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2019-05-27

昔の職場の話

職場でいくつも見ていた骨壷を今でもたまに思い出す。黒い服を着てかしこまった人たちが、その人の名前や死亡日が書かれた申込書と一緒に大小さまざまな骨壷を手渡してきて、それを受け取って裏に引っ込む。二人が立ったまま並んで作業するのがやっとの小さな作業場で、黒塗りの盆の上に骨壷の中身をぶちまけて、箸で拾い集めて、細かいかけらは筆でひとつも残さないように小さな桐箱へ収めていく。骨は枯れ枝みたいな軽さで、これが人体の一部だなんてあんまり信じられなかったけれど、昔火葬場で拾った骨とも一致したし、確かに人の名前をつけられて渡されるわけだし、精一杯の丁寧さで扱っていた。すべてを桐箱に収めてしまうとふたをして、法名をそこに書き込む。俗名はもう書かれることはなく、手のひらに収まってしまう小さな桐箱は、仏弟子のひとりとなって、また盆の上に載せられる。それは一度お経を聞いて、最後宗祖の像の下にしまい込まれる。もう二度と取り出されることもなく。その一連の儀式で涙をこぼす人も幾人か見た。人が死んで、それを受け入れる、その一区切りを担っているのだなと感じた。今はまったく違う会社にいて、そういうことをすることもない。それでお金を受けとるのがいいのか悪いのか、私にはいまだにわからない。そこにしまわれたからと言ってその人がどうなるわけでもない。ただ、毎回箱に収める作業は、何も考えないようにして行っていたけれど、ひどくやるせなかった。死んでしまうとこんな流れ作業で扱われてしまうのだと、その人がどんな人だったかなんて関係もなく、小さい箱に詰め込まれて安置される。それなりの額のお金と引き換えに。毎日法事は行われ、でも決して死んだ人のためではない。宗派の教えとして、故人を弔うためにお経は読まれない。遺族の方がどれだけそれを知っているかもわからないまま、渡される遺骨を受け取る。それが本当に正しいのか、今でもわからない。でも、今もそれは続く。それが大きな収入である限り、ずっと続いていく。

2019-02-18

anond:20190218115459

涅槃図(部分、高野山金剛峯寺所蔵、平安後期)

涅槃図は釈迦入滅を、横臥する釈迦を中心に菩薩仏弟子、会衆や動物に到るまでらが釈迦を取り囲み、嘆き悲しむ情景を描いた仏画釈迦追善供養する涅槃会の際に懸用された。日本では平安時代から製作され、高野山金剛峯寺所蔵品は最古の作例として知られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E4%BB%8F

2018-10-24

https://anond.hatelabo.jp/20181024185633

で、各人が懐疑的に試して何を持って判定するの?

あなたに合わせて言えば、苦しさが減ったかどうか確かめてみるといい。

効果があるかに釈迦からいかいかなんて微塵も関係ないし、僕は重きをおいていない。

何回も言うけど、聖なる開祖様に近いから謎の正統性パワーで効果があるとかそういう話じゃないよ。

釈迦もっと能力のある最高の先生から効果があり、それを釈迦ほどの能力の無い人が中途半端理解アレンジすればどんどん効果が減ずるという実際的な話。

釈迦超人から釈迦に近ければ効果があるはず。は宗教

そこがなんか堂々巡りなのはあなたに何らかの怒りが生まれて話を聞かない態度になってきてるからじゃないか

例えばあなた釈迦を超えた能力があって、釈迦の教えの不完全性と改善案提示できて、それが確かめられて確かにそうだとなれば、自分釈迦を捨ててあなたメソッド採用するよ

でも釈迦を超える人が現れないので釈迦ディフェンディングチャンピオンなだけ 圧倒的な

だけど釈迦の教えを守ることは大事でしょう?

なんで大事かが問題で、正統だからではなく最も優れているか

極端に言ってしまえば、「真の釈迦の教え」なんてものはもう無いよ。

釈迦この世にいないじゃん?

アインシュタインが死んでも彼の発見アイデアは残ってるでしょう?

俺は今苦しんでいるやつに正しい答えを出せる方を正しいとする立場なので、

から一番効果があるのは釈迦の教えであってその劣化アレンジではないという話なんだけど何を突っ張りたいのかわからない。

例えば伝統的なものより効果のある瞑想メソッドを開発したのだということなら発表してほしい。試してはみるから

から、僕が上げた3人はどうかと言いだしたんだ。

まりあなたがコレクションしたその三人にあまり感心しない態度を示したから腹が立ったということなの?

でも小池龍之介なんて当然「仏弟子」であって、釈迦より優れてるなんて大胆な主張は小池自身夢にも思ってないと思うけど。

別に小池が良い悪いではなくて、小池なんてどうでもいい人でしょう。小池自身自分仏教史上の重要人物だなんて主張しないのでは。

2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

 
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