はてなキーワード: 疑心暗鬼とは
嵐の活動休止が発表された。
あ、これは大野(自担)がついに行動を起こしてしまった。と思った。
やっぱりこの時が来てしまった。と思った。
前々から辞めたかったと言っているのもあったが、ここ最近個人の仕事をほとんどしなくなった。
そのことに対し、一部のファンからはもっと大野に個人仕事を!という声も挙がっていたが、そんなことしたら本当に辞めてしまう。
もう嵐以外の仕事はしなくていいから、せめて嵐であることは辞めないで欲しい。とずっと願っていた。
5人の総意だと言われても、大野が言い出さなければ今回の活動休止はなかった。
だからまだ嵐の活動を続けたかった4人に、ただの一ファンでしかないけれど、申し訳ないと思った。
私は5人全員大好きだけど、やっぱり一番は大野だ。
だから大野以外のメンバーが解散、もしくは活動休止を申し出たらきっとそのメンバーを許せなかったと思う。
嵐の人気は2007年くらいから本格的に出始め、10周年の2009年をピークに徐々に下がっていくのかと思ってた。
しかし、10周年から10年たった今も変わらず、いや、それ以上に人気がある。
CDの売り上げ、FCの会員数、TVの視聴率など人気の判断をする材料はいくらでもあるので一概には言えないが、
嵐は間違いなく、今一番日本で人気があるアイドルグループであろう。
嵐が人気が落ちるのはまだ想像が出来ない。
いつの間にか一番上に居て、どこに居ても騒がれる状況は彼にとって居心地が悪かったと思う。
でも、4人とファンを裏切れないことに甘えていた。
だから今回の休止で、大野が一回離れることが出来て、今まで散々甘えた分、休みが欲しいと自ら言い出したことに安心した。
今回、4人やスタッフに提案で休止になった結果に対してよく見るのが、
「もう戻ってくる気がないんだから、そっとしといてあげた方が良い」という意見
まず、「戻ってくる気がない」という意見。
本人も言うように最初は辞める気だったであろう。
でも会見で松本が「解散ではない」と言い切った、ZEROで櫻井が「活動再開はある」と言った。
というのもあるが、そもそも戻ってくる気がないのに活動休止なんて中途半端なことはしないと思うからだ。
解散にするとファンが傷つくから休止にしている。というのも見るが、戻ってくる気がないなら期待をさせるようなことを大野はしない。
もう二度と嵐をやらない。と決めきっていたら周りがいくら説得しようが絶対大野は譲らないと思う。
そして、休止の2021年まであと2年あるが、決まっている仕事があるという予想をしているのだが、会見で本人達は知らないと言っていた。真実は分からない。
事務所の力でそのくらいどうにでもなるだろう。
大野は病気があるわけではないが、本当に限界なら、後輩に休んでいる人が居るように、きっと休ませるであろう。
本人も納得しての2年であろうから外野がとやかく言うのは違うだろう。
解散なら2年前でも良かったが、活動休止に2年かけるのはやりすぎだと思った。
嵐は自分たちの言葉だけを信じてくれと言うので、そうさせてもらう。
会見で言った事にも実は本心が含まれていない可能性だってある。
でも、ファンに対して伝えたい嵐の姿を受け入れることが、一番ファンをやっていて楽しい選択だと思うので、これからもファンでいたいと思う。
私は全員の事が好きなので、2021年以降もソロの仕事を応援する楽しみだってあるし、
人気が出てからはリピートする時間がなく、1回見ただけで終わっていた録画を見返したり、嵐のファンとしてやりたいことは沢山ある。
私の見る嵐、他人が見る嵐、違って当たり前。
でも、出来る限りそう見て欲しいという嵐を受け入れていきたい。
私は嵐が大好きだ。
でも私以上に嵐が大好きな5人だから、この先ずっと信じられる。
はっきりそう示されて無いのにちゃんとしてないって事か、頑張ってないって事か、って取っちゃう人いるけど、
それって自分で相手の意をプラスじゃなくゼロに見積もって今までを相対的にマイナスにやってるって事でメンタルちょっと大丈夫かなって思う
色んな選択から無意識に自分が低く見られてるって用法選んで受け取って、自分でそうした事に気付かないまま不快さの原因を相手に背負わせて攻撃的になる事で解消しようと責めるって、状態的には結構やばい気がする
うつの人には、ってよく話として聞くけど、その場合は言葉をマイナスに受け取るのも病気の不可抗力というか無意識の自傷行為のひとつだと思うんだけど、それと同じような事なわけで、
怒りがわくのはその評価が不当だ、嫌味だ、バカにされた、傷付けられたってとこからだろうけど、相手がそんな類の悪意のある人間だって否応無しに一方的に決め付けるそこの悪意というかそうなる可能性に気が回らない、余裕のなさがなりふり構わずの自己防衛感があってやばい感じがする
個人的にはよっぽど言い方とか使い方がそうじゃなきゃ基本頑張れは現状の肯定の上で維持を勧めるものだと取るしちゃんとしてるって言われたら普通に褒められてると思うけど(ちゃんと、に普通を超えた完全性を思うので)特別偏ってポジティブな取り方だとも思わないし言葉自体に色んな使い方があって言われた時点でどういう意図があるのか確かじゃないのに悪く取るのを相手や言葉のせいにするのって無自覚に自己評価低いか疑心暗鬼になってるせいだと思うから気をつけた方がいいんじゃないかなって思う
表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。
正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。
こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。
確かに今現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。
どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子をリビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子どもの記憶違いではないはずだ。
あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたときの記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。
他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。
これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。
子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子供相手にマウントを取りたがる親なのである。
もしかすると、この程度のことはごく普通のことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。
ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。
二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。
メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。
恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。
最近は小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。
私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉を額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。
中学では制服や校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則は部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。
しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛も晒していた。
そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)
中学三年間男子からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識が根付いた。
一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子の友達はいた。
だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスのボス的ポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。
中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前後から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。
要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである。
その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去の記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。
失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったからである。
私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。
それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである。中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。
