はてなキーワード: 研究生とは
学部から修士に上がった時に研究室を変更するというのはよくある話だけど、
じゃあなんで僕が変えるのかというと、それは指導教員が嫌いになったからだ。
不満が積もり積もって、「もう限界」というところまで来てしまった。
その不満というのは主に「時間」に関することだ。
打ち合わせを予定していたのに平気で1時間、2時間遅れてくる。しかも謝らない。
理由は様々だが、一番腹が立つのは「前の打ち合わせが長引いた」だ。
たしかに、そういうことはあるかもしれない。
1回、2回なら「仕方ない」で済ますこともできるが、これが増えてくるとそうもいかない。
僕たちが打ち合わせのために報告書を書き、そのために準備をしているのに気づいていないのだろう。
学生の時間や予定はフリーでいくら変更しても構わないとでも思っているんだろうか。
「この研究室では、勉強会もやるし、ソースレビューもする。gitも教えるし、ちゃんと研究の面倒もみる。」
と言ったからだ。
純粋だった学部3年の僕は、この研究室に入れば論文書いて学会にも参加して、という風に理想の研究生活が送れて圧倒的成長ができると思ってしまった。
実際に蓋を開けてみれば、風呂敷をできるだけ広げるタイプの人間だった。
勉強会にはやソースレビューには遅れてくるし、学生だけでやることもあった。
じゃあ研究の面倒は見てくれたのか。
これは見てくれたほうなのだろうか。ほかの研究室を知らないので何とも言えない。
しかし僕が嫌だと思ったのはそこではない。
打ち合わせの時の口癖が「俺にもわからない」「教員も3割バッター」など。
「じゃあ大学の准教授ですらあまり分かってないことをぺーぺーの学生ができんのかよ」と無駄に不安にさせられる。
研究結果はどうだったかというともちろんネガティブな結果になった。
「ネガティブな結果は往々にしてある」と言われたが、もう「はいそうですか次は頑張ります」とは思えなくなってしまった。
次の研究もネガティブな結果で学会には1つも参加せず卒業するという未来が見えてしまったのだ。
「研究方針がよく分からなくなってるから打ち合わせがしたい」と送った連絡が無視されてる時に、就活系のガイダンスがあった。
就職が決まっている1つ上の先輩が面接で何を話したかについて教えてくれた。
主に研究の話だそうだ。自分がどういう研究をしてどういう結果が出て、そういう話だ。
その時僕は思った。
じゃあ僕はどうなのだろうか、研究について話せることはあるのだろうか。
2年間やってきて何もない。
2年間二人三脚でやってきて(すくなくとも僕はそう考えている)何も生まれなかったら、それはもうあと1年やっても意味ないだろう。
研究室を決めるときは、自分のやりたいことでも、先輩の話でも、教員の大風呂敷でもなく研究成果を見よう。
修士課程2年.学部4年から研究生活が始まり,曲がりなりにも研究一筋で頑張ってきました.
様々な国内会議に始まり,国際会議にも数件参加し,修士一年では雑誌論文にも挑戦しました.
運よく,論文が採択されたことから,私は一つ誇りに思えることができました.
これらの経験を学生生活で頑張ったこととして就活でアピールしようと望んだものの,
反応は芳しくありませんでした.
研究内容に関心を持ってもらえないばかりか,雑誌論文とは何かも知らないのです.
幸い,研究内容に関心を持ってもらえた会社に拾われた形で就活をおえましたが,
かのような反応は私の大学院生活を無下にするようでいて,ショックでした.
就活において,院生とは研究成果が評価されるのではないのだと.
ましてや,研究内容ですら評価対象ではなく,結局はどのような専門性があるとか,つぶしの効くスキルを持っているかが問われるのです.
就活において,院生が研究を頑張る意義はないのだと思いました.
研究を頑張らなくても,人間力とかで何とかなることを周りの人の状況を見てわかりました.
はじめまして!大学生の皆様は、ちょうどこの時期ぐらい、試験が終わって春休み!って方々が多いのではないでしょうか!?
まだの方はあと少しですね……!頑張ってください!!
今回の記事では、題字の通り、大学での配属研究室の決める際について、筆者が思うこと、感じたこと、こうしたらいいのかなーっと思ったことをつらつらと書いていこうと思います。
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記事内容に筆者の主観が多く含まれておる可能性があるかもしれません。以下読み進め、参考にする場合はその点を何よりも留意してお願いいたします。
あと、筆者は学部卒で大学院には行っていないため、院志望で考えてる方は、その点も留意してお願いいたします。
最後に、普段ちゃんとした文を全く書かない人なんで、とても読みにくい文章かもしれませんが、その点もご留意ください……。
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■なぜこんな記事を?
筆者も去年まで大学生でした。いわゆる駅弁大の工学部です。その中で、勤勉で優秀な人が、研究室配属後に日々つらそうにしてたり、研究室にこれなくなったり、完全失踪したりという例をたくさんみてきました。
1つ2つじゃないです。それはそれはもう、たくさんです。(理系らしく定量的じゃなくてすみません……。あんまりこういうのも細かく書くのもアレなんで)
こういった実情を目の前にし、理系の研究室選びはとても大切で慎重にせねばならないと感じました。本当に、研究室選びは大事なんです!!めっちゃ大事!!!
では、どう慎重に選ぶのか?
以下では、研究室をどう慎重に選ぶのかを、経験や見聞、持論を織り交ぜて伝えていくことができたらなと思います。
■まず成績!!
研究室を決める時に外せない問題として、まず成績だと思います。
各大学、各学部学科ごとに研究室の決め方はいろいろと思いますが、希望が被ったり、だれも配属されない研究室が出てきた場合、おそらく持ちだされるのは成績です。
かくいう筆者も4年生に学年最低評定で進級したため、誰一人希望が集まらなかった研究室に飛ばされましたw
まずは成績がある程度ないと、どんなにうまく研究室を見極めても、それは無意味となってしまう可能性があります。
高いの狙える評定は狙っておきましょう。てか無理そうな教科は完全に捨てるも勇気です(不可じゃなくてハイフン的な)。平均評定を成績としてみられる場合、この決断は非常に大事です。
■どのような基準で選べばいいのか?
・拘束時間は短いか
・現時点で自分が全然興味ない(むしろやりたくない)分野の研究内容ではないか
かと。
ここがまずいと大変なことになります。もちろん、人間同士、性格の一致不一致あると思いますが、あまりにもアレな教授や准教授、助教、先輩がいるところにあえて飛び込む必要は無いでしょう
また、体育会系のノリが強い、オタク系のノリが強い、女性がいるかいないか……そういった点も把握しておき、自分と合う雰囲気のところに配属したほうが、精神的にも大いに楽になると思います。
放置系研究室ないし激務系研究室は避けよう、ということです。具体的にその2つの何がいけないかということなんですが、自分を指導してくれる人がいないという点です。
人間、誰しも指導ありきで成長します。研究室に入ったばかりの学生は、前提知識はともかく、まだ研究をする人間としては赤ん坊同然。文献を読むだけでは身につかないこともたくさんあります。そもそも研究テーマとその道筋を、入ったばかりの研究生が建てられるわけがないですよね
それを指導してくれる人間がいないところは危険です。それにより闇を抱えてそうなところは避けましょう。おそらく心労が半端ないです。
・拘束時間は短いか
重要です。長いと心労が半端ないです。そもそも拘束時間が長いところは、配属生みんながみんな好きでずっと研究しているかというと、そうでない可能性もあって、『全体的に配属生が課されている研究が重すぎる』『研究以外の雑務雑用、資料作成が多い』『用もない、効率も下がりまくってるのに帰れない環境がそこにある』といった理由かもしれません。上の例と組み合わせて『指導がないので具体的になにをしたらいいかわからないが、成果が出ないため、雰囲気的に帰れない』というコンボもあります。最高ですね!
最悪研究したくてたまらん!って人は、拘束時間が短いところでも勝手に自主的に残ってやってたり、家で自学してたり、留学や他大学院へのロンダでどっかに行ってるでしょう。
研究室全体がずっとみんな残って、ってところはちょっと要注意かもしれません。本当に配属されてる人の全員が全員、研究をしたくてずっと研究室にいるのか?
