を押して家に帰り、12冊持っていた本をブックオフへ。10円*12冊で見事支払うことに成功。薬は買えなかった。
カードは未払で完全停止。債務整理をお願いした弁護士費用をも月2000円支払いで2年かけて払う。
カードの債務は20万円。それを毎月2000円ずつ支払う。常人なら20万はすぐに返せるが、俺はそうではない。弁護士費用と合わせて4000円。これは3週間の食費に相当する。
当然ながらクレジットカードは今後7年作れない。これはボディブローのように効く。クレジットカード前提のサービスは世の中意外と多い。「ほしいな、便利だな、安く上がるな」と思うものこそ信用が必要なものだからだ。
その他、友人からの借金もまた月数千円ずつ支払う。恐ろしいのは銀行振込の手数料だ。2日分の食費が飛んでいく。
ヨモギ、オオバコ、タンポポでビタミンを補い、小麦粉でエネルギーを得る。
その他の野草も大概食べた。
野菜が食べたくなって発狂して近所の家庭菜園に夜霧に紛れて侵入し、トマトを食べた。俺に妹などはいない。俺の、俺だけのために盗んだ。罪悪感で、3つもぎ取ったうちの一つは玄関において逃げた。
その後、なんとか潜り込んだ会社で月12万の給料で働きつつ現在に至る。
そう思いながらも、体面だけは保った。
ヨモギオオバコタンポポ法を再び使用し、食費を超圧縮してHSKとTOEICの試験を受けた。
HSKは4級、TOEICは780点を取った。給料は変わらない。
まずはスーツを買う金をヨモギ法で貯めて、なんとか転職をしなければ。
そこらの観光地の土産屋の販売員のほうが稼げるんじゃないかと考えたりもするが。
俺が夜毎公園に水を汲みに行き、オオバコとヨモギの新芽を摘んでいることなど見えない。
ただ俺が節約生活をし、"ちょっと変わったロハスな自炊"をし、家具も食器も自分で作り、独学で語学を身につけたというのが全てだ。
数年間は友達、ネット上で彼女から告白を受け、遠距離恋愛。童貞はテレフォンセックスで捨てた。
その後、実は同じ地域に住んでいることに気づき、お付き合いを始める。
服も靴も美容院代も何もかも持たざる者だった俺を、才能のない芸術家は高く評価したようだ。
そもそも5ヶ国語に堪能な人間がなんで3ヶ国語に不慣れな人間を褒めるのか。
俺は単にペットとして扱われているだけじゃないのか?
彼女の中の「ほかとはちがうだいじなもの」と書かれたおもちゃ箱に入っているだけなんじゃないのか?
わからねぇ。
日頃は堂々としているつもりだが、ふとした瞬間にどうしようもない惨めさで動けなくなる。
本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手や熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けのダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。
個人的にダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しかも学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである。自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったから無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。
嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である。自分の学校は進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校もダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンスの振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチな集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。
また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から足全然上がらないんです。
嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近の学校はどうだか知らないが、自分の学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」である。しかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団と運動神経神経悪い芸人の共演である。テレビだったら死ぬ程面白い絵面だろう。しかし自分は芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。
最後の嫌いな理由は「練習」である。イソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生は時間外練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間は無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強や部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しかも勉強に比べてダンスの技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。
一応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人からは特に脱出出来なかった。
因みに自分の学校は期末試験の終了数時間後に、体育祭のダンスの練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。
しかし学校はダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれるダンスの授業を嫌がっていた。
他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。
数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛の時間にしかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか
自分がダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。
