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2017-09-06

寺で始まる名字はクソダサなのに寺で終わる名字はかっこいい:寺終わり一覧

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巌寺 いわでら

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圓城寺 えんじょうじ

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奥寺 おくてら

奧寺 おくてら

小倉寺 おぐらじ

長寺 おさでら

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御寺 おてら

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小野寺 おのでら

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表慈恩寺 おもてじおんじ

音光寺 おんこうじ

園城寺 おんじょうじ

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温泉寺 おんせんじ

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園林寺 おんりんじ

海印寺 かいいんじ

海応寺 かいおう

海音寺 かいおんじ

皆尺寺 かいしゃくじ

海蔵寺 かいぞうじ

海藏寺 かいぞうじ

覚王寺 かくおうじ

覚寺 かくじ

覚満寺 かくまんじ

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笠寺 かさでら

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門寺 かどでら

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上古寺 かみふるてら

川寺 かわでら

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観海寺 かんかいじ

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神道寺 かんどうじ

感応寺 かんのうじ

感應寺 かんのうじ

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願興寺 がんごうじ

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北寺 きたでら

城田寺 きだいじ

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吉祥寺 きちじょうじ

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紀三井寺 きみいでら

久宝寺 きゅうほうじ

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清水寺 きよみずでら

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金山寺 きんざん

金勝寺 きんしょうじ

金仙寺 きんせんじ

金泉寺 きんせんじ

金熊寺 きんゆうじ

金楽寺 きんらくじ

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行願寺 ぎょうがんじ

玉泉寺 ぎょくせんじ

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久能寺 くのうじ

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久保寺 くぼじ、くぼでら、くぼてら

窪寺 くぼでら

鞍馬寺 くらまでら

弘法寺 ぐほうじ

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恵林寺 けいりんじ

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建長寺 けんちょうじ

建仁寺 けんにんじ

源法寺 げんぼうじ

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高円寺 こうえんじ

光音寺 こうおんじ

光源寺 こうげんじ

高源寺 こうげんじ

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興聖寺 こうしょうじ

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国府寺 こうじ

國府寺 こうじ

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光同寺 こうどうじ

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国済寺 こくさいじ

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古正寺 こしょうじ

