はてなキーワード: 水と油とは
完全な妄想レベルで全く根拠はない与太話なのだが。ハイクに書こうと思ったらえらく長くなったので増田に書いてみる。
突っ込みどころは山ほどあると思うがまぁ与太話として聞いてくれ。
様々議論はあるだろうが、今後国内では原発は向こう数十年は推進される事はなくなるのではないかと思う。少なくとも国政選挙が2回ぐらいは原発支持・不支持が論点になり、原発推進候補は勝てないだろう。当然ながらこの福島原発の処理が終了するまでは先に進めないだろうし、毎年毎年、3月11日が来るたびに思い出され、忘れられずに残っていくだろう。あるいは残らなければならないと思う。
また、一緒にするなと言う話になるかもしれないが、スリーマイル島事故のあと米国は反原発に舵を切って長年原発を作ってこなかった。それが解除されたのはつい最近で、きっかけは確かカリフォルニアでの大規模停電だったように記憶しているが、そういった再び世論を動かす事故が起きなければ敢えて寝た子を起こすような政治家は出てこないと思う。(ただ…チェルノブイリ発電所は2002年まで動いていたとか、そういうことを考えると残る可能性も十分あるし、今回の経験から日本の原子力技術はさらに成熟されるだろうし、国際的にはどうだろとか、いろいろな議論はあるとおもうけど発散しちゃうのでここではこういう前提にする)
という夢は日本が今後成長していく上では捨ててはならない。捨てた瞬間日本の経済は終わる、と言うレベルで捨ててはまずいと思う。エネルギーはすべての生産活動の基本なのでここが下がらないことにはコスト競争に勝てないからだ。
まずエネルギーコストがあがると、エネルギーコストが原材料費に占める割合が大きな産業からやられてくる。たとえば製鉄業などがこれに当たるが、実はすでに鉱石からのアルミニウムの生成など一部の産業では国内企業はエネルギーコストの上昇によって競争力を失っているものがある。(日本では独自に水力発電所を持っていてエネルギーを極端に安く入手できる企業しか残っていない。国内のアルミニウム工業はインゴットを輸入している。このためアルミニウム合金そのものについては国内より外国の方が進んでいる)これらの産業が外国に流出しても別にかまわないという考え方も十分あるが、これは全体的にコストの上昇を意味することとなる。
さらに、エネルギーを輸入に頼らなければならない日本では、エネルギーは即座に外国に金が流失する事を意味する。(国内でエネルギーを生産できる国はエネルギーコストが上がっても国内需要として残る)故にエネルギーコストが原材料費に占める割合が増えると産業競争力が落ちるばかりでなく、国内の金の巡りが悪くなり、経済はかなり厳しくなる事すら予想される。
全ての産業がこう言った事に追い込まれないためにも、永遠にエネルギーコストを削減していく技術は追い求めなければならない。
ただ、原発はもう少なくとも政治的・社会的にもう限界だし、コスト的にも議論はある。個人的にも消極的容認派から積極的収束派に意見が変わった。原子力推進でこの夢を追うのは無理だ。
では、どうするか。
原子力によって叶えようとした夢は、自然エネルギーが引き継ぎ、夢へと動くべきだと思う。自然エネルギーは原子力と非常によく似ており、正統な後継者だからだ。
「おい貴様何を言ってる水と油じゃないか」「かわいそうに、酸素欠乏症にかかって…」「ばーかばーか」等と言う声が聞こえてきそうだが、かなりマジである。原子力と自然エネルギーは、少なくともチェルノブイリ以前の認識ではかなり共通点があったと思うんだ。
後ろの利権(産業としての裾野の広がり、影響力)の話なんかも下手すりゃ同じである。原子炉の仕組みが考え出された当時は火を燃やすよりずっと安全だと考えられており、今でも単純な死亡者の数では火力より安全だという議論すらあるくらいである。故に、今の自然エネルギーの一種のような認識だったのではないか。さらに言えば発明された当初は「こんなもの制限が多すぎて使い物にならない」と考えられていた…かもしれない。
原発というのはあくまでも手段であって目的ではない。大規模な原子力災害が発生し、その他様々限界が見えてきた中で手段を変えるのはそんなに悪いことじゃない。目的が達成できればいのだから。
故に、自然エネルギーは原子力の正当なる後継者じゃないかと思う。だから原発は今後尻すぼみになるなら、同じ夢を追う自然エネルギーに原発に振り向けていた投資のうち、維持費以外を振り向けて推進するべきだと思うんだ。原発反対の反動としての自然エネルギーではなく、原発の正当なる後継者としての自然エネルギーに。
ただ、よく知られているように自然エネルギーは
などなど、山ほど問題を抱えていて実際の所うまくいく保証はない。というか、代替エネルギーとして今すぐ原発の後を継げるような存在ではないのは間違いない。今原子力の直近の代替エネルギーになり得るのは火力しかないと思っている。(夢は継げるかもしれないが。さらには原子力が火力を駆逐できなかったように、火力も依然として必要とされるだろう)ただ個人的にはそれぞれ、以下のようなブレイクスルーがあって、研究されさえすれば解決に進むのではないかと思っている。
最後の送電網の組み替えだけは、物理的な問題があるのでブレイクスルーのような物はちょっと考えつかない。ただ、これはたとえ原発事故がなくても設備の更新などは必要だったわけだし、おそらく原発がこのまま推進される事になってもこの流れは必要になってくると思われるので、と言う事にしておく。
また…。これは完全に不謹慎であるし、お怒りをいただいてもしょうがない思考ではあるのだが、怒られそうな事を敢えて言うと、今回の被災地は壊滅的な打撃を受けほとんど丸ごと町を作り直さなければならなくなってしまったところがかなりあり、政府はここに莫大な公金をつぎ込み新たな町を作り上げるつもりのようだが(そして世論もそれに賛成している)、これは新エネルギーのための町をある程度採算度外視で作る事ができる条件がそろっていることを意味している。
ご存じの方も多いと思うが都市計画は、再開発よりも一から作った方がよほど簡単なのである。たとえば中国では大規模造成によって作られているのはものすごいスピードで発展しているが、何もないところ(あるいは何もないに等しいところ)を造成しているから早いのである。(日本の高度経済成長期のニュータウン造成も似たような話)一つずつ立ち退かせるところから始めなければならない再開発より早いのは当然である。
だから、災害に遭ってまっさらになってしまったところがある、というのは、未来のエネルギー産業を育てるためのモデル都市を作る事ができると言う事も意味する。きっかけは不幸な災害であったが、この災害を次へと繋げる事も可能になると言えるのだ。(ただ、外野だからこういうことをいるのだ、とも言えるのであるが…うまくいけば世界に名だたるモデル都市になり、産業たり得るだろう)
前掲した以外にも様々な技術的な問題はある。これらの実現・解決にはかなりの時間がかかる。ではどうするか。個人的にはそれでもとりあえず問題はないのではないかと思っている。何故かと言えば、原発は今すぐ停止できる物ではなく、どちらかというと安楽死というか引退させると言った緩やかな停止になり、自然エネルギーの成長を待つだけの余裕は十分にあるのではないかと思うからだ。
今後、原子力は引退させようという動きになっていくと思うが、一部の過激派の言うように「今すぐ撤去せよ!」というのは暴論も暴論で、とても無理だと思う。確かにエネルギー問題を無視あるいは過激派の言うとおり節電などでやりくりすることが可能であれば、異常な状態である福島第一原発を除けば原発を今すぐ止めることは物理的には可能だろう。しかし停止状態になっているのに問題になっている、あるいは使用済み燃料であるにもかかわらずきちんと管理が必要なことを考えれば、いきなり停止させても自己満足以外の意味は、それほどないのではないか。むしろゆっくり運転させ経済的に重要である状況に置いておいた方が、追い込みすぎて安全対策にまで金が回らなくなることに比べればずいぶん安全かもしれない。
さらに、原発の解体は年単位で時間がかかるし、日本国内できちんとした技術は確立されていないから、そこら辺の技術をきっちり固めてからではないと危険であるし不可能だ。
また解体した原発の放射性のゴミをどこに捨てるかという問題も当然発生するだろうが、場所はすぐに見つかる物でもないので(今でも地層処分の場所が見つからず難儀している)、そこも確保してから停止しなければならない。もちろん一度にたくさんの数の解体を進めることも、現実的ではない。すると、古い順番から廃炉へと動いていく事になって、原発の廃止にはどうやっても時間がかかる。自分は少なくともどんなに急いでも二十年はかかるとおもう。
だからまさに原発から自然エネルギーへ夢を引き継いでいく素地は十分にあると思うのだがどうだろう。
根拠らしい根拠はない。また「未来の可能性は無限だから何でもできます」みたいな不毛な話なのも自覚している。今の短期的な電力不足・技術的課題が残るであろう中期的な問題を解決するような話ではない。
さらには原子力がクリーンな夢のエネルギーとみられていた時代と同じで自然エネルギーも今後おそらく確実に様々な今知られていない問題も出てきて、場合によっては今回のような致命的な問題は出て来て頓挫するかもしれない。
また、設備以外にも、ライフスタイルは大幅に変えなければならないだろう。少なくとも
等は考えつくところだ。さらには原子力産業で食っていた人たちをどうするかと言う事もある。電力会社は徐々に電気を作って売る会社ではなく、電力送電網を所有する企業へと変貌を迫られるだろう。末端の電力網を維持管理する作業者は技術的に大きな変更はなくあまり関係ないだろうが、そうでは無い電力会社本体の、発電に携わる今まで日本を支えてきた技術者の方々には削減の並が及んでしまうだろう。
しかし、原子力が数十年原子力産業と日本を食わして来たように、数十年は日本を食わせてくれる原動力になるポテンシャルは十分にあると思うがどうだろうか?
