はてなキーワード: 進学校とは
幼いころから、絵を描くのが「得意」だった。
美術に携わる家系に育ったという経緯が一番影響したのだと思う。夏休みの宿題で出す絵は大体入賞したし、それが当たり前だと思っていた。「私は画家の子。絵がうまい子」という優越感は必ずどこかにあった。
でも、どこか親の仕事への反抗的な気持ちもあって、小中学校のころはスポーツに励んでいた。親はそれについて何も言わず、ただひたすら私を見守ってくれた。
転機は高校1年生の冬。私は、中学生の時に無理がたたって膝を壊した。スポーツはもうできない。だから、だらだら帰宅部をしていたんだけど、美術の先生がおもしろい人で、私はその人に惹かれて、誘われるままにふらふらと美術部へ入った。
私の学校は進学校だったんだけど、なぜか美術部が強かった。みんな、美術に対して真摯で、一生懸命で、今思えば私は本当に良い環境の中で美術を始めることがあった。元々の素養もあったし、あっという間にメンバーよりうまくなるのだと固く信じていた。
2年生の秋、私の優越は打ち砕かれた。初めてコンクールに出した私の絵は優秀賞ではあったけれど、全国大会にも、ブロック大会にもだしてはもらえなかった。学校の中で二人までしか上位大会に行けない、という縛りがあったからだ。
全国大会には私が心の中で密かに馬鹿にしていた、A子の堅実で真面目な絵が選ばれた。ブロック大会には、B子の彫刻が、珍しいからという理由で選ばれた。
作品の評価の際に、審査員野先生に「君の絵は、金縁にかざっても堂々として栄える作品だけれど、どこか鼻につく」と、言われたのをよく覚えている。きっと、私の心の中の優越感が、絵ににじみ出てしまっていたんだと思う。
こうして、私のデビュー戦は屈辱の中で終わった。親にその話はしなかったし、絵も見せなかった。親も、その話をとりたてて聞こうとしなかった。
その後、B子は美術塾のある地区の学校へ転校した。私は、A子と競うようにたくさんの絵を描いた。A子は努力家で、本当にどんどんうまくなっていった。その隣にいるのも誇らしかった。
本当に楽しい時期だった。自分の、才能のある分野で、才能のある友人と競い合うことに、私は心から充足を感じた。
最後のコンクールで、私は花を持つ女の人の絵を描いた。本当に渾身のできで、私は思わず父に感想を求めた。
父は「去年の絵を実は密かに見たが、あっちがよかった。今年は、審査員受けする絵を描いている感じがする。お前の絵じゃないな」とぽつりと言った。
その言葉で、私の絵は「万人受けする絵になりつつある」ことにようやく気付いた。そして、私に影響を多大に及ぼしていた画家によく似た作品であることにも、気がついた。
その作品は、もはや「私の作品」ではなく、「褒めてもらうためのそれっぽい美術」だった。承認欲を満たすためのプロセスだった。それは、私の技術の拙さからくる甘えでもあった。
そして、私の家族の人たちが命がけでやっている「美術」とは明らかに違った。
どこかにあるものでは、美術は成り立たない。自分の明確な美を表現しなければ、美術ではない。それを、一番良く知っているのは親の背中を見てきた自分だった。
私は結局、その一言でスランプに陥った。そして、美大の進学を取りやめ、逃げるように総合大学へ進学した。美術に関わらず、ギタ-を弾き、ツテを訪ねて海外をいろいろまわった。自暴自棄に近い学生生活を送った。
私の人生は派手だ。いつも楽しい。賑やかで何でもできる人だと言われる。でも、美術ほど、のめり込めるものに、出会ってははいない。
そして今、私は社会人で、やっと筆をとっている。美術の大会に出すとか、そんな大仰なものじゃなくて、会社のイメージキャラクターをデザインしたり、友達の結婚式の案内状を制作したり、塾の先生をやっている友達の教材に挿絵を描いたりしている。もちろん、対価はもらっていない。あったとしてもせいぜいお菓子類だ。
絵を描くたびに、確かにほろ苦い気持ちになる。
結局、私は求められないと絵を描かない。褒めてもらうためにしか、絵が描けない。
だけど、色を重ねるたびに喜びが溢れる。逃げずに、もっと向き合っていればよかったな、と思わずにはいられない。あの時、なにくそ、と思って、描き続ければ、また違う未来が待っていたのかもしれない。
・小学校
今と違って小学校で英語なんてやらない時代だったけど、親の意識が高かったから小4から英語教室行ってた。
・中学校
英語の成績はかなり良かったが、英語以外の成績もかなり良かったため、英語教室の効果があったのかは不明。
意識は高かったので、古本屋で英語の絵本を買って自分で読んだりはしてた。
・高校
地域一の進学校に入ったこともあり、英語も他の教科も成績は学年で中の下くらい。
意識は高かったので、近所の教会で無料でやってる「聖書を英語で読む教室」みたいなの毎週通ってた。
・大学
入学時の英語の成績は、海外経験なしクラスの中では中の上くらいだった。
特に1年生時は英語特訓プログラムみたいなのが必修で、気が狂いそうなほど英語漬けにされるし、短期留学も2回した。英語で開講されている専攻科目の講義も15単位くらいとったし、卒論も英語で書かされた。多分、ネイティブから見たら読むに堪えないひどい文章だったと思うけど。
・現在
海外旅行に行って困らない程度の英語力はあると思う。英語で道を聞いたり買い物したりホテル予約したりするくらいなら余裕。
まず商談で使うような単語なんてほとんど分からないし、文法も中学校レベルしか使いこなせない。かろうじて意味は通るけど、不自然極まりない表現になっている自信がある。
でもさ、ネット見るとみんな、「仕事で英語が必要なので社会人になってから勉強してついに海外で就職できました」とか、
「英語できたほうが仕事の選択肢が増えるのになんで英語勉強しないの?」とか、書いてるわけじゃん?