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金剛峯寺 こんごうぶじ

金剛峰寺 こんごうぶじ

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西安寺 さいあんじ

西円寺 さいえんじ

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西教寺 さいきょうじ

西元寺 さいげんじ

西光寺 さいこうじ

最勝寺 さいしょうじ

西照寺 さいしょうじ

西寺 さいじ

最乗寺 さいじょうじ

西大寺 さいだいじ

西大寺上 さいだいじかみ

西大寺中 さいだいじなか

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西方寺 さいほうじ

西法寺 さいほうじ

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斎明寺 さいみょうじ

最明寺 さいみょうじ

齋明寺 さいみょうじ

西明寺 さいみょうじ、さいめいじ

西來寺 さいらいじ

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西連寺 さいれんじ

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在國寺 ざいこくじ

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四王寺 しおうじ

塩寺 しおでら

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下寺 したでら、しもでら

四天王寺 してんのうじ

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嶋寺 しまでら

海印寺 しもかいいんじ

下法軍寺 しもほうぐんじ

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修善寺 しゅぜんじ

修禅寺 しゅぜんじ

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正円寺 しょうえんじ

正観寺 しょうかんじ

正覚寺 しょうがくじ

正行寺 しょうぎょうじ

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正源寺 しょうげんじ

生源寺 しょうげんじ

勝興寺 しょうこうじ

相国寺 しょうこくじ

正権寺 しょうごんじ

荘厳寺 しょうごんじ

清浄光寺 しょうじょうこうじ

諸徳寺 しょうとくじ

正道寺 しょうどうじ

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昌明寺 しょうみょうじ

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青蓮寺 しょうれんじ

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真行寺 しんぎょうじ

真光寺 しんこうじ

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神松寺 しんしょうじ

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真如寺 しんにょじ

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慈光寺 じこうじ

持光寺 じこうじ

慈照寺 じしょうじ

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実相寺 じっしょうじ

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慈明寺 じみょうじ

神明寺 じみょうじ

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十蔵寺 じゅうぞうじ

十藏寺 じゅうぞうじ

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十貫寺 じゅっかんじ

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順教寺 じゅんきようじ

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淨円寺 じょうえんじ

常願寺 じょうがんじ

成願寺 じょうがんじ

城光寺 じょうこうじ

定光寺 じょうこうじ

常光寺 じょうこうじ

常称寺 じょうしょうじ

定禅寺 じょうぜんじ

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浄明寺 じょうみょうじ

常楽寺 じょうらくじ

常樂寺 じょうらくじ

定林寺 じょうりんじ

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神向寺 じんこうじ

秦泉寺 じんせんじ

深大寺 じんだいじ

神武寺 じんむじ

水前寺 すいぜんじ

周船寺 すせんじ

須磨寺 すまでら

随応寺 ずいおうじ

瑞巌寺 ずいがんじ

瑞泉寺 ずいせんじ

頭陀寺 ずだじ

清閑寺 せいかんじ

清岸寺 せいがんじ

清河寺 せいがんじ

誓願寺 せいがんじ

青岸渡寺 せいがんとじ

清玄寺 せいげんじ

成勝寺 せいしょうじ

西伝寺 せいでんじ

青明寺 せいみょうじ

清涼寺 せいりょう

関寺 せきでら

泉岳寺 せんがく

泉正寺 せんしょうじ

浅草寺 せんそうじ

千提寺 せんだいじ

泉涌寺 せんにゅうじ

泉湧寺 せんにゅうじ

千音寺 せんのんじ

善応寺 ぜんおうじ

善久寺 ぜんきゅうじ

善慶寺 ぜんけいじ

善源寺 ぜんげんじ

善光寺 ぜんこうじ

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禅昌寺 ぜんしょうじ

善通寺 ぜんつうじ

禅寺 ぜんでら

善導寺 ぜんどうじ

善如寺 ぜんにょじ

善能寺 ぜんのうじ

善福寺 ぜんぷくじ

善法寺 ぜんぽうじ

善養寺 ぜんようじ

善立寺 ぜんりゅうじ

禅林寺 ぜんりんじ

総持寺 そうじじ

崇禅寺 そうぜんじ

崇福寺 そうふくじ

造寺 ぞうじ

増上寺 ぞうじょうじ

太岡寺 たいこうじ

躰光寺 たいこうじ

大山寺 たいさんじ

大石寺 たいせきじ

泰泉寺 たいせんじ

太寺 たいでら

大寧寺 たいねいじ

太平寺 たいへいじ

当麻寺 たいまでら

太融寺 たいゆうじ

太陽寺 たいようじ

高田寺 たかだじ

高寺 たかでら

髙寺 たかでら

宝寺 たからでら

滝寺 たきでら

瀧寺 たきでら

橘寺 たちばなでら

舘寺 たてでら

館寺 たてでら

田寺 たでら

多門寺 たもんじ

誕生寺 たんじょうじ

大安寺 だいあんじ

大雲寺 だいうんじ

大雄寺 だいおうじ

大覚寺いかく

大巌寺 だいがんじ

大願寺 だいがんじ

大京寺 だいきょうじ

題経寺 だいきょうじ

大宮寺 だいぐうじ

大源寺 だいげんじ

大光寺 だいこうじ

醍醐寺 だいごじ

大師寺 だいしじ

大正寺 だいしょうじ

大聖寺 だいしょうじ

大慈寺 だいじじ

大樹寺 だいじゅうじ

大乗寺 だいじょうじ

大泉寺 だいせん

大善寺 だいぜんじ

大通寺 だいつうじ

大徳寺 だいとくじ

大導寺 だいどうじ

大道寺 だいどうじ

大日寺 だいにちじ

大宝寺 だいほうじ

大楽寺 だいらくじ

大琳寺 だいりんじ

達磨寺 だるま

檀那寺 だんなでら

旦那寺 だんなでら、だんなじ

智恩寺 ちおんじ

知恩寺 ちおんじ

竹林寺 ちくりんじ

千見寺 ちけんじ

知見寺 ちけんじ

千葉寺 ちばでら

中元寺 ちゅうがんじ

中願寺 ちゅうがんじ

中宮寺 ちゅうぐうじ

仲元寺 ちゅうげんじ

中権寺 ちゅうごんじ

中在寺 ちゅうざいじ

中善寺 ちゅうぜんじ

中禅寺 ちゅうぜんじ

中尊寺 ちゅうそんじ

中堂寺 ちゅうどうじ

長安寺 ちょうあんじ

長栄寺 ちょうえいじ

潮音寺 ちょうおんじ

長久寺 ちょうきゅうじ

長慶寺 ちょうけいじ

長源寺 ちょうげんじ

長興寺 ちょうこうじ

長勝寺 ちょうしょうじ

長松寺 ちょうしょうじ

長泉寺 ちょうせんじ

重染寺 ちょうぜんじ

長徳寺 ちょうとくじ

長坂寺 ちょうはんじ

長峰寺 ちょうほうじ

長命寺 ちょうめいじ

長楽寺 ちょうらくじ

通元寺 つうげんじ

通法寺 つうほうじ

津寺 つでら

貞永寺 ていえいじ

天花寺 てんげえじ、てんかじ

天現寺 てんげんじ

天性寺 てんしょうじ

天正寺 てんしょうじ

天寧寺 てんねいじ

天王寺 てんのうじ

天籟寺 てんらいじ

天竜寺 てんりゅうじ

天龍寺 てんりゅうじ

伝法寺 でんぼうじ

傳法寺 でんぼうじ

東慶寺 とうけいじ

東光寺 とうこうじ

唐招提寺 とうしょうだいじ

当寺 とうじ

東寺 とうじ

東泉寺 とうせんじ

東禅寺 とうぜんじ

東大寺 とうだいじ

東長寺 とうちょうじ

塔寺 とうでら

東福寺 とうふくじ

灯明寺 とうみょうじ

徳大寺 とくだいじ

道光寺 どうこうじ

道寺 どうじ

道場寺 どうじょうじ

道成寺 どうじょうじ

導寺 どうでら

道明寺 どうみょうじ

道明寺粉 どうみょうじこ

中秦泉寺 なかじんぜんじ

中寺 なかでら

中山寺 なかやまでら

若王寺 なこうじ

那谷寺 なたでら

成相寺 なりあいじ

南禅寺 なんぜんじ

南蛮寺 なんばんじ

南林寺 なんりんじ

飯寺 にいでら

西秦泉寺 にしじんぜんじ

西寺尾 にしてらお

西寺方 にしてらかた

西本願寺 にしほんがんじ

西本成寺 にしほんじょうじ

仁頂寺 にじょうじ

日東寺 にっとうじ

如法寺 にょほうじ

忍頂寺 にんじょうじ

仁和寺 にんなじ

念仏寺 ねんぶつじ

能仁寺 のうにんじ

野寺 のでら

廃寺 はいじ

長谷寺 はせでら

畑寺 はたでら

鉢ヶ峯寺 はちがみねじ

八九寺 はちくじ

幅寺 はばでら

浜寺 はまでら

林寺 はやしじ

原寺 はらでら

般若寺 はんにゃ

梅津寺 ばいしんじ

梅林寺 ばいりんじ

番生寺 ばんしょうじ

日向寺 ひうがじ

東本願寺 ひがしほんがんじ

東山寺 ひがしやまてら

引寺 ひきじ

百済寺 ひゃくさいじ

白毫寺 びゃくごうじ

平等寺 びょうどうじ

富貴寺 ふきでら

福王寺 ふくおうじ

福音寺 ふくおんじ

福成寺 ふくじょうじ