そこのところもチェックすべき事項と思います。これは一部の分野の研究内容は避けられない問題かもしれませんが……(合成バイオ系等)
・現時点で自分が全然興味ない(むしろやりたくない)分野の研究内容ではないか
文の通りです。……なんか弱くないですか!?やりたい研究ができるのは一番なのでは!?と思うかもしれません。
もちろんそうです。しかし、この辺は、もう実際研究室に入り、テーマを与えられ、着手してみないとわからない部分だと思います。いろんな研究室を回って、いろいろ調べて、興味を持っても、研究してみると、『少し違う!』ってこともあるかもしれません。
ただ、注意してほしいのが、本当の本当に、全然興味のない、むしろ嫌いな分野ではないか、ということです。
研究室の環境がよくとも、内容が本当に無理すぎる!ってなった場合は厳しいです。入るまでの段階の調査では限界はありますが、ある程度、自分の比較的興味のある分野から大きくかけ離れた分野の研究室を選ぶ場合はご注意ください。
やはり理系なんで定量的に……ということで。その研究室に院生がはいるか?その院生も、配属研究室が変更されず、学部生からそのまま院に進学した院生か?
統計的に見て、院生が少ないということは、その研究室に学部卒志望の人間が多く集まったか、ロンダしたくて別の大学院にいった人間がいた、別の研究をしたくなったので別の研究室にいった人間がいた……など、様々な理由が考えられます。しかしその中で、研究室がやばいから別のところへ逃げたひとがいた、といった理由もあるかもしれません。あくまで統計では、ですが、重要な指標になるはずです。
■なにを手がかりに情報を得たらいいのか?
上記では研究室を決める際に重要と思われる指標について記述しましたが、ではその判断材料はどこから持ってくるのか?
・観察による調査
正直これが一番大事です。一番、頼りになります。前項の研究内容以外、全部これでカバーできるかと。
まずは知り合いに聞く。先輩に聞く。学生実験のTAに聞く。先輩がいない場合は同期を通じて!誰か一人でも知り合いがいればその人を通じて情報収集をしましょう。聞いてるだけの身じゃ情報もあんまり入ってきません。
ただ、同期であんまり共有し過ぎると、露骨に希望がかたまり、成績順になります(成績がいい人はそれで問題なしかも……)
普段ぼっち気味でもなんでも、ここばかりは必死になりましょう。冒頭で述べたとおり、研究室選びは大事なんです!!
・観察による調査
教授陣が忙しそう、休講が多い→忙しいみたいだけど、配属生の指導にはきちんと手が回っているのかな?
毎晩遅くまで研究室の明かりがついている→ちゃんと帰れてるのか?
とか。また、提出物を出しに行った時に見える研究室内の様子とか。いっぱいおるなーとか、昼なのに全然おらんなーとか、ゴミ箱レッ○ブルだらけやんけ!とか、カップ麺だらけやんけ!とか、生活用具一式揃っちゃってる!!……とか
このように、研究室の様子だけなら、外からだけでもなんとなく予想はできると思います。
もしかしたらイベントとして強制でやってるところも多いかもしれませんね。ここで研究室の全容は知ることはできないでしょうが、情報をできるだけ多く得ておくことは重要です。研究内容について一番情報を得ることができるのはまぎれもなく研究室見学かと思います。ここで研究室ごとのあらかたの研究分野を知っておくのは大事です。したい研究はもちろん、前項で述べた『全然興味ない(むしろやりたくない)分野の研究内容』を見極めのに研究室見学は重要です。
以上となります。とりあえず書きだめもせずに走り書きなんで、拙い文章になっているかもしれませんがご了承ください。必要があれば適宜修正いたします。
今まで卒論出してきた先輩の卒論眺めてたら自分が夏休み前に徹夜しながら実験したぐらいのことで卒論書いてる。
ほかの研究室の同期は徹夜っていう概念が無いのかってぐらい研究室にいない。そもそも研究室に来ていない。それで十分らしい。
なんなんだこの卒業研究。
あと2ヶ月すこしなのは分かっているけれど、つらいのはつらい。
こんなことするために大学に来たんじゃないって4年生、卒業研究が始まってからずっと思っている。
来世でまた大学に入り直すことがあったなら、理系の、しかも工学の、クソみたいな研究室ではなく、
文系のそのへんの人にサクッとアンケート取ってパパーッと卒論が書けるような研究室に行きたい。
こんなクソみたいな思いをしてさらに二年も研究生活するなんて気が狂っているとしか思えない。
早く卒業したい。
「好きなバンドにお金を落とそう!」という風潮が苦手 - サササササーカス・ディディディディディスコ
上記記事を読んで、そういえば…と思い出したことがあるんで書いておく。
(別にお寺とお布施とか戒名高すぎィ!みたいな話は出てこない。申し訳ない)
「好きなバンドのためにお金を使おう」といって、ファンならなんでもかんでも買うような同調圧力はどうなの? という話だと理解している。
基本的に私は、その趣旨に同感の立場であり、音楽だけではなくあらゆるサブカルチャーに共通の問題だと感じている。
「好きなものが継続してほしいから金を出すんだ」というスタンスが間違っているとも決して思わないし、
実際そういうお金の使い方をするファンのおかげで生き延びている作り手やコンテンツはいくらもあるだろう。
しかし、そういった「お布施」的な金の使い方の先に、「作り手と消費者の馴れ合い」があり、
さらにその先に待っているのは、なつかしの「男性との交際が発覚し、丸坊主になって動画をアップしたアイドル」の姿ではないかと思っている。
上記記事の裏返しにあるのは、
「そのモノ(音源、グッズ)の魅力如何にかかわらず、その人(作り手)のためにお金を支払う」という態度だ。
これは、たとえば「推しアイドルを選挙で上位に上らせるため、同じCDを何枚も購入する」という、一時期盛んに喧伝されたAKBファンの姿と重なる。
同じシングルを何枚も購入するというのは当然、そのモノの価値のためではなく、その先にある人のためである。
作り手が、「消費者はこのモノにお金を払うのではない。この人のためにお金を払うのだ」と思った瞬間、
そこにはモノをすっとばした「私のこと好きだったら、払ってくれるよね?」「もちろん君のことが好きだもん、払うよ」の馴れ合いの関係が生まれるのではないか。
その、「作り手と消費者の馴れ合い」が最悪の形で出たのが、例の「AKBの一人がスキャンダル→丸坊主で謝罪」だったと思っている。
あの時は随分騒がれたが、いちばん唖然としたのは、あのあとの秋元康の言葉だった。
明文化して「恋愛をしないこと」と定めた規約はない、のだという(実際には契約書があったとかなかったとか言う話もあるが、ともかく秋元康自身はそういっている)。
しかしながら、AKBのアイドルたちは恋愛が発覚すると、脱退したり、他グループに「左遷」されたり、研究生に「降格」されたりしている。
そしてそれを、消費者も、アイドルたち自身も、当然の事態として受け止めている。
消費者たちはCDという「モノ」に対してお金を支払っていない。
まったく同じたくさんのCDという「モノ」には、支払ったお金分の価値を感じていないのだから、それ以外の「対価」を求める。
その対価こそが、「俺たちのために彼女は『普通の女性』ではなく『アイドル』でいてくれる」「彼女は処女であり特定の男と恋愛などしない」というものだ。
私は、アイドルファンが、アイドルに恋人がいてほしくないと願うことを否定しない。
「誰にでもあって当然の感情」ではないが、「そうなってもおかしくない感情」であるとは思う。
だから「スキャンダルがあったからファンをやめる」のも、アイドル側が「商売的な戦略として恋人がいない体裁を繕う」のも否定しない。
だがしかし、金を出したからといって、消費者が「私生活においても恋愛しちゃいけませんと言える権」を買えるか、
といったら、それは、絶対に、まちがっていると思う。
そんな商取引は成立しようがないし成立してはならない。ただの責任を薄めた人身売買だ。
だが、AKBに関しては、その商売が成立しているかのような錯覚を、消費者にもアイドルたち自身にも与えていた。
その対価を提供できなくなった者=スキャンダルのあった者に、「左遷」「降格」「脱退」といった実際的な処分を与えることによって。
これこそが、消費者と作り手の「馴れ合い」が行き着く、最悪の形だ。
作り手は消費者が求める「本当の対価」を知っていた。
そして、CDにお金を払っている形式をとりながら、それ以外の――本来ならば差し出してはならない――対価を、暗黙裡に差し出していたのだ。