実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体は楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい。
後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しかし普通の人にとっては自分の運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。
圧倒的な努力の賜物か、生まれ持った才能か、偉大な親父の七光りか・・・
自分は、自信は、愚かな自分を認めるところから生まれると思う。
小さい頃から大人に怒られる事を極端に怖がる、臆病なこどもだった。
怒られると、大人から見放されたと思った。要らない子なんだと思って、孤独になった。冗談じゃなく、世界の終わりだと思った。
おかげで先生や親に従順な、「良い子」 に育ち、中高一貫校へ進学することが出来た。
中高では、人の言うことをうわっ面だけなぞる生活をしていたから、
やることなすこと全てに自信を持てなくて、何一つ集中して物事に取り組めた試しは無かった。
けれど周りの人間がすごくいい奴ばかりだったから、認めてくれてた。意気地の無い事で悩む必要は無かった。
しかし駅弁大学の部活に入ってからそれではうまく行かなくなった。
良いトコのおぼっちゃまに囲まれて暮らした中高時代とは、まるで出自の異なる、
どこの馬骨とつかない奴らの寄せ集めの「世間」へ、放り出された瞬間だった。
特にうちの代は、勝手気ままに正義ぶるやつ、天邪鬼なやつ、我慢の出来ないやつ、そんなのばっかりで、
一挙手一投足、一つ一つへ、逐一、批判を浴びせてくる。
進学校で肥えたプライドだけは人一倍で、誰よりも自分が正しいと信じてた。自分の中に圧倒的な正義がいた。
正しいことは一つで、あいつらは間違ってるんだと思った。
自分を傷つける事ばかり言う奴は、絶対に間違ってるんだと思った。
でも、自分自身もやるべきことを完璧にやれるほど、努力できなかったから、その時は自分の中の正義が、悪なる自分を容赦なく攻撃した。
そのジレンマの中でもがき続けて、とても辛い、鉛のような日々を生き残っていった。
今は、こんな事はない。
部活の先輩にとにかく俺のことを認めて、怒らないことに拘ってすら見える先輩がいて、
どんなに俺がミスしても、サボっても、試合の結果がうまくいかなくても、とりあえず励ましてくれた。
深く考えれば、その場の取り繕いかもしれない言葉だったけど、何度も聞いているうち、暗示にかかった。
それからは、いつでも正しくいられない自分を認めることができるようになり、
あの頃殺したい程憎んだ部活の奴らさえ、今では笑って話が出来る。
一行目の表現から、該当する高校もそうだし、当該の先生もわかってしまった。多分ね。
その先生はともかく、多分あなたの通っている高校は沢山の先輩後輩がいて、それはいろんなところであなたの助けになると思う。
それに将来的に頼るか否かはともかく、この田舎の空間で自称進学校なんかと言われつつも極めて恵まれた環境にあるということは伝えておきたい。
自分は北海道のある程度(だいぶ広い)範囲で1番できる高校に通っています
ここで話したいのは先生の質が悪すぎることについてです
例を出すと、英語の先生(野球部の顧問)は生徒に暴言吐きまくり
「おまえこんなんもできねえのか!!」「生きてく能力足りねえぞ!!」「(問題が答えられなかった生徒に寿司を握るふりをしながら)おまえこれにでもなったほうがいいんじゃねえか?!笑」など笑、文面だとひどく聞こえませんが実際に聞くと言い方も相まってひどいです…笑
それで英語がトップクラスに出来て、教え方も神がかってるっていうならいくらでも受け入れますよ
ですが実際その先生の発音が英語が得意なだけの生徒である自分より発音が悪かったり、出来ない生徒にばっかり当てて罵倒したり、教え方もただ押し付けるだけで教えるという行為がどういうことなのかを全く理解していないようにしか感じません
自分は将来教職につこうと考えているのですが、その上で見ると授業で生徒にわからせようという努力を全くしていない、そんな先生が進学校で威張り散らしてるようでは日本の教育がうまくいかないのも当然だと思います
あの先生はエビングハウスの忘却曲線というのをしっているのかとといつめたくなります、一回授業で話に出しただけなのにしばらくして聞かれて「前やったろうが!!こんなんもわかんねえのかよ、このクラスやべえな」とか言われてもそんなもん当然だろって言いたくなります
愚痴のような話になってしまいましたが、タイプは違っても似たような先生はいっぱいいます、もちろんいい先生もいるんですけどね
人生50年と言われた時代ならもう折り返し、何もすること無く連休が終わるので振り返る。古い記憶は思い出すのが難しく、新しい記憶ほど濃く出てしまうのは仕方ない。
進研ゼミをやってたこともあり勉強はそれなりに、いやそもそも小学校の範囲なんて普通に聞いてればどうにかなるだろうと。
運動は苦手というか嫌いで部活はインドア系、今で言う程の虐めは無かったがからかわれたりされるキャラ。同じ目立たな系グループや、全方位社交的タイプの人や、辛うじてまだ友人と呼べる人がいた。
この頃、パソコン(PC-9821)を買って貰った。もちろん建前は一家共用のもの、だけど実際に使うのはほぼ自分だった(PC-98というところかしてお察しください)。
当時のパソコン通信もやるようになり、「馬鹿(なことを言う奴)は叩かれる」という現代に通ずる教訓を得ることができた。
そして勉強。生来のズボラさ、真面目系クズの因子があるとこの辺で勉強に付いていけなくなる。当然、落ち零れ始めると進研ゼミはテキストも開かない、課題提出もしないまま高3まで継続することになる。
この頃、一人だけ自分に対して話しかけてくれる女の子がいた。「○○って好きな人とかいるの?どんな人?だれだれ?」と妙に絡んできたり、将来はパソコン使う仕事がしてみたいとか話したら、教室の班内で日記的なものを順に書き教師に提出するノートで(明らかにそんな興味はなさそうなのに)「パソコンの仕事がしてみたい」と書いたり、それなんてエロゲ的な知識からするとフラグと思えなくも無いが目に見えないフラグなんて何の意味も無いし気付くわけが無い。しかし今でも夢に見ることがある。お陰で、上述したエピソードどころかその存在すらも夢の中で自分が妄想したものではないかとすら疑い始めている。
この辺りから、顔を知っているという程度の知人はいても友人というほど親しい存在がいなくなっていた。放課後に誰かと遊びに行くこともなく、パソコンにかまけていたんだと思う。
中学時代の女の子は帰り道が一緒になったときに声を掛けてくれたりたまに話してくれたりもしたが、いつしかそれも無くなり、逆に自分が無意識に目で追っていることに後で気付いた。
大学受験は散々だった。理系なのに数学の内容が全く理解できない時点で終わってる。結局、3月過ぎの最終日程で、得意な現国一教科受験が可能なFラン大学の新設情報系学部へ滑り込みを果たした。
(高い)金さえ出せばアホでも行けるという周囲の評判通り、他学部ではチャラそうな男女が目に付いたが、一日自由に誰の目を気にすることも無く快適なパソコンとネットが使えるというのは大変に魅力的で暇さえあれば通い、家では新作エロゲをひたすらプレーしていた。
ゼミのメンバは(イベント毎があれば何かしたがるリア充的な彼ら特有のノリで)大変に気さくで飲みに行くこともあったが、それ以外の場ではやはり話す人も無く、遊びに行く友人も無く、淡々と3年で必修単位を取ることに徹した。卒業1年後、ゼミの同窓会的な催しの連絡があり行ったが、その後は音信不通となった。
氷河期と呼ばれる時代は辛い。私はこの時点まで使う必要がないことから携帯電話を持っていなかったが、さすがに差し障りが大きいということで親名義のものを譲って貰った。
就活は自己分析に始まり自己否定に終わる。誰もが思ってもいない建前を並べ、何処でも良いから内定を寄越せという本音を隠そうとするがそれでも否定され、自分が社会に不必要な存在であると言うことを実感させられる。
「性格分析の結果だと、凄く明るくて社交的なのに全然違うね?」と宣うぐらいなら、性格検査なんていうアホな試験をさせるべきでは無い。何処の世界に就活で、自分は暗くて内向的なコミュ障ですとアピールする奴がいるというのだ。
「凄く優秀そうなのに、どうしてまだ未内定なのか不思議です」、その理由はすぐ横にいる人事に聞けばいい(これを言われた面接で落とされた)。
しかし50、60、と面接の回数を重ねると利点が一つだけ有る。心身が疲弊しきって、面接程度ではもはや緊張を覚えなくなるのだ。相手も本気で新卒に何かを求めているわけじゃない、地雷かどうかを見極めているだけだ。グループ面接で聞き飽きた他人のエピソード第一位は「サークル or バイトのリーダーとしてイベント or 仕事を成功させた」だが、横で聞いてる自分ですらまたかよと思うのに採用担当者ともなればもうやめてくれと思うんじゃ無かろうか。
そんな無我の境地が奏功したのか、一社だけ内定を得ることができた。自分のやりたかったこと(開発)とは微妙に異なるがIT系ではあるので運が良かった。
アキバをオタクの聖地だなんて今でも言うのか知らんが、半導体からアニメまで界隈に集い、ここに慣れてしまうと他が物足りなくショボく見えてしまうのは仕方ないことだと思う。毎週通うために回数券で切符を買っていた。
仕事の方は、残業70~90H/月程度だったがこの頃は羽振りがまだ良く残業時間にうるさくは無かった。むしろ残業代の形で還元されることもあり、周囲含めて生活残業が多かったのだと思う。
しかしそんな給与は1円も貯金すること無く、エロゲやアニメDVD、同人誌、マンガ、CDへと消えていった。
社会人何年目かで、アキバで出会ってしまったのがいわゆるドールだった。フィギュア的な造形でありながら、フィギュア以上の表現力を持ったそれにすっかり魅せられてしまった。
ドールは大量生産に向かないためか通常に買う場合でも一体6~10万、過去の人気ドールともなるとヤフオクで20万、30万、もしくはそれ以上という異常な価格となる。しかし買えない価格では無い。そう、社会人にとっては多少無理をすれば大抵のものは買えてしまう。
ある時、どうしても欲しいドールがあり、初めてキャッシュカードに付属したキャッシング枠を使った。そしてクレジットカードと同じように後日それを返すだけ。
人間の感覚というのは本当に恐ろしいもので、一度味をしめると慣れが生じる。経験が油断を生み、警戒心を歪ませる。
間が悪いことにこの頃、親会社への出向が解除となり入社以来縁がなかった自社に戻ることになった。子会社にとって残業時間管理は死活問題、定時を過ぎて用が無ければ帰れとしつこく言われ、何年かぶりに明るい時間の帰宅をした時は戸惑うしか無かった。
残業時間が減れば残業代が減る。残業代が減れば収入が減る。収入が減れば欲しいものが買えなくなる。ここで話は戻り、足りないなら借りるしかないということになる。
最初のキャッシュカードの使用枠はいつの間にかなくなり、別の消費者金融のカードを作っていた。最初は50万だけだったのが、100万、200万となり、気付けば借金は3社で計400万近くなっていた。
消費者金融における総量規制により年収の1/3以上を借りられなくなるという話を聞いたとき、ようやく現状を省みることができた(総量規制に便乗した、いわゆるおまとめローンの案内が来た)。
多分、一種の買い物依存症だったのだろうと思う。買うという行為自体に満足感を覚え、DVDやマンガなどは買ったときのレジ袋のまま部屋に放置していたというのがその証拠だろう。酒や煙草は全く嗜まないこともあり、溜め込んだストレスを知らず知らずのうちに買い物という方法でしか解消できなくなってしまっていた。
この400万近い借金の返済には6年を要した。途中、1円単位で小金を集めて用意することもあったが一度の遅延もなく(信用情報上、大きな借金がある時点で不利なのにさらに遅延があると極めて不利になるので絶対に避けたかった。また、大きな借金があっても遅延無く支払っているのであれば継続的に安定した収入があると見做される)、むしろ終盤には収入が増えて余裕ができたこともあり予定より三ヶ月ほど早く完済が叶った。
あれほど金が無い、金が無いと言っていたのに今では200万程の残高がある。しかし三十路を過ぎた男が200万しか貯金が無いというのは余りに情けない。
しかも20代の頃はただ闇雲に浪費を重ね、何かを極めたわけでも、引き換えに何か誇れるものを得たわけでも無い。そして30代の前半は今月分を返済したら幾ら残るかを考えるだけで過ぎてしまった。
社会人になってから自名義で契約した携帯電話としてiPhoneを持っているが、その番号を知る知人、友人、家族はいない。掛ける相手もいないので履歴は全てセールスの着信で、発信履歴はない。
一度、中学校の同窓会案内が転送されてきたことがある。当時はそれどころではなかったのと、中学時代の同級生に特に思い入れも無かったこともあり返信すらしていなかったが、引越の時にその案内書がでてきた。よくよく見ると同窓会の告知するwebサイトの案内があり、ふとした興味で何となく覗いてみた。いわゆるBBS、当日の写真といったものがあり、聞き覚えのある名前を発見することができた。
写真は年相応になった懐かしい(…とはあまり思えなかったが)面々、年老いた教師、といったものだったが、BBSの方は久闊を叙するメッセージの狭間に「当日は子供の世話が…」「嫁の都合で…」といった文言が有り衝撃を受けた。恐らく当時は26、27ぐらいの年齢だと思うが、見覚えのある名前がそういう状況になるというのはなるほど奇妙なものだ。赤の他人の話であることに違いはないのに、すぐ横で出し抜かれたような気がしてしまうのだ。