福禅寺 ふくぜんじ

福寺 ふくでら

福田寺 ふくでんじ

普賢寺 ふげん

普済寺 ふさいじ

普正寺 ふしょうじ

藤井寺 ふじいでら

二ツ寺 ふたつてら

不動寺 ふどうじ

舩寺 ふなでら

船寺 ふなでら

古寺 ふるでら、こでら

峰定寺 ぶじょうじ

仏光寺 ぶっこうじ

仏国寺 ぶっこくじ

仏生寺 ぶっしょうじ

仏寺 ぶつじ

平安寺 へいあんじ

平泉寺 へいせんじ

平林寺 へいりんじ

報恩寺 ほうおんじ

方広寺 ほうこうじ

宝厳寺 ほうごんじ

宝山寺 ほうざんじ

宝積寺 ほうしゃくじ

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法勝寺 ほうしょうじ

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法寺岡 ほうじおか

芳寺戸 ほうじど

宝仙寺 ほうせんじ

宝泉寺 ほうせんじ

法泉寺 ほうせんじ

法善寺 ほうぜんじ

宝蔵寺 ほうぞうじ

宝藏寺 ほうぞうじ

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寳藏寺 ほうぞうじ

寶蔵寺 ほうぞうじ

寶藏寺 ほうぞうじ

法蔵寺 ほうぞうじ

法伝寺 ほうでんじ

法傳寺 ほうでんじ

宝塔寺 ほうとう

法道寺 ほうどうじ

鳳来寺 ほうらいじ

法隆寺 ほうりゅうじ

法輪寺 ほうりんじ

法起寺 ほっきじ

法華寺 ほっけじ

法興寺 ほつこうじ

法性寺 ほつしょうじ

本願寺 ほんがんじ

本興寺 ほんこうじ

本寺 ほんじ、ほんでら

本成寺 ほんじょうじ

本能寺 ほんのうじ

本遠寺 ほんのんじ

本法寺 ほんぽうじ

本妙寺 ほんみょうじ

本門寺 ほんもんじ

坊寺 ぼうじ

鳳凰寺 ぼうじ

菩提寺 ぼだいじ

前寺 まえでら

牧寺 まきでら

松尾寺 まつおじ

末寺 まつじ

松寺 まつでら

眞寺 までら

真寺 までら

万願寺 まんがんじ

満願寺 まんがんじ

万寿寺 まんじゅじ

万造寺 まんぞうじ

萬造寺 まんぞうじ

万代寺 まんたいじ

万納寺 まんのうじ

萬納寺 まんのうじ

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右寺 みぎてら

三田寺 みたでら

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三ツ寺 みつでら

三寺 みつでら

味寺 みでら

見寺 みでら

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南寺 みなみてら

峰寺 みねでら

壬生寺 みぶでら

宮寺 みやでら

妙円寺 みょうえんじ

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竜宮寺 りゅうぐうじ

龍宮寺 りゅうぐうじ

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竜光寺 りゅうこうじ

龍光寺 りゅうこうじ

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龍造寺 りゅうぞうじ

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鹿園寺 ろくおんじ

鹿苑寺 ろくおんじ

六泉寺 ろくせんじ

六湛寺 ろくたんじ

六波羅蜜寺 ろくはらみつじ

和寺 わでら

2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

2016-08-20

京都神社仏閣をいろいろ巡ってみた後の率直な感想

清水寺】有名観光地と言われるだけあってやっぱり見ごたえがある。

金閣寺】壁に金箔貼り付けただけのただの家。ここに行くくらいなら銀閣に行った方が良い。

銀閣寺質素建物が周囲の木や池と溶け込んで美しい。周りの門前町もいい雰囲気

東寺五重塔はやっぱインパクトあるけど、1回見ればもういいかな。

二条城石垣普通の城と同じだが、当時の建物がちゃんと残ってるのはやっぱすごい。

龍安寺教科書で見たことある庭園が間近で見れるという感動はあるが、それ以外は特に見所なし。

醍醐寺観光客が少なく静かに見て回れるが、ここも1回見ればもう十分かなあ。

西本願寺建物デカいので近くで見ると圧倒される。

仁和寺】門や本堂の巨大さと、庭園の美しさを同時に楽しめる。

上賀茂神社】規模はデカいけど、ぶっちゃげただの神社と変わらん。

三十三間堂】千体の千手観音像が並ぶ姿は本当に圧巻。人にもお勧めしたい。

平等院建物は思ったほど感動しなかったが、付設の博物館がすごく良かった。

宇治上神社観光客ほとんどおらず、静謐神聖雰囲気平等院に来たらここにも立ち寄るべき。

天龍寺建物庭園・池が一体となった風景がすごい。これぞ、ザ・日本の美って感じ。

北野天満宮】まあ受験生なら言ってもいいんじゃね―の?ってレベル

八坂神社】提灯がいっぱい飾ってあるっていうくらいしか印象に残ってない。

2015-02-10

京都ingressオワコンだった話

そうだ、(イン活しに)京都行こう

都内で日々人類啓蒙すべくイン活ingress活動)に勤しんでいるENLエージェントが期待を胸に京都イン活に行ったら期待はずれでがっかりした話をちょっと聞いてくれ。

