「門徒」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 門徒とは

2017-05-19

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

2015-08-01

ミニマリスト田舎者馬鹿にする

よく見たら魔女狩りガーって騒いでいたミニマリスト、だいぶ前からブログやってたんだね。

だれだよミニマリスト連中は最近になって唐突に現れて暴れだしたか迷惑って言ってたやつ。地道に頑張ってきた人がようやく花開いたって目線で見てあげられないのかよ。

ビックカメラとかイオンを使ってる人を馬鹿にしたがるところは昔から変わらないみたいだが。

「町のネズミ田舎ネズミの違い。田舎ネズミにはIT学歴必要ない。必要なのはイオンと車と実家のみ。人口1割のサムライ階級から見た百姓一向宗門徒ヤンキーに見えるだけで昔から先祖がしてきた生活のまま 」

というコメントを見ると、どうやらミニマリストの人は都会人というアイデンティティがあることが判明したな。

2015-05-04

俺、親鸞共感しまくり。

 生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。

 世を苦行だと捉えるのが一般的仏教根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界から脱出意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすエリート意識

 しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。

 教義としてのオリジナリティ法然にあるのかもしれないが、親鸞事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。

 ここからは俺の独自解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。

 生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目しかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。


 結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。

 ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。

2013-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20131109232417

※なんか書いてみたら長文自己満足かもしれない記事になったのでとりあえず注意。かいてるぼくはおもしろかった。

さてさて、まだここ見てるかねぇ、元増田さんは…

というわけではてな匿名ダイアリー初カキコしてみるのん

まず、ここに書き込まれた今までのトラックバックを見て欲しい。大体2,3タイプ居ることに気づくのでは?

すなわち

①「世の中は理不尽不条理でどうしようもなく厳しいのがデフォ。だからそれを前提に生きろや。甘えんな」派(父性系)

②「無理しなくたって、いいんだよ。たくさん頑張っても、肝心要の自分が亡くなったら意味ないよ…少しずつ、考えていこう」(母性系)

(③「どっちでもいい。あわよくばネタに走ってみよう」(中立系))




とりあえず③は無視して置いておくとして、

このエントリー結構重要な要素である仕事観』に関して、世の中にいる多数の人が①と②に大別されるんでないかな、と個人的には思うのですよ。私的な体験としてね。

で、なぜこの2タイプに大別されるのか、その原因を考えてみたんだけど、結果から言えば

『どの業界に入ったか

という結論に辿り着いたわけですよ。

おそらく、どちらの業界に入ったか人生観が「①父性系」か「②母性系」かに分かれていきやすいと思うのん。すなわち、

超厳しい業界→「①父性系」になり「やすい」

そんなに厳しくもない業界→「②母性系」になり「やすい」

(あくまで比率の問題ということに注意。つまり、この業界にはこういう人が割合として多いよ、というだけのお話ってことを念頭に)

こうして、「どっちの言い分が正しいのん!?!?!?」という思い込み的な、大前提とされていた的な何かは解けたのではないだろうか?(そんな思い込みないんだろうけども話の展開上都合がいいのでそういうことに)

さて、これで仕事に対する価値観(『仕事観』)は相対化出来ましたよっと。

あとは、各々がどちらを選ぶのかという選択になる。今回の場合元増田さんがどちらを選ぶのかということです増田

「①父性系」の価値観 or 「②母性系」の価値観 さあどっちを選ぶん!?


注意したいのは、経済的な定規では選択はできないということ。

まり、「①父性系」が高給取りだとか、「②母性系」がそこそこの給料だとかという問題ではないということ。


世の中にはほんとにいろんな業界がある。

よって、経済的な定規≠「①父性系」・「②母性系」どっちよりなのかという定規、ということなのですん。経済的な有利不利は、また別問題ということですねん。

なので、まぁ気が向いて「職についてやるか!しょうがねぇなあ…」ってなってハローワークとか民間転職企業を通じて職を探す時に、この二つの価値観を元にした定規を頭の隅にでも持ちながら決めてみると良さそうだよね。