また、困難であるため他者が参入してこないと言う状態であるならばより高い見返りを得る事ができるのではないか?うまくすれば、日本がはじめてエネルギーの世界で優位に立つ事ができるようになるやもしれない。
今こんな事を言うと怒られるかもしれないが、原子力は敵、自然エネルギーは味方、あるいはその逆でも良いが、そういった思考では未来は開けない。
現実原子力の力によってできあがってきた社会を直視し、原子力に携わる人々に「なんて物を作ってくれたんだ!」と言い放つのではなく「今までありがとう」と言い(これは無論原子力災害に見舞われている現地の方々ではなく、そのエネルギーを享受してきた我々の立場である。原子力災害のただ中にいる人は怒っても良いし、保証の話は別だ)原子力で見た夢は自然エネルギーが引き継ぎます、と告げ、方向転換を図る時だと思う。
なんてよくばりなんだ!そんな博士課程まで出て外国で教える機会まで勝ち取ってさらに英語を完璧に話せるようになりたいなんて。
だからあまり努力が出来る方ではない自分が意見を書くのもおこがましい気がするけれど、ちょっとだけ。
英語圏の外国人に通じる英語と言うレベルになると、日本国内でやる英語の学習も、実際に英語圏の子供たちが育っていく過程で行われる国語としての英語教育に近づけないといけなくなると思う。論文の書き方にしても、子供の頃から構成や内容の選び方を学ばせるし、考えを述べさせたりというのが日本よりずっと早い頃から行われるし、それが楽しめるように出来ている。人前で話す機会なんていうのも多いから、どうやって人を引き付ける話し方をするとか、そういう事が上手な人=知性のある人と考える文化が根付いてしまってる。
英語という言語は、同じ内容を様々な、時にはラテン語の表現等から引用して行うのが賢いと思ってる節が日本語よりももっともっと強いから、沢山表現の仕方を習わされる。日本語だって漢文引き合いにした方が賢いと思われるけど、今じゃそんな事5・60代の知性の競り合いでしか見たことないです。単に自分の環境が悪いからかも。でもアチラでは賢い10,20代の学生が難しい表現をしようと試みている訳で。国語のテストのやり方だって異なる。日本だと作者がどう思ったか、どん文章からそれを読み取れるか、だけど、英語圏だと自分が読んでどう思ったか?とか同じような表現の言葉で書き直しなさいとか韻を示しなさいとかだって聞いたことある。(自分は日本の教育しか受けてないので伝聞でごめんなさい。)
学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現が稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。「頑張ってるのは分かるけど、英語があれでは尊敬できない」とも書かれた。
確かに、日本人の英語は聞くに堪えないらしい。日本のカタカナ英語っぽいアクセントや、受験英語で身にしみついちゃったんだねその19世紀的な言い回し、みたいな表現を用いつつ、話し方の構成も日本的に話してると確かに鬱陶しがられる。日本人だってアジア圏の人々が物凄いおかしな抑揚の日本語で、拙い話し方してたら訝しんで、まず話をちゃんと聞こうという態度にならない人が多いと思う。(これは仕事でそういう事があった実例。なぜか白人や黒人の人が拙い日本語で話してても、姿勢があったりする。年配の方々であったし、多分潜在的な差別意識のある人だったのかもしれないが。)
でもこれは元増田が悪いんではなくて、きっと、元増田に発音教育をした学校の先生や、その時使ってたOCのテープの品質が悪いんだよ。英会話の授業とかで流すテープ、あれは自分の頃は大体アメリカ英語しか流してなかったけれど、今はどうなんだろう。様々な英語、民族の共通の公用語の英語の国の英語を聞いてると、同じ単語でも国によって発音が違ったりするけれど、発音の強弱が違ったりするけれど、そこは省いて、同じだったりする、そういう所をちゃんと教えておくことの方が重要。
他に勉強するところが沢山あるおかげであまり重要視されてない(できない)けれど、発音って物凄い重要。Aは「ア」とは発音しないしIだってちゃんと聞けば「アイ」ではないんだよ。「ai」なんだよ。もう一文に滅茶苦茶出てくるwだって目の前に居る誰かにチューするんじゃないかって位唇突き出さないと、向こうの人にはwの音に聞いてくれないんだよ。イヤまじで。日本人の発音で聞きづらいのはRとLとか言われてるけど、そんなの可愛いもんで、細かく洗えば同じ発音って殆ど無いんじゃないかって気すらしてくる。(大げさ) 発音という意味では日本語と英語は本当に水と油だなあって思う。
更に、極端に言うと、自分の受けてきた日本の英語教育って発音記号で書いた文章通りちゃんと読ませようとしてた。リエゾンとかするけれど。
でも、リエゾンだけじゃなくて、先の話とも重なるけど英語の教養として彼らは詩とかでリズムと強弱に重きをおくことが重要だと信じてるわけだから、そのあたりが出来てないと、どんなに正しい文章を話してても聞いてて気持ち悪い、と言われた。日本でもリズムつけて読ませるけど、日本に居る日本人の英語の先生のダイナミックさと、英語圏に居る英語教師のテンションの高さは比べ物にならない。少々アホっぽくてもいいから教育するという意味なら後者を少し見習って頑張ってほしい。
