人は誰しも心の中に悪役を飼っている
自分の行いを正当化したいときなどに、その責任をその悪役に求める
社会で大きな問題が起こった時、その人は「きっとあいつがやったに違いない」と思ってしまう
宇宙人のせいにちがいない、オタクのせいに違いない、フェミのせいに違いない、ウヨクが、サヨクが、韓国人が、白人が、黒人が、女が、男が、父親が、悪友が
学校のクラスで1人超弩級の不良がいたとして、ある日傷害事件が起きたならまず「あいつかな?」と皆思うに違いない
何か悪い事件が起きると「パン人がやったに違いない」と思ってしまう
そして誰かが悪い事件を起こすと「彼はパン人に違いない」と思ってしまう
信じていた誰かが嫌いになったとき「君はひょっとしてパン人だろう?」と思ってしまう
「違う」と言われても「パン人だから嘘をついているに違いない」と思ってしまう
自分が複数人から批判されたときに、「彼らは悪魔だ」と考えて認知を歪め自己を正当化してしまう
その後どれだけ正しく考察してもダメだ、スタートラインが「彼らは悪魔」だから
・彼ら悪魔にも良いところはある
心の中に悪者を飼うのは悪いことではない