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はてなキーワード: 進学校とは

2016-09-17

起業しない理由

古参ネット使いとして苦言を申すよー。

私はWEBデザイナー12年目。

紙もできる。ポスター、チラシ、雑誌のページ。

WEBコーディングは当たり前。エディタmiで直打ち。

CMSは3つ扱った。

drupal

Wordpress

movabletype

周りは独立していった人も一定数いた。

だが私は会社員を望んだ。

その理由を下記に述べる。

1.サラリー

私は恵まれたと思うくらいの会社所属している。

有給年間20日。夏休み5日。毎年年休はほぼ使い倒す。

夏休みも、5日フルにとり9連休にしている。

給料女性平均よりちょい上。

2.面倒くさい顧客シャットダウン

周りに恵まれているのである

営業さんや上司が間に入り、アホなことを言う奴らを丸く収めている。

アカ20校目とかない。

3.営業苦痛

起業したとして、いまの年収を考えると4倍の収入が得られなくてはならない計算だ。

無理。

そんなスキルあったら別の事で生かしてブイブイいわせてるわ。

4.私も青かった

くせーくせー青くせー。

高校進学校に行き、日教組と反発し。映画が撮りたくて専門学校に行く為に一年バイトして学費を貯めた。

行った専門学校はクソで。

しょーもない日雇い派遣で末端を見た。

瓶にヒビが入ってないかひたすら検品をする8時間

フォトショイラレが使えるだけで日の目を見ることができた。

5.脱線したな

まあ、あれだ。ブロガープログラミング知識はいらないぞ。

それhtmlとかcssでいけるぞ。

もしくはJavaScriptとかjquery

あとPHP

ハローワールドーとか書いてよし!とか思ったらウェルカム

ブログプログラミング始めました、とかかいたらアウト。

2016-09-12

教育業界で一番価値価格が高いのは学歴という話

いまさら学歴が欲しいとは思わないけど、大学生時代を過ごしてみたかった気がする

結論からいって、教育業界で一番価値価格が高いのは学歴なのだ

間違いなく出産前後幼児知育教育から大学入学~卒業、そして就職とおおよそ20前後の中で、もっと価値価格が高いものダントツ学歴なのだ

大学生活をまさに青春を謳歌する4年間のモラトリアムだとか揶揄する向きもあるし、

実際に学生の多くが4年間の中で、「この時間にこそ対価を払っているのだ!」と冗談めかして言ったりする。

だけど入学からその時間欲しさに高い学費一人暮らしのための諸々の費用を払うつもりの人はごく少数だろう。

それに大学で獲得する学歴を得るための費用は、学費仕送りだけではない。

志望の大学入学するために通う予備校費用や、進学校へ通う高校学費も含めて、全ては大学学歴を手に入れるための費用なのだ

2016-09-07

録画してた同窓会テーママツコ会議を今見た

http://anond.hatelabo.jp/20160904003739

どんよりした気分になった。

デブハゲニート参加者はいません」

同時に映し出された女性陣の中では際立つ容姿の衰えを

満ち溢れる幸せカバーした幹事が言っていた。

ハゲニートに該当する29歳の増田だが、確かに行けないなと思った。

ハゲてなく、確実に話せる友人の参加を確認できれば行くことはできるかもしれないが、

帰り道、どうしてもどんよりした気分にはなるだろう。

(それでも、部活仲間の結婚式にはもう3回も参加したから、

ハゲの部分よりは、ニートとして過ごした時間によってできた、

彼らとの明らかな差の部分の方がより大きなネックなのかもしれないが。)

超絶美男美女に変貌を遂げたならまだしも、スクールカースト底辺とか、

そもそも母校に何の思い入れもない人が同窓会に行ったところで楽しめないのは当前としても、

それなりに楽しい学校生活を送れ、それなりに同級生の顔も思い浮かぶ俺みたいなやつが

同窓会に参加したら、適当に当時の話をしてそれなりに楽しめるはずだと思う。

想像だが、名門校卒業した人のその後の人生は主にS級の上、中、下に振り分けられ、

A級じゃ恥ずかしすぎて同窓会に参加できなくて、本当におかしくなってしまった数名がCやDに振り分けられる

といったかんじなのではないだろうか。

そうだとすれば、なんちゃって進学校は実に幅広いと思う。

A~Fまで多様にそろっている。

その中で自信のある連中が同窓会に参加するのは確かにそうだと思う。

そうだと思うが、本来参加すれば楽しめる自信のない俺みたいな連中は

同窓会に参加する連中の最低ラインはCとかDぐらいの人生を送っているはずで、自分は……」

みたいな妙な計算をしだして、そこから導き出した結果によって参加できないのかな

なんてことを見ていて思った。

そういうことを考えている自分に凄くどんよりする。

いざ、同窓会が始まったら自慢合戦になってしまうとしても、積極的同窓会に参加できる連中が

参加を決める時は、自慢してやろうなんてことを思わず、単純に旧友に会いたいとか

案外純粋理由なんじゃないかとも思って、その気持ちの差に、さらどんよりさせられた。

2016-09-03

私(貧乏)の受験体験

小さい頃から、うちにはお金がないと言われて育った。なので、物心ついた時からうちは貧乏なのだと思っていた。

実際小学生の頃、鉛筆最後まで使うという節約のために鉛筆ホルダーを使わせられ、それを見た小学校先生に悪いことだと怒られ、それを聞いた母が学校に「うちは貧乏から節約してるんだ!何が悪い!」と怒鳴り込みに行き、先生が「かっこつけでつかってるのだと思いました、すみません」と謝る、などという一幕もあった。

私はマンガが好きだった。なので中学生の頃マンガ専門学校に行きたいと思いマンガ雑誌広告にあった専門学校宣伝を読んでみたが、入学100万(確か)の時点で諦めた。

じゃあ普通に進学しようとし、どこの高校にしようかと両親と相談した。両親は「お前を大学に行かせることはできない、その代わり高校は私学でもいいから好きなところに行け、その分の金は貯めてある」と言ってくれた。それなら、ソコソコの成績なのでソコソコの公立進学校に行きたい、と主張した。が、大反対された。「大学に行かないんだから進学校に行く必要はない!」と。じゃあ好きなところに行けってどういうことやねんと思ったが、その進学校に行きたいのは大学に行くためではなく、単に学力的に手頃で駅から近く通学路に本屋さんがいくつもあるからだと主張したら、しぶしぶ許してもらえた。

しかし実際に入学してみると、1年生の段階で理系に進学したいか文系に進学したいかまだ決めていないかを訊かれた。その答えで2年次から進学先別にクラスけがされるような高校だった。