今となってはもう友人も恋人も結婚も望むべくもないし全てが遅すぎた。もし来世があり、草や木に生まれなかったのなら次はもう少し人間らしい人生を送ってみたかったと戯れに考えてしまう。
シャイ丸さんという方がいる。
好戦的なキャラでブログを始めた新星だが、でも言葉の端々に人の良さがにじみ出ている人(笑)。
その方がこんな記事を書いていた。
http://www.shiningmaru.com/entry/2016/04/29/212824
そして、これに反応して、ニャートさんという方が、次のような記事を書いた。
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/04/30/182924
この2つに記事を呼んで、ボクもなにか書かなきゃなぁ、と思った。
でも、自分で影響力あるブログなんて持っていないし、作る気もないので増田に書き捨てることにする。
そもそも、あまり発信欲みたいなものがなく、ブログなんてぜんぜんやらないので、
できればシャイ丸さんやニャートさんの目に止まって、感想を聞きたい気もするが、
まあ、誰にも読まれなくても良しとしよう。
というか、第二次ベビーブームの頂点といったほうがわかりやすいかな。
でも、勝ち組を目指す人には一つだけ、言っておきたい。
実力以上の学校には行くな。
学生ステージのキャリア論でボクが訴えたいのはこの一点のみだ。
ボクの場合、自慢じゃないが、
中学受験(一応トップレベルの進学校)も大学も、そりゃ多少は勉強したけども、
そこそこやって、それだけで入ったし、入学した中にそういう奴はいっぱいいる。
一方で、必死こいて入ってきた、あるいはラッキーパンチで入った人達もいる。
ただ、後者は結局入学後についてこれなくてドロップアウトするんだよね。
バイトで塾の講師なんかもしてたけど、だいたいラッキーでレベル上の学校に受かっちゃった人なんか、
中高でそれだと、結局まともな大学にいけないことに。
残念ながら地頭というのはあるんだよ。
これをわかってない人が多すぎる気がする。
ニャートさんはこのパターンでなないかな、と思った。
ボクのいた出版社なんてそんな有名大学ばかりじゃないどころか短大卒とかもいたよ。
大学だけじゃ決まらないから、人生潰すぐらいなら、それ以外で得点したほうが良いよ。
これも主張したいのは一点。
ニャートさんなんか、新卒でそのまま一生、が一番安定とか言ってるけど、
そんなことないと思うんだよな。
SHA●Pとか●芝とかでさえ潰れそうになるわけで、
たとえば45歳ぐらいで潰れたら、生活立て直せないよね。
でも僕らが新卒の頃はピカピカの企業だったわけですよ、あのあたりは。
ボクの入った出版社だって当時は人気職種だったのですよ、いまはひどい状況だけど。
でも、ボクは出版社を選んだことは後悔してなくて、
出版社って同業内の転職がすごく多い、って学生時代に聞いていて、
なので、入社してからも転職に役立つスキルは積極的に取り込もうとしてた。
いざというときに助けてもらえるような関係を作ることに注力した。
もちろん、会社を裏切るようなことはしてないけど、
積極的に仕掛けていったよね。
シャイ丸さんには恥ずかしくてお会いできないけど、
まあ、そのちょっと下ぐらいをもらいつつ、
将来的には2000,3000を目指せるような仕事をしている。
そんなわけでまだまだしかけていかなきゃならないキャリアの途中で、
もし、キャリアに悩んでいる人がいたら、自分の経験から2点のこと、
これだけ伝えたくて書きました。
ある急性症状で急いで近隣の救急指定病院にいった。
Aちゃんのママはしっかり聞き取りをして医者にとりついでくれたあと、
待合いでちらっと「Aのママです、いつもおせわになってます」と
いって良い感じに微笑んだあと忙しそうにさっと立ち去った。
Aちゃんは、うちの子と中学・高校で一緒の子。(クラスは1度だけいっしょ)
中学のころから、Aちゃんのいるクラスだけ頻繁に盗難がおこる。
授業でそれをつかわなくなったころ、置き忘れとはいえないところからでてくる。
親は早急に買い直しに走らされている。
やはり実害はあるし盗難だ。
この4~6年は、毎年クラスがえがあった。
高校になると選択授業も増える。
Aちゃんがいるときにそれがおこるとの状況証拠はかなり蓄積されてしまっている。
(Aちゃんにだれかが意図的に罪をかぶせるとか、脅迫してやらせるとかまでいれると、
Aちゃんのママは、「常識ならそれは証拠になるということ」を面談でつきつけられても
やはり、「うちの子という証拠がないのであれば、うけつけられない」「私はうちの子を信じている」と言っていたとのこと。
立場としてそういわざるをえないだろうとも思うけれど。
余談だけどAちゃんの他にもなんかいろいろなこまった生徒(恫喝、暴行)と、それを全くフィードバックされておらず、
子供を信じることに徹しているママが中学から高校にかけているみたいです。
うちは進学校です。
しっかりした看護婦さんでも、いや夜勤して家をはなれて患者のためにつくすような人だからこそ、そうなんだなって。
憎むわけでも哀れむわけでも迷惑がるでもなくて、なんだか、本当に純粋に辛い。
一度でも盗まれた子、困らされた子は、同級生を疑って警戒しながらリラックスして学校生活するという
難易度EXのストレス生活をおしつけられてるのも目の当たりにしてる。
パスポートとられたら帰国できないから先生にあずけてないときは絶対に体からはなすなと言い聞かせたそうだ。
…風呂どうしたんだろね。
学校の指示にあわせて食べさせ寝させ
学校に送り出すことで手一杯なんだろうなと思う。
たぶんこのまま35歳児とかになったりすることもあるんだろう。
高校生の子供は、母親に対して、子を100%信じることを要求し、絶対的な保護を要求しておきながら、
それを内部から突き崩すようなことを平然と行う。
警察も、教師も、母親が「うちの子を信じる」と唱えれば退けてもらえると信じているのかもしれない。
母親が「自分は一人の女だ。脆いのだ、今立っているだけで精一杯だ。
孫がうまれたら、世間にこうやって子供をだすつらさを、うちの子にも味わわせるの、つらい。
3歳児だったらまだ嘘も見抜けるし叱れるけれど、
ハイティーンをもつ親にはもういちど子供と向かい合いなおすための育児休暇などない。
そこにもっていくまでにもどたばたあって
私が、すっかり駄目になってしまっている。
更年期障害だという人も多いらしい。
うちの子も、盗む側にも、盗まれる側にも、絶対に立たせたくない。
父親でもだれでもいいから、子供のうけいれる説教がいえる人はいないのか。
