はてなキーワード: デスクトップとは
ちなみに現2chユーザーで、Jimが降臨したスレにも何度か出くわしたことがあります。
Jimはそもそも、最初潰したいのはログ速のような過去ログのミラーサイトだった。
ミラーサイトはまとめブログの影に隠れているものの広告をバッチリ掲載しており、特にログ速のような巨大なサイトは多額の広告収入を得ていると考えられる。
で、元々ひろゆき体制の時はモリタポや●が主な収入源だったのだが、Jimは広告を収入源とするビジネスモデルに転換したいと考えていた。
(その後新たにモリタポと似たシステムの「浪人」が出てくるからややこしくなるのだが、当初はそのように説明していた)
そこで、ビジネスモデルの転換に伴って今までモリタポか●が無ければ見られなかった2chの過去ログを自由化することで、現行スレに加えて過去ログの方からも広告収入を得ようとしていた。
しかし現状は多くのミラーサイトがあり収益性が悪いので、Jim体制になってからはミラーサイトを積極的に潰そうとしている。
現にUnkarやRead2chのようなJim体制になってから潰れたミラーサイトもあって、ログ速も何度か機能停止に陥ったことがある。
今はログ速側が対策したのか、ログ速やデスクトップ2chのようなミラーサイトは普通に機能している状態だけど。
で、ここからが状況を非常にややこしくしている原因なのだが、Jimは言語の壁もあってか当初まとめブログ=ミラーサイトと勘違いしていたのだった。
だから、はじめのうちは「まとめブログを潰そう!」と意気込んでいる2ch住民にJimも強く同調していた。
しかし、Jimの言うまとめブログはミラーサイトだったので、ミラーサイトへの対策は厳しくされるものの、2ch住民などが言う本来の「まとめブログ」への対策は一向に成されないのであった。
(ちなみにそのJimの誤解は、住民との交流の結果今は解けている)
そもそも2chの広告で儲けるJimのビジネスモデルと、2chの書き込みを再構成して広告で儲けるまとめブログのビジネスモデルは今のところあまり競合していないんだよね。
むしろ、まとめブログのおかげで2chへの流入が増えるのなら、JimにとってまとめブログはWin-Winの存在にすら成り得る。
まあ、住民的にはまとめブログに強い反感を持っている者が大半なので、住民の意向を無視し続けるとν速→嫌儲のような大移動が起こる可能性は0ではない。
(もっとも今の2chの住民数をカバーできるだけの強いサーバーを持っている掲示板なんてそうそう無いのだが)
だから、移住が起こらない程度に住民の溜飲を下げるために、Jimは「対策するよ」と口では言っている。
また一応、実際にスレッドのタイトルに「転載禁止」の言葉を付けるような仕様にはなった。
だけど、住民が移住しない限りはSCやまとめブログを潰すメリットが殆ど無いので、まとめブログに対する根本的な対策はこれまでしてこなかったしこれからもしないんじゃないかと思う。
あと住民もなんだかんだ不満は持っているものの積極的に動く案もあまりなく、一枚岩になって動くことも出来ないので消極的ながらも現状を容認しているのが今の状況です。
だから、元増田のブコメのid:sisyaさんの指摘はかなり的確だと思う。
全員探られたくない腹持ちながらも利益奪い合ってる同士なのだから、利益そのものをつぶしたいユーザの声を聞く人間などどこにも居ないことなど最初からわかっていたことなのになと思ってみていた。
今後大きく変化する可能性があるとしたら、Jimがtogetterのようなまとめブログの役割を持つプラットフォームまで運営しようとするか、あるいは2chの所有権を本格的に裁判で争うかのどちらかだと思うけど。
ただ、現状はJimが2ch、ひろゆきがビッグデータとまとめブログ(?)からの収益でそれぞれ甘い汁を吸えてるので、まあ当分は大きく変わらないんじゃないんですかね。
量産化と中華圏の頑張りで、デスクトップよりノートが安くなってしまいましたね。
ただ、ノートも分解修理マニュアルがPDFで転がっていたり、iFixitやYouTubeや好事家のサイト見て、ネットでパーツ買えば修理できちゃうんですよね。
それに買ってから時々新しいパーツに入れ替えて騙し騙しデスクトップ使うより、新しいノートまるごと買っちゃった方が安上がりだったりするんだよな……
DTP,DTMなどでの利用、お絵かきフリーク、宗教上の理由がなければWindowsですね。
拡張性があって色々できるところが計算機の良さじゃないですか。だから窓がジャスティス。
あと、8.1はみんなが言うほど悪くない。Vistaみたいに重くはない。軽快さは7と同程度で、ファイル操作は8.1の方が速いくらい。欠点はモダンUIが使いにくいことだけ。
サポートライフサイクルと次期Windowsへの割安(ひょっとしたら無料)アップグレードを考えれば7ではなくて8.1にすべき。
Chromebookもあるにはある。Googleが頑張っているおかげで、リリース直後よりアプリケーション充実してきた。俺、一年以上前から持ってるよ(個人輸入)
でも、窓ノートが2~3万円でリリースされるようになってきちゃって、Chromebookの最大のウリ『安さ』が霞んできたことは否めない。
ユーザーに勝手なことされたくない、集中管理したいみたいなニーズに今後Chromebookは応えていくのかな。学校への一斉導入とか。
あと、デスクトップ版Linuxは安定性良くないのでオススメしない。
技術革新の加速で製品の陳腐化が速くなったので、『安い端末を短いサイクルで買い換える』方針が賢明です。
『15万のPCを5年使う』のと『3万のPCを毎年買う』のなら、後者の方がお得。
ゲーミングPCとか動画エンコしまくるとか、極端に負荷かける作業しないなら安いので十分。
最近のPCはローエンドでも普通に使えちゃうんだよな。ただし中古はやめとけ。
持ち歩くならA4,1kg以下が欲しいです。多少諭吉が殉職しても、小型・軽量のマシンにすべきです。
おうち据え置きならまぁどうでもいいよね。