うちの両親は私がそういう校風に感化されて大学に行きたいと言い出さないか警戒していた。だから常々言われた。「お前を大学に行かせることはできない、もし大学に行きたいのだったら自分の力で行け」と。私も最初大学に行く気は無かった。

だが周りのクラスメートたちは徐々に大学に行くため予備校に通い始める。そんな中で私は思った。私だけが大学に行けないのは許せない、と。みんなは普通に大学に行けるのに、自分大学に行けないのが悔しくてたまらなかった。だから、「自分の力で」大学に行くための算段を始めた。

まず学費問題から私立は不可であるしかし、国立学費半年で30万と高すぎる。一年通ったら60万だ。60万といったら我が家年収の約1/6であり、親には到底頼めない。奨学金も調べてみたが、そもそもが借金であること、利子なしの一種は月額5万円であることを考えると、自然選択肢は狭まってきた。自宅から通える国立大学はあったが、通学費半年で15万くらいかかる場所にある上学力的にも厳しい。そうして最終的には、すごく家賃の低い部屋に住み、奨学金も借り、バイトで月10万ほど稼ぐこと前提で、学費国立大の半額になる国立夜間部を目指すことにした。

夜間と言っても国立である。自宅から通える国立大学ほどではないが、今の学力では到底届かない。そのため、一年浪人することになった。宅浪するかどうか迷ったが、自分の頭と意志の強さを信じられなかったので、予備校の月謝制講座を2コマだけ取り、バイトで月5万ほど稼いでそれを右から左へ月謝に充て、予備校と自宅でみっちり勉強した。

それでも最後の関門があった。入学である。夜間であれども20ちょっと入学金として必要だったが、バイトシフトもこれ以上入れなかった上、バイトを増やすのは勉強時間的不安でもあった。

なので、そこは両親に頼み込んだ。1年かけて頼んだ。

最初両親は、私が本気で自力大学に行きたいと思っているとは思わなかったらしい。とにかく反対だけされた。金は出せん、諦めろ、それだけだった。

それでも私がバイトをしながら予備校に通い夜遅くまで勉強していると、「勉強なんかするな!無駄なんだから!」と部屋に怒鳴り込んできた。

けれどもめげずに勉強し続けた。

時には不安になり、大泣きもした。これほど勉強しているのに、両親がお金を出してくれなかったら何もかも無駄になる。なぜうちにはお金がないのだろう、と。

そんな気持ち最後には届いたのか、両親は大学に行くことを認めてくれた。入学金と部屋を借りるためのお金に関しては出してくれることになった。12月のことだった。

残りの予備校代も貯まったことだし、そこで私はバイトを辞めラストスパートに入った。

そうして無事に合格し、家賃的にも距離的にも大学に通えるレベルの部屋も無事決まり、私は大学に行けるようになった。大学に行ってみたら夜間部であっても周りがお金持ちばかりでカルチャーショックを受けたが、それはまた別の話。

そうして今思うと、両親には無理をさせたな、と思う。世帯収入300万台の家であり、5人家族で、田舎ながら一軒家のローンも背負っている。その両親にとって、予定していない出費入学金と引越し代合わせて30万強はいかほど大変だっただろう?

高校時代にしていたバイト代お小遣いに充てず、ちゃんと学費として残しておくべきだったと後悔しきりである

でも、それでも私は幸運だった。本当にギリギリのところで両親に助けてもらえたからだ。親との関係が本当に悪く、助けてもらえない人もいるだろう。親に本当にお金がない人もいるだろう。だから自分一人でも頑張れば進学できる、とは主張できない。

なので、言いたいことはただ一つ。「国公立大の学費、もうちょっと安くなりません?」

2016-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20160826010858

競争社会の徒花みたいな奴だな。適当進学校からでもいい大学は行けるから大丈夫予備校次第だよ。

それより、こういう価値観で将来挫折したとき心配だよ。進学、就職出世のどっかで挫折絶対経験する。優秀でないことを自覚してるならなおさら

競争社会で敗北した人間の生きざまが書かれた本とか読んでおかないとそういうとき辛いよ。トルストイとか内村鑑三とか、簡単なやつでいいから読んでおいた方がいいぞ。

進学校に行けないなら生きてる意味を見いだせない

進学校に行けないなら、僕が存在する意味はあるのだろうか。

自分中学校では、1クラス分以上が、首都圏トップクラス高校(偏差値70-75)に進学する。比較的、教育水準が高いのではないかと思う。

僕もみんなと同じように、トップ公立高校を目指しているのだが、家族からは おまえには無理だ と言われる。通っている塾は「まだまだ目指せます」と、正反対なことを言う。

塾では一番上のクラスにいるけれど、その中では底辺だ。近所の普通中学に通っていれば、トップ20には入れたんじゃないかと思うけれど、自分中学ではせいぜい平均。

実力が伴っていないのにハイレベル環境いるから、理想けが先歩きしてしまった。トップ高を志望しているけど、今の学力じゃ全然入れないことはわかっている。でも、それを下げることができない。世間体プライド邪魔をする。

だあれも知らないような学校に行って、コンプレックス抱えながら生きるのって楽しいんだろうか。そんな価値観を持ってしまった。

この環境にいなければ、もっと狭い世界で、幸せに生きられたのかもしれないな、と漠然と思ってしまう。

でも今の自分は、 幸せ にならなくてもいいから、とにかく偏差値教育での 勝ち が欲しい。

2016-08-19

飛田新地童貞を捨てた男の末路

飛田新地童貞を捨てた俺の哀れな末路を語ってみる。

  

20歳まで童貞だった。ほんとに辛かった。

中学時代ほとんど童貞で、学年のほんの数名が非童貞

彼らはヒエラルキーの頂点に立っている。

 

高校になると状況が変わってくる。

自分場合は共学だが進学校だったので、そこまで男女交際は活発ではなかった。

しか高校2年くらいから非童貞が増えてきた。

焦りを感じつつも、まだ大丈夫自分を納得させる。

部活勉強言い訳恋愛から逃げていた。

 

だが部活勉強も真面目にやっていたわけではない。

ずっと補欠で一度も公式戦に出たことはなかったし、第一志望の大学には落ちた。

そして彼女を作ることすらできず、いや女の子デートをすることすらできず高校卒業した。

 

大学入学

はじめて恋をした。アルバイトの同僚だった。福田沙紀に似た可愛い子だった。 

慣れないながらも一緒にバイトから帰ったり、メールでやりとりをしたり。

ほんとに楽しかった。

ある日、一緒に帰っている最中、思い切って告白した。

  

めちゃくちゃ引いていた。

告白タイミング唐突だったし、自分アプローチもウザかったのだろう。

「友だちとしてしか見てない」と言われ、あっさりフラれた。

死にたいと思った。

それが19歳の冬。

  

さすがに19歳になると、周りから童貞が減っていく。

辛かった。コンプレックスしかなかった。

自分より年下のやつが、どんどん童貞卒業していく。

一方自分童貞で付き合ったこともない。

やがて20歳を迎えた。

 

「とにかくSEXをしたい。SEXをすれば変われるかもしれない。」

 

その一心だった。

もうプライドもなかったので、風俗童貞を捨てようと決めた。

ネットでいろいろと調べた。

ソープならSEXができ、デリヘルホテヘルSEX禁止らしい。

SEXができないと意味がない。ではソープにしよう。

いざ予約をしようとするが、ヘタレ自分はなかなか電話ができない。

何よりパネルマジックが怖かった。

せっかくの童貞卒業なので、やっぱり可愛い子とSEXしたい。

さらに調べたところ、楽園を見つけた。

 

そう、飛田新地だ。

20分1万6千円、顔を見て選べる、SEXあり、予約不要モデル並みがゴロゴロ

これだ。

 

覚悟を決めた俺はバイト代を下ろし、飛田へ向かった。

そこはまさに楽園だった。

モデル風、アイドル風、ギャル風が軒並み揃っていた。

今まで縁のなかった、こんな可愛い女の子とたった1万6千円でSEXできるというのが、童貞には信じられなかった。

迷った末、篠田麻里子の子童貞を捨てることに決めた。

 

金を渡し、服を脱ぎ、フェラ

そして、騎乗位での挿入。

一瞬だった。

 

こんなものか、と思った。

だが同時に、達成感を覚えた。ようやく男になれた気がした。

 

そして俺は風俗にハマった。

金さえ出せば、どんなタイプの女でも抱ける。

当時、サークルもしておらず、友だちも彼女もロクにいなかった俺はバイトばかりしていた。

趣味特になかったので、バイト代が100万円近く貯まっていた。それを全部風俗に突っ込んだ。

飛田モデル系やギャル系といったタイプを一通り抱くと、次は松島新地信田山新地にも行った。

新地に飽きると、ピンサロホテヘルデリヘルソープ・M性感。

それにも飽きたらず、シンガポールゲイランと香港の141に行った。

長かった童貞時代反動

そうとしか言いようがないくら風俗にハマった。

そんな豪遊の前に、100万の貯金なんぞあっという間に飛んだ。

 

だがいくら風俗で遊んでも、自分素人童貞であるという事実からは逃れられなかった。

素人童貞を捨てたい。

 

実は風俗にハマりながらも恋はしていた。

何人かの素人女の子とご飯にいき、セオリーにならって3回目のデートで付き合ってほしいと告げた。

だが全てフラれた。

たぶん自分には人として、男として、魅力がないのだと思う。

何か大事ものが欠落しているのだと思う。

から普通に女の子と付き合って、素人童貞を捨てるという考えは諦めた。

 

次に目をつけたのが出会い系だ。

ありとあらゆるナンパ本、ブログ、商材に目を通し、トークエスコート術を学んだ。

なんかの商材に書いてあった通り、愚直にジムに行き、体を鍛えた。

はじめこそ不発だったものの、徐々に成果が出始めた。

素人初体験相手は年下のOLだった。

OLといっても高卒就職してるので、19歳だった。

当時俺は22歳だった。20歳飛田新地童貞を捨て、2年かけて素人童貞を捨てた。

 

その後も続々と出会い系経験を重ねていった。

ナース保育士JD......

共通するのは全てワンナイトで終わったということだ。

恋愛に発展することも、セフレになることもなかった。

 

1人だけ、合コンで知り合って彼女ができたが「つまんない」と言われ1.5ヶ月でフラれた。

やっぱり恋愛に向いていないのだと悟った。

今、俺はアラサーだが、たぶんこのまま彼女を作ることも、結婚をすることもなく、一生を終えるのだと思う。

 

飛田新地童貞を捨てたことは後悔していない。

多少の自信になったし、何なら飛田に行ってなかったらアラサーの今でも童貞だったかもしれない。

ウジウジと童貞であることに悩んでいるくらいなら、飛田なりソープなりで童貞を捨てた方がよいと思う。

童貞であることにメリットはない。

だが、それと引き換えに、何か大事ものを失った気がするのだ。

 

2016-07-29

ここで奨学金って言ってる人たちって自分進学校だったのに大学進学できなかったとか言ってそうな高卒だよね

から君たちみたいな本当は優秀な学生()が奨学金を使って進学できてるのに

なぜ制度否定してるんだろうね笑

2016-07-28

若いころって毎日楽しい」と言う大人(7/29追記)

中学生のころ、部活で軽いいじめに遭っていた。いじめなんていうほどのものでもない、と言われたらそれまでかもしれないけど、「された側がそう感じたらいじめはいじめ」という論理に従えばいじめになるだろう。実際、それが原因で部活を辞めた友達もいた。

友達も少なかった。25分の昼休みを誰とも話さずに過ごすこともあった。授業の間の休み時間はすることがないからとりあえずトイレに行っていた。そんな生活から部活いじめられていることを話せるような人もいなかった。

本当に辛かった。自分で選んで入った部活いじめにあっているということの責任自分にあるような気がして、親にもなかなか話せなかった。今日こそ誰かに話そうと思いながら朝を迎えて、結局何もできずに一日が終わり、ベッドの中で泣く、そんな日が続いていた。

今思うと、よく毎日ふつう学校に通えていたな、と思えるくらい、何も楽しいことがなかった。ただ、勉強がある程度できた(といっても田舎公立中学校の中で上位だったというレベルの話だけど)ので、テストでいい点を取ることだけを楽しみに学校に通っていた。

そんな生活を送っていたある日、自分中学校卒業生であるという男女二人が学校に来て、体育館で講演をしたことがあった。

その二人はシンガーソングライターとして生計を立てているらしく、どちらかがギターを弾いて、もう一人が歌う、そんな形の二人だったと思う(当時の自分音楽ほとんど興味がなかったのでよく覚えていない)。何曲か披露したあとで、後輩である自分たちメッセージを届けようという思いだったのだろう。

おそらく女性のほうだったと思う。こんなことを言った。

中学生であるみなさんのように若い頃は、毎日楽しいことばかりで、未来希望に満ちていると思います。今が一番楽しい時期です。今の生活を思いっきり楽しんでください」

この言葉に、当時の自分奈落の底に突き落とされるような思いをしたのを、今でもよく覚えている。

今のこの何も楽しみのない生活が、楽しいことばかりの毎日なのか、と。

これから人生で、今が一番楽しくて、これからはこれ以上に辛い生活が待っているのか、と。

今になってみれば、自身の思い出を美化しようとする大人価値観押し付けしかない、そんなものは気にする必要はない、と思えるけど、当時の自分にとってはその言葉が全てであるように感じられた。

