アメリカの大人気TVシリーズ「セックスアンドザシティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。
かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。
私は最近、中学時代からの友人Aをこれを理由に音信不通にした。
Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。
ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。
そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。
私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤしストレスをためながら、でもどうしていいかわからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。
初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。
穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミーと普通の関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。
Aとの付き合いは長い。中学・高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。
ある日、中学の同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。
専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女が東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。
大学卒業後、Aは地元で社会人になり、私は地元にはもどらず東京でフリーターをしながら資格の勉強をしていた。
Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界に就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。
私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから「東京で改めて学生をすることにした、初上京だから色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。
私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々で東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。
私の電車が人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。
彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。
でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。
諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。
夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。
私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。
この頃はAのこういう行動に対して「東京生活でストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。
これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自身大人になっていなかった。正直このときの違和感を信じていれば、と今でも思う。
私はAをよく遊ぶグループや趣味のグループ、習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。
Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。
18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女が孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。
春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキー、クリスマスパーティーに忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。
冬のある日、お台場のイベントに大人数で遊びにいくことになった。
駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。
周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。
このとき「もしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。
その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。
そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。
なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。
新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分は人間として未熟なんだと落ち込んだ。
その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。
私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデンの伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人と結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。
Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたかも自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。
私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。
この頃になるとAの髪型や服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。
私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。
しかし、最初に色々な自分のコミュニティにAを紹介したことからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。
どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。
Aの他者に対する暴言はますますひどくなり道端で「あんなデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。
私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。
この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達にコミュニティを乗っ取られる」と検索したことがあった。
ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分がモヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分が性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。
段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。
何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデンの工芸品も全部売り払った。
不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからのラインはパッタリと途切れた。
Aに真似されるというのが、大げさだが自分のアイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。
同じ趣味の教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。
Aはその後も私の友人達と遊んだ様子などをSNSにアップしていた。
最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。
なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。
28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。
春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。
久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。
しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。
マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女は大手アパレルの企画をしている人でいわゆるキャリアウーマンだ。
しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。
バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。
ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。
私は「子供っぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。
話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議な感覚だった。
大学でできた友達、大学の外でできた友達、フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。
それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリー、カバンをもっているAがいる違和感。
話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。
Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。
Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。
「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。
人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分の直感や違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。
子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分のテリトリーに必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。
そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。
決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女のコミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。
私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。
Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達を遮断する影のようだった。
私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。
今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。
決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。
Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏か旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。
私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。
Aとの関係は綺麗には切れない。
自分が所属しているコミュニティに彼女もまたしっかり根を下ろしているから共通の友人が多い。
でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。
友達の結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。
そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。
周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。
夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。
前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。
自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。
「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。
今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。
「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分がしんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。
時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。
林先生案件
狭い付き合い、重い感情を向けるタイプのコミュ障だな Aは本当に増田のことが好きだったと思う だが増田がAを嫌う事に、罪悪感を抱く必要は全くない