はてなキーワード: 疑心暗鬼とは
優生思想の話とは少しずれるが
世の安易に「ナチスを擁護するオレ格好いい斬新画期的」と思ってる人には一言したい
絶対に自分をその優秀な人間に分類される側だとか脳天気に思ってるだろ?
で、ナチス時代のドイツではユダヤ人や非アーリア人は嫌な思いをしたけど
世間の大多数の普通のゲルマン系ドイツ人はみんな幸福だったとか思ってるだろ
ところがどっこい
世の中は「純血のゲルマン人は神/ユダヤ人はゴミクソ」とかいう
単純な二分法では割り切れず、大量の「白でもない黒でもない中間」がいるわけ
善良なドイツ人が皆お互いに
「お前、祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」
「お前こそ、曾祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」
「お前こそ5代さかのぼったら同上」
一生懸命に「理想的なゲルマン人」の骨格に合致しているかどうか
顔の額の広さや顎の広さをミリ単位で測って競い合うようになった
なまじ、ある一種類のみが優等、逆にこれは劣等なんて基準を作ると
際限なくこーいう相互疑心暗鬼で「こっちが優等」争いになるわけ
「みんな違ってみんな良い」などという綺麗事は言わぬw
フック型が有名になりすぎて外での着替えが疑心暗鬼になる
まじで怖くね?興味本位で始めたけど、全員怖く見えるし、書いてあることに本当のことなんてないんでは……という疑心暗鬼に陥る
最近Twitter上で小説の表紙を描きたい・描いて欲しい系のタグが流行っているのを生温い目で見守っている。
私は、いわゆる「字書き」といわれる二次創作者が苦手だ。
だが、もともとそうだった訳ではない。
人をカテゴライズすることを失礼だとは思いつつも、そうせざるを得ないくらい「字書き」には苦い思い出しかない。
長文乱文につきご注意ください。
私は絵描きなのだが、ありがたいことに相互フォローの字書きから小説本の表紙イラストの依頼が来たことがある。
誰かに寄稿を頼まれたこと自体が初めてだったのでジャンル別とはいえ、本当に嬉しかった。
数あるフォロワーの中から私に依頼が!と舞い上がっていたと思う。
表紙のデザインの打合せをして、「ああしたい」、「こういうのもいいよね」、なんて言い合いながら遂に表紙は完成。タイトルデザインも私。
気合を入れて制作したのが功を奏したのか、相手も気に入ってくれていたみたいだった。
賞賛の言葉を頂いて、「ああ、頑張った甲斐があったな」と充実感を得ていた。
イベント直前、字書きは新刊の宣伝をしていたので私自身の本ではないとはいえ、わくわくしながらチェックした。
…ん?私の名前は?
Twitterやpixivにも表紙画像付きであげているのに、紹介文に私の名前はどこにも無かった。
その後のツイートでも私に触れられることは無い。
通常「表紙は□□さんに描いて頂きました」とか書いてあるものだと思っていたけど、
この界隈はそんなものなのかな?と少しモヤモヤしたままその場は何も言わずにスルーしていた。
そんな気持ちのまま、イベント終了後に「表紙ありがとう」と書かれた旨の手紙と共に本が届いた。
字書きの名前は勿論、Twitterやpixiv IDまでしっかり記載されているというのに、だ。
え?なんで?と頭に衝撃が走って、真っ白になったのを覚えている。
もしも表紙イラストを気に入って私に興味を持ってくれた人が…、なんて淡い期待を思い切り打ち砕かれた。
でかでかと表紙イラストを飾っているにも関わらず、この本に「私」は存在しないのだ。
普通、ライトノベルでも文学作品でも表紙デザインの作者名は載っているもではないか。
あんなに打合せしたのに。装丁の相談だって受けたのに。睡眠時間を削って描いたのに。
全てがショックで心が張り裂けそうだった。
普通の人なら「奥付に名前の記載が無いんだけど!」と抗議しそうだが生来、人の顔色を窺って生きてきた私にとっては困難だった。
この一件で嫌われたらどうしよう…。
噂を広められて活動できなくなったらどうしよう…。
そんな考えが頭を巡って、結局どうすることもできなかった。あたしって、ほんとバカ。
聞いた話によると、この本の売り上げが字書きにとって過去最高の頒布数だったそうだ。
クソが。
残念なことにまだまだ続く。
上記の件もあり、すっかり疑心暗鬼になった私は表紙依頼を受ける時は、奥付に必ず私の名前を明記することを約束したうえで引き受けることにした。
今度は同ジャンルの字書きから、新刊の表紙イラストの依頼があった。
奥付の件も納得してもらえたので、表紙イラスト~タイトルデザインを制作。
問題なく入稿し、相手もイベントを楽しんでいたようで本当に良かったと思った。
イベントも終わって落ち着いた頃に、新刊を送りたい旨の連絡があったので私は快く承諾。
すると字書きは
「本代○○円 送料○○円 合計○○円です。」
は?????????????????????????????????
