はてなキーワード: 水と油とは
私はセクシャルマイノリティを自認する高校生である。今日は、ただただ途方もなく疲れてしまったので増田に愚痴をこぼさせてほしい。たいしたことではないので、余計に申し訳ないのだが。
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そもそもの愚痴を吐くきっかけであり、そして、最大の悩みの種である。本当に、スルーが出来ない。
自身がセクシャリティを強く意識しているのもあってか、ネット上の些細なネタにもやもやとしてしまう。淫夢と呼ばれる同性愛を扱ったアダルトビデオへのいじり、腐女子に限らないネットユーザーのズレた発言、増田におけるホモオチ……。
考えだしたらキリがない。
こんなの差別じゃないかといいたくなるものは無数にあり、一方その度に感情を乱されても仕方ないともわかっている。そう。わかっている、が、必ずどこかもやっとしてしまうのだ。
それらが当たり前に受け入れられ、笑いとして溶けていく瞬間。周りに一切首を傾げる者がいないなか、一人異を唱えようとする己の気持ち。そのような無駄としかいえない流れを何度も繰り返す自分こそが嫌になってくるのである。
最近でも、Togetterで「島風くんとホモセした人の体験レポートがヤバ笑える」や「ビガロパイセン処女喪失レポ」 http://togetter.com/li/978098 などが話題に上がっていたが笑えなかったしいい話だとも思えなかった。
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話は変わるが、私はTwitterを利用している。
主にセクシャリティ関連を発言するユーザーをフォローし、自分もぼちぼち呟いている。といっても、フォロワーが雀の涙ほどもない弱小ユーザー。何をいってもなあと呟き頻度は低めだ。
私は、そのTwitter上でもやもやを正義感に置き換えている。
わざわざ差別用語で検索して叩くなどはしていないが、たまにタイムラインで目に入ったりすれば正義感まるだしに意見などをするのだ。
しかし今書いている愚痴もそれの成れの果てであり、またなんの為かさえもわかっていない。
名前は「RTしてホモにしようbot」https://twitter.com/rt_homo_bot
固定ツイートの「チノちゃん! 上の人はホモだから気をつけてね!」に始まり、「RTして上下左右の人をホモにしよう!」「RTして上の人をゴリホーモにしよう」など様々なツイートをしている。また、ホモ以外の言葉でツイートしているものもあるが、ホモよりリツイート数は少ない。
スルースキルのない私は、これを見てもう我慢が出来なかった。なにより、フォロワーが2000人も超えていることが理解できなかった。明らかに差別意識丸出しだと憤慨した私は、botの管理者宛にDMを送った。
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こちらのbotは、画像を加工し、キャラクターのふきだしなどに「この人ホモです」などのセリフをいわせていますが、これは明らかに差別的な意図があってそうされているのですか?
管理者「あなたの考えを一般的に"飛躍"と言います。差別を目的とする場合、差別が目的であることが明確である内容が当然発生すると思いますが、画像と定型文以外全くないはずです。差別に敏感なのであればより同性愛の方に差別的な発言をされている方を対象にすべきです。
差別はあなたのような無駄に敏感な方が発信源となるケースが多いのでよく理解しておいてください」
私「お返事ありがとうございます。
私の考えが飛躍とされていますが、その画像と定型文こそにホモフォビアが紛れていると私は判断したのです。
ホモは差別用語としての歴史があり、現在も侮蔑的な意味で使用されることが多い言葉です。もし管理者様がホモという言葉に差別意図がないとするなら、では何故わざわざ使用されたのでしょうか?
ホモでなくとも、これがハゲでもデブでもあっても、キャラクターが上を指差している様子は揶揄しているように見えます。
そして、ホモにしようという文面がツイッター上で同性愛者の目に入った時、差別だと感じる可能性がないと断言出来ますでしょうか。
そもそも、同性愛者となることは他者によってさせられるものではありません。このbotをリツイートする方は異性愛者だろうと考えられますが、それは異性愛者が同性愛者をネタにし、無意識に差別していることとほぼ変わりません。
その上で、管理者様が「ホモにしよう」という言葉を選択したその理由をお教え頂きたいです。
ご忠告ありがとうございます。また、DMのお返事に貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます」
メッセージの内容について言及するつもりはない。尚、最後のメッセージは今日送ったものだ。
「そこまで強くこだわりをお持ちになられるのであればこの小規模なbot程度へのアピールではなくもっと大きなものへのアピールをされてはいかがですか?
あなたのその考えは誰にも届きません
拡大解釈をされる方のようなのでこちらも同様にさせていただきますと、今の世の中どんな言葉をとっても差別やハラスメントになります。ならあなたも同様に誰かの目に入ってそういった印象を持たれてはいけないでしょうから文字を発信すべきではないですね
そもそも差別というのは差別になるであろう対象の人ではなくあなたのような無関係なのに敏感になって勝手に大暴れする人が規模を広め無関係な人がバカにするキッカケを作るケースが多いと思われます。
もう1つあなたの考えをそのまま使わせていただくと、↑を使って異性愛者にしようといった内容にすれば異性愛者をネタにして笑いものにしよう差別しようという風に捉えられますでしょうか
差別をそこまで気にしない側の意見を率直に申し上げさせていただきますと、あなたのような人が一番差別対象となる方にダメージを与えています。
理由は上記に加え、頭のおかしい人がいるとあなたのような人にスポットライトが当たるからです。普通に過ごしていればいいんじゃないですか?
ホモという言葉がネタとして使われるようになったキッカケとして代表的なのは「真夏の夜の淫夢」でしょう。しかし同じような「ガチムチパンツレスリング」シリーズの出演者は日本人が作品をネタにしていることに感謝さえしています。
その2つを並べた時にどのような印象をお持ちになられますかね。
わざわざ自分でホモをターゲットにして差別しようと思うならこんなふざけた手段とると思いますか?ホモ以外のパターンを含めると思いますか?
あなたは視野が狭すぎます。その堅すぎる頭を1度ミキサーで粉末にしてゼラチンと混ぜてもう1度固形にしたらどうですか。
そもそもですが、異性愛者が同性愛者、自分は興味など全くないのにそういった対象で見てるかもしれない人と一緒にいるのは簡単なことではないでしょう。あなたも嫌いな人から好き好きって言われたら気持ち悪いでしょう。
住み分けをすることが重要なのであって受け入れろという押しつけは返って居場所を奪うだけです。
あなたのような人は水と油がきれいに分離してる中乳化剤を混ぜようとするそんな人です。
頭のお花畑に水やりするの忘れずに。
花が咲いてもいらないので持ってこないでくださいね。」
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色々と疲れた。
一時はDMの内容をTwitterで公開しようと考えた。しかし私のフォロワーは関心を示さないだろうし、セクシャリティで言論の立場に立っておられる方々もこんな小さなことには興味はないはずだとして止めた。
インターネットにはそれこそ無数にホモネタがあるが、私のように無駄に正義感を発揮してもおそらくなんの意味もない。自分のやっていることの無意味さにただ虚しくなっただけ。もう放置して、勉強に集中しようかと思う。
ホモネタって面白いかな。後輩が淫夢は楽しいっていうんだ、全然差別じゃないって。
私が間違っているのかな。
追記
増田を書いたことで、気づかないようにしていた自分の未熟さを強く感じさせられました。
小さなことを一つ一つ意識し、そのうえ力も知識も不足している今では意味がありませんよね。固執するのではなく、物事を広く見れるよう勉強に今は集中することにします。いい諦めになりました、ご指摘くださった皆様ありがとうございました。
なんJ民(なんJの利用者のこと)は野球というコンテンツを通じて馴れ合っているだけで、本当は野球に対してあまり興味がない。
応援してるチームの実況スレに行って「キター」とか「いけええ」とか「うわああ」とかどうでもいいことを書きこんで一体感を味わいたいだけ。
ニワカを指摘されると顔真っ赤にしてルールブックの知識(インフィールドフライとか)をひけらかしてくる。
でも経験者ならわかると思うけど、何かスポーツをやる上で最初にすることは、ルールブックを読むんじゃなくて、実際にやってみることでしょ。
なんJでは猛虎弁と呼ばれる似非大阪弁を使ってる人が多くて、最初は大阪をバカにしてるだけだと思っていた。
しかし、全国に散らばるプロ野球のチームのそれぞれのファンがいて、関西、九州、東北、北海道などの田舎の人たちの比率が高い。
今時「アンチ巨人」が当たり前で、巨人を馬鹿にするスレッドが結構立つ。(嫌いな球団は?「巨人」とかおまけの中身~とか。)
巨人ファンはなんJでバカにされるのが嫌だから基本的に別のコミュニティで実況してる。
アニメと野球、水と油のように思えるけど結構相性がいいらしい。
アニメオタクと野球ファン、別の人なのでは?と思ってID検索してみたが、野球もアニメも両方実況していた。
①と合わせると野球未経験のアニメオタクが2chで野球知識をひけらかすという構図がわかる。
なんJ民は「なんJ民であること」に対してプライドを持っているらしく、
書き込み数が2chの中で一番なことを根拠に、「2ch代表」だと勝手に思い込んでる。
⑤「なんJ語」と呼ばれる「VIP語」のパクリなようなものをよく使う
「ンゴwwww」とか「~な模様」とか、正直言ってあまり面白くないワードを使ってレスをする。
使わないと「お客さんか?」と呼び、排他性を見せる時がある。
こういうのは2000年代の中盤頃に流行った「VIP語」(ニュース速報VIP板の言葉)に近いものがあるが、
「ツイッターやネットでなんJ語を流行らせたワイたちはすごい」と思っている。
「高校時代、50m5秒だった」とか、「ベンチプレス100kg余裕」とか、
そういう類のレスで自分がフィジカルエリート(肉体的に優れる者)だと自慢するレスが多い
でも50m5秒ってウサインボルトより早いし、ベンチ100kgは調べる限りではかなり難しいように見える。
⑦まとめブログが大嫌い
「~した結果ww」とかまとめブログっぽいスレが立つと、「アフィ」と連呼してスレを荒らそうとする。
なんJ民は「ワイの面白いレスをまとめて金稼ぐのは許さん」という器の小さい人が多い。
でも大体そういう人のレスはまとめられなかったりする。つまらないから。
⑧MLBは不人気
世界で一番レベルが高い野球のリーグはアメリカのMLBだけど、意外とそのスレは伸びない。
MLBは時間的に早朝や午前中に試合をしていることが多いけど、平日ならともかく、休日でもスレが伸びない。
同じアメスポでもバスケファンはNBLよりNBA、アメフトファンはNFLを見ることが多いと思うが、
野球自体が好きなんじゃなくて、ただのナショナリズム、ローカリズム(地方主義)でプロ野球見てるだけ。
オラが村のチームが~、の感覚。
⑨低学歴
その人の学歴は国●舘大でとても高学歴といえる大学ではないが、
なぜかその学歴に対して異様に敵愾心を燃やして攻撃してるなんJ民が多い。
なんJ民がそのコテハンの周辺人物に嫌がらせをして逮捕されたことがあり、
その犯人は岡●県の20歳の派遣社員だったり、17歳で無職(高校すら出てない)だったり、低学歴が多くて学歴コンプがすごい。
⑩意外と年齢層が高い
でも実際にはそういう中高生は少数派で、20代30代の「おっさん」が多い。
なぜならプロ野球自体が中高年向けのおっさんが見るスポーツになっちゃっていて、
プロ野球がテレビで放送されなくなったのが当たり前だし、もう若い人は全然見なくなってしまった。
「洋楽スレ」とか「アニメスレ」でも20代後半、30代前半と思われるバンドや作品の話で盛り上がってることが多く、
「中高生になりすますオッサンの集団」という実態なのがなんJ。
なんJでは「童貞」スレや「底辺」スレがかなり伸びて、完走(1000レス到達)することも珍しくはない。
「勝ち組」を自称することが多いなんJ民も、ふと現実に帰るとそういったスレで愚痴をこぼしたくなるようだ。
かつてネットで隆盛を築いた2chだが、もうそれは10年以上前の話になり、現在は凋落してしまった。
mixi、ツイッターやフェイスブックなど実名で他人とコミュニケーションするメディアが台頭すると、匿名メディアユーザーは「自分を出せない負け犬」扱いされ、
そして現在の2chで最大勢力を誇るのがなんJであり、そのなんJこそオワコン2chの象徴なのである。
おわり。
ああ、僕が中原麻衣(@nakaharamei)くんに頭来てる理由がなんかわかってきた…。あの人の言うとおりアニメ見ても絶対に面白くないし、あの人は自分の意見を言わないんだもん。もっと自分の快楽を上げるためにアニメ見てる人の書き方とは違うんだもの。彼の話を聞いても何が好きで、どこに共感してるかが見えない…
