表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。
正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。
こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。
確かに今現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。
どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子をリビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子どもの記憶違いではないはずだ。
あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたときの記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。
他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。
これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。
子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子供相手にマウントを取りたがる親なのである。
もしかすると、この程度のことはごく普通のことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。
ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。
二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。
メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。
恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。
最近は小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。
私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉を額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。
中学では制服や校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則は部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。
しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛も晒していた。
そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)
中学三年間男子からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識が根付いた。
一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子の友達はいた。
だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスのボス的ポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。
中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前後から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。
要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである。
その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去の記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。
失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったからである。
私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。
それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである。中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。
中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。
中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校でとある文化部に入った。
彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。
だが、彼も所詮は男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子とコミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである。
この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。
それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。
勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。
同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。
基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生は別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ。
学校の先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。
高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。
学校の先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。
そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。
でも、それで人から好きだと思われることは無い。
人から向けられる愛情は、お勉強をいくら頑張っても手に入らないのだ。
そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。
色々ある中で、気遣いや笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。
愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。
少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。
自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。
高校で気付いたこの事実は、高校を卒業してからもだいたい事実だった。
ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。
そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである。
あの子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。
でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。
なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。
この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。
欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。
私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。
少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。
ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。
いつかっていつだろうな。
愛されないのに何で生きてるんだろう。
スミスのhow soon is nowの歌詞かよ
また「自己承認があれば生きていける!ママを求めるな!」っていう増田が沸きそうだな あ、でもこの元増田女か。だったらヨシヨシしてもらえそうだな