此処までこき下ろしてしまったけど、日本(というか東アジア人)の英語教育ってある側面では凄いしっかりしてて、文章とか書かせたらちゃんと文法的にも時制も正しい文章書くし、その気になれば辞書を引きながらでもある程度の難しい文章が読めるし、英語で発信されている情報の重要な話は日本語でも同様に発信されてて同じ情報を見てたりするから知としての英語を読んでいても話を理解するのは比較的早くできると思う。英語できないって言ってる学生でも論文は読めるしさ。それがヨーロッパ人とかになると語順が殆ど同じはずなのに時折自分の国の言い方の語彙、語順になったりするし、アラブ人は話すのは凄い上手だけれど、英語圏というか、イスラム以外の文化的下地が全然なくて突拍子もない事言いだしたり、書かせると時制の捉え方がめちゃめちゃで面白い事になってたりする。
こんなこと書いている自分は英語が上手ではないけれど、それなりに勉強してきたお蔭で最初の掴みの段階で英語圏の人と話して日本人アクセントが強くない調子で話せていると思う。
最初の印象で日本人と思われることはまず無い。日本人にも日本人と思われないことも多いけど。
(話が熱くなってくると其処まで気をまわしてらんないから化けの皮が剥がれて日本人らしくなってくるけれども。)
その時言われたのが「あら貴方のアクセントはソフトなのね、日本人じゃないかと思った」
相手にしたら褒めてる積りぽかった。
つまり、「日本人=マジメ、努力家、よく働く、寿司食ってる、漫画!」ってイメージを抱かれてるのは皆知ってるけれど、それよりも普段の実生活で目にする日本人像は、「発音が独特で直せない」「(構成の仕方が違い過ぎて興味を持たれず)話の内容の表現がつまらない」「差別対象」扱いなんだな。と思った。
英語教育とか英語とか全く専門でない自分が半ば酔っぱらいながら書いたから、この文章こそ構成も論点も滅茶苦茶だけど、
元増田は努力家だから、多分、発音を矯正して向こうで高校生が読むような名作や普通の大人が一度は目にしているような現代映画に目を通して表現方法を自分ですぐ使えるように増やすだけで実はそんな不満消しにイケるんじゃないかって気がしたから書いてみた。で、博士で英語使いながら仕事してるんだから、あの手この手でこれからこのイメージぶち壊してほしいよ。自分も少し頑張って努力してみるから。
あと、別に総合大学の知の殿堂みたいな賢い人達を相手にしないんだったら言い回しの引き出しや、語彙が少なくたって大丈夫だと思う。
上手く言えないけどこんな感じ。最後まで読んでくれた方ありがとう。さらに最後に一言だけ。TOEIC信仰滅びればいいのに。おやすみ。
追記)というか、皆が皆英語で元増田と同じような壁にぶつかるわけではなく、
第二の実験では、人々に人種差別意識などなく、異人種と軒を接することに満足する人々を想定した。ただし、自分の家が異人種の家に取り囲まれてしまうような、極端なマイノリティ状態になるときだけ転居するようにルールを設定した。これは人種差別の意識とはいえない、人間の自然な感情である。
ところが誰一人として差別意識を持たない第二の実験でも、人々はきれいに分離してしまった。融合に満足する個人の集団でも、罪のない小さな選好があることが原因で、人々は物理法則に従う水と油のように分離を進めてしまう。
人間の複雑な心がわからなくても、集団としての振る舞いは物理学と同じアプローチで解明することが可能なはずだ、というのが社会物理学の考え方だ。個人が何を考えていようと、全体として現れるパターンに法則性を見出そうとする。
「一人一人は完全に自由な個人でも、個人の行動が組み合わさると、集団としては予測可能な結果がもたらされる。これが物理学で見られる現象にそっくりなのは、物理学では、原子レベルの混沌とした状態が熱力学や惑星運動の時計仕掛けのような精確さに取って代わられるからである。」
「人間をかなり単純な諸規則に従う原子や分子のようなものと見なし、それらの規則がもたらすパターンを突き止める努力をすべきなのだ。」というシェリングの考え方で、社会的な人間をシンプルな原子モデルに置き換える。直感に頼った思考、他者との関わりにおける学習と適応、人の模倣をしたがる心理、仲間との協調という、ふるまい属性をもった人間が相互作用すると、人間社会に実際によく見られるパターンが生み出される。現代のコンピュータを使って大規模に解析すれば、社会の法則を見出すことができるというのが著者の主張だ。
天気予報がそうであるように、経済予測というものも、極めて複雑なシステムやランダムに発生するショックと対峙せねばならず、我々が持っているデータや理解は常に不完全であると思い知らされる。見方によっては経済予測は天気予報よりも難しいかもしれない。なぜなら、経済というものは物理学の法則にしたがって行動する分子の集合体ではなく、おのおのが未来を考えおのおのが独自の予測に影響されて行動を起こす人間の集合体であるからだ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/bc75e1c5cd62d8b464a68843d4bf93d7