僕がだーまえ作品の、とりわけ「実在する病名や社会制度を引用しておきながら、その実態は誤解を招くデマを流布してるからとても賛同できない。」的な話をしたのは、ああ言うものが真実味とかいい話にお茶を濁すんだもん。視聴者がどう思う改善に自分達で「ありえない」と言ってしまってるのよねぇ〜
あとは、アニメを知識で見ようとする姿勢…「知識があるともっと楽しい」じゃなくて、はじめて見た人の感想を尊重せずに「ファーストガンダムの信者から最近の若者呼ばわりされたゼータが」とかなんとか言うバカ…。そんなことは作品の中身の批判でも、モチーフ同士の相互の矛盾とも一切関係ない批判
例えば、艦これだって「弓道警察」を僕は批判できないし、東方警察のそれと全然違うと思ってる。だって、艦娘は艦娘の装備や言動が史実に基づいていてその精巧が評価を浴びている以上、熱心なファンなら「お茶を濁すような半可通な描写、原作の設定を無視したメガネ外しはやめろ」と思うのは必然なはず
でも、東方警察って東方の原作とはこれっぽっちも関係がない「艦隊これくしょんなどに移った東方ファンを批判する言葉」でしかない。それって作品を楽しむ上で何か関係がある。他人がやめたコンテンツであっても、自分が手に触れて面白いものは面白いならそれでいいんじゃない?弓道警察とは逆じゃん
コンテンツを楽しむ上で「より感動を味わうために作品の中のメタファーやコンテクストをより深く調べてみたい」と思った時、それが可能なのはそれだけの強度(下調べによる知識)を持った作品であり、作品の中で現実的なメタファーや知識でいいシーンを作った以上、他の部分でもそれを見られるんだよね
何がいいたいかというと、メタファーに気づくことで作品が楽しくなることもあるけど、メタファーを軽視することで楽しめる作品もある。前者がガッチャマンクラウズインサイトみたいな奴(ちゃんとここ10年の日本政治を理解してると楽しい)で、後者がCharlotteでありだーまえ作品なわけだ
しかし、多くの場合はメタファーをきっちり理解しようとする・ほりさげようとする人にとって楽しい作品のほうが名作であり、アニメ・ゲームを楽しく見ようとする姿勢とはむしろ知識をつけて作品の現実的・または元ネタに該当するものを紐解いていく見方になりがち。これはよくもわるくもね。
で、僕は徹底的に作品を解釈したい(心理描写なり、元ネタにしてるメタファーや予備知識を知って納得したい)人で、中原麻衣くんはそういうことをする人がやり過ぎて強度の弱い作品の批判に走るのをバカにしてる(ある基準に対するアンチ)なんですよ…だから水と油なんです
やっぱりお葬式にたくさんの人が来てくれてそこでたくさん泣いてもらえるような人生を送りたいよねとカズくんは言っていて私はそれにニッコリとそうだねと答えたけれど嘘だった。自分が死んだ後のことなんてどうでもいい。そこで性格悪かっただの男に色目を使っていただの人の好感度ばかり気にしていただの言われたとしてもどうでもいい。事実だし。いやもしも事実じゃなかったのだとしてもやっぱりどうでもいい。だってもうその世界に私はいないし。だから私がそれを聞いていたいけな心を痛めることもないし、暴力とかをふるわれて実際に痛みを覚えることもない。いや、あこれ葬式で悪口言われるわ、と思いながら死んでいくのはやだよ? よーし騙しきった―っていう清々しい気持ちのまま死んでいけたとしたらの話ね。それならそのあとでなにが起きようが、それこそ実は嫌われすぎてて死体がゴミ捨て場でキャベツの芯とかゴキブリの死骸とかおっさんが使ったコンドームとかと一緒に火葬されようがどうでもいい。自分の知らないことはないことと同じだ。
みたいなことを小学生の頃お母さんに言ったらすごく悲しい目をされて、ほんとうのことをほんとうのまま口にすると誰かを傷つけることになるって知った。世界はウソとほんとうがちょうどいい割合でブレンドされていて、それを吸ってみんなは生きている。だからウソ百パーセントもほんとう百パーセントも、きっと人間には毒なんだ。そんなふうに原因を勝手に解釈して、じゃあこれからはちゃんとそのルールを守って生活しないとな、と、なんとなく人生の方針が定まったのが中学生に入ったくらいのころだった。
開き直ってしまえばあとは楽で、ほんとうのことしかなかったはずの私の言葉にウソを混ぜるのは簡単な作業だった。ちょちょいのちょい。カロリー消費ゼロ。ダイエットにすらならないくらい。でも一つ問題もあった。それは、ウソとほんとうが水と油みたいに、混ぜても分離するようなものだったらよかったんだけど、実際は水と牛乳みたいに、一緒にしたら簡単に混ざってしまってもとに戻すことができないものだったことだ。だからもうそこから私の心に透き通った水が返ってくることはなかったし、水と牛乳が混ざったそれは薄白く濁っていて、とても綺麗と言えるものではなかった。汚い水。さいてー。それだったら、と思った私は、そこに大量の牛乳を注ぐことにした。ドボボボボー。嘘、嘘、嘘。最初に水が入っていたから飲んでみるとちょっと薄いけれど、見た目は完全にただのきれいな牛乳になった。なら誰にも飲ませなければいい。それで大丈夫。私は綺麗でいたいんだ。それが水でも牛乳でも、綺麗であればそれでいい。私は私を守る。
とか固く決意していたのに恋っていうのはホントにやばい。飲ませたいんだもん、カズくんに。私の心を。バレちゃうのに。でも薄い牛乳だなあなんて思われるのは嫌だから、かと言って飲む前に汚い水って思われるのは一番嫌だから、私はどんどんさらに牛乳を注ぎまくることにした。毎日毎日。そうすりゃいつか敏感じゃなきゃ気づかないくらいの濃さの牛乳になるでしょ。お願いカズくん! バカ舌であって!
なんて言ってわかってないふりをして自分をごまかしているけれど、ホントは最初からどんどん水を注げばよかったんだ。ちょっと牛乳を入れて混ざっちゃった、元に戻らなくなっちゃった、って気づいたらすぐに、毎日毎日、水を注げばよかった。あーあ。間違えちゃった。でももう戻れないし。ってな感じで後悔しながら、でもカズくんは手に入れたいから毎日牛乳を注ぎ続けている。しにて~。なんつって。めっちゃ生きたい。けどつらい。どうしよ。こんなふうになってる人なんて世の中にたくさんいるんだからそんなことでギチギチ悩むなとか言われそうだけど黙ってろ。私は私の人生なんだから私のことはおおごとなんだよ。部外者はどっかいけ。かっこカズくん以外。
カズくんと初めてセックスしたのは去年の秋頃のカズくんの部屋だった。そこからズルズルセフレみたいな感じで続いている。とはいっても正彼女に近い位置取りのセフレだもんね! はーあ。な~にやってんだか。ばか。愛されてー。まあホントはカズくんって名前じゃないし実際はさすがに小学生で悟ったとかそこまでマセガキじゃなかったけど、おおむねそんな感じで私は生きている。似たような女の子頑張れ、なんてことは全く思わないけど、男の性欲って醜いんだな、とは思います。結論それ?
■本文。
今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲームの場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。
