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はてなキーワード: 総本山とは

2018-12-19

南青山こそ迷惑施設総本山なのにね

1.青山霊園

住宅街のど真ん中に、あの規模の墓場があるというのは日本でも例が無いのではないか

豊島区雑司ヶ谷霊園と面積ではい勝負か。

墓場なんて、普段は近づきたくもない場所だし、南青山住民墓場そばで暮すことに違和感はないのだろうか。

2.青山斎場

有名人が死んだりすると、通夜葬式をやるので日本一有名な斎場

良くテレビで映されるし、芸能人も良く来る。

葬儀所や火葬場なんて、迷惑施設の中でもゴミ焼却所と並んでトップの部類だと思う。

3.在日米軍麻布基地

パスポートを持たない外国人が、基地の中で得体のしれない何かをしていると思うと、不気味だよね。

普天間よりもこっちを日本返還してほしいくらいだ。

4.首都高速3号渋谷

昔ほどではないけど、高速道路沿いは車の排気ガスで汚ない。

高速道路沿いなんて、人間の住む場所じゃねえよ。

2018-08-29

香害とか化学物質過敏症とか言ってる人が、それらを批判する総本山はてなに来て、アジ文を投稿してるのが謎なんだよな。

2018-08-04

anond:20180804102145

で、その収入を減らすことの総本山新自由主義なのですが?

あと、とにかく競争を増やせば質が良くなる。

まあ、わからんことはないが、書類を増やすなということと、書類を増やすならその金と書類をこなすスタッフもきちんと割り振れってことで。

しろ本体のもの関係いから」と雑用周りの予算はどんどん減らしますがな。

多く要望するのならきちんと収入も増やそうな。

2018-06-25

経緯は無視して他人を口汚く罵倒していた闇ネットいじめ総本山増田みたいな感じで叩かれるんやろなあ

2018-05-26

anond:20180526134908

はてながまさに弱者いじめ総本山だしな。物理的な反撃がないのをいいことに粋がる粋がる。ヤンキーネット版がはてな民という人種

2018-05-08

統一教会二世信者に生まれた話


結論から言うとめちゃくちゃ精神を病んだ、

という話。

統一教会、というのはご存知の方も多いと思いますがざっくり言うとキリスト教ベースにした新興宗教です。同じキリスト教系でいうとエ〇バとか、仏教系で言うと創〇学会とか、その手の怪しくて迷惑集団の親戚みたいなものですね。統一教会も怪しくて迷惑集団です。

具体的な活動としては、韓国北朝鮮統一のためにデモ運動やビラ配りをしたり、男女数千人が集まって教祖(お父様と呼ばれる)もしくはその代理(数年前に教祖が死んだので組織の偉い人もしくは教祖の子孫)から「祝福」と呼ばれる儀式を受けて合同結婚式をしたりする、そういう集団です。教祖(北朝鮮人)は「イエス・キリストの生まれ変わり」という設定になっています

その辺りをなんとなく踏まえて頂けるとわかりやすいかと思います

私が生まれる十年ほど前、両親が統一教会合同結婚式結婚しました。

両親が何を思ってその時期(信者統一教会から抜けさせるために監禁行為すら行う被害者の会存在した時代)の統一教会に入ったのかは分かりませんが、とにかく、彼らの唱える真実の愛とか何とかに救いを求めたようで、そして「祝福」の儀式を受け、引き合わされて結婚しました。

この場合結婚相手というのは信者が選べるわけではなく、上の人が適当に決める相手になります

両親もその時に初めて出会い結婚しました。

私は生まれた時から信者でした。

毎週日曜日になると「礼拝」と言って、教祖(とその子孫や上位の信者)の出版した本を読み、我々のなすべきことは統一教会による宗教統一教祖を中心に据えた世界平和である、みたいな話を聞くために「教会」に集まります。大抵が古いビルオフィステナントを借りて改装した、怪しい感じの場所です。

私のような二世信者、もしくは親が入信したために一緒に礼拝に連れて来られる子供のために、子供向けの礼拝も行います

教会には教祖を祀る祭壇があり、その方向を向いて礼拝を受けます

まず、神様教祖を讃える歌を歌います

キョンべーと呼ばれる土下座のような韓国式の礼をします(略式の立礼で行う場合もあります)

盟誓を唱えます(私は統一教会人生を捧げます、という内容の定型文です)

君たちはこれから世界統一教会のために変えていくんだという教えを受けます

そして、教会に来ない人はサタン(人間堕落させた悪魔)に支配されている哀れな人だ、などの批判をひとしきり聞いた後、君たちはそういう相手を救う存在にならなければならない、という話を聞きます