そのあとの自分人生は、その言葉のようにはならなかった。高校に入ったら友達ができたし、放課後他愛もない話で盛り上がって、気が付いたら2時間以上経っているような経験を通して、「友達と話すのはこんなに楽しいものなのか」と気づいたのも高校生になってからだった。

大学生になってからも、辛いことはあったけど、今になって振り返るといい思い出だったと思うし、少なくともあの暗黒の中学校時代とは比べ物にならない。

高校大学は「自分の母校」と誇りを持って言えるけど、中学校についてはそうは言えない。

自分のなかで中学校の3年間というのはそういうもので、その生活さなかに「今が一番楽しい時期」と自分価値観押し付けてくる大人に辛い思いをさせられた。

中学校時代が一番楽しかった、という人はたくさんいるだろう。というか自分のような人間のほうが少ないのかもしれない。

それにしても、自身楽しい生活を送ったからといって、そのことを美化して押し付けてくるような大人に、自分絶対になりたくはない。

その言葉で、当時の自分のように未来絶望してしま少年少女いるかもしれないから。

(7/29追記)

まだ匿名日記を書き始めて間もないのに、予想以上に多くの人に読んでもらっている。今までtwitterはてなブログでもここまで反響があったことはないので、自分の書く文章を読んでくれる人がこんなにいるとは嬉しい限りだ。

その中でも特に驚いたのが、「中学時代なんて楽しくない、大人のほうがずっと楽しい」と共感してくれる人の声の多いこと。

偶然なのかもしれないけど、自分の周りには「中学時代に戻りたい」と言っている人が何人かいる(その逆はあまりいない)ので、感覚としてはブコメの反応は意外だった。

その中の一人、自分の姉は、「そこまで大学に進学して何かを勉強したい、いい大学に入りたい」という意思も強くないのに地元進学校に進学してしまったせいか、「高校はあまり楽しくなかった」「中学のほうが友達がたくさんいた」と言っていた。対して、自分は、ある程度いい大学工学部に入りたいという気持ち高校入学ときにはあったし、一つの話題についていろいろな視点から話をするのが好きだった(入学当時は自分でも気づかなかったけど)ので、そういう話のできる友達がいる進学校雰囲気がとても合っていたのだと思う。勉強部活一生懸命取り組んでいる人が尊敬されて、友達も多い、そんな環境にいられたことは今になってもよかったと振り返っている。姉のほうは、勉強ばかりやっていて、身だしなみに気を使わないような人を少し敬遠するようなところがあったので、そういう意味であまり合わなかったのかもしれない。

このような経験を踏まえて自分がもし現役の中学生高校生を前にしたときに何ができるかというと、「今が楽しい時期だよ」と言うことは当然しないし、「大人楽しいよ」と言うこともしない。ただ、よりよい未来のために今できることに励んで欲しい、と言うことくらいしかできないだろう。

※「追記から突然、。じゃなくて,.になっている」という指摘をされたので修正しました(学生の頃、レポートを書くために,.がデフォルトで表示されるようにPCを設定していて、そのPCを使って追記したため)。

2016-07-21

鬱病が酷い時に身だしなみができなくて周りの人々にブチ切れられてた

り笑われたことを思い出し続けて辛い

機能不全家族陰鬱進学校鬱病になった僕が悪いのか

2016-07-16

じゃああなた高校進学校だったの?違うでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20160716213318

高卒や専門よりは偏差値高いと思うよ

一緒くたにするのは流石にちょっと

専門なんて看護学校以外名前書けば入れる学校の方が多いじゃん。

高卒進学校の子は大抵進学するし

それと大学受験の中堅?(というかランクは高くないなりにそれなりのネームバリューある学校)

比べるのはちょっと

2016-07-10

初めて選挙いってきたよ

選挙権もらった18歳だけど今日初めて選挙行ったよ

あたしはジジババが嫌いだから少しでも若者投票率上げようと思って行ったクチだけど、あたしなりに思った事を書きます

正直、選挙って名前売ってなんぼじゃん!?どんなに素晴らしい演説してもどんなに素敵な公約を掲げてても、名前と結びつか無かったら意味無いじゃないですか。あたしの学校では新聞が掲示されたりしてたけど、18歳って言っても受験だし受験じゃないにしても就職?だし。受験生とかまじで目先の事で精一杯なわけ。だから全然情報入ってこないし名前公約が結びつく事とか超稀だし。

18歳は大人が思ってるより忙しくて、しか大人だってきっと目先の事で手一杯な人達ばっかりだと思う。

そんな時に、明確に日本あるいは自分達の生活が劇的に変化するとも言えない自分関係ないと思いがちな選挙に参加するって、相当エネルギー使う。公約とか調べるのも正直面倒だったしその間に英単語覚える方がいいなって思った。だって政治家よりも行く大学の方があたしの人生変えると思うもん。

あと、あたしが田舎に住んでるのもあるかもしれないけど、若者公約伝える気ある!?とも思う。今の演説って昼間選挙カー走らせたりするけど昼間そんなん聞くのジジババしかいないでしょ!忙しい若者はわざわざ新聞も読まないし演説も聞かないんだからLINEニュースとかTwitterとかあたしたちにもっと公約伝える努力して欲しい。上から目線だけど。

あと今見てるけど18歳はもっと賢い人も多いんだから代表って感じでニコルん出されると違和感。あたしはまだ子供っておもうし携帯没収されるよーなあほだけど、毎日8時間授業受けてニコルんと一緒にされたらやじゃない!?底辺進学校からあたしより頭いい人も腐るほど居るでしょ!マスコミは頭いい18歳に媚びうるべきじゃん!?