TOSHIBA dynabook AX/52E (CPUをCore 2 Duo T7250 に換装) にロジテックの外付けBDドライブ LBD-PMG6U3Vを接続、付属のTotal Media Extreme2をインストールして、市販のブルーレイディスク映画を再生しようとしたところ、再生ソフトのTotalMediaTheater5 BD が固まった。
ArcSoftの BD & 3D Assistant だとCPUとGPU項目でNGと言われるのでやむなしと言えばやむなし。
(結果から言うと、 Macgo Mac Blu-ray Player (Windows版) ならば一応再生できるようになった。)
ちなみに、別のデスクトップPCに接続してみたところ普通に再生される。
電力不足を疑い、PSP用のUSB-ACアダプタを接続してみたりしたが、相変わらず再生ソフトが固まる。
ディスプレイ・ドライバの問題を疑ったが、メーカー(東芝)から提供されているドライバは最新に更新済み。
Intel 965 express のグラフィックアクセラレータドライバzipを落としてきて、手動インストールしてみたが、変わらず。
WinDVD11体験版をインストール → 現在のドライバと互換性がないと言われる。
PowerDVD14体験版をインストール → 現在のドライバと互換性がないと言われる。
ドライバを元に戻して上記2つを再度試用 → 同上
…なんというか、CyberLinkの診断ソフトだとOKだといわれるのにそりゃないよと思うよPowerDVD。
追記:あーでも、Arcsoft TotalMedia~ の方は黙って止まって応答しなくなるだけなので、それよりはマシなのかもしれない。
Macgo Mac Blu-ray Player (Windows版)をインストール → 一応再生できた。が、所々ブロックノイズが入ったりしてガクガクすることが多い。やはりスペック的にも厳しいのだろうか。また、日本語字幕と日本語音声が選択できない。なぜかフランス語やイタリア語や中国語は選択できたりする。まだ完全にはブルーレイディスクのメニューに対応していない感じ?
その1。
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以前お伝えした通り、写真については、当てはめるデザインに応じた光源(左上から)での撮影をお願いします。
とりあえず切り抜いて当ててみましたが、光源も色味も違うため、全く馴染んでいません。
そして残り2つのデザインですが、送っていただいたデザイン見本はもっと高解像度のものはないのでしょうか。
こちらでも探してみましたが、そもそもフリー素材ではないようです。
「同じようなものを」ということであれば、結局ゼロベースで作り直すことになるので、以前言っていた料金ではとても不可能になってしまいます。
指定されたデザインを印刷するだけの仕事と、ゼロから作ることは全く別次元の手間がかかります。
そもそも頼まれていたのは1種類、指定されたデザインの中に顔をはめ込むだけということだったはずです。
私の提示した金額はそれに掛かる時間と労力を計算した上でのものです。
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その2。
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私が提案して納入した画面サイズ10.1インチのWindowsタブレットが高齢者には使いづらかったであろうことは認めます。
デスクトップPC・ノートPC・Windowsタブレット・Androidタブレット。
どれを購入した場合にどんなメリットとデメリットがあるのかを示した比較表を私側で作成して、
じっくり考えていただいたわけですが、最終的に私に判断を任せられた以上は確かにある程度の責任はあるでしょう。
だからこそ無償サポート限度の3回ギリギリまで徹底的に使い方をレクチャーしたり、予定になかったBluetoothマウスをサービスしたり、
外付けの中古モニタを用意して繋がるようにしたり、それでも難しいと思ったからこそ中古の15インチノートPCまで今回持って行って、1からセッティングしたわけです。
技術と時間をお金に変える仕事をしている私としては、この段階ですでに赤字と言っても言い過ぎではありません。
それでも、責任を感じたから、別の引き取り手を探した上で、その人の購入金額をそのまま渡すという提案をしたわけです。
今回の訪問で無償サポートの限度回数を超えたために、私は散々悩んだ末に、サポート代を請求しました。
今教えたことは年賀状ソフトの使い方の問題であり、ソフトそのものは以前使っていたものとバージョン含め何も変わっていないわけで、
操作の変化はありません。はっきり言えば「あなたが1年の間に忘れてしまっていた」というだけのことです。
あの時「もう少し値段を下げられませんか」と言われて、私は怒るというより、絶望しました。
言いづらいからこそ、あの時私は(手間から考えたら大赤字なのに)サポート代を半額で請求したわけです。
ここまで胃がキリキリ痛むまで頑張って、私がやれることをすべてやって、これですか。
境遇を言うのもなんですが、あなたは都会の企業の重役を引退して田舎で悠々自適に暮らしている立場なのではないのですか。
私みたいな年収250万のワーキングプアよりよっぽど余裕はあるでしょう。
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最近、いくらのんきな自分でも、いい加減「いいように使われている」ことに嫌気がさしてます。
報われない仕事ほど悲しいものはない。こうして私は貧乏になっていく。
それでも、貧乏な事自体はいいんです。お金が重要なんじゃない。
せめて仕事への誇りは持たせて欲しい。
Windows10からスタート画面がスタートメニューの中に入れられてしまうって話だし、やっぱストアアプリはフェードアウトしていくのかな。
何がより親密なコミュニケーションだよ
いや結果として子どもができるかもしれない行為なんだよね?マジで覚悟あってヤってんの?