お祈りをします。(教えを踏まえ、今後自分がどのように変わっていくか、行動していくかを誓うことが望ましい)

献金します。(収入の1割が望ましいとされる)


子供向けの場合は、聖書の内容を勉強したりもします。多少統一教会風にアレな解釈はされていますが、だいたい創世記からイエス・キリストの復活くらいまではざっくり教わります

それと同時進行で、教祖イエス・キリストの生まれ変わりであり神の子だ、という話と、教祖の生い立ちも勉強します。まあ多大に美化された話ですが。

そういうわけで、我々二世信者ほとんどが、小学校くらいまでは割と素直に統一教会を信じています洗脳ですね。

あと時々、韓国にある総本山的なところまで行ったりもします。儀式バンバン全身を叩かれたり、床で寝起きしたりする過酷な感じですが、行くと「凄いね」「偉いね」と言われるし、あの極限の生活の中で何かを見出す人も多いようで割と皆さんよく行ってます。私も何回か連れていかれました。体調を崩しました。


恐らく統一教会でない人から見れば結構な異様感があると思いますが、私には、教会の教えも礼拝もすべてが普通のことでした。そして、二世信者の大抵がそうであるように、私も「この世」(統一教会でない、世間一般社会のこと)と統一教会とのギャップに戸惑いました。

統一教会では、恋愛、化粧、お洒落服装、遊びに行くこと、世の芸能人に興味を持つこと、教会勉強以外のことに時間を割くことが基本的禁止です。信者以外の子と遊ぶこともあまり良いとされていません。

学校では皆が話している内容についていけず休みの日に遊びに誘っても乗ってこない、そういう子がクラスでどういう扱いを受けるかは考えなくてもわかりますね。私もそうでした。




さて、困った私は、嘘をつくことを学びました。

小学校では恋愛の話になるので、クラスの誰々くんが好きだと言い、家に帰ったら、そんなこと考えたこともない!それはいけないことだって教会で学んだよ!と言いました。

バラエティは見せてもらえませんでしたが、親が許可した子供向けのアニメは見せてもらえました。テレビの話は、中学年頃までそれで乗り越えることができました。

友達が喋っている芸能人の話は一切わかりませんでしたが、たまに見る写真を覚えて「○○かっこいいよね」と言ったり、なんとなく話を合わせていれば、なんとかなりました。

家に帰って、親に「お友達の誰々ちゃん芸能人の○○が好きなんだって!」と言うと嫌な顔をされたので、「今日は誰々ちゃんポケモンごっこをしたよ!」と作り話をしました。

子供向けアニメに出てくるような、些細な恋愛描写にすら母親が冷たい目をするのが怖かったので、知らないふり、わからないふりをしました。

それでいいんだな、これからも両方に嘘をつき続けていけばいいんだなあ、と思っていました。

ですが、嘘ばかりついて他人とまともなコミュニケーションを取ってこなかった私は、中学生になる頃には典型的な「空気が読めない子」になっていました。

中学生になると、空気が読めないということが命取りになりますね。まともに育った子でも修羅経験するような年齢ですし、その時期であっても嫌われる程度で済んだのは本当に幸運だったと思います。結局私は、クラス40人のうち30人には嫌われているが隅のほうにいる3~4人のグループに入り常に固まって行動する、みたいな中学時代を送りました。

あと私の中学ビーバップハイスクールみたいなところだったので、誰も根暗ときに興味を持つ理由がなかったのかも知れません。隅のほうにいる根暗悪口なんかより、校舎内に原チャで乗り込んでくる同級生の話ほうがよっぽど刺激的ですし。

統一教会のほうでは、小学校時代よりも本格的に洗脳教育が強くなりました。

普段礼拝に加えて、STFと呼ばれるエリートコース選抜されるためにハーフマラソンを走らされたり教祖出版物を読んでレポートを書かされたりしました。

また「将来立派な職業につき、高い献金を納め、その地位でたくさんの人を勧誘できるように」という理由で、良い成績を取ることも求められました。

教祖の子孫や、組織幹部来日(基本的朝鮮系なので)した時のために歌やダンスなどの見せ物の練習もするようになり、平日の晩まで教会に行くようになりにました。

このハーフマラソン過酷で、中学生の未発達な体なのでまれに死人が出ます。それでも、それが「神様のため」「教祖のため」だと信じて走るのです。そう信じるように、上が指導します。

断食します。大人になると40日くらいやったりします。これもときどき死人が出ます

また、二世信者には「祝福」を受ける義務があります

恋愛をせず、女は処女で男は童貞のまま、統一教会儀式によって引き合わされた相手結婚をする義務があります純潔教育というやつです。

恋愛沙汰の多くなる年代になったこともあり、純潔教育は一層苛烈になりました。簡単に言うとセックスは罪、セックスすることは堕落、ということですね。セックスに対する罪悪感をめちゃくちゃ植え付けていく感じです。

恋愛は罪、化粧は悪魔を誘惑する悪いものカラオケゲーセンなどの学生の遊び場は悪魔がいる場所、そういってほとんどの娯楽が制限されました。学校の友人から遊びに誘われることは、悪魔の誘惑とされました。

その年代の子供が楽しむこと全般制限されるようになりました。




この辺で、学校統一教会を両立することが辛くなってきました。

学校でも、教会でも、嘘をついて話を合わせることに限界が近くなっていました。日曜日友達の誘いを断る理由説明出来ないし、教祖出版物を読んでも心から信じているわけではないかレポートが書けないし、成績も良い数字を維持できなくなりました。頑張っても頑張っても「もっと頑張れ」と言われることに気が遠くなりました。

このままいけば、「祝福」を受けることになるだろう、ということも嫌になりました。少なくとも両親は統一教会出会って結婚したこと幸せだったようには見えなかったので、両親のようにはなりたくない、と思いました。

統一教会とは世間一般から見て異端で、気味の悪い存在なのだと分かったのもこの頃でした。


中学の終わり頃、景気の悪化父親借金を重ね、ついに首が回らなくなり、昼はサラリーマン、深夜は新聞配達、土日は警備員アルバイトをする三重生活をするようになりました。

統一教会の末端信者は、大抵が低所得層です。私の両親も例に漏れ低所得層で、三重生活になる以前から家賃光熱費を滞納したり、金のことで両親が揉めたり、両親の貧乏コンプレックスを日頃から聞かされるくらいのことはありました。この後、それが霞んで見えるほどの地獄を見ることになりますが。

私が高校に上がった頃には、父親は毎晩深夜2時に起きて真っ暗な中で「神様!!!」と狂ったように叫びながら身支度をして家を出ていき、新聞配達バイトを済ませて朝六時頃に帰宅、仮眠をして昼の仕事をして何かをブツブツ呟きながら青黒い顔で帰宅、夜9時に就寝、という生活をしていました。

母親転職ストレスで、大量に食材を買い込んでは放置して腐らせ、家中異臭をさせていました。

父親が就寝する夜9時前になると、両親は教祖の書いた本を声を合わせて音読し、祈りをささげ、キョンべーをします。(家でも各々で礼拝しましょう、というのが推された時期でした)

真っ暗な中で発狂したように叫ぶいい年の男性と、異臭がして近寄れないリビング想像してください。めちゃくちゃゾッとしますね。それに家の中で礼拝が行われることも加えると、この家に自分の味方は誰もいないのだと絶望した気持ちになります

ついでに言うと両親の暴言も酷かったですね。神を信仰している、平和を願っている、統一教会による真の愛を世界に広めていこうと言ったのと同じ口でまあまあの暴言が飛んできます。そして、それを二世信者相談すると皆「うちもそう」だと言っていました。

何が正しいかからなくなりました。

そういう経緯で、幼少期から洗脳によって培われたはずの私の信仰心はマイナスになりました。

この時期、家が悲惨な状況部活人間関係が合わなかったストレスもあって、精神に不調をきたして胃液を吐くようになりました。

リストカットもするようになりました。常日頃から「お前の体は神様教祖様にもらった大切な体だ、お前が粗末にしていいものではない」というような教えがあったので、自分の体がボロボロになっていくのは最高の仕返し感がありました。ざまあみろ、と本気で思っていました。

私は高校に上がって以降ほとんど礼拝に行っていないので、最近の教えの方向性ほとんど知りません。

ただ伝え聞く限りでは、2005年頃には「2008年には統一教会世界に認められている!」と言い、2008年頃には「2012年には統一教会による平和世界が実現する!」と言い、2012年には「2015年には以下略!」と言っていたそうなので、今もまた同じことを言っているのではないかな、とは思っています。もう2018年ですね。