2016-07-09

スクールカーストとその将来

よく、学生時代はいじめられていたけど、大人になってからエリートになって、いじめっ子達を同窓会で見返してやった

かいストーリーがあるけど、実際はどうだろう

最近同窓会なんかに出て思うのは、少なくとも俺の周りでは、高校の時いわゆるスクールカーストの下位にいた奴らで、客観的に見て他人が羨むような人生を送っている奴は見たことがない

勉強ができて一流大学に行った奴も、リア充的なコミュ力に欠けるから一流企業には行けず二流企業まり

30過ぎて未だに結婚もしてないし彼女もいない

それくらいならまだマシで、ある程度のレベル進学校出身なのにニートフリーターになっている奴、実家寄生してやっと生活できているような奴がたくさんいる

その一方でスクールカースト上位の青春を謳歌していた奴らは、少々レベルの低い大学に行ったとしても、持ち前のコミュ力豊富就活ネタで名だたる大企業就職して、美人の奥さんとの結婚式写真とか、可愛い子ども写真Facebookに上げまくっている

もちろんFacebookなんていいことしか書かないし、彼らは彼らで悩みとか辛いこととかあるんだろうけど

どう見ても彼らの方がスクールカースト下位だった奴らより幸せそうな人生を送っている

希望のない内容になってしまったけど、中学高校王道青春を送れなかった人が、社会人王道コース幸せを求めるのは難しいから、自分なりの幸せを見つけるしかないんじゃないかと思う

2016-07-05

成績優秀な高校生医学部に行く理由は「偏差値

http://yamifuka.hatenablog.com/entry/20160704/1467643021

http://b.hatena.ne.jp/entry/yamifuka.hatenablog.com/entry/20160704/1467643021

記事同意。ほんとそれー

しかブコメ何言ってるの。年収が気になるのは親世代だけで、成績優秀な高校生は基本めぐまれてるので生涯年収大学を選んだりしません。

高校生のうちから年収考えて医学部に行くのは少数派。

では、なぜ成績優秀な高校生医学部ばかりに行くのかというと「偏差値が高いから」。

成績優秀な高校生は2種類いる

1.偏差値低い(orふつうの)学校の成績優秀な高校生

2.偏差値高い学校ふつう以上の高校生

1の高校生医学部に行くのは、年収理由かもしれない。

2の高校生医学部に行く理由は「偏差値」。そして2の高校生医学部多数派

頭のいい人と競い合いたいか医学部に行く

まず前提。自分偏差値より大学偏差値が下すぎると適切ではない、という考えが一般的にある。受験一般そうだろうけど、偏差値70の人は、65の学校ならありだけど50の学校ふつう受けない。

次。偏差値トップ層(進学校の上位層)は、偏差値75とかある。センター試験9割超えるのが当たり前の層。そういう人たちが偏差値を踏まえて大学を選ぶと、医学部ばかりになる。なぜなら医学部偏差値が高いから。

東大とか京大とかある?あるけど、地元指向が少しでもあったら選択肢地元大学医学部しかない。なので偏差値トップ層は現状の偏差値では医学部に多く進学することになる。

そして次が問題偏差値中間層中間層なので偏差値65とか70くらい、医学部大学を選べば行ける、理系なら東工大以上ならあり、文系だと偏差値的に低すぎない?っていう人たち。

この層の人は、強く興味ある分野があるなら医学部以外を選ぶだろうけど、高校生からそういう人は少ない。とりあえず大学に行く。そしてとりあえず行く大学を選ぶとき偏差値トップ層が医学部に行きまくるのを見ているため、自分医学部を受ける。

中間層なのでふつうに頭がいい程度なのだけど、すごーく頭がいい人たちに囲まれている楽しさを知っているので、トップ層がたくさんいるところに通いたいと考える。友達医学部に行くから僕もー、というわけではない。偏差値高いやつと競い合うのはたのしいし刺激的だし快適。負けたくないという気持ちもあるだろう。


そして医学部偏差値は高いまま維持される。

こういうサイクルがある限り変わらないだろうから偏差値80くらいあるようなトップ層が安心して受験できる医学部以外の学部がいくつかあれば、この問題は解消すると思います

個人的にも文系特に教育学部あたり、旧帝大以上の教育学部偏差値が軒並み20くらい上がらないと先行き不安。頭いい人材教育にまわってほしいけど、現状の偏差値医学部行けるやつに教育学部もいいよなんて言えない。

2016-06-29

人生楽勝

まだまだ30代だけど今のところ人生楽勝。

中学までは必死勉強して県内トップ進学校に入って、

高校では一切勉強せず遊び呆けてたけど中学までの貯金(貯学力?)で国立大に入って、

大学では好きなことだけを学んで遊んで、

就活では超大手一般職と準大手総合職内定をもらって結局超大手一般職を選んで、

大手出会った夫と結婚して20代子供産んで産休育休取って、

大手から保活なんかしなくても社内に託児所があるからそこに子供預けて働いて、

30ちょうどくらいで自分年収500万、夫は年収800万くらいになって、

私は残業ゼロ、夫も月20時間程度の残業育児にも協力的で、

仕事はちょうどいい忙しさで充実してて、毎年きっちり昇給して、

ほとんどキャッシュで家を買って、

子供はかわいくて、

旦那も素敵で、

本当に今のところ人生楽勝。

もちろんこれからずっと楽勝なわけはないけど、

金銭的な余裕はあるから汚い話だけど金で解決できることはだいたいできるだろうし、

金で解決できないことも解決するための力や知識は習得しているんじゃないかと思ってるし、

まあ、正直人生で起こるたいていのピンチはどうにかできるんじゃないかと思う。

(うーんでも、子育てだけは予測不可能なことが当たり前に起きるから、どうにかなるとは言い切れないかも。どうにかしなきゃいけないけど。)

人生挫折がなかったわけじゃないけど、

受験とか、就活とか、その他いろいろな人生イベント結果オーライで切り抜けてきてて、

そこで失敗した人や、そこで私が手に入れた学歴職業やその他いろいろなものを手にできなかった人に比べたら、

挫折なんてしてないも同然なんだろう。

人生まだまだ長いけど、しばらくは子育て仕事に全力尽くして、

たまには旅行に行ったりおいしいもの食べたりしながら、

日々を過ごしていきたいと思ってる。

子供がいること、仕事があること、旅行に行けること、おいしいものを食べられることに感謝しながら。(と取って付けたように言ってみる。)

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160627134418

関西のことよく知らないんだけど、天王寺高校って確か進学校だよね?公立の。

いいのかねあん露骨政治的態度を示して。

授業中も政治活動してそうな印象。

2016-06-23

私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。

全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。

一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。

しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。

これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。

お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーフードコートでのアイスクリーム売りが彼女お仕事だった。

私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。

絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジン漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。

お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。

そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。

ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。

でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。

そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。

新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。

このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。

私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。

ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。

「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」

そこから始まった彼女告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。

そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚たから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前漢字私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。

そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツ飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校テストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。

私は中学生になるとき母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活ユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。

母親との嫌な思い出その2。学校喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。

このころ辺りから母親お菓子報酬に、子供マッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初マッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。

高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親実家料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒バイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。