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51504977.html
「外国人参政権問題」でふと疑問に思ったのが
「で、実際参政権認められたとして、どんくらい選挙に影響が出るの」
ってこと。
で、前回の選挙に色々データあてはめて、どういう風に「外国人票」が作用するのかシミュしてみた。
対象は「中韓人が日本で一番多い都道府県」とさんざん言われまくってる大阪府。現実、法務省の統計でも「特別永住者」の数が他県に比べて一桁多い。(二年前のデータだから今ではもうちょっと減ってるだろうけど)
選管によれば09年衆院選のおける大阪府民全体の投票率は66.79%だとか。すると、大阪府の前回の総投票者数は約473.5万人になる。
前述の法務省統計に従うと、府内の特別永住者数11万2753人(07年)。
ついでの景気づけで永住者数1万1109人も足せば計12万3862人。
仮に永住者が全員投票したとすると……
全有効投票数のうち約2.54%を「外国人」が占めることになる。
ここでクエッション。コの2.54%は果たして多いのか。
「国政を乗っ取る」に足る人数なのか。
ってことは、平均して約37.3万人の有権者が各区いて、そのうち24.9万人がこの前の選挙で投票所に向かった計算になるな。
一方、「外国人投票者」12.4万人を各区に均等に割り振ると約6500人分の票がそれぞれ増える計算になる。
おお? これは多い……ですか?
もっと解りやすくするために、前回の選挙結果を参照してみよう。
1区 【5人】-最多得票11万7313( 7万8335)
2区 【5人】-最多得票 9万1952( 7万2888)
3区 【4人】-最多得票10万9518( 9万7121)
4区 【4人】-最多得票13万5411( 9万8576)
5区 【4人】-最多得票12万1218( 9万7604)
6区 【4人】-最多得票10万9143(10万7336)
7区 【4人】-最多得票12万4982( 7万9289)
8区 【4人】-最多得票11万4851( 7万7405)
9区 【5人】-最多得票15万0452( 9万7902)
10区【4人】-最多得票10万9693( 8万5106)
11区【4人】-最多得票15万6002( 7万0309)
12区【4人】-最多得票11万9048( 8万0847)
13区【4人】-最多得票10万7807( 9万0453)
14区【5人】-最多得票13万6798(10万4859)
15区【4人】-最多得票12万6511(10万7896)
16区【4人】-最多得票10万0548( 8万4883)
17区【4人】-最多得票 9万2665( 6万5054)
18区【4人】-最多得票13万2339(10万4699)
19区【4人】-最多得票11万0313( 7万0879)
地域による永住者の偏りがどのくらいあるのかによるけど、僅差での争いが多いとこなんかだと永住者票はデカイ。
仮に帰化した人たちと結託すればやはりそれなりの規模になるんだろう。
大阪市長選の最低投票率記録が95年の28.4%らしいので現有権者の意識が干潟並になればあるいはひょっとするかもしれない。
けど、俺は在日ネットワークにはとんと疎いので、はたしてその想像が現実的なのかどうかわからない。
そもそも、6500人も「特別永住者」と「永住者」足した数だし。全員が選挙行くとは限らないし。(一般国民よか投票意識高そうだけどね)
まぁ少なくとも無支援で単独で候補立てるのは無理っぽいよね。
ちなみに、
6500票あったらできること【大阪編】
・6区,15区,18区以外で幸福実現党候補に勝つ
「恋は直感」主義者なんじゃね? ロマンチストボーイ(おっさん含む)には往々にしてありうるんだぜ。
「恋は条件」主義者の女性(そこそこ年齢いった女性に多い)とは水と油なんだぜ。
実際には半々くらいの感じでうまくやってこうってのがいいんだろうな。
100%直感なんて危なっかしいけど条件を選んでたらいつまでたっても決まらん(人間て基本的に不完全だからさ)。
ある程度条件で選んどいて、あとは妥協なんだけど妥協って自覚しちゃうとそれはそれでやる気がなくなって続かないから、そこは直感=運命=恋と呼ぶもので埋め合わせ♪
妥協を自覚しないようにして精神衛生を保つのが秘訣なんだぜ。
本日のテーマはアキシブ系。Perfume特集記事第1弾で「アキシブ系」という言葉を「萌えテクノ」と共に使いましたが、アキシブ系の方がどうやら頻繁に使われているようです。
アキシブ系でGoogle検索をして、アキシブ系がどのように捉えられているか調査してみました。Wikipediaとはてなには既に用語解説があります。