なので、ダーク系のゲームの場合、プレイヤーがダイレクトに投影できるような、無個性な主人公では駄目なのだ。もっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲームは例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤーの代理人である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的な超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存のポルノ小説を支配する概念だったりもする。
そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディアは本来、男性原理が基盤となっているものだから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうもの」なのだ。
そういう意味では、ゲリラ戦の天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である[比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格が狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチな主人公に近いと思う。特定のイコンに対する執着……竜二の場合はスカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。
まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。
ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分のコンプレックスに言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。
例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分に恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供的であるが故に、一定の共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。
そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品の系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説の世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。
そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまり、マッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議な立ち位置のゲームだったりする。
無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議な立ち位置を確保していることが、昨年あたりからの手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?
でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛系ゲームの場合は、主人公の意志がプレイヤーの意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精の代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。
だから、表面的な情念をノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。
何故なら、恋愛は情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味でフォーマットが確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。
これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームでえっちシーンになると、途端に主人公が饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性の限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写とセックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立を助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化の余地を残している証拠でもある。
さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。
ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的に言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズムの類型的なイメージを排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。
そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系のジェンダー化運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標が曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存のジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。
■畜生にも劣る総括。
萌え不能症気味の筆者は、センチメンタルな感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ、物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。
何を勘違いしたのか「別れる時ははっきり理由を言って欲しい。」と言ってたから、私が思う彼の欠点を指摘した。
彼は独り身に向いてると思う。
以下メール文面
消化不良なんで言うね。
君みたいに頭の回転速くないし、一度時間を置かないと気持ちの整理つかないから。
本当はその場で後日反論する旨を伝えるべきだったんだけど、気持ちの整理が追いつかなくて言えなかった。申し訳ない。
次に行くための建設的な憂さ晴らしに付き合って。着拒するって言ってたよね?じゃあ届かないでしょ?王様の耳はロバの耳。
何回も何回も男らしくないって言われたけどさ、その通りだと思う。でも何か悪いの?