目玉が飛び出るかと思った。新手の押し売りかよ。
今まで表紙を手掛けてイベントに不参加の場合には、献本という形で送ってもらっていたので本当に驚いた。
一万歩譲って「私が表紙を描きたいと字書きにお願いした」のなら、上記の内容も分かる。
しかし、「字書きが私に表紙を描いて欲しいとお願いした」のにこの有様。
字書きは更に「振込はこちらにお願いします」と続けた。どうやら振込手数料も私持ちらしい。
印刷費厳しいのかな?と思い込むことで怒りを抑えて、支払った。
ええ、支払いましたよ。あたしって、ほんとバカ。
その後、奥付だけ確認して読まずに捨てた。高い勉強代だと思った。
クソが。
そんなことがありつつも、中には好きな字書きもいた。
支部で作品を読んで、その精巧な話の組み立て方、キャラクターの心情表現の緻密さに魅了された。
本職なのでは?と疑うくらいに、作品のクオリティが桁違いだったと思う。
Twitterで作品を紹介させて頂いたところ、ちょうどTwitterを開設したばかりの字書きの目に留まり相互フォローになって仲良くなっていった。
本当に好きだった。崇拝していた。
前述したとおり、私は絵描きなのでTwitterにイラストを投稿する。
字書きもそれに反応して、よく感想をくれていた。
しかし、徐々に感想は私のイラストとは関係ない字書きの宣伝にすり替わっていった。
イラストを投稿すれば「イラスト素敵ですね!そういえば、支部に作品を投稿しました。(支部のURL)○○が××する話なのですが、△△も出てきます」という具合に。
最初こそわざわざ教えてくれてありがたいな、と思っていたが8割方宣伝ツイート、
感想はおまけ程度、感想クレクレが滲み出た会話内容にだんだん疲れてきた。
字書きにも徐々にフォロワーが増えていき、私に構うことも減ってたまに会話する程度になった。それはそれで楽だった。
ある時、字書きは「○○はこんなこと言わないw」とツイートした。
私の新刊の内容であることは明らかでそれに派生して界隈を巻き込むプチ論争になっていたようだったが、私も納得する部分があるため傍観していた。
しかし、字書きの
「私の○○はこう!誰にも批判させない!」
この発言を、私は許せなかった。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、とどこかの皇帝も言っている通り批判したからには批判される覚悟を持たなければならないだろうと私は考える。
しかし字書きは、批判はするけど私のことは批判しないでね☆彡ときたものだ。
もう許せなかった。その思想が。神経が。
今まで積もり積もった鬱憤もあり、全てをブロックした。全てを。字書きの作品が目に入る全てを。
愛情の裏返しとは凄いもので、今まで敬愛していた作品も全部汚物のように思えてブクマを外した。
ぶっちゃけ最後は字書き関係ないけど、上記の以外にもいろいろあって字書きが苦手だ。
あと、字書きって聞いてもいないのに何で自分語りばかりするの?承認欲求の塊なの?
