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2024-06-20

地方移住またやってる!

コロナ禍をきっかけに地方移住した我が家

テレビとかだと良いことしか言わないし

デメリットかいって大したこと言わない!

なんだよ!ちゃん放送しろ

給料下がるから物価下がるの当たり前だろ!

そんなの大人じゃなくてもわかるのにさも物価が安くて都会よりいいみたいな言い方

こっちは友達と離れ離れ、彼女とは遠距離やりきれなくて別れて、部活もクソ弱い、親は良くても子供は良いことないんだよ!

虫は多いし遊ぶとこもない、自然と触れ合いたい親の都合を俺ら子供押し付けんな!電車もねーから自転車で遠くまで行かないといけない、ダル

もちろん自然が好きな子はいいよね!おめでとう!

2024-06-19

anond:20240618223138

2L×2本作ってて「1本なくなったら次を作る」ってやってるけど、我が家場合は「手前のボトルから飲む」「飲み終わったら流しに置いておく」というルールが守られてるからできるのであって、両方減ったり虚無を冷やすようなご家庭だと難しいよなとは思う

あとお子さんいると半日で2L消費しそうな気はする

1日2回作るのは面倒だなー

麦茶増田は思いやりの話だと思うんだが、それを受けて出てくる話が我が家麦茶テクご紹介☆になってるの草

麦茶作りにうんざりするだの音を上げるだの言ってる時点で「お里が知れる」案件に過ぎない

元増田旦那氏も麦茶が作ってあることに感謝を言う習慣が無いし、親がそうなんだから当然子供もそうなる。

麦茶感謝を言わないなら、それ以外のちょっとした家事等についても感謝を言ったりする習慣が無いのだろう。

我が家では、俺か妻の気づいた方・手の空いてる方が普通に作ることになってるけど、どっちかが作ってるの見たら「ありがとう」って普通に言うよ。

子供たちも普通に「ありがとー」って言ってくる。

感謝されるから麦茶作るのなんて苦しくも何ともない。

あなた自分の家庭の民度が低いって話を書いてて恥ずかしくないんだね。

anond:20240618223138

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240617121658

拒否側の自語り。

セックスなんて時間食うし、気持ちいいフリも面倒だし、気持ちよくなったらそれはそれで疲れるし、寝落ちでもしてしまったら後々の仕事家事に支障が出るし。愛情表現なのはわかるんだけど、タイパわるくない?

それに、そんなにも私としたいって気持ちがどうしてもわからなかった。レスになったのは出産後だけど、家事育児に疲れ果てたボサボサのよれよれの肥ったおばさんと、そんなにもしたいもんかね?こっちとしては、ムダ毛処理もしてないし(する暇ない)、産後体重が戻らないで浮き輪の付いたお腹晒すのも恥ずかしいし、まずは自分自分のことをセクシーだと思えないとそんな気分にならないんですけど?

とはいえ我が家コミュニケーションは良好なので、私はめんどくさい!ということを包み隠さず伝えた。向こうも、それでもしたいんだ!と言ってきた。

そんで、セックスするなら手短に。私はマグロなんで、こっちを気持ちよくしてくれようと頑張らなくていいから、最短で終わらせるっていう取り決めをした。

しばらくそんな感じで続けてて、軌道に乗ってくるとこっちとしても少しぐらいサービスしてあげてもいいかって気になってきて、最近射精RTAみたいなんじゃなく、わりと普通セックスしてる。

でも、お酒の力は借りてるけどね!向こうは下戸からしらふで、こんな見飽きただろう部屋着姿のおばさんとよく何年もセックスできるなっておもう

2024-06-16

草津市長に謝れ!と言ってる連中は体温計晒し奥さんに謝れよ

夫が食後に具合悪いを全面に出して何度も何度も何度も測っていた体温をご覧ください→我が家旦那すぎてww

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2384268

この奥さん普段ツイートをまとめてあるのを見て欲しい



平熱ツイで話題の夫、妻の方が遥かに稼いでるのに家事育児せず生活費六万しか入れずFXに金を溶かし壁に穴を開け妻に暴力を振るい夜中にピアノの音を響かせていた。それでもDVと認められず離婚できないらしい… https://togetter.com/li/2384694

とんでもないモンスターであることがわかるだろう

ちなみに、弁護士警察相談しても妻の方が稼いでいるのがネックになってかえって離婚できないという八方塞がりな状況らしい

女割()

さて、最初のまとめのはてブ民の反応は…

こういうのをTwitterに書くアホ女と結婚したのが人生最大の過ちだろうな


こういうこという女性って生理重くて苦しんでる人にも心無い言葉ぶつけてそう



体調悪いときに平熱だったことをバカにした感じでSNS晒す人間と同居するのきっついな

体調不良発熱」という思い込みだけなら、単に知識のことだと思うが、全般人情に欠けていることが気になる。万が一仮病だとしても、仮病をするだけの何らかの理由があり、そこにはツラさがあるのではないか


具合悪そうにしてる身内をインターネットバカにする人間にだけはなりたくねえなあ!!!