正直、君の意見の一部はジェンダー的に相当古臭い凝り固まった考えだと思った。
否定も押し付けもしないけどね。ただ俺とは本当に合わないから押し付けないで。
俺は物事を対等に話し合って決めたいし、互いの同意の無い行動は厳に慎むように心がけてる。
理由は諍いを避けたいから。人に嫌われない努力に全力を傾ける。これは譲れない。
ただ、決断に係るコストを一方的に押し付けてたことに関しては反省してる。
これからは五分五分のバランスになるよう意識する。ただ、リードはしない。
話を聞いてて、君は本当に働くのが好きなんだな、って思った。
正直俺は、職業は「金を稼ぐための手段」でしか無いと思ってて、そこに付加価値は全くないと思ってる。
働くことを通して何かを得ようとする姿勢を取る人は使用者にとって都合のいい奴隷だ。
出来ることなら働かずに一生趣味に没頭していたい。そう思ってる。
だからこそ俺は自分の時間が自由に持てて将来に心配のない、この職を選んだ。
これだけ言えば分かるけど君と俺の労働観は水と油だ。これも同じように否定も押し付けもしないけどね。俺には押し付けないで。
俺は何があっても定時で仕事を終わらせて何を言われても帰る。
だから、「仕事を頑張れば自ずと魅力は出てくる」って言う言葉には従えない。
コミュニケーション能力について。これには同意する。話下手で申し訳ない。
でも「仕事に打ち込んだら自然と身につくから仕事を頑張れ」って話には従わない。
今までの事例について事細かにダメ出ししてくれた時は正直ドン引きだったけど参考になった。
ただ、君の前では99点の振る舞いも0点と同義なんだろうなーと感じた。
俺の振る舞いが99点とは言うつもりは全くない。反省点だらけ。念の為。
俺はこんな息苦しい関係は嫌だわ。
君が求める理想の男性像は完全無欠のスーパーマンなのかな?そんな人に会えるように君も頑張ってね。
俺、当日用に雨具買ってたのよ。あの花火大会、雨天決行だから。
あとね、なんでプランを組むのがいちいち俺なわけ?
そりゃ惚れた側だから多少の譲歩はするけど、組んでもらって当然って姿勢には本当に腹が立った。
好きでもない野郎の手をつないだり、教えられた連絡先にメールを返すのもどうかと思うよ。
君も全部丸投げしたいだけじゃん。
女性だからって、好きだからって、永遠に際限なく特別扱いされて良いとでも思ってるの?
自分の考えが「普通」で、「普通」だから他人もそれに従わなければならないみたいな言い方が凄く不快だった。
じゃあ何も説得力を持って言えないじゃん、って言われるかもしれないけど俺はそれでいいと思ってる。
自分の考えを押し付けることをしない、これが出来る人と俺は仲良くなりたい。
どっちにしろ俺と合わない人間だったってことはよく分かったから、君の一連の言動には感謝してる。
拙いけど、たぶんこんなもん。まさか全文読んだの?憂さ晴らしに付き合ってくれてありがとう。
追記:
ごめんなさい、この文章書いたのは全部俺(冒頭の文中でいう「彼」)です。文章下手で本当にごめん。
「言い返せたとしたらどう反論してただろう」ってメモ帳にヤケクソ気味で書き出した。
なんかもう最初から理屈で打ち負かすことが目的に書いてたことは覚えてる。
一通り書き終わって、なんか消すのが勿体なくなって増田に上げて、そんで寝た。
目的は、やってみたかった釣り+不特定多数の意見収集。あんまり考えなしに冒頭文を付け足した。
朝起きたら昨日の気分は嘘みたいにすっきりしてるし、ブコメはアホみたいについてるし驚いた。
上記のいきさつで生まれた文章なので、メールは送ってないし、連絡先もお互いの目の前で消してる。
彼女やブコメで言われた俺への指摘は正しいと思うし、おかげさまで俺の非モテな立ち位置と欠点も自覚できた。
近年、関数型プログラミングの重要性はいろんなところで叫ばれています。
Javaの最新バージョンに関数型プログラミングに関する新機能が加わりました。
Rubyも昨今、関数型プログラミングへのサポートが手厚くなってきています。
プログラミングの教科書の大手、オライリー社から、Javascriptで関数型プログラミングを行うための解説書が発行されました。
関数型プログラミングへの注目度は高まってきています。
おそらく、みなさんは既にオブジェクト指向が何か、を知っています。
でも関数型プログラミングとは何か、胸を張って語れる人は、周りに見当たらないかと思います。
実際、オブジェクト指向によってプログラミングする方法は、わかりやすい解説があちこちにある一方で、
関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、ということについての、よいまとめは見つけることはできませんでした。
この記事を読む方の中で、「関数型プログラミングを取り入れるか・取り入れないか」で切実に悩んでいる人は、おそらくいないでしょう。
この記事はあまり細かいところに立ち入りません。関数型プログラミングを使う側の立場に立って、利点や向き・不向き、それが導くスタイルを書きました。
みなさんは鳥のように飛んで、高い空から、関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、を見渡してください。
オブジェクト指向的アプローチは、名前をつけてプログラムを整理する。
関数型プログラミング的アプローチは、汎用部品でなんとかする。
Googleが近年リリースした言語、Goには、”継承”を直接サポートする仕組みが無いことが話題になりました。
また、Mac OSXの基幹ライブラリCore Foundationは、ライブラリ自体はC言語で書かれているにもかかわらず、その設計方針は明確にオブジェクト指向です。
その本質とは"名前をつけて対象を識別し、それを扱うこと"、にあります。
最もプリミティブなオブジェクト指向の対象は、ファイルハンドラです。あるファイルを開いて、読み込んで、あるいは書き込んで、ファイルを閉じる。
これらの処理をまとめたら、わかりやすいですよね?
対象に関する処理を、対象の周りにまとめる。これがオブジェクト指向の基礎的な理念です。
識別することとイコールで比較できることは、とても良く似ています。
イコールによる比較は、オブジェクト指向では鬼門であることが知られています。
PointクラスのインスタンスとColoredPointクラスのイコール演算をどう決めればいいかに、正解はありません(詳しくは"effective java"をご参照ください)。
また名前をつけて識別する対象は、フワフワしていてはいけません。
たとえば、"軍人の階級"をオブジェクトにしたとしましょう。"大佐"クラスのある兵士は名前のフィールドや、性別のフィールドを持っているでしょう。
ところで彼が昇格したときに何が起こるでしょうか。
新たに"少将"クラスのインスタンスが作られます。"大佐"クラスを破棄する前に、名前、性別、その他沢山のデータを引き継がなくてはいけません。フィールドを増やしたい場合はその都度コードに修正を加える必要があります(*)。
なるべくイコール比較を避けたい。対象は不安定なものではいけない。では何に名前をつけて、識別するか。そこにオブジェクト指向技術者の熟練度が現れるのです。
一方、関数型プログラミングでは、特定の何かに名前をつけるより、極力、汎用部品でなんとかしようとします。
関数自体をリストなどのデータ構造に詰めることもよく行われます。
実は、関数型プログラミングというのは本質を表していません。
関数をはじめとして、リスト・ツリーのようなコンテナ、手続きを抽象化したもの、回路を抽象化したもの。
あらゆる対象を値として、合成し、ときに分解し、新しい値を作ります。
変数に適用する処理を作りあげることが、とても簡単だからです。
四則演算が定義されたデータを詰めたデータ構造もまた、四則演算可能だったり。
誤解を恐れずに言うと、オブジェクト指向がトップダウンなのに対し、関数型プログラミングはボトムアップです。
関数型プログラミングをサポートする言語には、沢山の汎用部品が定義されています。
このような構造をインターフェイスとして、様々なライブラリが組まれているので、
たとえばモナドを知っていれば、30分程度でパーサー(解析機)を理解することができて、
パーサーを理解できれば、JSONパーサー・ XMLパーサー・markdownパーサー・C++パーサー ... などを理解するのはとても容易です。
理解しやすいこと。これが関数型プログラミングの大きな利点です。
追記:
また、汎用部品と型のお陰で、ライブラリのドキュメントが圧倒的にひきやすい、というメリットも有ります。
Haskellな人がPythonにトライした結果 - Togetterまとめ
関数型プログラミングは「厳密な事前設計を必要とするため、簡単なことをやるのにも時間が掛かる」。
>> map (*2) [1,2,3] [2,4,6]
邪魔な”儀式”や、"おまじない"のコードが徹底的に撤廃されているためです。
関数型プログラミングのコードは、潔癖かつ濃密です。
たとえばC言語でint hoge(int x,int y)が定義されているとき、hoge(3)はなんの意味も持ちませんが(コンパイルでコケますが)、関数型プログラミングでは意味があり、実際に有用です。
上の例では、「掛け算をする」(*)関数は、二引数関数ですが、それに引数を渡して作られた「2を掛ける」関数(*2)は、一引数関数になります。
関数型プログラミングでは、「簡単なことは簡単にでき、複雑なことは複雑にできる。ただし、間違ったことは殆どできないか、全くできない」。
また、静的型付けの力によって、コード補完は非常に強力になっています。インテリセンスの比ではないです。
たとえば、関数中のある表記の型を任意に表示できます(GHC/TypedHoles - HaskellWiki)。
やがてやってくる未来には、プログラムをテキストエディタで書くことは時代遅れになっているでしょう。
統合環境のサポートで、バグやミスの少ない、スムーズなプログラミングができます。
そしてその環境で動くプログラミング言語は、関数型プログラミングをサポートした言語なのです。
以下の様な兆候を感じたら、あなたはそのプログラムを関数型プログラミングで書くべきです。
一般に、オブジェクト同士の相互作用が複雑になるほど、オブジェクト指向では手に負えなくなっていきます。
そういうときは、オブジェクトを直接扱わず、替わりにその"相互作用"を扱うことで、複雑さを軽減するアプローチが有効です。
それこそが関数型プログラミング的アプローチです。
特にオブジェクト指向が有効なのは、プログラミング初心者がそのコードをいじるかもしれないときです。
関数型プログラミングは、強固さと柔軟さの代償として、高い学習コストを伴います。
オブジェクト間の相互作用が複雑でなく、着目している(名前をつけている)概念が安定しているとき。
そして、プログラムをいじる人たちの間で共通理解が図れているならば、オブジェクト指向が有利です。
遅延評価という機能によって、レガシーな言語で扱えなかった、巨大な数を扱うことができます。
関数型プログラミングで書かれたプログラムは、正確さが要求される、金融関連の業界で使われています。
手続きとしてパーサーを記述できるので、テキスト処理プログラムはより理解しやすく、メンテナンスしやすいものになります。
関数型プログラミングを知らない人は、「正規表現でおk」と言いますが、
彼の書いた複雑な正規表現は、半年後には(書いた本人でさえ)理解できなくなっていることでしょう。
手続き一般を扱うことができるので、途中で割り込みのある手続きの表現も容易です。
関数型プログラミングをサポートしていない言語ではコルーチン(ファイバー)などをつかってなんとかするしかありません。
さもなくば、非並行処理では普通に関数として記述できるところを、並行処理のために、Builder,Strategy,Command,Interpreterパターンを駆使して書き直すことになります。
Javascript使いの方は、Deferredなどの構造を使うでしょう(http://qiita.com/KDKTN/items/4c6986049d204f0645d8)。
C++使いの方はBoostで頑張りましょう。破滅的に解りにくいコンパイルエラーメッセージと格闘してください。
もう少し簡単な例をあげます。
あなたは、あるレシピにしたがって、自動的に料理を行うマシンの制御プログラムを書いているとしましょう。
1. まず玉ねぎを炒める。
2. 飴色になったら、肉を加えて炒める。
3. 野菜を加える。
4. 水を加えて煮る。
5. スパイスを加える。
…できませんよね?何故ならば、各ステップの"間に"、マシンのロボアームの位置や動きを調整する処理が必要だからです。
これをオブジェクト指向でやろうとすると、各ステップの副作用として、それらの処理を行うことになります。