万が一できたらどうするか本当に考えて言ってんの?
生むとしてその子どもが五体満足じゃなかったらどうすんの?ダウン症だったら?発達だったら?
大学やめて仕事探すとして、本当に子どもひとり育てていけるだけの収入が得られるような仕事に就けると思ってんの?
というようなことを考えてしまうので、せっかく付き合ってもセックスしたいと言われると
次第に相手が気持ち悪くなってきて耐え切れずに別れてしまう
キスだけでいい、っていうからしぶしぶ付き合ってやったのになんでその先も要求してくるかなあ?
我慢できないじゃないんだよねこっちは頭っから我慢しかしてないんだよね
正直言ってベッドの下からAVがいくら出てこようがエロ漫画いくら買ってようが
デスクトップがエロ動画のショートカットだらけだろうがいいからこっちにその気持ち悪い性欲を向けてこないで欲しい
ヤリたいって気持ちをぶつけられるとものすんごい気持ち悪い
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。
結局、5sの32GBを買いました。ios7のままです。感情的な感想を残しておきます。
店頭では後ろにコードや機械がくっついていてよくわからなかったが、やはり小さい。
あと想像以上に軽い。イメージではもう少し重く、持ったら「落としたらパリーンって割れるんじゃないか」という不安に見舞われるのでは? と危惧していた。しかし、実際持ってみると軽い。
GALAXYのラウンドな感じになれた手には角張って感じられる。でもアルミ仕上げのざらざら感がなかなかいい(Xperiaみたいな背面ガラスだと思ってた)
総合的にいうと、なんか、落としても割れなそうな感じ。(よい子は絶対にまねしてはいけない)
ブラウジングしてると、サファリの特性なのかiPhoneの特性なのか知らんが、スワイプがキュッキュキュッキュしてて好みが分かれると思う。自分はandroidの「勢いよくフリック(スワイプというよりフリック)したらめっちゃ流れる」感じのほうが好きだった。
ピンチ操作の感度はかなり良い。壁紙のサイズ調整をしたがこれandroidなら大きすぎや小さすぎになってムキーなってたと思う。
うんこだと思ってたらくさやだった。使う前は「絶対に無理」と思ってたけど「まあ使えないわけでもないしなあ」と。
カーソルがないのは本当に面倒だし、変換範囲を変えるのに手元でできないのは苦労。(入力だけなら片手でできるが、文字の選択は無理だった)
でも、明らかに別のキーも一緒に押してるのに、目的のキーが押せるのはすごい。なんなのあれ怖い。
戻るボタンがないのは最初戸惑う。そりゃこれ6プラスのサイズだったら困るわ。
指紋認証楽しい! 楽! 小指だけしか登録しない、とかだと、腕ごと切られない限り時間稼ぎできそう。
TouchIDが使えることを読み逃し、DropBOXを入れるまでに5回くらいパスワードを入力する羽目になりイライラ。今は指紋でできるようにしたけど、アプリをダウンロードするたびにやってる気がする。
NoteⅡ=ホームアイコンまみれにもかかわらず、アプリは一覧から起動
というような状況だったので、正直自動で詰めて表示してくれたり、フォルダのタイトルつけてくれるのはとても楽。
前は大してウィジェットとか使ってなかったので、これで充分。
何もしなくても、新着メッセージがロック画面に表示されるのはありがたい。
ただ、ドックやフォルダの背景の透明度は2種類じゃなく微調整できるとよかったなあ。
ライトニングケーブルって、なんで端子根元のぎざぎざついてないんだろう。
みんなこぞってボールペンで補強してるけど、それでも断線しそう。
5年くらいかなあ、使い出して。
とうとうローカルディスクDが反応しなくなった。
まったく想定していないし、「外付けHDDにバックアップしとけよ」ってのも意味が分からなかったけど、確かにこりゃなあ。
あ~あ。もう手に入れられない同人のPCゲームのデータとか、俺の歴史っつーか、いろんなレポートとかも全部ローカルディスクDにあったから、へこんだわw
ローカルディスクCのダウンロードフォルダがでかくなって、そんでローカルディスクDが100Gくらい余ってたから、そっちに放り込もうとしたんだけど、なんか進んでないから、もう一回放り込もうとしたら、両方とまって。面倒くさくなったから中止したら、ローカルディスクDがぶっ壊れた。
ローカルディスクCだけは余裕で動くからやっぱローカルディスクDだけが壊れた。
ウイルスの可能性もあるのかな。
なんつーか、いろいろその後検索してなるほどなあって思った。
なんでウイルスソフトやバックアップすんのか分からなかったけど、こういう感じで死ぬわけかw寿命が5年くらいらしいね、HDDって。
父親が組んで送ってくれたやつだから、ぜんぜん分からないけど。
グラボとか分からないけど、エロビデオ見てゲームプレイしてもまったく重くなかったから、たぶんいいんだろうな。
分からないけど、分解してローカルディスクDだけ新しいの突っ込んだら直るのかねえ。
つか、スマートフォン、ノートパソコン、ipad、デスクトップPCとこんだけ持ってると毎年壊れるけど、今年はスマホとデスクトップPCとノートパソコンの3つが死んだなあ。
パソコン業界は、物持ちにエネルギーかけてくれw壊れにくいHDDとか。
ソニータイマーみてーなのやめてほしいわw
あ~あどうすっかなあ。アルバムが消えたみたいでいやだなあ、final data recoverとかもローカルディスクDに関連付けられてるからダウンロード厳しいし。
皆、毎日飯代の500円と700円の間で四苦八苦してるのに、PCだと、20万でミドルスペックだとか、10万で家庭用とか、っていうけど。
PCって安いとあんまり使えないんだよなあ、ワードが使えなかったりっていう産廃パソコンだし、俺のPCは。
★個人情報のアングラルートとして、「遺品処理業者からの名簿横流し」がある、という話を聞いた。
遺族が故人の遺品をまとめて処分を依頼
⇒遺品処理業者は「換金出来るものは換金する」から、同窓会名簿などを遺品の中から見つけたら即換金する、という流れ。
私見だが、名簿屋の持ってる高齢者名簿の大半は、実は遺族経由の名簿なんじゃないか?