このころから休日の昼食は私任せになり、母親夜ご飯ほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。

私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親病気になった。ガンだ。

私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。

ただ、母親死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたかである。妹は、献身的母親看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。

はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。

ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから

ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。

しろ大好きで、出来ればもっと長生きしてほしかった。

人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。

私は生き方がまともじゃないとよく言われます

自分性格関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生あなた人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。

それが全てです。

でも、母親の作ったパフェの味だけは、今でも鮮明に思い出します。甘くて、幸せな味でした。

2016-06-22

私が今まで受けてきたものライト虐待だったのだろうか。

アラサー世代女性で、小さい頃から父親から叱られる=父親から叩かれたり、頬をつねられたり、つまりは痛い目にあうことがデフォルトだった、という方はどれくらいいるのだろう。

叱られるのにはきちんと理由があって、自分でも「ああ、これが悪くて叱られているのだな」と思えるのだけれど、とにかく痛いし怖い。そして「お前はこういうことして叩かれているのだ、わかるなバカ者!」というような言葉サービスで付いてくる。すぐに思い出せる幼少期の記憶だと、リビングに貼られた九九表の前に私が立ち、泣きながら8の段を言っていて、間違えるたびに大声で「違う!!!!」と怒鳴られ、叩かれる情景が浮かぶ。思い出していて気付いたけれど、昔の父親記憶で怒られたこと以外の記憶ほとんどない。お風呂冗談で突き落とされて泣いたことを急に思い出したけどそれは今回あまり関係ないのでこれ以上思い出すのはやめようと思う。

私が叱られる原因の8割から9割は勉強のことだった。父親勉強至上主義で、「この世の中で勉強が1番楽しい」が信条だった。そしてそれを娘の私に身をもって体験させてくれた。お陰で私は幼少から東京に住み、一人っ子長女としてすくすく育ち、訳も分からないまま中学受験の為の塾に通い、やっとのことで第2志望の私立合格(補欠)、進学校を謳っている学校大学受験に向けてまた勉強、やっとのことで大学合格(滑り止め)した。

特に父親語学に厳しく、中学に進学してから私に徹底して英語を教え込んだ。

その頃は彼が単身赴任だったため、私としても気が楽だったが、中1最初英語の小テストが悪かった私に電話越しで大激怒。以来ほぼ週末ごとに帰ってきては何時間も何時間も私「と」勉強、私も夏休み連休の時には彼の元へ赴き、何もない暖かな田舎街でいつ飛んでくるか分からない鉄拳リモコンに怯えながら英語勉強をしていた。

叱られて叩かれるのが嫌なら自分勉強をして成績をあげれば何も言われないのでは、と思う方がたくさんいると思う。私もきっと昔はそう思っていた。自分なりに勉強したつもりで彼に備えていた。でも、私の一生懸命と彼の一生懸命が違えばまたそれで叱られることになるのだ。父親の彼が正しいと思う「ものさし」は鉄のように硬くて、私のような非力な子どもには曲げることができなかった。

そうなると、どうせ何やっても叱られるんだから何もしないでその場限りで痛い目にあってしのごう、という考えにシフトしていく。そうすると、どんどん「叱られている」という感覚が鈍くなっていく。「またいつものやつだから耐えよう」というある種のルーティンだった。反抗するなんて考えたことも無かった。それは「おとなしくしていればいつか終わるし、反抗なんかしたら絶対殺される」と思っていたからだ。寝ている間に殺されたらどうしようと眠れない夜を過ごした時もあった。反抗はしなかったけれど、殺られる前に殺ろう、とは思った。けれど、犯行がばれて自分人生を棒に振るのがもったいなくて実行はできなかった。母に迷惑もかかる。

そういえば母は私をこっそり助けてくれたけど叩かれている私をかばうことはしなかった。母も父親には逆らうことができなかったからだ。私も母が痛い思いをするのは嫌だったので何で助けてくれないんだろうという気持ちよりは母にとばっちりがいくことの方が心配だった。

いろいろ思い出しながら書いていたので長くなってしまったけれど、結局私はやっと終わると思っていた父親との勉強暴力コンビが終わらなかったことに耐えかねて(大学の授業には必修で語学がある為)、初めて反抗期を迎え、やる気を失い、いろいろあって今現在アラサーニートである

ここまで娘がおかしくなってしまったので(父親プランでは娘の私は大学を4年で卒業し、そこそこ名前の知られた企業就職して、今頃は結婚して子どもがいる予定だった為)最近では暴力を振るったことに対する謝罪も聞くことができるようになったが、あくまでも彼の暴力教育の一環、延長であり、虐待とは違う、という思いであるらしい。あと、教育以外のことにはほとんど口出ししてこなかったではないか、とも。確かに交友関係などには口出しされた覚えはないけれど、でもマンガ捨てろとか、スカートが短すぎるとか、化粧濃いとか髪の毛染めるなとか、言われてたぞ。勉強関係ないことをやりすぎとか、思い出してみると結構言われている。

周りに私のような体験をした人がいないので、とても気になって今回色々と書いてみた。こうやって育てられたけれどもきちんと優秀な成績を修めて大学卒業して就職して今幸せ、という人にはどうやって親を克服したのかぜひ教えて欲しい。

それから条件付きとは言え子どもに手を上げてしまうような教育をしている方は即刻やめてほしい。状況とか回数とかそういう問題ではないから。少なくとも私にはそうだった。頭を殴られた痛みはしばらく続くし、またそういうことをされると思うと萎縮してしまう。放たれた暴言はわんわんと脳みそに響きわたり、ふとした瞬間に思い出されて苦しい。多分教育効果もない。上にも書いたけれど、自分行為反省するきっかけにはならなくて、暴力暴言に耐える修行みたいになってくる。

あとお子さんが私のように大人になってから爆発すると、親子関係がとてもギスギスする。お互いの距離感が掴めなくなるからだ。距離は縮まることはほぼないと思う。

タイトルには、虐待だったのだろうか?というタイトルをつけたけれど、これが虐待だろうがそうでなかろうが、今となってはどうでもいい。痛みに耐えるだけの思春期はもう遥か昔のことになってしまって、取り戻せない。ただ自分が考えているより今までがしんどかったので今回文章にまとめてみた。お前よりもっとしんどくて苦しい人はいると言われたって私の辛さは私だけのものだと思っている。長くなってすみません

進学校辞めたい

 結論から言うと、学校の造りと、教師のつくりが合う気がしないことだ。 

これがばれて何か処分が下っても結果として目的は達成できるのでフェイクを入れずに書いていく。

 中学時代、私は運良く勉強に恵まれ、第一志望としていた県でもトップクラスと呼ばれている進学校(といっても偏差値は70弱)の公立高校へと進学することができた。都内に住んでる人からすると公立高校は滑り止めの印象があるかもしれないが、地方中枢都市であるこの県では、中学受験をしなければ基本的に逆の立場であると考えてもらいたい。当然その結果を報告すると、周りの大人達はほめた。「親孝行だ」という人もいたはずだ。私は当然満足した。文化祭学校説明会に訪れ、親の勧めとはい自分自身で決定した行動だ。さらにその高校には美しい校舎、ハイレベルな進学実績、なんと公立高校であるにも関わらずエスカレーターまで完備されていた。ここまで書くとその県に住んでいる人は特定できたかもしれない。おそらくそ高校で合っている。わからない方はのんびりとした高校生のやりとりが特徴の春アニメの校舎を参考にしてもらいたい

 入学してから私は気づいた。この高校設備の劣悪さ、そして学校に漂う嫌な空気である

 まず、デザイナーがこだわった「美しい校舎」と「素敵な設備」のひどさである。端的にいうと、高校使用する造りではないのだ。第一に、通気性が悪いのである高校特定した方々は驚くかもしれない。教室の片側はほぼガラスの窓であるにも関わらず、その殆どが開閉もできないのである。そして、開いても微々たるものである。その空間高校生がひしめき合うのである地獄だ。次に、本校の大きな魅力であるエスカレーターに甘えきった造りである。なぜか上りのみのそれによって、階段が少なく、そして狭い造りとなっている。普通の校舎の造りであれば問題はさほどないかもしれない。しかし、なぜか校舎の最上階にすべての普通教室がまとまっているのだ。下校時の混雑は苦痛と呼べるそれがある。

 ……と、校舎の造りのひどさについて語ってきたが、こんなものは大きな理由ではない。大きな理由は、その学校に漂う空気である

 この高校対外的には進学校と呼ばれている。しかし、当の生徒たちからは、「浪人工場」と呼ばれているのである。どれだけ浪人が多いのかというと、地元国公立大学(高学歴芸人として地元芸人が出られるレベル)の合格者の3分の1が浪人である東大合格者もほとんどが浪人である

 浪人が多いだけでは、辞めたいと思わない。最大の問題浪人をあたか美徳であるかのように考えている教師たちである。第一志望を貫くのはいいことであるかのような考え方だ。そして異常なまでの国公立信者である最初から私大を選ぶなといった空気を醸し出している。校内にはられている大学関係の掲示物もかなりの割合を国公立が占めている。あの見えない圧力気持ち悪い。まるで浪人予備校のようだ。

 こうやって書いてきたが、当然他の生徒が嫌なわけではない。むしろ人間関係で言えば中学時代のほうが苦しかった。ただひたすらに、この学校があるのとそこで働く人間の考え方が気持ち悪いと感じただけである。拙い文章でで申し訳ない。

追記…拙いって言ってるだろ!文章についての批評をするなクソワナビ

2016-06-20

いじめ」のはなし

小学5〜6年生の頃、クラスでいわゆる「いじめ」があった。

いや、「あった」ことにされていた、が正しい。

横浜住宅街の中にある市立小学校で、治安は良く、クラスメイトの半数が進学校中学受験をするような小学校だった。

クラスに体の小さく勉強が不出来な男児、Aがいた。

Aはよく遊ぶような友達もいて、他の生徒と友人関係において変わったようなところはなかったのだが、A以外のクラスメイトはAが「自分いじめられている」という嘘の証言をして、教師の気を引いていることに辟易していた。

例えば、Aは「手洗い後の手についた水を他の生徒に向けて飛ばす」などの地味ないたずらをしょっちゅうしていた。

小学生のするようないたずら自体と、いたずらを受けた生徒がそれに対して怒ったり気持ち悪がったりすることまでは健全なことだと私は思う。

ただAはその後、自分がそのいたずらを受けたように話を歪曲し、一縷の真実だけを残して(Aのいたずらに対して怒った女児Bが「怒鳴った」)担任に泣きつき、担任はAの言葉を受けてBを叱るのだ。

小学生にとって担任教師絶対であるし、この例えにおいて「怒鳴った」こと自体事実であるしかし、叱られる誰もがあまり理不尽だと感じていた。

確かに教師立場もわかる。担任は新任の若い女性教師だった。

教師は1人の生徒に「いじめられている」と申告されたらもちろん深刻に受け止めなければいけないであろう。

ただ他の30名余りの生徒の真実をないがしろにしてまで対処しなければならないことなのだろうか。

もっとうまいヒアリング方法はなかったのか。

何度もAのいたずらが先にあってのことだと訴えたけれども、先生は信じてくれなかったのだろうか。

中学受験をするような頭のいい児童教師に対してもずる賢く、嘘をつくに違いないとでも思われていたのだろうか。

Aの主張するいじめ存在するということにして良かったのだろうか。

いじめ定義として、被害者側がいじめだと感じたらそれはもういじめなのだというが、そこに客観性は本当に存在しないのか。

ホームルームはいつもいじめについての話ばかりだった。

本当に、誰一人として、Aに対するいじめなどしていないのに。

Aに対するいらだちを本当のいじめに発展させなかったかつての同級生を誇らしくすら思う。

私たちの間には、Aに本当にいじめをしたら負けだ、という共通認識があったように思う。

どうしてAのような歪んだオオカミ少年が育つのだろうかと不思議に思わざるを得ない。

今朝、ふと自分過去を思い出した。俺は野球なんかやってなかった

父親少年野球コーチをしていて、兄と一緒に教えられてたって色んな人に言ってたけど

本当は野球を教えてなんてもらってなくて、そもそも俺のグローブなんか無かったし、ずっと隅っこで一人で練習してたんだった。

そうだった。父親は俺のことに興味がなかった。父親コーチしてたけど兄が少年野球チームでいじめられてやめちゃったんだ。

自分妄想がいつの間にか正しくなっちゃって、人の記憶って怖いなって思った。

父親無視され続け暴力を振るわれ、ベランダに放り出されて、社会に出てみんなの親エピソード聞いてたらそうこうしてるうちに勝手妄想してた。やべえ。

そういえば母親からずっと否定され続けてた。俺が進学校に進もうとしたら「お兄ちゃんが行けないのに」って拒否されて

教師になりたいと言ったら「お前なんかがなっちゃいけない」って言われて。

あ、初任給エピソードも作り話だっけ。そもそも社会人になって親と連絡なんか取ってなかったし。社長から親に感謝して何か買えって言われて作り話しちゃったんだっけ。


あー、でもすっきりした。どこかで記憶がちぐはぐで友達からも「お前、チームにいたっけ?」言われてたし。今思い返せば嘘ばかりついてた。あー、こええ。

こんなこと誰にも言えないし、自分でも自分めっちゃ怖いのでここに書く。どこにも書けないし。

もう嘘つきたくないな。嘘っぽい話だけど。

2016-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20160617231845

あのJK妊婦は本物のバカからあれを代表にするのは正直むかつくし、正直「強制退学になりやがれ」とは思ってる。

ただ増田さんの在籍していた超優秀な進学校はともかく、普通底辺校は仮に赤点とって追試でも落第点でも、レポート書かせたり補修受けさせたりしてなんとか単位取れるようにしてくれるもんなんだよ。