そうすると、マシンが二機に増えた時などの変更量は、絶望的なものになります。
あるいは関数として表現するのを諦め、手順全体をDSLで記述できるようにします。
このアプローチは関数型プログラミング的です。しかし関数型プログラミングをサポートした言語の助けなしでは、そのDSLを記述するために沢山のユーティリティーコードを書かなくてはならないでしょう。
オブジェクト指向的アプローチでこの問題をエレガントに解こうとすると、クラス化の粒度を上げる事になります。
野菜クラス、フライパンクラス、ボイルクラス、フライクラス、焼き加減クラス、アームクラス、野菜の大きさクラス、切り方クラス、焼き方クラス、"焦げたよ"クラス、etc...
こうすると早晩レシピはプログラムのコード上から消え去ることになります。上記のたった5行は、依存性注入のオブジェクトグラフを構築するコードに取って代わることになります。そこには沢山の挙動の制御がオプションとして付記されているのです。
カレーなど、ある種のレシピに限定することで、見た目の理解しやすさを得ることができますが、一方それは表現力を損なうことを意味します。
C言語などではマクロを使うこともできますが、それは結局、関数型プログラミング的アプローチの意味するところと同じになります。すなわち、補助のために沢山のコードを書くことになるでしょう。
iOSのAppstoreアプリは、"無料"と書かれたボタンを押すと、それが"インストール"ボタンに変わり、それをもう一度押すと、ダウンロードの進捗を表すインジケータに変わり、それを押すとダウンロードをキャンセルできます。
このように、位置は同じなのに、ステートに依って見た目と機能が変わるボタンは複雑です。
これをオブジェクト指向で実現しようとすると、
という下らない問題にぶつかります。
一方関数型では、"機能"、"見た目"、"状態"、を独立に扱って、それらを合成してボタンを作るので、迷うことはありません。
「同じ位置にあるUIオブジェクトは、コード上で(インスタンスとして)独立して、他から干渉を受けない」
この条件が満たされているうちは、オブジェクト指向でGUIを実現することに無理はありません。
しかし、携帯端末のような小さい画面で、多くの機能を達成するためには、UI要素はコンテキスト依存的に複雑になりがちです。
近年、PCのディスプレイの大きさは、頭打ちになってきました。
画素数は増えているのですが、MacにおけるRetinaのように、複数ピクセルでひとつのドットを表すようになってきています。
これは、ひとつの画面に置かれるボタンなどのUI要素の数は、これから先の未来で増えることはない、ということを意味します。
したがって、未来のGUIのプログラミングは、注意深く機能をピックアップして制限するというデザイナーの努力を脇におけば、
関数型プログラミングの力を頼るしか無いでしょう。
つまり…
Haskell さいこうなのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おしっこ漏れちゃうのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
1. google:すごいHaskellたのしく学ぼう を注文する。
2. Download Haskell を自分のPCに導入する。
3. コンソールにghciと入力して、対話型コンソールを立ち上げる。
4. 次の関数をコンソールに打ち込んで、結果を見る。即値で書かれているところとかをいろいろ変更してみて、感動する。
take 4 $ map (*2) [1..]
追記:
いかがでしたか?
ちまたには、関数型プログラミングの利点は変数が無いことだ、とか、より安全だから、とか、より速いから、などという妄言が満ち溢れています。
オブジェクト指向と関数型プログラミングは、水と油ではありません。プログラマは自分のプログラムに最適なアプローチを選ぶことができます。
一般にはあまり知られていないことですが、Haskellにもオブジェクト指向へのサポートがあるんです(Lensライブラリ、これを使用したサードパーティ製ライブラリも最近増えてきています)。
この記事を読んだオブジェクト指向プログラマのあなたが、少しでも関数型プログラミングに(そしてHaskellに)興味を持ってくださって、ホームセンターの大人用オシメのコーナーが大賑わいになれば幸いです。。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905
上の三つが目に留まりました。
この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラしたからです。
学生時代は塾講師で中学生に理科国語数学を教えてました。(6年)
ということですべての意見に対して反論することはできるのが
肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います
結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。
以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。
結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。
きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。
これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。
基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力が必要です。
ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います。
だから、現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。
では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。
保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法の妥当性を学ぶためには生物が必要である。
同上
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスクと副作用のリスクを勘案すればよし。
中学校の理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞が血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?