かつて、女性に優しく、夫婦が揉めていれば必ず妻の味方をすると語られていたはてブ

それは間違いだったのか、それとも、変わってしまったのか。

はてブ民曰く、妻の方が遥かに稼いでるのに家事育児せず生活費六万しか入れずFXに金を溶かし壁に穴を開け妻に暴力を振るい夜中にピアノの音を響かせる夫が「体調不良を訴えても妻に労わってもらえない可哀想な夫。これだから男は辛い。男性差別」であって、

それに日々耐えながら病院行けと勧める妻は「体調不良の夫を労わらず笑い物にする冷酷非道男性差別者」らしいぞ

詳しく調べもせず脳死でこの奥さんを叩いてた連中、土下座で謝れ

草津冤罪ガーいうならてめえらがまず謝れ!!

犬へ





 犬。お前が死んでから、もうすぐ5年が経とうとしています。5年も経つのに、いまだに私はお前を忘れることができず、毎日のようにお前の名を呼んでしまます

 犬。お前が我が家に来た日に割と大きな地震が起こりました。段ボールに入れられたお前ごと家族みんなが外に逃げ出しましたが、お前には何のこっちゃだったと思います。あと、家に来たばかりのお前はまだ両耳が垂れていて、それを抜きにしても可愛すぎて最初は七味と名付けられる予定が満場一致棄却されたことをお前は知らないでしょう。

 犬。お前は人のズボンの裾を噛むのが好きでしたね。そのせいで私のジーンズは裾がズタボロでしたが悪い気はしませんでした。お前がポケモン攻略本を齧り尽くしてしまった時はさすがに泣きました。けど、お前の噛み癖はいつの間にかなくなっていましたね。

 犬。お前の体力が無尽蔵の頃、私を散歩に連れ出して2時間も歩きましたね。互いが互いに譲らず、時には私が折れ、時にはお前が折れてを繰り返しての長時間散歩でした。家族私たち行方不明になったと言って、警察通報する一歩手前だったそうです。

 犬。お前の耳かき係は私でしたね。お前は耳が痒くなると、私の前に来てわざとらしく耳を掻き、「ん"〜〜〜〜っ」と声を上げてアピールをしていましたね。私が耳かき用のウエットティッシュを取った後、待ってましたとばかりにあぐらをかく私の股に顔を突っ込み、耳掃除をさせてくれたこと、信用されているのだと感じてちょっとしかったです。

 犬。お前は撫でられるのが好きな犬でした。新聞を読む人間に撫でてほしくて新聞の上に居座ったこと。人間の小脇に頭を突っ込んで味噌汁をぶちまけさせたこと。撫でてくれないと吠えてアピールしたこと。撫でたら撫でたで「そこは違う」とガウガウしてきた時のこと。犬と一緒に生活をする際の嬉しい出来事ひとつでした。

 犬。お前は人間ご飯も大好きな犬でした。けど、塩分過多になったり与えてはならない食材が使われていたので与えることはできませんでした。しかし、犬よ。お前は背後からひっそりと近づき、隙あらば飛びついて盗み食いを働きましたね。私のトーストを丸ごと一枚食べた際のお前の顔は北大路欣也のようでした。

 犬。お前がMAXデブちゃんになった時、確か18キロの大台を記録しましたね。玄関の昇り降りができず、情けなく人に助けを求める姿は可愛かったですが、さすがに太りすぎました。お前の重さに家族の腰が負け、壊れたことも今では良き思い出です。

 犬。夏になるとお前の息遣いクーラーをつけるか否かを決めてしました。例え人間が快適に過ごしていても、お前が暑そうにしたらクーラーをつける。でも、お前がいなくなった今は30℃を越えない限りはクーラーつけません。今、これを書いている時は34℃ですがクーラーはついていません。

 犬。夏にお前と散歩に行く時、人間は一度裸足になりました。お前と共に外に出る前に素足でアスファルトの熱さを感じ、お前の肉球が火傷してしまわないか確認するためです。だからなのでしょうか。真夏の昼間に犬を散歩させている人間を見ると殺意が芽生えます