先週の金曜に名古屋実家に帰る用事があったので、折角の機会だということで、土日を利用して京都イン活に行ってきた。

京都といえば、寺社とお地蔵様に代表される無数のポータルが街中に乱立する ingressメッカ

街を歩けば途切れることなポータルが立ち並び、辻斬りならぬ辻ワンコが至るところで発生。その余波で周囲は白ポータルばかりとなり、Unique Capture も取り放題。観光地ならではの格好いいメダルに彩られたミッションも目移りするほど。

これぞまさにエージェントにとっての天国

・・・というのが俺が想像していた京都だったし、実際、それに近い評判は以前からネット上で目にしていたように思う。

緑に染まる京都タワー

この日のために蓄えたX8数百発を携えて土曜の午前に意気揚々京都に乗り込んだ俺を待っていたのは、一面緑に染まる京都駅だった。

新幹線ホームから見えるポータルが全てENLのL7やL8ばかりで、その間には綺麗にCFが敷き詰められている。休日にこれほど大きな駅の周辺がこれだけ見事に一色に染まっているというのは、都内ではなかなかお目にかかれない光景である

まあそういうタイミングもあるか、と思いながら、とりあえずミッション一覧を眺める。

都内と同様、駅周辺のポータルを数か所回るだけのお手軽ミッションが幾つか見つかり、とりあえず京都タワーとその横のヨドバシカメラをハックするだけのミッションをさくっとクリア

京都タワーもその周囲も、見事にENLのL8である

京都駅ポータルを Capture or Upgrade しろというミッションもあったが、その状況下でENLの俺にクリアできる見込みはない。帰り際には状況も変わっているだろうと期待して、京都駅を後に。

緑に染まる京都御所

事前にネット京都ポータル密集地を調べたところ、京都御所北野天満宮嵐山という名前が挙がっていたので、その中で京都駅から地下鉄一本で行ける京都御所にまず行くことにした。

実際、京都御所ポータル密度はなかなかのものであった。上野公園にも負けていないかもしれない。

ただ、これもまたほぼ全て緑なのだしかもご丁寧にCFも張られていて、本当にやることがない。

せっかくなので1時間ほどかけて御所巡りミッションをやりながら Unique Visit を稼いだが、ここまで Unique Capture はゼロである。というか青いポータルほとんど見ていない。

無駄に高レベルのENLポータルばかりハックするせいで、使い道もないのに溜まっていく高レベルバースター。何に使えばいいのか・・・

京都駅京都御所惨状を見てだんだん焦りを覚えてくる俺。

けれどまあ流石に次は有名観光地からここまで酷いことはないだろう。

緑に染まる北野天満宮

だがその希望すら無情にも打ち砕かれる。

同じ内容の繰り返しになるので詳細は省くが、ここでも俺にできることはミッションを一つクリアすることだけだった、と言えば十分であろう。

ミッションも長時間ものが多い

まりにも緑一色に染まる京都の現状を知った俺は、これは方針を切り替えてミッションメダルを集めることに重点を置くべきかな、と考え始めた。

ところが、そのミッション微妙なのだ

都内ミッション状況と比較して顕著な特徴、それは15分ミッションの数がとても少ないということ。その貴重な15分ミッションも、「駅の記憶シリーズだったりするので(コンセプトもアイコンも)、これをやるのは俺の美意識が許さない。

それ以外ほとんどのミッションが1時間コースである

下手に歴史があるせいで、その歴史と絡めた長距離ミッションが作られがちなのかな、という気がした(信長のやつとか新選組のやつとかやりたいのはやりたいのだが、流石に4時間とか急に言われても困る)。

聖地巡礼もいくつかあったが、それも時間かかりそうだった。

もうちょっとお手軽ミッションがあってもいいと思うよ(お手軽ミッションに慣れてしまった都民感想)。

まあ少ないながらも繁華街でいくつかお手軽ミッションを見つけたので、それをこなしながらホテルチェックイン

Intel マップで知る京都の現状

普段見る機会がないものから今回もすっかり忘れていたのだが、世界各地のポータルの状況を見られる Intel マップあるじゃん、ということをようやく思い出し、ホテル備え付けのパソコン京都ポータル状況をチェックすることに。

結果。

京都一面、緑一色

すでにそんな予感はしていたのだが、実際に見ると言葉を失う。

L8ポータルだけを表示させてみて更に驚いたのだが、なんと京都にはRESのL8ポータルほとんど無い。郊外に1つ2つあるぐらいで、市内中心部には文字通ひとつ存在しない。