★「80歳のおじいちゃんの自宅にあった同窓会名簿なんて、ベネッセの子供名簿と比べたら大した価値はない」、
と遺された遺族は思い込み、安易な気持ちで遺品整理業者へ依頼する。
しかし、高齢者の同窓会名簿は、振り込み詐欺業界・投資詐欺業界・リフォーム詐欺業界からすれば「宝の山」だったりする。
★そもそも、わざわざ故人の遺品蔵書を全て目を通す「暇な」遺族は少ないのではないか?
主だった遺品を抜き取ったら、あとは「この一部屋全部、遺品整理業者さんお願いします」な感じで依頼していて、
部屋の片隅に「帝国大学同窓会名簿」が転がっていたことなんか、気付きもしない
えてして、「帝国大学同窓会名簿」とか「大蔵省職員名簿」とか持っている人はハイクラスな方々なので、蔵書の数が庶民とは桁違いだったりする。
だから、遺族側も、膨大な蔵書の全体像を把握出来てないし、その中に名簿があるかどうかも知らない
だから、そういうハイクラス層の物故に伴う名簿流出って、結構あるような気がする。
★名簿とかじゃなく、設計図面とかだと、理系な高齢者の遺品とかで結構ありそう。
そういう理系な遺品の中には「企業秘密に属するような遺品」も、中にはあるのではないか?
★例えばベネッセ的な個人情報が入ったメモリーを「私物的に」持ってた人が、交通事故とかで突然死した場合、
一般論でいえば、たとえ「盗品」であっても、実は盗品だと知らない遺族が、遺品(=盗品)を処分するのは合法。
但し、仮に遺族が「盗品」だと知っていたら、どうなんだろう?
★最近は、仮想化デスクトップ、シンクライアント、クラウドが花盛り。
顧客情報などの個人情報をクラウドなデータセンターに預けて、そのデータセンター業者が倒産した場合、データセンター業者の破産管財人が
企業倒産というのは、バッタ屋にとっては「稼ぎどき」。倒産企業の備品を買い叩く。
今後のデータ社会で「倒産企業のデータ財産の取り扱い」が気になる。データのバッタ屋にとっては「稼ぎどき」
例えば、山一証券の顧客名簿は、適正に「廃棄処分」されたのか?破産管財人が名簿屋に売却してないか?
真っ当な債権回収屋もいなくはないですが、「893」な債権回収屋も多いからなあ。
彼らが債務者が持つ各種情報(含個人情報)を「適正廃棄」してくれる、なんて期待薄。
★例えばベネッセとかジャストシステムが、仮に今回のデータ流出の件で倒産とかした場合、
果たして大量の名簿データが、「適正に廃棄」されるのか、極めて疑問。
「倒産」となると、社員のモラルも無くなるし、セキュリティもザルになる。
たとえて言えば「ソ連崩壊時の核兵器技術拡散と同じ状況」になる
倒産法制の中で、倒産企業が所有するデータについての取り扱い規定は、ちゃんとあるのか?
なければ改めて規定すべきでは?