 犬。お前は人間サッカー観戦している時、誰から相手にされないと分かると骨っ子をカジカジしたり、ふて寝をしていましたね。そして、ゴールが決まり人間が盛り上がると共に声を上げて暴れ回りました。多分、お前は意味が分かっていなかったと思いますが、お前のその反応は間違っていません。あと、人間はチャンスシーンになるとお前のおててを握ってお祈りをしていました。

 犬。私が就職一人暮らしを始めた頃、毎日のようにお前の写真をせがみました。やっぱり犬のいない生活は寂しいと思ったのです。あと、お前のご飯は私がお金を出していました。でもお前はそのことも知らず、毎日2食のご飯をモリモリと食べていましたね。ちなみに、1ヶ月5000円でした。

 犬。お前はケツのポリープが爆発して手術をしましたね。手術の際にケツ毛を刈られ、結果として毛根も刈られて死ぬまで毛は生えてきませんでしたね。

 犬。お前は私が帰省しても歓迎のひとつしませんでしたね。最初の頃は私を不審者と見做し、吠え散らかしていましたが歳を重ねるごとに吠えることはなくなりました。けど、私を見るたびに「だれ?!」という顔をされたことは未だに納得していません。

 犬。お前が死ぬ1週間ほど前、家族から連絡が来ました。お前がもう余命僅かであると知らされて、車を飛ばして会いにいったことを覚えていますか。半年ぶりに会ったお前の頭が車のシフトレバーほどの小ささになったことに私は驚き、こんなにも年老いたのかと愕然しました。以前のお前の頭は、少なくとも手のひらでは収まりきらないくらい大きかった。それがもうこんなに小さいなんて。

 犬。お前は死ぬ前に何も食べられなくなっていたみたいですね。私がお前に会うために帰った日、千と千尋の神隠しで千が竜の姿になったハクにしたように、人間が口を開け、口の中にご飯を入れることでしかご飯を食べられませんでした。それだけ、お前は弱っていたんですね。

 犬。お前が死んだのは、私がお前に会いに行ってから3日経った日でした。お前が死んだ時、私は仕事をしていました。社用車の中で一人で泣きました。社会人になって初めて泣きました。人生の半分以上を共に過ごした犬でした。語り尽くせないほどの思い出がたくさんあります。今もスマホフォルダにはお前の写真がたくさんあります。なのに、お前の葬式に立ち会えなかったことを今でもすごく後悔しています

 犬。死ぬ前のお前と最後挨拶はしたけれど、死んだ後の最期のお別れを言えずに骨となったお前と対面した私を許してください。

 犬。お前が死んだ後、夢を見ました。死んだはずのお前が、みんなが集まる部屋にやってくる夢です。私が「お前、死んだはずじゃ」と言うと、お前はまるで自分が死んだことに気づいていなかったのか、「そうだったわ。俺、死んでたわ」みたいな顔をして私の前から立ち去る夢です。目が覚めた後、私は悲しくて泣きました。

 犬。お前が死んでから何度も他のコーギーを見てはお前に似ているかどうかの話をしてしまます。新しく迎え入れようかとも思いました。でも、私はお前がいい。新しく迎え入れるとしても、お前がいい。お前でなければ駄目なのです。お前でなければ、迎え入れることなどできません。お前の代わりはいない。だから、お前のケージがあったところには、今もお前の仏壇が置かれています。お前が寂しくないように、誰かが何かしらのお裾分けをしています。お前の大好きなお菓子も、生前は食べられなかったポテチチョコレートケーキも置いています。死んだ後なら、何を食べても問題はないでしょう。

 犬。お前がいなくなって、人間はお出かけしてもすぐに帰って来たり、毎日早起きをしたり、悪天候の日も外に出る必要はなくなりました。お前の抜け毛で服がとんでもなく汚くなることも、お前の襲撃に怯えながらご飯を食べることも、床に雑誌新聞を置いても良くなりました。でも、お前がいないと寂しい。やっぱりお前がいないと寂しいよ。5年が経つ今でも、お前に会いたい。

ねえねえママ、パパがみてるしゃしんのおねえさんたちなんでみんなおはなかくしてるの?

