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2023-06-15

今日、私は、阪神ファンになりました

祈り言葉を書かせてください





今日阪神試合を見に行きました

ライト外野一人ぼっちでです

もともと自分の母方は姫路本拠地があるので3歳から六甲おろしを歌わせてもらえる家庭でした

でも自分物心ついたときから町田町田の近くで育ってて 自分の中心になる球団ってやっぱり遠かったんです

それでも阪神ファンは心の拠り所でな(なんJの影響もある) ずっと視界のどこかで彼らの動向を追うてました

ある日 奇跡的に仕事休みになる日があったんで「そうや!阪神試合観に行こう!」ってなったんすわ

夜行バス往復とって でも行きの晩(昨日の晩)寝坊してね 朝始発で新幹線乗って行きました

関西に住んでる友達と会うて 宝塚散歩してな 別れて で西宮ライト外野におったわけです

昔買うた平鍔のキャップ被って 黄色と黒のかわいいアウター来て 夢中で試合かぶりついてました

ボールを打ってる人たちが僧侶菩薩のように見えて ずっと手を合わせていました 応援歌も聴きかじりのを精一杯歌ってね 真言のように繰り返していたんです

そしたらね 急に天から言われたんです

「お前は今まで阪神ファンファンやった。でもお前は今日ヅカに行ったやろ タワマンの中に美しい水の光る武庫川をお前の目で見た。それは洗礼と一緒や。お前はもう許され、お前の血は祖先の魂とともに一つの川に注ぎ込んだ。阪神ファンになってええ。甲子園にいるあいだはどこにも東京を感じなくていい。明日から関西弁を喋り 誰よりも選手名鑑を読み込んでな 家電を買うんやったら鶴川Joshinに行け」

そう

阪神ファンになってしまいました

現に今こうして書いている言葉も西の言葉でしょう

もう元には戻られへんわけです

試合はボロ負けですわ あの野郎2発もホームラン打たれてな ホンマどないしよんねんもう

全ての人と悔しさを分かち合いたかった でもその瞬間が美しかった みんなが同じ気持ちになっているあの時間きらきらしていた

自分が求めていたものがみんな手の中にある

試合のあと喫煙所雪崩込んで知らないお兄さんと喋りました 叫びたくなったのでキャップを地面になんべんも叩きつけました

そして素戔嗚神社に手を合わせて怒鳴り込みました

「お願いしま!!!!!あなたはずっと甲子園そばにいて 私たちをずっと見守ってくれた やから絶望の底にあっても発破をかけてくれるのはあなたが一番やと思うんです どうか!!!!!!

𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺を

日本で一番強い球団にしてください!!!!!!!!!!!!!」

本気で神様に祈ったことは 生まれて初めてだった 今日は救いの日だ 雨に打たれた後のようにずぶ濡れになって(全て自分の汗やった) 大声をあげて泣きました

ぎゅうぎゅうに詰まった甲子園駅に向かう群衆のなかで 僕は鳥取に住んでる仲のいい男の子衝動的に電話しました 電話越しの介抱も大変やったと思う わしはベロベロに酔っててな もうめちゃくちゃになってた すぐに電話を切って電車に詰め込まれました

初めて梅田遭難しました

あんなにスイスイ歩けてたはずなのになんにもわからなくて泣きそうでした どこからジャズの音が聴こえてきて踊ってしまいました 魂のそこからわいてくる踊りです トランペットを吹いていたお兄さんに財布の小銭を全部わたし

そして気がついたら梅田プラザモータープールの端っこにいます

日本じゅうの𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺ファンのみなさん 見えますか?聞こえていますか?