はてなの方では、僕の名前も出ていますね。僕は発案者でもなんでもないですが、ありがとう。
アキシブ系という定義については、人によって微妙に違いますが、乱暴な言い方をすれば、秋葉系とされるものと渋谷系とされるものがミックスしているものはアキシブ系とされる可能性があります。
では、秋葉系と渋谷系をステレオタイプ化し対比してみましょう。以下のようになります。
【秋葉系属性】←――――――――――――――→【渋谷系属性】
ヲタクカルチャー ポップカルチャー(おしゃれサブカルを含む)
(萌え系)アニメ・ヲタク (ヌーヴェルヴァーグ系)映画マニア
チェックのウールシャツ(ブランド不明) ボーダーシャツ(Saint James)
宅八郎、森永卓郎、電車男 小西康陽、フリッパーズ、中田ヤスタカ
AKB48、時東ぁみ、桃井はるこ カヒミ・カリー、野宮真貴、野本カリヤ
秋葉系というのは、確かに秋葉原という街をで見かけそうな物や人です。しかしながら、渋谷系は音楽的ムーヴメントから始まっているので、必ずしも渋谷がメッカとは言えない物もあります。また、渋谷を闊歩する人たちの多くが渋谷系かと言われると、甚だ疑問ですらあります。
こうして比べてみると、一見、水と油、資本主義と共産主義のように秋葉系と渋谷系が相反しています。到底仲良く出来ないみたいな。しかしながら、実際のところはこうした完璧な属性でトータルコーディネイトしている人はそれほどいないでしょう。つまり両方の属性をパーツパーツでもっている人口は結構いるはずです。例えれば、音楽マニアだけれどメイド喫茶が好きだとか、アニメ・ヲタクだけれどボーダーシャツが好きとか。ボーダーと言えば、なんか楳図かずお先生が目に浮かびます。でも、先生は吉祥寺系ですね。
秋葉系も渋谷系もパラドックスに満ちており、従来の観念をぶち破る役割がアキシブ系にはあるのです。
アキシブ系に戻りましょう。先ず、アキシブ系現象の一つとしてあるのが、秋葉系(アニメ)と渋谷系(クオリティの高いポップス)の融合です。『AKSB~これがアキシブ系だ!~』は、正にそのコンセプトで選曲されたアルバムです。
01. Dimitri From Paris:Neko Mimi Mode(「月詠」OP曲)
02. ROUND TABLE feat. Nino:Let Me Be With You(「ちょびっツ」OP曲)
03. 山野裕子:ビーグル(「ココロ図書館」主題歌)produced by 宮川弾
04. 小川範子波のトリコになるように(「月詠」挿入歌)produced by 菊地成孔
05. 豊口めぐみ:人間だから(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 冨田恵一
06. 高浪敬太郎&Yama-K:かたことの恋(「ちょびっツ」挿入歌)
07. 鈴木さえ子 with TOMISIRO:Dear Friend(「ケロロ軍曹」挿入歌)
08. 桑島法子:la la maladie du sommeil(「ラーゼフォン」挿入歌)produced by 橋本一子
09. 田中理恵:瞳のトンネル(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 桜井鉄太郎
10. ROCKY CHACK:リトルグッバイ(「ゼーガペイン」ED曲)produced by 保刈久明
11. パール兄弟:明日はたぶん大丈夫(「N・H・Kにようこそ!」挿入歌)
12. OKINO, SHUNTARO:Cloud Age Symphony(「ラストエグザイル」OP曲)
13. 牧野由依:CESTREE(「ゼーガペイン」挿入歌)produced by かの香織
14. marianne Amplifier feat. yuka:Pressentiment triste(「月詠」ED曲)produced by 橋本由香利
15. 財津一郎&小倉優子:帰ってきたケロッ!とマーチ -READYMADE SERGENT ROCK- remixed by 小西康陽
例えば、小西康陽がリミックスした財津一郎&小倉優子の「帰ってきたケロッ!とマーチ」や高浪敬太郎&Yama-Kの「かたことの恋」といった渋谷系ど真ん中、言い換えればピチカート系もありますが、渋谷系には入らないけど、音楽マニアも納得のアーティストたちが自分自身でやる又はプロデュースなどの関わりを持ったアニソン集です。
僕自身、アニソンやしょこたんにはどちらかというと疎い方なんですが、アニソンって結構、いい曲あるんだと素直に感じました。このコンピではなんと3曲も収録されたTVアニメ『月詠(つくよみ)』からのサエキけんぞう=菊池成孔による小川範子の「波のトリコになるように」は、 2004年ということもあり、裏SPANK HAPPYとして楽しめます。