入院して治してくる間、うちの子は、夕御飯は家でたべて、起こさなくても自分で起きて、寝て、
薬くらい一人でのんでくれるのだろうか。
働いてたら辞めたくなってるとおもう。
「信用できない」は一番ひどい病気のもとだとおもう。
信用と安心がなければ生きていけないあまっちょろい親子は
進学校なんかいかせずに、公立+塾でもいかせておけばよかった。
日本死ねなんていえないけれど、なんかもうほんと、辛いよ。
GWの間検査結果ききにいけなくて、毎日痛み止め握りしめてる。
前にのんでから6時間たったとか、ききにくくなってるとか、自分で判定しないといけないんだってさ。
早く手術の日程きめてくれないかな。
臓器とっちゃったら楽になれるんだってさ。
それだけ。
女子高生の前髪を切って、県の教育委員会も先生も何がしたいんですか。
新学期に慣れる暇もなく、始業式離任式赴任式入学式式式式の合間に「学年集会」があった。
まぁ二年も女子高生をやってたら想定の範囲内なんだけど。そこでまぁ受験生だからしゃきっとしなさい的な話を聞き流しつつ、話は最後の生活指導になった。「来週、服装検査があります。次回からは県の教育委員会の生活指導要項が変わったので、それに則ることになりました。では女子は~」ともう衝撃的な要項の数々。
・前髪は眉上、あるいはピンでとめる
一発目の眉上で私の思考は停止。
最近三戸なつめやら武井咲がしている、あれだ。男ウケ最悪に加え小顔の美人だけしか似合わない「オン眉」。さらに眉毛の自由が利かないド田舎女子高生にとって眉毛を隠す前髪はもう、命と言っても過言ではない。その前髪を眉毛よりも上で切り揃えろ、と。
さらに続ける事には、「その時だけピンでとめるなんてことが無いように。」校則を考えたわけでもない一介の教職員が、その校則の意味を考えたはずも無いような教職員が、あたしたち女子高生の退路を断ったのだ。
あたしの学校は進学校だしそこまで厳しくする必要もあるとは考えにくい。
もう、許される事態ではない。
そもそも、何故前髪を眉上で切りそろえる必要があるのか。目にかからない前髪を忠実に守ってきたのは、校則の言わんとすることを理解することができたからだし。(邪魔だし見苦しいし、学業の邪魔である)肩より長い髪を結ぶのも同じだ。
さらに言えば、カラコンや髪を染める事ピアスを開けるのが禁止されているのは不自然に自分を着飾ることになるからだとあたしは解釈している。
前髪を眉上で切り揃えたら成績が上がるのか、生活態度が良くなるのか、あるいは眉毛が隠れていると何らかの不都合があるのか。
ぼさぼさの眉毛が正直あたしは嫌いだし、その眉毛をいじらない代わりに隠していた。というか、そういう女子はもうごまんといるだろう。田舎であるあたしの県ですら。
そのぼさぼさで見苦しい眉毛を晒し上げるような校則の改悪である。
ほんとうにやるせない気持ちで、昨日美容室で髪を切ってきた。服装検査は明日。さよなら、あたしの前髪。大学生になったら迎えに行くね。
実家にお金入れて、奨学金返還して、父の車のローン払って、もういっぱいいっぱい。
友達との縁も切りたくないから交際費もかかるし、ぎりぎり切り詰めて月々貯金に回せる額が6万円(自立の為に3万+将来の為に3万)
家ではちょっと贅沢して新作DVD借りてヱビスビール買って、家で飲みながら見るような週末。
私には2年付き合ってる彼氏がいるんだけど、まーなんというか、お金に困ったことの無い人というか、高収入ゆえの金銭感覚の違いみたいなものを凄く感じる。
名門中高進学校→有名私立大→大手メーカー総合職→特待生、な順風満帆な社会人生活。
手当も沢山もらって、家賃も光熱費も全て会社持ちの、利便性の高い立地のマンションに住んでる。
具体的な金額は聞いたことがないけど多分相当貰っていると思う。(趣味はバイクとウイスキー集めで、そこらへんにお金を注ぎ込んでもまだ十分貯金できるくらいの余裕があるらしいので)
そんな彼だが、私にもその金銭感覚でもって話しかけてくるのが最近苦痛になってきた。
「一緒にツーリング行こうよ!たった10万あれば免許とれるし!ほらこのバイクなんか中古で68万だって!安くない?」
「この25年もの、すごく美味しいよね?最近よく飲んでるんだー。増田ちゃんも今度お薦めのお酒持って来てよ!安いのでいいから!」(それって鏡月とかでもいいわけ?)
「これ安くて品質いいし衝動買いしちゃったー!」(と言って3万円もするジャケットを見せてくる)
極め付けは「仕事でイタリアに行くことになったから遊びに来て!30万あればいけるから!」(一体どこから30万円を捻出すれば良いのやら)
それ相応の給料を貰っている人はその分消費して経済を回す方が良いのだろう。高い収入は彼の能力の一つでもある。そこはとても、とても尊敬する。
でもその金銭感覚を私にまで押し付けないで欲しい。まぁ、押し付ける気は全くないんだろう。彼の中での10万円って、多分そんなに高くない金額だと思うし「たった10万」は彼にしてみれば気遣いの一言なのだ。
彼の周りもボンボンから大企業に入った人ばかりだし、多分、手取り12万の正社員が存在していることすら知らないんじゃないかと、私は最近思っている。なんかむかつく。
そんな彼氏に最近プロポーズされた。イタリアから帰ってきたら結婚したい。考えといてね、だって。こんなに金銭感覚が違う人と結婚して、果たして大丈夫なんだろうか。
勿論彼のことは総合的にみれば本当に尊敬してるし、こんな奴にプロポーズしてくれる人なんてめったに居ないと思うので、受けるつもりでいるのだが。
「高収入の男性と結婚」てすごく世間的には憧れの対象かもしれないけど、私はどっちかというと、彼と私の格の差を生活レベルで毎日見せつけられるような予感がしてて、とてもじゃないが舞い上がる気持ちになれない。
高収入の男性と結婚→私が高収入になるわけではない。私は私で手取り12万の女のままだ。
だから私自身の生活レベルが変わるわけでは無いし、このみみっちさも変わるわけではないのだ。
かといって貧乏な男と結婚したいかと言えばそうではない。上手く言葉にできない。夫の収入で賄うことが何だか「負け」の様な気がしてしまって甘えられない。
私だってさぁイタリア行きたいんだよ。彼に会いたい。でもいきなり30万ポンと出せるわけないだろ。15万ならなんとか捻出できそうだけど…30万って…。
「15万円負担してください」って、言いたいなー……でもやっぱ、言えない……
なんでこんなやるせない気持ちにならなきゃいけないんだ。
今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に進学校ヘ進学する人は、まず顔を上げて良く聴いてください。社会人にとって最も大切なことは、こどもを収入に応じてたくさん持つことです。これは多くの貯蓄を持ち物質的に豊かな生活を送ること以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなり社会を支える納税者が減ると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、現代社会においては充分な教育を受けた子供でなければ、立派な納税者になることはできません。充分な教育を受けさせることは、自身が教育を受けていない低所得者には不可能なことです。
「会社員は、収入に応じた数の子供を育て上げると、無料でMBAなどスキルアップの講座を受講でき、昇進できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、改めてキャリアを積み、更なる昇進を目指せば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。
もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
次に職業高校ヘ進学する人も特に良く聴いてください。出産は、高所得者だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子供を持つことが、親に対する恩返しです。
出産したら、それで終わりではありません。その後、高所得者となってしっかり子供を養育できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
http://anond.hatelabo.jp/20160321122600
小中時代の人間が「え、あいつ落ちたなw」って評価するであろう、下層20代末期の俺。
久々に会った旧友には、「地雷があるかも…」と気を使わせたくないから、
みたいな感じでスタート。
こうなってしまったのは全て俺が悪いからであって社会とかに不満はないよ、
みたいなエッセンス入れつつ、自堕落な俺の生活について、聞かれたこと以上の話を返す。
上層の人の浅い話は、同年代の普通の人が就かないような、ちょっと変わったバイトから培った(とは言ってもたかがバイト)経験を元に、
何なら、上層の人と同じ立場にいるかのような知ったような口を利き、本当に入れない深い話は、ひたすら聞き役に回るようにしている。
『お前(今そんなダメな感じなのに)、なんでそんな他人事なの?』
笑いながら言われる場合と、真顔で言われる場合があるんだけど、
前者は本当に仲の良かった奴らと飲む時が多くて、「相変わらず、お前バカやってんなーw」みたいな雰囲気。
後者は、疎遠になった奴らや、大学以降で知り合った人に言われることが多くて、説教されることもある。
後者の上層の人は、俺を本当に下層の人間として見下してるからこそ、色々言ってくれるんだと思うんだけど、
この人たちをイラつかせないために、どういう態度をとっていればいいんだろって考えることがある。
いや、本当にイラついてるかどうかは分からないんだけど、俺の今の状況を俺自身がネタとしているところが
あと、元増田の文章だと、下層の人間は上層の人間を基本妬むものとされているけど、
だとすれば、俺よりもっと下層な人間がいるとして、俺は彼らのこともイラつかせるんじゃないかって心配だわ。
http://president.jp/articles/-/17411
http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=25289
いろんなパターンあると思うので個別の話をするのは意味が無い。
相関はどっかの機関が調べて相関あるって出るに決まっている。
振りかえってみた。
成績真ん中、内向的な方。
ゲーム大好き。
口が立って、生意気だけど成績良いということで、どっちかというと嫌われる存在。
ゲーム大好き
自宅近くの進学校に通う。
成績真ん中ちょい下。高校デビューではないが、普通の人になる。
ゲーム大好き
一念発起して、高二の冬から勉強してMARCHに受かる。(高校内でMARCHに受かった人の中ではダントツ最低の成績)
資格とかに手を出すが故にバイト経験などせず社会経験乏しい人材のできあがり。
5年くらいはぶっちゃけつまらなかったというかついていけなかった。
そもそも彼氏なんていらん、ってのが大多数だった。
とは言ってもネグレクトまではいかない。超手抜きの最低限の炊事、洗濯、掃除はしていた。
自分が幼稚園の頃から共働きで、両親ともに帰りは夜中。自分が家を出るまで、平日の夜は3つ上の兄と二人だけで過ごすのが普通。寝ろ、という大人がいないので、小さい時から24時くらいまで起きているのが普通。11PMとかよく見てた。
料理は超適当で、白飯、インスタント味噌汁(あさげとかそんな高級なやつではなく10個入り100円とかの不味いやつ)、何かを炒めたものに醤油をぶっかけたやつ、が定番。白飯の炊き方は昔ながらの、適当に米を入れて研いで手を置いて手首まで水を入れるやり方だったので、固かったりビショビショだったりでまともに炊けたことがほぼない。しかも1升くらい炊いて4、5日もたすから後半はご飯が黄色くさらに不味く臭くなってる。
食材の管理も適当だったので、何度も食中毒で救急病院に行った。その時に車の中で父親が苦悶する自分に対して「吐いて車汚すなよ」と言ったことは今でも良く覚えている。中3の時に体育の授業で骨折した時は心配するより先に「大事な時期に何やってるんだ!」とまず怒られた。子供の生育には興味のない親だったが、中学に上がってからは通知表の数字にだけは関心があったらしい。
部屋掃除は月に1度あるかないか。風呂、トイレ掃除は年に数回。洗濯は最終的に自分の分は自分でするようになった。
「風呂入れ」と言われるのが週に1回くらいだったので、風呂入っていいのは週1(それ以上は贅沢)と思っていた。普通毎日入ると知ったのは中学生になってからだ。だから下着も大抵1週間は替えなかった。
親は学校行事にはほぼ参加しない。運動会だけはさすがに来ないと世間体が悪いのか、一応11時くらいに来て、会場から遠く離れた誰もいないところに陣取る。当然見てなどいない。一応カメラは持ってくる。フィルムは入ってないけど。
どこかに遊びに連れて行ってもらったことはない。せいぜいあるのは祖父母の家だけで、しかも着いてから特に何のイベントもないので、とにかく暇だった記憶しかない。人生で最初の遊園地は、高校の修学旅行で行ったディズニーランドだ。
そんな家庭だったので、家には帰らず友達の家に入り浸っていた。おそらく友達の親も可哀想な家庭の子と思っていたのか、良くご飯をご馳走してくれた。悪い仲間もいたが、成績優秀なアニオタ仲間もいた。最終的に、アニオタ仲間といたほうが面白かったので、悪い仲間とは遊ばなくなりひどいグレ方をせずには済んだ。そのアニオタ仲間と同じ学校に行きたくて勉強を頑張り、高校、大学はアニオタ仲間と同じ進学校に進むことができた。