今日僕は 私は ワイは 全ての人格あなたたちと同じく大いなる武庫川帰依しました

佛 この土地

法 讀賣新聞を一生買わんという気持ち

僧 日々練習に勤しむ選手たち

いやお前なに神社に祈ってんねんという話ですけれどもね

この気持ちを吐き出させてくれてありがとう

増田 この場所をくれてありがとう

愛しています

また戻ってきます

試合が長引いたら加古川より向こう側の人の心配しま

そしてその西、市川沿いに静かに暮らす私の祖母と、書写山の遠くの空に眠る祖父、散り散りになっても関西弁を話しつづける従兄弟たちに思いを馳せます

阿僧祇那由多言われてきた駄洒落を言います

武庫川の、向こう側……w

すんません

祈ります





光ARE

2022-11-29

いまだかつて兵庫県ほど凝縮された土地に住んだことが無い

姫路城世界遺産を始めとして実は中部遺跡古墳無茶苦茶ある

神戸生田神社姫路には書写山鹿島神社中部には播州清水寺(こっちの方が古いからな!)と神社仏閣もたくさんある

三宮繁華街中華街神戸メリケン広場異人館など見所がたくさんあるし

買い物したかったら三宮元町あたりでなんでも買える

三田アウトレットには馬鹿デカイオンも併設されてる

元町なんかはオシャレなカフェだとかランチだとかもたくさんあるし三宮北側には飲み屋も多い

六甲山から夜景ポートアイランドには空港IKEA神戸どうぶつ王国がある

王子動物園にはパンダがいるし姫路セントラルパークに行けばサファリもある

食べ物神戸牛を始めとして淡路島タマネギや海産も瀬戸内海があるので普通にカキもある

中部は米どころだし、ブドウシャインマスカットも安く売ってる

野菜はなんでもあるし丹波黒豆とか黒豆枝豆とかクッソ美味い

更に北に行けば北陸と同様なので蟹を無茶苦茶食える

梨もリンゴもあるし基本的に何でも食える

夏は海水浴も山でキャンプもできるし冬は六甲山スキーできるので

仕事終わりにちょっとスキーってのも普通にできる

ガチスキー北部に行けば氷ノ山とかがあって普通にできるから土日に日帰りでも全然楽しめる

灘高校を始めとして進学校も多いし子育て教育もかなり充実してる

芦屋なんかは高級住宅街だし六麓荘みたいな日本屈指の高級住宅街もあれば

六甲山越えると死ぬほど安い一戸建てが買える

他県に行く場合でも新幹線の駅が4つ(新神戸西明石姫路相生)もあるし空港も3つある(伊丹神戸但馬

高速道路中国道山陽道阪神高速が走ってるし、まぁ北部に行くのはちょっと不便かな

後はなんだろう、ゴルフ場も山ほどあるしカート場もあるしキャンプ場もあるし滝もあるし紅葉も桜もある

基本的に他県に行っても「ああ、兵庫県でいうところのアレか」みたいになってしまうんだよな

anond:20221128150119

2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

のもりのかがみ【野守鏡】

鎌倉時代歌論。作者は,源有房,天台僧(氏名不詳)など諸説がある。1295年(永仁3)9月に成立。書写山(播磨円教寺)に参詣したおりに住僧から聞きえた話を紹介するという趣向は,《大鏡》などと同巧。上下2巻から成り,上巻では二条派的な平淡美を重んじる歌論を説き,京極派,とくに為兼を批判,下巻ではおもに宗教論を述べ,禅宗浄土宗非難している。反京極派の歌論として,また仏教思想史上の資料として貴重。【赤瀬 知子】

出典|株式会社日立ソリューションズクリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内の野守鏡の言及

歌論】より

…為家の子の代で,二条家京極家,冷泉れいぜい)家と歌の家が三つに分裂し,以降,派閥争いが激化したために,〈歌論〉も本質理論的に深めるという方向ではなく,派閥意識をあらわにして,他派を攻撃するケースが増えていったかである。たとえば《野守鏡(のもりのかがみ)》は作者未詳の歌論であるが,二条派立場に立って為兼を初めとする京極派を攻撃した書であったし,《延慶両卿訴陳状(えんきようりようきようそちんじよう)》と呼ばれる,《玉葉和歌集》の選者をめぐっての二条京極両家の厳しい対決を伝える応酬もある。南北朝室町時代では頓阿(とんあ)の《井蛙抄(せいあしよう)》,二条良基・頓阿の《愚問賢注》,良基の《近来風体抄(ふうていしよう)》等の二条派歌論書,冷泉派今川了俊の《弁要抄》《落書露顕(らくしよろけん)》などがある。…

 
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