中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。
中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校でとある文化部に入った。
彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。
だが、彼も所詮は男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子とコミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである。
この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。
それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。
勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。
同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。
基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生は別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ。
学校の先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。
高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。
学校の先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。
そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。
でも、それで人から好きだと思われることは無い。
人から向けられる愛情は、お勉強をいくら頑張っても手に入らないのだ。
そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。
色々ある中で、気遣いや笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。
愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。
少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。
自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。
高校で気付いたこの事実は、高校を卒業してからもだいたい事実だった。
ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。
そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである。
あの子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。
でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。
なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。
この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。
欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。
私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。
少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。
ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。
いつかっていつだろうな。
愛されないのに何で生きてるんだろう。
まだ続いていることは知っていたが、まだ読んでいる人がいるとは知らなかった。
近年の巻では作者に対して「お前はもっと面白い小説(ないしは魅力的なストーリー)を書ける筈だろう!?」と叫びたくなることが何十回あったことか。
読むたびに「もしかして読者は作者から何か試されているのだろうか?」と疑心暗鬼に駆られるのはもはや既定路線であり、
「で、結局なにか動いて行ってるのいないの!?」と叫びたくなるまでがワンセット。
もしかしてスピンオフが佳境に入るまで本編進めない気なのか?という疑いはきわめて濃厚な黒よりの灰色であり、特に合理的な否定要素はない。ざけてんのかーーー!
そう言うわけで
には激しく首肯せざるをえない。
小学1年の息子を持つ増田だが、今年もクリスマスの季節がやってきた。
去年までと同じように、息子に
「サンタにお願いごとの手紙を書かなきゃねー」と軽口を叩くと、だんまりして、どうも様子がおかしい。
どうしたどうしたと聞くも、何でもないとの暗い返事。
これまではキャッキャッ、ワクワクテカテカしていただけに、
おや、これはもしや、と思いつつも、核心には触れられないので、様子を伺うと、おずおずと
あっちゃー、お父さんまいっちんぐ。
と思いつつも、平静を装い、
そんなはずはない。去年だって英語の手紙(MY自筆)が届いたじゃないか、
お父さんにもプレゼントが届いたじゃないか(アリバイ作り)と弁解するも、消えぬ白い視線。
ああ、小学校のクソガキども。お前らの誰がウチの子のサンタ童貞を奪ったのか。
それからしばらくは、サンタ冷戦状態。誰がサンタだ?と疑心暗鬼の静かな心理戦が繰り広げられる。
下に4歳の息子がいるが、一緒になって、サンタサンタ、キャッキャッフフフとはしゃいでいると、感じる上の子の白い視線。
https://www.youtube.com/watch?v=fCUb1sARa1s
コイツだ!と思ってすぐに上の子と一緒に見る。すると目がテカテカと在りし日の輝きを取り戻す。
サンタはいるのか、そうなのかと。youtubeは絶対だもんな(ユーチューバー好き)と。
(ちなみに、サンタ一人で世界を周れるのかな?と割と現実的な質問を受けるも、「サンタ株式会社はワールドワイドだから」との回答で事なきを得る)
・「個室の分からないところに監視カメラがついてるんだって」って噂があって、なんでも確かめないと気が済まない患者の1人がそのことを看護師に問い詰めたことがあった「2chにそう書いてありましたけど!?」って
もちろん看護師はそんな事ありませんよって言うんだけど、ただでさえ病院側を信用してない人は疑心暗鬼になって最終的に暴れたりして大変だった
事務のお姉さん(20代くらい)がぼそっと「ああいうこと言い出す人は退院長引くんですよねぇ」って言ってたのを覚えてる
重症の人は禁止されてたかもしれないけど私は普通にネット通販出来たからコンタクトとか頼んでヤマトの人が外来の玄関通って入院病棟の方に持って来てくれたのをパジャマのまま受け取ってた
・売店でアイスを買うのが好きでよく買ってたから太った 夜ご飯も昼ごはんもちゃんと給食が出るし美味しかったけど、最初の頃は仲良い人がいなくて自室に持ち帰って1人で食べてたから味気なくてアイスの方が楽しみだった
・成人しててもぬいぐるみとか持ってる人が多い、ぬいぐるみに声当てて喋らせる人も多い
・カラオケ大会とか幼稚園レベルのレクリエーションが定期的に開催されるけどクソつまらない
・ご飯を食べたいのに食べられなくて結果発狂してぶっ倒れて担架で運ばれてく人が結構な頻度で発生する
・恋人とか家族がお見舞いに来てくれる人の方が階級がなんとなく高い
・中高生は少ないからみんなでつるむけどその中で恋愛が発生した時は地獄になる
みんなすぐ泣くし、トラブルになるから直接会うの禁止令とか出されると手紙でやり取りする羽目になりだるい 2人で喋ってるだけで浮気してたでしょ!?ってキレ出す女の子とかは普通 彼氏とった女にいきなり平手打ちしてた子もいた ちなみに恋愛関係とか言っても患者同士がお互いの個室に行くのは厳禁なので大したことはできない
そんな感じ
『ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ。
すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。
ただその一方で実はこの映画の感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分がクイーンをリアルタイムで応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人で普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲でクイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。
でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。
んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです
やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線の設計上エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。
本国広報やプロデューサーもそうフィクションだと発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほど史実との違いが目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。実在の人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。
オタクがオタクであるゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーンの映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。
気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこの映画の後ろに行ったカップル男性が「あいつクイーンのことになると早口になるよな」とかで、なんか、すごくいたたまれなかったりもする。キミのその愛情は彼女さんには全く通じてないし、むしろ映画の感動いまどんどん減らしてるよみたいな。
だからこのレビューでは物語(フィクション)としてこの映画をおすすめします。
若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。
映画はフレディがクイーンの前身バンドであるスマイルのメンバーに声をかけるあたりから始まります。デビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審の青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。
何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます。
それがすごく良かった。
それは、この映画がロック界のスーパースターで伝説の偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。
野心を持った若者っていうモチーフは映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。
作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初のデビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは虚勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。
確かに伝説のバンドクイーンはメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年の普遍的な鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。
だから無駄に見栄を張り無駄に喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。
生存戦略としての見栄と意地で、それがある程度以上に通用し成功する。
だからこそフレディは問題を解決する手法として去勢と音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサーと揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。
でもその問題解決手法もアーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人の内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。
溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフで相手を確認するとか昭和の少女漫画クラスやぞ)。
バンドメンバーとの関係も傲慢&ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こちら解決は傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。
自分の性自認がヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ&乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。
そもそも音楽&虚勢という生存戦略はアーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活が崩壊していく。仕事(音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。
バンドは危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。
フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。
この映画でふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンドの精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリム・リー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。
喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストのライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバーと音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。
朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。
もうひとりはジム“マイアミ”ハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドにプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。
出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディから「ジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりはコメディキャラの位置づけです。
でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジム“マイアミ”ハーバーに押し付けちゃうわけっすよ。
そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの。
でも、ジム“マイアミ”ハーバーはスタジオで演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。
だってさ、たしかにクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。
ジム“マイアミ”ハーバーは弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンのマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーにもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。
立派な大の男の人生を進路変更させてしまう、クイーンの音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンのこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。
(あとで調べて、彼ジム“マイアミ”ハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画の制作にも関わったことを知って二度泣けました)
フレディは前述の通り、性自認の問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。
でもそういう最悪の時期を、元恋人のメアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。
そこから映画はクライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分がHIVに罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生を音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。
それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。
でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときわクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。
おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。
この曲は確か公開当時「傲慢な歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞そのものは「俺たちはチャンピオン(勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界的アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。
でも、そういうふうには聞こえなかった。
むしろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分と友達を鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。
たしかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在の環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。
人間は人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。
苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。