高校の化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。
・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか
空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学の理科で空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。
空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。
まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力が必要になる。
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
最近の高校の教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉でダイエットはできるのだろうか?
ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。
大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。
そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である。
ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。
他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。
さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。
対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的、社会的なトレードオフの問題になりますが。
世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者の仕事であると思いますが。
教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います。
さて、以下はすべて反論である。
彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである。
レベルという言葉をプログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。
それと、相手に対しては敬意をもった言い回しをしましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。
“バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”
こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?
みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?
この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間のトレードオフ的に有利だからです。
“現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”
何を言っているかわからない。系統学習の有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。
また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?
問題解決だけしていても断片的な情報だたまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。
応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間のトレードオフ的に無駄ですよね?
”台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。”
そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?
さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?
たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体が数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?
台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います。
それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?
”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”
本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます。
算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?
彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。
最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています。
私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。
むしろ重要なのは現在の科学教育の妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います。
また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います。
私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、
基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在の教育で十分にできている。ということです。
これはバッタさんも指摘していることですが…
一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています。
それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的な裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。
それ以前の問題、論理の破綻や無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。
嘘や適当なことを言って自分の意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから。
211 :ソーゾー君 ◆0aWIMuV0Ro :2011/08/07(日) 21:16:34.85 ID:69dCqnnU
窓見てみ?羽虫がいるか?カエルが鳴いてるか?自然が壊れている・・
そして我々人間の体にその自然を破壊した有害な化学薬品が入り込んで病気になっている・・
洗剤がコンパクト化しただろ?俺がガキの頃は洗濯洗剤はもっと大きかった・・
コップみたいなカップで洗剤を洗濯機に投入していた・・
「スプーン一杯で驚きの白さ!」←そりゃそうだろ・・強力な合成海面活性剤を使ってるからな・・
だからスプーン一杯で驚きの白さなんだよ・・油を溶かすからな・・水と油が混ざるんだ・・
合成海面活性剤は農薬・化粧品・シャンプーやリンス・育毛剤・歯磨き粉にも入っている・・
http://anond.hatelabo.jp/20120303021419
コンシューマーメインの方だとハード論争もありそうなので僕とは意見が違いそうです。
ネットゲームを長年やってるゲーマーとしては、あなたの疑問は以下のツリーでよく解説されていると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20111017115231
つまり、MMORPG ではソーシャルゲームの手法というのは既に過去に経験した悪夢であって、それが本来のゲームの面白さやコミュニティを破壊したので、嫌悪されているということです。極端にゲームバランスに影響する有料コンテンツがあるのであれば、MMORPG に限らず FPS 等でも同じことが言えます。
現在は、ゲーム性やコミュニティを破壊しないように、単純にゴールでの有利に差をつけるのではなく、アバターや時間やサービスを売るような手法にシフトしてきているのは、上のツリーの通りです。
コンシューマーでは違うかもしれない、と始めに書きましたが、コンシューマーでも DLC に嫌悪感を持つ層はいます。単純な嫌儲から批判している低年齢のユーザーもいますが、DLC によって本来のゲームバランスの破壊が行われている、なにより、DLC 重視の収益モデルによってゲームとしての面白さへの開発コストが割かれにくくなっているのではと疑念を持つユーザーがいるからです。
ネットゲームでは 10 年以上継続しているものも複数あり、5 年程度なら珍しくもありません。本格的なネットゲームを経験したユーザーには、いかにもテンプレートな量産型のゲームを嫌う傾向があります。言い換えれば、「良いネットゲームとは、作って終りではなく、終わらない変化と進化があり、大きく豊かなコミュニティを育むものだ(であってほしい)」というイメージです。
しかし、MMORPG にも一時期はテンプレート化されいかにも低コストで生産されたようなタイトルが乱立しました。そういったものは、チョンゲーやクリゲーと多少差別的に呼ばれました。そのようなテンプレ化されたゲームを好むユーザーがいることも含め、議論されてきた過去がネットゲームにはあります。一方、ソーシャルゲームはチョンゲーやクリゲーよりも更にテンプレート化され、低コストで量産されているように見えます。
ネットゲームに長くうまく付き合っていくと、ゲーム内のアイテムやレベルのようなものよりも、プレイヤースキルや人間関係、ギルドなどの仲間関係といった経験に重きを置くようになります。 (まあ大体長く続ける、またはゲームが変わっても同じメンバーで遊んだりする理由ってのはそれです) 高額課金による高額課金以外の手段では到達できない、ユーザーの経験や技術を無視した有利不利は、そういった彼らのプレイヤースキルや仲間意識の価値をゲーム世界が否定するということですから、なんというか水と油なんです。
合わせると、MMORPG もしくはそれに類するネットゲームを経験したユーザーにとってソーシャルゲームは、古く安易で問題の多い課金モデルと、散々に議論されてきた使い捨ての低コストな量産型のゲームの特徴を悪い方に集約した、旧時代的なモデルに見え、批判的になりやすいのです。