前向きに楽しく生きることを教えてくれたのは間違いなくそのアニオタ仲間だ。そいつらに会わなかったら、今自分はクソみたいな人生を送っていたか、とっくに自殺してたと思う。
自分が大学生だったある時、母親が電話で子育てに悩む友達の相談に乗っているらしき会話を聞いた。「子供はほっとくのが一番なのよ〜」と得意げに語っていた。さも、こうして私は子育てに成功したと言わんばかりに。
違う、それは違う、今の自分があるのはあなたの功績じゃない、あなたは何もわかっていない。
ひどく腹が立った。
高嶋ちさ子さんの子供たちも、子育てに関して得意げにツイートしたり新聞に寄稿したりしている自分の親に対して今そう思っているんじゃないかなと思い、自分の過去をなんか思い出したので記念カキコ。
7,8年ほど昔の話になるけれど。文章の練習ついでに投稿してみます。
当時中学生の自分は「ラグ○ロクオン○イン」というオンラインゲームに学校から帰った後の自由時間の大半を費やすほどハマっていた。
そのゲームの世界は、中学のクラスの狭いコミュニティとは違って、様々な人がゲームを楽しんでいた。そこでは、自分よりも一回り二回り上の社会人が多くログインしており、年が近いといっても高校生や大学生のプレイヤーばかりで自分と同じ年齢層の中学生は滅多に見かけなかった。
そんな世界だったので、自分が中学生であると告白するのはちょっと怖くて、リアルのことを気軽に話せるぐらいに仲良くなったギルドの人にしか伝えなかった。
一回りも上の社会人の彼らたちに伝えたところで、どのような反応が返ってくるかと不安だったが、彼らは物珍しい対象だと思ったようで、年上として可愛がってくれたりもした。(リアル女子中学生プレイヤーという重宝される存在なせいで所謂ネトゲギルドの姫みたいな状態にもなりかけたが)
一部の人たちは今でも親交があり、私が成人した後も年に一度くらいちょっと高めなご飯を奢ってくれる。
そんな中、当時仲良くしてくれたプレイヤーの一人にいきなり「自分と付き合わないか」とwis(1:1でできるチャット)で告白された。
今思えば、完全に年下の女の子を狙った下心見え見えの事案なのだけれど、当時男性と付き合ったこともない女子中学生の私は舞い上がってしまった。
ゲーム内の彼は多少横暴な所もあり、性格がキツいことで多少トラブルを起こすこともあり、恋愛的な感情を持たなければあまり好きではないどころか苦手な相手だった。
そんな彼に告白されると思わなかったけれど、人に厳しかった彼に認められたようで嬉しくて、交際関係を結ぶことを承諾してしまった。
匿名でも言えることは限られると思うので、深くは言えないが、彼は13個も年上で自分が住む地方とは新幹線と使っても3時間もかかるような遠いところに住んでいる人なのが分かった。
彼に私の住んでいる地方の話をすると、「それなら大学生になったら自分の住む所に来てよ!今は遠距離恋愛だけど、君がこっちに来たらずっとそばにいられるよ。」と頼まれ、大学生になったら自分の住む地方に来てほしいというお願いをされた。今思うとメチャクチャな頼みだし、これを実践しようと思って親に受験費や学費を出してもらったのは大変申し訳ないと思う。
当時の私は、ルックス、学力共にダメダメで、自己肯定感がとても低かった。そのせいで、会ったことがない人であっても、自分が求められることが分かるのが嬉しくて「この人が私を求めてくれるのなら頑張ってみよう」と一念発起した。
高校時代は彼に嫌われないように化粧やダイエットを頑張ってみたり、中学の時もネトゲ漬けでだいぶ低かった成績も、中三の時から頑張り始めたことで進学校に入ることができ、入学後も、学年順位の一桁をキープするぐらい頑張ることが出来た。年頃の女子高生ということで、クラスメイトの男の子に告白されたり自分と成績を競い合った男の子を好きになりけかたこともあったけれど、私を待ってくれている彼のことを考えると、どうしても裏切ることはできなくて、気持ちを抑え込めた。
そんな思い出を抱えながら、高校時代の3年間は、周りが初めてキスしただのセックスしただの話している中で何も経験をしないまま過ぎていった。だけど、その分勉強も頑張ったことで有名な私立大学の政治経済学部に受かることができ、親も褒めてくれたり友人たちも祝ってくれた。
だけど入りたかった理由が「ネトゲで好きになった会ったこともない男の人のために頑張った」なんて、はっきり言うことは最後までできなかった。
そして大学入学後、彼からすぐに「桜を見に行こう」とデートに誘われ、初めて彼に会った。
写真で顔は見たことはあって、やっぱり年齢通りオジさんだったけど元々顔立ちは綺麗な人だった(と思っている)事は分かっていたので、ネトゲのオフ会や出会い系でよくあるような初対面の相手の見た目に対して嫌悪感を持つこと等はなかった。
デートの道中では、今までずっと電話やメールでしていたような何気ない話をすることができて、それができるだけでも幸せだと感じられた。
帰り際には不意に深いキスをされてびっくりした。今まで異性とキスすらしたことがなかった自分にとって刺激の強い体験だったのだけれど、それを友達に話したら「桜の散る中でキスするなんてすごくロマンチックだね!」なんて言われたりもして幸せな気分のまま初デートの日を終えた。
だけど、確実に違和感を覚える出来事が増えたのは、それからだったと思う。
初デートの日の後に彼からメールがきた。「○○(私)の家に遊びに行ってもいいかな?」という私の家に行きたいという旨のメールだった。「でも引っ越したばかりだから何もないよ?」と返信すると、「いいよ、○○(私)がいるんだから!」とかなりクサい文面が返ってきて、当時純粋だった私は喜んで彼を家に招いてしまった。
そこからは、エロ漫画の展開のように、服を脱がされてあれよあれよと処女を捧げてしまった。クジラックスのエロ漫画で女子中学生が和姦で犯されてる漫画が最近LOで載ってたけれど、まさにそんな感じだった。
そんなことを思ったけれど、すぐに忘れて彼を見つめる事しかあの時の私は出来なかった。
ここでかなり驚くことが起きる。Facebookのメッセンジャーアプリを利用したメール機能から、彼のセフレを名乗る女性から彼の裸寝顔写真付きで「私は彼とセックスしてヤリ捨てされました。あなたはこれを見てどう思いますか?」と川本真琴もビックリの暴露メールが送られきた。たぶん彼女は、私や彼のTwitter等のSNSを監視していて、私の存在を既に大学入学前から知っており、私と彼が家でデートしたタイミングでこのメールを送ったのだと思う。
私はさすがに初めての彼氏とセックスして数日で浮気暴露メールが送られてきたのは衝撃的過ぎて、最初は涙を流すことすら出来なかった。とりあえず彼に伝えると「え!?これはなんだよ!?オレはヤリ捨てなんかしてねーよ!なんなんだこれ!?」と困惑するだけの様子で何が起こったか分からない模様だった。まず否定するのはヤリ捨ての方なのかよ。
