「那珂郡」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 那珂郡とは

2024-10-25

anond:20241025150642

ビジネス宗教法人のいい例

https://horide-hachiman.com/

ほしいも神社

【鎮 座 地】 茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦178

(旧那珂郡前渡村前浜

【 祭 神 】 誉田別尊(ほむたわけのみこと)

境内神社第六天神

 面足命(おもだるのみこと)

 惶根命(かしこのみこと)

月読神社

 月読命(つくよみのみこと)

稲荷神社

 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

難産除社

 誉田別尊(ほむたわけのみこと)

【 大 職 】 奉献堀出明神祭庭 昭和47年9月吉日 神宮大宮司徳川崇敬 謹書

【 神 紋 】 右三つ巴

【 境 内 】 769.42坪

【 氏 子 】 530戸 崇敬者500人

もっとも、こっちの神社は別の神様がいて、日本一干し芋(かんそ芋)の先駆者小池吉兵衛公)が後から加わり、令和になって株式会社マルヒ初代社長黒澤一治が施設を作ったので、純然たるビジネス宗教法人とは違うんだが、神社の中では芋を販売している

なので、こういうのがそこそこ再現性があると思う

2020-07-24

anond:20200724141823

>>医師時代

>>1978年アメリカデトロイトにあるサイナイ病院外科研究所留学1981年帰国後、栃木県済生会宇都宮病院茨城県那珂郡東海村国立療養所晴嵐病院慶應義塾大学病院などに勤務。慶應大学病院では心臓外科医として

>>石原裕次郎の手術チームの一員でもあった[3]。

>>臨床医として癌などの死病の患者と接するうちに、現代医学科学が乗り越えられない「死」に対して深く考えるようになる[4][5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E9%83%81%E5%A4%AB_(%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99)

林郁夫

はい論破

2017-05-19

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

2016-10-09

リスト(66件)

1010005015883 東京都千代田区内幸町1丁目1番7号
3010001135997 東京都千代田区内幸町1丁目1番7号
3000012010018 東京都千代田区永田町1丁目6-1
7700150003510 東京都千代田区神田淡路町2丁目9損保会館内
2010001033087 東京都千代田区神田美土代町1番地1
3010005001213 東京都千代田区神田美土代町1番地1
5010002033604 東京都千代田区飯田橋1丁目12番14号
5010405010448 東京都中央区日本橋小伝馬町7番16号ニッケイビル5階
6010005014757 東京都中央区月島1丁目15番7号
9000012110002 東京都港区六本木1丁目9-9
9010401101445 東京都港区南青山2丁目2番15号
2010405009410 東京都港区新橋2丁目3番7号
2010401022549 東京都港区新橋5丁目13番6号
1010405009411 東京都港区新橋5丁目18番7号
9010405013307 東京都港区芝浦2丁目11番5号
7010405010446 東京都港区芝浦2丁目3番31号
1010405010443 東京都港区芝2丁目31番15号
2010405002712 東京都港区芝4丁目1番23号
1010405004569 東京都港区芝5丁目36番7号
9010405010378 東京都港区虎ノ門1丁目2番8号
9010405002771 東京都港区虎ノ門1丁目7番6号升本ビル
3010401023397 東京都港区虎ノ門2丁目10番1号
3010405009863 東京都港区虎ノ門2丁目2番5号共同通信会館
8010401126014 東京都港区赤坂2丁目2番19号アドレスビル
9011105004026 東京都新宿区住吉町8番5号曙橋コーポ2階B
4011101006303 東京都新宿区新宿1丁目36番7号
6010005018634 東京都文京区白山5丁目1番3-101号
3010505002347 東京都台東区池之端2丁目7番17号
7010505002418 東京都台東区池之端2丁目7番17号
5010701011793 東京都品川区大崎2丁目1番1号
3011005005708 東京都渋谷区代々木2丁目23番1号
5011205001736 東京都中野区本町3丁目29番10号
4420002013185 青森県弘前市大字茂森新町1丁目1番地11
8370301001248 宮城県石巻市松並1丁目14番地1
1010401015891 福島県郡山市熱海町安子島字固後利山7番地17
8140001026361 福島県二本松市茶園1丁目95番2号
5050003002843 茨城県水戸市堀町1123番地4
4050002008875 茨城県ひたちなか市大字稲田566番地1
1050001004639 茨城県那珂郡東海村大字村松字平原3129番地の29
6050001004691 茨城県那珂郡東海村大字村松字平原3129番地の45
1050005001731 茨城県那珂郡東海村大字村松字館沼225番地の2
6050005001751 茨城県那珂郡東海村大字村松4番地33
1050005001632 茨城県那珂郡東海村大字白方字白根2番地の4
7050005001750 茨城県那珂郡東海村大字白方白根2番地の4
6050005002007 茨城県那珂郡東海村大字舟石川765番地1
2060005009021 栃木県宇都宮市簗瀬1丁目6番18号
8030005017335 埼玉県白岡市小久喜260-4
5020001043223 神奈川県横浜市磯子区新杉田町8番地
3110005008017 新潟県柏崎市荒浜1丁目3番32号
9110005007327 新潟県柏崎市元町24番30号
7220005005445 石川県羽咋郡志賀町安部屋亥の34の1
2210001011163 福井県敦賀市三島町1丁目9番6号
6210005006420 福井県敦賀市吉河37号1番地
7210001010854 福井県敦賀市木崎51号31番地の3
7210001010540 福井県敦賀市沓見129号1番地1
5210001016011 福井県敦賀市白銀町13番29号
9110005014901 福井県敦賀市神楽町2丁目1番4号敦賀商工会議所内
4210001010898 福井県三方郡美浜町佐田第64号毛ノ鼻1番地の37
6180003005519 愛知県名古屋市中区門前町四丁目24番地 
2120001043050 大阪府大阪市西区土佐堀1丁目3番7号
6140001012966 兵庫県神戸市兵庫区和田崎町1丁目1番1号 
3260001020092 岡山県苫田郡鏡野町上齋原1539番地の1 
8240002023587 広島県東広島市西条町下見4623番地15 
1250005007510 山口県下関市新地町5丁目1-C-409 
6250001007550 山口県下関市新地町5丁目1番C-409号 
4500005006847 愛媛県西宇和郡伊方町湊浦1995番地1
 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん