はてなキーワード: 本願寺とは
そうだよ本願寺は お西とお東
守山区だっけ。けっこうはずれのほうにあって乗り換えも大変だよ
ちなみに愛知県は京都より寺の数が多く、都道府県で一位くらいらしい
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覚王山に大きいのがあるし、大須には本願寺からの分家が密集してたりする
熱田神宮という神道系の大御所もある(草なぎの剣を奉納されてたとこ)
ので日泰寺はさほど有名どころじゃないぞ
(だから日本とタイの交流の結果として日泰寺という名前になった。
日本で派生した大手仏教である真言宗とかの後ろ盾がない?か共同で維持か?、
タイ仏教ってマジでガチだからインドからちゃんともらってきたやつだろうな
中国からもらったパンダとか日本で唯一だった千種のコアラみたいな人気はでなくて残念
信長というと、短気で気分しだいで人を殺していたとか思われがちだが、
20年来の宿老の佐久間信盛を解任する際も、暴君なら理由もなしに追い払ってしまうものだが、
信長は以下の長文をわざわざ直筆で書いている。
一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら何の功績もあげていない。世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり、口惜しい思いをしている。
一、信盛らの気持ちを推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、相手は坊主であることだし、何年かすればゆくゆくは信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。武者の道というものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれてまことに本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである。
一、丹波国での明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこした。羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。池田恒興は少禄の身であるが、花隈城を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。
一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。
一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしからぬことである。
一、信盛の与力・保田知宗の書状には「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろう」とあり、信盛親子も連判している。今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすため、あれこれ言い訳をしているのではないか。
一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。これに自身の配下を加えれば、どう戦おうともこれほど落ち度を取ることはなかっただろう。
一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである。言語道断である。
一、山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷と件と思い合わされる事である。
一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。
一、先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかったところ、恐縮もせず、結局自分の正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である。
一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。その上、物事をいい加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になったのである。
一、与力ばかり使っている。他者からの攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。領地を無駄にし、卑怯な事をしている。
一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。
一、信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。
一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。
一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。
一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
右のように数年の間ひとかどの武勲もなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下を支配している信長に対してたてつく者どもは信盛から始まったのだから、その償いに最後の2か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。
また、秀吉が浮気したときに、奥さんの禰禰にこのような手紙も送っている。
私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。
これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。
又々 かしく藤吉郎 女ども
のぶ
秋篠寺 あきしのでら
芦峅寺 あしくらじ
飛鳥寺 あすかでら
安寺 あてら
阿寺 あてら
天寺 あまでら
尼寺 あまでら
阿見寺 あみでら
荒寺 あれでら
安岡寺 あんこうじ
安全寺 あんぜんじ
安用寺 あんようじ
安養寺 あんようじ
安楽寺 あんらくじ
石寺 いしてら
石山寺 いしやまでら
板寺 いたでら
猪名寺 いたでら
一乗寺 いちじょうじ
一条寺 いちじょうじ
一寺 いちでら
一坊寺 いっぽうじ
井寺 いてら
威徳寺 いとくじ
伊堂寺 いどうじ
稲寺 いなでら
今寺 いまでら
岩峅寺 いわくらじ
岩寺 いわでら
巌寺 いわでら
巖寺 いわでら
上寺 うえでら
氏寺 うじでら
永源寺 えいげんじ
英勝寺 えいしょうじ
永徳寺 えいとくじ
永平寺 えいへいじ
永保寺 えいほうじ
永満寺 えいまんじ
永養寺 えいようじ
江寺 えてら
慧日寺 えにちじ
家原寺 えばらじ
円覚寺 えんがくじ
円行寺 えんぎょうじ
円光寺 えんこうじ
圓光寺 えんこうじ
円護寺 えんごじ
円勝寺 えんしょうじ
円正寺 えんしょうじ
延勝寺 えんしょうじ
延壽寺 えんじゅじ
延寿寺 えんじゅじ
円城寺 えんじょうじ
円成寺 えんじょうじ
圓城寺 えんじょうじ
圓成寺 えんじょうじ
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円通寺 えんつうじ
円道寺 えんどうじ
圓道寺 えんどうじ
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円能寺 えんのうじ
円福寺 えんふくじ
圓福寺 えんふくじ
円満寺 えんまんじ
円明寺 えんみょうじ
延命寺 えんめいじ
延暦寺 えんりゃくじ
王寺 おうじ
王禅寺 おうぜんじ
押領寺 おうりょうじ
大谷寺 おおたにじ
大寺 おおでら
大野寺 おおのじ
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奥海印寺 おくかいいんじ
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奧寺 おくてら
小倉寺 おぐらじ
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御寺 おてら
小埜寺 おのでら
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遠城寺 おんじょうじ
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海音寺 かいおんじ
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海蔵寺 かいぞうじ
海藏寺 かいぞうじ
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駆込み寺 かけこみでら
笠寺 かさでら
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門寺 かどでら
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感應寺 かんのうじ
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願興寺 がんごうじ
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北寺 きたでら
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吉祥寺 きちじょうじ
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高源寺 こうげんじ
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光寺 こうじ
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國府寺 こうじ
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興福寺 こうふくじ
光明寺 こうみょうじ
広隆寺 こうりゅうじ
粉河寺 こかわでら
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国泰寺 こくたいじ
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国分寺 こくぶんじ
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古正寺 こしょうじ
小寺 こでら、こてら
駒寺野 こまでらの
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金剛峰寺 こんごうぶじ
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金蔵寺 こんぞうじ
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神向寺 じんこうじ
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周船寺 すせんじ
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瑞巌寺 ずいがんじ
瑞泉寺 ずいせんじ
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清河寺 せいがんじ
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泉湧寺 せんにゅうじ
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善久寺 ぜんきゅうじ
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善源寺 ぜんげんじ
善光寺 ぜんこうじ
善根寺 ぜんこんじ
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善通寺 ぜんつうじ
禅寺 ぜんでら
善導寺 ぜんどうじ
善如寺 ぜんにょじ
善能寺 ぜんのうじ
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善法寺 ぜんぽうじ
善養寺 ぜんようじ
善立寺 ぜんりゅうじ
禅林寺 ぜんりんじ
総持寺 そうじじ
崇禅寺 そうぜんじ
崇福寺 そうふくじ
造寺 ぞうじ
増上寺 ぞうじょうじ
太岡寺 たいこうじ
躰光寺 たいこうじ
大山寺 たいさんじ
大石寺 たいせきじ
泰泉寺 たいせんじ
太寺 たいでら
大寧寺 たいねいじ
太平寺 たいへいじ
当麻寺 たいまでら
太融寺 たいゆうじ
太陽寺 たいようじ
高田寺 たかだじ
高寺 たかでら
髙寺 たかでら
宝寺 たからでら
滝寺 たきでら
瀧寺 たきでら
橘寺 たちばなでら
舘寺 たてでら
館寺 たてでら
田寺 たでら
多門寺 たもんじ
誕生寺 たんじょうじ
大雲寺 だいうんじ
大雄寺 だいおうじ
大巌寺 だいがんじ
大願寺 だいがんじ
大京寺 だいきょうじ
題経寺 だいきょうじ
大宮寺 だいぐうじ
大源寺 だいげんじ
大光寺 だいこうじ
醍醐寺 だいごじ
大師寺 だいしじ
大正寺 だいしょうじ
大聖寺 だいしょうじ
大慈寺 だいじじ
大樹寺 だいじゅうじ
大乗寺 だいじょうじ
大泉寺 だいせんじ
大善寺 だいぜんじ
大通寺 だいつうじ
大徳寺 だいとくじ
大導寺 だいどうじ
大道寺 だいどうじ
大日寺 だいにちじ
大宝寺 だいほうじ
大楽寺 だいらくじ
大琳寺 だいりんじ
達磨寺 だるまじ
檀那寺 だんなでら
旦那寺 だんなでら、だんなじ
智恩寺 ちおんじ
知恩寺 ちおんじ
竹林寺 ちくりんじ
千見寺 ちけんじ
知見寺 ちけんじ
千葉寺 ちばでら
中元寺 ちゅうがんじ
中願寺 ちゅうがんじ
中宮寺 ちゅうぐうじ
仲元寺 ちゅうげんじ
中権寺 ちゅうごんじ
中在寺 ちゅうざいじ
中善寺 ちゅうぜんじ
中禅寺 ちゅうぜんじ
中尊寺 ちゅうそんじ
中堂寺 ちゅうどうじ
長安寺 ちょうあんじ
長栄寺 ちょうえいじ
潮音寺 ちょうおんじ
長久寺 ちょうきゅうじ
長慶寺 ちょうけいじ
長源寺 ちょうげんじ
長興寺 ちょうこうじ
長勝寺 ちょうしょうじ
長松寺 ちょうしょうじ
長泉寺 ちょうせんじ
重染寺 ちょうぜんじ
長徳寺 ちょうとくじ
長坂寺 ちょうはんじ
長峰寺 ちょうほうじ
長命寺 ちょうめいじ
長楽寺 ちょうらくじ
通元寺 つうげんじ
通法寺 つうほうじ
津寺 つでら
貞永寺 ていえいじ
天花寺 てんげえじ、てんかじ
天現寺 てんげんじ
天性寺 てんしょうじ
天正寺 てんしょうじ
天寧寺 てんねいじ
天王寺 てんのうじ
天籟寺 てんらいじ
天竜寺 てんりゅうじ
天龍寺 てんりゅうじ
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傳法寺 でんぼうじ
東慶寺 とうけいじ
東光寺 とうこうじ
唐招提寺 とうしょうだいじ
当寺 とうじ
東寺 とうじ
東泉寺 とうせんじ
東禅寺 とうぜんじ
東大寺 とうだいじ
東長寺 とうちょうじ
塔寺 とうでら
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徳大寺 とくだいじ
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道寺 どうじ
道場寺 どうじょうじ
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導寺 どうでら
道明寺 どうみょうじ
道明寺粉 どうみょうじこ
中秦泉寺 なかじんぜんじ
中寺 なかでら
中山寺 なかやまでら
若王寺 なこうじ
那谷寺 なたでら
成相寺 なりあいじ
南禅寺 なんぜんじ
南林寺 なんりんじ
飯寺 にいでら
西秦泉寺 にしじんぜんじ
西寺尾 にしてらお
西寺方 にしてらかた
西本願寺 にしほんがんじ
西本成寺 にしほんじょうじ
仁頂寺 にじょうじ
日東寺 にっとうじ
如法寺 にょほうじ
忍頂寺 にんじょうじ
仁和寺 にんなじ
念仏寺 ねんぶつじ
能仁寺 のうにんじ
野寺 のでら
廃寺 はいじ
長谷寺 はせでら
畑寺 はたでら
鉢ヶ峯寺 はちがみねじ
八九寺 はちくじ
幅寺 はばでら
浜寺 はまでら
林寺 はやしじ
原寺 はらでら
梅津寺 ばいしんじ
梅林寺 ばいりんじ
番生寺 ばんしょうじ
日向寺 ひうがじ
東本願寺 ひがしほんがんじ
東山寺 ひがしやまてら
引寺 ひきじ
百済寺 ひゃくさいじ
白毫寺 びゃくごうじ
平等寺 びょうどうじ
富貴寺 ふきでら
福王寺 ふくおうじ
福音寺 ふくおんじ
福成寺 ふくじょうじ
福禅寺 ふくぜんじ
福寺 ふくでら
福田寺 ふくでんじ
普賢寺 ふげんじ
普済寺 ふさいじ
普正寺 ふしょうじ
藤井寺 ふじいでら
二ツ寺 ふたつてら
不動寺 ふどうじ
舩寺 ふなでら
船寺 ふなでら
古寺 ふるでら、こでら
峰定寺 ぶじょうじ
仏光寺 ぶっこうじ
仏国寺 ぶっこくじ
仏生寺 ぶっしょうじ
仏寺 ぶつじ
平安寺 へいあんじ
平泉寺 へいせんじ
平林寺 へいりんじ
報恩寺 ほうおんじ
方広寺 ほうこうじ
宝厳寺 ほうごんじ
宝山寺 ほうざんじ
宝積寺 ほうしゃくじ
寳積寺 ほうしゃくじ
法勝寺 ほうしょうじ
放寺 ほうじ
法寺岡 ほうじおか
芳寺戸 ほうじど
宝仙寺 ほうせんじ
宝泉寺 ほうせんじ
法泉寺 ほうせんじ