さて、精神に不調をきたした高校のあたりから、私は「統一教会自体が間違いである、よってその結婚で生まれた私は存在自体が間違いである」と考えるようになりました。

ハンガーストライキのように食事をとらなくなり、やせ細ると、母親は私が食事を食べられるようになるようにと「祈願書」というものに手を出しました。お願いごとを書くと、教祖やその周辺の人が神様に届けてくれる紙だそうです。ン万円します。

まり書くと個人的な憎しみが前面に出そうなので控えますが、マッチポンプとはこのことかと思いました。あくま個人の感想です

そのあたりですべてが嫌になって、男の家に家出し、処女を捨てました。16歳でした。






その後は水商売で働いて一人暮らしをし、夜で稼いだお金短大を出て、今は昼の仕事をしています

両親から統一教会から離れるために、私はたくさん抵抗をしました。

統一教会信者として生きていく気はないことを何年も言葉で伝え続けましたし、分かってくれないなら死んでやるとも脅しましたし、親が泣くまで責めたことも数多くあります。既に純潔でないことも、夜の商売自傷行為で体がボロボロなことも伝えています。生まれてこなければよかった、とも言いました。

それでも伝わらないことに、両親が私に「祝福」を受けさせるのを諦めていないことに、もう疲れました。

今、私は毎朝晩、数種類の精神薬を飲みながら働いて一人暮らしをしています精神調子を崩すと過呼吸を起こしますし、どうしても、普通環境に生まれ普通に育つことができた人に対する劣等感があります。少なくとも統一教会でなければ良かったとずっと思っています

カルトマルチなど、「異様な集団」の気配を察知すると過呼吸を起こします。宗教話題が出ると頭が真っ白になります統一教会育ちであることがバレて周りに軽蔑されないか、ずっとずっと不安です。

そういう後遺症のようなものが、統一教会を離れて何年も経つ今になっても残っています


二世信者には精神を病む人や自殺をする人が多いと聞きます

自分の育った環境が異常であると気づいてしまうこと、

外の社会での生き方を教えてもらえないこと、

若い頃に恋愛、化粧、年相応の娯楽の一切を制限されること、

死ぬまでずっと生まれや育ちに劣等感を抱えて生きていかなければならないこと、

それがどれほど、普通の人の中で生きることを困難にさせているのか、きっと親世代信者は知らないのだと思います。言ったところで伝わることはないのかもしれません。

きっと統一教会信者のすべてが、私の両親のような人ではないのでしょうし、もしかしたらとても人格のできた人もいるでしょう。

教えにしても、もしかしたら本当は間違っていないのかもしれません。教会を離れた私の判断がすべて正しかったと言い切ることもできません。

ですが、幼少の頃から社会と相容れない信仰を植え付け、世間の「普通」と自分の「普通」とのずれを味わわせることを、正しいと言うには疑問があるのです。

それでも統一教会を選んだ二世信者もいます

選べなかった私のような二世信者もいます

せめて、外の世界の人に、私が見てきたものを知って欲しい気がして、当エントリを書きました。

私の意見二世信者代表というわけではありませんが、もしも、共感して頂ける二世信者がいれば嬉しいです。こういう子供がいたのだと、知ってくださる外の世界の方がいればもっと嬉しいです。


普通でない環境で育ってしまった、すべての人に幸あれと願っています

2018-04-05

からリベラルポリコレフェミニズムっていうのが一種新興宗教なんだよ

それで日蓮宗創価学会みたいに他宗を排撃しているわけだ

総本山カリフォルニアフランスとあと北欧のどっかな

2018-04-01

anond:20180401103737

神社庁なんか古いままでいいじゃんの総本山取り巻きいから、動きは一番遅いよ。

多分一番最後まで現金社会じゃね?

2018-02-07

ブラック総本山編集プロダクション

なんだか編プロ編集プロダクション)の話が出ていたので思い出を語りたくなった。

そんじょそこらブラック企業も顔を真っ青にして逃げ出すブラック企業がのさばっているのが編集プロダクション世界だ。

業界が古い、仕事内容が特殊、憧れる人間が多い、縁故仕事が発生する、単価が安価……などなど、ブラックになりやすい背景はゴマとあるのだが、業界論を語れるほど偉くもないのでこの辺の理由は飛ばす。

私が編集プロダクション入社したのは2000年ごろ。社員10名未満の小さい会社で、だいたい3〜4社から仕事をうけており、常時5〜6媒体案件があった。記事単体のものもあれば、雑誌まるまる一冊を請け負うこともザラ。