★逆にいえば、企業が保有するデータ類、個人情報とか技術情報を、きちんと会計評価すべきなんだろう。
ベネッセが2000万件のデータを持ってるなら、会計士が適正にデータの資産価値を時価評価して、
リア充爆発しろって言葉は有害だから撲滅すべき。そろそろシャレにならんぞ。リア充を見るたびに爆発しろって言うのは、非リア充が互いを非リア党の党員として認め合う儀式なんだろ。
それをネタっぽくすることで免罪符にしてるだけで本質はネタと見せかけて本音が多かれ少なかれ含まれてる。リア充が「ウェーイ」言うのを非リアどもは毛嫌いするがおかしな話なんだよね。同じこと自分らもやってるんだから。
「ウェーイ」は別に他人に迷惑をかけてるわけじゃない。あの明るさが暗さを抱えた人間を傷つけるのだ等と言った所で被害妄想でしかない。
一方「爆発しろ」は直接的にリア充の足を引っ張ろうとしてるでしょ?そりゃ有害性では圧倒的に爆発しろに軍配があがるというものだろう。
よく非リア人間は「リア充は無自覚に我々非リア人間を傷つけてる」なんて言うが逆だよ。非リアこそ徒党を組んで無自覚にネットでリア充を弾圧してるじゃないか?社会的弱者だからって許されるものではないよ。
常々私が主張していることだが、嫉妬というのは制度なんだよね。こういう場面では嫉妬しないといけませんよって暗黙の社会制度があるわけ。お前らが好きな言葉で言えば同調圧力な。
いや嫉妬は万人が持つ感情だろって思うかもしれんけど、嫉妬制度がなかったら嫉妬なんて感情はそもそも出てこないよ。あのねえ、そもそも嫉妬感情は生物学的にビルトインされてるわけじゃない。情動の生理学とか勉強すれば分かるけど。
社会心理学では個人の意見もいかに社会的文脈に支配されてるかってことをしきりに主張するでしょ?世論形成なんて研究テーマがあるけどさ。それと同じで個人の感情ってのも社会的文脈に強く支配されてるのは当然と思わない?
で、確かに嫉妬は万人が有するが文化によって嫉妬深いとか嫉妬深くないとか違ってきそうなものでしょ?逆に嫉妬深さに文化差がないほうが不自然。だって感情は社会の暗黙制度の強い支配を受けてるんだから。
我々現代日本人はちょっと嫉妬深い文化を形成させすぎたのではないか?と最近ますます思うのである。最近も話に聞いて驚いたのが街でカップルが抱き合ってると怒り狂う人がいるらしい。
それをネタっぽく話してるわけだが全然笑えないよ怖いよ。そんなにすぐ苛ついてたら生きるの大変だろうなと思う。
まだ同じ嫉妬でも仲良しカップル見て「羨ましい」と思うなら分からないでもない。羨ましいっていうのは自分もそうなりたいと思ってるわけで向上心が見える。
ところがいわゆる非リアってのは羨ましいってレベルを遙かに通り越して「爆発しろ」という破壊衝動に至るらしい。自分がなれるとは到底思ってないんだよね。少しは近づけるかもしれないのに努力しない。
努力しようとすると現実と向き合わないといけないから辛いんだろうな。そして怠惰な自分を正当化するため「ただしイケメンに限る」という言葉を多用し、羨望を思い描きつつ自分を磨いている人間は「意識高い系」として揶揄する。
結局のところ、「自分たちは社会的弱者で可愛そうな人間で努力しても報われないから努力しなくていい」っていう病的盲信をお互い確かめ合うための同病者の集い。それが「非リア充」の中身だということが最近分かってきた。
ここまで見てくると、「爆発しろ」と思うのはちゃんと自分で人生経験を積み重ねて自分の頭でものを考えて弾き出した結論なんかではなくて、周りがそう言ってるからそう思うだけなのがよく分かるだろう?
そういう悪しき社会制度に1人1人の人間がNO!!を突きつけていかないとどんどんおかしな世の中になるよ。どうかエゴを捨てて、安心して街中でカップルが仲良くできない今の世の中のおかしさを考えてほしい。地球の未来を心配してほしい。
みんなで幸福な人間を受け入れようではないか。パソコンのデスクトップ画像にして憧れようではないか。許しの心を持たないから自分も相手も両方傷つけていると気づくのです。
ほんのちょっとのことで嫉妬するような人間が最近出てきたが彼ら彼女らは嫉妬対象に自分も近づくためのほんのちょっとの努力もしたくないということなんだろう。
それって楽しいの?何がしたいの?楽しくないからって殻にこもらずに努力すればよいのにと思う。努力せずに無理と決めつけてるのがもう「洗脳されてるなあこいつら」と思うわけ。
悪しき社会制度に洗脳されずに自分でやらないといかん。とことん試行錯誤していろいろ経験し関連知識もたくさんつけて自分の頭で考える。その上でほんとに嫉妬という感情が自分の生き方として正しいか考えてみたらいいのに。
幼少期に見ていたアニメは聖闘士星矢とか北斗の拳とかそういう世代だ。まだアニメがどうとか考えもしない年頃だからそんな程度で次に行こう。
普通のアニメ、すなわちドラゴンボールなどは幼い頃から見ていた。僕はやはりベジータが好きだった。ドラゴンクエストアベル伝説とかも好きだった。デイジーが好きだった。当時はまだ隠れヲタではなかったが、恐竜惑星などは好きだったし、ワタルとかキャッツアイとかうる星やつらとからんまとかも見ていた。
AKIRAも小学生の頃に見た。Vガンダム、G、Wあたりも飛び飛びでは見ていた。Vガンダムに関してはマヘリアさんが好きだった。
中学の頃、僕は自分専用のテレビとビデオデッキを買ってから、本格的にガンダムにハマった。ガンダムはファースト、Z、ZZ、逆シャアぐらいを見た。このガンダムの見方ぐらいからはもうヲタの見方だった。レンタルビデオ店で1話漏らさず見ていたのだ。僕はフォウ・ムラサメが好きだった。あの精神の不安定さにハマった。
中学の段階では、僕はまったくヲタとは言えない。ただのガンダム好きなやつだ。高校でヲタ友達に出会い、全く変わってしまった。
高校時代、僕は服装にも無頓着で無印とか着ていた(私服の高校だった)。校内では本当にオタクだと思われていたらしく「アニメイトとか行ってる」と笑われていたが僕は一度としてアニメイトには行ったことなかった(いまだにない、そもそも行っても何も買う金がなかった)。
本格的にヲタになりだすのは、エヴァンゲリオンに始まり綾波レイの妄想を繰り返す頃からだ。2ndRingというアヤナミストが書いた二次創作小説を読んだりもしていた。綾波レイ以降の無機質系はいまだに心が揺さぶられる。
高校ではヲタ友達に影響されヲタ向けのアニメを見るようになる。てなもんやボイジャーズ、アキハバラ電脳組、機動戦艦ナデシコ、カウボーイビバップ、ブギーポップは笑わないなどをレンタルした。カウボーイビバップを好きな人は多かった。ナデシコも有名だったから、友人の一人は思兼をデスクトップの壁紙にしていた。
逮捕しちゃうぞ、無限のリヴァイアス、マイアミガンズ、スクライドなどは深夜アニメで見た。リヴァイアスはあの暗さと人間関係の生々しさが本当に好きだった。スクライドはチャンピオンのマンガも話題になっていた。そう、当時はメイドが流行っていて、まほろまてぃっく、鋼鉄天使くるみ、花右京メイド隊なども見た。ただこのあたりは全話見ていない。ガンダム08小隊とかも全部は見ていない。何故かパトレイバーやマクロスは全く見ていない。
ヲタの友人はカードキャプターさくらを「キャプくら」などと呼んでハマっていたが僕は見ていない。ただこの当時ネットでも「さくらタンハァハァ」とかが流行って、ネットというか2chですね、ハイ。デ・ジ・キャラットも流行っていたが見ていない。
当時パソコン、インターネットを始めた影響もあって、To-HeartやKanonなどのアニメも見た。この辺りになってくると完全にヲタだ。堀江由衣が好きでCDも買った。アークザラッドのアニメも見た。
高校を卒業してからというもの、ヲタ友達がいなくなった。僕の通っていた大学はバカ大学だったからチャラいのばかりで、ヲタバレしようものなら生きていけなかった。仲良くなった人がたまたま普通の人だったから、ヲタ友達とつるむという事もなかった。大学1年生の頃に初めて彼女ができ、その前後から僕は隠れヲタになっていた。ただ隠れているだけなので、いくつかアニメも見ていた。
攻殻機動隊スタンドアロンコンプレックスは本当に面白かった。2ndギグよりも笑い男事件が社会性を帯びていて良かった。フルメタル・パニック、藍より青しなども見た。プラネテスはマンガ編でも触れたが、アニメのほうが先だった。NHKかどこかでやっていた。音楽も良かった。舞HiMEみたいなヲタアニメも引き続き見ていた。この頃は既に深夜アニメがかなりたくさんあり、僕はその内の一部しか見ていなかった。
アクエリオンなんかは当時流行っていたけれど僕は見ていない。エウレカセブンはその不人気にも関わらず全部見ていた。最終話の一つ前のアネモネが良かった。舞乙も見た。舞乙に関してはネットラジオも聞いていた。この時の小清水亜美が好きだった。全盛時だと思う。
涼宮ハルヒの憂鬱で僕が長門萌えをしないわけがない。かなり後だが消失の映画も見た。消失に関しては既にラノベが出ていたから、映像化されるのを待てずに読んでしまった。僕の初ラノベが消失だった。その後コードギアス、グレンラガン、らき☆すた、鉄腕バーディー、恋姫†無双あたりは見ていた。グレンラガンも最終話の一つ前が感動だった。鉄腕バーディーはアニメから入ってマンガも読んだ。ガンダムにしろAKIRAにしろ攻殻にしろプラネテスもそうだが、この手の近未来系SF物が僕は本当に好きだ。
大学を卒業してからはさすがに忙しくなり、アニメを見る頻度は減っている。
サムライチャンプルーは放送当時見ていなかったが後から見た。ある意味カウボーイビバップに似ていたと思う。ラストエグザイルも後から見た。タチアナ・ヴィスラにハマった。
けいおんも後からだった。ネット(2ch)の書き込みにある「あずにゃんペロペロ」は「えるたそ~」並に意味わからなかった。僕はムギが好きだった。学園祭の回で曲が終わったのにムギが伴奏を続けてアンコールみたいな形になるシーンとか好きだった。けいおんについてはマンガの続きがあるから再度アニメ化してほしい。
東のエデンのノブレス携帯には憧れた。iPhoneでジュイスの声を使っている動画があった。
化物語は初期が好きだった。最近までやっていたのも見ているが、僕は忍野がいた化物語が好きだ。ここからはかなり最近の作品になる。とある魔術の禁書目録、学園黙示録、俺妹、イヴの時間、氷菓、織田信奈の野望、有頂天家族、攻殻機動隊アライズも見ている。当然ながら新劇エヴァも見ている。しかしなぜか、まどか☆マギカは見ていない。
実質的に僕は高校時代がヲタ全盛時だった。この頃は隠れてもいなかった。ネットの影響と深夜アニメが充実してきたことが大きかった。僕の場合、ヲタか否かを分けるのはこのアニメの項目にある。映画やマンガに関しては普通のばかりだが、アニメに関しては一般人の目も当てられないような萌えアニメも見ている。もう一つ挙げるとすればインターネットだ。
DK2でも十分かもしれないけど Oculus Rift の解像度がもう一、ニ段階あがったら、デスクトップ用途の既存の平面ディスプレイとかもういらねえんじゃねえかなって思った。
仮想モニターみたいのとか仮想ターミナルを何枚も空間に浮かべて作業したり立体関連の作業もVR上でおこなったりとかできるようになるのだろうから
立体位置関係が掴みづらかったり増設する度に場所と金と設置の手間を要する平面ディスプレイとか凄く非合理な物体な感じがしてる。平面モニタは視界の一部分でしかないので狭いし。
一昔前に、出てたBumpTop 3D みたいなアプローチもいいとも思う。ていうかダイレクトに立体空間がデスクトップになるのならマウスやタッチパッドのようないらないデバイスもなくせる。