鈴木さえ子がやっていた「ケロロ軍曹」も、気になりながら買わずじまいだったのですが、「Dear Friend」とかNew Orderぽくて・・・(泣)。鈴木さえ子を知らない人がいるかもしれませんので、ちょっと説明。彼女はシネマ、フィルムス(リリースはお蔵入り)というバンドでドラマーとして活動、その後、ソロとしてテクノ~ニューウェイヴなエッセンスも交えて印象派アルバムをサントラも含めて5枚リリースしています。このコンピには収録されていませんが、「恋するシューティング☆スター」もお勧めです。
オープニングのDimitri from Parisは、フレンチハウスのパイオニア的存在DJ・ミュージシャンですが、彼自身、アニメヲタクとして有名です。そこだけとれば、彼は秋葉系パリジャンです。自身の曲「Love Love Mode」と声優の声のサンプリングで出来上がったのが、アニメ主題歌の「Neko Mimi Mode」です。一部では萌えラウンジと呼ばれているらしいです。
フランスは元々日本文化に対して好意的な国ですが、日本のアニメというのは一部のフランス人にとっては特別なもののようです。もう一つ忘れていけないのは、フランスはロリータ文化大国。フランスのロリータ歌手と言えば、ウィスパー・ヴォイス!このコンピにも、フランス語タイトルのロリータ・ヴォイスの歌が2曲ありますね。桑島法子の「la la maladie du sommeil」とmarianne Amplifier feat. yukaの「Pressentiment triste」(こちらは前述の『月詠』から)です。後者は完全にフランス語で歌い上げています。フレンチ秋葉系なるものを提唱する人もいますが、まさにどんぴしゃです。フレンチ→カヒミー・カリー→渋谷系ですから、これはアキシブ系になります。
今後のAKSBのリリースもありそうな予感なので、期待したい思います。
アニメ絡みのアキシブ系をもう少し紹介しましょう。美水かがみの『らき☆すた』(Lucky Starの意味)は4コマ漫画ですが、それが原作となって、テレビアニメやDSゲームが作られています。典型的な萌えアニメと言っていいでしょう。4人のキャラクターがそれぞれソロ・シングル(キャラソンと言う)を同時発売しています。その中の柊つかさ(実際歌っているのは福原香織)の『らき☆すたキャラソン(3)』に収録の「寝・逃・げてリセット!」は、Perfumeやcapsuleっぽい出来上がりなんです。ゲーム音楽における「ふたりのもじぴったん」と共に、アニソンにおける「寝・逃・げてリセット!」を、Perfumeファンはチェックしてください。ジャケはかなりキツイけど。他の曲は普通のアニソンに聴こえるのが残念ですが・・・
後、忘れてはいけないのが、中田ヤスタカが手がけたアニソンです。「capsule cuteness culture」で既に書いてしまいましたが、こちらもアキシブ系と言えるでしょう。嘉陽愛子の方が可愛いと思いますが、井上麻里奈の「ビューティフル・ストーリー」は、中田ヤスタカ仕事としてのクオリティーを感じます。
侮れないアニソン。
ネタニヤフ次期首相、中道右派政権を構想、対立政党と連立を模索
第一党となったのは与党「カディマ」だが、第二党「リクード」との議席差わずか、一議席(イスラエル国会は定数120)。
基本的には第一党の党首が連立工作の主導権を握り、ほかの政党との話し合いを始めるのが通例だが、今回はそのしきたりを破ってペレス大統領は、リクードのネタニヤフ党首(前首相)に組閣を命じた(憲法による)。
ネタニヤフは、「大連立」構想が重要であるとして、対立する「カディマ」と最初に交渉を開始した。カディマ率いるのは女性外相のリブニ。美人でもある。
だが、ネタニヤフと会談後、リブニは「カディマは連立政権には参加しない」と繰り返した。
第四党に転落した「労働党」はバラク党首(国防相)が、「連立参加の見込みはある」としているものの、即断も出来ず、また第三党に躍進の「イスラエル、我が家」というタカ派政党とは水と油の関係で、バラクは、依然として世論の動向を見ている。
一方、引退表明しても、まだ首相の座に偶然居座るのがオルマルト首相だが、汚職事件で起訴される可能性が高い。
オルマルトは、米国のユダヤ系富豪・タランスキーに便宜を図った見返りに賄賂を受け取った疑惑がある。
ネタニヤフはリクード幹部会でハマスのロケット砲撃と経済危機に対応するためにも「大連合的な強力内閣を組閣するのが国民的要請である」として、中道左派を含む連立内閣構想をまだ模索している。
今、自民党総裁選をめぐって経済政策の上で興味深い対立構図がある。
・上げ潮派=小泉改革の継承を謳い構造改革で日本経済の強化を図ることで経済成長を高める。小泉チルドレンなど改革派のグループ。
・財政バラマキ派=従来型の公共事業などケインズ型財政出動(マクロ政策)で景気回復を図ろうとする。麻生氏のグループがその代表。
・財政再建派=与謝野氏や谷垣氏らのグループで社会保障制度の維持のためには消費税増税などの国民負担の増大は避けられないとする。
さて上に上げた中で上げ潮派は小さな政府、他の二つの立場は大きな政府とおおざっぱに分けられるであろう。考え方としてはわかりやすい構図である。
ところがネット上の一部でおかしなグループが騒いでいることにお気づきだろうか。リフレ派と呼ばれる一群である。