逮捕歴のある社員が在籍しているほか、アル中仕事中にビールを飲んでいる人もいた。専門学校卒業した私は新卒入社することとなる。

環境は以下のとおり。

anond:20180206221002

2017-12-08

2017/12/06 Haru.Robinson 2nd One-man Live 「Urban daysレポート

スペイン坂付近はずいぶん変わった。

入口はオクトパスアーミーではないし、アンナミラーズはもう高輪しか無いらしい。中腹あたりの人間関係はずっとあるけれど入ったことがない。なんといっても総本山PARCOがない。

そんなスペイン坂の頂上近く、裏の代表だったはずの猿の服屋の下、たしか映画館があったあたりに、その日の会場であるライブハウスWWWはあった。

Haru.Robinsonの音楽を初めて聴いたのは『愛が降る街』が公開される少し前、まだその名義になる前のYouTubeの生配信だった。

声の伸びがしなやかで、少年のような外見とあいまって美しい。高音の少しの危うさがそれをなおさら強調させ、これは女性は好きだろうなと思わせる。

その印象通りに会場内は7割位が若い女性男性は本当に少なくて、そのほとんどが関係者か付き添いかといった感じ。

ひとことでいうととてつもなくエモいライブだった。

アーティスト然としていない近所の服屋の店員のような格好で、かすかに照れながら「シンガーズ・ハイ(本人談)」の状態で歌う彼は、ポエジーなその歌詞を本当にすべてを信じているようにも見え、その彼の創り出す音楽女性たちは恋をしているように聴いている。

いや、けっして男性がいられないような空間ではないし、男性からこそ楽しめるところもある(と思う)のだが、このエモさはなんだろう。

楽曲YouTubeSoundCloudで聴けるものを中心に、新曲最初最後に。

セットリスト最初メモっていたのだけど、途中で面倒になってそのまま左にフリックしてしまったのが悔やまれる。

1曲目はライブタイトル曲にもなっている『Urban Days』。アルバムは当日発売なのにもう一緒に歌っている女性がいて、Haru.Robinsonとこの曲のファン層の強さを感じた。

『愛の降る街』は安定の名曲だが、続く『降雪歌』の潔さと合わさって、より孤独感が感じられる。遠い街で空を見上げる時には孤独を受けいれなければならない。その寂しさと力強さをギリギリラインで保ち続ける声と姿が素晴らしい。

今回のアルバムには入っていない『Howl』のアレンジが良かった。メロディアスで浮遊感のある、しか安心させてくれないキーボードがどこか『ヘッド博士世界塔(フリッパーズ・ギター)』を思わせる。渋谷からかな。懐かしい感じがして。ネオンテトラの色彩がサイケデリックさえ感じさせる。

欲を言えば今回(たぶん)歌わなかった『Lyrical Parade』で、道玄坂から公園通りまでを間奏のBaroque Hoedownに合わせてマジカルでファンタジックに突き進むようなHaru.Robinsonも見せて欲しかった。それは、また、どこかで。

ラスト曲『Brand new day』は今回のアルバムには入っていない。何もない日常がたったひとつの何気ない出来事で、ほんの少し進んだ世界に描き変わる瞬間に立ちあえる曲。これが入っていないのは本当にもったいないしょうがいかYouTube再生回数を増やそう。

アンコール1曲目は『Identity』。イントロ女の子たちの歓声が上がる。たしかにこれは生で聴きたかった。できればダンスも見たいのだけど。

アンコール2曲目の新曲『春風』も良かった。スロウでメロウバラード3月発売らしいが、実はFacebookファン女の子がアップした路上ライブ動画が見れる。配信時代ってすごい。

最初MCで彼は「なんとなく揺れて気持ちよくて楽しいって曲はHaru.Robinsonにはないんです。頑張って歌うから頑張って聴いてください」と語った。

しかに全曲が全力で、縦ノリでも横ノリでも休める曲がない。バンド構成も見事で、ずっとパンフォーカス状態から、これは正直疲れる。

しかし「頑張って歌うから頑張って聴いてください」というそれは「寿命を少しだけ削って 聞いてくれたことまず感謝します(『Identity』)」という彼からの、僕らへの挑戦でありまた僕らがたったひとつ果たすべきアンサーであると思う。

それに続く「でも 睡眠時間を削って 君に書いた歌はまたボツになる」という歌詞は、同じこの日に発売となった椎名林檎の『人生は夢だらけ』にある「こんな時代じゃ手間暇掛けようが掛けなかろうが終いには一緒くた きっと違いの分かる人はいます そう信じて丁寧に拵えて居ましょう」と同じく、すべての届けたい相手(つまりリスナーであるわたしたち)に対するアーティストからの最大のリスペクトだと思うのは僕だけだろうか。ここでいう「君」は特定恋人でもいいが、もっと不特定多数の彼の音楽を待つ誰か、もしくは彼が贈りたいすべての誰かでもいいんじゃないかと思う。