○○さんに私の作品が好きって言われました!××さんに新刊渡せた!とか、わざわざDMで送ってくる。聞いちゃいねぇ。
最近も、頼んでもいないのに字書きに新刊の紹介をされて押し売りされた。
イラスト等と一緒で絵柄の好みがあるように、小説だって文体の好みってものがある。
あと、ある字書きは奥付の記載には自分の名前とTwitter、pixiv IDや連絡先を載せてるのに、表紙担当の私は名前だけなのは何故なの?Twitterの宣伝でも頑なに私のID載せないけどなんなの?そういうものなの?これが普通なの?絵描きの情報開示したら死んでしまう病気にでも罹っているの?頼む治療してくれ。
絵描きだってアレな奴居るじゃん!と思われる方がいるだろうが、少なくとも私は絵描きに今までそういったことを受けたことはない。
中には良識的で素敵な作品を書き上げる字書きが居ることも知っている。
しかし、それさえも掻き消してしまうような特殊な字書き共が私の周りには多すぎた。
いや、苦手という言葉では生温い。
私は「モラルと常識が無い字書き」が嫌いだ。大嫌いだ。消えてしまえばいい。
当初述べた表紙タグで良心的な絵描きが、私のような目に遭わないことを切に祈る。
私は今請け負っている表紙イラストで小説本のお手伝いは今後一切もうやめる。
まだやってんのかよ!、と思われた方もいるだろうが断れない性格って本当に損するので今から矯正できる人は矯正した方が絶対にいい。
あたしって、ほんとバカ。
もう疲れた。
全てフィクションです。
ご譲位になられた平成天皇、お疲れさま。そして、令和天皇、よろしくお願いします。
と、テレビを見ていた。
あのね、ズラ。これだけは絶対にいけない。ズラなら、象徴天皇の座から下りるべき。
日本国憲法第一条で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあるわけですが、
ズラ。俺たちを偽る(騙す)ズラ。これ、許しがたくないですか?
ズラってだけで、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」にはなりえない。
もうね、国民は「ズラなんちゃうか」「いや、ズラではない」「ひょっとしたら」と、疑心暗鬼になっちゃうんですよ、「日本国民統合の象徴」と言えなくなっちゃう。
今の天皇は西日本の京都にでも帰ってもらって、西日本帝国(ズラジャパン)でもやってもらって、
上皇と悠仁でこちら東日本は日本帝国(ズラじゃないジャパン)をやってもらおうか、とさえ思っちゃいますよ。クーデターの火種になりかねん。
いえね、もし、令和天皇が、お禿になっておいでで、禿散らかして(これ、表現としておかしいよね、禿てたら散らかってねえし)たとしても、
もうね、50を超えているんだから、多少は薄毛でも、つか禿でもいいわけよ。
「お父さんふさふさなのにね」
とか臣民に言われても、「いやーなんでっすかね」とか明るく笑って答える、そんな天皇になってほしい。
市民、あなたはコンピューター様について何か誤解をされているようです。
パラノイアは1984年に発売された、冷戦下の赤狩りを皮肉るブラックユーモアに溢れたTRPGです。
舞台となるアルファ・コンプレックスは、サンフランシスコ地下にあるコンピューターの制御するシェルター都市である。小惑星の地球への衝突によりネットワークから孤立した各都市のコンピューターは、断片的な情報から共産主義国家の核攻撃中にあると誤認。結果、すべての都市は共産主義者に制圧され自都市だけが正常に営まれていると結論するに到った。以後数百年に渡ってコンピューターは「共産主義の攻撃」と「汚染」から市民を守護するという妄想を達成すべく、都市の人類が外に出られないように隔離し、独裁的・専制的・全体主義的な支配を行っている(ちなみに、XPの時点ではコンピューター歴214年である)。人類の自由を奪うコンピューターの支配体制は、かつてのアメリカが持っていた妄想的な「悪の共産圏国家」のイメージそのものである。共産主義者の攻撃から守るという名目で共産主義的な社会を作り出すというのは大きな矛盾なのだが、コンピューターはすでに狂ってしまっているのでそのことには気づけていない。
つまり、パラノイアでは市民は狂ったコンピュータ様の支配の下、特に存在しない脅威と戦い、どうでもよいミッションを遂行しつつ、適当な人を反逆者として今日も粛清しているのです。(ZAP! ZAP!)
アルファコンプレックスではこのような状況が長く続いたため、科学技術も衰退しきっています。
車に乗れば走っている間にタイヤが外れ、エレベーターに乗れば落下をし、銃を撃てば暴発します。
プレイヤーはみな疑心暗鬼です。理不尽なミッションを遂行するふりをしながらお互いに監視をしあい、隙あらば反逆者として仲間を処刑しようとします。
なかなか狂っていますね。でもゲームブックはさらに狂っています。
市民はセキュリティクリアランスに従い情報が制限されています。そしてプレイヤーのセキュリティークリアランス 赤(R: レッド)はルールブックを読むことができないのです! プレイヤーはわけもわからないままアルファコンプレックスに放り込まれまることになります。
ひょっとしたら自分で遊ぶよりも他人が右往左往している姿を見る方が面白いかもしれません。素敵なリプレイを紹介しましょう。
作り込まれたネタと表現力が魅力です。冒頭を抜粋してみます。こんなノリが好きならオススメです。ちなみに太字はプレイヤー名です。
みなさんは、いつものように仕事へ出かける前の朝食をいただくため、食堂に集まっています。
食堂は収容人数3000人ぐらいの、カマボコ型の天井をした、とてつもなく広い体育館のような場所を想像して下さい。
その中央を長いベルトコンベアーが貫いており、その上にはポリカーボネートの皿に乗った灰色のペーストが並んでいます。
直に匂いを嗅ぐと涙が止まらなくなる強い刺激臭と、スチールのスプーンすら溶かす強烈な味がしますが、食べてもすぐには死なない程度の安全性は保証されてい ます。
腹を空かせた市民達は、コンベアーに群がり皿を受け取ると、思い思いのテーブルについて食事を始めます。
食べ慣れていない市民などはスプーンをペーストに長く漬けていたため、スプーンを溶かしてしまうなどといった粗相をするものもいましたが、食事はおおむ ね……失礼しました、完璧に幸福に進んでいきます。
STAR-R:いやぁ、コンピューターのくださるお食事はいつ食べても美味しいですね~
Rese-R:当然だね。疑いようもなく、我々は幸福だ。
食堂には、より幸福に食事を楽しめるよう、娯楽としてテレビまで用意されています。
Rese-R:それにしても、いったいどんな番組が流されているのだろう?
ちょうど食事時の人気番組である「電子顕微鏡の世界」というのが放映されています。
この番組は、様々な金属の電子顕微鏡の映像を延々と流し続けるというもので……ちなみに、今日のテーマはベリリウム(原子番号 4 の元素。記号Be 原子量 9.013)です。
Rese-R:いよいよ、明日は「ホウ素」か、いゃあ~、楽しみだなぁ!!
STAR-R:まったくです。こいつぁ目が離せませんね。
(注: 本来の名前表示は「個人名」-「クリアランスイニシャル」-「ホームセクター」-「クローンナンバー」でしたが、読みやすさのため「個人名」-「クリアランスイニシャル」に変更しました)
雰囲気が伝わったでしょうか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/4665825756400927650/comment/fritzbeep 経由で来た。
妊娠初期はめっちゃ流産する。地球人の二十代で 1/10 くらいの確率。年取るともっと確率上がる。作中の人はタイミング法そろそろ諦めるくだりがあったから、4/10 くらいかな。大体初期の検診で発覚する。
初期流産はとてもよくあることなんだけど、いざ直面するととてもショック。そしてなぜだかあまり広まってない。
この時期の流産の原因としては遺伝子異常で成長できなかったパターンが多く、どうしようもない。
ちなみに数十年前はそういうのを知る技術がなかったらしく、多くの女性は初期流産を初期流産だと気付かずに「生理が遅れてきた」くらいに思っていたらしい。
これがあったから二度目の妊娠初期はすんごい疑心暗鬼になって、「今喜んではならぬ、また流れたらその分悲しみが大きくなる…」とつわりの影響含め能面みたいなツラして暮らしてた。
一度目は胎内で心臓が止まって、医師の判断で自然に流れるのを待たずに手術で除去した。(多分作中の人と同じ稽留流産)
体しんどいしお金かかるし(いくらか忘れたけど保険適用後の額で「Wii 買っておつりがくる…」と思った記憶がある)心はぬか喜びからの転落でボロボロだしで、これが 1/10 の確率でそこら辺の人に起きているということが信じられなかったけど、いざ話してみれば割と身近な人もそういった体験をしていて、そうか…これが「ようこそ世界へ」というやつか…みたいな気持ちになった。
雰囲気を出して避けられた、すらない。相手が欲しがってくれるの待ち。でも子供がほしいって入りじゃダメ。どういうわがままだよ。
頼み込む~相手から求めてくるの間に「そういう雰囲気になったから自然と」という広大なゾーンがあるんだけどそれに対する努力なんかしたわけ?
あと産後1年以内の女、というボロボロの状態について、把握しようと努めた?
やっぱり排泄のときとか痛かったりする?とかしばらく経ってから急に出てくるような体の不調ない?とかそういう
「この人は私の体も心も大事にしてくれてる」っていう実感たっぷり与えてる?
それは愛情だよ。お前がいうような惨めな行為じゃない。要するに原因はテメーのプライド。旦那が悪いの正体はだいたいそれ。
そういうところから頑張るべき。
ハァ?おまえらだって奢られたら嬉しいだろ?資本主義国で生きてんだろーがよ。金は力。疑心暗鬼なイカレ野郎以外、中流以上は全額奢ってくれるよ。
「財布出す素振りくらい見せろ」なんて細々とケチ入れつつモラル(笑)を引き合いに出して、さも正論かのように上から目線で来るけど、その素振りがおまえらゴミ男の自尊心満たしてか?で、「俺2000円奢った!やったぞー!」って?ちっさいわー、ほんと。財力ないだけだろ。難癖つけんなって。私は結局払わないんだから無意味な行動だよね。それやったから何なの?それが日本人のオモテナシ?笑 私ももちろん日本人だけど、本当にこの文化は支持できない。無意味。
そして男は奢れ。奢る金がないなら素直に「お金がない。半分出して」と言え。てめーらの自尊心を保つために、なぜ私が気を使わなきゃいけんのだ。
中でも幕末志士という2人組のゲーム実況者の動画、生放送が好きだった。
4半世紀一緒にいた親友同士の軽快な掛け合いと珍妙なエピソードに何度腹を抱えたかわからない。
動画を見ていると、ゲームをしている二人と一緒に笑っている気分になれた。
2019年2月23日の生放送で、幕末志士坂本が活動休止を宣言した。
休止理由かと思われた流出画像については別人だという言及のみで、度重なる炎上の結果心が折れたための休止宣言だった。
坂本休止中は西郷のみの放送、進行中の幕末志士関連コンテンツも凍結。
今まで水面下でのみ進行中だったコンテンツもなぜか放送に載せ、その休止を伝えていた。
報告だけで終わるかと思いきや、その後二人でスマブラSPをプレイして放送終了となった。
非常に混乱した。今もしている。
幕末志士坂本の顔写真や、彼女とされている人の情報には興味がない。
しかし、かといって昨日の放送の坂本の対応に納得できたかと言われればそれも違う。
心が折れてしまった為の活動休止とのことだったが、別人の顔写真が流失した今のタイミングでの休止は
「流出した写真が自分と認めた」という燃料をアンチに注ぐことにしかならないのではないか。
写真は別人だと否定し、写真の相手にも迷惑がかかるため流出をやめて欲しいと釘を刺した上で、
何事も無かったように活動を続けることが一番の火消しになるのではないか。
そんな考えが頭の中にある。
「坂本を信じて待とう」というファンもいるが、むしろ昨日の放送で信じることが難しくなってしまった。
一昨日まで信じていた坂本へ、今は説明をしてほしいという気持ちになっている。
幕末志士が好きだった。これからも好きでいたい気持ちもまだある。
坂本直通のアドレスも消すと語っていた為、義憤メールを送ることもできなくなった。
そして「ずっと待ってます!」というファンの態度に馴染めない自分がいる。
ずっと待っていたい思いと疑心暗鬼で引き裂かれそうな自分がいる。
信者になってしまう前に、アンチになってしまう前に、ファンとしての私の意見をここに残す。
私は幕末志士が好きだ。しかし、今回の騒動に対しての対応と昨日の放送は納得できない。
声優がブログで「ご報告」というエントリを上げても、どうせ入籍でも引退でもないだろうと高をくくるようになったきっかけの事件があったような気がして探したら出てきた。
声優・新谷良子氏がブログでまだ報告できない重大なことがあるというような思わせぶりなことを書いて、ファンが疑心暗鬼で結婚か、出産か、引退かと騒然となった。結局それはライブDVDの印刷ミスだと分かって拍子抜けしたという事件だったらしい。
チカラのみなもと。 2009-10-17 23:55:00
https://ameblo.jp/pinkbambi-ryoko/entry-10367365926.html
思い描くカタチ。 2009-10-18 23:55:00
https://ameblo.jp/pinkbambi-ryoko/entry-10368107075.html
お待たせしました。 2009-10-19 23:55:00
https://ameblo.jp/pinkbambi-ryoko/entry-10368827727.html
声優 新谷良子さんの “ショックな重大発表” に2ちゃんねるが大騒然:ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/insidears/archives/52050481.html
「バイトテロ」に憤る人というのが、自分には今一つピンとこない。
たとえば、2万店あるうちの1店のセブンイレブンで、おでんのシラタキを箸で口に入れた店員がいた。
事象は、推奨されるべきことではないが、この事象に憤慨している日本の一般市民というのは、いったい何の被害を受けたというのだろうか?
おでんのシラタキをアルバイト店員が箸で口に入れた。そんなこともあるだろう。その箸には、何らかの形で、店員の口内細菌の何万個かが付着したかもしれない。しかしその箸は、おそらく90℃以上の温度で煮える加熱容器に戻され、細菌学的には完全に消毒されたと言える程度まで殺菌されたはずである。心理的に気持ち悪いのは確かであるが、この時点ではまだお客に対する実害は発生していないはずだ。店に対しては? シラタキ一個分、100円余りの実害を与えたかもしれない。以上。
しかも、この事象が起きたことが確認されているのは、2万点のうちの1店のセブンイレブンである。日本中の「一般市民」が「自分の行きつけのセブンイレブンも同じことをやっているかもしれない!」と疑心暗鬼に駆られるのは、さすがに不安を感じすぎではないかと思う。
もちろん、「割れ窓理論」的な発想で、一事が万事と批判する人がいるのも理解はできる。一度タガが外れたアルバイト店員を許すと、同様の行為がエスカレートし、最終的には公衆衛生上の被害(例えば食中毒など)を生むような不祥事に繋がる、だからZero tolerance policyで臨むべきだ、と。それも分からなくはない。だが、そういう発言をしている人が、果たして現在「バイトテロ」に憤っているのと同じ熱量で、過去の食中毒事件に憤っていただろうか? その憤りはむしろ、心理的な、あるいは文化的なフィクションに根差しているのではないかと私は思う。
この文化的なフィクションとは何か、それは「我々は文明国家に住む文明人である」という幻想である。我々は、朝食のパンとコーヒーをコンビニでイートインし、昼には牛丼をテイクアウトし、夕食のおかずの足しにコンビニのおでんを買って帰る生活を、衛生的で文明的なものだと思っている。私は今日の日本の高い公衆衛生がある種のZero tolerance policyに基づく不断の努力で成し遂げられたことを否定するわけではない。しかし、その公衆衛生の高さを我々はもはや日常経験や、明確な統計上の数字で把握しているわけではない(40~50年前ならまだ違っただろう、「あの店また食中毒出したんだって」「あの地域は野犬がうろついているから危険」なんてセリフが日常であった時代だ)。我々は、「なんとなく衛生的で文明的な気がする」という幻想に基づいて消費行動を選択し、その幻想のもとで安心を得ている。安全衛生を求めているのではなく、安心衛生を求めているのだ。
そして、その幻想に基づいて合理的に(と勘違いして)選択した消費行動を、衛生的で文明的なものだと思い込み、それを自らの消費生活のアイデンティティとしているのが我々である。セブンイレブンやすき家を利用する我々は、ときにそこに差異化というスパイスを足して自らの「賢さ」の虚勢を張ってみたりもする。「地元のコンビニの○○なんてこないだ行ったけど汚くてダメ、やっぱりセブンがいいわあ」「(ライバル店の牛丼フランチャイズ)はマイルドヤンキーの溜り場で汚い、すき家の方が制服もスタイリッシュ」だなどと言ってみたりする。
ところが、「バイトテロ」は、この幻想を打ち壊してしまう。コンビニや牛丼フランチャイズを利用する生活が、「ささやかな文明的市民の衛生的な生活スタイル」だと思い込んでいた我々に、それが幻想にすぎなかったことを思い知らせてしまう。だから彼らは憤るのだ。「バイトテロ」の対象となった店舗をライフスタイルに組み込んでいた消費者は、自分たちがかつて行ってきたマウンティングに逆襲される。「セブンイレブンなんてアルバイトがおでんに口付けるような店、よく行けるわねえ」「やっぱり牛丼フランチャイズでランチ買うような層は下の方よねえ」と。消費者たちの憤りの本質は、科学的な衛生環境云々ではなく、「自分が(セブンやすき家のような)衛生的な店で食事をする文明的な人間だ」という、中流なりの自己ブランド意識(という幻想)を破壊されたことに対するものなのではないだろうか?
コンビニで働いていて、早くキャッシュレスにならないかなーと常々思っている。
「キャッシュレス決済を利用すると、店が手数料を負担することになり申し訳ない」みたいな意見があるけど、
いや、現金だって、みなさん気づいてないだけで、コスト掛かってるんですよ!ということを説明したい。
ここでいうコストとは、実際にお店が負担する支出のみならず、管理コスト、手間も含める。
まず、わかりやすいところで、お釣りの小銭や5千円札を用意するための銀行での両替手数料。
支払いで現金を受け取っているんだから、お釣りに困ることはないだろうと思われるかもしれない。
しかし、給料日明けとかは、コンビニを両替機だと思っているのか、1万円札で支払う人が増える。
そうすると、5000円札が急激になくなっていく。
このように、世の中のお金の流れは均一ではないので、あるときは500円玉が、あるときは10円玉が急激になくなっていったりする。
お釣りを払えないとなると、営業がストップしてしまうので、予備の小銭を用意するために銀行で両替してもらう。
1回数百円だけど、年間でざっと計算したら2万円ちょっと掛かっている。
夏暑かろうが、冬寒かろうが、台風が来ようが両替をしに銀行に行く。ふぁっく。
1万円札を出す客が割と多いので、お札を出して、渡して、小銭出して、渡して。
財布を軽くしたいと思う人が多いのか、端数の小銭を調整して、お釣りが5円になるようにしたり。
そのこだわりのせいで、客に小銭を出す時間・手間が掛かってる。
後ろに並んでいる人が待ってるし、店員も客が財布から小銭を1枚1枚出すのを眺めるのも、なかなかしんどい。
お昼時が1日の中で一番客数が増える。
貴重なお昼休みの時間が、自分以外のお釣りのやり取りに使われてるの気づいているか?