彼らの主張をわかりやすく言うと、要するにお金を刷りまくってインフレを人為的に起こして景気を回復させようといったはなはだ危険なものであり、常識では到底考えられないものだ。ところが驚くことになんと彼らが支持しているのが改革派=上げ潮派だということなのだ!これは世界の新七不思議とでも言える不思議な現象ではないだろうか。
もちろん上げ潮派=改革派の人たちはそんな戯言に付き合っている暇はなく、当然スルーしているのだが、まるでネットストーカーであるリフレ派は迷惑も顧みず必死で持論を流布しようと躍起である。そもそもリフレ派が依拠しているのは「マクロ経済政策」の中の金融政策だそうだが、それだけ見ても改革派とは水と油の存在であることは明白なのに、だ。
リフレ派ははやくこのような迷惑行為はやめておとなしく「思想の近い」麻生氏のグループに仲間入りした方がよいのではないか。ところがなぜか彼らは麻生のグループとは違うと強弁する。彼らの中では違って見えるらしい。しかしどっこい世間やメディアの目から見れば明らかに無理があり、どう考えても政府や日銀のマクロ政策に頼ろうとする意味で上げ潮派=改革派とはまるで別種の生物であることは明らかである。
いろいろお返事いただいたようで、それについて。まずはブクマ。
b:id:kennak 増田 極論気味だが内面は外に滲み出るものだと思う いわば外への自分の表現方法のひとつ それも解りやすく汎用化されたもの それに興味がないと言う事は他人にも興味のない自分の内面を外に出そうともしないって事に
内面を表現しないといけない理由がありません。どこかの「実名ブログで自分を『見える化』しよう!」なんて言ってたなんちゃってコンサルじゃないんだから。自分の心の繊細な部分は信頼する相手にだけ見せるという考え方もあって然るべきだし、ましてそれを服飾で表現しないといけない理由なんてどこにもありません。
b:id:b_say_so 変わる気があってだけどできません><だったらまぁやってみとはいうが…/受験勉強が面白いならファッションも同軸上だと思うけどねぇ
むしろ俺計量によればファッションと受験勉強はほぼ完全に直交しております。受験勉強は最先端の科学技術あるいは文化芸術へのアクセス手段を与えてくれますし、勉強の過程でその片鱗を垣間見て胸をときめかせることもできますが、ファッションからそのようなものが得られるわけがあるとも思えません。これほど水と油なものはないでしょう。
b:id:mirrorperson >なぜなら、漏れなく彼氏彼女という御利益がついてくるからです ←んなことない というかおしゃれとかじゃなくケミカルウォッシュはやめておくとかいうマナーレベルはこなしておこう。
「ケミカルウォッシュ」って何ですか?「ぐぐれカス」とか言われそうなのでぐぐってみましたが全然わかりません。ですがまあ、普通の人が普通に出入りする店で売っているようなものを買って着ることが「マナー違反」であるというのはどう考えても常識外れでしょう。そういう私は"Levi=Strauss"を「レヴィ・ストロース」と読んだところ人に馬鹿にされましたYO!
次に、d:id:hrkt0115311氏のこの記事。
いや、それを宗教だと言ってるんじゃありません。自分が好感を持ったものを「いい」と信じるのは単なる「趣味」でしょう。しかし、その趣味に同調しない他人を「お前は愚かだ」だの「悔い改めよ」だの「地獄に堕ちるぞ」だのと脅かし、「キモい」「ウザい」「死ねばいいのに」と差別・弾圧するのであればこれは宗教です。それもかなりたちの悪い宗教です。それを私は批判しているわけです。
俺にとっちゃ丸暗記ですなあ。正直、ITの世界は次から次へと新しい言語だの仕様だのが出てきて辟易する。プログラミングだのデザインだなんてのは俺の仕事にとっては非本質的なので、そんなことに時間を使われたくないです。
当然ですよ。むしろ、その自覚を持って欲しいと私は思います。自分が頭がよいという自覚のある人は、「俺がこれだけできるのだからお前もそれだけできて当然、できないのは努力が足りないサボりなのだから自己責任」なんて無茶なことは言いません。
頭がいいから丸暗記できたのか、試行錯誤しているうちに頭も磨かれたのか、あるいは別の理由なのか。
好きな人にとっては知識を身に付けていくことが至福の過程、興味のない人間にとっては丸暗記はまさに「苦悶式」そのもの、それは普通のことだとおもいます。
その他。
俺もジーパン派。
ジーンズもありえないだろうJK
「ジーンズ」と「ジーパン」は区別される語だったのか。「フィレンツェ」と「フローレンス」が同じ街だということを知ったとき以上の衝撃です。
要するに、決まる事から逃げたいだけならそう言えよ。
日本は良い所取りで、国の中心問題に関わることは、
人格者論でやっていて、それ以外のところでは
遊ばせているだけだ。
これは水と油が混ざった感じとでも言えばよいのかな。
そりゃそうだろうよ。
お互いがお互いを監視しあい牽制しあい批判しあってりゃいいんだよ。
どっちかに傾くよりはバランス取れてるよそっちのほうが。