はてなキーワード: 門徒とは
これって、とりあえず、唾をかける(夜の営み系以外)、暴力、土足苦手な日本においての土足など汚い部分充てる、など
自分にやられて嫌なこと、痛い汚い怖い悲しいことは他人生き物はもちろんものに対してもやめましょうね
普通の人はここで蹴らないになる
で、次の段階でがくんと検討を行う人数が減るのだが
感情以外の要因で蹴っちゃあだめか否かとなる
空き缶は誰の所有物でもないし、そもそも無価値なので蹴ってもよし(夜道での騒音などに配慮できれば)
蹴るじゃないが、ちょっと(下)足で支え(操作す)るの行儀遵守と効率判定
面倒なので冷蔵庫の下段は足で閉じるは土足でなければありと思う人も(食堂の厨房の冷蔵庫とかも。靴じゃなければ、膝太ももセーフとか)
石製で頑丈な墓
下手したら年に数回しか掃除(掃除というなの草むしりと申し訳程度のゴミ拾い)しない墓
感情抜きにしたら蹴っても(足で触れても)いい部類の存在だと思う
宗教的に到底受け入れられない人が多いと思うし、増田も基本的にはそうやけど
一昨年ぐらいに、法事があっていつもはそこの現当主さんみたいな僧侶さんが来るんだけど、葬儀が入ったとかで、跡取りの若めの方が来られた(多分まだ30代)
凄く勧誘好きで、親戚のおばさんたちもお話し好きだから法事が終わった後も色々語りあってた
その中で、(ご亭主の)宗派が違うから知らないのか、何度聞いても忘れるのか、古くなった経本どうするかって相談があって
増田が盛大に誤解してるかもしれないが、誤解を恐れずに言うと、大原則として別に経本も仏像も墓も位牌もいらんってのが浄土真宗らしい(経本ごとき古くなったら普通に捨てれば?)
そんなもんに宿るとかないから
物は物 あちらはあちら
ただ、それじゃあ檀家さん(門徒さん)の気持ちが収まらないから(と、寺の存在意義なくなる)、他宗派ぽい感じの様式を残してるのだろうなというのをうまく説明してはった
瞬発的な殺意に留めず綿密な殺害計画を頭の中で練ってみるのはどうだろうか
(自分の場合はその瞬間に脳内で相手を袈裟掛けにしてるけどね)
自殺についても「苦しくない・痛くない・あまり怖くない」方法をきちんと調べておく
希死念慮来たらそのアイテムを見て「これで本当にだいじょうぶかな?」とじっくり考えること
(自分もそうしている)
「怒りは6秒我慢」っていうルールからしたら、上記のことに取り組んでる内に絶対落ち着くわけだし
ぐわー!!ってなったらきちんと計画を立てる様にする
そもそも衝動や計画を実行に移しちゃう人は違う病気だから、絶対病院行ってお薬貰ったり入院したりしないと駄目だ
ぐわー!!ってなるだけならそんな心配するようなことでもなかろう。誰にでもあることだし
ただ、お父さんみたいに「言葉として発する」のだけはやめた方がいいね。その瞬間に言葉だけは飲み込んで、素早く計画を練り始めること
お互い、大脳辺縁系に振り回されずに前頭葉を活性化して生きていきたいもんだね
(他のコメントにもあるけど、運動は本当にいいよね。実際に効果あったよ。人間が変わる感じがした。タバコ吸い始めてからは運動しても効果無かったけど)
じぶん、門徒だけどね
聖奈さん「男女問わず4人って書いてあったけど、メールの文章で女子の応募イコール採用って書いてあったから」
江本伸哉教授「だからそれは君が女だと思ったから書けたんだろ」
せなさん「自分は男ですから、女子が優先的に採用されるのであれば・・・」
江本伸哉教授「だからそれは公式的には言えません。言ったら問題になるから。だけど僕の腹積もりではあなたが女だと思ったから、あなた女だったら優先的に取るつもりだよと。でもあんた男だからそれは聞かないと。そういうことだよ。でもそれは公式には言えないからね。私的なやり取りだから言っとくけどね」
「あなたのことを女だと誤認したのは僕のミスだけどさ。でもそりゃしょうがないわな、あんな名前なんだからさ。ふつうは女性だと思いますよね。
あのメールのことは忘れてください。私的な会話だと思ってください。公式には出せません。公式に私がゼミの案内に出したら、そりゃもう他の人からクレーム来る。学部長から『君、これダメだね』って。
腹の中でどう思ってようが自由なのよ。実際って決める決めないは僕の権限だけど、表立って門徒を閉ざすことはダメなの。
女だけとか男だけってのは、これはマズいわけ。だから企業もやってないだろ?だけど実際は採用した結果どうなってるかだけ見ると男が多かったり女だけだったりするでしょ?