我が家父の日のシーンです。

2024-06-15

はてブ民曰く、妻が主に稼いでるのに家事育児せず生活費入れずDVしてFXで金溶かす構ってちゃん夫が可哀想らしいぞ

夫が食後に具合悪いを全面に出して何度も何度も何度も測っていた体温をご覧ください→我が家旦那すぎてww

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2384268

この奥さん普段ツイートをまとめてあるのを見て欲しい



平熱ツイで話題の夫、妻の方が遥かに稼いでるのに家事育児せず生活費六万しか入れずFXに金を溶かし壁に穴を開け妻に暴力を振るい夜中にピアノの音を響かせていた。それでもDVと認められず離婚できないらしい… https://togetter.com/li/2384694

とんでもないモンスターであることがわかるだろう

ちなみに、弁護士警察相談しても妻の方が稼いでいるのがネックになってかえって離婚できないという八方塞がりな状況らしい

女割()

さて、最初のまとめのはてブ民の反応は…

こういうのをTwitterに書くアホ女と結婚したのが人生最大の過ちだろうな


こういうこという女性って生理重くて苦しんでる人にも心無い言葉ぶつけてそう



体調悪いときに平熱だったことをバカにした感じでSNS晒す人間と同居するのきっついな

体調不良発熱」という思い込みだけなら、単に知識のことだと思うが、全般人情に欠けていることが気になる。万が一仮病だとしても、仮病をするだけの何らかの理由があり、そこにはツラさがあるのではないか


具合悪そうにしてる身内をインターネットバカにする人間にだけはなりたくねえなあ!!!


かつて、女性に優しく、夫婦が揉めていれば必ず妻の味方をすると語られていたはてブ

それは間違いだったのか、それとも、変わってしまったのか。

はてブ民曰く、妻の方が遥かに稼いでるのに家事育児せず生活費六万しか入れずFXに金を溶かし壁に穴を開け妻に暴力を振るい夜中にピアノの音を響かせる夫が「体調不良を訴えても妻に労わってもらえない可哀想な夫。これだから男は辛い。男性差別」であって、

それに日々耐えながら病院行けと勧める妻は「体調不良の夫を労わらず笑い物にする冷酷非道男性差別者」らしいぞ

可哀想ならテメーが面倒見てやれよ!

2024-06-14

所詮他所の家庭のことなので分からないけども

私は母(妻)の立場

我が家夫婦正社員共働き。2歳の子供は保育園通い。

どうしても出社しなければいけない日の朝、子供が体調を崩した。

夫には事前に出社しなければいけないことは伝えていて、何かあったらよろしくという事前調整はしておいたけども。

小児科の順番取り、受診、その後私が帰宅するまでの(体調不良で機嫌の悪い子供相手の)諸々の世話

受診後には、受診結果と今後の見通し(病院確認した登園可能基準等)を私に共有

このあたり、事前のお膳立ても無く一切の心配なく任せられるのって、割と恵まれている方なのか。もしかして

もちろん、体調に問題が無い場合の一日のお世話は更に問題なく任せられる。

X(旧Twitter)に流れてくるクソ旦那父親エピソードは数多くあるが、逆に「普通」のことなんてわざわざ発信しないしさ。

から自分特別良い立場だなんて思っていた訳じゃないのだけど。

まあ、これはありがたいことなのだな、自分は恵まれているのだ、良い夫を持ったな、という認識でいるようにしよう。

今と変わらず、ありがとう言葉気持ちを忘れず、力を合わせて家庭を回していこう。

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

2024-06-11

地域ぐるみで40年以上やってます。全国でやろうよ。から

うちの苗をジャンボタニシが食ってます😡😡😡40年前の業者役人回収しろ‼️‼️‼️から

我が家はずっと同じ農法です。事実を捻じ曲げられただけです…笑笑

この3つが全部同じアカウント発信なのが何度読んでも意味分からん

我が家オール電化です」

暖房薪ストーブです」

↑たまに見かけるこれ

オール電化とは

2024-06-10

不妊治療が終わったので色々振り返った

スペック

性別:女

年齢:アラサー

子なし共働き。夫は一歳上。

我が家生理中を除けば週1〜2ではセックスしてた。

妊活を始めてからは全て避妊しなかった。

不妊治療を始めて、タイミング法、人工授精と進む。

妊娠やすい日にセックスし、そうでない日も普通にする。

それでも妊娠検査薬が陽性になることは一度もなかった。

自分より後に結婚した友人、自分より歳下の知り合いに子ども生まれる。結婚祝いのつもりで飲みに行ったら妊娠してた友人もいた。

子育てストーリーズばかり流れてくるのが辛くてミュートする。

よっぽどブロックしようかと思ったけど、悪いのは私だ。ミュートで耐えた。

仕事不妊治療のことを上司相談すると「治療やめればできるよ、2人でも仲良くやってる人いるよ」と言われる。ちなみにその上司女性子どももいる。お前は持ってる側の人間じゃないか。同性なら分かり合えるなんて大間違いだ。その後変わった男性上司の方がよっぽど理解があった。

そして社内の同世代仕事を頑張って昇進してる。

それなのに私は全然頑張れてない。仕事をやめないでいるのも生活のため、どれだけ病院代がかかっても耐えられるようにだ。リモートワークが中心、時間休の制度がある会社なので転職するわけにもいかない。

世の中のレスで悩んでいる夫婦には申し訳ないが、レスさえ解決すれば妊娠できる夫婦の方が、レスでもないのに妊娠できない夫婦より幾分マシだと思う。隣の芝生は青いよね。

不妊は何一ついいことがない。ライブフェスという趣味お金がかかり、妊娠したら控えなきゃいけないものだったので我慢した。我慢したのに半年報われなかったので、どうしても行きたいライブフェスは直前にトレードSNS募集を狙った。結婚式までは避妊してたのが間違いだったのか。

ブスだから美容に金をかけたいのに、ボトックスとか避妊必要ものが多すぎる。避妊したってしなくたって同じなレベル妊娠せんのに、その期間避妊をするだけでさら妊娠しづらくなるのが怖かった。太ったし急に老けた気がするし最悪だ。

お腹を冷やすなと言われるので、丈が短めのシャツでヘソだしコーデとかできなかった。デブで恥ずかしいとかはさておき。

でも菅さんにはとても感謝してる。菅さん保険治療適用してくれなかったら、体外に進む決断はできなかった。

国も子育て政策とか言うなら、高齢者医療費をとっとと3割負担にしてくれ。そして、不妊治療の回数制限撤廃してほしい。そういう予算がないなら女性だけじゃなく男性の年齢も43才までに制限つけたらどうだろうか。子ども生んでほしいんやろ?確率上がるぞ多分。

最近体外受精妊娠した。妊娠してからホルモン剤を飲まなきゃいけないし、薬も診察も自費なので思わぬ出費だ。だが、未来に向けて希望を踏み出す出費なので、心は少し落ち着いた。まだまだ余談は許さないが、どうにか元気で健康に生まれて欲しい。

そして、私と同じく不妊治療を頑張ってる夫婦全員が授かって欲しい。

子供作るメリット無いよな

・大変で楽しい我が家

 

デメリット

養育費と同時に自分介護費も貯める必要アリ

子供が将来介護してくれる可能性が皆無

自分時間が持てない

障害者が産まれ可能性ある

犯罪起こして全国ニュース放送する可能性ある

毒親扱いされる可能性ある

レシピ通りにつくらない人

配偶者レシピ通りに料理を作らない人で困っている。

レシピは見てるんだけど、なんというか3つの失敗ポイントがあるように見える。

1.正しい材料を集められない

たとえば「だし…50ml」とあったら13倍希釈白だしを50ml入れて引くほど塩辛い厚焼き玉子爆誕させる。

作ってもらった側が文句をいうのは良くないと思って1回目は大人しく食べたが2回目も同じように塩辛すぎる厚焼き玉子をつくってくるもんだから、さすがに塩辛いことを伝えたら「レシピ通りに作ったはずなのに」と不満気。

こんなレシピあるはずがないとふんで詳しくレシピを尋ねたら、だし汁じゃなくて白だし使ってたことが判明した。白だしとだし汁は別物だと知らなかったらしい。知らなかったとしても塩辛すぎておかしいと思うだろうに、なぜか軌道修正をしない。

2.代用できない素材で代用する

体調不良ときスープ作りを依頼した。

白味噌がなかったか赤味噌使った」というから嫌な予感がした。

激烈に塩辛味噌汁が出てきた。

白味噌赤味噌塩分濃度も味の役割全然うから代用できないことを知らない。

塩辛すぎるやろ、とか、白味噌赤味噌って別物だよとか、伝える必要があるのだけど体調が悪すぎて指摘するのも怠かったので頑張って食べた。

3.レシピ通りに作らない

我が家にはバーミキュラライスポットがある。公式レシピブックがついてきており、鍋の横に鎮祭している。何かを作るときは本を見ながら作れば良い。

しかし、野菜だけ先に入れて火を通し、後から水分をいれて煮込むようなレシピでも、最初から水を入れてしま野菜に否が通っていないという出来になる。

それでも本人は「レシピ通り30分煮た」というのでおかしいなと思ったら、やっぱり工程をふたつにわけずまとめて加熱していた。

また、他のレシピでは40分煮る料理に対して20分くらいしかたってないのに、「匂い的にもうできてるかな」とか言い出す。まさか40分のレシピ20分で終わらせる暴挙には出ないと思って油断してたら本当に20分で加熱終了させていた。幸い肉類はなかったので生肉を食べることはなかったが、じゃがいも人参も火が通っていない状態苦痛だった。

温度管理ができないのも辛い。すぐに食べないスープ類などをレンチンできない皿によそった状態で置き、鍋はシンクで水につけてしまう。こちらが食べるころにはすっかり冷めきってる。シンプルにつらい。

ここまで書いていて、相手は食に対する解像度が低いんだろうなと思った。

外食では美味しいものを美味しいと言ってるから味覚がおかしいわけではなさそうだが、料理を作る際に味の完成イメージぼんやりしていて、自分でも変だなと思っても軌道修正できないんだろうと推測する。

普段増田が日々の料理担当だが時々作ってくれるとき上記のような具合だから正直苦痛。でも料理はできるようになってほしい。

どう言えば伝わるだろうか。ストレートに指摘するとモラハラになりかねないし、相手モチベを下げそうで悩んでいる。自分が全部作れってのはナシでおねしゃす。

2024-06-09

[]2012.6

https://anond.hatelabo.jp/20240609080152

https://web.archive.org/web/20170710054752/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201206

講談社漫画賞☆その1

2012.06.29 Friday15:14

2がある前提で、その1。

友人作家さんのお祝い会をしましたよ~。

漫画家友達アシスタントさん、総勢14名で!

なに皆暇人なの!?と疑いたくなる様な参加率ですけど、

皆さんとっても忙しい人ばかり。

しばらく会ってない方も来てくれて、ちょっと同窓会気分でした。

作家さんの半数は先輩方で。

初めてベツコミの(小学館の)謝恩会でお会いした時、緊張してドキドキしながら

挨拶させて頂いた記憶が確かにあるのだけれども。。。

すっかりグダグダでスミマセン。

水城さんは、今年、漫画家20周年だそうですよ~!

笑いっぱなしで楽しかった♪お祝い事は良いですね!

祭りはまだまだ続くよ~

マメじゃないのに、今回幹事っぽい事をやってみた私へのご褒美に、

アシスタントさんがお菓子をくれました。渋谷(笑)かわいい

会計時、お店の方が気を利かせて先回りして領収書を用意して下さったのですが、、

宛名に「株式会社 講談社様」って書かれてあって、皆でウケました。

ケーキプレートに「講談社漫画賞」って描いてもらったもんね!

そりゃそうだよね!そう思うよね!

さすがに、受け取らずにおきましたよ~(笑)

1

日記---

なまにく♡

2012.06.24 Sunday13:10

お肉を焼くのが上手い!と噂の方と?焼肉に行きましたよ~。

焼肉、1年ぶり。

そんでもって、まずはレバ刺し

次に食べられる日はいつなんだろう??

好きな食べ物は?と聞かれて、「スウィーツ生肉とお寿司です♪」と、

答えてしまいがちな自分に、若干鼻につく自意識を感じつつ、帰宅

どれもほんとに大好きなんだけど。

スウィーツの隣に、生肉を並べるあたりが、なんとなく。

他人に映る自分を、調整してそうな、そんな違和感です。

スウィーツパンと旬の野菜♪」を並べるのには抵抗が。

生肉とお寿司ホルモン焼き♪」を並べるのにも抵抗が。

何が言いたいかって言うと、考え過ぎ!って事です。

焼き肉、おいしかったですよ~!

近くのお店だから、また行きたいな。

生肉が、メニューから消えても。

1

日記---

大惨事

2012.06.22 Friday13:10

友人からラスベガス旅行みやげ

  

オレンジ味のファイバーと、錠剤のカフェイン

ファイバーは、コーラックもびっくりの効き目だそうですよ。

カフェイン眠気覚まし。「徹夜にどうぞ~」の品だけど、

徹夜しないんですけど(眠いから。)、万一追い込まれた時用に。

眠い眠い」言ってる忙しそうな人に、半分分けてあげようかな。

両方、自分じゃなかなか買わない品でおもしろい。

どうもありがとう

原稿終わって、しばらく家空けがちだったんですけど、

その間に、我が家大惨事が。。。!!

端的に言うと、またテレビが壊れたんですけど、

2011.11.25 の事件再びなんですけど、(その日の日記参照)

たぶん、にゃんこ粗相が原因だと思うんですけど、

イマイチ謎が多くてですねえ。。?