彼のそのへんの兄ちゃんのような風貌からは、真摯的という言葉はまったく出てこない。

そして彼のサウンドは純粋音楽として楽しめるものではあるが、僕はどうしてもその節々から音楽に、またそれを求めている誰かに対する誠実さを感じずにはいられない。

たぶん、だから女性がきっと、彼の音楽に夢中になるのだろう。か。

http://harurobinson.com/

2017-10-27

いきいきママって、twitter検索しても言及してるのは、おおもとの増田みたいだから

キモカネおっさん総本山はてな集合知がこしらえた藁人形だったりする側面もありそう。

早くおっさんも単体生殖できるようになるといいね

2017-09-25

はてなって味方なら騒ぐなだし敵なら大騒ぎだよね

一言で言えば党派性なんだろうけどさ

政党批判なんかは当然このロジックだし

ミサイル原発難民なんかの話題もそう、

最近妙に増えたのが日本技術云々で、普段個人情報がどうとか言ってるくせに

中国企業がすごいのは法律を守らないからだとか肯定的コメントしてるやつが出始めた

いや日本企業でもそうだよね

任天堂とかは馬鹿みたいに擁護する

ゲハなんかはこの手の総本山みたいなところだけど

日経報道でも気に入らなければデマだなんだと大騒ぎ

GREEはいまだに任天堂の倒し方ネタでいじられる(GREEそんなこと言ってないんですよ)

あと眼前に目視できる問題意識高い感じで叩く糞ロボットみたいな感じもくっつくともう最高に糞って感じ

謝罪話題になったDeNAは叩くけど、無視決めてるネイバーはには何も言わないみたいな

2017-07-08

オレは安倍総理のお陰でネトウヨ卒業できた

オレは安倍総理のお陰でネトウヨ卒業できた

安倍さん感謝してます

こんな屑がネトウヨ総本山でほんとよかった。

おかげで目が覚めました。

2017-07-02

日本人はなぜ入門者に厳しいのか?

週末の書店

プログラミングコーナーに行くと、いつもうんざりした気分になる。

何故ってこんなに入門書が溢れかえっているのに、何一つとして入門者向けの本が無いからだ。

日本書籍小売の総本山神保町三省堂書店の棚の端から端まで見た所で、ビギナー向けの本などありはしない。

なぜなら、入門書を謳っている本のコードほとんどが動かないコードからだ。

入門書だと言うのに、ページを割くべきところに文章イラストを割かない本が多すぎる。

例えばポインタコンストラクタインスタンスカプセル化…それぞれの概念

イラスト入門書だってそうだ。「入門」と書いてあるからといって、開いてみればデッサンや形のとり方を教える本などありはしない。

そう、日本入門書とは「元々デキる人がリメディアルとして持っておく本」のことであり、「ビギナー向けのウェルカム本」ではないのである

からといって、誰もがpython専門家になる胎教を受けて産まれるわけではないし、誰もが10代で写真と見まごうスケッチを描けるわけではない。

基本的には「デキる人」に着いて指導してもらうのである

では、その「デキる人」は誰に教わったのか?やはりデキる人たちや、海外入門書を車座になって読んで学習したのである

しかし、その「始祖・デキる人」がヒーロー時代とは、今とは複雑度合いも、求められるものも違う。

今は学生であっても、ある程度の高度な成果(ここでは、ネットで発表したものネットニュースでバズった経験や、学会評価された経験のこと)があって始めて企業受験票でしかない。

なぜ入門者向けの本がないのか?

それは(少なくとも)日本人初心者嫌いの民族からである

習うより慣れろ。仕事は見て盗め。教えられるのを待っているな。・・・

自分より出来ないやつに教えるのが大嫌いなのだ。(入門書の著者ですらそうなのだ!)