うちの店はお釣りが自動で出てきたりしない原始的なレジなので、
客が出した金額を店員が数えて、金額をレジに入力し、お釣りを渡す。
それを確かめるために、毎日5回くらい、レジの中にある現金と計算上の数字のズレを確認する作業をする。
そして、ほぼ毎日、過不足金が発生する。
原因がはっきり特定できるわけではないので、
店員としてはなんかモヤモヤするし、数千円単位で誤差が生じたときには、店員が盗んでいないかとか疑心暗鬼になって、店長にとっては大きなストレスとなる。
レジの精算作業とは、1日の売上を確定させる作業。現金をカウントし、レジの過不足金の原因を調べたり。一旦、レジを1台ストップさせるので、そのときに客の視線が厳しい。めんどくさい。
売上金を送金する前に、5000円札、1000円札が翌日不足しないように、売上金に含まれるそれらを、できるだけ1万円札に両替する。
めんどくさい。実にめんどくさい。この両替でミスをしたら、レジの金額を数え直したりする。うんざり。
コンビニに来る人の中には、本当にコンビニを両替機と思っている人がいて、買い物もせず図々しくも両替だけを要求してくる人もいる。
両替は断るように指導されているが、そういう人に対して断ってもいい顔しないので、その対応が疲れる。
これらの問題は、キャッスレスにしたら解決できる問題で、決済手数料を払って、面倒くささ、ストレスをお金で解決できるなら、ある意味合理的と言えるんじゃないかな。
まぁ、キャッシュレス決済って電気が必要になるので、停電しても即死しないような備えが必要になるんで、そこをクリアしないといけないんですけどね。電源のバックアップとか通信とか。
大学生だけど金がないので民間の給付型奨学金に沢山応募している。いくつかは奨学生に採用され、月何万か給付を受けている。超ありがたい。
民間で奨学金団体を運営しているとこはメチャクチャ多い。そんで世の中にはクソ奨学金団体もたくさんある。クソ奨学金団体にならないように奨学金団体の担当者には参考にしていただきたい。
給付型奨学金は給付額や知名度等のファクターによって採用倍率が全然違う。割とサクッと採用されるものもあれば、応募者が多すぎて全然採用されないものももある。申請書類を書いて送るのは死ぬほど大変なので見込みがない奨学金に書類を送るのは避けたい。倍率を記載してほしい。
・何を重視するか書いてほしい
小論文を重視するのか、面接を重視するのか、親の収入を重視するのか、全部重視するのか、基準を書いておいてほしい。親の収入で決まるなら俺は有利だから喜んで応募するし、小論文で8割決まるなら小論文だけメッチャ頑張るので、採用基準を書いておいてほしい。
手書きは単純に面倒というのもそうだし、字の綺麗さなんかも採用基準に含まれているかもしれないので疑心暗鬼になって記入に無駄に時間がかかる。こっちは手書きで書類を書きたくないし、そちらも下手な字を読みたくないだろう。パソコン入力OKにしてほしい。今どき就活だって手書きしないぞ。
地獄なのは小論文を手書きするパターン。これが超多い。2000文字とかを手書きするのは正直キツすぎる。わざわざ手書き指定しているということは、字の綺麗さも見ている可能性があるので、字が下手な俺は超大変。時間の無駄なのでやめてほしい。学生を応援するのが奨学金のあるべき姿なのだから、手書き小論文で余計な負担を強いるのはやめてほしい。奨学金団体の創立者はたいてい爺さんなわけだけど、爺さんの写真が奨学金団体のウェブサイトに掲げられていると「うるさそうな爺さんだなあ、手書き小論文で修正液使ったら減点されそうだな」みたいな疑念が生まれてしまう。百歩譲って手書きはまだ良いにしても、修正液くらいは使っても良いと明記してくれ。こっちは疑心暗鬼になっているんだ。
応募書類に大学教授の推薦状を添付しろと言ってくる団体が結構ある。マジで辞めてほしい。大学の推薦状なんて前科でもなければ書いてくれるんだからなんのフィルターにもなっていない。意味がない。それに大学の先生は暇じゃない。うちの指導教授は授業に指導に研究に大忙しで月から土まで毎日9時から9時まで働いている。日本の碩学にしょうもない仕事をさせないてほしい。機嫌を伺いながらわざわざお願いしに行くこっちの身にもなってほしい。「推薦状の推薦理由も審査の対象になります」なんてとんでもない奨学金もある。俺が素晴らしい人間だったら教授が書く推薦理由書も素晴らしいものになるの?そんなことないと思うけど・・・
採用されたら奨学生として実名が公開されるのはやめてほしい。公開しないといけない理由ってある?金のためだからしょうがないけど無駄に個人情報が晒されるのはキツい。
・必要ない事項を書かせるのはやめてほしい
性別とか書く必要ある?顔写真添付する必要ある?採用されるかどうかもわからないのに住所書く必要ある?顔や性別や門地で差別されているんじゃないかと思ってしまうからやめてほしい。書かせるのは選考に必要な最低限の事項だけにしてほしい。住所が必要なら採用者だけに書かせればいいと思う。