メーカーだって秘書さん採用とかっていって男も来るんだぜ。でも結局通るの美人の女だったりするわけでしょ。でもそういう時『女は取りません』とは書いてない。
ブラックとホワイトが来て『ホワイト取りません!』とは書いてない。絶対書けないアメリカでは。カラーの問題はかけない。でも実際ね、ホワイトが取られるのよ。
そういうの気にする人もいるし、気にしない人もいる。でもそりゃあ最終的に採る側の権利、権限なのよ。
いろんなもので判断した上で『やっぱりホワイトがいい』『いや私はこの黒がいい』って決めるのと同じことよ。
採用ってそういうことなんだよ。最後は決める人が権限持っているわけでさ。四の五の言われる筋合いじゃあないんだよ。
機会は与えるわ。結果の平等はないよ。結果は、その採る側がいろんな都合を考えて決めるわけ。」
ふむ
まあしょうがないよなあと思う
日本人の中には、子どもが生まれるとお宮参りをし、結婚式は教会で挙げ、お葬式はお寺でするということに、何の抵抗も疑問も持たない人々が多くいます。
結局は、神道もキリスト教も仏教も本気で信じてはいないからだともいえますが、では、信仰心そのものがないのかといえば、そうではないようです。
例えば、仏滅の日は割引をする結婚式場があったり、友引の日は休業する葬儀場や火葬場があったりするのは、そういうことを気にする人が決して少数派ではないからです。何かの教理に基づいてはっきりした根拠を持ってそれを避けるというわけではなくても、縁起が悪そうなことはできるだけしたくないという気持ちには根強いものがあるようです。
テレビ番組や雑誌に占いのコーナーが欠かせないのも、先祖や水子のたたりを脅しの手段に使う霊感商法が成り立ってしまうのも、人々の中に目に見えない超自然的な力や霊の世界を漠然と信じる心があるからではないでしょうか。
この漠然とした気持ちがひとたび具体的な信仰の対象を得ると、驚くほどいちずな強さを見せることがあります。例えば戦国期の一向宗の門徒たちは、当時の大名たちが恐れてその顔色をうかがっていた織田信長をも敵に回し、命を賭して戦いました。キリシタンたちも、キリシタン禁制がしかれてからもその信仰を捨てることなく、拷問や死刑によって命を落としていった信者たちが大勢います。
明治から第2次世界大戦が終わる頃にかけては、天皇を現人神とする皇国信仰が日本の宗教になったともいえます。特に敗戦間際には、最後には神風が吹いて日本が勝つと信じたり、天皇のために死んでいくことが最高の名誉とされたりする世論は、まさに宗教そのものでした。
終戦とともに天皇が神の座から降り、日本の経済が発展の一途をたどり始めた1950年代後半になると、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「3種の神器」と呼ばれるようになりました。これらをそろえれば幸せになれるという日本国民の心情を表したネーミングです。
「宗教に頼るほど弱くない」と言って、真の意味で何にも頼らず、何にも左右されず、ただ自らの努力や才能、目に見える世界がすべてだと思って生きている人は、実は日本の中で(あるいは世界中どこを探しても)少数派なのではないでしょうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716
京都新聞で真宗大谷派の謝罪が話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。
kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インドの被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本の被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。
記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣の月光と大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナ(カースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。
まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本が発見されないかぎり。
また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒の一般的な理解なのだと思われる。
さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃(和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身の文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。