なんだこれは。

もしかして京都にはRESエージェントはいないのでは? と本気で心配するほど。

ただ俺にとっては喜ばしいことに、嵐山の方は多少青も多く、水抜きのし甲斐がありそうだということが分かった。明日嵐山に行こう。

その後、こってりスープラーメンを堪能し、ホテル周辺の弱い青ポータルを見つけては蹂躙してこの日のイン活は終了。

青い嵐山を緑に染める

日曜。

朝一で何に驚いたかって、昨夜俺が Unique Capture したポータルが全く攻撃されていないどころか、地元ENLエージェントによって迅速に補強がされて、既にR8が6本も差さっていたことであった。もちろんCFも隙なく張られている。

このRESとENLのスピード感の差が今の圧倒的な差に結びついているのだろうという気がした。

さて、出発前に再度 Intel マップを開いて嵐山の状況に変化がないことを確認した俺は、朝から嵐山に向かった。

嵐山を巡るミッションをやりながら天龍寺嵐山公園を歩き回り、弱そうな青をどんどん緑に染めていく。休日観光地だけあって、途中一度ワンコにもなった。

それなりのポータルが密集していて、一本差しや低レベルポータルも少なくなく、Unique Capture が捗る。まさに俺が期待していた ingress 天国京都の図がそこにはあった。

幾つかミッションを始めてみたものの案外遠いことが判明してキャンセルしたりという無駄時間もありつつ、昼過ぎまで嵐山イン活湯豆腐を満喫したのであった。

地元エージェントとの出会い

さてそろそろあと1エリアぐらいしか回る時間もないし、どこがいいかなあと調べていたときのことだった。

こんにちはingress されてます?」

突然知らないおっさん(←失礼)に声をかけられる。

都内でも何度かこの手の経験はあり、そのたびに適当に誤魔化して避けてきた俺だが、ちょうど次の目的地を決めかねていたこともあって、地元エージェントであれば渡りに船だと考えて「はい」と答えた。

相手は地元ENLの二桁レベルの方で、俺と同じく Unique Capture を稼ぎに嵐山の方に来ていたところ、俺の存在気づき、俺が東京から来てること、それも Darsana メダルを持ってることに気づいて話しかけてきてくれたのだという。

そういえば3月には京都で Darsana みたいなことやるんだったっけ。

それで俺の Darsana 体験を聞きたいようだった。まああの日はひたすらレゾ差してただけで何も語るような経験はしてないんだがw

京都ENLは今からそのイベントの準備に取り掛かっているようで、最近は何やら秘密兵器実験をするために頻繁に会合を開いているらしい(秘密兵器の詳細はここで書くとまずいだろうからぼかしておく)。

まあそんな入念な準備なんてしなくても、市内のポータルのENL占有率を見れば今回もENLが勝つことはやる前から明らかだろうという気がするが。

なぜ京都緑一色なのか

そのおっさんとはかれこれ1時間ほど雑談をした。市内が緑一色なのでおっさんもやることがなくて困っているようだった(だからわざわざ嵐山なんかに遠征してきたのだ)。

そもそも、どうしてこんなにENLが強いのかも聞いてみた。

おっさんが繰り返し言うには「青がやる気ないから」だそうだが、話の端々から得た情報総合するに、いくつか構造的な問題がありそうだった。

というわけでここからようやくこの日記の本題。

原因の一つには、京都市内のプレイ人数が(都内とは比べ物にならないほど)少ないので、ポータルつの破壊であっても、一人一人のエージェント負担(貢献度)がそのままチーム全体の趨勢に跳ね返るということがありそうだ。

都内特に山の手線内)のように、それぞれが適当に出歩いた先で適当に壊してたら知らないうちに全体としてはいい感じに均衡する、というバランスにはなっておらず、強い意志目的を持って壊して回らないと、すぐに均衡が崩れてしまう脆さが京都にはある。

さらに、そのような少人数のエージェント(どのくらい少ないかというと、RESの二桁レベルエージェントエージェント名と活動地域をだいたい把握しているという。都内では考えられない)しかいない中で、現状、RESよりもENLのほうが多い。