その後彼は長文メールで謝ってくれたが、しばらくした後に彼の共通の友人に彼とのメールを見せると「なんかナルシスト男のポエムみてーだな」とバッサリ切られた。(このメールを人に見せる私も大概酷い人間であるが、当時は浮気されたショックが抑えられなく、知り合いに相談しまくっていた。)
普通ならこれがきっかけで別れているのだろうが、当時は彼の事を「処女を初めて捧げた運命の人」のように見ていたので、「これを乗り越えなきゃ、きっとこれからも続かない!」とダメな方のポジティブシンキングの発想で関係を続けることを決意した。
だが、その後も試練は続き所謂「デートDV」や「モラハラ」だと思えるような発言や行動を彼は繰り返すようになり段々心を蝕んでいった。
例えば、ここで言える限りだと私が泣きかけても身体を痛めつけてきたり(彼が言うには『プレイの一環』)、私に対して暴言や「もっと可愛らしい口調で話せ!今のお前は可愛くない」「ちゃんとダイエットをして40キロ切らないと
別れる」などと、今の私を否定するようなモラハラ発言をするようになった。
その後交際を8か月程続けたが、結局彼から別れを切り出されて気づいたらフラれていた。
理由は、「お前の入っているサークルが男ばかりのオタクサークルでそこでお前がチヤホヤされてると思うとイライラする」といった私のオタサーの姫疑惑(実際はもっとほかにかわいい子がいたのでそのようなことはなかった)と「俺の命令通りにダイエットをしなかったからムカつく」といった終始ずっと私の体重の対する注文だった。ここは彼の頼み通りにしたかったけれど中々思い通りにダイエットできず体重を大幅に減らすことはできなかった。
今思い返してみると分かるのは、出会いからして、彼は私自身を見つめて好きになったというよりも「自分の言いなりになってくれそうな年下の女の子」を彼女にしたかったのだと思う。
だから、結局は彼は私のことが好きなわけではなかったのかなぁ、とも思う。最後まで彼の思い通りの女の子になれなかったのは悪かったと思うけれど、私の口調や体型を彼の思い通りに変えることは果たして彼のためになっても、私のためにはなったのだろうかと考えてしまう。
そう考えてしまった時点で私はもう彼のことより自分のことの方が大切に思えるようになってしまったのだろう。
そんな経験を経て、人のために何かをするより自分のために行動した方が人生うまくいくな、と考えるようになったのは彼のおかげもある気がする。
彼からは別れた後も何度か「会わないか」とセックスの誘いを匂わせる連絡は来たが、自分のために生きることを決めた私は彼に振られた後、大学内のサークルのかっこよくて優しい先輩と距離が接近するように行動し、交際を始めていた。
だから、彼には「あなたと会うと今の彼氏が心配するだろうから、会えない。ごめんなさい。」と送ったところもう返信は返ってくることはなかった。
彼が何しているかはもう分からないけれど、私が幸せに生きるためにはこれでいいんだと思う。
今でも親交のあるネトゲの友人にこの話をしたところ、「まぁあぁROではこんな出会いがあったけど次やるToSでもきっとまた新しい出会いが…」と言われたが『いや、ネトゲの出会いはもういいです』と即返答した。
オンラインゲームで大人と関わることは悪い事だけではないです。だけど、良い意味でも悪い意味でも人生を変えるような出会いをしてしまう経験をする羽目になる可能性もあるので、今ゲームにハマっている中高生には気を付けてほしいです。1回大怪我した方が人生上手くいくこともあるかもしれませんが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/103434
都市部において両親が高学歴の富裕層か教育熱心な家庭に生まれ、中高一貫の名門私立学校出身者にとっては最底辺の進学先であろう。
それでも私にとってそこに入学できたのは強運と努力と才能の結実した成果であった。
私は中学校では50人中だいたい2番だった。
高校は地元の相対的にはいちばんいい進学校にいき、成績は控えめに言っても360人中だいたい5番以内だった。
その進学校は地域全体で約2000人のうち上位360人が集まるので、合わせると5番/2000人で上位0.25%ということになる。
地方出身者は、首都圏や関西の金持ちなら鼻で笑うようなFランク大学に上位0.25%しか入れないのだ。
日本の大学入試制度は一見すると平等な試験選抜であるが、それに特化した訓練を受けられるかどうかという点で大きな不平等があることを、エリート達は知らない。
塾で真ん中より上なら開成とか灘に合格できて、高校で真ん中より上なら東大法学部なんか楽勝だった奴らが国を仕切っている。
私も上述のように田舎の出身ではあるが、それでも普通科の選択枝が複数ある時点でだいぶ恵まれていたし、両親もいちおう大卒で教育意欲は高かった。
ちなみに中学までの同級生のうちで両親が大卒なのは私だけだった。
ちなみに私が通った大学では、入学後の成績順位が試験のたびに開示されるが、成績上位者はのきなみ地元ローカルトップ高出身で、
成績下位者は一流進学校出身者が占める、みごとなまでの「高校偏差値との逆相関」が見られる。
極限までお受験マシーンとしての能力をブーストされた者と、田舎で競争相手にも欠くような者たちが、
大学入試で結果的に同じ成績を残したのであるから、伸びしろは言わずもがなというわけだ。
しかし田舎の貧乏人に進学のチャンスを与えることは、ポテンシャルの高い人材を上に引きあげるある種の効率を改善することに繋がり、その余地はまだ残されている。
日本の学校教育では「不平等に見えること」が何よりも嫌われ、成績の開示や成績優秀者の表彰などを大々的にすることはないし(運動会で運動音痴の公開処刑はするくせに)、
公立校では進学校ですら進学実績を売りにして生徒を募集することがタブーである雰囲気すらある。
しかしそうした消極的な姿勢によって、塾や私立学校などの有料コンテンツでブーストした層が大学受験を勝ち抜きやすくなり、
格差と階級の固定という、より好ましくない事態が生まれている。
よりチャンスの公平な社会と効率的な人材育成のために、初等教育から徹底した到達度別のクラス分けや飛び級・留年を採用するなど、学力と家庭環境の相関度を下げる改革が望まれる。
詳細は他にゆずるが、階級流動性の高い社会では教育予算が多く、人口に対する教師の割合が多く、公立校でも能力に応じた授業が提供されるなど柔軟性が高い。
(出典がすぐ出せない、たしかシノドスか何かで読んだ、あと森巣博の本とか)
ちなみに私の出身大学は失楽園の著者と同じで、出身高校は極楽とんぼの太ってない方と同じだ。
あと学歴社会の是非は問わないでください。高学歴を是として、高学歴が高収入を得られるのを前提にしないと話がややこしくなるんで。