言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しかも相互に矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師が重要視されてきて、祖師が無視していれば無視できると思われる。
今回は、祖師(この場合、親鸞)が無視していないから問題になっているのだろう。
そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子だから、仏教が差別意識をもっていたということでもある。教えの主体は釈尊が中心ではあるが、ときに仏弟子がそのようにもなる。
こちらの記事も拝読しておりました。なかなかお一人お一人の思いにすべて反応できず、余計なご心労をお掛けしてしまったこと、お詫びいたします。
あなたがお怒りになるだけの経緯はよくよく伝わってきました。自分の思い・はからいによって得ようとした結果が、期待していたものとはまったく違ったことを嘆かれている訳ですね。裏切られたような怒り、蔑ろにされたような悲しみが、少なからず私にも感じ取れました。
あなたの仰った通り、その寺院が以前は対応していたはずのところを取り止めた、ということであるならば、御朱印を求めて参拝した方に対する態度・応対というものは、もっと丁寧で親身であるべきだろうと私も考えます。むしろ私ならそうします。どのような形であれ、寺院に足を運ばれた方との貴重な仏縁なのですから。たとえ自宗の教義信仰、方針と違ったとしても、お相手の労苦をねぎらいつつ、また同時に、自身の立場をはっきりと分かりやすくお伝えする義務があると思います。
ですから、寺院の応対の不誠実さという点については、おこがましいこととは承知の上ですが、私が当宗門を代表してお詫び申し上げます。せっかく遠いところから時間と体力を割いて足をお運びになったにもかかわらず、ご期待に添えることができなかったばかりか、宗門そのものに対する疑念と憤りを抱かせてしまったことを、大変残念に思います。
そして、御朱印の記帳を浄土真宗が行わない理由についてですが、私どもの立場をはっきりと申し上げますと、
御朱印を集めても、それが救いにはならない
と信じているためです。
真宗門徒は、お念仏ひとつでお浄土に往生する道を“聞き”ひらく教えです。つまりそこには、お念仏のみ教えを“聞く”という過程が求められます。“聴く”ではなく“聞く”ですから、受け身です。「(俺が私が)聴いてやる」とか、「それなら聴いてもいい」とか、そういう思いでは成り立ちません。仏から、相手から、聞こえてくる、聞かせていただく。このような心をまずお育てにならなければ始まりません。
かつて、浄土真宗のご門徒に、布教師や講師の話を一生懸命ノートに書き写す方がいました。その方はいつでも聞法ノートを携え、全国各地の法話や講義に赴いていました。その熱心さには誰もが驚くほどで、どれだけ遠かろうと時間がかかろうと、その方はとにかく聞法を続けていました。
ある時、宗門では有名な講師が講義をした際、その方は講師の元に駆け寄り、ご自分のノートを講師に見せました。「私はこれだけのことを学んできました、そんな私のノートに、何か一言お願いします」とその方は講師に頼みました。
という強烈な一言でした。
彼はいつの間にか、教えを“聴く”心になっていたのです。いただいた教えよりも、「これだけ教えを“聴”いてきた自分がえらい」と勘違いしていたのです。努力している自分・熱心な自分という姿に陶酔し、肝心要のことがまるで人生と心に響いていなかった。そういう態度を戒められるための一言でした。
御朱印を集めることによろこびや達成感を抱かれる方が多いのは私どももよく理解しています。それが思わぬ形で仏縁をもたらすことがあるのもよく理解しています。
だからこそ、かつて御朱印を取り入れた過去があるのも、そうした世俗の方々との接点を得ようとした苦肉の策だったのだろうと推察します。そして、そうした在り方が、自分で自分たちの教義と信仰を貶め歪めさせるのだという過ちに気が付いて、取り止めたのでしょう。
私自身はこの件について、これまでもこれからもあってはならないことだと考えております。どれだけ世間から非難を浴びても、一貫した姿勢を貫くべきだと思います。ですから、あなたの訴えには宗門全体が耳を傾けるべき意味があると感じております。
そして、あなたの怒りや疑念を受けてもなお、私(と浄土真宗)は御朱印がもたらす作用にうなずくことはできません。
それが何故なのかは、私があれこれと何でも押し付けるよりも、あなた自身の胸に問い掛けていただくことが、何よりも近道だと思われます。
あなたにとって御朱印を集めるということは、どういう意味を持ちますか?