上にあるように、ある程度デキる人でないと、その手の会社には認められない。

からといって、大学教育で手ほどきを受けられるわけではない。これもある程度デキる人向けなのだ

では、書籍自助努力を、となっても、文頭にあるように、入門書向けの本など無く。

デキる人に一子相伝の手ほどきを受ける必要があるのだ。

では、デキる人はどこにいる?これもやはり雲の上の大学しかいない・・・

今はネットがある?これも難しい。

知恵袋や、teratailであっても、初心者に与えられる答えは「ググレカス」のみ。

では、ネットジャストな回答があるか?といえば・・・ない。基本的には公式リファレンスコピーや、動かないコードしかない。

デキる人は、デキない人の気持がわからない。何がわからないのかわからない。

からあいつらがわからないのは、あいつらが勉強不足だから、と考える。

からないのは、あいつらの自己責任だ。だから初心者は嫌なんだ。となる。

適性を測っている、という見方もある。

しかし、適性というもの基本的にやらなければわからないもので、やる前の教育から放棄しているのは適性を測るというより、

単純に教育放棄しているだけにほかならない。

日本人初心者軽視、というか教育軽視は今に始まったことではない。

「失敗の本質」でもそれは指摘されている。ということは戦時から既に教育嫌いなのだ

職場でもそう。教えられるのを待っているな、と言っておいて、いざ聞きに行けば「常識でわかるだろ」「ネットで調べて」「リファレンスマニュアル調べて」

学校でもそうだ。

授業の勉強も予習が前提。では授業ではより高度な話をするのか?しない。教師我流の演習である

演習するだけならば、家や図書館黒本赤本を解いていたほうがマシじゃないか

学校教育ですらこうだ。

日本人はとにかく初心者が憎い。潰したくて仕方がないのだ。

2017-05-21

変な話

やら管(シナ人)の自演テンプレ4種類 編集

1. AnonymousDiary (分断工作)

http://yaraon-blog.com/archives/105605

2. 偽Twitterアカウント作成 (悪意の攻撃)

http://imagizer.imageshack.us/a/img631/8162/M2CLTD.jpg

3. なんJ (自演タイトル)

http://imagizer.imageshack.us/a/img923/3234/SR0PYa.jpg

4. ふたば (風説の流布)

http://imagizer.imageshack.us/a/img923/6349/Q7CeQH.jpg

やらおんというクソアフィ反日ブログ

なぜが コメ欄で(シナ人)と(支那人)は禁止言葉

http://anond.hatelabo.jp/20170519231538

シナ人画像掲示板(海賊基地)総本山 中華字幕メンバーの大群れ 毎日にっぽんの知的財産権しんがい!

2cat.or.tl/~tedc21thc/new/

海賊の群れ かしら(首謀)

vincent1883@gmail.com

imagizer.imageshack.us/a/img922/2551/Iu1cIZ.jpg

imagizer.imageshack.us/a/img922/2968/S2Ormw.jpg

世界汚物シナ人 シナ人海賊版サイト違法リスト

ゲーム=│2D.G.F.│=支那人 bbs4.2djgame.net/home/forum.php

エロゲーム=支那人 www.mikocon.com/forum.php

アニメ支那人 http://jac-animation-net.blogspot.tw/

http://dmxz.slieny.com/

音楽支那人 http://jpmdblog.com/

漫画支那人 http://haruka-yumenoato.net/

2016年10月28日シナツイッター微博ウェイボー)で、違法に入手した映像勝手字幕を付け、ネット上で公開する「字幕組」のメンバーが新たに逮捕されたと伝えた。

京都府警は27日、アニメ違法配信したとしてシ-ナ人2人を逮捕した。  

2人は、アニメ等多数の映像ネット上でシナ語字幕を付け無断公開し、東京都製作会社著作権侵害したとして逮捕

2人はいずれも「字幕組」のメンバーだった。

なぜシナ人は 

いつもA-1とPAWORKSを叩くのか

日本コンテンツ破壊工作微博ウェイボーからの人々?

2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山寺院である本尊地蔵菩薩、開基は園城寺三井寺)の僧快賢である中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。

目次 [非表示]

1 歴史

2 境内

3 文化財

3.1 重要文化財

3.2 焼失した重要文化財

3.3 重要無形民俗文化財

4 行事

5 関連項目

6 アクセス

7 脚注

8 外部リンク

歴史[編集]

園城寺三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗総本山奈良唐招提寺寺院である

中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。

江戸時代後期の幕末には京都治安維持目的活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠壬生村の八木家に置かれた。当寺境内新選組兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年昭和37年7月25日放火により本堂とともに焼失した。現在本尊地蔵菩薩立像は、火災後に本山唐招提寺から移されたものである

境内[編集]

現在の本堂は1970年昭和45年)の再建である境内には他に大念仏堂狂言舞台重要文化財)、近藤勇銅像壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩立像唐招提寺旧蔵、平安時代