自分は決して頭が悪いほうではないと思うし、人よりも英語学習にリソースを割いてたと思うけど、それでもせいぜい「海外旅行で不自由しない」レベルにしかなれなかったわけで、仕事で英語使ってる人は一体どうやってそうなったのか心底不思議だ。
ひょっとして自分は、学習障害みたいな感じで英語が出来ない障害なのだろうか?
それとも仕事で英語使うレベルの人は、隠しているだけで本当はみんな東大卒で英語専門の家庭教師が24時間ついてたりするのだろうか?
ちなみに5歳の娘は、1歳の時から英語教室に通っているのに、5歳になった今、せいぜい「色や動物の名前を英語で言える」「20までの数字が言える」「ハローとかハワユーとか言える」程度。
ちなみに、他の能力(ひらがなを書くとか、簡単な足し算とか)は平均より出来るほうなので、知的に問題があるわけではないと思う。
http://m.huffpost.com/jp/entry/8902352
私も塾には行かなかったし行きたいとも思わなかったが、仮に行きたいと思ったとしても、行けなかったと思う。
別に黒い服を着たおじさんが家に来たり、親がギャンブル中毒で離婚したりはないし、(大学に入って一人暮らしをするまでは)特段ひもじい思いをしたことも記事に書けるようなドラマチックな出来事も何もなかった。
しかし、子供心に塾の授業料を見て、ウチの家計では無理だろうなと思ったくらいの家庭に育った。要するに田舎の一般的サラリーマン家庭だった。
周りはあまり裕福ではなく、飯場のようなところで、ギャンブル中毒の親、母子家庭、父親の自殺、小学校6年間で4回も苗字が変わった子、夜逃げしたためどこか遠くから車で送られてくる子等だらけだった。
(金銭感覚や教育観といった観点で)まともな両親が2人とも健在だった時点で、そこでは最も恵まれた環境だった。
そういう意味で、私は当地では最も恵まれた環境に生まれ育ったと思う。
大きなショックを受けたのは、親の預金通帳を盗み見た時だ。
それ以来、私は親にモノをねだらなくなった。当然塾に行きたいとは言えなかったし、私は小さいころピアノが習いたかったのだが、習いたいと言えなかった。
私は14歳の時、田舎を出ることを決心し、田舎の中学を出て、片道2時間以上もかかるような遠い街の進学校へ行き、東京大学に現役で合格した。結局塾には一度も行かなかった。
私自身はそれが当然だと思っていたので全く辛くはなかったのだが、多分傍から見れば相当努力した部類だと思っている。
受験期には文字通り一日中勉強していた。これまでテレビとゲームとゲームセンターとボーリングくらいしかなかった私にとっては、本を読むこと、勉強はとても楽しかったのだが、貧しい体験からくる出世欲と反骨精神、この世に対する恨みのような気持ちは並々ならぬものがあったと思う。
今の私は、東京大学を出て大きな、公共に係わる仕事をしている。
田舎にいたころとは比べ物にならない人生だ。世間一般的には、エリートの部類に入るだろう。
給料は、外資に行った同級生、弁護士になった同級生と比べたらかなり少ないだろうが、普通の給料をもらって生活している。
社会階層を上げるためには大学に行くべし、というのは多分正しいと思う。
日本の大学受験(というより東大受験)の良いところだと思うことは、基本的にはどんな境遇の人間でも、ペーパーテスト一発、しかも普通の教科書理解できていれば合格できることだと思う(それが相応に難しいことは否定しないが)。
つまりは個人の資質や、やる気次第でどうにかなるものだと思うのだ。
だがしかし、このやる気というのがかなりの曲者で、その大半は環境で決まってしまうと思っている。
地方の進学校だったが、地元の中学とは全く違う人種が集まっていた。ゲーセンやテレビ、ファミレス以外の世界を知っているのだ。
この世界に多感な高校時代に飛び込み、周りが読むように本をたくさん読み、たくさん考えた。
これが今の自分の基礎だ。
そして高い交通費をかけて、遠い(公立だが)進学校に通うことに、反対せず後押ししてくれた両親の存在も大きい。
親がまともで精神的に安定していること、これは本当に大事なことだ。
不幸にもこのような環境が確保されなかった場合、私は同じように東京大学に独学で入り、今のような人生を歩めていただろうか。
おそらく無理だ。
視座を広げるためには、まずそれができる機会が与えられる環境にいることが重要だ。
モチベーションを維持するためには、少なくとも将来に前向きな人たちの多い環境にいることが大事だ。
負の感情だらけの中で、周りに影響されず自分を貫き通すのは、然して気持ちの強くない高校生の私にはできなかっただろう。
私は幸運にも環境に恵まれ、これから何でもでき、何にでもなれる人生を手に入れた。
最近やりたいことに悩んでばかりで、鬱々としているのだが、こうした経験をした自分だからこそできる方法で、世の中を良くしていきたいと考えている。
うちの親は相当おかしかった。
子どもは親の言うことを聞くのが当たり前、親にとって都合のいい存在、言いなりになる操り人形だと思っていて、休日はいつも親の趣味に付き合わされた。
拒否権が全くなかったし、誰に助けを求めればいいのかわからなかったので、ひたすら耐えた。
そのせいで、自分に自信が持てず、人とうまく接することができなかった。
極度の非常識でコミュ障だったので、中学時代はもちろんいじめられた。
父親は、子どもが自分の思い通りにならないととにかく怒り狂った。
やりたい放題だった。
それでも親は、自分達が正しいと思っている。
悪いのは全て妹。
せっかく進学校に行ったのに中退してしまって、もう5年も家から出ていない。
親が自分たちの行いを悔い改めない限り、妹は救われない。
私は母親に何度も「お前は何事も長続きしないダメな子」「親から逃げてばっかりの弱虫」と言われたが、逃げなかった妹は潰されてるじゃないか。
出来の悪い子と離れられて嬉しいんじゃないのか。
このまま自立もしないで、親の介護要員として生きていくんだと思う。
可哀相だけど、何もしてやれない。
ごめん。
今年はエンブレムの件が燃えに燃えてすっかりデザイン業界が信頼を失ってしまった一年だったけど、そんな流れの中で伊勢志摩サミットのロゴが出てきて「プロのものよりよい」とコメントする人も相当数いて、年末なのに惨憺たる気持ちになった。
日本人はなぜここまでデザインに興味がなく、軽視や蔑視を続けているんだろう。自分なりに考えてみたんだけど、その原因の一つに「日本人の殆どはデザインについての教育を受けていない」というのがあるんじゃないかと思った。自分は今30歳だけど、小学、中学、高校とまともに「デザイン」や「デザイナー」について学んだ記憶が無い。美術の先生は絵画科や彫刻科出身でデザインについて積極的に語るようなことは少なかったし、そもそも美術の時間の殆どが実技に割り当てられていて、デザインやデザイナーについての講義を受けた記憶が殆ど無い。同様に建築についても殆ど教えてもらえなかったように思う。(うちは進学校だったので余計そういう傾向が強かったのかもしれないが、使っていた美術の教科書に現代のデザインや建築についての記載が少なかったので他の学校も同じようなものなのかなと思う。)
そんな状況下では「デザインとは何か」なんてことは殆どの人には無関係な話になるし、ましてや「デザインについて理解しよう」「いいデザインとは何かを考えよう」なんて土台無理な話だと思う。日本人はデザインを軽視して当たり前なのかもしれない。プロになるようなデザイナーは、学校の教育があろうがなかろうがデザインに強い興味を持っていたような人たちなわけで、そりゃ「デザイナー」と「非デザイナー」のギャップは埋められないよなとも思った。
でも、いいデザインは社会をよくすることが出来ると自分はまだ信じている。いいデザインに囲まれた暮らしは心地よいと思う。だから多くの人にもっとデザインについて興味を持ってもらい、理解をしてもらって、社会全体が「よりよいデザインを選んでいこう」という空気になってほしいと思っている。無邪気で子供っぽい意見だろうけど、本当にそう思っている。
よくわからなかったが、自分なりに理解したところでは、真面目だが成績があまりよくないとかそういう意味らしい。
振り返ってみると、中学の時に著しい軍事オタク、三国志オタクなどがいたのだが、彼らのほとんどは真面目な人間達であったが、どういうわけか進学校にはいかなかった。もちろんその属性で進学しまくるヤツのほうが多いとは思うが、たまたま私の身の回りでは、女子ウケしないオタクさを中学時点で開花させていたやつはほぼ間違いなく、そうなっていた。ちなみにアニオタは女子受けもよく、コミュ力も高くそのまま進学していたと記憶している。
という過去を振り返って、こういう人達のことを真面目系クズなどと呼称するのであろうか。
それとも全く別の人種の事を言うのであろうか。
これは 退学 Advent Calendar 2015 12/18 の記事です。
勢いで登録したものの1週間近く過ぎてしまったこと自体が、2回も退学するような人間であることをよく表しています。
てきとうなブログスペースがないのでここに書き殴ります。なるだけ時系列順で。
物心ついたときからなぜか勉強ができたというか、テストの点数だけは良かった。
小学生時代は(客観的に本当にそうだったのかわからないが)イジメられるような人間で、
それがイヤになって公立の中学を避けて、中学受験をして私立の学校に進学した。
ここがいわゆる進学校的なところで、中高一貫校の利点を活かして中学のうちから高校の授業をするようなところだった。
模試なんかも1学年上の模試を受けさせられたりしていて、自分にはそのような先取りの学習スタイルが合っており、
中学を卒業する頃には高校の理科系の科目については教科書の内容を終えていた。
中1からギターを始め、まわりの友達に楽器を教えてバンドを組んで、
自分たちで企画してライブハウスを借りて同級生を集めてライブイベントを開いたりしていた。
音楽にドップリはまって、東京に行ってミュージシャンになりたいと思い始めた。
また、当時流行していたモーニング娘。にも衝撃を受けて、後藤真希に激ハマリ。
「自分は上京して音楽家として売れて後藤真希と結婚するのだ」と強く思い込むようになった。
すでに高校の学習内容を終えていた自分にとって、学校はひどくつまらなかった。
拘束のキツい進学校で、朝課外・夜課外というものが必須で組み込まれており、
7:30-18:00 という長時間、わかりきった授業を受けるのが耐えられなくなった。
こうなることはだいたい予想できていたので、別の高校の受験も検討していたが、
その学校には「他の高校を受験してはいけない」という規則があったため叶わなかった。
そのうち学校に行かなくなって、自宅で将来を空想して過ごすことが多くなった。
この頃インターネットにハマって、アイドルのファンページや 2ch を見始めた。
「スムーズに上京してミュージシャンになるにはどうしたらいいか」を考えた結果、
アルバイトをして音楽機材を買い、東京大学に合格して上京しようと思い始めた。
しかしながら、いくら試験の点数が良くても授業に出なければ卒業はできない。
(が、もともと通学できてないのだ。新聞配達をして寝るようになった。)
周囲の大人にだいぶ迷惑をかけた。
「今辞めたら大検を2回受けられる」というのを切り札にして退学した。
(が、大検会場が田舎でめちゃめちゃ遠かったので、結局1日目しか行かなかった)
「音楽機材を買い集めること」と「東京大学に合格すること」だった。
平日深夜はコンビニ、土日昼は結婚式のアルバイトという具合で、
昼夜も逆転しているため勉強どころではなかった。
当時一番つらかったことは、「実は高校を中退していない」という悪夢を繰り返し見続けることだった。
この時点で自分はただの中卒のフリーター。大学に合格しなければただのドロップアウト。未来はないだろう。
それが自分には受け入れられなかった。もともと「高校を辞めたい」と思って辞めたわけじゃない。
「つまらない教育制度が悪い」と思って辞めた。より高等な学問を勉強したかった。
「自分で勉強すればいい」には「つまらない授業のために教室にいられない」と答えるし(学費も私立なので高い)、
「海外で飛び級すればいい」には「そこまでの度胸はない」と答えていた。
(アイドルにハマっていたというのも大きいが)
このように、「本来の自分(と思っているもの)」と「現実の自分」とのギャップの大きさに耐え切れず、
「本当は高校中退してないよ、お前はマトモだよ」という甘い夢を見続けることになる。
(現実は甘くない。そしてこの夢は大学に入ってからも数年続いた)
バイトに通う道すがら、制服を着た学生を見かけると思わず身を隠すぐらいこわかった。
ろくに1、2年勉強しなかったのでさすがにハードルを上げすぎたなと後悔した。
しかし、努力が長続きするタイプでもないし、勉強机に何時間も向き合える性格でもない。
当時は枕元にバイトで買った Mac のディスプレイを置いて大学受験板、大学生活板、モー娘。板などを見ながら
寝そべった体勢で受験勉強していた。
直前の模試では良い結果は出なかった。
「これはヤバイ」「人生終わったか?」と不安になったが、実際にはなんとか現役で合格できた。
(合格発表の現場に行く勇気はなかったため、インターネットで番号を見つけて喜んだ)
このとき一番うれしかったのは何といっても「憧れの東京で一人暮らしできる」ということだった。
とにかく何でもできる気がしていた。今まで辛い思いをした分、ここからはバラ色の人生をつかむのだ。
大学なんてどうとでもなるだろう、問題はどうやって人気者になって成功するかだ。本気でそう考えていた。
今思うとまったく甘い考えであるが、結果、大きな挫折にぶちあたることになった。
まず、朝起きれない。武道館で行われる大学の入学式に遅刻した。(入場できたかどうか覚えてない)
親が記念に購入したアルバムに自分が写っておらず、ひどくガッカリさせてしまった。
(また、自分が在学していた証拠が残らないという結果にもなった)
どこに行けば授業が受けられるのかすらわからない。
いつのまにか試験の時期が来たが、試験の受け方もやはりわからない。
結局何もわからないまま、2年が経過した。
単位は1つも取れず、それどころか1点も取ったことはない。
(この頃も「高校辞めてないよ、大学行けてるよ」という悪夢を見続けて辛かった)
入学させてくれた親との折り合いも付かず、往生際も悪く、結局5年も在籍して、1度も進級できなかった。
つまり、タイムアップである。(8年在籍できるが、もう卒業の見込みがない)