おっさん曰く、新人が緑を選択することが多いせいなのか、それともENLの新人サポートが手厚いために定着率が良いせいなのかはよく分からないようだが、ともあれ、L8以上のアクティブエージェントの数で言うと、倍とまでは言わないにしても、相当の差がついているとのことである

第三に、バースターの補給場所京都市内はENLのP8ばかりで、ENLは補給場所に事欠かない。では市内に一つもP8を持たないRESはどうやって補給しているのか。というかそもそもなぜ市内に青ファームがないのか。

おっさんが言うには、RESのP8が立つとHOで連絡が回って瞬時に壊しに行くことになっているらしい。またFFも察知するとすぐに妨害に行く。そのせいで最近FF妨害するのはマナー違反だとかRESに抗議されたらしい(苦笑)。

仕方なく、RESはENLファームをしぶしぶ利用するか、あるいは大阪琵琶湖の方にファームを作ってそこに通っているようだ。

さて、そうなると何が起こるか。

RESは人数的に不利な中、武器補給にも苦労している。なのでENLの高レベルポータルを満足に壊すこともできない。そうするとそのポータルは次々に Upgrade されていき、ますます固くなる。

他方ENLは安定的武器が手に入るにも関わらず、それを使うチャンスがない。実績も稼ぎたいのに何もできない(まさに前日の俺のように)。そうすると、時々RESが壊してくれると、ここぞとばかりに喜んで奪い返しに行くことになる。

これをRESから見れば、頑張って壊してもすぐに修復され、補強される、というわけである。そしてRESにはそれを再度壊す武器はない。再度武器を貯めて壊してもまたすぐに修復される。これを繰り返すうちに心が折れて、アクティブエージェントますます減っていく。

このような悪循環の果てに、俺が見た「緑一色に染まる京都市内」という図が出来上がっている。

これが京都 ingress の現状である

次のイベントではENLが完勝するだろう。いや、もしかするとRESが巨大CFで覆うなどして奇跡的な勝利を収めるかもしれない。でもそれがどうしたというのだ。はっきり言って、どちらが勝とうとも、この先に未来はない。

このプレイ人数の不均衡が解消されない限り、賽の河原のような苦行に耐えかねて、RESはますます減るであろう。やることがなくなるENLも飽きて減っていくだろう。

俺のような観光エージェントが多数訪れることでカンフル剤となるのではないか、というアイディアもありそうだ。しかし俺の例が顕著なように、都民ENLがわざわざ京都に行ってもやることは何もない。魅力的なミッションも少ない。Unique Visit が欲しいなら都内でまだ行ってない場所がいくつもある。都民RESはどうか。Unique Capture 稼ぎをするにも大変だ。たいていシールドが4枚入ったL7以上の緑ポータルを際限なく破壊するだけのバースターを持っていくのは現実的ではないし、それが用意できるくらいならやはり都内のまだ行ってない場所に行って使う方が経済的だ。

京都ingress 天国と言われたのも今は昔。

都内と比べてポータル特に多いというわけでもなく、それらは緑でガチガチに固められていて、たとえRESエージェントでも壊して回るのは一苦労。市内に青ファームが作られる気配も全くなく、現地での武器補給も困難。

ミッション特に魅力的というわけでもない。

そうなると都民エージェントがわざわざ出向くだけの価値は無いと言わざるをえない。

かくして、京都ingressオワコンである

そしてもちろん、これは京都特有問題ではない。

俺は結局、京都駅の Capture ミッションに挑戦することもできず、数百発の使い道のなかったX8とともに東京に戻り、東京駅を緑に染め上げた。それが攻撃され青くなったのはその数分後のことだった。

2009-04-18

山口登(二代目山口組組長)

山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年1月大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年1月山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区新町神戸中央卸売市場建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組大島組と対立した。同年7月神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。

溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房2002年ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房2006年ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店徳間文庫>、1982年ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年1月須磨料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場開業した。山口組は中央卸売市場利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年4月山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年4月山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長吉本せいと会い、吉本興業東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せい東京新橋演舞場大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分東京にいる間は、浪曲師広沢虎造吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造吉本興業の専属にすることと、広沢虎造マネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオンピストン堀口挑戦者・ジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋スポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年1月27日国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグル東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸部長となった。同年7月広沢虎造吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日浅草浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日山口登は東京浅草浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年10月4日山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。

 
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