世にブログという言葉が登場したのはわたしが高校生のころだ。絶好調にこじらせた思春期をぶつけるようなエントリを、毎日毎日飽きもせず書いていた。もはや排泄としか言いようがないようなものだったと思う。今読み返したら確実に死にたくなる。でもそこに書いてあることだけがわたしにとっての事実で、そこに並ぶ文字で点描のように描き出される自分だけが本当の自分だった。
そのころのわたしにとって拠り所と言ってもいいくらいだったブログにまた戻りたくなってしまったのは、ありていな28歳独身女の悩みとか、謎のコンプレックスとか、そういうのに共感されることで救われたいからなんだと思う。自慰だろそれって思うし、事実そうなんだけど、とりあえず楽になりたい。誰にも知られずに。
あのころのブログと今のブログって、色んなとこがもうだいぶ違ちゃってるんだろうと思う。だって、もう10年も前のことだし。10年経った今でもブログがわたしを救ってくれるようなことはないかもしれないけど、とりあえず、とりあえずの場所を作っておく。
smellを統める
きっかけは転職。職場の男女比7:3位だった仕事を辞め、1:9の女性まみれの職場で同性のみでのコミュニケーションを重ねていくうちに少しづつその事実に気付き始めた。
思えば以前の職場にいた私は知らず知らずのうちに男性にフォローされていて、私自身も無自覚にそれに甘えていたんだと思う。
私は今の職場がこわい。
ある日は上司や同僚と仕事の話をしていたら突然私の口調を真似して返事をされ、またある日は私の勘違いを天然だと囃し立てられた。
ひとつひとつ些細なことだけど、今までの職場では全く感じることのなかった疎外感が今の職場にはある。
世間話ひとつにしても、私の発言の返しは「さすがだね」「計算しているんでしょう?」「かわいい」などで話は早々に切り上げられ、かついずれも目が笑っていない。とても私を扱いにくそうに接してくる。一見褒めているようにもとれる皮肉たちにどう返していいのかわからない。
学生時代にも同じような事を言われたことがあったが、親しい人は私を理解してくれていたしあまり付き合いのない人に好き勝手言われても気にもとめなかった。いじめられた経験はないが、部活内で無視された時期があったことを急に思い出した。
私の容姿は平均的だと思う。とびきり可愛くもなく、とびきりブスでもない。ただ母親に「女の子は女の子らしく振る舞いなさい」と徹底的にしつけられたおかげで身の振る舞いがそう映るんだろうと思う。親しい友達からは皮肉ではなく、そういう面で女子力が高いと言われることもある。私自身、それは自分の長所だと思っているし、異性や年輩の同性からは好意的にとってもらえることも多いので一長一短なんだろうとは思っている。だが、今の職場でそんな私は成立しない。
明言された訳ではないし、思い過ごしている部分もあるのかもしれない。
態度を使い分けされるのは凄く胃が痛むことではあるけれど、私自身が成長して変わるべきなんだと思う。
ただどうしていいかわからない。
考えをまとめたくてこの日記を書いてみたけれどうまくいかないな。
でもきっと社会人として生きている限り何度もぶち当たる壁なんだろうな。
この不景気で正社員じゃない女なんていくらでもいるし就職したくなかったらしなくていいとおもう。
好きなことややりたいことがたいして面白くもない仕事に潰される意味がわからない!
仕事なんか何人だって代わりがいるけど楽しみを感じるのは自分だけですよ
まあこんな能天気な頭でいるとまわりからは世間をナメてるとか甘いとか思われるんだろうけど
辛いこと無理にして体壊したり精神病んだり死んだりするよりか
やめちゃえ~!って放り投げたほうがいいと思う。
生きてりゃどうにかなるって。たぶん。
自分以外の人間に進んで責任を持つことが愛だという話があるのをおもいだした。
あなたは「自分のせい」といいはることで誰の愛情も拒んでしまうのではないかと思う。
「リクスーきて受験した社会人」になれなくても社会にはもぐりこめるので、
それなりにみんな個人商店とか中小企業とか自営業とかで頑張ってるのでな、
そういうところに拾ってもらいな。
もう群れで泳ぐ学生でいなくていいんだ。
人が足らないからといって、GUIだけでできるコードレスなシステムを導入しようとする。
高いライセンス払って。
ユーザーにしてみれば
GUIの設定だけでできる(誰でもアプリ作れます)→御社不要ですよね?ってなる。
自分の首絞めてるだけだと思うのだが。
その社員をプログラミングできるようにすればいいだけだと思うのだが。
GitHub Enterprise導入してー
pull requestで開発回してー
CIしてー
な開発スタイルがほぼ標準となっているWeb系業界が本当にうらやましい。
…はぁ。VSSに死を。