あなたが御朱印を与えてくれなかった寺院や宗派に対して怒りと憎しみを抱いたことで、あなたの心は晴れましたか?
あなたが生きる現在、そしていのち尽きてゆく未来に、御朱印はどう影響しますか?
今後ご返信いただく必要はありませんので、私の言葉をご自分の中で“聞”いていただきたく思います。あなたのお声を確かに受け止めたことに免じて、あなたもまた、私の声を受け止めていただければ、私はとてもうれしいです。
私たちの開祖・親鸞さまは、「念仏以外に救われる方法があるのではないか」ということを問いただそうとして遠方から駆け付けた方々に、こう仰せになりました。
合掌
真宗宗派は「門徒」で合っております。よくご存じでと申しましょうか、よくお寺での説法を聞いていただいているようで、謹んで敬意を表します。
横からの増田さんからのお返事も拝読して、私も少し分かってきたことがあります。
僧侶増田さんに違和感を感じたり反発したりされている方は、この言葉が非常に不快に刺さっているのだろうと思います。
私の受け取り方(そのおそらくは、真宗宗派の考え方を下地にした受け取り方)は、「切り捨ててしまう」ほど強権的な物言いではなく、しいて言い換えるなら「去る者は追わず、来る者は拒まず」というような意味合いです。
元増田の話でいえば、反発されるご親戚の方々を元増田がいくら説得しようとも、ご親戚の方々が聞く耳をもとうとされないのであれば、元増田もまたそのご親戚の方々の態度・考えを尊重されて、無理矢理にでも納得させるようなことはおやめなさい。無理に引き込んだり、引き込まれたりしても、お互いにわだかまりが残ってしまってはよくありません。・・・僧侶増田の説かれたいところは、そんな説法だと私は受け取っておりました。が、たしかにそれに続く説法の中で、ご親戚の方々に強く当たるような表現もまたあり、そこまで言わなくともという感想は私増田も理解するところです。
宗教・宗派・背景によらず、みんなが分かる考え方・言葉遣いが求められるのでしょうけれども、私増田はどうしても個々人の背景の上に成り立った考え方・受け取り方からは逃れられないとも考えています。
同じ言葉でも受け取り方が、宗派・宗教が違ったり、仏教用語として理解されるか現代日本語として捉えるかによっても変わってきます。真宗宗派でよく話題にされるのは「他力本願」という言葉です。Wikipediaにもある通り、真宗宗派のことば(Wikipediaの前者)として理解されるか、現代日本語(Wikipediaの後者)として捉えられるかによって大きく意味が変わってきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98
・・・などと長々と書いておりますが、私増田は真宗宗派のお寺にお墓があるだけのごく普通の家に生まれた者です。少しだけ、お寺さんでの勉強会に通っていた時期はありますが、正信偈も冒頭が読めるかどうかの程度です。寺の生まれでも、檀家でも、熱心な門徒でもありません。
お近くのお寺で、よいご縁の中で、仏法に出会えるとよいですね。もしくは、ある程度大きなお寺であれば、月1回とか週1回のペースの勉強会を行っているところもあります。なんでもなしにお寺に行くことが難しいのでしたら、そうした勉強会をきっかけに仏法に触れられて、またご同朋やお寺の方とお話するご縁が見つかればと思います。お寺による・檀家によると言ってしまえばそれまでですが、真宗宗派のお寺の多くは、ご縁のある方は暖かく迎え、ご縁のつながらなかった方にもまた暖かく送られる姿勢です。
私たち寺院や僧侶がこのような怒りや憎しみ、侮蔑を投げ掛けていただくことについて、確かに胸に刻み、これからの世の仏教の在り方を考え直す責務を全うしていきたいと願います。
私ども真宗僧侶の多くは、知恵才覚に恵まれず、人様の懐を頼らざるを得ないような不甲斐ない存在ばかりです。
そんな私たちをも、ご門徒の皆様はお慕いくださり、種々に施しを与えてくださいます。私たちは皆様に支えられ、生かされて、初めて仏法を学びお伝えすることができるのだという事実を、これまで何度となくかみ締めて参りました。
私自身、そうした皆様のご厚意に甘えることなく生活を立ててゆける術はないだろうか、そう考えなかった時はありません。
今日、あなた様からも一石を投じていただいたことを、有り難く受け止めますとともに、あなた様のご不満やお怒りに満ちたお心にも、真の仏法が開かれてゆくことを願ってやみません。
誠にありがとうございます。
合掌
最初に断っておくと、私ではなくもらうのは母。
持ってきて、というか押し付けて帰る。
いらないものはなるべく突っぱねるようにしてるけど、
冷蔵庫内の整理も大変な量(一人暮らしに大根三本は不要だと思うの!)
を持ってこられると、ふざけんなよ、と思う。
一番嫌なのは、どこの誰が作ったわからない母の知り合い手作りの
漬物など。
怖いんですけど・・・。
泥だらけだとしても。
両手いっぱいの春菊が、泥だらけなの何なん?
一枚ずつ洗ってたら、雑草もいっぱい混じってて、間違いなく
田んぼで収穫したまま袋に入れて持ってきたやつ。
曲がりなりにも人にあげるものが泥だらけのままでいいってどういう神経?
新鮮、って言えばいいと思うなよ。
思っきし葉っぱ黄ばんでんじゃん!
なんか、母に押し付けた人のこと全く知らなくて
実家の寺の門徒らしいことだけはわかるけど(父は住職)、うちの寺って、
なめられてんだろうなー、、、とおもった。
少なくとも先生、とか住職、と呼ばれる立場の人に、こんな泥だらけのもの
渡さないでしょ。
あのクソ住職の本性、門徒も見抜いてんだろうか。外面だけのクズ。
あの腐れ坊主にすり寄ってるんだろうと私は前から思ってたけど、
少なくとも、泥ぐらい払うでしょ。
私が気にしすぎ?
私だったら直接断るのに。
鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派。
一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派(西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏、天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。
以後、同寺を本山として東北、関東、尾張、近江に一向の法流と伝える寺院が分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係の宗派として存在している事が記録されている。
一向と一遍房智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己の教義を確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏の一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。
浄土真宗本願寺八世の蓮如が北陸地方に活動の場を求めた時に、布教の対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶や信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗や時宗が支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗の民衆が蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如の北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から他宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺の門徒で一向宗の名前を使ったものは破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派が混同されている。
江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺を総本山とする単一宗派「時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派は独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗からの独立を求めたが実らなかった。
明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]
大半の寺院が時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗に帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。
浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である。
「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏の名号を称えることと解釈され、親鸞を宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。
したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教系宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者を破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。
こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。
江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康が三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗を信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。
生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。
世を苦行だと捉えるのが一般的な仏教の根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界からの脱出を意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすいエリート意識。
しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日を保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。
教義としてのオリジナリティは法然にあるのかもしれないが、親鸞は事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。
ここからは俺の独自の解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。
生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏に帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目でしかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。
結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。
ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗の門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。
※なんか書いてみたら長文自己満足かもしれない記事になったのでとりあえず注意。かいてるぼくはおもしろかった。
さてさて、まだここ見てるかねぇ、元増田さんは…
というわけではてな匿名ダイアリーに初カキコしてみるのん。
まず、ここに書き込まれた今までのトラックバックを見て欲しい。大体2,3タイプ居ることに気づくのでは?