通常であればここで実家へ戻るのであろうが、
上京前からのインターネットの知り合いから仕事を紹介してもらって、
なんとか東京に残りたいと説得した。
しかし、それも束の間。
アルバイトのような仕事を転々とした後、家賃を滞納して強制退去。親に泣きつくことになる。
ルームシェアしていた友人の家に転がり込んだ。
いろいろあって25才くらいだったと思うが、当時は自分が正社員になることなんて絶対に無理だと思っていたので、
今でも、どうにかこうにか東京にいることができている。
10代のあの頃、自分がこんな人生を送るとはまったく想像していなかった。
ひとえに、まわりの大人・先輩方のおかげとしかいいようがない。
(ちなみに大学の友人は一人もいない)
うっかり長文になってしまった。
振り返って思うのは、(よく誤解されるのだけど)僕は退学したいと思って退学したわけではない。
なんとかまわりの人に助けていただいたということが大きい。
とはいえ、もう1度人生をやり直せたとしても、自分は退学することしかできなかっただろうなと思う。
今は、N高等学校 のような取り組みもあるし、
今後も、自分のような平均的でない人間であっても苦しまなくていいような柔軟な教育体制になっていってほしいと心から思っている。
すごくどうしようもないんだけど、本当に毎日ゲロ吐きそうなほどつらいから書く。
自分は30代に入ったアラサーの男で、本当にしがなく生きてきて、普通に働いてて、普通に友達がいて、たぶんそんなに駄目な人生は歩んでいない。
年収は多くはないが、まー平均よりはちょっと上くらいで、順調に役職ついている。
今、彼女はいないし、たまに枕にうっぷして「彼女ほしいいいいいよぉぉおふえぇぇぇえ」と叫びたくなることはあるが、
そうはいっても普通に毎日が楽しい。いやまあ、ゲロは吐きそうになるんだけど。
それなりの進学校から偏差値高い大学いって、普通にサークル入って、モテたいとか思って外見を磨いたりして、
それなりに男女交際して、会社入って、で、「結婚適齢期」ってやつにみごとに足をツッコんだ。
というかもう30超えてて、アラフォーが目の前に見えてくるから「結婚適齢期」はぶっちゃけすぎてる。
女の方がやり玉にはあがるけど、男もまー「どうなの?」ってしょっちゅう聞かれるようになる年齢だよな。
自分自身の結婚願望は大きくなくて、というのもたぶん「子供が欲しい」と思ったことが一度もないからだ。
別に子供嫌いではない。Facebookに流れてくる他人の子供へのヘイトを募らせることもないし、
姉の子供(姪)のことも「天使だ!」ってかわいがれる。めっちゃ貢いでる。
だが、子供が欲しいと思ったことがない。
なんなら「子供すごい好きで早く子供欲しいし結婚したい」っていう彼女のその言葉に気持ち悪さとプレッシャーを感じて
「無理だ!」と別れたこともある。若かったのもあるが。
「結婚」に重さを感じたわけではなくて無邪気な「子供が欲しい」という願望に気持ち悪さを感じた。
彼女に限らず、普通に「子供欲しい」っていう男にも女にも一定の気持ち悪さというか、異星人感をうける。
まじで「なんで?」って気持ちになる。
もちろん、厳密に言えば「出産」と「結婚」がイコールじゃないことなんてわかってる。
シングルでも子供を産んで育てることはできるけど、今の日本の法制度の中ではあえてそうするメリットもないし、
風当りが強いのは確かだから、まぁほぼ同義ということで話を進める。
個人的にはシングルどうのとか関係なく、本当に腹の底から「ほしいいいいいいい」って願って収入のある(もしくは親に頼れる)人は
男女共にそれを選べばいいと思うし、そこに「片親かわいそす」とかいう奴は地獄に堕ちろとは思う。
(まぁ女性がシングルになるのと、男が産んでもらってシングルやるハードル全然ちがうが)
話がそれた。
で、だ。俺が吐きそうになるのは、そうやって「結婚そんな興味ないな」と思っているのに
明確に「子供がほしい」とか「結婚したい」って願望があるわけでもないのに、
「結婚しなきゃ」ってプレッシャーに押しつぶされそうになる瞬間がめちゃくちゃある。
「他人の目線を気にするな」と言われても、なんというかこちらが気にしてなくても「うっとおしい」と思うことを言ってくる人は
めっちゃいるし、実際「既婚じゃない」という理由の面倒な押し付けみたいな圧力もある。
姉が結婚してるから、あたりまえに両親も俺に「結婚はー?」と聞かれる。
不細工でデブで非モテで彼女いなくて結婚できなかったら「やっぱり(とりあえず痩せろpgr)」
仕事ばっかりしていて社畜やってたら「やっぱり(仕事ばっかの男はびみょー)」
イケメンでちゃんとしててそこそこ市場ニーズがありそうなのに結婚できなければ「やっぱり(中身に問題が)」
ありとあらゆる論理で殴られる。
本当にうっとおしい。
なんでこんなに「結婚」だけでできそこない扱いされなきゃいけないのだろうか?
別に望んでない、といったらそれで済む話ではないのか?と厨二心が全開になる。
これだけならまだ外部圧だけの話だが。
「結婚してないとまともじゃない人」というレッテルのつらさもそうなんだけど。
ぶっちゃけ「こいつでも結婚できたのに」と誰かを見てしまうことがあって自分の汚さに辟易する。
同級生でももう結婚してるは当たり前だし、子供もいるが、正直「なぜこいつが?」とか、ある。
それこそイジメやったことがあるのとかもいるし、お顔立ちが残念な奴もいる。
その人たちは賢く、うまく、相手とゴールしたのかもしれないし、
すごく愛し愛されて結婚したのかもしれないし、
俺のようにめんどくさい拗れがなく、普通にレールが「結婚」を通過したのかもしれない。
でもなんでこの人たちできて俺はできないんだろう。
俺なにかしたっけ?とか。
あれ理想高かったっけ?とか。
別にステータス「既婚」を手に入れるための結婚とか本末店頭だし意味なくね?って頭ではわかってて、
でも「積極的未婚」なわけでもないし、
「既婚」ステータス手に入れられないとずっと外部に殴られるんだよなっていう想像たやすい未来を思うと暗澹たる気持ちになる。
別に付き合わないでもセックスはできるんだけど、いまさらそんな性欲をぶちまけるパッションはないし、
ただただ「かわいいねー」って言うだけならペット飼うだけでいいし。
世の中の婚活本とか、セオリー本とか、全部まるっと含めて「結婚したいなら行動しろ」って言われるし、
いやそんなことは知ってますよって思うし、別に婚活自体が嫌なわけではないし、彼女いらねぇとか、
嫁いらねぇとか、結婚墓場だからいやだとか思ってるわけでもないんだけど。
「結婚したいから結婚する」っていう強固な信念を持てないからどうしても「人ベース」になってしまうんだけど、
じゃあ「合う」人と、無事「ゴール」決められるようになるまでこの精神摩耗が続くのかよって思うとこれまた地獄で、
なんかつらくてつらくてつらくて吐きそうになるし、もう勢い余ってこの世から消えたくなったりする。
いいとしこいたオッサンがなにしてんだ…って自己嫌悪も振ってきて結構どん底だ。
多かれ少なかれの人がきっともってる感情だと思うんだけど、上手くいった人の話きいたって意味ないし、
もはや俺には祈るしか道が残されていないのでは!?という飛躍思想に帰結していくのだけども、
ここでまたフリダシに戻るのが「そんな結婚したいんだっけ?」「なんのために?」ってことなんだよね。
ごめんゴールも結論もないんだ。
とにかくこの出口のないメビウスの輪の中に囚われていて、吐き出さないと自分の吐しゃ物にまみれて死にそうだから書いてみた。
願う事は「結婚してもしなくても別に普通」な世界だけど、そんな世界がそんなくるとは思えないし、
その世界がくることを願うくらいなら「とりあえず」結婚してバツつけるほうが簡単なんではないかとも思うから
神様助けて下さいって神頼みしながら沈むこととする。
なんかもうとりあえずペット可のマンション購入して、かわいい動物と暮らすのが俺にとって一番いい生活なのかなー。とか思ったりはする。
進学校の高2冬だと、高校数学はカリキュラム上終わってるのかな? 当方理系ゆえ文系の事情はわからぬが、俺のところは3Cまで高2で終わってた。
別に数学以外で得点源を作ればいいだけなのだから、今の時点で数学を切るのは早い気もするなあ。
進学校に通う女子高生です。数学が本当に苦手で小学校の2桁の割り算とかからつまずいてた。なんとか高校までだましだましやってきた。
高1のときに「今数学を捨てたら成績は下がるばっかりだ。あきらめずに続けるのが大事」というのを口酸っぱく言われ続けモチベーション、モチベーションと第一志望にはレベルの高い国公立大学を書かせられ、そんな中で勉強してきた。
2年の夏には第1志望は締め切り後で行けなかったけれど第2志望のオープンキャンパスまで行った。数学だってわからないなりに質問したりして、定期テストでは頑張れば80点も取れるくらいになった。個人的には赤点スレスレからは成長したなぁなんて思ってた。
高2、冬。三者面談で、サラッと
って言われた。たぶん三人の中でその言葉に引っ掛かったのは私だけだと思う。2年の初めに言われたかった。ずっとずっと数学から逃げたかった。でも今まではそれを許されなかったし、捨てない私は頑張ってるって思ってた。
国公立だって数学が2次でいらない大学はいくつかあるし、私自身、学部を確定しているわけでもなく、数学を捨てて希望の大学に行くことはいくらでもできた。
数学を捨てなかった間はもう数学以外をおろそかにしても数学を人並みにもってくるように努力してた。
でも、数学いまになって捨ててもいいって、私は、どうすればいいんだろう。
中学時代はかなりの進学塾に入って全国模試でもかなりいいところまで行き、高校も進学校に入学して、リベラルな校風で部活なんかも楽しそうだったんですけれど、なんかそこでどうでもよくなってしまい、いろんなことを積極的にやらなくなってしまいました。登校も休みがちになり、家を出ても河川敷でずっと川を眺めていたり、学校に行っても人気のない藤棚で一日中本を読んでいて授業に出なかったりとしていました。当然出席もたりずこのままでは留年になるのも理解していましたが、かといってそれでやる気が出るわけもなく、そのまま一年ほど過ごして中退しました。高校中退学歴ですね。
そのあともだらけた生活を一年ほど送っていたのですが、別にどうというきっかけもなく「意に染まないことは一切しない人間になろう」と決心しました。
何かやろうと決心したことのための苦労ならまだしも、周囲に言われたり、同調圧力でいやなことは一切しない、それをするくらいなら自殺する、と決心をしたら、なんだかスーッと肩の力が抜けました。今だから思うのですが、学校の授業に出なかったのも、別に勉強が嫌いなわけではなく(実際座学は嫌いではなく好きな方です)、周囲の圧力やベルトコンベア的に押し付けられるのが嫌だっただけのような気がします。
まあとにかくそう決心したら急に楽になって、好き勝手なことを(趣味や仕事っていう意味です)沢山しました。色んな業界で勉強したし、面白い経験もびっくりするくらいできました。意に染まない業務命令をされたら辞めるつもりでいると、仕事は何でも楽しいですね。謝罪したり同僚に気を使うことさえ、自発的にやる方が百倍楽です。自分の人生の主導権が他人にあるのは、本当に疲れます。
両親は自分が二十五になるときには死んでしまっていたので(介護で長期間拘束とかはなくて、そこは感謝しないといけません。遺産とかはありませんでした)身軽になってからは、海外勤務も経験しました。意に染まない事態になったら辞めるつもりでいると、仕事で怖いことがあまりなくなります。それは海外で働くにはかなり重要な要素だと思います。日本人がふらふら中国だのモンゴルだのに行って、製品の売り込みをやったり、メンテしたりするのは、物おじしてたり嫌々だったりしたらとても難しいです。うるせえお前らが何を要求してきてもこっちに出来ねえことは出来ねえよ、客だからって何でも通ると思うなよ、くらいに思っていた方がうまくゆきます。
今現在四十歳を少し超えましたが、何とかまだ生きています。意に染まないことはしたくないので、若い時に比べて仕事の量も減らしました。一応会社を設立してそこで仕事をしてますが、年のうち半分くらいは、高校時代と同じくぼーっと海を眺めたり、パンをかって遠くまで散歩に出かけたりしています。怠惰でやる気はありません。今は運よくそこそこ良い暮らしですが、本当に何かあって意に染まないことをしなければならなくなったら、さくっと自殺しようと思ってます。四十年生きれば元とれてると思います。
鬱になったら治そう、治さなきゃいけないというのは、わからないではありません。だって本人が苦しいから(そういう時期もありました)。
でも、その動機が「周囲に合わせた社会生活を送らなければならないから」治さなければならない、というのであれば、疑問です。正直そんな人生に価値があるとは思えません。
自分は怠惰のまま、自分の好きなことをやって、それで死にます。言ってみれば、鬱のままのうのうと生きてゆきたいですし、そのつもりです。ノートパソコンと海外経験と契約実務の経験とあとはサボるための努力で人間は十分生きていけます。
日本の学生は、周囲に合わせることに努力リソースの大部分を消費しすぎだと思います。個人的な感想ですが、そんなことしても、(卒業後の)社会は助けてくれないし、人生も職も世話してくれないです。
オッサンになると涙もろくなる。
(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。
ネットの世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。
少なくとも、四六時中ネットのリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。
「ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、
自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。
要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて
能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。
それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。
ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。
答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。
だから、能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。
単に守りの姿勢、ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化
するだけの話であって。
とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、
例えば、はてブで上がってくる書籍関係の記事はほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。
いつだかの村上春樹のネット相談で、「小説をバカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、
実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが
本当のところではないのか。
しかも下らないライフハック系の記事はホットエントリになったりして、Kindleのセールで買えよと思う訳だが、
そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。
それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。
今日、ようやく仕事に区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章が
落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。
リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムの抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。
転載元:
http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html
<版権表示>
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。
(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。
Copyright 2005 by Paul Graham
原文: http://www.paulgraham.com/hs.html
日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
<版権表示終り>
(「知っておきたかったこと」より)
だから、卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。
そして自分の能力を過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど
多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を
かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、
これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?
風上
この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、
より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。
卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。
ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより
時間を無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢が
増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。
たとえば、君が大学の1年生で、数学と経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、
数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からはほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、
経済学の大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学の大学院へ進むのは難しい。
グライダーを考えてみるといい。グライダーはエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると
高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく
限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。
「風上をめざせ」。
でも、どうすればいい? 数学が経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。
もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを
いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。
そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。
大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな
手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能な論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが
いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように
見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に
聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。
ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものが
しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、
一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。
小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているものが
上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安を
感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。
ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい。 不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。
でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダルを
勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい。安心したからさ。
幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、
そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。
野望
「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、
君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。
たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、
この要求はとても強い力なんだ。 しかし高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。
やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の
仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、
学校でいい成績をあげることだと思ってた。
その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために
稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は
自分自身に責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。
もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。
学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、
それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。
たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。
同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。
高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに
無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、
きっと後悔することになるよ。
これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。
高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに
「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど
無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。
今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。
友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな
ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。
毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。
良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。
でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティの
寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと
じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、
コンピュータをプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会の生活が実際どんなものだったかを知るとか、
モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で
書けるようなものにはなかなかならない。
堕落
大学に入ることを人生の目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない
相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて
入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて
彼らに分かりはしない。 私立の進学校が存在することが、その証明になっている。
入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試に
受かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、
ただ地域の公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、
君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。
でもそれは、自分の人生を空っぽの プロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界が存在しているほどの
プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、
リアリティTVのプロデューサーや タバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合は給料を
もらっているわけでもないのにね。
じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。
ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。
だから全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。
教師の一人が試験対策のアンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。
そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。
今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、
おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって
起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。
きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、
授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試は茶番だ。 でも、
反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。
反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。
一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、
言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと
考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。
好奇心
じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを
探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。
そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。
元から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する
どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。
この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。
最近、ウェイター募集の広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。
本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。
むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。
子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。
多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。
だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、
好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。
好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論は試験のために
勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘に
見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で
それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。
学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ
ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから、 自律心が無いと全部に
出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタインの言葉を読んで
びっくりした。彼は自律心が無くて、たかが一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが
できなかったというんだ。
今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると
いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと
しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙を
出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。
自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、
走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が
悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、
仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、
自律心は必要なくなるんだ。
シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい。
そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。
いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタインに
とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェルの方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと
自問したところにあった。
生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで
何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。
でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。
偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より
高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学が面白いということに気づいた。
質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。
ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」
っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界を面白くする問いを見つけ出すんだ。
素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、
ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。
これは学問だけの話じゃない。
「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」
これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。
文章が長いと偉い、というのは、素朴な思い込みです。賢い人の文章の長さは大抵「最低限」です。それに、京大工学部に入るのに必要な国語力というのは、さして高いものではありません(むしろ、進学校の中では国語力低めな人が工学部に進学するケースが多いです)。この程度を有り難がってる人間は、おおむねそれ以下の国語力だと思われます。徐々にバージョンが上がってる、というあたりも、そもそもの筆者の国語力の低さを伺わせますね。
さて、コレ要約すると「面白いと思って入ったが、個人的にはつまらなかった。」というだけの話だと思います。進路選択間違えたって話で、世の中の人が全員そういう間抜けな目に遭うわけではないので、(体験記として見れば、それなりに興味を持つ人もいるでしょうが)、所詮「個人の感想です。効果には個人差があります」というあの手の宣伝と同程度の信頼度なので、エントリの価値自体も大した物ではないです。あくまで個人的感想ですが、私としては「読んだ時間返してくれ」という気分でした。
別に、大学辞めるなんてありふれたことなので、辞めたいなら辞めればいいんじゃないですか。
ところで、批判に対して片っ端からケチをつけるレスの文体がどれも似通っているのですが、同一人物ですか? ついでに、わざとらしい賛同レスも。
1 文章が長いと偉い、というのは、素朴な思い込みです。賢い人の文章の長さは大抵「最低限」です。
2 京大工学部に入るのに必要な国語力はさして高いものではありません(むしろ、進学校の中では国語力低めな人が工学部に進学するケースが多いです)。この程度を有り難がってる人間は、おおむねそれ以下の国語力だと思われます。
3 徐々にバージョンが上がってる、というあたりも、そもそもの国語力の低さを伺わせます。
4 なお、これ要約すると「面白いと思って入ったが、個人的にはつまらなかった。」というだけの話だと思います。進路選択間違えたって話で、世の中の人が全員そういう間抜けな目に遭うわけではないので余計なお世話です。
ところで、批判に対して片っ端からケチをつけるレスの文体がどれも似通っているのですが、同一人物ですか? ついでに、わざとらしい賛同レスも。
文章が長いと偉い、というのは、素朴な思い込みです。賢い人の文章の長さは大抵「最低限」です。それに、京大工学部に入るのに必要な国語力というのは、さして高いものではありません(むしろ、進学校の中では国語力低めな人が工学部に進学するケースが多いです)。この程度を有り難がってる人間は、おおむねそれ以下の国語力だと思われます。徐々にバージョンが上がってる、というあたりも、そもそもの筆者の国語力の低さを伺わせますね。
さて、コレ要約すると「面白いと思って入ったが、個人的にはつまらなかった。」というだけの話だと思います。進路選択間違えたって話で、世の中の人が全員そういう間抜けな目に遭うわけではないので、(体験記として見れば、それなりに興味を持つ人もいるでしょうが)、所詮「個人の感想です。効果には個人差があります」というあの手の宣伝と同程度の信頼度なので、エントリの価値自体も大した物ではないです。あくまで個人的感想ですが、私としては「読んだ時間返してくれ」という気分でした。
別に、大学辞めるなんてありふれたことなので、辞めたいなら辞めればいいんじゃないですか。
ところで、批判に対して片っ端からケチをつけるレスの文体がどれも似通っているのですが、同一人物ですか? ついでに、わざとらしい賛同レスも。
文章が長いと偉い、というのは、素朴な思い込みです。賢い人の文章の長さは大抵「最低限」です。それに、京大工学部に入るのに必要な国語力というのは、さして高いものではありません(むしろ、進学校の中では国語力低めな人が工学部に進学するケースが多いです)。この程度を有り難がってる人間は、おおむねそれ以下の国語力だと思われます。徐々にバージョンが上がってる、というあたりも、そもそもの筆者の国語力の低さを伺わせますね。
さて、コレ要約すると「面白いと思って入ったが、個人的にはつまらなかった。」というだけの話だと思います。進路選択間違えたって話で、世の中の人が全員そういう間抜けな目に遭うわけではないので、(体験記として見れば、それなりに興味を持つ人もいるでしょうが)、所詮「個人の感想です。効果には個人差があります」というあの手の宣伝と同程度の信頼度なので、エントリの価値自体も大した物ではないです。あくまで個人的感想ですが、私としては「読んだ時間返してくれ」という気分でした。
別に、大学辞めるなんてありふれたことなので、辞めたいなら辞めればいいんじゃないですか。
ところで、批判に対して片っ端からケチをつけるレスの文体がどれも似通っているのですが、同一人物ですか? ついでに、わざとらしい賛同レスも。