まり自分なりの基準(経済面なのか業種なのか、それは人によるけども)で職を仮決めした後、それはどちら寄りになりやす業界なのか(「①父性系」 or 「②母性系」)をしっかり吟味してから、職にありつけばいいんでないかな。

元増田さんは「②母性系」の価値観の方に共鳴してるっぽいので、「②母性系」の人が多い業界に入るといいんじゃないかなと勝手に推測。

――――――――――――――――ちょっと余談―――――――――――――――――

個人的にも「②母性系」になりやす業界オヌヌメするけども、不思議な事に(僕にとって理解し難いことに)、わざわざ自分から茨の道に挑戦したがるワーカーホリックが世の中には居てねぇ…「②母性系」な業界では満足できない人が「①父性系」な業界に行っちゃうことも結構あるみたいなんよ。(ホリエモンとかそうみたいねニコ生USTREAMとか見てると)もしかしたら、元増田さんもそんなことがあるかもしれないけどもちょっとそれは責任持てないのですね。 ((まぁここに書いてあること全部責任持てないんですけどね…何気に人生に関わる問題でもあるので))

逆を言えば、「②母性系」の選択肢を取る人って世の99%を占めてそうで、案外もっと少ないとも言える。

なのでそこは変な後ろめたさとか感じずに、堂々と(「ヌルい!」と「①父性系」な人からバッシングされそうな)「②母性系」な人の多い業界を選ぶといいと私は思うのですよ。

――――――――――――――――余談終わり。―――――――――――――――――

まーまとめると、

  • 「①父性系」も「②母性系」も、どっちも同じように素晴らしいし、どっちも同じようにそんな良くはない。
  • ヌルいと言われそうな業界(「②母性系」な業界)は確かに人気があるけど、世間の人が思ってるほど羨んでる人は多くないですよ、っという。
  • 逆に、厳しい業界(「①父性系」な業界)に自ら好んで心の底から飛び込む人も、世間の人が思ってるよりは結構多いですよ、っという。(慶応とか早稲田卒業生たちとかね…何考えてんだろうねあの人達
  • あなた別にどちらを選んでも、ただの好みの問題なので別に悪いことはないし、文句を言われる筋は実はないのですよ、っと。そうすると多分幸せになりやすいですよ、っと。

こんな感じです。

あなたは、結構自由なのですよ。多分、思ってるよりだいぶ。

もちろん、他の人達もですけども。

あと朗報かもしれないあれ。中小・中堅企業に限れば採用門徒フリーターだろうが無業だろうが限りなく広いらしいので、案外普通に受かっちゃうかも。ソースは某転職マンガに出てくる中心キャラ元ネタの人の新書



※超余談

ちょっと元増田ダイアリーとは趣旨的なのがズレたかねぇ…

そもそも元増田さん「働きたくない」っつってんのになんか働くこと前提になっちゃった気もしないでもないし。

あとこの論世界規模まで抽象化しようとすると疑問符だらけになりますけど、僕が日本限定で考えたのであたり前田です。これ以上仕事観の規模を抽象化して範囲を広げるのは例えクラッカー食らってもちょっと興味ないので無理ですのん。すまんのぉ。

あと匿名ダイアリーだとはてな記法の「脚注記法」使えないのかよーがっかりだよーブーブー

2008-07-23

必要なし

 門徒の多くは、浄土真宗の教えや伝統教団に対する信頼感を失っている。

『往生浄土』『他力本願』などの教えの根幹にかかわる言葉が現代人に理解されなくなっている。

 そもそも、僧侶自身がそんなものを信じていない。

2008-06-06

 葬式仏教といわれて久しいが、今、その葬式や法事からも寺院僧侶は必要とされなくなってきている。

 門徒であれば会費や寄付を要求される。

 門徒でなくても聴聞はできるし、寺に依頼しなくても葬儀社に相談すれば僧侶のあっせん、僧侶抜きの葬儀や法事をしてくれる。

 門徒であるメリットは、と問われたら何と答えればいいのか。

 http://kazoku.sub.jp/etc/080513anon.htm

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん