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2018-01-19

東光寺電車15時間立ち往生から一週間たったわけだが

まだ雪は残っている。

1月12日新潟積雪について)

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新潟と言うと、あなたはどんなイメージを持つだろうか。

イナヅマの形をした島、佐渡島

あの対岸あたりに位置するのが、我らが新潟県である

斜めにぐにっと伸びている、あの県。

米どころ。スキー日本酒、雪の国。


私は生まれから25年間、ずっとこの新潟の地に住んでいる。

自分が使っている新潟弁(※1)ですら、方言として認識できない。

そういう地方田舎もの人間だ。


さて、新潟県一口に言ってもその特性は様々である

何せ縦に長いし、標高にもかなり差異がある。

故に、新潟積雪量は地域によって様々だ。


意外かもしれないが、新潟県県庁所在地新潟市」に雪はほとんど降らない。

ちなみに新潟言葉で「ほとんど振らない」というのは

「多くても20cmぐらい積もる」という意味である


さて、そんな新潟市に、一晩で70cmの雪が積もった。


阿鼻叫喚である

いくら新潟人間といえども、新潟市人間は「ほとんど雪が降らない」地域人間だ。

除雪装備もしっかりしていない。

豪雪地域なら必需品の、スノーダンプ(※2)は、持ってる人間のほうが少ない。

だってふきっさらしの平原に駐車してある。車庫のある所なんてほとんどない。


2018年1月12日新潟市麻痺した。

車は既に雪で埋まっている。

無理やり発進できるレベルのものではない。まず車のドアが開けられない。

開いたとしても、ガードレールほどの高さのある雪山に突っ込んでいく馬鹿はいないだろう。(※6)


朝5時。かねてより、こんな時が来るのを理解していた私は、

一年以上はいていないロングブーツを装備し、徒歩で、車道を歩いて職場へと向かうことにした。

本当なら、スキー用の下半身を覆うスノーウェアも欲しかった。

が、そんなものは持っていない。

普通な必要いからだ。普通新潟市に一晩で70cmなんて積もらない。


外に出ると、世界は真っ白になっていた。

雪原の地平線。雪の降り続ける空。そして、目の前の雪の山。

車はのろのろと車道をよろめいて進んでいる。

たまに雪にハマって、動けなくなっている車を何台か見かけながら、私はひたすら歩き続けた。


もし、新潟に色を塗るとしたら、白だろう。

米の色。トキの色。そして、雪の色。

新潟は米どころで、いたるところに田んぼがたくさんある。


街の中に田んぼがあるのではない。

田んぼの中に街がある。

田んぼを縫うように中を道が走ったり、高速が走ったり、電車路線が敷かれているのだ。


私は、新潟東光寺駅を思った。

昨日のニュースは見た。電車が15時間立ち往生。頷ける。

あそこは、信越本線の中でも、群を抜いて何もない駅だ。

学生時代、私は信越本線を数え切れないほど利用したが、

東光寺には本当に何もない。ガチで何もない。田んぼしかない。

はいつも、この駅で人が降りるのを見るたび、

「この人達はどこに行くのだろう?」と思ったほどだ。

本当に、何もない。(※3)


ミネヤ屋で「電車が15時間立ち往生」みたいなニュースがやっていたようだ。

とんちんかんコメンテーター言葉に私は少し怒りを覚えもした。

が、しばらくたつと、東京人達は気楽でいいな、と苦笑いに変わった。

JR東日本は、三条見附あたりの都会(※4)で電車を止めるべきだったのだろうか?

だが、それでも非難は噴出しただろう。


こんな考え事をしている間にも、私はずっと雪道を歩いていた。

雪道を歩くときのコツは、1つ。

ただ、次の1歩を考えて歩くこと。

次の足の着地地点の雪の深さは。雪の硬さは。その先に、先人が通った足跡はあるか。


雪道を歩くときは、先を見て絶望してはいけない。

ただ、次の1歩を考えて歩くこと。

たとえ私の目的地が、田んぼのど真ん中の職場であっても。

それが500Mぐらい先であろうとも。

除雪車おろか、車の通った後がなくとも。

というか、人が歩いた痕跡さえなくとも。

その道が、私の腰ほどまで積もっているとしても。


白い雪原を一歩一歩、踏みしめて歩くしかないのだ。


もはや周りに生き物の気配はない。

新潟象徴である、稲たちは命を駆られた後。

雪の下の水田は、次なる春を待っている。


私の耳はどんどん遠くなる。

雪を踏みしめる音と、自分息遣いと、カバンのかすれる音しかしない。

私が歩きつかれて歩みを止めると、世界からは音が消える。


足先は冷たくなってくる。どんどん感覚がなくなってくる。

背中を愛撫されたように、汗が伝う。気持ちが悪い。

外は寒いのに、服の中は暑い


そうして、やっと私は会社にたどり着いたのだった。


……私の午前中の業務内容は

「欠勤連絡電話応対」「雪かき」「弁当屋の配達不能連絡」で終わった。

誰もいない会社内の暖房は壊れた。外気温、-3度。

それでも室内にいれば6度ぐらいにはなるから、死にはしない。

私は室内でもコートマフラーを脱がなかった。


しばらくたつと、同僚の数人(歩いてきた)が会社にやってくる。

そうして、やっとやってきた社長から「退勤」命令が下った。



さて、先週の金曜日はこんな感じだった。

今週、新潟市内に雪は降らなかった。気温も高く、雪も大半が溶けた。

だけれども、歩道や、除雪のあと(※5)や、日陰にはまだまだたくさんの雪が残っている。


そうして今週末、また雪が降るという。



新潟はこんな国である

東京バラエティ番組が騒いでも、騒がなくても、

ニュースになろうとも、ならなくても、

いままでも、これからも、新潟には雪が降り続ける。


それでも私は、雪は美しいと思う。






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※1 新潟

「おめさん、そげんこっちゃだみらっこって」 (あなた、そんなことではダメですよ)

私は幼少時代長岡高校卒業後を新潟で過ごしているので、長岡弁と新潟弁がMIXされている

※2 スノーダンプ

雪かき用の道具。台車スコップが一体になったような形状をしている。形状はぐぐって、どうぞ。

※3 東光寺駅には何もない

電車の中から見ると、ガチ田んぼしか見えない。(Googlemapで見ると、近くに集落はあるようだが)

※4 三条見附あたりの都会

なんとこの駅は有人駅であり、コンビニ自販機タクシー乗り場があるのだ。超都会。

※5 除雪の後

砂をダンプカーで運ぶところを想像して欲しい。山ができるだろう?あそこの部分の雪はとけきれずに残る。

※6 車で雪山に突っ込んでいく馬鹿はいないだろう

いた。でもその後行動不能になってた。ばっかでーーーwwwwww


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ブログとかたまにやってるけど

ローカルねたで身バレが怖いのでこちらに書かせてもらいました。

ここまで読んでくださりありがとうございます

めも:身バレしなので、ある程度脚色を加えております

(腰まで積もった道を歩いていったのは本当だよ)

めもめも:立ち往生した東光寺三条市だった気がする

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2018-01-17

地元視点北海道ニセコはなぜ英語学習に最適なのか

先日ホッテントリした「何故北海道ニセコ外人が大枚をはたいて押し寄せるのか10の理由」 https://anond.hatelabo.jp/20180115135418 は地元民が読んでとても新鮮だったのでローカルからも書かせていただこう←頼まれてない

1)英語実践に最高

冬のスキー場外国であるリフトに乗り合わせた観光客に遠慮の無い英語で話しかけられることも普通。一人でリフトに乗れないスキースクールの子供と同乗して、これまた遠慮の無い英語がさっぱりわからない、というのもよくあることだ。

ここ数年でアジアシフトが進み、中国香港マレーシアインドネシアタイ台湾など東南アジア比率が高くなってきた。しかしそのほとんどは英語が堪能なので実践の場はいくらでもある。

観光客推移(ニセコ町統計

http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/tokei/post_113.html

2)英会話スクールもすごい

ケンブリッジ大学教育学部首席卒業したようなとんでもない人が英会話スクール経営されている。

http://www.smileniseko.com

私自身は関わったことがないが評判は良い。

3)インターナショナルスクールがある

ニセコ町にはインターナショナルスクールがある。

Hokkaido International School Niseko

http://home.his.ac.jp/niseko/seasonal-school-japanese/

旦那さんが海外から、奥様は日本人というパターンハーフが知り合いにもたくさんいる。田舎暮らしの一番のデメリット子供教育選択肢が少ないことなのでこういう存在大事


4)求人豊富

観光客宿泊施設の急増に対して、労働者の増加が追いついていない。

求人倍率北海道倶知安町(≒NISEKO)で2.3になることもあるので仕事は選ばなければいくらでもある。英語学習という観点からすると飛び込んで働きながら、実践英語を身につけるには最高である

北海道本州に比べると賃金がとても安いが、ニセコに関しては人手不足もあり高めである。。

例をあげるとスーパーレジ打ちで1000円、コンドミニアムクリーナー1,200円とか。(このへんは英語はできなくてもこの時給)

宿泊関係は、英語ができる日本人を雇うよりも、そこそこ日本語のできる東南アジアの子を雇った方がコスパは良いかも知れないが。

Indeed北海道虻田郡倶知安町求人

https://jp.indeed.com/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93-%E8%99%BB%E7%94%B0%E9%83%A1-%E5%80%B6%E7%9F%A5%E5%AE%89%E7%94%BA%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%B1%82%E4%BA%BA

5)自然環境は最高である

日本百名山の一つでもある羊蹄山ランドマークとなり、周りには田園風景が広がり、温泉豊富場所にもよるが600円程度で日帰り入浴もできるので毎日温泉というブルジョワ暮らし可能である毎日入ったって1ヶ月2万円かからないのよ!

冬は観光客が多くてガチャガチャしているが、夏は静かで最高だ。個人的には夏のほうが良い。日本海へも太平洋にも1時間ほどでゆけ、天気を見てシーカヤックなど海遊びもできる。

サミットが行われた洞爺湖も1時間圏内こちらはニセコよりのんびりした雰囲気で良い。

6)交通アクセスもそんなに悪くない

東京住まいの人からすると不便に感じるかも知れないが、新千歳空港までも車で2時間からないし、札幌も同じくらい。自家用車必須だがあと20年以内に新幹線の駅もできるし、高速道路も近くまでつながる。

7)住むところはある

数年前までのアパート不足はこの2年ほどで解消されました。

文字通り空き地があればアパートが建つ。大T建託さん、にんまりです。

結果過剰供給となり、部屋が埋まらなくなってきています。単身向けアパートが多いようですが、新築敷金無し物件などもでているようです。

家賃水準は北海道としては高めです。

一軒家はありません。倶知安町ニセコ町内は絶望的にありません。

あっても築40年とかなので冬は灯油代が数万かかります

従業員寮のレベルも昔と比較すると改善してきているので働く分にはそこまでの思いはしないかもしれません。


8)ひとまずまとめ

意識して良い面ばかりを書きました。

ニセコのように景気の良い地域ももちろん問題は山積みですし、うんざりすることも多いです。それはどの町でも、国でも同じこと。

日本国内の中では面白い地域ですので、海外にばかり気を取られず、二泊三日でも来れるニセコに一度来てみてください。

2018-01-16

anond:20180115135418

この記事見てニセコに行きたくなった人たちに全力でプレゼンしてみる

まず、滑りたい人たちへ。といっても自分はヒラフしか詳しくないけど

ニセコは雪がいいとは言う。パウダーの軽さな道北道央の方が軽いのだけど、軽すぎると失速したときに立て直しが出来ないのである程度の腕前がない限りは軽すぎると却って楽しみを損なってしまものだ。

その点ニセコの良さは、軽すぎないというところ。

コースレイアウトも一箇所を除いて、すばらしく長いコースビギナーの腕前でもなんとか降りてこられるし、最高に広くて速くて風にも強いゴンドラ(これは愛知万博使用されていたものを買い取ってカスタマイズしたもの)で快適に周回できる。

滑り終えたどの地点にも広いヒュッテが配置されており、休憩のタイミングバラついても全く問題にならない。ゲレンデが広すぎて集合に苦戦するかもしれないので事前の打ち合わせは必要だとは思うが、スマートフォンをなくさないように数名(できれば全員)持っていれば済む。

コースレイアウト例外的に不可避な難所は「第二の壁」という地点なのだけど、ここも相当変則的に避ける方法が一つあるのと、スノーボードでなければそこまで難しい斜面というわけではないので無理せず木の葉落としで降りてもらうしかない。

スノーボード初心者の人たちだとむしろニセコ連山のアンヌプリおすすめになるのかもしれない。しかし初級者以降の腕前か体力がある、スキーヤーが多いなどといった場合はヒラフ&花園おすすめしたい。あのゲレンデには雪山の魅力のほぼ全てがある。地形、圧雪非圧雪モーグルバーン、近年どんどん良くなっているパークレイアウト。

もっと気軽に観光メインでという人々に耳よりなのは、ヒラフエリアはオシャレなカフェレストランがとても多いと言う事だ。

簡単に行ける範囲おすすめを列挙する。定番jojo's cafeグラウビュンデンの両雄はどちらも素晴らしい軽食スイーツが楽しめるカフェで、老舗故にアメニティすらもひたすら良い。もし天気が悪く宿泊からこの二店舗に行っただけで一日を終えてしまったとしても、全然すばらしい休日になることを賭けてもいいくらいだ。食事はどちらも王道メニューで、このエリアでは例外的コスパがある。jojoカフェブラウニーフレンチプレスコーヒーグラウビュンデンのチーズケーキ紅茶滞在中の滑る時間を削ってでも試しておくべき。

滑り志向の方々にはゲレンデ内の食事も、割高にはなるがスキーブームの頃を知っているならば隔世の感があるのではないかと思う。エースヒルタンタアン、HANAZONO308はもう一つのヒュッテキングベルに比べればカフェ飯志向(やや割高)。ウェルカムセンターホテルアルペン食堂か食彩比羅夫もある。

ラーメンベストは風花だ。ひらふ坂の店が目に入るとは思うが、空腹が過ぎるのでなければ5分ほど無料シャトルバス乗り場で待ち、でひっきりなしに周回しているハイエースのようなバスの「泉郷」を経由するものに乗りましょう。(因みにこのバス完全無料で4パターンの行き先があり、使いこなすと飛躍的にひらふ満足度が高まります。)

風花もメニュー王道ニセコラーメンおすすめ。ちぢれ中太麺に絡む味噌クラシカルな味わいの上に、じゃがいもポタージュエスプーマバター香りが合わさる濃密な味わい。超達者な英語でテキパキとホールをさばく店長さんの美しさも行くたび感動する。

風花が泉郷移転してしまったが、ここには前述したグラウビュンデンともう一個、スープカレーのつばらつばらという3つの良店が固まるエリアになったので却って紹介するぶんにはわかりやすくなった。

泉郷から更に先にはそばのいちむら、格調高いカフェMozart、絶品シュークリームイタリアンディナーのL'ocanda、更に少し離れてジェラートのルヒエルがある。ルヒエルは特に車がないと行けないレベルだが、サイクリストでもある方がおられたら羊蹄山周遊の折、地元パン屋の雄ホワイトロック直営カフェと並んで居心地の良い休憩スポットになるだろう。

ついでに倶知安の店も少し。中華ベーシックな広華、点心の籠堂がおすすめ和食日本料理 佐藤が酒も肴も握りも良い。素材は北海道、腕は都会の洗練がある最高のやつ。しかし一番のおすすめは成吉思汗の廣松。ここはあえて説明をしないが、タイムスリップたかのようにかつての倶知安も味わえる名店。おっちゃんおばちゃん元気でね。

ひらふから反対に行けばまた色々あって、東山ソフトクリーム高橋ミルク工房、ベジビュッフェプラティーボ、エリア最高のジンギスカンが楽しめるロフト倶楽部紅茶専門店ルピシア直営カフェ

ニセコ町エリアはほんとに詳しくないけど本格ナポリピッツェリアデルソーレ、そばの楽一、SEEDベーグル高野珈琲店はどれも名店。

車があるなら更に進んで真狩エリア温泉&高級フレンチマッカリーナ、ブーランジェリーJinで買ったパンにトゥルモンのコンフィチュールニセコチーズ工房フレッシュチーズを併せるなんていう世界一の朝食を取ることだってできる。

京極町うどん野乃傘も忘れ難い、夏前の輪行で食べた天ぷらにはアスパラ概念を覆される衝撃を受けた。

なんか食い気に走りすぎたけど、滑り以外の人が多いかと思ってひとまずこんな感じで

本当はまだまだまだまだ語り尽くせぬ思い出とそれ以上の魅力がこのエリアには満ちています

今年はちょっと久々に雪も足りてるそうだし、行かない手はないんじゃないでしょうか。

記事でもありましたけど、この貧しくなったと言われている日本でも尚、世界と比べればウィンタースポーツを楽しむために必要ハードルはとてつもなく低く、かつ得られるクオリティ世界有数です。

この優位さをぜひ一度は享受してみて欲しいです。因みにレンタルギアニセコ、ルスツともにクオリティが高いもの使用できるようになっていたりします。が、繁忙期は予約が必要なほどなのでひらふ場合グランラフレンタルニセコBOOMSPORTを利用するのがベストです。レンタル大手RYTHEMジャパニーズスピーカーが少ないので英語ならば細かい対応を受けられるはずです

2018-01-15

anond:20180115135418

ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音ネイティブ

純粋スキースノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。

これは俺も思った。圧倒的に欧米しかも、同じ冬のはずの北半球の人々も多かった。オージーNZばっかじゃないぞ。

リムジンバスで前に席に板おっさんデンマークだったし、レストランで陽気に話しかけてきたグループスイスだった。

おまいら日本くんだりまで来なくてもそっちにスキー場たくさんあるだろ!って思ったんだけど、スイス人に聞いてみたら、あっちのスキー場はたまにドカンと降るのが普通で、ニセコみたいに連日1メーター以上降るなんてありえないらしい。ほとんど聖地扱い。

同様の理由で、ほかに白馬エリア聖地認定されてるようだ。

anond:20180115142559

例えば、インスタにスキー場行ってた写真たから、後日「スキー行ったんだ?」言ったら「いや、スノボだし」ってくらい

程度らしいし、これはお高くとまってるだけの女では?

anond:20180115142325

もちろん、重大なミスだったら怒っても仕方ないけど、ほんとどうでも良い事だし

例えば、インスタにスキー場行ってた写真たから、後日「スキー行ったんだ?」言ったら「いや、スノボだし」ってくらい

写真ちゃんと見ればボード持ってるけど、その場で行ってる訳でもないし、なんとなく覚えてた内容で話したわけだし

twitterスマホだと前のつぶやき見えないから、結構進んでいくと前の方の細かい部分忘れるし

何故北海道ニセコ外人が大枚をはたいて押し寄せるのか10の理由(追記の追記有り)

予め宣言しておくと 皆が口を揃えて言う「雪質が最高だから」という理由は当たり前すぎて聞き飽きているだろうから、それ以外のことを書く。

ニセコに興味を持った経緯

自分バックパッカーアジア遺跡寺院巡りを中心にいろいろと旅している。寒いところは大の苦手だ。

その数々の旅の中で印象的で記憶に残っているのが5年くらい前にミャンマーラオスかのゲストハウスドミトリーで同室だったオーストラリア人との会話。

会話前略

増田日本行ったことある?」

豪人「Yeah! I went トーキョー アァンドゥ ヌィスィクォ」

増田???

ニセコが外人に人気だということは当時知らなかったし、確かまだ民主党政権下の円高訪日外国人客もそんなに多くない時代だった。

・・・・・逆にバックパッカーにとっては円高恩恵を受けて非常に楽な時代だった)

東京はさておき、京都でも沖縄でも奈良でも広島でもなく謎のピンポイント地名らしき名前を言われて混乱した。

最初は聞き間違えかと思ったが何度か聞き直した挙句北海道ニセコという超マイナースキー場ということがわかった。どうやら雪質が良いらしい。

当時は「ほーん、雪質が良いってだけでわざわざ赤道超えてはるばる来るんやなぁ スキーヤースノーボーダーの熱意は大したもんやな」程度に捉えていた。

しかし、今年ようやく念願叶ってニセコに行くことが出来たことでほとんどの疑問が解決出来た。 これは確かにニセコに外人が押し寄せるわけだ・・・

理由1 英語が通じる

卵が先か鶏が先か、というツッコミを受ける話になってしまうのだが・・・

スキー場スタッフはおろか 山小屋 レストラン 町中のタクシー ホテル 温泉 飲食店に限らないスキー場周辺の一般住民 ほとんど全てのに対して英語が通じる。

メニュー標識看板放送などもほぼバイリンガル。 英語公用語ではないアジアの他の観光地と比べても遜色ないレベルかもしれない。

理由2 クレジットカードを使える店が多い

標高1000mの山小屋で使える

そのへんのホテルの中にある売店(ビールとかおつまみを買うところ)でも使える

明らかに企業経営ではない個人タクシーっぽいのでも使える

しかゲレンデレストランSuicaだのEdyだのiDだのも使える機械があったと思う・・・けどちょっと曖昧。違ったらごめんなさい。

理由3 山小屋等の設備キレイ特にトイレ関連)


ゲレンデに適切に配置されたロッジの中に暖かくて清潔で広いトイレがあり、かつ十分に数があって全く並ばない。

個室の中もそれなりに広く、重ね着していても快適に用を足すことが出来る。

スキーウェアを着ながら用を足したことがある人にしか伝わらないかもしれないのだけれども・・・

うんこを愛する増田達にはきっとこの素晴らしさは伝わると願っている。

理由4 スキー場の桁違いの広さと自由度

単に広いというと禿山に広がる広大な斜面を想像されるかもしれないのだが

独立した4つのスキー場がところどころで繋がっていてかなり自由に行き来することが出来る(特にから2番めのヒラフは桁違いに広い。完全立ち入り禁止のとこも勿論あるので全部が全部入れるわけではない。)

コースコーススキー場スキー場の間に生えている木々がちょうど良い塩梅の間隔でコース間滑走が楽しい

この木々の間隔をうまく伝える語彙力の低さを強く自覚していて、非常に歯がゆい。死語だがボキャ貧

理由5 ナイター設備

全部が全部ではなく一部のリフト等は15時半あたりから終わってしまうのだが、かなりの広範囲のコースナイターが楽しめる。

そして、友人曰く珍しいことなのだがリフトのみならずナイターでも一部ゴンドラが動いている。

朝に羽田から新千歳に飛んで、昼過ぎとかから20時半とかまで滑れる、しゅごい。

他にもフードが着いていて雨風を避けられるリフト(座ってても寒くない)をはじめとするスキー場インフラ面が他のスキー場と比べて秀逸。

理由6 シャトルバス運行

4つのスキー場を結ぶNIZEKO UNITED シャトルは、全スキー場共通のリフト券を持っていれば無料で利用可能。 時間もスキー場によっては23時過ぎまである

理由5のナイター設備に絡めて話すと・・・

例えばナイターのないニセコ花園リゾート近くの宿に宿泊していても、夜までナイターのあるヒラフで滑ってそこからバスで晩飯食べに行ってからバス温泉行ってバスで帰ってくるみたいなことが可能

あとは若干行動に制限が生まれ不自由ではあるが、スキー場スキー場の間にある宿であってもだいたい近くに停留所はあるので宿の選択肢を広く持てる。

理由7 日帰り温泉露天風呂付き)

需要があるから供給もあるという話ではあるが、温泉日帰り温泉を受け付けているホテルが多い。朝6時から24時までやっているところも。

私が行った温泉はすべて休憩室が完備されており、湯上がりにビールでも飲みながら暖かく快適に友人を待つことが可能だった。(仮眠も可能

余談になるが、温泉が好きなのは日本人だけであって"西洋人公衆の場で裸になるのに対して恥ずかしいと感じる"という思い込みがあったのだがニセコで完全にそのバイアスが崩れた。

あいつら温泉に酒持ち込んでめっちゃリラックスして楽しんでやがる・・・もしかして日本に来る人は特別なのだろうか。

もう一つ余談。 温泉等に良く付いている有料のマッサージ機について。

私の観測範囲内では今まで国内旅行においてほとんど誰も使ってるところを見たことがなかったのだが、ニセコでは外人が凄い高い頻度で利用していた。 技術立国クールジャパン

理由8 タクシーが便利

コンビニセイコーマートがあるヒラフ十字路近辺には流しのタクシーが高頻度で走っているし、電話したら各ホテルレストラン温泉まで来てくれる。

また、先述の通り、クレカは使えるし英語も伝わる。

湯上がりに外を歩くと髪の毛が凍るレベルの外気なのだが、23時を超えて温泉から宿までのわずか数百メートルのためにタクシーが来てくれた時は有り難さで涙が出た(初乗り+割増の660円だけで申し訳ない気持ちだった)

理由9 メシがウマい

北海道なんだから当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、スキー場から歩いて行ける範囲内で美味しい店が多いという条件って実は意外と難しい。

繋がってるスキー場を渡った上で、理由6のシャトルバス運行をうまく絡めると無料でさらに選択肢が広がる。

料理ジャンル、レパトーリーも多く何泊しても困らないはず。

理由10 雪 質 が 最 高

"「雪質が最高だから」という理由以外のことを書く" と言ったな あれは嘘だ

正直雪質が良いって言われても初心者からそんなんたいして違いとかわかんないわー 関係ないわーって思ってたんス

でも、初心者こそパウダースノーで雪質の良いところで練習すべき! こけても全然痛くないし、痛くないかちょっと大胆なことも練習出来るし上達も早い!何より滑るのがチョー気持ちいい

毎日大量に雪が振るからシーズン中(2月途中くらいから悪くなるらしい)は新雪でフカフカだし、朝に頂上まで行ってそこからヴァージンスノーのみを使って下まで降りるのが至福の快感。

まとめ

ニセコに今まで行ったことがなくて

スキーorスノボが現在少しでも出来て 興味がある人は

絶対人生で一度は行ったほうがいい。凄い貴重な体験が出来る。超絶オススメ!!!!!!いっきり背中押すから若いうちに行っとけ!!!

追記

はてなコメントで新たな視点を頂きました。

ID:aiensteinさんありがとう

http://tech.s-cubism.jp/blog/archives/3723

以下、ニセコに限らず日本全体に当てはまることではあるのだけれども理由追加。

10の理由と言ったな あれも嘘だ

理由11 オーストラリアと時差が少ない

オーストラリアとは2時間差、ニュージーランドは4時間差らしい。

しかになーと納得。

理由12 オーストラリアニュージーランドと季節が逆(避暑地としての価値)


日本人軽井沢に行く感覚・・・というよりは夏にスイスフィンランドに行く感覚?

理由13 オーストラリア比較して物価が安い

自分経験だけど、今シドニーとかメルボルン等の都市部ではランチでお高くない普通の店でも2000円を軽く超えてくる。(だからこそ日本ラーメンが1杯1000円超えてても人気だったり)

あとは本題と外れるけど、ホノルルワイキキ丸亀製麺行列が出来てたりで現在海外における日本料理の一部は所謂日本にとって一昔前のマクドナルド的な存在だったり。

日本人からするとスキー場ラーメン1000円とかカツカレー1500円って 「うげぇぇぇぇぇえ」ってレベルだけど、彼らからしたら安いのだろう。

理由14 夏も楽しい

最近冬のニセコに行ったばかりで夏はわからないんだけど

ラフティング(川下りボート

SUP(スタンドアップパドルボード

ジップライン(ワイヤーとプーリー(滑車)で滑り降りる)

など、夏のアクティティも増えました。

長期で滞在する用の宿泊施設(コンドミニアム)も増え、数ヶ月の滞在も増えています

らしいのでそうなのかな。他の観光地も組み合わせた上で、夏も寄ってみたいって思いました。

理由15 リピーター & 口コミ

おそらく最大の理由。全ての理由を経て、来訪した経験者の満足度が高かったんだろうね。

その満足度の高さが、さらに客を呼び好循環を産み出している最強の状態。

まとめのまとめ

世界のどこにでもいる中国人団体客がわんさか来る  とか

台湾やタイマレーシア東南アジア暑い国々のお金持ちが涼みに来る とか

そういうのではなく、ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音ネイティブ

純粋スキースノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。

若干日本人と比べてマナー悪い部分とかも無くはないんですが(セイコーマートコンビニの灰皿とかゴミが投げ入れられていて惨状だった・・・・)  文化の違いも体験出来るし素晴らしいところです。

重ね重ね、一度は冬のニセコに訪れて見ることを強くオススメします。

乱筆失礼致しました。

追記の追記

気付かぬ間に400近くもブクマが!!

若者スノボ離れとかウィンタースポーツ国内人口現象とか言われてるけど、なんだかんだ皆さん興味はあるということでしょうか

(それともはてな村の平均年齢が・・・・・  おっと誰か来たようだ)

何個かコメントを拾わせて頂きます

id:Lhankor_Mhy さん

https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0227.html

やっぱ資本の力が大きいんですね。やや不動産価値がバブってるってのも含めて理解が深まりました、URLの紹介、有難うございます

他の方が指摘されてるように、日本人にとってのハワイみたいな位置付けがオーストラリア人他外人にとってのニセコなのかもしれませんね。

>超マイナーうんぬん

釣るつもりは全くなかったのですが、寡聞に付き大変失礼致しました。

当時まだ若く、関東からちょっと足を伸ばせる範囲の群馬長野新潟スキー場数個(白馬、湯沢、水上など)くらいしか知らなかったので完全に無知でした。

あとなんか積雪量の関係新潟とか日本海側が最強で北海道は劣るとか思い込んでました・・・・。

無理に他のスポーツに例えるならばサーフィンほとんどやったことない人が「青島?どこそこ?」みたいなレベルの話です。

完全に東京中心の悪い意味での中華思想でした、お詫び申し上げます

釣るつもり・・・・・といえば逆にトイレの項目で、はてな村の皆さんが大好きなうんこネタを振ったのに誰も食いつかなくて寂しいです(`;ω;´)

やはり漏らさないと駄目なのか。

2018-01-12

anond:20180112001841

人が人にかかわっていくとき、その原動力は愛じゃないですか。

[中略]

そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。

増田腐女子百合スキーなんかが良く「壁になりたい」って言ってんのは、自分がそのキャラ(カプ)に干渉したくないからじゃなく、キャラ自分干渉してほしくないからではないのかと思ってる。

人間間の感情ベクトルソースを愛と仮定したがゆえに、自分に対して愛をソースとするベクトルが向くことが信じられなく、結果として自分キャラの間に断絶を作る。

ねほぱほ出演の腐女子も「好きな人に好いてもらえるなんてありえないじゃないですか」と言ってたし。

そこが萌えオタ・夢女子との違いで、彼らはキャラを愛し、愛されることを望む。

どちらが良い・上だという話ではなく、なんとなくそう思っただけ。

2018-01-03

anond:20180103125805

ちょっと話はずれるけど、八甲田山て怖い山だね。私は夏とGWしか行ったことないけど(しかほとんどバスで通過しただけ)、GWになっても道路脇に山のように雪が残ってる。さすがに溶けかかってジャリジャリになってたけど、スキーしている人がいてびっくりした。私の目的地は奥入瀬渓流だったんだけど、そっちもある程度雪が残っていて青森気候の厳しさに驚いた覚えがある。別に自殺志願者じゃなくても、真冬で天気の悪い日に登山素人がろくな装備も持たずに入ったら間違いなく死ぬと思った。

八甲田雪中行軍遭難事件明治時代の話だけど、平成の世の中でも登山知識や現地の地理や冬山に必要な装備について知らないであんな山に登ったら恐ろしいことになると思う。富士山も冬に登ると相当厳しいみたいなので、そういうところで死ぬと救助とか捜索に行く人が非常に迷惑だと思う。雪山死ぬとかと言っても人里の近くであまり周囲の人に手間をかけさせないようにしてほしい。あと、「やっぱり死にたくない!」と思いなおしたときにも人里に近い方が生き残れる確率が高いかと…。

2017-12-22

anond:20171222102346

スキーが上手になりたい

レースで真ん中くらいの順位でいいです

2017-12-21

anond:20171221171801

なんかバブル臭がしますがほぼほぼ同意します。

アフタースキーでボッチになってしまったら、

狐と一緒に下山して手袋を買ってあげてください。

🦊<なんてええ人なんや増田はん……。寒かってん、嬉しいわぁ。

anond:20171221171353

スキーを覚えなさい。冬が来るのが楽しみになりますスキーを覚えるのです。

2017-12-17

anond:20171217190856

あはは。私も道民スキー上手いんでしょ?って聞いたら、それは西側だけで東側スケートなんだよ!ってキレられたw

2017-12-09

リサーにいたアラフォー男が思い出を書くよ。

https://anond.hatelabo.jp/20171203134612

この種の手口って昔から変わらない。

バブルがほぼ終わったころ、まだ携帯とかなかったころ。

テニススキー女子大入り口でチラシをまいて、

新歓コンパGWコンパ梅雨でもコンパ、夏は海に山に夏合宿

4月5月に3年生が1年生女子を食って、夏までに飽きたら別れ、

フォローして下学年がその1年生食って、まあ4~5人で回したら

まともな子はいなくなって、残った女衒みたいな2年生以上の女子

下学年を連れてくる。以下繰り返し。


ドラフト会議とかやってたのも同じ。

3年生が食った1年生の自慢する。主に身体的に。

胸が大きいとか乳首ピンクとか声がアニメっぽいとか。

あと処女だったとか腰のキレがすごいとかフェラは鍛えたとか。

たぶん今ならハメ撮り写真とか見せ合いっこしてたと思う。

それで2年生がどこに行くか談合して攻める。たいがい落ちる。

また夏が終わるころにドラフト会議やる。

ひたすら身体的に自慢。そのころになると女子性的成熟して、

テクニックなども向上してくるので、また3年生が参入したりしてカオス


恋愛感情とかなかった。ひたすら性欲だけがあった。

受験勉強ばかりだったので、鬱屈したエネルギー

そして人間は点数でのみ評価されると思っていた。

バカ女子が優秀な自分の性欲の対象になるのは当たり前だと思っていた。

実際、うちの大学名前を出すと、多少イケてない男性にでも女子は股を開く。

そうして女子バカにしている自分感覚は正しいのだとフィードバックされる。


同じ大学でも、入学しても勉強してるような童貞もいた。

なんで童貞なの?女って口説けばすぐ落ちるんだけど?

俺なんて4年間で20人近く食ったよ?処女だって4人も食った。

連中、屈折して俺たちのことを白い目で見てたけど、バカはお前らだから

お前らだって女とやりたいんだろ?


そうやって面白おかしく4年間を遊び、就職した。

マッチョな、それは仕事ぶりも女性の働かせ方もなんだけど、大企業入社

さすがに学生時代のような無茶はできないけど、

それでも合コンしてれば女性には不自由しない。

年齢なりに結婚を焦っている女ってのはいて、いくらでも食べ放題


30過ぎて、会社の中での評価が決まってくる。

私の場合は、あまりかばかしくないコースを歩んだ。

選抜漏れたってことだな。

30過ぎで知り合う女は、年齢にかかわらず計算高い。

名刺肩書を見て瞬時にしらける女が増える。私は徐々に相手されなくなってくる。

学生時代バカにしていたような童貞どもが、会社の主流を占めていく。

童貞どもが、ヤリサーなんかにいなかった同世代のいい女と何人も付き合って、一番条件のいいのと結婚していく。


気づいたら、私は、私がバカにしていたような女性結婚するしかなくなっていた。

いかにも頭の悪い、たいしてかわいくもない、若いけがとりえの女と30半ばで結婚

女の子が生まれたが、産前産後にもまともに相手しなかった結果、別れを切り出された。

あなたは、他人と向かい合って生きることができない人だから

ということらしい。


出世できないことが確定した40歳会社の周囲の目も厳しい。

少し上のバブル世代のできない先輩たちと十把一絡げで軽んじられる。

もちろん、40過ぎたバツイチ男にまともに相手してくれる女性などもいる訳もなく。


私は、これからは、私がバカにしてきたものから見捨てられる人生だ。

何が間違っていたのだろう。


あ、そっか、30過ぎの選抜で勝ち残ればよかったんだった。


娘は私みたいなのではない、ちゃんとした男性幸せになってほしいな。

2017-12-02

ミソジニーに囚われた愚か者どもよ

俺はミソジスキーだよ

よろしく

2017-11-28

◯ルトンのすべて

アルトン…銀座にあるギャラリー

イルトン…PCの自動ログインログオフを実現する技術

ウルトン…韓国俳優

エルトン…ジョン

オルトン…羽生にあるカフェ

 

カルトンレジの受け皿

キルトン…ゼルダ登場人物

クルトンサイコロ状のサクサクしたパン

ケルトン…スピーカー形式

コルトン…千葉にあるショッピングセンターブルゴーニュ地方にある特級ブドウ畑ブコメより)

 

サルトン…南アフリカワイナリー

シルトン…イングランドの元サッカー選手

スルトン…ヒドロキシスルホン酸の環状スルホン酸エステル

セルトン…発泡剤の分解を促進する尿素系助剤、作曲家、雨が極端に降らない地域、など該当多数

ソルトン…カリフォルニアにある湖の名前

 

タルトン…名古屋にあるパティスリー

チルトン…イギリスレーシングドライバー羊たちの沈黙登場人物ブコメより)

ツルトン…鶴橋で売られているルイ・ヴィトンの偽物

テルトン…埋蔵宝典発掘者

トルトン…山善から発売されているハンドフリーマッサージャー

 

ナルトン…焼津ゆるキャラ

ニルトン…柔術家

ヌルトン…該当なし(ハンドルネームとして稀に散見される)

ネルトンパーティー、紅鯨団(ブコメより)

ノルトン…電気回路に関する定理

 

ハルトン…厨房機器メーカー

ヒルトンセレブ

フルトン…傘メーカー目標気球をつけて航空機で回収するシステムブコメより)、蒸気船フラーモント号の発明者(ブコメより)

ヘルトン…元メジャーリーグ選手

ホルトン…フレンチホルンメーカー

 

マルトン…腕時計ブランド

ミルトン失楽園、消毒液(ブコメより)、カルピスみたいなやつ(ブコメより)、バナナボサノヴァドラマーブコメより)

ムルトン…韓国語水筒の意

メルトン…被服生地の種類、FF6の攻撃魔法ブコメより)

モルトン…ブラウン

 

ヤルトン…ネパールの祭り

ユルトン…南アメリカ大陸にある湖

ヨルトン…ポケモン(の登場人物ブコメより)

 

ワルトン…胃腸や鼻、目の表面といった粘膜などを覆っているどろっとした物質

ンルトン…該当なし

 

ガルトン…名古屋にあるレストラン

ギルトン…韓国英雄視されている人物

グルトン…レストラン屋号として各地に点在

ゲルトン…日の丸無線が製造したゲルラジオ

ゴルトン…イギリス遺伝学者

 

ザルトン…FF13LRに出てくる人物

ジルトン…豚汁

ズルトン…スキー用語

ゼルトン…釣具の一種

ゾルトン…ワージ

 

ダルトンインテリアメーカークロノトリガー登場人物ブコメより)、銀座の老舗バー(ブコメより)、イギリス俳優ブコメより)、分子量の単位、(ブコメより)実験機器メーカーブコメより)

ヂルトン…人名として稀に見られる

ヅルトン…該当なし

デルトン…ベーキングパウダーの種類、アメリカにある湖の名前ホテル名前、など

ドルトン…イギリス科学者

 

バルトン…名古屋にあるグリルバー

ビルトン…南部アフリカ発祥干し肉

ブルトンシュールレアリスム宣言四次元怪獣ブコメより)

ベルトン…日東工器から発売されている研磨機

ボルトンイギリス地名

 

――追記――

パルトン…パルロン!フランス語フランス一周

ピルトン…韓国語で筆箱の意

プルトン…ワンピースに出てくる古代兵器

ペルトン…衝動水車一種

ポルトン…ダンボール戦機ウォーズに出てくる仮想国家

 

――追記2――

ラルトン…バウンサー登場人物

リルトン…ペンシルバニア州都市

ルルトン…スペインにあるワイナリー

レルトン…イギリス都市

ロルトン…ロシアカップ麺ブランド

 

――追記3――

ヴァルトン…オペラ清教徒に出てくる登場人物

ヴィルトン…ベルギーにある都市

ヴルトン…ブルターニュソーセージの煮込み(ブコメより)

ヴェルトン…フランス都市

ヴォルトン…フランス社会学者

 

イェルトン…IKEA商品

イャルトン…該当なし

イュルトン…該当なし

イョルトン…該当なし

 

ウァルトン…水路測量書

ウォルトンイギリス作曲家

 

キェルトン…正真正銘の該当なし

キャルトン…金台紙

キュルトン…フランスにある城

キョルトン…相槌の向こう側へ

 

クァルトン…アヴィニョンピエタでお馴染みの画家

クォルトン…韓国地名

 

シェルトン…長尺マットレス工法一種

シャルトン…イギリス都市

シュルトン…アメリカ化粧品会社

ショルトン…AVのブランド18禁

 

スァルトン…該当なし

スォルトン…該当なし

 

チェルトン…アニモ

チャルトン…コロンビアホテル

チュルトン…マヤ文明における貯水池

チョルトン…韓国語で頑固の意

 

ツァルトン…ブラチスラヴァ-セレジ市街馬車鉄道の起点

ツォルトン…Your search - "ツォルトン" - did not match any documents.

 

ニェルトン…セラ寺の第8代座主

ニャルトン…ハンドルネーム散見される

ニュルトン…架空探偵

ニョルトン…該当なし

 

ヌァルトン…該当なし

ヌォルトン…該当なし

 

ヒェルトン…該当なし

ヒャルトン…ポケモンに出てくる伯爵

ヒュルトン…リモンスター

ヒョルトン…該当な(ry

 

ファルトン…スペインの甘い菓子パン

フィルトン…流出油処理剤

フェルトン…マルフォイ

フォルトン…大阪にあるケーキ

 

ミェルトン…シンガーズ・アンリミテッドメンバー

ミャルトン…該当(ry

ミュルトン…フランスレジスタンス運動活動家

ミョルトン…該(ry

 

ムァルトン…(ry

ムォルトン…(r

 

リェルトン…(

リャルトン……

リュルトン…フランスワイナリー

リョルトン………

 

ルァルトン…Your search - "ルァルトン" - did not match any documents.

ルォルトン…No results found for "ルォルトン"

 

ーー追記3.5ーー

クィルトン…サッカー選手

クェルトン…材木の種類

 

スィルトン…決定的なものなし

スェルトン…格闘家

 

ツィルトン…Your search - "ツィルトン" - did not match any documents.

ツェルトン…熊本にあるガソリンスタンド

 

ヌィルトン…該当なし

ヌェルトン…該当なし

 

ムィルトン…該当なし

ムェルトン…該当なし

 

リィルトン…該当なし

リェルトン…該当なし

 

――追記4――

ギャルトン…ロス・マクドナルド小説

ギュルトン…ギリシャ地名

ギョルトン…ホン・ギョルトン?

 

グァルトン…該当なし

グィルトン…織物・織り方の名前か?

グェルトン…該当なし

グォルトン…該当なし

 

ジャルトン…ハーバード大教授

ジェルトン…東南アジア産出の木材の種類

ジョルトン…メキシコ都市

 

ズァルトン…該当なし

ズィルトン…ウーって口を尖らせてズィルトン↑ って語尾を上げるとパリジャンっぽく発音できる

ズェルトン…該当なし

ズォルトン…該当なし

 

ーー追記5ーー

ヰルトン…自由劇場登場人物

ヱルトン…倫理学概論

 

ーー追記6ーー

ピェルトン…該当なし

ピャルトン…該当なし

ピュルトン…該当なし

ピョルトン…該当なし

 

プァルトン…該当なし

プィルトン…該当なし

プェルトン…ワイン生産者

プォルトン…該当なし

2017-11-21

切れ長の一重

17,8の頃、付き合った女の子から「切れ長の一重の増田君が好き」と言われた。

へー、俺って切れ長の一重だったんだ。

俺は一重とか二重とか、或いはどっちが綺麗か不細工かなど気にもした事が無かった。

その十年後くらい、訳あってコンタクトレンズを使ってみた。

近眼じゃなかったけど、スキーの時にコンタクトが有った方がいいのかと思っただけ。

ところがコンタクト向きの目じゃなくて、ソフトを入れてもごろごろした感じが取れずに、

目を開けるのが大変だった。乾燥して動きも悪かったし。

それでも2年以上頑張って使ったけど、目を空けるのが大変な事と、

顔の表情が半泣きみたいな表情になるのが嫌で、

ソフトハードも使ったけど、コンタクトは諦めた。

それからまた暫くして、とある女の子との何気ない会話中

「え!?増田君て綺麗な二重じゃん??」と言われた。

「えー!?おれは一重だよ。ん!?一重だったはず??」と思って鏡を見たら、

二重になってた!?

考えてみると、両親も、姉も、母方の祖母も二重だった。

自分だけ一重と言う事に何の疑問も抱かなかった。

目が細いとか、小さいとか言われた事が有ったけど、目を開けようとしなかったから一重だったんだろうか?

更には、コンタクトと言う異物が入ったために目を開ける必要を強いられ、自然に二重にならざるを得なかったんだろうか?

今でもそんなに目が大きい方ではないけど、目ははっきり開いている。

あの頃の、切れ長の一重に戻りたいと思っても戻れない。

2017-11-20

細眉って糞ださい

女ですら古臭いババア臭がするのに、男でそれも30過ぎのおっさんとかが細眉だとキモいキモすぎる。

スキー葛西って選手がもう50歳くらいのおっさんなんだけど、多分、すげー細眉であまりキモさにすげー悶々としてしまった。

この不快感のぶつけ先がわからなくて。

ダサい、ただただダサい昭和臭というか平成初期臭がする。平成3年とか。

そういったところに無頓着おまえらのほうがカッコイイよ。

2017-11-12

男の娘が脱ぐのってどうなの?

アストルフォきゅん風呂上がり全裸アニメ披露した

普通なサービスシーンなわけだけど

男の娘スキー的には全裸サービスになるのか?

男の娘の娘要素である服が削減されて男要素もりもりでも男ファン的には余裕なのか?

2017-11-08

anond:20171108113310

性器への刺激でスキーン腺から飛沫が飛び散ることがあるのは間違いない

日常セックスあんなに吹いたら掃除が大変なのであえていきむようなことはしない

見られることを前提に、よりハデに吹く方法を追求した結果の文化だと思う

2017-10-31

anond:20171030074636

自転車ロードレース弱虫ペダルみたいにスキースノボ漫画も何かドーンとヒット作が出て人気が盛り返したらいいのになあ。

いまスキー場どんどんつぶれてんのよ。ガラガラなのは助かるけどつぶれるのは困る。

2017-10-30

https://anond.hatelabo.jp/20171029194615

日本人の多くが知っていても漫画化されていない」と言えば、ウィンタースポーツが狙い目じゃないか

ボブスレーはあってもリュージュはないとか。

スキージャンプモーグルクロスカントリーはあってもアルペンスキー(回転)がないとか。

2017-10-24

砕かれた鏡

(この日記は、「副業風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい・・・

ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。

あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジワンピーススニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。

午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。

僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。

最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。

地震で粉々に砕かれた鏡の上に今は別々の人生が映し出されている。ナナちゃん、元気だろうか。

2017-10-23

副業風俗レポを連載していたのだが、

諸般の事情サイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。

🌑

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい...」

ナナ「あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。

中学から友達フレネミーだった話

 「フレネミー」という言葉をご存知だろうか。

アメリカ大人TVシリーズセックスアンドザティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。

かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。

 私は最近中学時代からの友人Aをこれを理由音信不通にした。

Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。

ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。

そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。

私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤストレスをためながら、でもどうしていいかからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。

 初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。

穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミー普通関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。

 Aとの付き合いは長い。中学高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。

大学は私は東京、Aは地元大学へいき少し間疎遠になった。

ある日、中学同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。

専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。

 大学卒業後、Aは地元社会人になり、私は地元にはもどらず東京フリーターをしながら資格勉強をしていた。

Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。

私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから東京で改めて学生をすることにした、初上京から色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。

私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。

 夏にAが上京しまカフェで会うことにした。

私の電車人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。

彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。

でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。

 諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。

夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。

私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。

 この頃はAのこういう行動に対して「東京生活ストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。

これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自大人になっていなかった。正直このとき違和感を信じていれば、と今でも思う。

 私はAをよく遊ぶグループ趣味グループ習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。

Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。

18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。

春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキークリスマスパーティー忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。

 冬のある日、お台場イベント大人数で遊びにいくことになった。

駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。

周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。

このときもしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。

その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。

 そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。

なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。

新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分人間として未熟なんだと落ち込んだ。

 その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。

私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデン伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。

Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたか自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。

私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。

この頃になるとAの髪型服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。

 私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。

しかし、最初に色々な自分コミュニティにAを紹介したこからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。

どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。

 Aの他者に対する暴言ますますひどくなり道端で「あんデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。

私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。

 この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達コミュニティを乗っ取られる」と検索たことがあった。

ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分モヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。

 段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。

何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデン工芸品も全部売り払った。

不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからラインはパッタリと途切れた。

 Aに真似されるというのが、大げさだが自分アイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。

同じ趣味教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。

 Aはその後も私の友人達遊んだ様子などをSNSにアップしていた。

最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。

なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。

28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。

 春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。

久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。

しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。

マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女大手アパレル企画をしている人でいわゆるキャリウーマンだ。

しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。

バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。

 ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。

私は「子供ぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。

話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議感覚だった。

 18歳で初めてきた東京最初友達も知り合いもいなかった。

大学でできた友達大学の外でできた友達フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。

それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリーカバンをもっているAがいる違和感

 話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。

Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。

Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。

 「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。

人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分直感違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。

子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分テリトリー必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。

そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。

 決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女コミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。

私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。

 Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達遮断する影のようだった。

私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。

今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。

決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。

 Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。

私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。

 Aとの関係は綺麗には切れない。

自分所属しているコミュニティ彼女もまたしっかり根を下ろしているか共通の友人が多い。

でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。

友達結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。

そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。

周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。

 夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。

前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。

自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。

ずっと付きまとっていた違和感がなくなって、孤独感が消えた。

 「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。

今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。

「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分しんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。

 時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。

しかしたらずっと先の将来でまた友達になっているかもしれないし、もうこのまま会わずに終わるかもしれない。

 長文&駄文失礼しました。

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