話せば長くなるので、詳細はまた今度。

(続くのか。)

テレビ、全く映らないけど、音だけはきこえます

たぶん、前よかマシ。

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日記---

占いとか。

2012.06.14 Thursday23:50

原稿、もうちょっと

私の作業は大方終わったので、アシスタントさんとは別室で

一人孤独読み切り漫画ネームを切ってます。さみしい。

占い」がテーマ?の読み切りなんですよ。

過去何度か、雑誌企画占いに行きまして。

占って貰いつつ、一応お仕事なので、裏方のお話

ペロッと聞かせて貰えたりもして、なかなか興味深かったんですね。

人として相性の良い占い師さん相手だと、初対面なのに、

結構個人的な事をペラペラ喋って良し!な気分になる自分に、ちょっと驚きました。

なんて無防備なの、私??(無邪気アピール

占い師って、個人情報暴露ネタ使って、ユスリタカリ出来そうだよなあ。。??

(性悪アピール

みたいな。不倫とか社内の際どいトラブルとか、喋っちゃう女子多そう。

確認取ってませんよ~。私の勝手妄想です。)

カウンセリング受けてるような気分になりますよねえ、アレ。

脆い所を突かれに行くようなもんだし。

迷ってフラフラヨロヨロしてる時期の女の子なら

ハマっちゃっても仕方が無い様な。

ちなみに、占って貰った未来は、ピシャッと当たった事もあったし

笑っちゃうくらい大ハズレなこともありましたよ。(笑)

前世は確かめようがないけれど。。。

アマゾネスボスになり損ねた女」と「中世ヨーロッパマッドサイエンティスト」!

愉快なので気に入ってます。確かめたいなーどうやってー。

読み切り掲載号、そのうちお知らせしますね。

お待ちくださいませ~。

資料本などなど。

明日資源ごみを出さないと!ためてるよ!(自分メモ

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お仕事---

で、でかい

2012.06.10 Sunday01:04

がっつり仕事中です。withにゃんこ

ペン入れしてる間に、仔猫がでかくなってます。。。

恐ろしい程のスピードで。

仔猫の時期なんてあっという間だよ~と聞いてはいものの、、

よ、予想以上ですね。驚愕です。

2週間前の動画が、すでに懐かしい。

日に日に身体も顔つきも性格も、太々しくなりつつありますが、

それはそれで可愛らしいです。

実家でずっと大型犬を飼ってたんですけどね。

犬と猫って全然違いますね。当たり前か。

なんか、毎日性格や甘え方がコロコロ変わるんですよ。不思議だなー。

寝落ち寸前が、特に可愛らしい。

メインのPCキーボードの上をニャンコが歩きまくったら、

文字入力設定がおかしなっちゃった

なのでiPadからブログUP。

もうちょい、ブログ作業し易いといいんだけどなあ。iPad

2024-06-07

anond:20240607181647

やっぱそうだよね??

マジで俺が言うことは不適切みたいな風潮あるわ、我が家

まだお喋り拙い一番下が、「ぉかーり!(おかえり)」って言ってるのがまだ花って感じだわ。

姑が、ナチュラル思考が異常に寄りすぎている。

姑が、ナチュラル思考に異常に偏っている。

以前は多少の違和感程度だったのが、今年に入ってから極端にエスカレートしている。

我が家は、安くておいしいものを重視し

スーパーの特売の野菜が大好きだし、インスタントラーメンアイスも食べる。

しかし、姑は自然食品にこだわり、ちょっと高めの八百屋

無添加を重視した高級スーパーのもの推してくる。

コンビニ弁当を食べると嫌な顔をされ、

ラーメンスープを飲むと「塩分が多すぎる」と言われる。

流行グルテンフリーにもはまっていて、

外食に誘われてもラーメン屋やイタリアンリクエストしづらい。

「よつばの~、よつばの~」と言ってくるが高すぎてそもそも買おうと思わない

お舅さんは好物の麻婆豆腐を食べるたびに「そんな辛いもの味覚障害だ」と

まるで人格否定のような批判を受けている。

とにかく、自然派無添加思考信者にはうんざり。。。

2024-06-05

幼児教育愛情について

うちの子供は、多分発育?発達?が他よりちょっと早い。

この前、保育園で送迎時間が被るママさんに、どういう教育を取り入れているのかと、ちょっと尋常じゃない様子で聞かれた。

なんちゃら式?モンテ?なんちゃらメソッド?某英語システム

矢継ぎ早に繰り出される呪文みたいな羅列。

咄嗟の時って、なかなかうまい対処ができないもので。

馬鹿正直に、いやそういう系よくわかんなくて何にも、って答えてしまったよね。

またまたそんな嘘でしょう、じゃあ何か教材?お家での過ごし方ってどういう感じ?

人の言うことを第一声「嘘でしょ」って否定から入る人、そういや昔から嫌いだわぁって思い出しながら、わー面倒臭い、と思った。

えー…教育系って言われても、あえて言うなら某ちゃれんじくらい?