そんな気持ちは世界的アーティストであろうともそこらに兄ちゃんやおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分を応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面の祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。
だから"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンのメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。
それがとても良かった。この映画を自分に関する物語として見れることが、とても良かった。
これらのことは別段クイーンの情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます。
この映画は、伝説的バンドのクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的な事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年がプライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。
そういうビルドゥングスロマンの映画であって、あるいは中途半端に知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います。
人は誰しも心の中に悪役を飼っている
自分の行いを正当化したいときなどに、その責任をその悪役に求める
社会で大きな問題が起こった時、その人は「きっとあいつがやったに違いない」と思ってしまう
宇宙人のせいにちがいない、オタクのせいに違いない、フェミのせいに違いない、ウヨクが、サヨクが、韓国人が、白人が、黒人が、女が、男が、父親が、悪友が
学校のクラスで1人超弩級の不良がいたとして、ある日傷害事件が起きたならまず「あいつかな?」と皆思うに違いない
何か悪い事件が起きると「パン人がやったに違いない」と思ってしまう
そして誰かが悪い事件を起こすと「彼はパン人に違いない」と思ってしまう
信じていた誰かが嫌いになったとき「君はひょっとしてパン人だろう?」と思ってしまう
「違う」と言われても「パン人だから嘘をついているに違いない」と思ってしまう
自分が複数人から批判されたときに、「彼らは悪魔だ」と考えて認知を歪め自己を正当化してしまう
その後どれだけ正しく考察してもダメだ、スタートラインが「彼らは悪魔」だから
・彼ら悪魔にも良いところはある
心の中に悪者を飼うのは悪いことではない
最善の相で解釈するのであれば、ネットでフェミニズムを主張している人の中には本当に『男性にとっても女性にとっても共通する、性欲とは無関係な可愛いの概念』が存在すると信じている人がいるように思える。
なぜそう思うかを語ろうとすると男にとっての可愛いと性欲と恋愛感情を真面目に語ることになったので、性欲についてフェミニストに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だへの返答も兼ねて書いてみようと思う。
男の性欲は割と即物的であり、結局のところ男にとって性的な行為で直接的に一番気持ちが良いのは『射精することそのもの』だ。それはセックスだろうがオナニーだろうが関係ない。(これ以外の副次的な部分、社会的な部分や支配欲的なところは存在するが、直接的には射精第一である。)
しばしば言われる『ブスとセックスするのは辛い』『結婚してから嫁が劣化(←この言葉は好きではないが)したので夜の相手が辛い』ということはつまるところ、
『勃起させ、射精するための労力>射精による快楽』という構図になってしまったから言われるだけにすぎない。
女の性欲はもう少し複雑である、ということになっているはずだが、その点は深くは追及しない。
一般的な男にとっての”可愛い”は2種類しかない。『愛らしいという意味での可愛い』と『恋愛対象として高評価という意味での可愛い』だ。
(本筋から外れるが、女性の言う”可愛い”の意味はもっと多いことそのものは増田も理解している。ただ増田も含め、女性の言う”可愛い”の全体像を理解している男は滅多にいない。女性から”可愛い”と言われて戸惑ったりする男が多いが、これは『俺にとっては意味不明な尺度による”可愛い”かもしれないと思うと疑心暗鬼になる』ことによるものだ)
前者の代表例は『子犬可愛い』『子猫可愛い』であり、人間の女の子であっても、5歳の女の子が健気に頑張っている姿を可愛いと言っているならばこちらの意味だ。
後者の代表例は『新垣結衣可愛い』であり、ある程度成長した女性に使っているならばこちらの意味だ。
ただ、人間の女性に使っている場合、前者と後者はグラデーション気味になることがある。増田の場合、成人した女性であっても『金田朋子ちゃん可愛い』は前者の意味をある程度含んでいるし、逆に未成年でも『4年前の生田絵梨花(当時17歳)可愛い』は後者の意味を明確に含んでいる。デビューした当時のまいんちゃん(福原遥:当時10歳)可愛い』は100%前者である。岩本蓮加(14)なら…分からない。
そして男にとって ──女はどうなのか、というのはいまだに分からない── 恋愛感情の一部に性欲は必ず含まれていると言っても構わない。恋愛感情=性欲ではなく、恋愛感情には性欲以外の部分もあるが、性欲を含まない恋愛感情は(おそらく)存在しない。つまり性欲⊂恋愛感情 である(←数学記号は文字コード的に大丈夫?)。生田絵梨花を可愛いと言っている男は、多かれ少なかれ『生田絵梨花とデートして、その後セックスしている自分』を想像している。ただ、そのことに自覚的であるかないか、それだけの違いでしか無い。
そして前述したように、三次元では幼い女の子がどこまで恋愛や性の対象になるかについてはある程度遠慮している部分もある。だが、二次元が相手だとその”遠慮”も無くなり、オタクの男が『木之本さくらちゃん可愛い』『高町なのはさん可愛い』と言っている時にはある程度は性的な意識もある場合が多い。同人誌を見れば明らかである。
…そんなわけなので、『エロと無関係な可愛い』は存在するかもしれないが、それは特に二次元の場合極めて限定的であると増田は思う。ただ一方で、『性的である』から『それ以外の部分を無視している』わけでもない、ということを主張しておきたい。
ツイッターを見ていると、「○○(発言者とはあまり関係がない人もしくは集団)が喜んでいるのを見ていて楽しい」という呟きをそれなりに見る。
自分の身内や親しい人が喜んでいるのが嬉しい、というのは理解できるが、自分と関係のない人が喜んでいることの何が楽しいのか?
むしろ自分は普段こんなにも満たされないでいるのに、こいつは喜んでいてイライラする、としか思えない。
ただもちろん、そんなことを公言していたら人間関係が上手くいかないことは分かる。
だから、冒頭の発言はそういう世間体のためなのだろうと思ってしまうのだが、それにしては頻繁に見るし、どうも本心から言っているようにも見える。
それが不思議でしょうがないし、もしみんな(言っている殆どの人)が世間体の為なんだとしたら、疑心暗鬼にならなくて済むので誰か教えてください。
ここからは知らない人には本当にどうでもいい話だと思うので分ける。
自分は最近モバもデレも、プレイしていると上記の理由でイライラしてやまないので、担当の出番の時以外プレイしていない。
だからどのくらい素晴らしかったのかは分からないが、タイムラインを見る限りかなり素晴らしいシナリオだったらしい。
理解できないのは、担当が出ていた訳でも無いのに楽しそうなツイートをしている人のこと。
素晴らしいイベントに自分の担当以外が出るということは、言い換えればその分出番を奪われているということに他ならない。
自分はこの事実を思って、本当に深夜の自室で涙を流してしまった。
でも、タイムラインで見る殆どのモバマスプレイヤーは今回のイベントに満足しているようだ。
おそらくは、そのことよりもシナリオの感動が上回ったのだろう。その反応を見ても、自分はこの事実で悲しくなってしまいイベントを読む気になれない。
自分は一般的な感性よりも狭量なのだろうか。それとも、そのイライラを隠すことが出来ないくらい子供だということなのだろうか。
この話はそのジャンルでよく分からない何かと戦わされているただの同人作家の話である。
そのジャンルはかつてものすごく治安が悪く、無断転載、炎上、誹謗中傷、トレパク、だいたいのバズった問題には必ずアイコンがそのジャンルのキャラクターの人が関わっていると言っても過言でなかった。
数年前までは。
当時は学生が多かったということもあり、そういった問題が起きがちだった。
また、ジャンルの歴史が少々特殊なため、世代による確執も根強い。
「公式が地雷だがそのジャンルで同人をしています壁サークルです。」という作家も少なくない。
数年時が経ち、上の世代は結婚や年齢の問題などでリタイアが増え、当時学生だった子たちは成人している。
ジャンルに残った子も少なくはないが、オタクブームの波が来たこともあり、一気に流行のジャンルが増え、ほとんどはジャンルを鞍替えしていった。
私はそんな、絶滅寸前とまで言われた状況だったこのジャンルに飛び込んだ。
今ならこのジャンルをイチから再生させてもっと平和に盛り上げられると思ったからだ。
幸い同人マナーに関しては大きなジャンルが失敗と反省を繰り返している。
前例を確認し、公式を大切にしながら同人をしていくジャンルにしたかった。
私一人でジャンルをどうにかするなどおこがましいかもしれないが、いつだって流れは誰かが作るから生まれる。
流れさえできればあとは私はタダのモブ同人作家に戻る予定だった。
1年目、閉鎖寸前だったお絵かき掲示板やお絵描きグループの管理人を一手に引き受けた。
私自身はサークル参加者が居なくなってしまったBLカップリングの漫画を描いていた。
管理人を引き受けて驚いたのは特定の最王道カップリング以外は不快に思う人も居るから排除しろというとんでもない意見が飛び交い始めたことだ。
これがもし、最王道カップリング主の管理人だったら、意見を呑むのだろうか?