錫杖(しゃくじょう)

紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)

壬生寺念仏堂狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)

典拠2000年平成12年)までに指定国宝重要文化財については、『国宝重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録名称索引統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

焼失した重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊鎌倉時代

木造四天王立像 鎌倉時代

金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと

以上3件は1962年火災で焼失した。[3]

重要無形民俗文化財[編集]

壬生狂言

壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)

行事[編集]

壬生狂言

毎年節分春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財指定されている。公開は2月節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照

壬生六斎念仏踊り

年中行事として、かつては毎年8月9日精霊迎え火、16日の精霊送り火23日の地蔵盆壬生寺で上演されていたが、現在は9日にの実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照

地蔵盆時の出開帳

壬生寺は、地蔵菩薩本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵石仏を貸し出す、俗称レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。

京都でも新興住宅地などでは地域地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410123254

大筋同意なんだけど、2つ目の理由は全く説得力が無いような。元増田に言うなら1つ目の理由スカートの方が古い)だけで良かったような。

まずスカートのシルエット論が逆。リアルフォーマルであるドレスは、歴史的に見ても踝丈より長いフレアであるし、足を全く見せない方がフォーマル度が高い(ロングドレスカクテルドレス)。じゃあなんでOLスーツは膝丈タイトなのかというと、個人的見解としては。

1920年代以前は、女性スカート労働者階級も含めて踝丈以下(女性は足を見せないのが基本)だった。当時シャネルが膝(下)丈スカートを作ったのは、画期的なことだった。ちなみにシャネルのコンセプトは、女性を窮屈なコルセットから解放すること。膝(下)丈スカートは当時、超モダン。女が足を人前に晒すなんて、保守派から非難轟々。

現在サラリーマンの源流である都市型知的労働者が登場したのはこの時代タイピストなどの職業婦人も遅れて登場した。彼らは、モダン社会の中の超モダンとも言うべきウルトラハイパーモダン存在。この職業婦人服装として、当時の超モダンアバンギャルドアンチテーゼである膝丈スカートが相応しいと考えられた。

しかし、この時点でもまだ、女がズボンを履くことは考えられなかった。女がズボンを履く歴史第二次大戦中の工場労働(男手不足)から西洋古典を読むと、女のことを「スカートを履いたもの」と表現する例が頻出する。第二次大戦以前は、服装の性規範は強く、女が男の格好を(男が女の格好を)することは難しく、社会的な逸脱を意味した。この辺の流れが、女がパンツスタイル(男の格好)なんて生意気であるという意識に繋がっているかもしれない。

OLスカートのシルエットがタイトなのは、膝丈スカート創始者であるシャネルデザインスタイルとして確立してしまったこと、当時の保守であるロングフレアに対してタイトが新しかった(それが超モダン存在である職業婦人に相応しいと考えられた)ことあたりだろう。まあタイトスカート窮屈死ね!と思う人はシャネルを恨めばよいと思うよ。それでもコルセットから解放だったんだけどね。

そして時代が流れ、かつてのアバンギャルド保守本流総本山となり、その理由も忘れ去られるほど時間が経ち、元増田の疑問に至る、と。

2017-02-21

日本宗主国が、こんなヘナチョコになるとは…。

2000年代になってからは、貧民の頭の良い層を取り込もうとし、いろいろなことをしたが、最終的に実質失敗している。どの世界も第二のアメリカの座を巡って競争を繰り広げているが、総本山ファシズムナチズムに乗っ取られてからはどんどん衰退している。やはりユダヤ人が帰ってくるしかないのか…。

2017-02-14

「人の宗教を笑うな」

なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情存在するのか。yahoo!トップに踊り狂う、幸福科学文字新興宗教危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。

俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通企業をやめて宗教団体職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿!?」と思ったものだ。

父はずっと家にいなかったから、俺と家族宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。


大川隆法スーパーライブin東京ドーム

コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話

http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/

これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所ミスチルコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。


東京都内のどっかの集会

これも小学生の時。父親仕事を見る、的な学校課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージ葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。


総本山的な施設での墓の説明

これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文テープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブセットリスト1曲目のやつ!


散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモ面白い対象なんです。


③の施設見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方経営難ゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから洗脳されちゃうよね。歴史教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだからアパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。


出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対世界を全く家族押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来自分課題や状況に合わせて、必要から門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供自然教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。


時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田投稿する文章ぽちぽち考えている。iPhoneスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的ヤフーコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的コメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。


そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?

答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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