とはいえ知育とか一切考えてのことじゃなく、アレは程よいおもちゃ絵本が貰えるだけだと思ってて。

月齢?発達?に合わせたおもちゃ絵本が、お金さえ払えば勝手に送られてくるって便利よねーありがたーい程度の認識で加入してる。

届いたら子供はい、って渡して、最初ちょっとだけ一緒に遊んで&読んで、後は収納に入れとくから勝手に遊んでね&眺めてね、っていう。

一緒に遊ぼう、もしくは読んでくれと持ってきたら応えるけども。

YouTubeだってなあ、結構頻繁に見せてるしなあ。

あ、でも内容だけは確かにちょっと知育意識はしてるかも知れん。知育界隈に怒られるレベル意識だけど。

動画からの吸収、割と半端なくて。ありがたいなーすげーなーと思っている。

子供動画依存するタイプじゃないのは、幸いなのかなとは思う。

ママさんの追撃に、どう答えれば角が立たんのだろうかなあと思いつつ、かといってうまい返しも出てこず。

いやいやほんと何にもしてないっす、全然そういうの分かんなくて、と愛想笑いで逃げようとしたが、正解ではなかったらしい。

子供可能性を潰すのは、虐待ですよ!」

ただ送迎時間が被るだけの接点の人間に、ガン決まりの目を向けて、そういうこと言えちゃうかー……と遠い目になった。

曖昧に笑って逃げました。

保育園知育とか教育かに傾倒するのも分からんし、幼稚園ならまだしも。

3歳くらいまでの子供の発育状況なんて、標準から余程に外れていなければ、年齢重ねりゃ誤差の範囲に収まるもんだと思っている。

可能性、なのかなあ。うーん。

言ったって、うちの子、そんな天才だとか言い出したら笑われるレベルだと思うよ…。

この年頃なんて、上も下も振れ幅大きいんだから、上にちょっと多めに振れてるのは珍しいことでも何でもないだろうと。

我が子は可愛いので、放置するつもりなんて欠片もないけれど。

知りたい学びたい吸収したい、という要求には応えているしこれからも応えるつもりだし、年齢や状況に合わせた諸々の環境は我が子が独り立ちするまできちんと整えていくつもりだ。

それは親の務めだと思っている。

十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人。

真理だと思っているんだけども。

そういうこと言うと、子供に期待しないなんて、子供可能性を信じてあげないなんて愛が無い、って言われるんだろうか。

可能性、潰してんのかなあ。

幼児教育無駄だなんて言うつもりは毛頭ないし、やりたい人はどうぞご自由に、我が家特に興味ないです、というスタンスですが。

思ったよりもなんかちょっと気にしてるのかも知んない。

2024-06-04

地震ごっこ

昨日の朝、地震アラート大音量でなった

小学生の子供2人と私はまだ寝てたので、みんなで身を寄せ合って布団を被った。

が、震源地から遠く離れていた我が家は揺れを感じることなく、そのまま登校した。

その晩、平気そうにしていた娘が突然「地震ごっこをしよう!」と言い出した。

地震だ〜と言ってどこかに隠れる、ただそれだけの遊びを1時間くらい繰り返しながら「これ!学校で習ったやつ!」と、私は感動していた。

数年前に受けた放送大学の授業(確か災害心理学)で教えてもらっていた。

被災した子供は「地震ごっこ」に興じることがある、これを周りの大人不謹慎だと止めさせようとするが、子供たちが無意識に恐怖心を克服するためにしていることなので気が済むまでやらしたほうがいいらしい。


娘の「地震ごっこ」を見て、帰ってきた夫は「不謹慎すぎじゃない?」と苦笑いをしていた。これも習った通りの反応だ!!!

学んだことが実生活活躍すると嬉しいな〜あと、やっぱり平気そうにしてても子供不安なんだな~見守ってやらねば

2024-06-01

息子が漫画の技を友達にかけて怪我をさせてしまった

毒蛭・観音開きって技をかけたらしい

「気にさわったのなら謝ります…どうもすみませんでした」って謝って仲直りしたみたいだけど

教育に悪いことが分かったから今後我が家では漫画アニメ禁止にするつもり

2024-05-31

揚げ物にかけるやつ

我が家では金曜日は揚げ物の日としている。

理由フライデーからだ。あと週一でもメニュー固定しておくと献立を考えるのが楽。

いつもゆで卵とラッキョでタルタルを作り、あとはケチャップマヨオーロラソースとか、普通にスターとか醤油で食べるのだけど、ちょっと違うソースで食べたい。

おすすめの揚げ物にかけるやつを教えてほしい。

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