法善寺 ほうぜんじ
宝蔵寺 ほうぞうじ
宝藏寺 ほうぞうじ
寳蔵寺 ほうぞうじ
寳藏寺 ほうぞうじ
寶蔵寺 ほうぞうじ
寶藏寺 ほうぞうじ
法蔵寺 ほうぞうじ
法伝寺 ほうでんじ
法傳寺 ほうでんじ
宝塔寺 ほうとうじ
法道寺 ほうどうじ
鳳来寺 ほうらいじ
法隆寺 ほうりゅうじ
法輪寺 ほうりんじ
法起寺 ほっきじ
法華寺 ほっけじ
法興寺 ほつこうじ
法性寺 ほつしょうじ
本願寺 ほんがんじ
本興寺 ほんこうじ
本寺 ほんじ、ほんでら
本成寺 ほんじょうじ
本能寺 ほんのうじ
本遠寺 ほんのんじ
本法寺 ほんぽうじ
本妙寺 ほんみょうじ
本門寺 ほんもんじ
坊寺 ぼうじ
鳳凰寺 ぼうじ
菩提寺 ぼだいじ
前寺 まえでら
牧寺 まきでら
松尾寺 まつおじ
末寺 まつじ
松寺 まつでら
眞寺 までら
真寺 までら
万願寺 まんがんじ
満願寺 まんがんじ
万寿寺 まんじゅじ
万造寺 まんぞうじ
萬造寺 まんぞうじ
万代寺 まんたいじ
万納寺 まんのうじ
萬納寺 まんのうじ
万福寺 まんぷくじ
三井寺 みいでら
美江寺 みえじ
右寺 みぎてら
三田寺 みたでら
御田寺 みだてら
三ツ寺 みつでら
三寺 みつでら
味寺 みでら
見寺 みでら
南寺 みなみてら
峰寺 みねでら
壬生寺 みぶでら
宮寺 みやでら
妙円寺 みょうえんじ
明王寺 みょうおうじ
妙国寺 みょうこくじ
妙寺 みょうじ
妙成寺 みょうじょうじ
明善寺 みょうぜんじ
明大寺 みょうだいじ
明徳寺 みょうとくじ
妙法寺 みょうほうじ
明法寺 みょうほうじ
妙楽寺 みょうらくじ
妙蓮寺 みょうれんじ
弥勒寺 みろくじ
彌勒寺 みろくじ
向寺 むかいでら
室生寺 むろうじ
室寺 むろじ
毛越寺 もうつじ
元寺 もとてら
森寺 もりでら
茂林寺 もりんじ
文珠寺 もんじゅじ
薬王寺 やくおうじ
薬師寺 やくしじ
藥師寺 やくしじ
薬勝寺 やくしょうじ
薬眞寺 やくしんじ
薬真寺 やくしんじ
藥眞寺 やくしんじ
矢寺 やてら
柳寺 やなぎでら
山寺 やまでら
祐天寺 ゆうてんじ
幸寺 ゆきてら、こうでら
楊谷寺 ようこくじ
養福寺 ようふくじ
要法寺 ようほうじ
横寺 よこてら
善峰寺 よしみねでら
雷音寺 らいおんじ
来迎寺 らいこうじ
楽巌寺 らくがんじ
理寛寺 りかんじ
立石寺 りっしゃくじ
竜角寺台 りゅうかくじだい
竜宮寺 りゅうぐうじ
龍宮寺 りゅうぐうじ
立花寺 りゅうげじ
龍源寺 りゅうげんじ
竜光寺 りゅうこうじ
龍光寺 りゅうこうじ
龍寺 りゅうじ
竜泉寺 りゅうせんじ
竜禅寺 りゅうぜんじ
竜造寺 りゅうぞうじ
龍造寺 りゅうぞうじ
龍胆寺 りゅうどうじ
了仙寺 りょうせんじ
了徳寺 りょうとくじ
良福寺 りょうふくじ
臨済寺 りんざいじ
輪王寺 りんのうじ
瑠璃光寺 るりこうじ
蓮覚寺 れんがくじ
蓮花寺 れんげじ
蓮光寺 れんこうじ
連光寺 れんこうじ
蓮正寺 れんしょうじ
蓮台寺 れんだいじ
楞巌寺 ろうごんじ
鹿園寺 ろくおんじ
鹿苑寺 ろくおんじ
六泉寺 ろくせんじ
六湛寺 ろくたんじ
六波羅蜜寺 ろくはらみつじ
和寺 わでら
鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派。
一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派(西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏、天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。
以後、同寺を本山として東北、関東、尾張、近江に一向の法流と伝える寺院が分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係の宗派として存在している事が記録されている。
一向と一遍房智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己の教義を確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏の一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。
浄土真宗本願寺八世の蓮如が北陸地方に活動の場を求めた時に、布教の対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶や信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗や時宗が支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗の民衆が蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如の北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から他宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺の門徒で一向宗の名前を使ったものは破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派が混同されている。
江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺を総本山とする単一宗派「時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派は独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗からの独立を求めたが実らなかった。
明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]
大半の寺院が時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗に帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。
浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である。
「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏の名号を称えることと解釈され、親鸞を宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。
したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教系宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者を破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。
こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。
江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康が三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗を信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。
宇佐市(うさし)は、大分県の北部、国東半島の付け根に位置する市。
全国4万社余りの八幡宮の総本宮・宇佐神宮があり、正月には全国からの参拝客でにぎわう。また本願寺別院(東西とも)も旧北東部の
広大な地域を管轄するものでこれも規模は大きい。また市内には宇佐神宮以外にも観光名所が多く、県内有数の観光都市である。
宇佐神宮の門前町として発展した宇佐地区(特に南宇佐)、本願寺別院の寺内町として発展した四日市地区、港町として発展した
長洲地区の3地区が、伝統的に経済的同時に文化的中心地である。
これ以外はほぼ全域が農村地域であり、県下最大の穀倉地帯となっている。
2005年(平成17年)3月31日 - 宇佐市・院内町・安心院町が新設合併し、新たに宇佐市が発足する。
産物として、麦焼酎「いいちこ」が全国的に有名な三和酒類が駅川地区の山中に存在し、全国に出荷される「いいちこ」がすべて
ここで製造されている。
釈迦はどうなんだろうなあ
そういうのあんまない
13世紀13世紀と得意げだけども
言うたら2500年は遅いのよ。
浄土真宗(本願寺)と日蓮宗(創価)が不思議な最適化を果たして
日本の思想史的に13世紀大事だと思うよ。あと弘法さんの9世紀
であるから当然、ここで論じられるのはもっと短いスパンでの”手垢”。
いちいちこうやって簡単な話も噛み合わない。
http://anond.hatelabo.jp/20110211132856
東山区 清水寺や三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光、観光といえば東山
上京区 京都御苑・京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都の政治・経済の中心地。
左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。
北区 高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場は上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』
右京区 仁和寺や嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』
中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区『京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』
下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区も中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』
南区 工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しかし京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』
心労、過労、敗北感が心理を呵んだのか
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所用を切り上げて帰宅しました。
慚愧に堪えません。
父上の中川一郎氏が「青嵐会」を結成したときに緊急の単行本をつくった。爾来、絶大なお世話にもなり、自裁される三日ほど前にも永田町ですれ違ったおり、車の窓を開けて、「やぁ」と独特の敬礼の挨拶をされた。人なつっこい人だった。
家人が靖国神社の御霊祭りで昭一氏と偶会のおり、そのことを言うと「え、じゃ息子さんは宮崎一郎さんっていうの?」と微笑んだという。
父親の遺志をついで昭一さんも改憲、精神の回復、防衛力強化にはことのほか熱心な政治家で台湾の防衛にも死力を尽くされた。
中川一郎氏の葬儀は三島由紀夫と同じ築地本願寺だった。通夜と葬儀に手伝いに行ったが、本葬は四万人の人が本願寺を囲んだ。どれほど国民から愛され親しまれたか、市井の人々が焼香に並んだ。
あの人数をみたとき三島由紀夫の葬儀のことを思いだして涙がこみ上げてきた。
冥福を祈りたい。
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通巻第2730号 臨時増刊