入力デバイスは手と指みたいなものがダイレクトに使えるといいだろうし、物理フィードバックが必要なキーボード以外はVRに押し込めて現実と隔絶した世界でモクモクと何かを作ったりするようになりたい。
https://bitbucket.org/druidsbane/ibex
なんかできることないか読んでる
追記
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
「セーフモードとネットワーク」が起動するんで多分HDDやシステム面での故障ではないのだろうけど
今後動画や音楽を聴こうにも音声コーデックがない(セーフモードは最低限のドライバしか起動しない)のでそれだけが苦痛。
とりあえずネットに書いてるようなクリーンアップ、ディスクチェックを始め、ウィンドウズアップデートしたものや
おかしくなる前後にインストールしたソフトウェアやツールを消していったけど全く反応なし。
今現在怪しいなと思ってるのは、デフラグ関連、それと動画再生コーデック、ウィルス対策ソフト辺り。
特にデフラグとアンチウィルス(Norton)は毎回エラーを起こす。
デフラグは通常起動した時エクスプローラの応答なし状態が2、3分続いた後にようやく反応(起動してもその直後フリーズ)が繰り返される。
アンチウイルスはエラー検出修復プログラムのエラーだけでセーフモードでは完全システムスキャンなどが起動するので
通常起動時のみに問題があるのかなと思う。
そういえばデスクトップが立ち上がった時タスクマネージャーも立ち上がるのがかなり遅く「ctr+alt+Esc(あるいはDel)」を押すとフリーズ後何十秒か掛かって起動するので、もしかしたらソフトウェアの不具合か、あるいはそれ関連で例えば新しいソフトやコーデックをインストールした時に不具合が他のソフトウェアに生じて拒否反応か何かを起こしてフリーズするエラーを起こしてるのかもしれない。
いずれにせよ、音声再生ができない以上修理に出すしか手立てはないか、もっと通常起動時にフリーズするからそこを対処する事ができれば問題なかろうが。
ちなみに通常起動時は凄く重かったけど、セーフモード時はNortonが起動してるのにも関わらずかなり快適に作業する事が出来る。
遡ると、もう2年も前の話になる。
けれど、事実をハッキリさせなかったせいで、
今でもふっと思い出して苦しくなる事がある。
当時相談した友人にはもう決着したと伝えて、
大丈夫だよと言った手前、苦しくなる度に何か言うなんて出来ない。
何から書けばいいか…。
とりとめもなく、思い出も交えて書いていきます。
最初は私について回るので、子犬みたいで可愛いとしか思ってなかったのに
酔っぱらった彼は私の手を握ったまま隣に居たり、手にキスしてきたり
ナンパまがいの事をしてきたりと、さすがに動揺して意識してしまいました。
ただ、彼は私より5歳も年下で更に遠距離で私は20代後半のアラサー女。
思い切りがつくはずもなく、彼と知り合いだった主催の不倫女に恋愛相談をしました。
彼女からは「お、あいつもやるね~」とか「がんばって!応援してる!」といった言葉を貰い
その後も幾度か彼女に連絡を取りつつ、
私は彼が興味を示していた私の趣味を使って彼にアプローチを始め告白に至り
一旦、期間決めの保留をされるも逆告白を受け、付き合うことになりました。
付き合って3か月ほどで彼から一緒に住みたいと言われ
私の両親への挨拶の段取りを決めた直後に彼の不倫が発覚しました。
きっかけは私のPC不良の為、彼から借りたノートPCにあった不倫女の写真でした。
PCに私用のIDを作って貰ったのですが、ソフトを入れるのも消すのもホストのパスが必要で
消すのはさらにホストの画面からしか操作できない為、彼に了承を得て彼のIDにログイン。
不倫女が彼の車に乗ってたり、カフェで正面に座ってる写真でした。
元々Twitterでそれぞれ繋がっていたので、思い返すと
そういえば不倫女は旦那がいるのに1人で彼のいる地域にオフ会旅行と称して2~3泊行ってたな
その内、1日だけTwitterを全く更新しない日があって心配したのを覚えてる(彼女は日に100overの投稿をする)
恐る恐る彼のデスクトップにあるTwitterアプリを開くと彼女とのDMが。
気持ち悪いくらいのハートと「好きだよー」の嵐。
初めて会った飲み会では
「もう潮時かと思っちゃった…。」「そんなわけないじゃん、好きだよ」
「本当は2人きりがよかった」「みんなと待ち合わせの前に少しだけでも2人きりで会おうか」
毎回遅刻してくる遅刻常習犯の彼女がBBQの時は時間前に来てたのはこのせいか…。
飲み会から日が開かないBBQに彼が来てくれたのは彼女がいたからかな…。
残念ながら、途中からLINEに移行したようでBBQ翌日からはDMがなくなり、
いつまで続いてたのかは未確認のままです。
ただ、彼女からは私が彼に告白した後に、いつだったか夜中に酔っぱらいながら
「わたし好きな人がいたんだけど、その人に好きな人ができたからもう続けられないって言われちゃったー(号泣」
これを受け、合点がいくことがいくつかありました。
・彼女の恋愛に対する憧れをpostするという別のアカウントが妙にリアル過ぎた
・彼が私に好きだよと言いつつも告白を保留にした(当初このままの関係でいたいといわれ私が区切りを決めた)
あぁ、2人って付き合ってたんだ…。
旦那が浮気を疑ってくるのがウザいって言ってたけど、浮気してんじゃん。
彼女の恋愛アカウントは続いてたけど、本当にちゃんと切れたのかな…。
既婚者である彼女の方が私よりも好きだったからキープにされたんだろうな。
どうして好きな人がいるって言ってくれなかったのか。
彼女も私とそんなに浅くない関係なのに、なぜ言ってくれなかったのか。
彼が信じられない、彼女が信じられない
親に会う段取りつけたのどうしよう。
会わせられない!!
確か金曜の夜に見つけて、ほぼ徹夜で彼のDMと私とのやり取りを照合して
翌朝そのまま彼にメールしました。なんて切り出したのかは忘れたけど
上に書いたような疑問をぶつけていった気がします。
わたしが、当分連絡してきて欲しくない。声も聴きたくない。
この後くる彼にも聴かせるために録音しながら。
「わたし今度結婚するかもしれない。」「相手は実は○○なんだー」
「今月末に私の実家に挨拶に行くんだけど、気になることがあって…」
正直に答えて欲しい旨、このままでは親に会わせる事が出来ない旨を伝えました。
結論、無駄でした。
「はぁ??何言ってるの?」
「(わたし)ちゃんの浮気がどこからなのか知らないけど、浮気してないから」
彼が言った事が本当なのか整合性を取りたいと伝えても
責められてるとしか感じなかったのか否定ばかりで
でも写真みたよ、でもこんなやり取りしてたね、あの時~と私が言う時にだけ
結局、私がおかしいんじゃないの?!といった逆切れ状態で終わり
一番気になってた終わった時期も
「いつだったか覚えてないけど(わたし)ちゃんとはかぶってない!!」の一点張りでわかりませんでした。
「やり取り知ってるならわかるんじゃないの??」と試してくる始末。
彼女が「ごめんね、実は付き合ってた。けど、○月には別れたよ。彼とはもう付き合ってない」とか
気休めでも言ってくれたら違ったかもしれない。
私が気になることを正直に自分から話してくれてれば今も付き合いがあったかもしれない。
やれれば誰でもよかったと言っていました。
ただ、私から告白を受けた後に彼女へ終わらせようと伝えた、被ってない。
彼女の恋愛アカウントが続いてる件も、自分と別れた後にまた別の男ができてた。
別れたあともちょくちょく電話が来ていた。
こんな事を続けてたら罰が当たると彼女に言ったが、自分に来てしまった。
別れたくない。携帯も解約する。カードも持っててくれていい。誓約書も書くからと。
再度プロポーズされました。
私に忙しくてあえないって言った月に彼女と別れるためにわざわざ彼女の希望を叶えるために
車で来てドライブデートしたとか意味がわからない。(ウミホタルに行きたいと言われたそう)
別れるならあってほしくなかった。電話でもできたはずだと、モヤモヤ。彼もいつごろなのかははっきりさせず。
けど、ボロボロと泣く彼に結局はほだされ、
すぐ籍を入れる事は出来ない。信用もできるかわからない。
とりあえず、仕事ももう辞めてしまったし、行くには行くから信用させてほしいと伝え
私の実家と彼の実家に挨拶に行き。引越して約1年。今に至ります。
その度に思い出して気持ち悪くなっていましたが、いまは幾分か平気になってきた。
まだ籍は入れていませんが、彼が私を大事にしてくれているのも伝わります。
当の彼女は、その後離婚し今は彼氏ができて楽しくやっている様です。
彼女がそれにハマったせいで、その好きなもの自体が汚れた気がする時もあります。
旦那との離婚も悲劇ぶり今もなお純粋だと友人周りに思われてるのが気持ち悪くて仕方ありません。
いっそあの時、彼氏と別れて友人周りに2人が不倫していた事をバラせていれば
彼女の「浮気なんて信じられない」「男なんて怖い」キャラを壊せてスッキリしたのかなと思う。
ただ、彼氏を選んでしまった時点で、彼の信頼問題にも繋がるので全部飲み込んで我慢するだけ。
彼女と彼が本当に言った通りの付き合いなら、約5から6か月の付き合い。
短いけど、短いからこそ聞いた時に素直に教えてくれても良かったのでは。
今、私は携帯から彼女の連絡先もLINEも消し、Twitterもブロックしてる。