私が出した結論は、「”全ての”カップリングイラストの隔離」だった。
二次創作において人気があるかないかで、人目にさらして良い悪いと判断することはできない。
よって同性愛異性愛問わずすべてのカップリングイラストは専用グループを作成し隔離した。
ここで更に私は驚いた。
最王道カップリングはあまりに普及しすぎていて、ジャンル者の感覚が麻痺していたのだ。
ありていに言えば「このカップリングは人気なのでみんなが描いているしもはや公式(と思い込んでいる)だからカップリング禁止でも投稿して大丈夫」という感覚だ。
何というか、言葉を失った。
二次創作においては人気問わず、誰だって自分の感じ取ったカップリングが公式だと思って絵を描いている。
ファンの人気投票によって決められたキャラが「投票の結果だから」と、ある日突然恋人関係を結ぶようなジャンルがあったらご教授願いたいものだ。
二次創作に貴賤はない。
どれもこれも公式の関係者でもないのにただの一般人がとち狂って描いてるだけ。
描くなとは言っていない。
隔離グループであれば投稿が許されているのでそちらに投稿して欲しいと要請したにすぎない。
正直マジ疲れる。
私のカップリングだって投稿できるもんなら全部ここに投稿してやりてえわ!
と怒り狂いながらなんとか人間らしい言葉遣いで彼らを説得した。
1年目が終わりかけの頃、ようやくまともにグループが動き始めたので一安心。(私の新刊もなんとか出た。)
2年目、色んな人と関わりたくてアンソロを出した。
本当にいろんな人が来た。
やばい人かと思ってた人はことに同人に関してはまともな人だった。
結局一番やばかったのは当時色々とサポートし合っていた最も近い仲間だった。
アンソロが発行するという頃、別アカウントで私の悪口を、これまた同じジャンルの人の別アカウントと言い合っていた。
と言っていたので、アンソロは送らなかった。
後日縁は切られ「あのアカウントが私だっていう確証はあるんですか」などと騒ぎ始めたが、最終的に「私だったからとして何?献本どころか謝礼金くらい出ないの?一万円くらいくれ!」と言っていたのでシカトした。
正直今思い返せばこの時点で私はジャンルの舵取りを失敗していた。
けどこの後、リアルで親友が死んでそれどころではなく放置していた。
親友は死んだが、件の相手は生きている人間であることを忘れていた。
生きているということは、私が息をしていると同時に相手も息をし、私が人と話せば向こうも誰かと話している。
水面下で。(お恥ずかしながら気づいたのはここから2年後くらい後になる。)
2年目の終わり、ここで活動を休止していた同カップリングのいわゆる神絵師に捕捉されフォローされる。
私は実のところ先の出来事で疲弊していたし、このジャンルの神絵師がどれだけやばい奴揃いかも理解していたので、若干戸惑った。
戸惑ったが、相手がものすごく褒めてくれるのでうっかりフォローを返してしまったし、それなりにDMで誕プレ送りあいっことかしてぬるま湯に浸った。
所詮私もこの程度の一般的な同人作家だったのだ。だって感想嬉しいもん。
けど、これが更に私を苦しめることになる。
3年目は割と幸せに生きたつもりだったが、今思い返せば変なことがいくつもあった。
まず、例の神絵師だが絶対にDMでしか私に感想も誕プレも送ってこない。個人的なやり取りもない。
恥ずかしがり屋なのかなと思っていたが、よく考えたら他の人には見えるとこで送ってたわ。私だけかよ。
けど、私はただのオタクだし、推しカプで騒ぐ方が最優先だったので騒いだ。
ハチャメチャに騒いだし新刊も出た。ここで本来なら相容れない感じのカップリングの神絵師に気に入られてフォローされる。
でもまあ、統計的というか、そのカプに苦手な人が多いってだけで私自身はそのカプも全然食うしいいか~と思ってフォロバした。
そのあとたまたまそのカプのオフ会にも呼ばれ、何人かと連鎖的につながった。
いや、この時点で本当に変なんだマジで。
そして事件は起きる。
ジャンルの一番でかいイベントが終わった頃、同人誌に掲載していた連絡先に来た一件のメール。
それは先ほど書いた例のオフ会あたりで仲良くなったAさんからのものだった。
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〇〇様、こんばんは。
こちらの作品、(私の推し)がとても可愛く、色っぽく最後まで楽しく拝見させていただきました。
少し気になる点がございまして、ご連絡の方差し上げた次第です。
同じく(イベント)の”Bさん”の新刊本『(作品名)』ですが、〇〇さんの漫画のコマ一部と非常に似た所がありまして……
構図的な偶然かも知れません。勘違いでしたら申し訳御座いません。(トレパク?とまではいっていないのかも知れませんが)
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というものだった。
めちゃくちゃ厄介なのがこの"Bさん"という人物。
そして何と言いますかね、イベントのアフターでも別の作家に同じ指摘をされておりました。
ここでもう私の疑心暗鬼ポイントはMAX大変身。(ジャンルに関係はない。念のため。)
ちなみに添付画像にはBさんがAさんの構図もパクったという画像も付いてた。正直そっちはそんなにパクってないと思った。
そしてこれ、めんどくさいことに私がBさんに直々にその話をしなければならないという話にまで発展する。
「人に言われたことだったんで、私はそうでもないと思ってるんですけど、トレパクとかする訳ないですよね~」
くらいのノリで言ってきた。
「私がそういう悪い事してないのはいつも仲良くしてる”Aさん”に聞けば分かる」
これ、闇ですよマジで。
仮にAさんの私への告発が本当のことだとする。
とすると
「AさんとBさんは仲良くしているように見えるが実は仲が悪く、特にAさんはBさんのことが嫌いで、Bさんの失態をこれ幸いと私に報告してきた」
ということになる。
逆にBさんは無実でAさんが私に嘘をついたとする。
すると
「AさんとBさんは仲が良いが、実はAさんが私のことを嫌っていて、私とBさんの関係を悪くするために虚偽の告発を私にした」
ということになる。
更に拗らせた考え方をすると
「AさんとBさんは仲が良く、どちらも私のことが嫌いなので、私にトレパクの話題を吹っかけて暴れる様でも見ようと結託した」
という可能性もある。
いずれにせよ碌な話じゃない。
私はそっと、この問題に蓋をした。(後日AさんはTwitterアカウントを消した。)
ついでに愚痴らせてもらうがそのカップリングのもう一人の神絵師Cにもフォローされていたが翌年私が誕生日を祝わなかったという理由でリムーブされたのでキレてブロックした。
神絵師はみんなああなのか?誕生日祝われ慣れすぎだろ。フォロワーと貸し切りパーティーとか行ってやがる。いや、そんなの毎年付き合えねえって。
4年目、私は商業活動も始めていた。(自分でも未だに驚いている。)
ここで、水面下で私を嫌っている人物が突然浮き彫りになる。
私がこのジャンルに来るよりも前から活動していた大手作家のIである。
正直私はしゃべったこともない。
いきさつはこうだ。
その大手作家Iはクラウドファンディングで集めたお金で二次創作をしている。
関わったことはないが、マジで有名なので疑問に思う人も多く、「募金で二次創作はありえへんやろ」と私もTwitterで呟いていた。
それが多分目に留まっちゃったんだね。
私は私で、二次創作で目を付けてもらってオリジナルの商業を任されていたのだが、その成り行きがⅠさんには募金で二次創作するのと同じに映ってたようだ。
とあるオフ会で「〇〇(私)は色んな大手作家に嫌われている!あいつと関わるのはやめろ!」と言っていたようだ。
ちなみにそのオフ会に私のマブいフォロワーちゃんが居たので、事細かく事情は聴けた。
私を嫌っているという大手作家の例の中にはマジで私の知らない作家がいた。誰だそいつ。勝手に嫌われてんのか私。
と思ったらその大手作家は2年目のアンソロの時に縁を切ったアイツの知り合いだった。
つまり間接的につながってるのだ全部。こわっ。2年経ってるんやぞ。
そしてその後、ちょっとした事件があり、私が長いTwitter生で初めて鍵をかけるに至る事があった。
その時にはすでに私はIをブロックしていた。
捨て垢という時点で十中八九私にブロックされている人なわけだが、私がブロックしてんのは誕生日祝い損ねた神絵師Cと例のIだけなので、おおよその確率でⅠである。
これでCだったら誕生日祝われなかったの根に持ち過ぎだと思う。
結局その事件も何とか潜り抜け、結果的にその事件は後日、いい感じの終わりを迎える。
あまりに良い感じに終わりを迎えた事件なので詳細を話したいけど、話すと察しの良い人にはすべてが分かってしまうので泣く泣く省略。
けど結構大きい事件だったようで、しかもいい感じに終わったのが許せなかったのか、これをきっかけにⅠは本格的に私を敵視しだす。
そしてこの年も、私の新刊は出た。
けど年末に活動してなかった同カプの文字書きが突如謎の人物から誹謗中傷され、なぜか私に「お前かもう一人の神絵師のせいだ。」と呪詛を吐いて消える。
同カプ神絵師には伝えないでおいた。
なにやら違うカプのコミュニティと仲良くし始めた。サークル参加やめるとか言ってたが描くのをやめて売り子を始めたらしい。
その中にはⅠと仲が良い作家もいたが、ただの絵描き仲間だろうと思っておいてた。
けど、イベント後にお疲れ様リプを送ろうとしたら、その作家たちの裏垢からの書き込みらしきものがあった。
っていうかID見えるようにそのままその垢でそいつらにリプする同カプ神絵師。ちょっとしっかりした方が良い。
悪い癖が出てそのIDで辿ってしまった私は、見たくないもののオンパレードを見た。
なんかいろいろ察した。
けど同カプ神絵師の発言にそういうものはないし、人付き合いでそういうアカウントと仲良くすることもあるよねと思って見ないふりをした。
その年、例年さぎょいぷをしていた同カプ神絵師に「集中したいからスカイプはしない」と言われた。
