2018-11-12

悪役はいるか?

人は誰しも心の中に悪役を飼っている

自分の行いを正当化したいときなどに、その責任をその悪役に求める

酸っぱい葡萄で有名な認知的不協和ってやつだ

しかし悪役が強すぎると問題になる

 

社会で大きな問題が起こった時、その人は「きっとあいつがやったに違いない」と思ってしま

宇宙人のせいにちがいない、オタクのせいに違いない、フェミのせいに違いない、ウヨクが、サヨクが、韓国人が、白人が、黒人が、女が、男が、父親が、悪友が

 

こういうのって経験則から誰でも起こるんだ

学校クラスで1人超弩級の不良がいたとして、ある日傷害事件が起きたならまず「あいつかな?」と皆思うに違いない

それはその人がそういうイメージなんだから、ややしょうがない

でもこれをグループにすると問題になる

例えば「パン好きな人パン人)」を悪役にしたとする

何か悪い事件が起きると「パン人がやったに違いない」と思ってしま

そして誰かが悪い事件を起こすと「彼はパン人に違いない」と思ってしま

信じていた誰かが嫌いになったとき「君はひょっとしてパン人だろう?」と思ってしま

「違う」と言われても「パン人だから嘘をついているに違いない」と思ってしま

疑心暗鬼ループ

 

悪役をイメージ悪魔)にしてもいけない

自分複数人から批判されたときに、「彼らは悪魔だ」と考えて認知を歪め自己正当化してしま

その後どれだけ正しく考察してもダメだ、スタートラインが「彼らは悪魔」だから

・彼ら悪魔反省するべきだ

・彼ら悪魔にも良いところはある

のように、責任を負わせた前提とした結論しか出てこない

 

心の中に悪者を飼うのは悪いことではない

悪者が居ない世界は、行き場をなくした責任ストレス自分に向けるしかなくなる

でも暴走すると認知が歪むということには気づいておきたい

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