モノにお金を払ってもらうことを放棄し、人にお金を払ってもらう結果、その人の自由や私生活や主体性を差し出すしかなくなったのだ。
そして、「お金を受け取るだけの対価」を失ったアイドルは自ら丸坊主になった。
彼女はライブをこなし、CDで歌っているだけでは、お金をもらえない。
彼女が恐れたのは、ファンが減って選挙の順位が下がって、という、正当な資本主義的淘汰ではない。
もっと根本的に、AKBであることとは私生活を対価として差し出すことであり、
それを怠ったことが発覚したら、AKBの一員としてやっていく資格を持たない。そう、彼女自身が考えたゆえの事件ではなかったか。
「モノ」ではなく「コンテンツを生み出す人」にお金を支払うというのは一見理想的な消費行動だ。
アイドルも、消費者が先に言ったような「対価」を求めるのでなく、アイドルと言う「夢」に対してお金を支払うのなら、彼女は坊主にならずにすんだだろう。
「俺たちが支えている」「俺たちの金こそが彼女のためになる」という幻想。
しかし、実際には、消費者たちは「夢」だけでは満足せずに「対価」を求める。
「(金を出した自分の)理想どおりであれ」と求める権利である。
わたしの、理想どおりの存在であってくれ。理想どおりの作品を作ってくれ。
そして、金を出して支えてきたわたしには、「それを求める正当な権利がある」……という、幻想。
それが幻想ですめばいいのだが、AKBの例のように、作り手の側がその求められる「対価(=消費者にとっての理想)」を鋭敏に察知し、積極的に提供しようとしたならば。
そのとき、「馴れ合い」はたちまち対価という名の鎖になって、作り手を縛るだろう。丸坊主になったアイドルのように。
そして、ファンに対して真面目で真摯な作り手ほど、その傾向は高くなる、…かも、しれない。
対価のための「消費者の理想」ばかりが追い求められ、「作り手の主体性」は死んでゆくんじゃないだろうか。
勿論、すべての人が、「それ以外の対価を求める」といういわば暗黒面に落ちるとは思っていない。
ひょっとして、ミノムシを見た事が無い人も多いのだろうか。ミノムシとは蛾の幼虫で、枯葉や枯れ木を身にまとって蓑を作り、枝や壁にくっつく虫の事である。僕が子供の頃はそこらじゅうに居た記憶があるが、言われてみれば十年以上見ていない気がする。ミノムシの蓑を解体して、中に居る幼虫を取り出して、細かく千切った折り紙と一緒に箱に入れて、カラフルな蓑を作らせるなんて遊びもあった。中に居る幼虫の見た目が気持ち悪いけど、蓑の状態だと何だか可愛くて、僕は結構好きだった。
そう言えば、ひっつき虫も見なくなったなぁと思っていたら、こっちも絶滅危惧種に指定されていた。ひっつき虫とはオナモミという植物の種で、硬い殻の周りにトゲトゲが付いていて、それが衣服にひっつくのでひっつき虫と言われていた。これも僕が子供の頃はそこらじゅうに居て、友達に投げて遊んだり、ポケット一杯にしまったら取り出せなくなって親に怒られたりした記憶があるが、やはり十年以上見ていない気がする。しかしこれは「オナモミ」の他に「オオオナモミ」という似たような外来種があって、オオオナモミはたくさんいるようだ。僕が子供の頃に見たのがオナモミなのかオオオナモミなのか分からない。見なくなったのも、単に僕が原っぱに行くことが無くなったからかもしれない。
これらは外来種の増加による環境の変化が原因らしいけど、たかだか20年くらいで絶滅危惧種になってしまうほどに減少している事は問題だと思う。それに僕の娘が大きくなってもひっつき虫やミノムシで遊ぶことが出来ないのは何だか寂しい。
このように、今あたりまえのように居るモノ、見ているモノが、将来絶滅に瀕する事は、これからも起こり続けるのだろう。それは何も動植物に限った話ではない。例えば僕が小学生の時は女子の体操着はブルマーだったが、今では消滅した。また、僕が中高生の時はルーズソックスが女子生徒の間でスタンダードだったけど、今ではほとんど見る事が無い(近年復活の兆しがあるらしいけど)。AV方面の話についてはあまり明るくないけど、近年は黒ギャルモノが衰退しつつあるらしく、また女子高生モノも僕が高校・大学性の頃に比べれば、その数を減らしていると感じている。
こう考えてみると、例えば今はたくさんいるAKB48やエグザエルも、いずれ絶滅の危機に瀕する可能性があるのだろうかと考える。48グループ(国内AKB、SKE、NMB、HKT、乃木坂)は現在研究生を含めたら363人いるらしい。って363人もいるのかよ。これには素直に驚いた。ちょっとした限界集落より多いだろ。そしてエグザエルは現在19人。しかし2006年当時5人だったエグザエルが9年間で約4倍にその数を増やした。このままのペースで増え続ければ2022年には72人、2030年には274人に増える試算もある。エグザエルの繁栄がいつまで続くのかは分からないが、栄枯盛衰などと言われるように、何事もいつかは必ず衰退する。往々にして発生⇒繁栄⇒最盛⇒複雑化⇒簡素化⇒衰退を繰り返すものである。AKBだっていずれ解体・簡素化のいずれかは起こるだろうし、エグザエルもその数を減らすだろう。
そうなってくるとAKBもエグザエルも絶滅危惧種に指定、レッドリストの仲間入りする未来も、そう遠くはないだろう。貴重種になったAKBとエグザエルは、その価値が高騰。金持ちの道楽として高値で売買されるのは時間の問題である。必然としてAKBハンター、エグザエル狩りが出現、乱獲が国際問題へと発展する。もちろん何もしない日本政府では無い。AKB・エグザエル絶滅対策保護団体が発足。政府介入のもと、保護と繁殖を行う。しかし詳しい生態の解明されていないAKB及びエグザエルの繁殖は難しく、同種間での繁殖にはついぞ成功する事が無かった。AKB×エグザエルによる繁殖には成功したものの、そのハイブリットに対する批判が殺到。曰く「そうじゃない」「政府はなにもわかってない」「鬼畜の所業」「どうせ前から繋がってる」「処女膜から声が出ていない」といった声が世論から飛び交った。世論からの批判に押される形で政府は支援を打ち切り。こうしてAKBもエグザエルも淘汰を待つだけの種となってしまった。
時は21XX年。AKBもエグザエルも絶滅が確認された世の中。平凡な男子高校生の主人公はひょんなことからAKBの生き残りを託される。時を同じくして平凡な女子高生であるヒロインがエグザエルの生き残りを託される。襲い来るAKBハンター及びエグザエル狩りとの攻防、そして政府と保護団体の癒着が明らかになる中、ついに両者ともに囚われの身となる。つれていかれた先は地下闘技場。「AKBとエグザエルで殺しあえ。生き残った方に特赦を与えよう。それこそが最高の娯楽だ」と狂気をはらんだ目で宣言するのはなんと内閣総理大臣だ。こんな腐った世の中で生きる意味はあるのだろうか。狂った世界で生きるのならばいっそ死んだ方が。。。絶望する主人公とヒロイン。しかし、いつしか強い絆で結ばれたAKB及びエグザエルは「君を助けるために私は戦う」と闘技場へ歩き出す。悲しき殺し合い。果たして両者に未来はあるのか。全国が興奮の渦に。日本映画の最終兵器。世界よ、これが日本のトップアーティストだ。『最後のAKB48 VS ラストエグザエル』 カミングすーん!
という内容でアクション映画を作りませんか、東映さんあたりで、昔のデタラメなやくざ映画を彷彿とさせる内容で、思うに今の邦画にはこういう胡散臭さが足りないよ、昔のようなギラついた日本映画界に回帰するのだ! そしたら絶対見に行くよ! チミィ!
はてなんの話だったんだろうか。
※追記
エグザエルでは無くエグザイルだということをいま知りました。
8月、それは大学院入試シーズン。もう合格した人、これからな院試な人、落ちて路頭に迷ってる人、色々います。学歴ロンダとか留学とかやってる人もいるみたいですが、配属先決定時に意外と軽視されがちな研究室生活。
学部の研究室志望決定で理由に上がるのが「研究テーマ」だったり「緩さ」だったり。
院の研究室志望決定で理由に上がるのが今いるからとか最終学歴良くしたいからどこでも良いとか。
本当にそんな軽い動機で決めちゃって良いんですかねえ?
アカハラだらけ、研究室にお金がない、研究内容が全く違う、連徹・年中無休は当たり前、研究成果が出ない……
人によって何がダメなのかは価値観が違うのでなんとも言えないけど、いざ入ってから上のような事例に遭遇してしまったらご愁傷様。平穏無事にストレートで卒業できれば君の勝利、卒論/修論が書けなくてor病んでしまって留年したら君の敗北。そんなクソゲー、自分から覚悟して入室したのならともかく、巧妙に隠された罠を踏んでやりたくはないでしょ?学部の配属ならまだしも修士2年/博士3年もそんなことに時間を費やせますか?
良い研究室を選んで充実した研究生活を送ることは、例え就職するにしろアカポスを目指すにしろ非常に重要だと思う。就活の面接で研究内容を聞かれたときに、この研究にはどんな意義があって、しかもこんな成果があって、を明るく決められたら人事だってイチコロですよ。アカポスだって時の運要素が強いけど、健康な心身とちゃんとした成果が無ければ非常に厳しい。そして上手くいけば趣味などに費やす時間だって作れちゃう。
そんな将来、実現したくはありませんか。
さて、そんな理想を現実にするにはヤバい研究室を回避しなければなりません。
教授・准教授・講師が獲得してくる科研費などの大型予算(グラント)は研究室の研究遂行に必要不可欠。
大学から各研究室に支払われるお金なんて雀の涙で、備品や消耗品を購入するだけですぐ使い切ってしまう。
つまり、グラントが無ければまともな研究遂行は難しく、それを途切れさせてしまう研究室は何らかの問題がある可能性あり。
グラントが無ければ雀の涙を使って研究するしかないわけで、まともに必要なものを買えなかったり、居室の居住性に難が出てきたり。
NEDOプロジェクトや科研費の場合、予算を与えていることは各機関で公表しているはずなので調べてみよう。
グラントを獲得するためにはその研究者が有能であることを示さなければならないので、外部へ発信することが必要になる。
評価されるのは英語論文誌への投稿や国際学会の参加(日本語論文誌や国内学会もある程度評価されるが)。
そんな大事な活動なのに行わない期間があるなんておかしいでしょう?
空白がある場合、教員のテーマ選定能力や指導能力、研究遂行能力に問題があるかも。
「大きなプロジェクトを極秘で回しているので出てないんです!」みたいなことを言う人がいるかもしれないけど、普通幾つかのプロジェクトを並行して回しているし、大きなプロジェクトならそもそも成果が出る可能性が高いんだからコンスタントに出てないのはおかしい=やっぱりテーマ選定に問題があるよね?
スタッフがきちんといる研究室なら、大抵の雑務は事務スタッフがこなしてくれるし、実験のテクニックや機器のトラブル対応は技術スタッフにやってもらえる。
スタッフがいない場合、作業は講師や助教に振られるか学生に振られてしまう。そうすると余計な時間消費が増え、指導がおろそかにされたり、研究に割ける時間が減ったり、果ては無駄に居残る必要が出たり。
いない・少ない場合、権限を持っている教員がそういった非生産的な状態に無頓着であるか、スタッフを雇う予算がない=金欠研究室の可能性あり。
「学生達の仲が非常に良い」「元気なメンバーが揃っています」「明るく楽しい研究室」なんて文言があったら要注意。ブラック企業かな?
リンクページに明らかに教員のブックマークらしきものがあったり、日本語のページなのに英単語混じり(ルー語)だったり、デザインが謎だったりする場合、独特な教員である可能性あり。
この4つは例え他大にいても調べればわかる。ここから先は内部に繋がりがないと知るのは厳しいかも。
例えば4人いて、1人炎上するくらいならそいつが悪い。けど、半分以上炎上している場合は危険。
基本的に卒論と修論の発表会は通過儀礼要素が強く、ちゃんと考えてるかを試問教員がチェックする場。
ちゃんと指導されていれば厚い研究になるし、研究室内でディスカッションが十分に行われていれば質疑応答にきちんと答えられるはず。まともな研究室なら試問前に研究室内で発表練習して臨むのである程度穴は塞がれているはず。
つまり、所属学生の多くが炎上している場合、教員がまともに指導してくれていない可能性が高い。
学部や修士の段階で単独で研究を遂行できる人間なんて一握り。ここでサポートがないと君に待っているのは約束された敗北の大炎上。
他の研究室が6人とか7人とか配属されている状態で4人とか2人とかしか配属されていない研究室は、学部生の間で何らかの悪い噂が流れている/事実として配属されたくない場所である可能性が非常に高い。院試については就職組や外部進学組がたまたま大量に出た可能性もあるので、2〜3年追ってみて同様の状況が続いているか確認のこと。
1つだけキャンパスの外れにあるとか、そんな理由で不人気だったりする(研究室は悪くないのに)ところもあるので見極めは重要。逆に他の研究室が固まっている場所から最近になって移転して1つだけ僻地に追いやられる研究室は専攻内(教授陣達の中)で何かがある。
4)と同じ。学部生の配属人数は均等にするルールがある大学の場合、強制的に配属された人たちの吹き溜まりになってしまう研究室がちらほら。そういうところはまず良くないので脱出してしまう。中には院試前はニコニコ対応で囲い込んで院試後からブラックに豹変する研究室もあるらしいが……
グローバルだなんだと言ってもここは日本。学部生の大半は日本人のはずで、配属される学生はほとんど日本人。それが修士や博士で外国人だらけになっているのは生え抜きの学生がいなくなっている、即ち何かしらの闇を抱えている可能性あり。博士に進みたい人材が連続して配属されなかったとか、海外で超有名な研究室だからとか、そんな理由の時もあるので一概には言えないが。
ただしその場合でもコミュニケーション面や指導面でのハードルは覚悟すべき。英語できないと最初大変かも。
授業にやる気がないお方や多人数への指導が得意ではない方も多数いらっしゃるのでなんとも言い難いけど、スライド形式の授業でスライドのデザイン・内容展開があんまりだとか、レポート課題がやたら鬼畜だとかは考えもの。
逆に授業がクッソわかりにくくても個別に聞きに行った時に丁寧に教えてくださる場合は良い研究生活が送れるかも(ただし、こちらから積極的に行動しない人には不向き)
特にスライドが酷い人のところだと、発表がいつまでたっても上手くならず学会や就活などで苦労するかも。
研究室にその辺がうまい人がいれば教えを請えるのでそれほど重要じゃない。
コミュニケーションが上手く取れないと非常に苦労する。噛み合わない場合、独自の世界に固執しているか、言語処理能力に問題があるかも。また、小出しにしてくる場合、ちゃんと重要事項を把握していないかもしれない。
毎回期限ギリギリorちょっと過ぎてから話を持ってくる場合、社会人(オトナ)としての最低限を持っていないかも。
最近の大学教員は事務作業などの研究外活動に忙殺されてスケジュール管理が難しいが、時間に大幅に遅れてきてもしれっとしているような人はちょっと困る。10)とも少し重複するけど常識が通じない人と意思疎通を図ることは非常に骨が折れる。
博士課程を3年ストレートで修了することの難易度がそれなりに高いことは確かなのだが、それでもODや単位取得退学を頻繁に出すのはちょっと問題があると思う。「とりあえず受け入れるけどあとは一人で頑張ってね」のような放置プレイをされる危険性あり。
流石にこれは危険すぎるので巧妙に隠しているはず。ただ、研究室所属者から「RA費の余りから出すって」のような会話が聞こえるようなことがあったらアウト。いつ明るみになってお取り潰しになるかもしれないし、不正の片棒を担ぎたくはないでしょう?
快適な研究室生活を送りたければ以外と重要。権力闘争とか面倒ごとには巻き込まれたくない。
上の14個以外にも講師や助教が死んだ目をしているとか、専攻内ではごますり星人だけど研究室ではやたら偉そうとか、他の先生をやたらこき下ろすとか、お金にならない共同研究・短期留学生受け入れを大量に抱えているとかそんなポイントもあったけど、その辺は院生として実際に所属してみないとわからないと思うのでやめておく。
上記に一部当てはまったとしても、必ずしも危険ではない。学部生に敬遠される理由としてゼミが厳しすぎる(指導自体は的確だが罵倒に近いため)という研究室は、卒業してみれば意外とありだったり(そう思える日が来るのは遠いが)。
これから研究室を選択できるチャンスがある人は是非よく吟味してほしい。
特に大学院から大学を変えようと思っているそこのキミ。その大学/研究室は本当にキミが望んだような場所なのだろうか?入ってから「前の研究室の方が良かった」と思っても手遅れなのだよ?よくリサーチした?
博士課程 Advent Calendar 2014(http://www.adventar.org/calendars/548)のエントリーです。
1回目のテンプレ(http://anond.hatelabo.jp/20141201200815)をお借りしました。
大学での研究生活の後半 (学部4年の1年間 + 大学院修士の2年間 + 大学院博士の3+年間)。
ワンピースでたとえるなら新世界みたいな感じ。人によっては前半の研究生活を「楽園《パラダイス》」と呼ぶとか呼ばないとか。
人によってはキャリアパスのためという理由もあると思うけど、個人的には、研究が楽しい/研究を自由にやりたいから。
スラムダンクでたとえるなら「リサーチャーになっちまったのさ…」(まだなってないけど)
調子が良い時の例:
調子が悪い時の例:
調子が最悪の時の例:
学振DC1をもらってますので月20万(マイナス 税・学費など)をもらってます。
学費は、(大学によって学振受給者の使いが違うようですが)自分は半額免除もらいましたので年間26.8万円(2.2万/月くらい)払ってます。
徒歩20~30分くらいのところに5.9万のワンルームのアパート(都内23区)を借りて、気分転換と運動を兼ねて徒歩で通学してます。
今のところほぼ完全に自炊をしていて食費は月2万くらいです。
初年度は税金等がないのもあって、±ゼロ ~ +3万(黒字)くらいの家計でやりくりしています。
修士2年5月の時に、国内会議1本+国際会議1本+国内論文誌1本+学内賞 で学振DC1に応募して面接免除で採用になりました。
その後、いろいろあって研究室を変えることになり、採用内定後に指導教員の変更届を学振に提出しました。
博士に入ってからはまだどこにも行けていないのですが、修士1年の終わりくらいに海外の研究所で4か月ほどインターンをしました。
インターン先で研究してから、ますます研究が面白くなったり、博士にいってもやっていけそうという自信がつきました。
学部4年になった時から博士神学は考えていましたが、最終的に博士進学の決心が固まったのはインターンから帰ってきたとき(修士2年の始め)です。
また、インターンに行ったことで、研究に対しても、キャリアプランに対しても、自分なりに視野を大きく広げることができて、本当にいい経験になりました。
D1のとき(今年)インターンにいけなかったこと (後悔というより残念なこと)。
http://anond.hatelabo.jp/20140628222127
以下は単なる目安です
僕個人の体験に基づいた僕個人の意見です
外れたらゴメンネ
情報は外部の人でもHP、学内の掲示板等で知ることができる。誰でも参加してよい。
多くの場合トークの後で飲み会(歓迎会)があったり、いっしょに夕飯に行ったりする。
基本的に誰でも参加できる。
誰もあなたの顔を知らないと置いて行かれてしまうかもしれないので
研究室のボスに挨拶して顔を覚えてもらう&トーク後にスピーカーにまとわりついて質問していると良い。
だいたい誘われると思う。
質問をしたり自分の研究を紹介したり。優秀な人は自分のアイディアを提示して共同研究を取り付けたりしている。
先輩やポスドクに質問をして研究のアドバイスを求めたり、今日読んだ論文の話をしたり、最近出た研究会で聞いた話をしている。
ひとりイジメっ子が紛れ込んだだけで研究室の雰囲気は台無しになることがある。
院に入ってやりたい研究テーマができる→自分のボスが専門ではなかった or 設備的に難しい
ということが結構頻繁におこるので。
大学だけではなく独立行政法人、つまり理研とかJAXA、産総研みたいなところでも学生を受け入れている。(研究委託とかリサーチアソシエイトetc)
修士、博士の審査時だけ自分の大学に戻ってきてディフェンスする。
自分のボスに「○○の研究がしたいです」と聞いてしまうのが一番良いと思う。
誰が専門なのか、誰が教育者として優秀か を業界の人間はよく知っているので。
まず指導してもらいたい人を捜す。
見つけたらその人に「○○がやりたいです。あなたの元で研究させてください」と直接言ってみる。
タイミングとしてはセミナーや研究会の後などが自然かな。メールでも良い。
あとは適切に処理してくれると思う。
以下多少のフェイクを入れる。
当時D2。いろいろあってそのテーマでDを取るのにあと3年はかかるだろう、という状況だった。
研究会でものすごく興味を魅かれる発表を聞く。当時革命的な研究だった。
本人の元に直接行って「あなたの元で研究させてください」と思い切って言ってみた。
後日研究室に呼ばれ簡単な面接があった。移動したい理由を聞かれたので正直に全部話した。
「君のいうことをそのまま伝えると角が立つから、
といわれて頷いた。
研究室を移動してよかった。
研究は充実していた。一見失敗に見える研究もボスの鋭い洞察によるコメントで
新たな発見が次々と見つかった。対象をより深いところから理解できるようになった。
研究成果は(僕の能力にしては)良い物になった。卒業時に賞ももらえた。
偉大な研究者と直接対話し、間近で見れた事が一番素晴らしい体験だったと思う。
Dを取るのは一年遅れたが得た物はずっと大きかった。
「将来、人道的な範囲の労働環境で、趣味に不自由しない程度の金がもらえる、自分の適性に合った仕事につきたいので、そのための活動をしたい」と書いたほうが正しいのかもしれない。
このような考えなら院に進まずに就職した方が幸せになれるんじゃないかな。(分野にもよるけど)
研究者は道のない道を歩くような物なので。何も保証されないからね。
NMBの人気メンバー、渡辺美優紀(みるきー)のスキャンダルが発覚したのは、3月中旬くらいなのに、俺がそのショックを未だに引きずっていて。
なんでかなーと思っていろいろ考えていて、タイトルのようなことに思い至った。ので書く。この導入は結論とあんま関係ない。
で、ショックを受けた最大の原因は、AKBグループ全体のスキャンダルへの対応方針が峯岸坊主事件を期に「厳罰」から「放置」へと180度変化したからなのかなと思ってる。
これって、AKBグループ全体が「アカウント指向」から「プロダクト指向」に移行している過渡期っていえるかなーって思った。
ここで、
「アカウント指向」とは、顧客の求めるものを提供するサービスの意で、
「プロダクト指向」とは、自分が良いと思ったものを提供するサービスの意、な。
地下アイドルとか、若手芸人とか、インディーズバンドとかが、自分が提供するサービスに対して決定権が持てなかったのが、人気や実力が伴ってくると自分のやりたいことが出来るようになるみたいなイメージ。まあよくあることよな。
これを芸能以外に置き換えると、いろんなサービスが質が向上して、コスパで選べば激安or無料でそこそこのものが選べて、金さえ積めば青天井に素晴らしいものが手に入って、という世の中だと、自分の仕事の決定権が持てるまでの時間がどんどん長くなるなって思った。「串打ち三年、割き八年、焼き一生」とか、そういう世界。で、良いものを提供する世界で生き残るのは片手で数えるほど、みたいな。
一
或春の日暮れです。
W大学の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人のリケジョがありました。
リケジョは名をオボ子といって、元は成績優秀な娘でしたが、今は才能を費い尽くして、学位取得にも困る位、憐れな身分になっていたのです。
「研究は進まないし、学位論文はイントロさえ書けないし、その上もうどの研究室へ行っても、相手にしてくれる先生はいなさそうだし――こんな思いをして生きている位なら、いっそ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない」
するとどこからやって来たか、突然彼女の前へ足を止めた、白衣の老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落とすと、じっとオボ子の顔を見ながら、
「お前は何を考えているのだ」と、横柄に言葉をかけました。
「私ですか。私は学位論文が書けそうにないので、どうしたものかと考えているのです」
老人の尋ね方が急でしたから、オボ子はさすがに眼を伏せて、思わず正直な答をしました。
「そうか。それは可哀そうだな」
老人は暫く何事か考えているようでしたが、やがて、大学構内にさしている夕日の光を指さしながら、
「ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当るところを夜中に掘って見るが好い。きっと学位取得のヒントが埋まっている筈だから」
「ほんとうですか」
オボ子は驚いて、伏せた眼を挙げました。所が更に不思議なことには、あの老人はどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。
二
オボ子はその年の内に、博士になりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、URLの書かれたメモが出て来たのです。そのWebサイトの文章をコピペしただけで、学位論文が通ってしまったのです。
博士になったオボ子は、すぐに理研のS氏に見出されてユニットリーダーに抜擢され、かつての指導教授に負けない位、贅沢な研究生活をし始めました。最新の実験機器を買わせるやら、高価な実験キットをとりよせるやら、ポスドクやテクニシャンを何人も雇うやら、ムーミンのキャラクターのシールを実験機器に貼るやら、白衣の代わりに割烹着を着るやら、壁一面ピンクや黄色の実験室を造らせるやら、花柄のソファを誂えるやら、その贅沢を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。
しかしいくらお金持ちラボのチームリーダーでも、才能には際限がありますから、さすがに贅沢家のオボ子も、一年二年と経つ内には、研究成果が出なくなりました。
そこで彼女は或日の夕方、理研の西の門の下へ行って、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。するとやはり昔のように、白衣の老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考えているのだ。」と、声をかけるではありませんか。
オボ子は老人の顔を見ると、恥ずかしそうに下を向いたまま、暫くは返事もしませんでした。が、老人はその日も親切そうに、同じ言葉を繰り返しますから、こちらも前と同じように、
「私はユニットリーダーになったのですが、なかなか論文が出せそうにないので、どうしたものかと考えているのです。」と、恐る恐る返事をしました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを一つ教えてやろう今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その胸に当たる所を、夜中に掘って見るが好い。きっと論文のヒントが埋まっている筈だから。」
老人はこう言ったと思うと、今度もまた人ごみの中へ、掻き消すように隠れてしまいました。
オボ子はその年の内に論文がNatureにアクセプトされ、忽ち天下第一の話題の研究者となりました。マスコミも、リケジョやら美しすぎる研究者やらノーベル賞候補やらと、ちやほやし始めたのです。
ところが或日、JuichiJigenと名乗る匿名アカウントが「論文の画像は捏造ではないのか」と言い出したのです。それからは、再現性が取れないだの、ゲルを切り貼りしているだの、博士論文から画像を使いまわしているだの、エア実験だの―――ですから、マスコミも、三ヶ月ばかり経つ内には、すっかり手のひらを返して非難轟々になってしまいました。
卒業式は終わったけど、中身は伴っていない。
遊びには行ったけど、実験はしなかった。
言われた事もちゃんとしなかった。
1〜3週間音信不通でサボったことが何回あっただろう。
そんなB4。
先輩や同輩は割と励ましてくれるけど、教授は呆れているし困っている。
ネットで見る横暴な教授や先輩と比べたら、非常に好意的だし優しいと思う。
とてつもなく申し訳ない。頑張れなくて。やる気がなくて。
院試は通ってるけど、院へ進んだところで更生できる気もしない。
何度か「今日から心を入れ替えて頑張ります」って言って泣いたけど
まぁ数日は続くけど、すぐに行けなくなってしまった。いや行かなかっただけか。
教授にも辞退を勧められた、のかな。ストレートにではないけど。
だからやっぱりやめとこう。その方が研究室にとってもいいよね。
卒論だけはどうにか出せと言われたけど
手につかない。動きたくない。教授にももう会いたくない。
わがままで甘えた事を言ってるのはわかってる。
「充実した研究生活」「院生仲間との交流」「普通に就活」「教授、先輩との議論」
思い描いていた理想に執着心、未練がまだまだあるけど、そろそろ諦めないといけないな。
職探しする気も起きないけど、これは危機感がないからだろうなあ。
吐きそうなくらい、どうなってるんだってくらい甘い。
あーあ、なにやってんだろ。
STAP論文問題で、「小保方さんはむしろ被害者だったのだ」と思うようになった。ここまでコピペが常田研で蔓延していたのを見ると。ランキングから分かるように、小保方さんは明らかに氷山の一角。
きっと、「論文とは、図画工作のように切り貼りして作るものだ」と、そういう文化の中で研究生活を送ってきたのだろう。小保方さんも高い学費を払って大学院に通っていたはず。それなのに、これまで、まともな指導を受ける機会がなかったのだろう。
STAP論文問題の中核は理化学研究所や笹井氏ではないと思う。博士を出した当該研究室の指導の問題。
もちろん、論文の広報をした理化学研究所や共著者の笹井氏の責任は、もちろん、ゼロではないと思う。しかし、博士の学位を持つ研究者に、ここまで豪快な剽窃や画像操作をする人が存在するとは誰も想像できないでしょう。当該研究室で博士課程院生の指導が普通に行われていたら今回のような不正も起こらなかった訳です。理化学研究所を集中的につるし上げるのは筋違いだろうと思います。
また、笹井氏は世界をリードする研究者であり、理化学研究所も世界をリードする研究機関なわけで、こんなことで研究が停滞すると日本(世界)の科学にとって大きな損失だろうと思います。
博士論文の画像はNature論文にも転用されているし、小保方さんに学位を出してしまった早稲田大学が、早く、今後の対応の方針だけでも発表すべきだと思う。「調査中」って何を調査しているんだろう。博士論文の剽窃については11jigenさんが既に徹底的に調べてくれていると思いますが。タイミングとしては、新しい学生たちが入学する前までではないでしょうか?対応が遅れれば遅れるほど、早稲田大の他の学部の学生・教員たちへの影響が出かねないし。
なお、小保方さんは、研究以外の世界では生きていけないと思うし、別の大学の大学院に入り直して鍛え直してもらったら良いと思う。日本では顔が知られすぎているから、海外の大学院が良いでしょう。ただし、バカンティ以外のところで。
ハーバード大のバカンティ教授が「小保方の博士論文、もらってないし読んでない」と言っていたという報道がありました。http://www.j-cast.com/2014/03/20199793.html?igred=on
しかし、バカンティさんは博士論文審査の副査だったはずですよね?バカンティさんの主張が本当だとすると「小保方氏博士論文の審査報告書は偽造」だ、ということになります。博士論文自体の剽窃の問題よりも遙かに大きな問題。早稲田大は直ぐにでも反論した方が良いと思いますが。
このエントリでは、11jigen氏のブログ http://stapcells.blogspot.jp/ の情報をもとに博士論文のコピペ量のランキングを作って掲載していました。しかし、11jigen氏自身が分かりやすいランキングを掲載なさっていて、ここに同じものを書く意味もないので、このエントリからは削除しました。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905
上の三つが目に留まりました。
この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラしたからです。
学生時代は塾講師で中学生に理科国語数学を教えてました。(6年)
ということですべての意見に対して反論することはできるのが
肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います
結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。
以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。
結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。
きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。
これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。
基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力が必要です。
ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います。
だから、現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。
では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。
保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法の妥当性を学ぶためには生物が必要である。
同上
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスクと副作用のリスクを勘案すればよし。
中学校の理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞が血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?
高校の化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。
・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか
空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学の理科で空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。
空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。
まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力が必要になる。
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
最近の高校の教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉でダイエットはできるのだろうか?
ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。
大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。
そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である。
ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。
他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。
さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。
対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的、社会的なトレードオフの問題になりますが。
世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者の仕事であると思いますが。
教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います。
さて、以下はすべて反論である。
彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである。
レベルという言葉をプログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。
それと、相手に対しては敬意をもった言い回しをしましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。
“バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”
こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?
みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?
この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間のトレードオフ的に有利だからです。
“現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”
何を言っているかわからない。系統学習の有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。
また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?
問題解決だけしていても断片的な情報だたまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。
応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間のトレードオフ的に無駄ですよね?
”台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。”
そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?
さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?
たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体が数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?
台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います。
それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?
”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”
本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます。
算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?
彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。
最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています。
私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。
むしろ重要なのは現在の科学教育の妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います。
また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います。
私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、
基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在の教育で十分にできている。ということです。
これはバッタさんも指摘していることですが…
一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています。
それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的な裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。
それ以前の問題、論理の破綻や無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。
嘘や適当なことを言って自分の意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから。
上の人とは別の人ですが。
私は、学生バイトでホテルの接客やって、ニコニコ笑顔で顔が固まって、なんとなくバイトだからだるいなーって思いながら働いてた。
社員さんは、辛いそうだった。はたからみてると楽しそうだけど。
年取ってもやる仕事じゃないって感じ。
だから、大学での専門の勉強がんばって、安定した仕事についた。
ホテルバイトでは一歩踏み外せば、体力的にしんどい人生と紙一重なんだということを学んだ。
大学後半と大学院は、研究生活の息抜きに個人経営の居酒屋バイトした。
私は女性なんだけど、技術系の職場はおじさんとか男の人多そうだし、
慣れてると、いろいろ面白がられてよい。
いま思うと、統率の取れている、大企業のチェーンとかのファミレス、コンビニ、居酒屋なども経験してたらよかったなぁと思う。
だから、照準を合わせるというよりは、
ある程度の学生さんなら、
そういうバイトもありでは?と思う。
働いてる時は仕事が楽しくて、
お父さんから上のようなことを言われると、
逆に反発して(職業に貴賎なし!とか、ぷろれたりあ!とか)
信じて見守ってあげるのも手ではと思う。
人生でこれほど悩んだこともなかったので、今日か明日に心療内科を受診しようと思う。その前にできるだけ頭の中を整理して置きたいと思い、増田にお邪魔することにした。
詳しいことに移る前に、自分のスペックを特定もされずかつ説明に必要と思われるくらいの範囲で晒しておく。
所属しているのは某旧帝大の理学系の研究室。M1。男。彼女いる歴四捨五入して10年。
はいはい高学歴で彼女持ちとかリア充氏ねやというツッコミは承知の上だがまあ説明に(多分)必要なんだ、容赦してくれ。
とりあえず目下悩んでいることのひとつは周りと自分を比べた時の劣等感か。当たり前ながら先輩方はとても優秀な人たちで、どのように優秀かというと人の120%の努力をもって200%の結果を出すような人たちだ。自分はそんなに優秀ではなく、努力もできるタイプではない。そのせいで教授からもしばしば「君はいつも中途半端だなあ」「研究に向いてないんじゃない?」などと言われる始末。というか一番辛いのが教授からそういった台詞を言われることなのだけど。
悩んでいることのふたつめは将来の進路。自分は学部までは旧帝ではない国立大にいて、今の大学には院入試で外部から入ってきた。なぜ入ったかと言えばもちろんその分野の研究がやりたかったからで、入る当初はドクターまで行く気であった。しかしながら上で言ったような劣等感の他に、このまま研究の道にいるのは将来的にどうなのだという不安・疑問が湧いてきてしまった。
研究職というのは地道に実験していれば必ず飯が食えるという職業でもない。博士まで行ってもいわゆる高学歴ワープアになってしまうという確率はそう低くない。それでもがむしゃらに突っ込んでいけばまあ飯を食うくらいはできるようになるの「かも」しれないが、正直かなり不安定なのではと思う。
つまり安定のためにも、修士で就職することも現在考えている。というのはやはり早く自分で稼げるようになりたいのだ。経済的基盤が欲しいのだ。スペックに書いたようにもう付き合い始めてから久しい。そろそろ結婚したいと思ってる。
しかし、今研究している内容は理学ということもありおそらくほとんど就活に有利なものではなく、それ以外の武器が自分に用意できるかというとどうだかなあとまあ就活生ならほとんどの人が悩んでいるだろうことも悩んでいる。
そして悩んでいることのみっつめ、というか多分これが最も本質的で根が深い問題なんだけど。自分の怠け気質である。研究したいだの就職したいだの結婚したいだのとつらつらと書いてきたことはそれぞれ自分の本心だが、実のところ「あまり働きたくない」と常日頃考えている自分もいる。
できれば仕事は9時5時の土日祝休みが良い。あと有休などで固まった休みも欲しい。
などと、自分自身ですら「甘えるなよこのゆとりが」と思うほど甘えた考えを持っている。かといって仕事のないニートをやりたいかというとそれもまた違い、社会の歯車のうちのあまり使われてないであろう歯車になってゆっくり回っているくらいが希望なのだ。早くベーシックインカム実現しないかな。
悩んでいることはおおまかにこんな感じだと思う。自分の言葉として書き下したことで自分が何にどう悩んでいるかは少し整理できた気がする。診療から戻ってきて何か変わったことがあればその時は続きを書こうと思う。
入学してから4ヶ月くらい経つが,自分の研究生としての素質の無さに悩む日々である.
自分は大学院に入学してから,これまで研究してきた分野とは違う分野の研究を始めた(どちらも情報系の分野ではあるが).
研究室に配属されてからは論文を読んだり書籍を読んだりしていて,読んでいておもしろいとは思っているが,そこから疑問や問題点を見つけることができない.
読み終わった後は,たいてい「こんな研究もあるのか」「xxxとoooの関係はこうなっていたんだなぁ」と思って,終わり.
一方で,先生や先輩方は「この論文ではaaaについて分析している.僕達は一歩進めてbbbについて分析してみよう」「じゃあoooとyyyの関係はどうなっているのだろう」などと議論している.
私もなんとか提案を入れてみようとするが,何も浮かんでこない.結局,相槌を打つだけである.
次に,研究のサイクルを見通して作業することができない.
研究テーマに関しては上記の始末なので,現在は指導教官から提案されたテーマで研究している.
結果,軽いパニックになって手が動かない.
それでもどうにかこうにかデータを取ることはできたが,先日,そのデータが実は研究に必要なデータとは微妙に違うことに気がついた.
ちなみに,指導教官にはそのこと(自分がとったデータと,本来とるべきデータが違うこと)は言い出せずにいる.
それにしても,こうやって書き出してみると自分が思ってた以上に自分ってバカなんだな.
大学にいたころはそれなりにデータもとれたし,研究発表もしたことあったんだけど,結局は当時の研究室の先生が手取り足取りやってくれたおかげだったんだよなぁ,
自分自身には何一つ身についていなかったのかと今更思う.
勉強だけは出来るタイプと言ってるけど、学部時代の成績はどうだったんだろうか?どの講義でも9割以上手堅く取れるタイプなら、メンタル的に参っていたとしても、また、それが他大だったとしても院試勉強で悩むことなんてないんじゃないかなあ。
あと、メンタル的な部分だけで言わせてもらうと、元増田は研究生活はあんまり向いていないと思う。勝手に判断するのは申し訳ないけど、劣等感を持ちやすいという元増田の特性は結構厄介だと思う。それが競争心にうまく転化できればよいのだけど、劣等感の克服自体が研究者になるためのモチベーションになっているのだとしたら、仮に学位が取れるところまで漕ぎ着けても仕事として続けていくのは辛いと思う。もちろん、研究する力はメンタル面だけではないので、論文をゼロから独力で仕上げることができる能力さえあれば研究を続けていくことは可能だがね。劣等感を持ちやすいとかクヨクヨしやすいみたいな性格的な問題点は、研究を遂行するための能力である程度はカバーできるから。
研究を続けるかどうかについては、定年まであるいは死ぬまでのライフワークとして考えた時に、本当に研究で良いのかどうか考えてみるのが良いと思う。これは、どの仕事にも言えることだけどね。
気持ち悪いと思われそうで人に言えないんだけど、顔も見たことない自分の専攻の大学生(後輩にあたる)のツイートをみるのが面白くてしょうがない。
もちろんフォローはしてない。実際盗み見るなんて趣味悪いし気持ち悪いよなあ。でも楽しい。鍵かけてないし、いいよな?と言い訳しながらみてる。そういうわけだから頭おかしい大学院生にジロジロみられたくない大学生の諸君は鍵をかけることをおすすめする。
ちなみにおいらは博士後期課程でツイッターはほとんど使ってない。つまんないこと書いてるのをリアルの知人に知られるのが怖いのである。自意識過剰きもっ!
でも研究生活の末に心が汚れて疲れ切った大学院生はやってみるといいよ!楽しいから!
みんな夢いっぱいなんだよね。○○先生すごいって連呼してたり、この分野もこの分野も面白いとか、難しすぎて頭爆発する!レポートおわらん!って騒いでたりとか。
教室変更をツイートしたり、授業のレポート形式についてツイートしてたりする人もいて、懐広いなあと思う。(自分はあまり性格が良くなかったので「来ない奴は自業自得でしょ」としか思わなかったw 友達少ないわけだよ…)
他に鉄板ネタなのは専攻ジョーク。文字媒体ならではのネタもあるので新鮮。
あとツイッター廃人みたいな人たちは学年関わりなく会話していてそれも面白い。垣根無いんだなあ。ネットでもリアルでも他の学年と関われなかった自分と比べて、とても楽しそう。
それから専攻名を表に出す学生たちはみんな一生懸命勉強してる。最近の学生、というか自分の同級生もそうだったけど「別に勉強したくないけど就職のために or なんとなく…」な人が多いのでなんだか安心した。でもまあ、専攻名をだすってことはそれだけその学問に対して情熱があるのだろう。だからあたりまえか。
自分たちの時も一応2chなんかに大学のスレはあったけど、さすがに人数が多くはなくて専攻別ともなるといるっぽいけど確認できないみたいなレベルだった。
総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか
「成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、
顔をクシャクシャにした笑顔のポスドク・院生の画像と、自信に満ちあふれた教授の画像。
(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ)
予想通りだった。流行なんだろう。
話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。
昔はやんちゃしてましたタイプ、アメリカで修行をして独立したタイプ、
学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ。
この最後のタイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の教授達だ。
○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。
「ビッグラボにした人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。
おそらく自分の学生に対しても「CNSを目標にするな」と言ってるのだろう。
しかし、「マザーテレサの本を読んで教授をめざした」って人は居ない。
一人残らず全員が、「CNSを連発して成長させた人」に感化されている。
その時点で「CNSが欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。
この教授達を刺激した本・人物が問題で、口では「CNSでは幸せになれない」などと言うし、書いてある。
教授達も「そうだ、CNSじゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから。
そして部下にも「CNSを夢にするな」と説いているはずだ。
それでいて、自分の目標を達成する意欲は揺るがないので「CNSを出せ」と口を酸っぱくする。
「CNSじゃないんでしょ?」と聞けば「ラボを続けるのに必要でしょ」と言い、
「CNSを目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。
挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識のステージが低い」という視線を向けて来る。
埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら
いた。
ジャンプの人気漫画「ワンピース」の主人公、モンキー・D・ルフィだ。
感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()
そう考えたら全てがシックリきた。
ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。
「ラボに戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。
「半年間ラボに泊まり込むなんて生物系だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、
おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。
「ブラック研究室」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。
俺は、ひとつカマを掛けてみた。
そこに居ない若手教授の名前を出して、「あの人ってワンピースのルフィみたいですよねー」
瞬時に周りの教授連中の表情を確認する。
居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw
その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞をはいたが
あの一瞬で俺は確信を得た。
こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。
そこへいくと、ロンダの教授達は判りやすい。「CNSだしたい」この一心だから。
現代科学の王道だ。幸せだの感動だのはラボには関係ない、と割り切ってる。
CNSを持ってるヤツが偉い。CNSを稼いだヤツの勝ち。winner takes allの精神。
だから、ポスドクに「CNSを出せ」と言っても矛盾は生じない。
「生かさず殺さず」の年収で働くポスドクがいるから教授がグラント持ちになれるという事実、
研究生で働くのが当たり前のラボがあるから旧帝のラボが成り立っているという事実、
「ピペドをピペドのまま」「バカはバカのまま」「地国は地国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実、
多数の方々から、『実家が開業医の医者がAKB48に入れずアイドルになれないのは、(それを自ら選択しているのだから)自己責任。そもそもAKBは枕営業で忙しく勉強なんてできないから比較にもならない』という趣旨のコメントをいただいた。
一部はその通りだ。
でも、「実家が開業医の医者が選らんだ医者という仕事は、本当に心底望んでいることなのか?」という事が、自分のなかでは大きな議題のひとつだった。
もちろん、実家が開業医の学生の職業の選択肢は、AKB48の強いられた枕営業先とは比べようもなく多いだろう。
だけど、親が医者で、先生にも期待されて、選ばざるをえなかったのではないか?という思いが消えない。
だからこういう青臭い文章を書いてしまった。そして、そこの部分を表現できなかったから、こんなややこしい話になってしまったかもしれない。
もううまく表現できる気がしないけれど、自分には、実家が開業医の医者らもAKB48と同様に、様々なことへの選択の余地はないように感じられている。
自分の近くに、実家の開業医を継いで働いている医者が何人もいる。彼らは地位もお金も自由も手に入れて、傍目にも輝いている。
そして自らそれを勝ちとったとハッキリと明言する。
それでも、ふたりきりで飲みに行った帰りや、ふと弱音を見せる瞬間に『本当は自分もAKB48に入って、劇場に立ちたかった。でも縁がなかった』と言ったりするのを聞く。
ただのないものねだり?たまたま自分にはなかった選択肢の先を、興味本位で見てみたかっただけだよ、なんて残酷なこと誰が言えるのかな。
選択の自由がある分だけ幸福?これが実家が開業医の医者の本当の幸福の選択だったのかな。
選択があることの不幸?豊かさの犠牲?頭がぐるぐるしてきた。
AKBになるには容姿が足りなくてオーディションを諦めざるを得ない女の子や、同じように枕営業ができなくて研究生から昇格できない子もいる。
こういうのも選択ができてるっていうの?自分で自ら選んだものだとは到底思えない。
こんな人たちがゴロゴロしてる日本で、まだ寝ぼけた顔で「13歳で初枕営業。20歳で写真を売られる」なんてこと、どうしたら正気で言えるんだろう?
・・・それでも医者は年をとっても仕事ができること、枕営業させられるどころか男を選べること、など、そもそもこの両者(実家が開業医の医者とAKB48)を比べること自体が、頭が悪かったように映っただろうと思う。
今の日本に職業選択の自由はない、という自分の根本的な思いもまた、この問題をややこしく表現させてしまったと思っている。
書くべきではなかったと思うが、折角の匿名サービスなので青臭く吐露してみた。
また頭悪すぎって言われそう。自分でももう、そう思ってる。
少し前にあったよな。何をもって無礼とするのか甚だ意味不明ではある。でもそういうマナーがあるのは分かる。
俺も入社面接ではないが似た経験がある。ある学者に会いに行った時のこと。遠路はるばる北海道まで行った。
せっかく会いに行くんだからと張り切ってメモとってたのよ。そしたら先生は同席してた研究生にこう言った。
「メモ取ってるのは熱心でいいと思うよ」と。少しからかうような言い方だったので、何かメモとると都合悪いことでもあるのかなと不思議に思った。
でも表向きはメモを褒められてるのでメモをとり続けた。そうすると、明らかに不機嫌そうにして
「君はメモとる習慣があるのかもしれないがやめたほうがいいよ。頭の中だけで考えるほうがいい。」みたいなこと言い始めて「はぁ?」となったものだ。
情報系(修士)を出た身として、また私と似たような境遇にいるなと思ったので、少しでも助けになれば。
私もまた、何がやりたいかわからず、大学の図書館に行っては特に分からない、どうにもならない本で勉強したり、あるいは情報系の資格を取得しようと奔走したりと、少し行動を起こしてみるも結局何も得られていないような学部時代を過ごしました。
そんな特に何もしていない私の転換期はというと研究室配属でした。
嫌でも人と関わる(同期や大学院の先輩、そして教授等)ことになりますし、(実験レポートなんて適当なもので許されない・授業でやったことなんてあんまり通用しない)卒論を書くことになるかと思います。
研究生活という適性もある(鬱になって休学した等が実際にあった)からなんとも言えませんが、私はその研究生活に向いていたらしく、卒論や大学院の修論でめちゃくちゃ成長できたし、研究の中で培った事柄が評価され、就職も決まりました。
私と同じタイプなら、これから来る研究にしっかり取り組めば、何かしら掴めるものはあるかと思います。
そして金銭の問題が大して無いのであれば、一先ず大学院へ進むことを薦めます。
で、今何やるかですが。
必ず必要になるし、絶対に無駄にはならないと言っていいぐらいだと思います。授業でやったことや、確率統計や線形代数など、各分野に絞った薄い本、入門レベルでもいいので身につけておく。
次に、Twitterをやってるとのことなので。
自分の学部にどんな研究室があって、研究室のホームページを見れば理論はわからなくてもどんなことをやっているのかはわかるはずですし、面白そうだと思えるものがきっとあるはずです。
面白そうな研究室が見つかれば、次はその研究室のホームページから研究業績の欄を見ます。
タイトルでググれば論文が出てきますし、様々な学会での業績が見られます。
そして、その学会でググれば他の大学の研究も出てきますし、その発表者の研究室のページへ行けばTwitterのIDも手に入るかもしれない。
ここまでくればその面白そうな研究分野の研究をしている人をTwitterの非公開リストにぶっこみます。
また、フォローしている人たちを見て、あとは芋づる式にリストにぶっこめば、最先端の技術についてつぶやくTLのできあがりです。
私はこうやって先人達の姿を見て、やるべきことや新たな発見等あったしモチベーション維持にも繋がった。
現状で簡単にできるのはこの辺りでしょうか。
ここからは私もしていなかったので、偉そうな事を言ってしまいますが、
一つのことをやり遂げること、勉強にしろ何にしろ並行してやっててもいいので、何か一つは極めたといえるもの(いや、実際には無理でもね。自信を持って言えたらいいんです)を今からでも全く遅くないのでやるといいかもです。
何も思いつかなければ、数学、もしくはプログラミングを極めておいてください。
個人的には最近ビッグデータが云々うるさいので、統計学について調べておいてください。
眠いので以上です。