そういう時もあるよね~と思い、「おっけ~原稿がんばってくだしゃい(^▽^)/」みたいな感じで返しておいた。
若干モヤモヤしてたけど、もう4年の付き合いだし、信じた。
次のイベント当日。最悪だった。
都合が悪く私の知り合い達はあまり来れないと事前に聞いていたので部数が出ないのは覚悟していた。
それにしても最悪だった。
まずⅠを筆頭にその知り合いっぽい奴らが私のサークルの前でわざと避けるジェスチャーをする。
そんなんされたの中学校入学してすぐいじめの標的になった時以来だわ。
私の居る島をカニ歩きであいさつしてた知ってる作家が隣のサークルにあいさつし終わってたので、「こんにちわ~^^」って言うと舌打ちして踵を返していった。
舌打ちしていった作家は後で調べたらⅠが言っていた私を嫌っているという大手作家のファンだった。
こんなみじめなサークル参加をしたのは初めてだった。
でも結局本は売れた。
売れたけど何かものすごく嫌な気持ちが私の心に住み着いて離れなかった。
おかしいな。ちょっとマイナーなもの描いてるから、「興味ないな~」って態度の人と会うのは初めてじゃないはずなのに。
アフターでは同カプ神絵師が黙りこんで全然会話してくれんかった。スケブも拒否られた。
それでもまだ「他の人のスケブしてたししょうがないよね~スケブしんどいの分かるし」とか考えてた私は相当浮かれポンチキである。
一緒に参加してた人には「お疲れだったのかな~」とこれまた心配された。
で、「ちょっとイベントでは悲しいこともありましたが、このジャンル好きです!来年も来ます!」と宣言した矢先、
同カプ神絵師に縁を切られた。
4年間イベントの後毎回アフターもした。
誕生日会もした。
同じカプでわいわい盛り上がったし、雑談も話せるやろうと思い私は話題を色々振ってた。
色々あるとは思った。
女性には多いことなのだが、きっと何か小さなことが積み重なって縁を切られたというのが正しいんだろう。
それでもだ。私は疑わざるを得なかった。
これまでのことを。
ついに、私を嫌う人のよく分からない波が私の好きなカップリングにまで及んでしまったのではないかと。
今、まっっっっったく創作意欲がわかない。
それでも描き続けた私だったけど、描けば描くほど嫌われるんじゃないかという気持ちがぬぐえない。
私が本を一生懸命描いてイベントに持って行くと不幸になる人がいるのだ。
反撃をすべきだという声もあるかもしれない。
でも私の反撃はすでになされているのだ。
本を出す、イベントに顔を見せるだけで、たぶん大勢の人を不幸にしている。
ただでさえ感想を貰うこともほとんどないし、人を不幸にしかしないのなら、それはもう二次創作の範疇を超えている。
私の好きなキャラクターで人を傷つけたくはない。
私が消えても正直ジャンルは何一つ傷はつかない。
私が消えても素知らぬ顔で神絵師は同カプの本を描いてくれるだろうし、Iはこれからも人から得た募金で二次創作をしてそれを売って、お金を支払うことのない同人をするのだ。
それは私がただ好きなカップリングの本を描いて出すことよりも、よっぽど人を不幸にしない。
らしい。
たっけて
1話まで視聴
懐かしくて変な気持ち
ミンハイがかっこよかった
林原めぐみにまだ慣れない、「レザァマシオー!」と「アルルカーン!」が弱い気がする、前やってたCMは良かった
2話まで視聴 ◎
(リアルっぽいようでいて、創作お約束みたいなので『はずす』から気軽に見れていい)
2話まで視聴 ◎
見る気なかったんだけど、ドラゴンが面白くて結局見ることにした
気軽に見たい
2話まで視聴 ◎◎◎
今期のダークホース
現時点で一押し
なんだけど、何というか色々すごかった・・・好き
あとゾンビなのに皆かわいい、作画が全シーンかわいい、アニメとして色々つよい
これギャグしかやってないのにいきなり突き落としてくるやつだゾ(疑心暗鬼)
(百合に期待)
1話まで視聴 ◯
2話まで視聴 ◎
見る気なかったんだけど結構よかった
すげー丁寧に作ってるな・・・って思ったらTRIGGERだった
さもありなん
まあ割と「特撮をアニメにしました」って言えばそれまでなんだけど
あと皆かわいい
(ちなみに俺は特撮どころかロボすら苦手)
百合度 ★★★☆☆?
1話まで視聴 ◎◎
別名「ぎんいろモザイク」
正直これだけで今期生きていけるくらいのパワーが有る
百合度 ★★★★☆
1話まで視聴 ◎
尾崎由香、相変わらずネジ3本外れた砂糖みたいな声してて脳に響く
ほっこり系かと思ったが割と笑えた
親友の黄色がガチ百合っぽくてにっこり(名前まだ覚えられてない)
1話まで視聴 ◎
主人公に好感が持てた
1話まで視聴 ◯
阿部氏の演技が熱いなあ
百合度 ★★☆☆☆
1話まで視聴 ◯
百合度 ★★★★★?
1話まで視聴 ◎
1話まで視聴 ◯
「あ、ここからー」枠
ほとんどてさぐれの続編
1話まで視聴 ◎
こういう絵柄って女子向けでストーリーが苦手なパターン多いんだけど全然そんなことなかった
もふもふだった
ケセパサだった
男がかわいかった♂
百合度 ?