すなわち
①「世の中は理不尽で不条理でどうしようもなく厳しいのがデフォ。だからそれを前提に生きろや。甘えんな」派(父性系)
②「無理しなくたって、いいんだよ。たくさん頑張っても、肝心要の自分が亡くなったら意味ないよ…少しずつ、考えていこう」(母性系)
(③「どっちでもいい。あわよくばネタに走ってみよう」(中立系))
とりあえず③は無視して置いておくとして、
このエントリーで結構重要な要素である『仕事観』に関して、世の中にいる多数の人が①と②に大別されるんでないかな、と個人的には思うのですよ。私的な体験としてね。
で、なぜこの2タイプに大別されるのか、その原因を考えてみたんだけど、結果から言えば
という結論に辿り着いたわけですよ。
おそらく、どちらの業界に入ったかで人生観が「①父性系」か「②母性系」かに分かれていきやすいと思うのん。すなわち、
(あくまで比率の問題ということに注意。つまり、この業界にはこういう人が割合として多いよ、というだけのお話ってことを念頭に)
こうして、「どっちの言い分が正しいのん!?!?!?」という思い込み的な、大前提とされていた的な何かは解けたのではないだろうか?(そんな思い込みないんだろうけども話の展開上都合がいいのでそういうことに)
さて、これで仕事に対する価値観(『仕事観』)は相対化出来ましたよっと。
あとは、各々がどちらを選ぶのかという選択になる。今回の場合、元増田さんがどちらを選ぶのかということです増田。
注意したいのは、経済的な定規では選択はできないということ。
つまり、「①父性系」が高給取りだとか、「②母性系」がそこそこの給料だとかという問題ではないということ。
世の中にはほんとにいろんな業界がある。
よって、経済的な定規≠「①父性系」・「②母性系」どっちよりなのかという定規、ということなのですん。経済的な有利不利は、また別問題ということですねん。
なので、まぁ気が向いて「職についてやるか!しょうがねぇなあ…」ってなってハローワークとか民間転職企業を通じて職を探す時に、この二つの価値観を元にした定規を頭の隅にでも持ちながら決めてみると良さそうだよね。
つまり、自分なりの基準(経済面なのか業種なのか、それは人によるけども)で職を仮決めした後、それはどちら寄りになりやすい業界なのか(「①父性系」 or 「②母性系」)をしっかり吟味してから、職にありつけばいいんでないかな。
元増田さんは「②母性系」の価値観の方に共鳴してるっぽいので、「②母性系」の人が多い業界に入るといいんじゃないかなと勝手に推測。
――――――――――――――――ちょっと余談―――――――――――――――――
個人的にも「②母性系」になりやすい業界をオヌヌメするけども、不思議な事に(僕にとって理解し難いことに)、わざわざ自分から茨の道に挑戦したがるワーカーホリックが世の中には居てねぇ…「②母性系」な業界では満足できない人が「①父性系」な業界に行っちゃうことも結構あるみたいなんよ。(ホリエモンとかそうみたいね、ニコ生USTREAMとか見てると)もしかしたら、元増田さんもそんなことがあるかもしれないけどもちょっとそれは責任持てないのですね。 ((まぁここに書いてあること全部責任持てないんですけどね…何気に人生に関わる問題でもあるので))
逆を言えば、「②母性系」の選択肢を取る人って世の99%を占めてそうで、案外もっと少ないとも言える。
なのでそこは変な後ろめたさとか感じずに、堂々と(「ヌルい!」と「①父性系」な人からバッシングされそうな)「②母性系」な人の多い業界を選ぶといいと私は思うのですよ。
――――――――――――――――余談終わり。―――――――――――――――――
まーまとめると、
こんな感じです。
もちろん、他の人達もですけども。
あと朗報かもしれないあれ。中小・中堅企業に限れば採用の門徒はフリーターだろうが無業だろうが限りなく広いらしいので、案外普通に受かっちゃうかも。ソースは某転職マンガに出てくる中心キャラの元ネタの人の新書。
※超余談
そもそも元増田さん「働きたくない」っつってんのになんか働くこと前提になっちゃった気もしないでもないし。
あとこの論世界規模まで抽象化しようとすると疑問符だらけになりますけど、僕が日本限定で考えたのであたり前田です。これ以上仕事観の規模を抽象化して範囲を広げるのは例えクラッカー食らってもちょっと興味ないので無理ですのん。すまんのぉ。