少なくとも純粋に成績だけで留年した人って話は高校ではまず聞かない。

からさ、校則で「妊娠したら退学」ってはっきり書いてあってもどこまで救済してくれるかっていうのを今後は考えるべきってこと。

堕胎か休学(実質的な退学)かの二択しかないってのはあまりにも選択肢が狭すぎるんじゃないかって。

JK妊婦がもし超進学校ですげー優秀な生徒で、それがなんかの事情妊娠したらそのときに二択でしか選択がないのって悲しくね?(感情論とか言って叩かれそうだな)

2016-06-16

ゲーム禁止されなかった成功者へのルサンチマン

小学校の時のクラスメートでM君という友人がいた。

結構気が合う友人というだけでなく、学校テストでは俺とM君だけが満点というのが何回もあり意識していた。

そんなM君と俺との最大の違いは家庭におけるゲーム位置づけだった。

俺の家ではゲーム悪者だった。両親は全く興味なし。一日30分だけで、ゲームではなく読書趣味にするよう何回も言われ逆に本が嫌いになった。

一方でM君は両親もゲーマーだった。

M君の母親が俺がどうしてもクリアできなかった面を代わりにクリアしてくれたのを今でも覚えている。

特に時間制限もないようで、まわりで一番早くクリアするのはいつもM君だった。

無理やり勉強させられたこともあって俺は大学入学までは順調だった。

ただ自分で答えを考えるのがどうしても苦手で内定をもらえたのは今働いている塾だけだった。

M君は俺とは違い地元公立中に進学した。

同窓会で聞くまで知らなかったが(知りたくなかったが)M君は俺が理想とするようなルートを歩んでいたようだった。

1.ゲーム会社に興味を持つ

2.ゲームを作るには数学必要だと先生から教えられる

3.進学校合格さらに俺と同じレベル大学合格

4.ゲーム以外のことに興味がでてくる

5.院の推薦で優良メーカー研究職に

6.「ゲームを沢山買いたいからね」と、仕事に精をだしている。

正直言うと、何で我慢してきた俺が負けてるんだという気持ちしかない。

願わくは清楚系ビッチに捕まってほしい。

4.

2016-06-14

学歴無駄かいって一体なんですか?

当方偏差値69の某私大文系学部卒の新社会人です!!!!! いきなりマウンティングしてすいません!!!!!

この世界地獄かよ?!?!?!? ってことが最近ありましたので、ちょっと匿名はてなにでも書くか…… 久しぶりに…… とログインしました。

屍者の帝国を観て、この世界地獄かよ…… って思ったときぶりです。

テンションがクソなのは非常に傷ついているからです。テンション上げてかないとたぶんこの記事を書き上げられねえんだよ!!!!!

そういうわけで冒頭に申しあげたとおりの学歴なんですが、現在実家暮らし地元公的機関で働いています

そこで最近職場の数歳年上の先輩から言われた台詞

先輩「Aさん(当方)って○○大学卒だよね?『学歴無駄かいだよね~なんでここで働いてるのか不思議』って人と話してたんだけど……」

私「あはは……(泣きそう)」

先輩は心の底から悪気が無かったんだとは思いますが、この台詞を心の底から悪気なく言えるのは闇が深いな~~~と思います

バックグラウンドの話をしますが、私は大学都内だったので東京地元の両方で就活しました。

結果都内就職先(民間会社)と地元就職先(公的機関)で一つずつ内定が出ました。

業務としてはどちらも選び難かったです。月給は都内のほうが3~4万高かったのですが、生活費等を比較して総合的に見ると、都内のほうがマイナスになる具合でした。

勤務時間も、いずれも9-5時だったので、金銭面以外はほんとに差がありませんでした。

あと環境としては大学在学時4年間、東京暮らし死ぬほど楽しかったしホームシックになんて一度もかからなかったので、絶対都内に住み続けたい気持ちはありました。

ですが、金銭問題は大きいよね、ということで地元就職を決めました。

そうして就職してみると、実家から出たことのない人がマジョリティでした。これが結構キツい。

同じ大学を出た人どころか同じ高校を出た人というレベル地元とのガッチリ感。ちょっと遠い進学校に通ってた私はマイノリティ

大学名なんて出そうものなら、「え~頭良い~私たちとは違うよね~」呼ばわりされる。

なんかマジで鬱になります自分自分の入った大学にふさわしくない就職先を選んでしまったのかなっていうようなことまで考えてしまう。

そんなこと言われるまで考えてもみなかったのに。

学歴無駄かいだよねって言われると、同じ職場で同じように働いてる人に、

学歴無駄かいしてる」って面と向かって言えるような人と働いてるその環境こそが学歴無駄かいだって思う。

そう言ってきた先輩は、実家を出たことが無くて、でもいい国立大を出て若いうちに結婚して子供もいるので、周りから見たら完全に勝ち組だし正統派人生を歩んでいる。

そんな人がどうして、私にこんなひどいことが言えるのか不思議でならないです。

私は納得して都内内定先を断って地元就職を決めたけど、あの選択は間違いだったのかもしれない。

家族は好きだし仕事も好きだけど、周りにいる地元を離れたことのない他人が均質的にすぎて疲れる。

ほんと学歴無駄かいって何なんだよ……

先輩の出ている国立大だってすごく頭のいいところだし、少なくとも私は受験するのを諦めたところだ。なんでそんな自分差し置いて言えるんだろう。

しろ先輩にこそコンプレックスがあるのでは? なんて邪推もしてしまう。案外そうかもしれないけど。

結構尊敬していたし好きだった先輩にそんなことを言われてしまったので、帰路運転しながら全身ぐにゃぐにゃになるような気分だった。

このままハンドルさばきを間違えてどこかに突っ込みたいとさえ思った。

学歴無駄かいって言葉には、相手を持ち上げているようでその実、相手のそれまでを全否定するようなニュアンスが含まれていると思う。

本当に残念に思う。もう二度と先輩を尊敬できる気がしない。

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