1話まで視聴 ◎
脚本家?が不穏とのことでどうなるか未だ様子見
1話まで視聴 ◯
黒髪のほうが即落ちするの可愛くて変な気分になる
でも一気に事が進展するのはあまり好きじゃない、そこはやっぱこれ系ジャンルっぽい
原作では一気に襲われてるシーンとか、マイルドになってるらしい
他の状況
でびどる → 悩ましい、ひもてはうすと同時期にあるの趣深い
SAO → どこまで見たか忘れた、これも悩ましい。個人的にSAOは1期が一番好きなんだよね
妹だけど妹じゃない → これ見るなら先にエロマンガ先生見るべきだと思うんだけど合ってるのかな(そして見ない)
ジョジョ → 前期で止まってる
逆裁 → 前期で止まってる
ゴールデンカムイ → 前期で止まってる
豚野郎 → 俺向きではない、たぶん宇宙より遠い場所とか見るタイプの人向けと予想
ソラとウミのアイダ → 少しだけ見た
閃乱カグラ → 友人が「モロ出しやんけ!」と言ってたがdアニメストアは規制有りだった
多すぎるって
そう言えば、今回全部ニコ動とAmazonプライムで完結してる、ついにこの時代が来たか
ピンクリボンの啓蒙のおかげで早期で見つかれば寛解しやすいことは広まりましたね。
そもそもが恐ろしい病気だという根底がぐらぐらしてしまっている気がしてなりません。
患者のメンタルケアも、ご家族のメンタルケアも同じように必要であると何かで読みました。
あなたやお子様の支えがあってこその奥様です。
私が辛い時、誰かにしてほしかったことが参考になればいいのですが、難しいのです。
つかず離れずがいいです。難しいですよね。
過度な心配も自分が死ぬことを期待でもしているのか、残されてしまった悲劇の人ぶりたいのかなんて疑心暗鬼に陥ってしまいます。
かといって、心配されなさすぎもさびしいです。自己申告制で辛さを申し出てケアしてもらうシステムだと我慢してしまいます。
奥様の日常をどうか大切にしてあげてください。変わりない日常が癒しです。
いっぱい笑ってくださいね。
これから寒くなるので、あたたかい飲み物を差し入れしてあげてください。
私は定期的に通院はしております。
社員の店長がタイムレコーダーを操作し、自分の休日を出勤扱いにしているのが内部告発から、防犯カメラのチェックにより発覚。
クビにしてぇ〜ふざけんなバカ〜
何よりお前何回めだよ
もう呆れて注意する気もおきんわ
なんで防犯カメラあるのにやるんだよ
そのくせ給料日には日本語が読めないスタッフが控除額について毎度毎度質問、
とあるバカは「私は●●さんと同じぐらい働いてるのになんでこんな給料すくない」と言われ、タイムカード計算させたら「あ、ほんとだ」と。
昔もバカを扱う仕事してたけど、バカはこっちのまともな提案には疑心暗鬼になり、他のバカが提案するバカ案件には乗っかり、騙されるって事をよく目にしててバカがバカに話すバカ語があるんだとずっと思ってる。
話が逸れたがほんとバカすぎてだからお前らの国は後進国なんだよって心の中で思ってしまうようになった。
はぁ〜つら
すぐクビにしてぇ〜
人間関係はとても良好で、オフィス環境も快適。業務は忙しいけれど充実している。とても恵まれた環境で働いていると思う。
ただ、ひとつだけ許せないことがある。
トイレのウォシュレットの水圧が、高い確率で、最大になっている。
私は臀部に爆弾を抱えている。
よりストレートな言い方をすると、痔持ちだ。
痔持ちの同士にはわかってくれると思うが、トイレにウォシュレットがあるかというのは生命線の1つである。
たまに腹を壊し、瀕死の状態で駆け込んだトイレにウォシュレットがあったときは、地獄の空の上から蜘蛛の糸が降りてきたカンダタの気持ちもわかるというものだ。
話を元に戻そう。あれは1年ほど前、この会社に入ってちょっと経ったころに、はじめてトイレで大きいほうの排泄を試みた。
自分はストレスに弱く、体質的に緊張していると出るものもなかなか出ないほうだ。
こうして用を足せるようになって、私も少しずつこの会社に慣れてきたのかな...なんて感慨に耽っていると、
私の肛門に槍が突き刺さった。
激痛に耐えかねて思わず「ア”オ”ッ」という声が出る。なんだ。何が起きた。
私の肛門に突き刺さったのが槍ではなく、最大出力に設定されたウォシュレットだと気がつくことに、そう時間はかからなかった。
ふざけるな。
お前は道徳の時間に何を学んできた?お尻が強い人も弱い人もいるっていう想像力はどこに置いてきたんだ?
そもそもウォシュレットって水圧でウンコを流すもんだと思っているのかお前は?
ウォシュレットの意義はケツを濡らしてウンコを落としやすくする以外に何があると思ってるんだ?
それをよりによって最強にする意味はどこにある?最弱ですら十分だろうが。
五体満足で鋼鉄のように頑丈なケツの持ち主であるお前は最大出力のウォシュレットでも物足りないのかもしれないが、
私のナイーヴなケツはそんな水圧に耐えられるようにできていないんだよ。
などと心の中で一通り悪態をつき、辛うじて一命をとりとめた私は、30秒前に抱いていた感慨などとうに忘れ、修羅の表情で業務に戻った。
それからというもの、用を足す時にはできるだけ水圧を「最弱」にするのを忘れないようにして、用を足すようにしている。
しかし、忙しいときや考え事をしているとき(そういう時こそトイレに入りたくなるものだ)、ウォーターカッターの如き水圧のウォシュレットは私の無防備な菊門を狙ってくる。
この1年間で、私は何度こいつに煮え湯を飲まされたかわからない。
前述したとおり、この職場の人間関係はとても良好だ。先輩も同期も後輩もみんな優しい。少ないメンバーで、かなりうまくやっていると思う。
「この中の誰かが、いつもウォシュレットの水圧を最大にしている」
「誰だ?どいつだ?」
「温厚な同期のAくん?」「職場のマドンナのBちゃん?」「凄腕エンジニアのC先輩?」
「クソッ、どいつなんだ...」
「いや、待てよ。複数犯ということは...」
「...」
私には、「こんなかでウォシュレットの水圧上げてんの誰だ?あ?お前か?お?」と凄むことも、
また、誰がウォシュレットの水圧を上げているのかを調べるために、人がトイレから出てくるたびにウォシュレットの水圧を確認することもしていないし、できない。
私の心も自分のケツと同じぐらいナイーヴだからだ。なのでこうして増田に書いているわけだが。
ウォシュレットの水圧を最大まで上げている奴に言いたいことはたくさんある。
トイレくらい気を抜かせてくれ、お前のケツどんだけ頑丈なんだよ、痔とかなったことないんだろうな、ふざけんなマジで...
でも一番言いたいのは、これだ。