はてなキーワード: 峯岸みなみとは
赤子の娘を坊主にしたことがきっかけで、私の頭も坊主にしようと思った
色々調べてみたら、美人な女性は坊主でも美人で坊主が似合うんだよな
かっこいい
老けているという印象を受ける
若い女性が坊主になるにはある程度の顔面偏差値が必要になるんだと思った
庶民的な顔立ちの私が坊主にすると注目を浴びるし、絶対に似合わない……
でも、似合わなくても坊主にする価値はある。ドライヤーの時間がなくなるし、あらゆることが楽になる
迷う
でも、後悔しそうで、迷う
私は専業主婦という立場だから、他人の目をそれほど気にしなくてもいい
何も問題はない
私が坊主にしたらファッションをガラッと変えなくてはいけなくなる。
でも、私の髪の毛って今ぜんぜん必要ないんだよな
コロナで出掛けられず毎日すっぴんで、ヘアバンドで髪の毛とめて落武者みたいな髪型になってる
AKBの峯岸みなみはロングヘアーより坊主のほうが似合ってた。ロングヘアーのときはブスだったけど髪の毛短くしたら美人になったわ
AKB48須藤凛々花の結婚騒動を見ていて、峯岸みなみ丸坊主騒動のときよりさらに、粛清が陰湿かつ悪質になっているのではないかととても怖く感じる。
「恋愛禁止」を掲げているのにそれを破ったこと、総選挙というメンバーにとってもファンにとっても大切な場を私的な発表に使っていることなどは、確かに適切な行動ではない。
私自身男性アイドルに相当熱を上げていた経験があるので、応援してきたファンの気持ちを考えるととてもやりきれない。
しかし、この結婚騒動は、交際をすっぱ抜かれそうになった須藤さんに対する、逃げ場を完全につぶした「総括」なんじゃないのかとも思えるのだ。
「●●に言わされた」とあとから言っても、でもルール違反していたのは事実でしょ?となるし、そもそも言い訳見苦しいという扱いをされかねない。
須藤さん側にはもはや、「ルールを破って総選挙を私物化するほど恋に盲目な女」をやるしか、この騒動をやり過ごす道がないように思える。
そして、総選挙というAKBメンバー・ファンともに無視できない大舞台で広く周知させることで、他メンバーたち(特に上位メンバー)に叩かせることもできる。
今までAKBを盛り立ててきたメンバーにとって、この結婚宣言を手放しで受け入れることは(アイドルである手前)難しいだろうし、一言文句を言ってやりたい気持ちも出てくるだろう。
そしてメンバーたちが批判することで、話題も広がり、他メンバーへの見せしめにもなるだろう。
(山本彩さんのように冷静なコメントをするメンバーもいるのだが…)
この騒動がどういった経緯で起こることになったのか全く分からない以上、上記はすべて私の誇大妄想かもしれない。
しかし、誰かがルールを破ったなら、しかるべき責任者のみが適切な処分(除名なり謹慎なり)をすればいいんじゃないのか。
たった一人の人間をやり玉にあげ、かつての仲間に叩かせて、こんなの北九州監禁事件や山岳ベースと大差ないんじゃないのか。
そして、こういうやり方が「アリ」だとみんなが思ってしまうようになるのが怖い。
NMBの人気メンバー、渡辺美優紀(みるきー)のスキャンダルが発覚したのは、3月中旬くらいなのに、俺がそのショックを未だに引きずっていて。
なんでかなーと思っていろいろ考えていて、タイトルのようなことに思い至った。ので書く。この導入は結論とあんま関係ない。
で、ショックを受けた最大の原因は、AKBグループ全体のスキャンダルへの対応方針が峯岸坊主事件を期に「厳罰」から「放置」へと180度変化したからなのかなと思ってる。
これって、AKBグループ全体が「アカウント指向」から「プロダクト指向」に移行している過渡期っていえるかなーって思った。
ここで、
「アカウント指向」とは、顧客の求めるものを提供するサービスの意で、
「プロダクト指向」とは、自分が良いと思ったものを提供するサービスの意、な。
地下アイドルとか、若手芸人とか、インディーズバンドとかが、自分が提供するサービスに対して決定権が持てなかったのが、人気や実力が伴ってくると自分のやりたいことが出来るようになるみたいなイメージ。まあよくあることよな。
これを芸能以外に置き換えると、いろんなサービスが質が向上して、コスパで選べば激安or無料でそこそこのものが選べて、金さえ積めば青天井に素晴らしいものが手に入って、という世の中だと、自分の仕事の決定権が持てるまでの時間がどんどん長くなるなって思った。「串打ち三年、割き八年、焼き一生」とか、そういう世界。で、良いものを提供する世界で生き残るのは片手で数えるほど、みたいな。
AKB48のスキャンダルメンバーは恋愛禁止という暗黙のルールを破ったという罪に対してそれぞれ罰を受けた。あるメンバーは解雇され、あるメンバーは謹慎を受け、あるメンバーは九州に左遷された。それが罪に対する罰であり、罰を受け入れることで許された。
そもそも恋愛が認められないのはAKBの中の勝手なルールであり、一部のガチな人以外にとって、そのルールに対する違反など時間の経過と共に忘れてしまって当然だ。
峯岸みなみは許されていない。騒動から半年も経過し、その間の健気な頑張りを考えると不思議なほど許されていない。その理由はあの坊主謝罪動画の衝撃が強すぎるから、あの時抱いたAKB48と峯岸みなみに対する嫌悪感が凄まじすぎるからだ。峯岸みなみはあの坊主謝罪動画のせいで「恋愛禁止ルール違反」という罪の他に「俺に強い嫌悪感を抱かせた」という罪を犯したことになる。恋愛禁止ルール違反のみであれば既に許されていてもおかしくない。が、思いの外「俺に強い嫌悪感を抱かせた」罪は重い。
峯岸みなみは、実は許されないのではなく、嫌われただけなのかもしれない。だとしたらもう許されることはないよね。
id:niggaの最近編集したはてなキーワードが誹謗中傷に満ちている。
アイドルグループ『AKB48』のメンバー・高橋みなみの母親を指す隠語。侮蔑の意図を込めて用いられることが多い。「ジャガー」+高橋みなみの愛称「たかみな」が語源で、2012年に淫行容疑で同人が逮捕された折、報道に出た写真から確認された同人(の顔)が女子プロレスラーのジャガー横田に似ていたことを由来としている。
アイドルグループ『AKB48』のメンバーにあたる柏木由紀の愛称の一(非公式)。ファッションブランド「シャネル」+柏木由紀の公式愛称「ゆきりん」の合成語。
2013年初頭、同グループの同僚にあたる峯岸みなみとAV女優の明日花キララ、ならびにサッカー選手の扇原貴宏と杉本健勇、これら4名とともに開催したとされる「夜更かし合コン」終了後の「ごきげんルンルン歩き」現場を関東連合系列とされるバルビゾンビルの前で週刊文春のカメラにパパラッチされ、その折に片手に下げていたバッグがシャネル製のものであったことに由来している。
“微ブス”をコンセプトとするAKB48の中でも並み居る面々をおさえた“清純イモブス”の筆頭格、「恋愛禁止条例」断固守護の“安全パイ”の最右翼と見做されてきた“ゆきりん”のその「ご乱行」の様はとりわけ純朴なる支持者筋に致命的ともいえようほどの衝撃を与えた。
2010年代とはなにか?
2010年代とは
リーマンショックであり、不況であり、超就職氷河期であり、311であり、フクシマであり、日中対立であり、TPPである
2010年代とは
反原発を掲げるしか能のない左派であり、尖閣諸島を国有化した石原慎太郎であり、橋下徹であり、維新の会であり、民主党であり、自民党であり、未来の党であり、山本太郎であり、片山さつきであり、幸福実現党である
2010年代とは
意識高い系であり、イケダハヤトであり、ワタミであり、「いじめ」であり、体罰であり、AKBであり、峯岸みなみであり、ヅラをかぶった峯岸みなみである
2010年代とは
まどか☆マギカであり、ガンダムAGEであり、ファントムルージュであり、虚構新聞であり、まおゆうであり、エヴァQである
東浩紀がAKB峯岸みなみ問題を喜び勇んで批判しているが、彼はAKB峯岸について問題意識を持っているわけではなく、全てが宇野濱野への嫌がらせに他ならない。
当然ながら宇野濱野のAKB関連書籍は等しくクソだが、そんなクソに「ざまぁwww」と言うタイミングをいつまでも見計らっている東浩紀は一切の生産性が無いぶんより質の悪いクソだ。
「正確には問題の本質はハラスメントそのものじゃない。そっちで議論すると「本当はハラスメントではない」で終わる。真の問題は、本人承諾しているからOKというノリで体罰公開してアテンション集める下品な商売が社会的に認められるのかどうかってこと。」(@hazuma)
彼の書籍以外の側面を知っていれば、どんなに東マンセーな信者でも、彼がパワハラ魔神であることを否定できない。というか彼のことを知れば知るほど、東浩紀はパワハラしかしないということがわかるはずだ。
あまりの暴力に目を塞ぎたくなる気持ちもわかるが、勇気を出して以下の動画を見ていただきたい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5228948
http://www.youtube.com/watch?v=l_1WmOGRJxQ
これがパワハラでなくて何だ?
さらに動画には残っていないが東浩紀が、居酒屋で眠りこけてしまった女性の自社社員の前で部下に性器を露出するよう強要したことは有名だ。
AKBもそうだが、東浩紀は旧時代的パワハラの象徴だ。いじめ問題にも口出す権利無し。
酔っ払って、喜色満面の笑みをたたえながら大声で弟子や自社社員を怒鳴りつける彼の姿は、それを見た人に地球上からパワハラやいじめを少しづつでも減らしていかねばならないと決心させるに充分だ。
峯岸みなみの件で、運営側もまたこの物語に酔っているのではないか、ということを私は恐れている。
話題作りのためにやっているのならまだ良い。しかし坊主にして謝罪させることが、感動の物語だとか、そういうふうに思っているのなら私は恐ろしくてたまらない。
その正しさを疑うことなく、場合によっては残虐な行いさえもその人の中では正当化される。
ワタミの件もそうだ。
AKBは日本の現代社会の考察対象としての興味は強くあったが、メンバーそのもの自体にはあまり興味がなかった、しいて言うなら峯岸みなみが好きだった。
彼女の顔が好みだったというのもあるが、彼女の自分を下げるようなことをしてまで笑いをとるサービス精神が気に入っていた。
それは彼女の持つ、一種の愛に対する不安感がそうしているのではないかと思っている。心の奥底で、しっかりと安心した愛を受け取れなかった寂しさ。
しかし、その行為は、彼女に備わる本質的な優しさがそうしているのだと思うのだ。
実存的な不安から来る愛の渇望を埋める方法は人それぞれ違う。他人のことをわがまま放題に振り回したり、異様に執着したり。多くの場合はそうなる。
だけど、彼女は意識的ではないだろうが、自己犠牲を選んだ。自己犠牲なくして、何が本当の優しさなのか。
女性特有の利害関係への敏感さを標準以上に持つ他のメンバーの対して、異彩に存在していると感じていた。
彼女にたいする愛はこのへんにして、本題に入ろう。
今回の坊主謝罪問題は、AKB48というゲームを破壊するほどの衝撃がある。
「恋愛禁止」は、ファンと運営の間にある馴れ合いの果てに生まれたルールだ。
恋愛という実に個人的な出来事を、仕事であるアイドル活動に結びつけるのは、昔からあるアイドルの伝統ではある。
しかし、そういった不文律だったのものを、はっきりと打ち出したことは、AKBの大躍進の起爆剤になったのは間違いないだろう。
アイドルに抱く願望を、はっきりと約束してくれる。これは最初は一種のネタのようなものであったようだが、徐々にファンと運営の間での前提となっていったようだ。
ファンと運営との馴れ合い(ふれあい?)は総選挙やじゃんけん大会などがファンからの要望を答える形で誕生したように、AKBの伝統なのだろう。
そのファンと運営とそれをとりまくメディアとの馴れ合いのゲームそのものが、AKBというプラットフォームであり、彼女たちはゲームのキャラクターのように象徴化されて愛された。
そのゲームが現実にならないようにするには、彼女たちに生身の人間としての行動を許してはならない。それが恋愛禁止へと至ったのだと思われる。
しかし、今回の峯岸みなみの事件は、その関係に亀裂を生じさせる始まりになるのではないか。
これはゲームに熱中しすぎて、ゲームそのものが成立する条件を破壊してしまうということだ。
例えば、こういう経験はないだろうか。子供の頃、友だちとふざけてじゃれあってる時に、徐々に叩き合いになり、そして、ある瞬間一線を超えて喧嘩になる。
あるいは、文化祭の準備で、実行委員長が本気になりすぎて周りが引いてしまう。
ゲーム(遊び)が成立していた関係性や暗黙の了解が、参加者が過熱しすぎることで暴走し、破壊されてしまう。
これと似たようなことが、今回の事件で起こった。
AKBの人気が頂点を極め、ショービズの世界に巨大な化け物ように君臨した時、自分たちの成功法則の一つ、恋愛禁止のルールの存在が大きくなりすぎてた。
それは過去のメンバーへの激しいバッシングや、脱退や移籍などの処罰(人間的行為なのに!)を受けたのを見ればわかるだろう。あれほどの人気を持ちながら、その地位を奪うほどだ。
前田敦子なんて、恋愛禁止がいやで脱退したと言われるほどだ。それほどのことなのに、誰もそれを批判しない。まさにゲームが行き過ぎて暴走していた状態だ。
彼女が実存的な不安を抱えていると想定すると、きっと自分の居場所が消えてなくなるほどの強いショックを週刊誌を読んで感じたのだろう。
それがパニックとなり衝動的に坊主にしたのだろうと思っている。運営が事前に知ってたら絶対こんなマイナスなイメージを与える結果になるようなことはさせない。
坊主にしなければ許されないと彼女を追い詰めるほど、恋愛禁止ルールは暴走していたのだ。
そして、多くの人が後味の悪い気持ちになる。恋愛禁止を旗手にもってそれを犯したメンバーをバッシングしていた人も、今回は彼女に拳を振り下ろすことに躊躇するだろう。
なぜなら、自分が人を追い込んだことを坊主というはっきりとわかるヴィジュアルで見せられたら、さすがに自分がこれからやろうとすることの意味に気づいてしまう。
そして、それまで白熱していたことが、ゲームだったことに気づいて覚めた気持ちを抱くのだ。ネタだったものがマジになっていき、そして行き過ぎた時にネタだったことを思い出す。
あるいは、からかって遊んでいるつもりが、いつの間にかいじめになり、相手がひきこもりになってようやく自体を理解するような。
一度人はゲームに覚めてしまうと、なかなかまた再熱中出来ない。
もしかしたら、今回の事件がきっかけに、AKBは崩壊するかもしれない。
そして、今の芸能界と日本に漂う、自己増殖的に増えるゲームが、崩壊するきっかけになるかもしれないなんてのも思う(話を広げすぎだけど)
【けじめをつける】間違いや過ちなどについて、責任を取ること、または、区別をはっきりさせること。「けじめ」は、区別や差別や違いなどを幅広く指す表現。
【処分】規則・規約などを破った者に罰を加えること。
米エンタメブロガー、ペレズ・ヒルトンの運営する"PelezHilton.com"に史上2つめのAKB48の記事があがった。
「度を越して不気味」という文からはじまる記事の締め括りはこうだ「アメリカやヨーロッパのポップスターが同じことをするのを想像できる?全員ハゲになるよ(爆笑)」
今回、峯岸みなみがとった行動について日本人でさえも「大げさ」「不可解」と感じた人は多いだろう。
峯岸みなみは何故あのようなケジメをつけたのか。それは彼女の"責任"がいままでスキャンダルを起こしたメンバーよりも重かったからだ。「1期生」にどのような重みがあるのか、AKBをあまり知らない人はわからないかもしれない。
1期生は会社でいう「会社設立から関わっている役員クラス」みたいなものだ。
「まさか会社を誰よりも大事に思っている役員が規約違反を犯すとは思わなかった」。このくらいの"事件"なのだ。たかがアイドルグループの一員、たかが二十歳の女の子。でも彼女には組織の中心としての"責任"があった。
下った"処分"は「研究生に降格」。それとは別に彼女はケジメをつけた。「平気な顔をしていちゃいけない」「罰を受けなきゃいけない」。こういう意識が働いたのは組織の責任者としての重圧故だろう(じゃあルール破るな、という話はおいといて)。
ルールは完全ではない。しかし社会や人間は完全ではないからルールが要る。
AKBをそういう風にみていたつもりでいたけれど、今回ばかりはヤクザや武士にも通ずるような(あまりにも日本人的な)組織・責任に対する思想に、一種の嫌悪も感じた。"重い責任"を背負わなければいけない存在は必要なのだろうか。組織には必要だろう。アイドルには必要なのか。あんなの見せられたら、「AKBには長居するもんじゃない」と後輩は感じてしまいそうだ(今後は責任を感じなければいけない存在がいなくなるかもしれないし、責任者もファン投票で決まる、なんてこともあるかもしれない)。
株主の希望をきく。ルールを破れば降格になる、地方に飛ばされる。ストレートな出世が望めなければ、起死回生をかけて海外支部への転勤を希望する。役員がルールを破ったら、処分だけでなく、自らケジメをつけて、社員や顧客にしめしをつける。
あまりにも夢のない世界だ。アイドルなのに、夢が無い。しかし夢を追うからそこに居るのもまた事実だ。AKBは不思議なアイドルだ。